○●Я親鸞仏教質問箱R(その4)●○

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412渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
 太陽神は作物を作り出す源泉である。命の源である。エジプトの太陽神はそのような
作物の源泉、命の源泉として、エジプト社会を統括する王権の背景を構成したと考える。
神は、社会を統括し、社会に秩序を実現する権力の背景である。エジプトを脱したイス
ラエル社会における神の地位は、エジプト社会の太陽神を模倣したものだろうとぼくは
考える。これは、極楽浄土の阿弥陀仏にはありえない思想である。阿弥陀仏は神では
ない。

 モーゼは、エジプトの神をそのまま借用することはしなかった。エジプトへの帰還と
いう事態を防がなければならななかったからだ。モーゼは、イスラエル社会の民衆に、
エジプトとの絶縁を迫る。
 民衆をエジプトから完全に絶縁させる方法は何か。モーゼが採った方法は大胆か
つ荒っぽかった。エジプトの太陽神を超える神を出現させた。最終的にイスラエルは、
万物の創造主を神とすることになる。しかし、イスラエルの民衆が自分たちの神とし
て万物の創造主に行き着くのは一朝一夕にはいかなかったようだ。全知全能の神、
万物の創造主の思想が完成するのは、モーゼよりさらに数百年後、おそらくバビロ
ン捕囚の前後ではなかったか。僕は勝手に創造している。少なくとも、モーゼの時
代ではなく、それより相当後である。聖書を読むとそれがわかる。今、この問題には
これ以上触れない。
 
 モーゼは、自分の母方の先祖をいきなりイスラエルの民衆の神に据える。モーゼ
はその神の名によってイスラエル社会に法令を公布する。これがモーゼの十戒であ
る。十戒のモデルはおそらくエジプトにあったものだろう。しかし、エジプトにはなかっ
たモーゼ独特のルールも定められている。

 モーゼの神は言う。
 「我は汝の神エホバ汝をエジプトの地その奴隷たる家より導き出せし者なり。汝我
面の前に我の外何者をも神とすべからず」。