>>880 >「真宗でいう自力」と言えば、自力迷心のことでしょう?
>それを弥陀に絶えさせていただく。
>きれいさっぱりぬぐい去っていただく。
>それは、基本も基本でしょう。
その通りです。にもかかわらず298さんは、
>>630で、
>他力の信をいただくときには、自力の心はふりすてていますが、
>また、すぐに、自力の心が戻って参ります。
と書かれていますね。だから、信心決定の時にすたる自力が戻ってくるような
信心決定は、ほんものではない、と言っています。
ちなみに、298さんたちの信心決定の時は、煩悩や自意識がなくなるんですか?
>>884 『恵信尼消息』に見えるお言葉は、かつて励まれたところの自力の行への執心が、
習慣として抜け難いことを言われたものですね。
>>884さんは、親鸞聖人に、信心決定以降も自力の心(自分の行いで浄土へ往生しようとする心、
阿弥陀仏のご本願に対してはからう心)があった、というお立場ですか?