865 :
298:
>>853 けちゃっぷさんには、同じに思えるのですね。
それで救いになるのなら、聖道も否定していることになりそうです。
その一秒一秒に、死にそうなくらいの苦しみを感じている方が、
弥陀をたのむような気がします。
たいした苦しみの無い方が、救いを求めるはずもありません。
けちゃっぷさんは、苦集滅道ですら、否定されるようですね。
正見を離れようとする「本来の仏教」とは、とても不思議な感じがします。
南无阿彌陀佛
866 :
298:2008/03/02(日) 04:58:37 ID:6pprPk9G
この世のすべては、苦です。
生成明滅しているとしても、苦であることには変わりがありません。
私たちは、存在となり、苦となっています。
この苦から抜けるのが、仏道ですが、
南无阿弥陀仏は、易行です。
滅度を求める方は、私たちにとり、現実的な道である南无阿弥陀仏が
あることを知り、弥陀をたのんで、解決してほしいと思います。
むずかしいことがわからなくても、かんたんなことがわからなくても、
自分では無理だと悟り、あきらめて、弥陀をたのめば、
信心決定します。
それには、まずは獲信者を探し、善知識を紹介してもらうことです。
弥陀のたのみ方を教わらなければ、結局は我流であり、
自力から逃れることができません。
方法を教われば、簡単です。
易行ですから、誰にでもできます。
求めている方には、その価値がわかると思います。
正信あることを信じ、今生の間に、救われてほしいです。
南无阿弥陀仏は、目の前にまで、届いています。
867 :
298:2008/03/02(日) 05:09:16 ID:6pprPk9G
獲信について、あまり説明することがないのは、
その方法は、わかっているからです。
その方法とは、真実行である南无阿彌陀佛。
善知識に会い、南无阿弥陀仏とは何かを知り、
愚者になりて、弥陀をたのめば信心決定します。
信後の味わいではなく、
獲信の方法に絞るとなれば、
ここを説明してゆくことになります。
868 :
298:2008/03/02(日) 05:10:23 ID:6pprPk9G
誰でも簡単に信をいただける方法があることが、
ありがたい。
そう思える方は、易行を理解しています。
多くの方は、易行であるが故に、
信じられませんし、価値がわかりません。
しかし、易行であるからこそ、
価値があると感じる方がいます。
宿善のある方です。
869 :
298:2008/03/02(日) 05:34:46 ID:6pprPk9G
獲信と言っても、何もむずかしいことは無いのです。
なぜなら、易行であるからです。
「易行がむずかしい」というのは、矛盾です。
したがって、易行はむずかしくありません。
ただし、その易行を、知る方と、知らない方がいます。
知らない方は、あれこれ想像して、見当違いのことを言い、
知る人を批判します。
知らない方で、知りたい方がいます。宿善のある方です。
870 :
298:2008/03/02(日) 05:36:11 ID:6pprPk9G
知りたい方は、易行を知り、弥陀をたのみ、信心を得ます。
そして、同じように、知りたい方を導きます。
こうして、弥陀の信は保たれ、引き継がれてゆきます。
南无阿彌陀佛