【KONKOKYO】金光教と浄土真宗の対話【HONGWANJI】

このエントリーをはてなブックマークに追加
627神も仏も名無しさん:2008/09/21(日) 04:39:14 ID:u+/GvfwE
皆さ〜ん、>>625はなりすまし真宗禿で、その正体は世にも恐ろしい×鸞会ですよ〜。
サタンのささやきにご注意を。
628神も仏も名無しさん:2008/09/21(日) 07:44:53 ID:u+/GvfwE
このスレは親鸞会員が既成の浄土真宗の僧侶になりすまし、
間違った教えを流布するスレです。
親鸞聖人の正しい教えは最寄りの浄土真宗本願寺派や
真宗大谷派の寺院で直接お聞き下さい。
629528の意見:2008/09/21(日) 09:09:09 ID:uCsAlSGP
自分の信念に基づいて、自己の信じるところを主張されるのは、それが誰であろうと自由だと
思います。大切なのは前にも書きましたように、絶対に正しいと確信しての書き込みも、その方
の「意見」であるということです。それはスレの住人全員変わることはありません。
意見であるか、真理であるかは読んだ側が判断することでしょう。
あなたが自分の信じるところを浄土真宗の真理だとして、真宗を信じる人全員がこのように考えるべき
だと主張するのではなく、自己の意見として書かれる限り私は学ばせてもらいたいと思っていますよ、
あなたから。ここは2chです。文献資料の積みあげではなく、誰が読んでも分かるようにあなたの中で
十分に消化されたあなた御自身の意見が出ることを期待しています。
630神も仏も名無しさん:2008/09/21(日) 14:11:44 ID:IxRdR2yJ
スタンスがちがうのだろうから、言いようがないのだが
世の中、話をしようと思えば何か共通の教養が必要で
例えば、日本語だったり、読み書きそろばん能力がある
ところで、浄土真宗がそれぞれの味わいを話す場合
その共通の教養というべきものは何を土台にもってくるべきか
それは、弥陀の真実信心ではないか?
決して自由や人権だといった概念ではないと思う。
その意味で>>625の言い分は至極まっとうな訴えだと思うがどうだろう。
弥陀の信心すら客観視してこれにさらに下に基礎づくものを探そうとすれば
真宗では自力となってしまう。あるいは教学論争になってしまう。

まあ、ここは対話スレなのだから、この大切な部分をそれぞれ差し置いて
共通のものを探して話をするべきなのだが、
簡単に捨て去るのはまるで根性のないふわふわした人間であるようで
納得できない人間も多々いるだろう、私もその一人。
631神も仏も名無しさん:2008/09/22(月) 15:45:45 ID:rhgbgfq1
親鸞会\(^O^≡^O^)/金光教
ヒューヒュー
632娉珍婁:2008/09/24(水) 00:39:22 ID:ESthH2K/
書こうと思うと書いておきながら、書けなくてすみません。
ここでは、瓜○津隆真師の『浄土真宗教義の誤解』(探求社刊)を元に、
浄土真宗で言われる信心とは一体如何なるものなのか、一寸ばかり書いてみます。
この書籍の中で、師は、「真宗の信仰の道程には、概して二度の節目(転換点)」
がある、と提示されています。
これは、親鸞聖人が信心にも自力の信心と他力の信心があり、
他力の信心が定まれば、正しく浄土に往生するが、
自力をたのみ、よりどころとする者は、化身土という
真実の浄土ではないところに生まれると、厳密に分けられたことに発しています。
信じているのだから自力だろうと他力だろうとどっちでも良いだろうとは、
親鸞聖人というお方は仰らなかったのです。
ですので、師は「二度の節目というのは、一言で言えば『入信と獲信』ということであります」
と言われます。
「『入信』の信とは、一般的に言われる信仰ということであります。
浄土真宗一筋と心に定め、今までとは少し違う、信仰生活に入る
ということであります。」と、このような信を『入門』と位置付けておられます。
これは厳密に言えば、自力の信に分類されるものです。
大抵の真宗信者は、もしかしたらこの段階で終わってしまっているのかもしれないと、
娉珍婁は思います。師の書に戻りましょう。
「次に『獲信』の信でありますが、これは『真実信心』と言われるものです。
いわば絶対の信心であり、これを獲得することは『難中の難』と言われ、
真宗信徒の等しく志す大目標であります。」
親鸞聖人のご和讃には、
「一代諸教(お釈迦様一代の教え)の信よりも、
弘願の信楽(浄土真宗で言われる浄土の因となる真実信心)なお難し。
難中之難と説きたまい、無過此難(これ以上の信じがたい法はない)と述べたもう」
とあります。いわゆる妙好人と呼ばれる方々も、皆この道を通ったのです。
六連島のお軽お同行も、因幡の源左さんも『獲信』に至るまでは
大変なご苦労をされたのでした。
あさってぐらいに続きます。
633神も仏も名無しさん:2008/09/24(水) 03:00:24 ID:LgQP80Eg
へぇー
634警告:2008/09/24(水) 07:05:48 ID:OvUBLwKP
このスレは特定カルト教団会員が既成の浄土真宗教団の僧侶になりすまし、
間違った教えを流布するスレです。
親鸞聖人の正しい教えは最寄りの浄土真宗本願寺派や
真宗大谷派の寺院で直接お聞き下さい。
635警告:2008/09/24(水) 07:07:45 ID:OvUBLwKP
37 :神も仏も名無しさん:2008/07/09(水) 00:54:49 ID:vGk4s0Qx
>渡海難(自演含む)以外の全香具師

頭のおかしな人が増えてきたので放置しましょう運動。2
http://news4.2ch.net/test/read.cgi/news/1068021341/

1 名前: ひろゆき@どうやら管理人 ★ 投稿日: 03/11/05 16:36 ID:???
http://www.2ch.net/before.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031105-00000071-kyodo-bus_all
こういった犯罪をする人もそうですが、
頭のおかしな人が増えてきたので、放置するように心がけてくださいです。

頭のおかしな人の判定基準

・「みんなの意見」「他の人もそう思ってる」など、自分の意見なのに他人もそう思ってると力説する人
 他人が自分とは違うという事実が受け入れられない人です。自分の意見が通らないとコピペや荒らしなど
 無茶をし始めるので見かけたら放置してください。

・根拠もなく、他人を卑下したり、差別したりする人、自分で自分を褒める人
 他人を卑下することで自分を慰めようとする人です。実生活で他人に褒めてもらう機会がないが
 プライドだけは高いとか、匿名の掲示板しか話し相手のいない人です。可哀想なので放置してください。

・自分の感情だけ書く人
「〜〜がムカツク」とか自分の感情を掲示板に書くことに意味があると思っている人です。
何がどのようにムカツクのか論理的に書いてあれば、他人が読んでも意味のある文章になりますが、
そういった論理的思考の出来ない人です。もうちょっと賢くなるまでは放置してあげてください。
636神も仏も名無しさん:2008/09/24(水) 12:39:50 ID:tO5GfNKc
878 :神も仏も名無しさん:2008/09/24(水) 08:24:57 ID:EN3n9kY1
新勧は犯罪ではないからやっていい、ということ
いってる馬鹿な学生がまた書き込みしてるが、犯罪だよ。
立派な詐欺。カルトにかかわりたくないから皆訴えないだけ。
カルトの連中は自分たちがどれほど世の中から煙たがられ、
悪臭を発しているかわからないだけ。
ウソ勧誘を正当化する理由など、どこにもない。

>カルトの連中は自分たちがどれほど世の中から煙たがられ、
>悪臭を発しているかわからないだけ。

まさしく>>632をはじめとする、一連の論難荒らしのことでしょう。

637神も仏も名無しさん:2008/09/24(水) 14:05:40 ID:19RkKvX9
教義が正しいという理由によっていかなる卑怯な手段をも正当化することと
それゆえにその教義がまったく間違っていることとは全然別だろ
カルトというレッテルによっていかなる教義をも否定することは
結局同じ穴の狢、そいつもカルトということにすぎない

というか636は親鸞会による本願寺ネガティブキャンペーンか?
これ以上、まともな対話もできないようなら他カルト信者とみなす
どうせ創価かなにかだろ
638娉珍婁(ハァ?):2008/09/24(水) 20:03:38 ID:ESthH2K/
>>634
瓜○津師は、京女の名誉学長だよ。梯和上と共著も出してる。
お西の代表的な学者って言ってもいい方です。
その本に従って読みすすめてるだけですよ。「」内は、瓜○津師の文章そのまんまです。
プロパガンダはってるのは、疑心暗鬼なあなたの方だよね。
あなたが>>632の書き込みに対してなすべきことは、
「難信之法と言われるけれど、同時に選択易行の至極とも言われてるじゃないか。
とりやすき安心とも蓮如上人は仰ってる。これは矛盾じゃないか!どういうことですか!」
とツッコミを入れればいいって事です。
639神も仏も名無しさん:2008/09/25(木) 08:34:53 ID:o/AwBCQ6
タワケの蓮如がそう言っている!とツッコミを入れましょう。
640神も仏も名無しさん:2008/09/25(木) 23:04:24 ID:5n+iR+hj
「天理教とキリスト教の対話」よりも
「金光教と浄土真宗の対話」のほうが難易度が高そうだな。

「のどけで九死に一生」と「修験」あたりはとっかかりになりそう
641娉珍婁:2008/09/26(金) 12:44:21 ID:kmz5vPyp
お詫び
>>638
『浄土真宗教義の誤解』の著者を瓜生○隆真師と書き込んでしまいましたが、
瓜生○隆文師の間違いでした。謹んでお詫び申しあげます。
隆文師は、芦屋仏教会館の理事、自照社出版刊行の『自照同人』誌の
編集主幹をなさっておられるお方です。
今は、このお方の著作を通して、親鸞聖人の仰る「浄土往生成仏の
正しき因となる信心」についてうかがわせていただいているところです。
浄土真宗における信心の特色をあきらかにし、それをもってはじめて、
浄土真宗と他教・他宗との対話(個々の相違点、相似点、同意、共感、批判等の発見)
が可能なのではないか、と言う問題意識をもって、まずそれが成立する上で
必要不可欠となる準備(浄土真宗側の)を行っているわけです。

642528の意見:2008/09/26(金) 18:03:53 ID:ygQVoPtx
娉珍婁氏は、以前の言いがかりっぽい攻撃から、うってかわって自分の信じる真宗の姿を述べている。
私の意見は気にせず相変わらず文献の引用だが、引用を続けることで娉珍婁氏の意見がはっきりしてくるなら
それも娉珍婁氏自身の意見。もともと聖人の教行信証も文献引用だらけだしね。先人の上手い言葉を自分の意見の
表現手段として使うのは良い方法であると思います。
>>632だけならしごくもっとも。誰も反論しないでしょう。ということで、私があなたを変だと思ったそもそもの理由を
あげておきます。あなたが親鸞会ではないなら、こういう書き方はされない方がいいでしょう、誤解を招きますので。
まず、>>641であなた自身が言われているようにあなたがまだ準備中でありながら、>>565自分で判断して、あの坊さん
に教わるのは無駄だと整理するのがよいと人に勧めるに至る理由、しかもその自らの判断の基準になっているものは
>>603新たな資料が発見されれば考え直さねばならないというのに。私もあなたも念仏すらも自力ではないとして、
全てを委ねきりたいはずの信心の徒であるのに自力でどうこうとはね。
私は自力を捨てた時、もっとも口から出なくなる言葉こそ「自分の判断で人を判別する言葉」ではないかと考えています。
あなたから見て、ある人がとても愚かしく思える言葉を口にしても、共に信心の徒であると認めるなら「私ならこう思うので
すがね」で止めておくべきです、それ以上の事は相手の心をえぐるだけだし、あなたが正しいことを言っているのであれば
読む側には自然に伝わりますよ。
643528の意見:2008/09/26(金) 18:04:36 ID:ygQVoPtx
それから、前にも書きましたけれど、人は皆それぞれの立場で聖教を抱き日々の苦しみと向き合っているのです。
今のあなたの理解では、聖教に論拠が見出せない議論をするお坊さんも、彼なりの理由があるはずです。いいですか、聖教は
すでに今ここにある。古典の中ではないのです、苦しみを抱えつつ日々を生きる人々の中で聖教はこれからも生き続けます。
「信心決定」にしてもいろんな答えがある、しかしことは浄土真宗の根本にも関わることです。
聖教を自分の経験、人生を通して彼らなりに解釈し、生かそうとするからこそ皆自分なりの信仰を求め続け、だからこそ
聖教は今の時代にも生きる血の通ったものでありえるのです。
解釈を許さないなら、聖教の文字をただ暗記すれば学生でも完璧な先生になれますよね。私たちの聖教は、ただの古典に
してしまうにはあまりにもったいない。言うまでもなく私の意見です、あなたも浄土真宗の真理ではなく、あなたの意見を
述べたほうがいい。
>>641はお詫びだそうですね。私もあなたにお詫びします。断言するまでの確証はなかった。親鸞会だ、というね。
あなたのスタンスがあまりに彼らに似ていたのでつい勢いでね・・・。
あなたに言われるまでもなく、私は感情論になりがちなのは自覚しているのですよ。もうお気づきでしょうが、私はあまり
学があるわけではありません。しかし、私の念仏は誰が何を言おうが私の中にあり、今まで私を救ってくれたのです、そして
これからもそのはずだと信じているのです。もちろん私だけのことです。



644神も仏も名無しさん:2008/09/26(金) 18:42:40 ID:Q/kTCxpF
>>643
もうこのスレに来るのはやめて、別スレで雑談しましょうよ。
この↓スレを読むと当スレに来ることの空しさがわかると思いますよ。
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sakukb/1165127567/
645娉珍婁(ハァ?):2008/09/26(金) 19:33:44 ID:kmz5vPyp
>>642
あなたの意見はあなたの感傷しかのべられていないし、
かつ、私の書き込みもよく読まれずに書き込まれているので、
どう対応すべきなのかわかりませんが、反論すべきでしょうか?
私は「親鸞聖人は〜と言われている、
それを受けて先哲は〜と言われている。それを受けて〜と言える。」
そうした筋道を建てているだけです。今は、瓜生○師の文章を基にしていますが、
香月院師でも、梯和上でもかまいません。
感傷も大事かも知れませんが、宗義は感傷ではありません。
感傷を主として、南無阿弥陀仏を道具として扱えば、
自見の覚悟で他力真宗の旨趣をみだす事になる。自見の覚悟はどうしたら認識できるか。
その方法は、お聖教に照らさせていただく以外にないでしょう。
自分の感傷・経験に聞いて、その判断が間違いないとすれば、
それは自見の覚悟になってしまうのですから。
それを作り出している原因は何か?パウロ師が浄土に往生しただとか、
金光教の救済感が、浄土真宗のそれと同じだとか、
そう言わしめているのは何物でしょうか?自力他力の分別もなく、
専修と雑修、専心と雑心の判別もなく、真仮偽の区別もない、
それはすなわち親鸞聖人が教判された事を反古にして
自分の宗旨を建てている事に他ならないでしょう。
そんな主張をするものは、最早、浄土真宗ではない。
「なんでも思った通りでいいんですよ、みんな十人十色ですから」
そんな事を親鸞聖人は言われていますか?なんでも思った通りでいいならば、
何故、自力他力、真仮偽、第19願、第20願、第18願と判ずることをされたのでしょう?
646528の意見:2008/09/26(金) 19:44:00 ID:ygQVoPtx
お見事です、どうぞ信じる道を突き進んでください。
私は私の真宗を生きてゆきます。
647神も仏も名無しさん:2008/09/26(金) 19:49:45 ID:DcaM9de5
私の真宗と言うのは卑怯だと思います
言うならば私の信仰でしょう。
あなた自身、自分の信仰を、真宗ではなく、意見にとどめるべきとの見解なのですから

私は教義という鎖からの解放を願った結果、真宗という鎖からも逃れたのです。
あなたの正しさは真宗によって担保されるべきものではなく、
まさにあなたの信仰によって保証されるべきです。

自由は責任を伴います。つまり孤独をよぎなくされるのです。
648娉珍婁(嗚呼、清澤満之先生):2008/09/26(金) 19:51:34 ID:kmz5vPyp
>>643
仮定と推論を感傷で固めて発露しても、それが真宗であると裏付ける事はできません。
教行信証はパンクロッカーのエッセイではないと言う事です。
649神も仏も名無しさん:2008/09/26(金) 19:58:01 ID:DcaM9de5
私はゆえに日本に神道があることに感服します。
神道には教義がない。
おのれの感じた霊性がすなわち神なのです。
そして、原理によることなく、まわりを包む。
仏教には私個人の目覚めを助けられましたが、
神道の上に仏教があるおかげで、教義に縛られずとも日本人は
仏教のこころなるものを俯瞰できるのだと思います。
孤独への恐怖、無信仰ものへの脅しに対してそれほど強迫観念がないまま
仏教とフレンドリーに触れることができるのだと感じます。

私は>>646を認めます。
だが、真宗に属すべきものの態度ではないと糾弾します。
650娉珍婁(番外編):2008/09/26(金) 20:42:05 ID:kmz5vPyp
>>649
神道に関しては全く同意見なので、ついレスしてしまいました。
神道は道理を排除しない傾向があるのでしょうか。とある所で
縁起について話などさせていただいたのですが、ちゃんと理解して下さる。
思えば、神仏分離令が出るまで、神社には神宮寺があるところがあまたあった。
江戸末期からの尊皇思想の高まりにあわせて、
富永仲基の大乗非仏説、それを根拠とした廃仏等もありましたが、
(私個人は政治的ダメージに過ぎないと思っています)
長期的に見たら、神道の包容力に仏教が助けられてきた事の方が数多かったのではないかと。
具体的事象を挙げることは出来ませんが、そうした点は、素直に謝意をあらわしたいですね。

651神も仏も名無しさん:2008/09/26(金) 22:03:11 ID:Bm8uQjDq
阿弥陀仏=空=縁起

という論をよく聞きますが、

その「空」とはいったい何ですか?

虚無だという人もいれば、物理法則だという人、神だという人、神秘主義とは違うという人、千差万別です。

一番大切なところだと思うのですが?

本当の「浄土真宗」の見解を教えてください。

専門用語で逃げずに教えてほしいです。
652神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 13:27:22 ID:D1Wh+8ju
真宗では阿弥陀仏と空、縁起について詳しくのべた聖教はないからなんとも・・。
ただ空=縁起は龍樹、中がん派の言葉だよね
龍樹って本みたら書いてあるから見るといいんだけど

「此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば、彼が滅す」

これを時間的に解釈したのが、因果の教えで
空間的に解釈しなおしたのが、縁起の教え。

過去に此がおこったから現在に彼がある、もし過去に此がなかったら現在彼はない。因果
こっちに此があれば彼がこちらにないといけない。此がこっちになければ彼はこっちにはない。縁起

身近な例で示すと、長いって概念は短いという概念と対ではじめて意味をなす言葉。
だから長いというものが単独で存在してるわけではない。
また自分という存在もそう。私だけが単独で存在するのではない。まわりとの関係性から私が浮き上がってきているにすぎない。そういうことが縁起の教え。
653神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 13:32:42 ID:D1Wh+8ju
西洋では唯名論とか否定主義、相対主義、虚無主義と見なされているみたい。
唯名論とはもののある名前のついた何かが実在するかについて考察したもの。
名前は「ある空間」にたくさん入っている風船みたいなもので、一つ割ったところで、他の風船の圧力ですぐ空間がいっぱいにしきつめられる。人間がこれ、あれと命名したところで
ある空間の中の関係性で名があるだけで、永遠不変な名前のついた何かが存在するのではない
英語ではwaterと一つの表現しか用いないが日本は水やらお湯やら繊細に表現を使い分ける。
雨の種類にしても色々な言い方がある。水に対する感覚が豊かなのだ。
またエスキモーには雪一つに何種類もの言い方がある。
このように何か名前のある何者かが実在するのではなく、名付けられることによって
固定的な何かが存在しているかのように見えているにすぎないというのが西洋由来の
唯名論。これと同じ事を言っているというので縁起の教えを向こうではこう言うらしい。うろ覚え。
空とは一般には縁起によって形成される世界がさまざまな縁によって生まれ止まり破壊される
ことによって流転してひとつとして常住のもののない様そのものを表したものだそうですが
縁起によって構成される原子のようなものは存在するのかどうかによって
虚無主義なのか唯名論なのか判断が分かれがちです。
否定主義とか相対主義とかは、持論はなくただ相手が間違っているとだけ言う考えのことです。
実際龍樹は般若経のように非ず非ずとあまりにもくりかえすためこう思われたようです。
本ではこのことに対する反駁を行っているわけですが、あえて省きます。
自分で買って読んでみてください。
654神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 13:39:52 ID:D1Wh+8ju
龍樹の本意にかなうか分からないが、空の原理に共通することは
言葉によって表現できないし、認識したり客体化したりできないが、
確かにあるということではないか
もしそれを固定化(認識・相対)してしまえば、その瞬間から何か消えてしまう
阿弥陀仏=空とあまり公然と聞いたことがないが
親鸞はたしか、阿弥陀仏という固定的で不変の存在がどこかにいるのではなく
阿弥陀仏はあくまで私たちにあることを教えるために現れた方便にすぎないもので
実際は、言葉にも表せず思議もできないものだと言っていたが
これを空思想的だと感じた人が 阿弥陀仏=空と言ったのではなかろうか。
655神も仏も名無しさん:2008/09/27(土) 21:24:12 ID:05mieeOX
ようするに空=神秘でOK?
656神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 01:13:18 ID:GTNXT+LX
神秘主義なのかなあ
禅が神秘主義ならそうだと思う
しかしイスラムの神秘主義は刃物で体を突き刺しても平気なことを神の御技と見るし
スーフィズムはひたすら回ることで神を感じられるとするし
神秘主義と言ってもいろいろ
神秘主義なのねでひとくくりにできないのではないだろうか
西田幾多郎の禅思想を神秘主義としてしまう学者がいないように
空は難解だから神秘主義とみなしていいとしてしまうのは暴論ではないかな

もちろん、日本人なのに源氏物語など一度もよんだことがない私が
源氏物語の紹介文をよんで単なるセックス三昧貴族漫遊記と定義づけても
ほとんどの人が文句をつけないし、詳細な反論をされてもどう答えて良いか分からないように
空=神秘としたところで誰も困らないし、当たらずとも遠からずなのだろうと思う。
OKじゃないかな
657528の意見:2008/09/28(日) 10:51:43 ID:890zLmTg
浄土真宗やっとかめ通信 http://www2.big.or.jp/~yba/index.html なかなかに熱のあるよいページで
あると思います。浄土真宗本願寺派のお坊さんの集まりです。
中でも本物の宗教って何?というコーナーや仏教に学ぶコーナーはQ&A形式で質問数も充実していて
知らない人が浄土真宗の全体像を知るには良いのではないかと思います。
少なくとも私の感傷論などは問題にならないほど納得できるはず。
残念ながら空=神秘か?という質問はありませんけどね。有名なページですので真宗に興味のある方が
おられましたらご覧下さい。
658神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 11:46:35 ID:0A7uAgAM
誰しも、自然(物理法則)主義者か超自然(神秘)主義者かのどちらかである。宗教者はもちろん後者のはずなのだが。
659神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 12:53:13 ID:GTNXT+LX
>657
だんだん宗教が道徳のレベルをでなくなってきているね
道徳とは共同体内でその構成員が平等に問題なくつきあうための規範。
そのために鬼神を敬いて避ける。
簡単にいえばつきつめれば儒学の倫理になる。
私にはこれだけでは少々心許ない。

私のお薦めとしては
中村雄二郎の臨床の知という本で
この本はかゆいところに手がとどくような本で
宗教の有用性を端的に書き表せていると思えて感慨深かった。
660神も仏も名無しさん:2008/09/28(日) 19:10:14 ID:yTnKGyNN
>>656 久しぶりに覗かせてもらいました。天理教のものです。
いやあ、レベルが高いですねえ。お説、感心しました。
個人的には、西洋の「唯名論」は表象と実体との対比に視点が注力されてる感じがしてましたが
仏教の「空論」では実体とみえるものは、常に変化するもの・流転するものといった
流動性・関係性により力点がおかれているように理解しておりましたが・・。
そのようなニュアンスの違いがあるかと。

でも私なんかは例え移ろうものでも、その今、今は、まさしく実体なのだと考えるタチで。
例え明日散るサクラでも、今美しいと感じた思いは永遠で、
例え今、ややくたびれた家のかみさんも、昔の美人の名残をいささかひきずっており・・・

いやいや門外漢が余計な事を申しまして、失礼しました。
661神も仏も名無しさん:2008/09/29(月) 14:38:59 ID:Z6vkcz+U
>>660
ご指摘ありがとうございます。
私もそれほど詳しいわけではありませんで、本をよみよみしこしこ勉強してるところです。
これはちがうのではないか、こう説明したほうがいいのではないかと思える点がありましたら
どんどんレスしてもらいたいです。

>でも私なんかは例え移ろうものでも、・・・
私もこの世のうつろうものにうつくしさを感じます。
いや、正確には、うつろううつくしさに囲まれた中で私が生きてきたので
私にとって、これが私の存在証明になっているのかもしれません。
いやいや、むしろ人が好きになるのは、実はその人と過ごした時間が私たちであり
肉体を通り越した、自他の関係性の歴史に自己が帰属することに
安心するのかもしれません。

これも一つの空かもしれませんね。
しかし、空と断じて固定的にみた瞬間、この装置が人を使役する暴力に変わる可能を産みます。
空は言葉で表せないのかもしれません。
662神も仏も名無しさん:2008/09/29(月) 22:38:37 ID:tsucwZTO
>661
空は言葉ではあらわせませんね。これは龍樹菩薩の『中論』に明らかにされています。
縁起の理に依れば、今の私はあなたなしには存在しない。今のあなたは私なしには存在しない
わけですから、確固たる「私」、既定された「私」は存在しないんですね。
本来無我なんですね。この理の故に、私たちは、何事も作り出せる(よきにせよ、悪しきにせよ)。
自由自在の土俵(もはや土俵さえもない際限なき世界)で、
私たちが何を発見し、何に心動かされていくのか、
自由自在にやってみな、影響されてみな、立ち向かってみな、
という根底が縁起無我空の道理によって担保されるわけです。
タブーが、放棄しても構わない、実はたいした事がないものと写るわけです。
勿論、それは社会生活上、必要な事かもしれませんが、
所詮タブーは人間存在、社会円満のための道具にすぎないわけです。
道具は使用するものであって、それによって使役されるならば、
本末転倒と言う事です。
663神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 00:50:36 ID:YXVLjqEk
未来派はきらいだね辟易する
664神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 18:51:29 ID:fqD6XhId
>>658
二元化から出発しないのが仏教ですね。だから、難解と思われる。一般生活は自・他という
分別によって成立している(かの如くに意識されている)から、
二元化以前については、見ようとしない。立ち返ろうとしないわけです。
鈴木大拙という禅者が、外国人の集まりの席で、
「バイブルに、神が光あれと言われたら、光があらわれて、昼と夜ができた、
とあるが、いったい誰がそれを見ていたのか?」と質問されたそうです。
さて一体誰が見てたんでしょう?大拙師はどう言われたと思います?
665神も仏も名無しさん:2008/09/30(火) 19:25:41 ID:fOnrxcxX
それは「私」、と言われてあなたが納得できた理由を教えてほしい。
666神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 01:35:18 ID:H0K6iUlG
>>665
大拙師いわく
「わしはいった。わしが見ているのだ。このわしが、その証人なんだ、とね。
外ならぬわれわれのこの心(即心)に、そのはたらきがあるのだ。
わしらは、時々刻々にそれを行じているのだ」と。
これは味わうべき事ではないかな?
私個人の意見は、これをふまえた上で、また書きますね。
おつかれさまです。
667神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 19:46:01 ID:JXkauqVC
明日は金光教本部では生神金光大神大祭。祈りが通じて、台風が消え、秋晴れの天気予定。
668神も仏も名無しさん:2008/10/02(木) 07:36:39 ID:GcWqFuru
ほんとうだ良い大祭になりそうだね
669神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 20:04:48 ID:XrpxQaKe
金光教と浄土真宗は対話にならないということが
漸く分かってきた。
670神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 21:39:27 ID:He3vIAoS
>>669
多分特定の派だけは、どことも対話不能じゃないのか?
671神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 23:03:53 ID:IdSWmLxI
世間話でお茶を濁すことはできるんじゃね?
672神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 23:53:23 ID:He3vIAoS
>>671
世間話でも、対話せずに自分の話だけを聞いて欲しいという人はいますね。
673神も仏も名無しさん:2008/10/03(金) 23:54:59 ID:He3vIAoS
【カルトアンチの法論の定石(第3版)】

1,「絶対に正しい」と思っている(思わされている)意見を、壞れたテープレコーダーのごとく何度も繰り返す。
2,上記に抵触した対話者の提出した資料は、見なかったことにして無視。
3,対話者の意見を自分の解答しやすい形に改変(捏造)して反論。
4,対話者の人格を攻撃し、対話者の意見が価値のないものであるかのように印象操作。
5,自分の提示した見解が論破されたら「そんなことはわかっていた」と居直り。
6,それまで行っていた論点での議論で勝ち目がないことがわかったら論点スライド。
7,自分は答えないくせに、複数の不当質問で、相手を呆れさせるように誘導。
8,対話者があきれて反応しなくなった所で勝利宣言。

以下、対話者の反応がなくなったにも関わらず、
「勝利宣言」できない位ボロ負けしてしまった際の対処法。

9,相手の主張の都合の悪い部分を削除し、ボロ負けしていないかのように印象操作。
10,これまでの議論で扱ってなかった話題を積極的に扱い論点拡散。
11,まともな発言中にインチキドグマをブレンドし、あたかも全部がまともな発言であるかのように偽装。
12,これまでの議論で根拠を出さ(せ)なかったにも関わらず、そのことを前提に一方的に議論を進行。
13,指摘された資料は、ドグマに都合のよい形に資料改変。
14,対話者がいないので、最後の勝利宣言まで言いたい放題。


以上
674神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 00:02:42 ID:xhEhTsk9
>>672
なるほど
675神も仏も名無しさん:2008/10/07(火) 03:59:05 ID:iVIbmyHR
南蛮人による日本人奴隷の売買

divide and rule
676神も仏も名無しさん
今日もAGEAGEでいきましょう!