★シルバーバーチ・スピリチュアリズム★16

このエントリーをはてなブックマークに追加
635神も仏も名無しさん
「私」は分解されて無になり、もはや存在しなくなってしまったが、その代わりに、
目覚めた意識、つまり私は生まれながらにこうであり、永遠であり、
全宇宙であるというはっきりとした存在の意識だけが表れた。
これは説明するのが不可能に近いのだが、そのときの私は人間であることを
完全に超越していた。人間としての感情は全く消えうせ
地上での記憶は夢のようになくなっていた。個としての私は1つの夢だった。
意識は何処にも偏在する点のようなもので、もちろん、体のイメージも全く存在しなかった。
時間は完全にストップしたように感じられ、空間は上下左右もない無限の空間だけがあった。
この意識には始まりも終わりもなく、永遠の現在だけがあり、したがって輪廻転生も存在しなかった。
究極の自由とは正にこの状態だということが直感的にわかるのだ。
日常の意識に完全に戻るには夕方までかかったことを記憶している。

いつも高揚した神秘的な意識状態にいることだけが理想の悟りの境地ではない
ということに気づくのには大分時間がかかった。
日常とは全く違う意識があることを知り、なおかつ普通の世間並みの生き方をする。
これは芝居でもしているように難しいことである。もし弾が飛び交う戦場の真っ只中にあって、
「皆さん、これは芝居なのですよ。この世はマーヤーなんです」
といったとしたらどうなるだろうか?誰も耳をかそうとしないし、
弾は飛んできて自分も傷つくことになるだろう。
このドンキホーテは最後まで自分の信念を貫けるだろうか?

636神も仏も名無しさん:2008/05/21(水) 09:55:04 ID:WheHbgFK
おそらく次に述べる結論が、私の人生に対する味方として、死ぬまで変わることなく
続いていくのではないかと確信している。

私の瞑想講座の生徒の中に、1人の修験道の行者がいた。彼は不動明王を信仰し、1時は
短期間に1億誓い大金が舞い込むという羽振りの良い時期もあったが、
その羽振りの良さにもかげりが見えだした。
私はその落ち込みから彼を救い出したいと想って、彼と一緒に瞑想してみることにした。
瞑想の中で私の心眼に1つのビジョンが見えて来た。ゴツゴツした岩だらけの山の中で、
山伏のような格好をした彼はただでさえ歩きにくい山道を、しかも重い荷物を背負って、
下駄をはいて歩いているというこの格好は、大変さを通り越して
、私には滑稽に見えて来た。いくてに急な岩山が見えてきて、荷物を背負いながらよじ登り始めた。
最初は滑稽に見えて、おかしさをこらえながら見ていたが、私の気持ちの中に彼に対する尊敬の念が浮かんで来た。
「行者とは、こんなにまで難行苦行をして常人にとって無意味とも言える生き方をしている
。ここまでして、無意味なことに挑戦するというこの精神は、無知を通り越して、なんと偉大だろう」
なおも見ていると、岩山を登りきったところは平らになっていて、そこが彼の目指す目的地らしかった。
見ると、その平地には彼がもっているよりも上等ななべや釜が用意されていて、
ちゃんと生活できるようになっていた。彼の背負って来た荷物は目的地に着いた時不要になるのは明らかだった。
この瞑想から、私は多くのことを教えられた。彼に限らず、ほとんどの人は必要のない重荷を背負って、
必要のない苦労をしながら、人生をあえぎあえぎ生きているのが実情である。
金持ちの中には有り余るほどのお金を蓄え、失うまいと不安な日々を過ごしている人もいる。
あの世のは一銭ももっていくことはできないのに。

637神も仏も名無しさん:2008/05/21(水) 09:55:34 ID:WheHbgFK
宇宙の悠久の時の流れから見たら、人間の一生などは瞬きの瞬間にも相当しない。
私には人々がこのはかない夢のような人生のために、もがき苦しみいがみ合っているようにしかみえない。
行者の彼が、いずれすべてが整えられ、満たされた地点にたどり着くように、全ての人間が「悟り」といわれる満ち足りた世界、
境地にたどり着くということを知っている。今生でその境地にたどり着くかもしれない。
あるいは百回も生まれ変わったのち、やっとそこにたどり着くかもしれない。
だが目的地にたどり着けば皆同じである。そこでは時間は幻のように消え、あるのは同じ至福だけである。
速かろうが遅かろうが、悟りの境地から見たらたいして重要ではない。長い夢を見て目が覚めても
、短い夢を見て目が覚めても、覚めれば同じである。夢は必ず覚める時があるということだ。
私は人生は時間の長い夢であるという結論に達している。悟りを求めて瞑想するという努力は
人生という夢から目を覚まそうという行為にほかならない。
よく「人間は何のために生まれて来たのか」と尋ねられることがある。ソレに対して「カルマがあるから」
とか「修行のため」とかもっともらしい理由をあげることもできるが、
私の結論は「ただ夢を見ているだけである」と言う答えである。
私は人生を高い低いで評価しないことにしている。結局はそれぞれ好きな好きな人生の旅を続けているのである。
高いところから教えを垂れる神々は、それが好きだからやっているのだ。
よく「地獄あっての天国だ」といわれるが、地獄がなければ天国の神様も廃業である。