幸福の科学[NewAge]

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486神も仏も名無しさん
http://www.eonet.ne.jp/~beanack/rinnetensei.html
1 独自の輪廻観
前章でも述べたが、本来輪廻転生とは人問は永遠に苦しまなければならないというペシニズムであり、その苦しみから脱するためにはすべての欲望を捨て去り解脱するしかないという思想である。
古代においては、貧困に喘いでいた庶民やそれをコントロールしなければならない指導者にとって、それはつじつまの合う合理的な考えであったといえる。しかし、貧困もなく物質的に満ち足りた現代の人々にも輪廻転生思想は息づいている。
産経新聞が1995年に掲載した「宗教と社会学会」による調査では、大学生の52%が輪廻転生について肯定的な考えをもっているとし【参照3】、私のアンケート調査(注2)ではおよそ90%の人が輪廻転生を信じる、もしくはそうであればよいとしている。
また教祖が自ら仏陀の生まれ変わりと豪語している非常に大きな某新興宗教団体も輸廻転生を教義に抱えており、3年程前になにかと話題を集めたオウム真理教にもその教えのなかに"ポア(死を以てシヴァ神に召されること)"
というバラモン教の輸廻思想そのもののようなものがある。
そして日本以外の、しかも仏教に馴染みの薄い先進各国にも輸廻転生思想は存在する。1982年のギャラップ調査でアメリカ人の四人に一人が生まれ変わりを信じているとしており、英国誌『Sunday Telegraph』の1979年4月15日版には
イギリス人の28%が転生を信じるという調査結果が発表された【参照4】。
このような事柄からみて、現代の人々にある輸廻転生思想とは、バラモン教から発生し仏教が2500年問培ってきたそれを受け継いでいるものではなく、あくまで主旨の異なる独自のものであることがいえる。
"六道輪廻"や"無我"といった輸廻転生のリスクともいえる部分を摘みとり、
「生まれ変われる」という抽象的な願望のみが強調されたものとなっているのだ。実際、人々が最近のそのような新興宗教や非科学的といえる輪廻転生思想に惹かれるのは、それを望んでいるからであって、
そのこと自体がバラモンや仏教での教えに矛盾している。
元来、輪廻転生とは苦しみであったのだ。また、号れを望むということは"生"への欲望であるともいえ、すべての欲望を断ち切り解脱するといった本来の輪廻転生の教えはすでにお座なりにされているといってよい。