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神も仏も名無しさん:
自分の獲信体験なるものを得意げに書きまくり言いまくり、他人にも読ませ、聞かせている者たちがいる。
ある者は、「オレは弥陀の呼び声を聞いた。お前ら、まだ獲信できんのか」
とうそぶき、「法施も財施も要らん。聞いてさえおればいいのだ」と放言する。
善の勧めの否定は、弥陀の三願転入の仏意の蹂躙であり、親鸞聖人のみ教えの破壊である。
その大罪の自覚もなければ、「救われた」と言いながら、懺悔も歓喜もない。
無論、「遠く宿縁を慶ぶ」心などさらにない。
弥陀より賜る白道どころか、恨みと呪いの真っ黒な愚痴を言いっぱなして恥じない自称獲信者≠烽「る。
ニセ体験であることは明白だが、なぜこうしたニセモノが後を絶たないのか。