【反聖師】ウラナイ教の本部おほもと【大本もどき】

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213神も仏も名無しさん
大本教は聖師の生きた時代には神の実在と宗教的な信仰が
必要な時代として捉えることは出来るでしょう。
愛善苑としての再出発の真意を(聖師の想い)を理解出来なかった
三代にその後の大本に責任があるのは言うまでもありません。

教団の私物化は先代のカリスマ以上のものが無い以上どの組織
でも起きることです。特に三代は聖師のすることを理解出来なかった。
父に対する嫉妬と憎しみは多感な少女時代に醸し出されて
いったのではなかろうか。
又、大本の三代目としての人生に何がしかの反駁心が生まれるのは
仕方の無いことと考えます。