日蓮正宗法華講2ch支部の愉快な仲間たち 第9会

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200オヤジ ◆avupamp2lY
今気がついたけど、前にも似た話をしましたね。
新潟の地震のことで。
災害にあうのは罰だと主張していましたね。
じゃあ、災害にあった人たちに何か支援救済しましたかの問いに
何もしていないと。
この教えを信じないのが悪いのだからと。
正宗の言う救い、平和って何と思いましたね。

戦争で殺されるのは殺されるほうが悪い、はい終わり。
災害に会うのは会うほうが悪い、はい終わり。
通り魔に殺されるのは殺されるほうが悪い、はい終わり。

石に躓いて転んだ人見て、助けも声もかけない、ただあざ笑っているだけじゃないの?
この教えを信じないのが悪いんだから、ざまーみろと。
201元原理派・あつわら ◆/VHRcl8dF2 :2008/04/24(木) 01:17:45 ID:pkS5pfi3
>>198
>>167
について
「後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於いて断絶せしむること無けん」は広宣流布が事相で実現すると
は解釈していない。
末法は法華経のみが広がり始めるとしている。下種佛法が弘まるべき時と解釈する。
>今日蓮が時に感じ此の法門広宣流布するなり
(三大秘法抄)
おかしく思われない為に創価仏法では戒壇本尊(法体)の建立で「法体の広宣流布」はすでに成された。
従って「化儀の広宣流布」を事相の広宣流布とする。(それを目指す→舎衛の三億論の広宣流布)

本来の石山教学では大聖人は逆縁の広宣流布をあそばされた。順縁広布(事相の広宣流布)は未来に託された。
順逆ともに救うのが日蓮大聖人の佛法だから
>逆縁に約すれば既に広宣流布なり
日寛上人「後五百歳記」
なんだよ。「後五百歳記」 は富士宗学要集第十巻に収載。
日寛上人は広宣流布とは逆縁の広宣流布と順縁の広宣流布の二筋とお示しあそばす。
202元原理派・あつわら ◆/VHRcl8dF2 :2008/04/24(木) 01:20:31 ID:pkS5pfi3
当流漸々流布す、一葉落る時皆秋を知る、一葉開ける日天下の春なり、豈広宣流布に非ずや。

況んや逆縁に約せば日本国中広宣流布なり。況んや如来の全言は大海の鹹の時を差へざるが如し。

春の後に夏来るが如く秋毫も差ふこと無し、若し爾らば終には上一人より下万民に至るまで一同に他事を捨てて

みな南無妙法蓮華経と唱ふべし

順縁広布何ぞ之を疑ふべけんや、時を待つべきのみ云云
203元原理派・あつわら ◆/VHRcl8dF2 :2008/04/24(木) 01:38:21 ID:pkS5pfi3
>>200
貴方はわたしが散々にいっても理解を放棄しているようですね。
反顕正会スレの古参には何を言っても時間の無駄に思う。
>災害にあうのは罰だと主張していましたね。
していませんね。
>じゃあ、災害にあった人たちに何か支援救済しましたかの問いに
そのような問いかけもない。
>何もしていないと。
宗門としても信徒としても義捐金の拠出をしているんだけどね。外国の災害でもそうしている。

中段・後段
そんな思いつきが貴方の本性そのものだ。自分の心の内面ですよ。
204理趣経 ◆viIIIIIIII :2008/04/24(木) 01:58:47 ID:2PXVZwP2
>>202
なるほど、そういう解釈の仕方ね
なら事相の広宣流布は
上一人より下万民に至るまで一同に他事を捨てて
みな南無妙法蓮華経と唱えるように なった時なんだね
とりあえず、俺が生きているかぎりは ないということだな
205理趣経 ◆viIIIIIIII :2008/04/24(木) 02:20:00 ID:2PXVZwP2
>>203
>災害にあうのは罰だと主張していましたね。
>していませんね。
たしか原理派君は、そういうものもあるが、
最近のは自然現象だと言ってたと思うが
とはいえ、当時の大白法には「御書のなかには、今日の災いの根源がいったいどこにあるかについて、はっきりと示されております」といって、正嘉の地震は禅宗、念仏宗に帰依するから日本守護の神が瞋にをなして起こしたという御書をあげ、
科学の時代だからといって疑問を持つのは間違いだと言っている
たしか法主の講義じゃなかったかな
そういうのを見るとね
オヤジ君のように思うのが普通だと思うよ
206オヤジ ◆avupamp2lY :2008/04/24(木) 02:23:46 ID:1JrM1Arx
過去スレであるが「日蓮正宗のスレッド5」

原理派 ◆EfW8fh/Q5U :2007/09/08(土) 01:33:37 ID:x7hLoy5p
>>371
科学的に地震のメカニズムは解明されていません。
立正安国論に仰せの如く地震は謗法に由来します。

理趣経 ◆viIIIIIIII :2007/09/08(土) 02:55:16 ID:qdGZhvmd
地震は謗法って
八月一日付けの大白法に 新潟県中越沖地震について宗務院が被災された本宗法華講員の方々云々と書いてたが、この地震の原因は新潟県の法華講員が謗法をおかしたからなのかい?
原理派君には、あまり題目君のような事は言って欲しくないなぁ

理趣経 ◆viIIIIIIII :2007/09/08(土) 23:41:35 ID:qdGZhvmd
>>412
原理派君は正宗信徒でも、道理派だと思うが、宗門は天変地異の原因は邪義邪宗によるものと言っており、天変地異の現象そのものをさしている
それに対する原理派君の意見を聞きたかったんだよ
大白法では「二十一世紀の科学の時代に本当かと疑問を持つ人がいるらしいのです。しかし、もし仮にそのように考えたとすれば、それは大きな間違いです云々」とあり、苦痛、苦悩の原因としてではなく、天変地異そのものをさしているしね
だから、俺は、科学と信仰(苦悩の原因など)はわけるべきでは?と問うたのだよ

あつわら ◆/VHRcl8dF2 :2007/10/25(木) 08:39:11 ID:jiDGQKzi
>>413
理趣経くん並にオヤジさん。
正宗の見解ではなく正に立正安国論はそう説く。
立正安国論を否定するなら佛法の破滅だ。

他飛行機事故の話とかも同様な答えをしています。
救済に関しては過去スレで見つけられなかったのでこの点は今のところ無しにしてください。
勘違いだったら申し訳ないです。
207元原理派・あつわら ◆/VHRcl8dF2 :2008/04/24(木) 04:04:11 ID:pkS5pfi3
>>206の最終段の内容。書いたのは俺。
608 名前: 神も仏も名無しさん [sage] 投稿日: 2007/10/25(木) 07:55:13 ID:jiDGQKzi
                      『安国論愚記』  日寛上人
一、災起り難起る文。災難の来由
一には背正帰邪の故に
二には神聖去辞の故に
三には魔鬼来り乱るるが故に云云

依報→過去の業によって得た環境(国土)
正報→過去の業の報いによって得た心身
依正不二→私たちの身体と国土は一体不二の関係にある。
心に国土世間が収められ、外界の国土世間は心が表れた世界。
これを「諸法実相」とも云う。
外界の全ての現象は私たちの心によって造られた世界である。衆生の心は外界に影響を現す。
一念三千法門の真髄は上記の事を云う。

謗法により三災七難は起こり、正法により(広宣流布により)災難のない平和で安穏な社会が造られる。

立正安国論はこのように説く。
208元原理派・あつわら ◆/VHRcl8dF2 :2008/04/24(木) 04:05:23 ID:pkS5pfi3
功徳と罰への最近のやり取り 【本門八品】日扇聖人パート3【上行所伝】

658 名前: 神も仏も名無しさん [sage] 投稿日: 2007/12/29(土) 06:44:39 ID:DbfUMdox
>>656
罰(功徳)は出るもの、感じるもの。
自分の生活の方向性を修正する指針。
言い換えれば、罰と功徳というのは方便。

だから、自分の身におきたある現象を罰と捉えることができるか出来ないかは、やがて大きな違いとなって跳ね返ってくる。
信心した結果、自分の生活の仕方が間違っている事に早く気が付いて(罰を感じる)修正できれば、やがて大きな功徳となって現われる。
これは、信心している人においての罰の効能。

これが、それを罰と感じなければ、間違った生活を続ける事になる→やがてもっと悪い結果となって現われる。
それを罰と感じなければ、さらに悪い結果を招く。
これは、信心に逆らっている人においての罰の効能。

ただし、どんな信心をするかが大問題。
659 名前: 神も仏も名無しさん [sage] 投稿日: 2007/12/29(土) 08:20:50 ID:vpURfuEc
>>658
オヤジ氏には幾度となくこの話はしてきた。幾ら言っても同じ疑問を発する人に説明を繰り返すのは
貴方には珍しい。
209元原理派・あつわら ◆/VHRcl8dF2 :2008/04/24(木) 04:18:35 ID:pkS5pfi3
>>208の上段は最強のコテハン。下段は俺。
>オヤジ氏には幾度となくこの話はしてきた。幾ら言っても同じ疑問を発する人に説明を繰り返すのは
>貴方には珍しい。
ゆえに拘わらない。
>>205
>オヤジ君のように思うのが普通だと思うよ
従って幾度となく説明をし正しい理解を得られるよう努めてきた。そもそも謗法の現証と言っている。
その内容もまた散々に説明をしてきた。
これは各派共通の見解でもある。
210hage:2008/04/24(木) 07:51:53 ID:1tBRHgYY
御罰について、私の所でもほぼあつわらさんの言っていることと同じです。

御罰は御宝前からの御折伏です。御罰がいただけるからこそ、信心が起きます。

オヤジさんや理趣経さんの言う、他人の不幸を見て、「罰が当った、ざまあ見ろ」と思うのは、佛の教えから外れた大謗法であり、大きな罪障を積むこととなります。

それこそ、他人の不幸を笑うようなことをしては、罰が当たりますよと折伏しなければ、無慈悲となります。