【浄土真宗】妙好人と学ぶ5【信心獲得(決定)】

このエントリーをはてなブックマークに追加
228渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
 つぎに「阿弥陀仏」という四字はいかなる心ぞといえば、今の如くに弥陀を一心にたのみまい
らせて、疑いの心のなき衆生をば、かならず、弥陀の御身より光明を放ちててらしましまして、
その光の内に納め置き給いて、さて、一期の命尽きぬれば、かの極楽淨土へ送り給える心を、す
なわち「阿弥陀仏」とは申し奉るなり。

 阿弥陀仏とはどういう意味か。心を説明しよう。「南無」で説明したように、阿弥陀仏を一心
に信じ、疑いの心の無い人々は、その一生が尽きたとき、必ず極楽浄土に送るぞというそういう
意味である。疑いなく南無阿弥陀仏を称える者には、阿弥陀仏はその身から智慧の光を照らし、
その智慧の光の中に納める。これを阿弥陀仏という。
 阿弥陀仏の阿は否定語である。インドヨーロッパ語で否定を表す。英語のunという接頭語と
通じる。阿弥陀とは、インド語でアミターパ・アミターユスという。中国ではこれを無量寿ある
いは無量光と訳した。
 かつて釈迦は、困難にぶつかって動きが取れなくなっていた人に、足下を照らす知恵を与えた。
足下を照らす知恵を貰った弟子達は、また再び動けるようになった。再起(生)・挫折(死)・
再起(生)・挫折(死)を繰り返していた人々は、挫折のない歩み、持続的歩みが可能になった。
釈迦は人々に限りない継続の命を与える人だった。釈迦から知恵を授かった人は、暗闇を脱し、
智慧が導く光の世界を歩いた。釈迦は、人々に限りない光を与えたのだ。
 釈迦は、限りない命(無量寿)を与えてくれる人、限りない光(無量光)を与えてくれる人、
つまり先生と呼ばれた。
 釈迦は、真理を悟っていた。仏とは仏陀の略称である。仏陀とは、真理を悟った先生という意
味である。つまり阿弥陀仏とは先生という意味である。