940 :
神も仏も名無しさん:2008/03/14(金) 22:27:43 ID:1EZMM7Tz
>>937 どの善知識に会えばいいのですか?と聞いているのです。
自称善知識は教団、団体、集団にそれぞれ存在するのであるから、
善知識に会えとしつこく勧誘する以上、どの善知識を探せばいいのかを示す必要があるでしょう。
941 :
神も仏も名無しさん:2008/03/14(金) 22:28:28 ID:vu8S7jXh
あんた達の崩れやすい信心なんて、阿弥陀さん要求しとらんて(笑)
942 :
298:2008/03/14(金) 22:33:01 ID:YV80QrAN
>>940 それは、あなた様ご自身の求道のこととして、おっしゃっているのですか?
それであれば、身近なところから尋ねてゆき、
私がこの掲示板で書いてきているような内容を、
尋ねていってみては、いかがですか?
この内容も、幾度か書いていると思います。
インターネットでメールの出せる寺院を探し、
そこにメールしても、良いと思います。
これまで、何を行いましたか?
信じるからこそ質問する方と、信じないからこそ質問する方がいます。
943 :
神も仏も名無しさん:2008/03/14(金) 22:33:16 ID:vu8S7jXh
阿弥陀のたのみ方
たのみ方出来ない人どうすんの
○○先生の言う事じゃわからない、聞けない人どうすんの?
救われないの?
阿弥陀さんの救いを独占する言い方はやめようや(笑)
阿弥陀さんは、頼もうが頼まんが救う、言ってますよ〜
それが南無阿弥陀仏だよ〜
944 :
神も仏も名無しさん:2008/03/14(金) 22:35:30 ID:1EZMM7Tz
人々は、宗教を判断する際に、社会的評価、信者の姿、歴史、活動内容をみるのです。
勧誘したいのであれば、正々堂々と名乗ればいいだけのことです。
945 :
神も仏も名無しさん:2008/03/14(金) 22:39:28 ID:1EZMM7Tz
>現在開設されている、真宗系の多くのページは御同行のものではないということですね。
>>おそらく、多くは違うだろうと思います。
>インターネットでメールの出せる寺院を探し、
>そこにメールしても、良いと思います。
無責任なことばかり言わない方がいいですよ。
946 :
笑いのマートル:2008/03/14(金) 22:42:00 ID:OmHfbvfJ
>940
なんだか善知識頼みのように聞こえてきます。
どの善知識に会うのかは、その人その人で縁が違います。
ご自分で本物だと思う看板を
掲げたお寺を探してみてはいかがでしょうか?
私の善知識は、一般人で一個人ですので、団体ではありません。
ご自分で、看板を掲げているお寺に聞きに入ってみたら良いかと思います。
本気で探す気などないと思えます。
本気で後生の心配をしていれば、自ずと道は開けると思います。
善知識に逢う前に、先ずは善知識より数の多い、
善友をお探しになったら宜しいかと思います。
寺の坊主は一人でも、檀家は沢山居るわけですから。
「善知識というは『阿弥陀仏に帰命せよ』と言える使なり。 」(御文章)
「善知識の能というは『一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし』と人を勧むべきばかりなり」(御文章)
宿善開発して善知識にお会いすることができてから、信頂くまでの間に、さまざまな
心の動きがあり、その中に、自力の安心に腰掛けるということもあります。
阿弥陀仏のご本願を真剣に聞き求めていくと、やはりどうしても、「お慈悲を素直に
受け取ることができない。私の側に問題があるんじゃないか」ということになり、
「素直に受け取れるようになろう」と努めるのですが、いくらやっても、それは自力のうち。
往生の手助けにはまったくなりません。
それを見せて頂くということがすでに、永劫の間繰り返してきた生死流転の自分のすがたを、
阿弥陀仏の光明のお育てに遇って、見せて頂いているのだということをわからず、
こうしていても堂々巡りだ、徒労だ、と思うことも多々あることです。
ここで、堂々巡りから抜け出そうとして、それができたと思ってしまうのが自力の安心。
やっぱり、煩悩でできている凡夫だから、自分のそんな姿は見続けていたくないですから。
そして、疲れてしまって休みたくなる。
…といっても自力の安心では、何時までも休んではいられないので、
結局は、これではやっぱりだめだと、再び歩きはじめるのですが。
298さんと、その同じ教えをひろめようとしておられるかたたちは、
いまは自力の安心であろうと、ゆっくり休みたいと思われているのでしょう。
そして、自分と同じように疲れた人に、ここで休めばいいと教えておられるのでしょう。
いっぽう、阿弥陀仏は、そんなわたしたちを常に、うまずたゆまず、お育て下さり、
ついには無明の闇をうちやぶり、遍照の光明の中に、しっかりと抱き取ってくださいます。
尊いことですね。すくわれたかたも、現在、お育てにあっているかたも、本当に幸せな、わたしたちです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
948 :
298:2008/03/14(金) 22:43:25 ID:YV80QrAN
>>943 >たのみ方出来ない人どうすんの
そんな人いません。(よっぽど例外的な人は除きます。)
>○○先生の言う事じゃわからない、聞けない人どうすんの?
>救われないの?
それは、その○○先生がおかしいので、きちんと救ってくださる方
(正確には、救いを伝えて下さる方)を探さなければならないと思います。
どのような機でも救われるのですから、
わからない自分を責めるのではなく、
救ってくださる法を探すべきなのです。
>阿弥陀さんは、頼もうが頼まんが救う、言ってますよ〜
これは、どこから来ている主張なのですか?
ではなぜ、今私たちは、こうして人間界にいるのですか?
弥陀の救いが成就したのは、はるか昔のことですよ。
あなた様は、みなさまの今の気持ちをラクにしてあげたくて、
親切からおっしゃっているのだと信じますけれども、
あなた様の根拠は、どこにあるのですか?
南無阿弥陀仏はいつもそばにいるよ
950 :
298:2008/03/14(金) 22:53:44 ID:YV80QrAN
>>944 >人々は、宗教を判断する際に、社会的評価、信者の姿、歴史、活動内容をみるのです。
>勧誘したいのであれば、正々堂々と名乗ればいいだけのことです。
なんで勧誘しなければならないのですか?
どの善知識に縁があるかは、ひとりひとり違います。
大切なのは、弥陀の法をきちんと伝えてくださるということで、
そこさえ大丈夫であれば、あとは、その方のご縁でしょう。
同じ法であれば、同じようなことを主張しているはずですから、
そこで、信をいただけば良いのです。
浄土から弥陀が見て下さっているのですから、
求めている方は、導かれます。
社会的評価云々という方は、そもそもこの法とは関係がないでしょう。
「人々は」ではなく、あなた様自身が、どうであるかということです。
あなた様と同じような考え方をしない方もいらっしゃいます。
あくまでも、「私(ID:1EZMM7Tz)は、宗教を判断する際に、社会的評価、信者の姿、歴史、
活動内容をみるのです」ということでしょう?
それであれば、あなた様が、「社会的評価、信者の姿、歴史、活動内容」を見て、
あなた様にとって信頼のできる団体に入り、あなた様にとって信頼の出来る善知識から
教われば、それで良いのではありませんか?
その場合も、あなた様がご自身で探されることに、変わりはないはずです。
951 :
笑いのマートル:2008/03/14(金) 23:00:41 ID:OmHfbvfJ
いわしの頭も信心
何を信じるか、どの道進むかはその人の業縁でしょう。
信じないのも信心だしね。
色々な考えや信念がって良いんじゃないの?
952 :
298:2008/03/14(金) 23:03:00 ID:YV80QrAN
そもそも、今生で、真宗にご縁のない方もたくさんいるはずですし、
あくまでも、弥陀の救いを求めている方が、
弥陀に救われるのが本当だと思いますし、
それ以外は、無理だと思います。
ですから、弥陀をたのむ方が増えるも減るも、
あくまでも、弥陀のはからいであって、
弥陀におまかせになるのだと思います。
953 :
神も仏も名無しさん:2008/03/14(金) 23:04:29 ID:1EZMM7Tz
>どの善知識に縁があるかは、ひとりひとり違います。
>浄土から弥陀が見て下さっているのですから、
>求めている方は、導かれます。
それぞれの団体の善知識も本物であり、どの団体でも、縁がある善知識に教わることで極楽往生できる、ということですね。
954 :
笑いのマートル:2008/03/14(金) 23:06:15 ID:OmHfbvfJ
勧誘なんてしていないと思いますよ。
善知識の探し方を書いているだけだと思います。
探そうと言う気のある人に分かってもらえれば良い事です。
そう書くと、また独りよがりって言われるんだろうなぁ・・・
本気で後生の心配をしている人には、自ずと、お声がかかると思いますよ。
955 :
298:2008/03/14(金) 23:08:08 ID:YV80QrAN
>>953 >それぞれの団体の善知識も本物であり、どの団体でも、
>縁がある善知識に教わることで極楽往生できる、ということですね。
全然違います。
そのような決めつけをせずに、自身で確認してゆくべきだということを、
言っています。
956 :
298:2008/03/14(金) 23:14:06 ID:YV80QrAN
>>947 >298さんと、その同じ教えをひろめようとしておられるかたたちは、
>いまは自力の安心であろうと、ゆっくり休みたいと思われているのでしょう。
私は、あくまでも、他力信について言っています。
弥陀にいただく信心です。
>>939 >名号を飾って、名号に問いかければいいんですか?
>それとも、自分の心に想像した阿弥陀仏に問いかければいいんですか?
自力で考えうる限界は、やはりこのくらいですよね。
わが身の上にいきてはたらく阿弥陀仏のおちからを感じられない方が、
他力の信心得たといい、同じ方法をひとさまにすすめるのは、おかしいとご自分で思われませんか?
>実際に、自ら弥陀をたのみ、
>信をいただくときには、他力の行であり、非行の行である南無阿弥陀仏を
>為さねばならないと思います。
これはそのまま救うの阿弥陀仏のお誓いを、お呼び声をはねのけて、自力をたのんでいるのですよ。
「自ら弥陀をたの」むことは、凡夫には、できないことです。
(自分の心で作り上げた、「「弥陀」と名づけた何か」をたのむことはできるでしょうけれど…)
みずから為すことは、なにひとつ、他力の信心をいただくためにはなりません。
すべて、阿弥陀仏のおひとりばたらきです。
958 :
笑いのマートル:2008/03/14(金) 23:16:56 ID:OmHfbvfJ
我こそは、善知識って言い触らしている人の方が危ないと思うけれど。
自分で本物だと思えばそれで良いんじゃないの?
難中の難、これ以上信じる事が難しい法はないんだから。
信心は獲り易いんだけれどね。
信じる人が稀な教えだから。
959 :
298:2008/03/14(金) 23:21:12 ID:YV80QrAN
>>957 >自力で考えうる限界は、やはりこのくらいですよね。
>わが身の上にいきてはたらく阿弥陀仏のおちからを感じられない方が、
>他力の信心得たといい、同じ方法をひとさまにすすめるのは、おかしいとご自分で思われませんか?
全くの誤解です。
「弥陀に尋ねよ」とおっしゃったのは、あなた様です。
結局、具体的なことがわからないから、のらりくらりと
言い逃れしているだけではありませんか?
こと、信心というのは、真剣なことでしょう。
それで、後生を真剣に求めている方に、対することができると、
本気で思っていらっしゃいますか?
それでも、南无阿彌陀佛は尊いとお伝えくださっていますから、
そのことばを信じ、弥陀をたのもうと思っている方は、
必ず導かれることだろうと思います。
弥陀は、見てくださっています。弥陀を求めるその気持ちは、
決してむなしいものにはなりません。
何のご縁も感じられない方も、弥陀を信じて、南無阿弥陀仏を口に出してほしいと思います。
私が言っていることは、次第相承の善知識から、弥陀のたのみ方を教われば、
誰でも弥陀をたのむことができ、弥陀の真実信心をいただけるということです。
そして、それは全くの易行であり、私物化されるようなものではなく、
あくまでも、弥陀からいただく信心であるということを、繰り返し書いているのです。
960 :
298:2008/03/14(金) 23:24:12 ID:YV80QrAN
>>957 何とかして救われたい方に、「弥陀に尋ねよ」それで、本当にいいんでしょうか・・・
そのような教えで満たされない方は、自分を責めるのではなく、
他を探すべきであると思います。
機を問わず救ってくださる阿弥陀様ですから、
もし救われないなら、法に問題があるはずです。
もちろん、そこで満足ゆかれる方は、その場にとどまれば良いのです。
満足行っていないのに、自分を責めている方はかわいそうですから、
どうか自分の判断を信じて、他所をあたってほしいと思います。
わからないのは、聞き方が悪いのではありません。
961 :
神も仏も名無しさん:2008/03/14(金) 23:25:08 ID:1EZMM7Tz
真宗の在家講社はたくさんあって、それぞれの善知識が本流を主張しているということですが、
どの善知識が本物なのでしょうか?それとも、全ての善知識は本物なのでしょうか?
962 :
神も仏も名無しさん:2008/03/14(金) 23:26:02 ID:KE+nG/wG
次第相承り弥陀のたのみ方 を最初に考えたのは誰?
阿弥陀様?
963 :
298:2008/03/14(金) 23:27:13 ID:YV80QrAN
>>962 それはこの地上においては、もちろん御釈迦様でしょう。
「考えた」というよりは、伝えてくださたったのだと思います。
964 :
神も仏も名無しさん:2008/03/14(金) 23:27:18 ID:KE+nG/wG
次第相承り→次第相承の
965 :
298:2008/03/14(金) 23:28:09 ID:YV80QrAN
>>963 伝えてくださたった → 伝えてくださった
つまりお釈迦さまの時代から たのみ方 が伝わっているということなんですね。
阿弥陀様が神通力でお釈迦さまに伝え、それをお弟子さんたちに伝えたと。
967 :
298:2008/03/14(金) 23:30:01 ID:YV80QrAN
>>961 ご自身で、確認してゆくことです。
そのように大切なことを、他にたよろうという気持ちが、間違っていると思います。
968 :
298:2008/03/14(金) 23:33:26 ID:YV80QrAN
>>966 私たちの考えでは、阿弥陀如来が、お釈迦さまとして、応現してくださったのです。
そして、時を得て、場所を得て、人を得て、救いの法を伝えてくださったのだと思っています。
私たちは、釈尊から、今の時代にまで、法が伝わってきたと考えています。
969 :
神も仏も名無しさん:2008/03/14(金) 23:33:50 ID:1EZMM7Tz
在家講社の中の一部には、本物の善知識がいて、
他の真宗系団体の善知識は全て偽者ということになるのでしょうか?
970 :
298:2008/03/14(金) 23:35:56 ID:YV80QrAN
>>969 「全て偽物」というのを、一体、どのようにして確認しようとお考えですか?
あくまでも、ご自身で、ご確認してゆくことです。
あなた様にとって、「本物」と感じられる善知識を探してゆくことであると思います。
>>960 >何とかして救われたい方に、「弥陀に尋ねよ」それで、本当にいいんでしょうか・・・
それでこそ、素晴らしい善知識ですよ。本当にいいも悪いも、
阿弥陀仏のみが、「何とかして救いたい」と、言ってくださっているのですから。
最後の最後、善知識にいえるのは、
「阿弥陀仏に帰命せよ」、これだけです。
>「善知識というは『阿弥陀仏に帰命せよ』と言える使なり。 」(御文章)
>「善知識の能というは『一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし』と人を勧むべきばかりなり」(御文章)
もう一度、いえ、何度でも、善知識とはなんであるか、御文章をおよみください。
そして阿弥陀仏のご本願とはいったいなんなのか、他人事でなく、自分のこととして、
くりかえしくりかえし読んでみてください。
一向専念無量寿仏。たいせつなのはこれひとつです。
972 :
298:2008/03/14(金) 23:44:02 ID:YV80QrAN
>>971 >一向専念無量寿仏。たいせつなのはこれひとつです。
「一向専念無量寿仏」に、異論はありません。
南无阿彌陀佛とは、正にその通りのことです。
そして、「一向専念」ができない凡夫が、
生涯に一度、向きを変えなければならないのです。
そして、一度弥陀の方を向けば、生涯、向きっぱなしなのです。
これにより、信後も、他の修法を必要とせず、
御恩報謝の南无阿彌陀佛で良いのです。
973 :
298:2008/03/14(金) 23:48:00 ID:YV80QrAN
>>971 >それでこそ、素晴らしい善知識ですよ。本当にいいも悪いも、
>阿弥陀仏のみが、「何とかして救いたい」と、言ってくださっているのですから。
>最後の最後、善知識にいえるのは、
>「阿弥陀仏に帰命せよ」、これだけです。
私は、この内容にも、異論はないのですよ。
それでこそ、「聴聞に極まる」と言えます。
では、極まってどうなるかと言えば、
「今生にて、弥陀に救われずにはおかない」
となるのです。
では、どうするか?
ここに至って、宿善が開発し、法に頭が下がり、
六字のいわれを聞き開いて、弥陀をたのむことができるのです。
最後の最後の最後に、救われるきっかけを与えてくださるのが、
次第相承の善知識ですけれども、もちろん、そこに至るまでも、
多くの善知識が、導いてくださいます。
ひとりひとり、歩む道は違いますが、ゴールは南无阿彌陀佛です。
974 :
神も仏も名無しさん:2008/03/14(金) 23:51:31 ID:1EZMM7Tz
いまいち次第相承の善知識像がつかめません。
書物か何か紹介してもらえれば、その凄さがわかり納得できると思います。
>「善知識というは『阿弥陀仏に帰命せよ』と言える使なり。 」(御文章)
「どのように」帰命せよ、ではありませんよ。
帰命とはそもそも、そっくりそのまま、うちまかせるということです。「どうやって」も「このように」もないのです。
煩悩具足の凡夫を、そのまま救うと誓って下された、
阿弥陀仏のご勅命に、ありのままの我が身をゆだねて、一切合財おまかせする、ということです。
「いや、このままではちょっと…」「正しくたのまなくては…」というのは、
そっくりそのまま、ではないゆえに、他力になっていないのです。
976 :
笑いのマートル:2008/03/14(金) 23:56:20 ID:OmHfbvfJ
後生が本気で気になった人が救われる法だと思いますよ。
難しい事など何も無い。
善友の方からやって来てくれて、
わざわざ手を引いて、善知識の所まで案内してくれる。
977 :
298:2008/03/14(金) 23:57:32 ID:YV80QrAN
>>974 次第相承の善知識が凄いのも、あくまでも、弥陀の凄さに依るのです。
法の観点から見れば、あまりにも尊い善知識様ですが、
あくまでも、私たちと同じ、凡夫です。
弥陀の救いを取り次いでくださることが凄いのであって、
凄いのは、弥陀であることに変わりはありません。
ですから、弥陀の救いを求める方にとっては、
ものすごく価値がありますけれども、そうでない方にとって、凄いかは、わかりません。
978 :
298:2008/03/15(土) 00:02:30 ID:Uwi2aXG8
>>975 >帰命とはそもそも、そっくりそのまま、うちまかせるということです。「どうやって」も「このように」もないのです。
おっしゃる通りで、「そっくりそのまま、うちまかせる」そのときには、
「どうやって」も「このように」も無いと思います。
ですから、行者にとっては非行なのです。
では、「そっくりそのまま、うちまかせる」には、どうすれば良いのでしょうか?
ここに、方法があり、10人が10人、間違いなく、「そっくりそのまま、うちまかせる」方法が
あるということです。
だからこその易行です。
南无阿彌陀佛
979 :
笑いのマートル:2008/03/15(土) 00:02:30 ID:8U06Q7UW
>974
大体が、一般人ですよ。書物を見るより、
一日も早く善知識に会えることを祈ります。
善知識の役目は、命がけですよ。
980 :
298:2008/03/15(土) 00:04:40 ID:Uwi2aXG8
>>974 そして、そのような望みをお持ちであれば、
その望みのままに、弥陀をたよりにして、弥陀に願ってほしいと思います。
あなた様がご納得のできるような書物を著していらっしゃる善知識に、
出会えるはずです。
それが誰なのか、私には、わかるはずもないのです。
あなた様と、弥陀とのご関係です。
どうか、弥陀を信じて、弥陀に願ってください。
南无阿彌陀佛
981 :
笑いのマートル:2008/03/15(土) 00:10:20 ID:8U06Q7UW
たのみ、縋る心の縁ある方は、導かれて、弥陀に深々と頭を垂れ、
お願いする気持ちになるでしょうし、
縁のない方は、反発心と疑念のまま弥陀を頼むという事が、
出来ないのだと思います。
そもそも頭のてっぺんから足のつま先まで、煩悩でないものはない。
そっくり丸ごと煩悩でできあがっているのが、私というものです。
そうであってみれば、いくらなにをどう努めてみたところで、
三業すべてが常に地獄行きのたねをまき続ける私たちです。
せめて、「まことのこころになりたい」「助かりたい」「お浄土に行きたい」と
願うくらいの心はあるだろうと思ってはみますが、それさえ実は、ないのです。
願ってくださるのは、阿弥陀仏です。
私の姿をはるか昔からみつめてこられ、私の苦しみを我が苦しみと感じてくださり、
ほかの一切の諸仏がこれはどうにもならんと投げ出されたのを、
我一人助けねばならんと、どうか助けさせてくれと願ってくださったのが、
阿弥陀仏でした。
他力の信心など頂く気はさらさらない、仏法を求めようとも思わない、
煩悩におぼれる今が楽しいのだと現世にしがみつくわたしを、
大慈大悲の親様はまっさきに、堕としはせぬぞとつかまえてくださいました。
じぶんでは阿弥陀仏をたのむちからのない、出離の縁のまったくない、
未来永劫、地獄が住処のわたくしこそ、ご本願をたててくだされた正客とは、
本当に尊い尊いみ教えではありませんか。
なにひとつあてにならないこの世で、たったひとつ
真実の、南無阿弥陀仏に生かされて往くよろこびに、
ただただ御恩報謝のお念仏称えさせて頂くばかりです。
983 :
298:2008/03/15(土) 00:20:43 ID:Uwi2aXG8
>>982 どうしても、作文みたいに思えてしまうんですよね・・・
御恩報謝のお念仏の前に、信決定することだと思いますよ。
杞憂だといいですが。
>>978 >では、「そっくりそのまま、うちまかせる」には、どうすれば良いのでしょうか?
「どうすれば良いのでしょうか?」の「どうすれば」がそのまま、
阿弥陀仏のご本願をはからっているすがたですよ。
どうにかすれば、どうにかなれる自分だと、まだ思っているのです。
>ここに、方法があり、10人が10人、間違いなく、「そっくりそのまま、うちまかせる」方法が
>あるということです。
「方法」というのもそのまま、おのが分別、自力のはからいです。
自力のはからいさっぱりやめて、
弥陀の思案におまかせすること。
聞即信、と教えていただいてありますね。
聞く一つで、真実の信心頂けるのです。
985 :
298:2008/03/15(土) 00:24:41 ID:Uwi2aXG8
>>975 >「いや、このままではちょっと…」「正しくたのまなくては…」というのは、
>そっくりそのまま、ではないゆえに、他力になっていないのです。
◎しかるに称名憶念することあれども、無明なほ存して所願を満てざるはいかんとならば、
実のごとく修行せざると、名義と相応せざるによるがゆゑなり。
いかんが不如実修行と名義と相応せざるとする。いはく、如来はこれ実相の身なり、
これ物のための身なりと知らざるなり(教行信証)
これは、「正しくたのまなくては・・・」ということでは、ないのですか?
そもそも、五種正行にも、「正」の字が入っていますよ。
986 :
298:2008/03/15(土) 00:26:46 ID:Uwi2aXG8
>>984 >「どうすれば良いのでしょうか?」の「どうすれば」がそのまま、
>阿弥陀仏のご本願をはからっているすがたですよ。
>どうにかすれば、どうにかなれる自分だと、まだ思っているのです。
肝心のときには、自力がすたれるのですから、問題ありません。
そして、ただ無心になるだけであれば、魔が入り込んだりする可能性もあると思いますが、
弥陀の救いは完成された法ですから、そのような心配もありません。
たのむ行者はすべて、易行にて、弥陀の真実信心をいただけます。
987 :
298:2008/03/15(土) 00:28:23 ID:Uwi2aXG8
>>984 >聞即信、と教えていただいてありますね。
>聞く一つで、真実の信心頂けるのです。
これにも異論はありません。
「聞其名号」これだけです。
では、聞くとは何か?
ということです。
988 :
298:2008/03/15(土) 00:29:36 ID:Uwi2aXG8
「身体全体で聞く」とよく言いますが、私は、これにも異論はありません。
確かに、身体全体で聞くのです。
そして、確かに六字と一体になります。
そのような法があるのです。
南无阿彌陀佛
>>983 >御恩報謝のお念仏の前に、信決定することだと思いますよ。
298さんも早く早く信決定なされて、大慈悲の阿弥陀仏に、よろこんでいただきましょうね。
早く、他力信心の妙味を、こころからよろこびあいたいものです。
悪人も善人も、ともにやがては一味の信心頂ける身になるのですから、
尊いことですね。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。