104 :
1:2008/02/29(金) 11:20:08 ID:5N1x0yY8
>>102 優越感に浸ることはいけないとは言っていない。
むしろ自然な感情だし、いいことなのだと思っている。
優越感によって自信は得られるものだから。
ただ、宗教家の場合は優越感(慢心)を悪だとしていて、
内心では優越感を感じてしまっているのに、
謙虚さを装うところが偽善であり不誠実者である、と言っているわけです。
自分は優越感と慢心に浸っている人間だ〜!と胸を張って言えばいいんですよ。
>強さとは優しさです。
前にも言いましたが、宗教は強さの定義を勝手に解釈し、
強さは優しさだ、など教えるが、この強さの定義も弱者に都合よく出来上がっている事実を知りなさい。
強さと優しさはイコールではない。
では優しさの定義とはいったいなんでしょう?
105 :
1:2008/02/29(金) 12:30:19 ID:5N1x0yY8
>>103 釈迦について。
終わった過去を患らわず、わからない未来に取り越し苦労せず、
今だけを意識して生きていれば、心は平安である…ということでしょう。
釈迦は苦しみが嫌で嫌でしょうがなかったんです。極度の不安性だった。
彼の言葉に「この心はつねにあわてふためいている、常におびえている。」
とありますが、人は主観的生き物ゆえ、
これは釈迦自身の心理的な弱さを示しているのだと捉えることができます。
少しトラウマがよみがえることだけで、有りえないほど震えていたんではないでしょうか。
欲や執着も度を超すと犯罪になりますが、そこまで咎めるべくものでもありません。
釈迦は極度の潔癖ゆえの怖がりだったのでしょう。
すべてを潔癖にしたかったのです。そのためには欲や執着までも「悪」だと定義するほどになってしまいました。
人に善いことをしたら、人からもよくされる。親切にしたら、親切にされる。
自分が清くなることにより清き水流れる、という保身の動機から
善や清さ誠実などを説いた。嫌われたり憎まれたり悪く思われることを極度に恐れた人間だった。
「悩みの生じた者には喜びが起こる、喜びの生じた者には悩みが起こる、
私は悩むことも喜びも存じない。」など言ったり中道を説いたという背後には、
変化を恐れ、ほんの少しの精神の揺れさえも神経質になっていた釈迦自身が想像できます。
慈悲の心を保つことで、人から嫌われることの不安、人への恐怖心、
また孤独や心のスキマ、それらを補っていた。
釈迦は、執着をなくせと言っていながら、自分は「精神」に誰よりも強く執着していた。
執着し意識するがゆえ、ほんの少しの心の動きさえも大きく感じられてしまい、
苦痛に感じたのだ。それを万人も自分と同じように苦痛に感じるのだろうと錯覚し、
布教したのだが、彼に共感する者は保守的で精神の弱い弱者のみであった。
宗教家が弱者というのは、この所からも来ている。
弱者は次第に死後の世界を捏造し、弱者こそ浄土へ至れるのである、とした。
106 :
1:2008/02/29(金) 13:15:38 ID:5N1x0yY8
人は善悪両面を内在している。
人は赤ちゃんの頃、すべてを信じていた。
大人になるにつれて嘘をつき疑うことをおぼえていった。
人は本来、信じたい欲求をもっているし、信じようとする生き物である。
しかし信じることができない世の中であり、人間どもである。
その葛藤のままではしんどく、その部分に手を差し伸べるのが、宗教である。
宗教の教え、善、愛、優しさ、平安、感謝、奉仕、などの教えが、
本来信じることを望む我々人間の善の心の琴線に触れ、宗教へ惹かれていくのである。
きれいごとであろうが、それらを信じることで精神が穏やかになるのである。
彼らはこのスレを読むとたちまち苦痛が生じるだろう。
読むと信じていたものが粉々に打ち砕かれ、絶望を抱く恐れが出てくるのだ。
その点でこのスレを読んでくれる人は、現実と直面することを恐れぬ勇気ある者であると思う。
まぁ怖いもの見たさからくるものもいるだろうし、
宗教を嫌悪している者からすれば都合がいいのだろうが。
ここで言いたいのは、表(光)を見るのもいいが裏(闇)も知っていれば、
洞察力も養える。一方から見れば善く思えても、他方から見れば悪とさえなるのだ、と。
それだけ。知ってもらいたいのは。
107 :
神も仏も名無しさん:2008/02/29(金) 13:17:21 ID:Pm4YXL4V
何だかんだ言ったつて しょせんこの世は 男は経済力 女は美人であることよw
108 :
神も仏も名無しさん:2008/02/29(金) 14:25:44 ID:XQBemhXB
〉104
優しさと言うのは強さにある。逆もおなじ
自然の強さ、弱肉強食は、弱きものを強者が食べて、強きものも土に帰り、弱きものの糧となる循環。
肉体的に強く、精神的にも強くあるものは健康にも恵まれ支配者になれる資質がある。
資質の中に優しさが含まれなければ、支配されるものは奴隷とかわりない扱いを受ける。
憎まれ、妬まれ、殺される危険さえある。
それに怯え、疲れ強者も体を壊し、精神も弱め弱きものにその座を奪われる。
かもしれない。
愛すものは、愛され、優しさをうけ、慕われる。
強者は孤独であると思う。弱さを見せれば終わる。
求めるべきは優しさであり、愛し、愛される事である。
競争社会の行き着く所は、弱いものが滅び、強者が栄えるが、歴史をみれば明らか、立ち上がるものにその強者も滅ぼされる。
間違った強さを求めたからでしょう。
今の日本をみれば答えがすでにだされてる。
今の日本に夢を見れない人がどれだけ多いか、強さに溺れ何か忘れてきたせいじゃないかと思う。
今が転換期。
今の強さは明日の栄光を保証しない。
それで良いなら、ご自由に
109 :
1:2008/02/29(金) 15:18:23 ID:5N1x0yY8
>>108 優しさという気持ちは、優越感から生まれる。
優越感は強さから生まれる。つまり、
強い→優越感→自信→優しさ
弱い→劣等感→卑下→ひがみ
このようになる。
だから強くなるしかないのだ。
弱者が優しくする場合、自分と同様の弱者に共感を覚え慰め合う優しさしか生まれない。
それは本当の優しさと言えるだろうか?依存心ゆえの優しさの仮面をかぶる弱さではないだろうか?
本当の優しさは強さから生まれるという事実。
気質が優しい人間は弱さからくる保守的な人間である。
やられたくなりから、やらないだけ。
110 :
1:2008/02/29(金) 15:40:00 ID:5N1x0yY8
師匠や先輩や上司など、自分よりも上の者は厳しい。
弱い弟子を強くするために、あえて厳しくするものである。
彼ら弟子が強くなったとき、はじめて強さからくる優しさを知る。
その時に彼ら弟子は気付くであろう。本当の強さとはいったいなんであるかを。
気質が優しいことが優しさなのか?やりかえさないことが優しさなのか?
いいや違う。
本当の優しさとは、厳しさであり、弱者を強者へと持ち上げようとする親心である。
そのために師匠や親、上司などは、弟子や子供など弱者に厳しくするものなのだが、
彼ら弱者は、いかんせん強者の厳しさを、悪だととらえる。
自分を攻撃してくるのだと捉える。
すると弱者は強者に対して恨み妬む。強者の親心が理解できないゆえ。
弱者に恨みをかった強者は、強さを生かし弱者を見離したり攻撃したりさえする。
それが弱肉強食の問題を生む。
弱い者が強い者の親心を理解し、尊敬し自分も強くなろうと努力すればいいものを、
弱者がふんぞりかえり傲慢になることがすべての悪源なのである。
111 :
神も仏も名無しさん:2008/02/29(金) 17:34:25 ID:XQBemhXB
世の中には全く本を読まない人がいる。
逆もいる。
活字か苦手な人に、本をプレゼントしても喜ばない、喜んでも読まない、もしくは必死に読んでそれっきり。
それから本にハマる人もいる。
読んで偉いか、そうでないかとか別に問題じゃないよ。
その人の個性なんだから。
よかれと読まそうと押し付けるのはエゴだよ。
とりあえずプレゼントしてみて様子をみてみる。
何が言いたいのかと言うと、人には人の価値観があり、考えもある。
コレ正しい!ってのは皆の正しいでないし、間違いでもない事は理解したい。
信仰もしかり
112 :
神も仏も名無しさん:2008/03/01(土) 22:07:48 ID:z4Pm0AgX
信仰は現実逃避。というのはもちろん同意。
釈迦について。
105 :1:さんがおっしゃる 極度の不安症 という言い方はピンと来ません。
それならば世の民がするように 現実逃避や信仰に逃げ込めば良いだけの話。
オレは釈迦の気持ちがよく分かる。というか同意。
潔癖症であるがゆえに 人間の歪みを見過ごせず その根源に眼を凝らして根本原因を探った。
ま 潔癖症が弱さだ、と言うならそうであるが。 弱いだけで済まされるなら安直過ぎる。
仔猫、見事にスルーされとる...
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115 :
神も仏も名無しさん:2008/03/01(土) 23:11:50 ID:lFNjZpc5
1は猫だったのかそうかそうか
116 :
おお:2008/03/01(土) 23:18:08 ID:A7x6Vxpy
105 :1:2008/02/29(金) 12:30:19 ID:5N1x0yY8
1の意見だが、きちんと調べて、批判するよりも、
1の脳における情報、選択、論理構築で成り立っているのが、良く理解できる。
調べなくても1は完全に神のごとくに知っていると、
1への信仰を期待している様に見える。
117 :
おお:2008/03/01(土) 23:20:37 ID:A7x6Vxpy
論理学的に言えば、結論が先行して、理由づけが後から来る形式。
ある意味、信仰する宗教の論理構造と同じである。
1の論法はね。
118 :
おお:2008/03/01(土) 23:21:55 ID:A7x6Vxpy
神が存在し、神の法則が先に存在し、理由付けと論理が後から付いてくる。
1の論理構造も等しい。
1よ 正当防衛はわかるけど、争いや復讐は何も生み出さんよ
(論にのっとた議論とかのことじゃなく
売り言葉に買い言葉って低次元の話な)
やり返すのが自然な感情だと推奨するのは
争いをするのが本来だと本能のままやりたい放題行動してたら動物だよ
そっちのが危険な世になるだろう 暴力なんかな
それを制する教訓程度に宗教教義は悪くない
120 :
おお:2008/03/01(土) 23:36:56 ID:A7x6Vxpy
予想だがの様なタイプは先に結論が完結している。
宗教被害者なのだろう。
宗教被害者は、その被害を受けた宗教の思考構造に似てしまう。
被害受けた宗教が排除的思考の宗教であれば、当然、宗教離脱した後でも、排除的思考が先行する。
結論が先行する。
1の求める方向性は、人間の思考構造とは何かを、論理的に哲学的に結論を出す事であろう。
121 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 20:00:51 ID:sduobOV+
>>101 世間一般で強者で宗教やってる人なんて多いよ
オウムだって東大や頭のいい人達、基督教は経済力ある富裕層多いよ
献金とかしなきゃならないしね
世俗の強者でも満たされないものがあるんだよ
いずれ死んだら消え失せる強さであることに虚無を感じたりね
というか今の若者は強くなりたいなら弱者のイメージな宗教に
すがるのかっこ悪いって避けるでしょ
122 :
神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 21:14:33 ID:pigjVk3f
>世俗の強者でも満たされないものがあるんだよ いずれ死んだら消え失せる強さであることに虚無を感じたりね
その意味では 宗教者は弱者 というより単に 「飢えた者」かな。
飢えた馬鹿を釣るのは容易い。
123 :
神も仏も名無しさん:2008/03/03(月) 01:15:52 ID:yqB7WCGE
>>119 やり返す力量と度胸がない人間が大多数だから、
自然発生的に「強さとは無抵抗」という弱者の辻褄あわせの倫理が出来上がったのだろう。
やり返すことは相手に気付きを与えるいい機会になる。
無抵抗を続けていれば相手は図に乗る一方だろう。
そのような人間に無抵抗で対処することは、彼らの悪癖を助長させることに等しい。
相手と本気でぶつかり合うことで、相手に自身を反省させ改善を促すことができる。
そのような態度こそ、こちら側のあるべき姿なのではなかろうか?
表面では無抵抗を装い心の奥でやつは愚者である、と蔑む宗教家よりもよっぽど誠実である。
やり返すことこそ、本当の善なのである。
124 :
神も仏も名無しさん:2008/03/03(月) 01:19:13 ID:yqB7WCGE
>>120 被害というほどでもないが、当時は信仰者だった。
自分の弱さを正当化していたのは、まぎれもない自分自身だった。
125 :
神も仏も名無しさん:2008/03/03(月) 01:25:52 ID:FxPEUeIq
124=1? なんだ宗教離脱者だったのかスレ主は
126 :
神も仏も名無しさん:2008/03/03(月) 01:33:22 ID:ZCkEhNlN
信仰してる人はシンプルに物事を考えてるだけで別に特別弱虫でも
なんでもない
むしろ誰でも何かに寄りかからないといけない
人に寄りかかる人間ほど弱くて被害者意識強く悲劇のヒロインごっこだと思う
よって神に寄りかかる人ほど賢者だと思う
127 :
神も仏も名無しさん:2008/03/03(月) 01:38:02 ID:FxPEUeIq
と言っても誰一人一人では生きてない
その恩恵を忘れ神だけなんて突っ走る信者も危ない
128 :
神も仏も名無しさん:2008/03/03(月) 01:47:47 ID:FxPEUeIq
1は男らしくなるために宗教やめて格闘家となりました めでたしめでたし
129 :
福和尚:2008/03/03(月) 01:51:41 ID:arD2shxd
仏教徒は特に弱い
130 :
神も仏も名無しさん:2008/03/03(月) 02:05:07 ID:yqB7WCGE
人は一人では生きていけないのではなく、一人で生きることが許されないのだ。本能的に。
人間は群れをなす動物。
よって一人になると精神が孤独を感じ、人と戯れることを望もうとする本能が働く。
この世で生きる以上、人と関係をもたざるをえない。
それを世間では、人は一人では生きていけない、と言う。
精神的にも物理的にも、一人では生きていけない仕組みが成り立ってしまっているのだ。
この本能を利用し群集心理で宗教を創造したのだ。
また、群れをなす動物の共存意識の本能が、他への思いやりになり助け合いという行動を生む。
一人で生きられる強き人間は、弱者からすれば邪道であり排他的だという偏見をいだかれる。
そして自然界を見渡せば群れをなす動物は「弱い動物」に限定されるという事実。
131 :
神も仏も名無しさん:2008/03/03(月) 11:19:15 ID:7oGKOKWv
126は愚かな宗教依存者にケテイしていますね。 そしてそのまま死ね。w
132 :
神も仏も名無しさん:2008/03/03(月) 11:41:01 ID:fo0UmZ3d
なぜ神という言葉が存在するのか?
それは生き物の遺伝子がより高度な存在を求めて生きているから、その一番上に神という言葉を作り脳ではなく遺伝子がそれを求めた
そこから人間が自然災害やその他の有害な出来事を恐れ、その恐れという心の闇を抑制するために神にすがった
つまり"神など物理的に存在しない"という言葉は的外れな見解であって、遺伝子が神という言葉を作らざるをえなく。心の闇が神という言葉にすがらざるをえなかったのです
133 :
素人:2008/03/03(月) 11:57:45 ID:haG/VECe
ざっと流し読みしましたが、
>>1さんの一連の主張が既に、「宗教的である(少し言い換えれば、弱さの合理化wである)」、
というように見えました。
違いますか?w
134 :
1:2008/03/03(月) 13:19:40 ID:yqB7WCGE
>>133 宗教を嫌悪する人間にとってこの主張は都合がよく、その点で、
宗教を信じることが強さとする場合、この主張は弱者の合理化ということになるだろう。
宗教家からすれば、この主張は弱さの合理化に感じるだろう。
しかし、そのように感じるのは彼らの偏った色眼鏡によってである。
宗教は強者であるという偏った色眼鏡をもたぬ我々からすれば、
この主張をする側に弱者の合理化を見出すことはない。
むしろ世間一般で強者とされることこそ強者であるという定義は、
多数決で間違っているとは思えない。
よってこの主張が弱者の合理化であるという偏見は、改めたほうがいい。
135 :
1:2008/03/03(月) 13:54:53 ID:yqB7WCGE
人の本能についてふれてみよう。
人は群れをなす動物である、と先に言った。
オオカミやサルなど、群れで生きる動物には「ボス」が存在する。
(人間世界に地位や肩書きがあるのは、この群れの本能がそうさせている)
群れの中で弱者はボスに従うことで自分を統制し戒め、順応していこうとする。
(マゾの心理である)
父親が権威化するのも、弟子が師匠を求めるのも、おなじ心理が働いている。
ここからが重要なのだ。
宗教家は世間的なボスに嫌悪感をいだき、その結果「神仏」という都合のよいボスを創造した。
弱者にとって都合のよい「神仏というボス」が、世間の強者を弱者へと下降させ、
弱者に都合のよいボスに従うことによって、弱者が自分を見出すのである。
世間的なボスを失った者は、一人で生きることができない。
集団に属していたいし、新たなボスに依存していたい。
この心理が働いて、宗教団体ができ、教祖や神仏が崇拝されるのである。
現代はボスの存在があやふやになり、(先生、父親、政治家の絶対性)
その結果、人々は自分を見失い精神は不安定になり、
ここで、宗教によって絶対的なボスと集団を与えることによって、救われるのだと、
宗教家は信じているし、原理的にはそうなのだが、
彼ら宗教家も無宗教の人間も、ほとんどの人間がこの事実に気付いていない。
現代が悪に満ちているから、いまこそ宗教が必要なのではなく、
世間的な強者であるボスが軽視されることによる弊害の穴埋めが、宗教なのである、と。
世間的な強者が再度、尊敬される時代になったとき、人々は心の平安を取り戻すであろう。
民主主義や市民平等が結果として、集団動物の本能を阻害し、
人々の心を不安にさせている事実を知るがよい。
136 :
1:2008/03/03(月) 14:16:15 ID:yqB7WCGE
荘厳な神仏像。
豪華で憐憫な神社仏閣教会。
なぜ神仏は荘厳に作られているのか?
理由は簡単である。
神仏こそ絶対的な強者であるという見せつけ。ただそれだけ。
立派に作れば、あぁすごい、ということになる。
それらをさも、宇宙の神秘に触れてしまったかのような、
接し方をする宗教家よ。
今日はひな祭りですね
人形が一年の災厄を受け持ってくれるというのですが、これも偶像崇拝の一種なのでしょうかね
138 :
おお:2008/03/04(火) 00:12:54 ID:eIXnVunc
1よ。まず、人間の思考、文化とは何かをどうして存在するのかを考えるべきだ、
安易な論理構築しすぎている。
まず、正確な洞察が要求されるであろう。
これは、宗教ではなく、論理的認識の必要性であって。
1の社会認識は論理的に幼稚過ぎますね。
その激しさは、相当の宗教被害のトラウマに基いて論じているように見える。
1自身が
1こそ絶対的な強者であるという見せつけ。ただそれだけ。
立派に作れば、あぁすごい、ということになる。
それらをさも、宇宙の神秘に触れてしまったかのような、
接し方をする1よ。
と言いたくなる様な文面に思える。
もっと、人類の歴史を真面目に勉強しなさい。
宗教ではなく、正しい認識として、
http://bariken.exblog.jp/7596680 殺害予告で小4女児を通告 ネットに、「いたずらでやった」 [ 03月04日 12時38分 ]
共同通信
埼玉県警少年捜査課は4日、インターネットのサイトに埼玉県内の小学生の殺害予告を書き込んだとして、
軽犯罪法違反(業務妨害)の非行事実で、千葉県内の小学4年女児(10)をさいたま市児童相談所に通告した。
調べでは、女児は2月15日午後7時半ごろ、自宅のパソコンから「埼玉の小学生の女子を2月29日13時に殺します」
と書き込んだ疑い。女児はいたずらでやったという。
140 :
神も仏も名無しさん:2008/03/04(火) 22:59:51 ID:tGpT5Vi9
136 :1 なども納得できるのだが とにかく長い。
141 :
おお:2008/03/05(水) 23:06:36 ID:cUfNL2EM
ま、冷静に、宗教構造と問題点と欠点を分析するのが、大事さ、
●●●信仰は弱さへの合理化だった●●●
の1のスレタイの方向性は有効性があるんだけど、、
1も、そのテーマに集約して、批判すれば有効ですけどね、
信仰はおかしい、に集中すればいいんだけどね。
知らない仏教とか、社会構造を言い出すから、批判が的外れになるんですけどね。
>>1みたいなこと書かなくったって、宗教を信ずる人は
自分が非力ということを知っていて信仰しているんじゃないのかと思う
私もカトリック教会に通う人間だけど
私は弱いからこそ教会が必要って認めてるつもりだし
医者を必要とするのは病人であって健康な人じゃないからね。
143 :
神も仏も名無しさん:2008/03/07(金) 14:59:21 ID:pWNZ1w03
イエスは「独身を受け入れられる人は受け入れなさい」って、仰ってた
1
信仰はヘーゲルの絶対精神だよ
あげ
神々や宗教への信仰って、結局は本人が何に救いを求めてるかだと思うんだよね
うちの会社にキリストさまを信仰しておられる方がいるけど、その方はちょっと精神的な問題を抱えている。それでも『一心不乱に祈っていると、神の声が聞こえてきて僕を助けてくれる』と仰ってるし
自分の中に弱い部分があるから何かに縋りたいのは人間の本質みたいなものじゃないのかな
俺はおそらく1よりあらゆる面(社会的、経済的、身体的、精神的、知的に、
かつ積極性、外向性、その他…)で健康的で屈強な信仰者を知ってるが、
それとて1に言わせれば信仰を持ってるゆえに、「弱い」ということになる
んだろう?
そうなると、「それでも弱いんだよ!」という方が、情けないような気がする。
>>1 人によっては、確かにその通り。
>「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ」
その割りにキリスト教徒は好戦的じゃないか w
149 :
神も仏も名無しさん:2008/05/19(月) 12:29:31 ID:V9os+9y7
>>148 左の頬を出すと同時に右手も出すんだろ?w
1の理屈で言えば中国のやっていることは正しい。
アメリカ強者で最高。弱い国は努力してアメリカを目指そう。
でおk?
弱いけど強くなる努力をする気力が無い。
かといって死ぬのもちょっと。
1にとってこういう奴(俺)はどうなの?
消えろ?
死ね?
だったら俺には関係ないし、
ただ強くなれ言われても気力も無い。
勘違いの優越感でも生きる力にはなる。
自らの特質を持って環境に対峙するのが生き物だろうから
弱さと欺瞞を武器に強さを手に入れることも
ある意味正しい(ニーチェの都合のいい使い方ですまん)
逃げること、擬態すること、群れることは生き物の選択の一つでは?
というのは本当はどうでもよくて、全部読んでないのでどっかに書いてたら
すまん。俺が強くなるにはどうすればいい?
ただし、俺は弱さをがんばって合理化してきた人間だから
それを変えれる方法を具体的に示してほしい。
152 :
151:2008/07/03(木) 23:58:39 ID:9244zHNR
連投
この屈折したくらい性格の生物的なメリットはどこにあるのか?
ずっと考えてきたけど、もしかしたら自身のメリットではなく
ウィルスのメリットかもしれない。
あるウィルスは猫の体内でしか複製できないらしいのだがそのウィ
ルスがネズミの体内に入った場合、猫を怖がらないだけでなく近づ
いていくらしい。また水中で繁殖するタイプの寄生虫がバッタに入
った場合、水に飛び込むらしい。
で、さっきの猫ウィルスが人に入った場合、統合失調症になるとい
う報告があるそうだ。女性は着飾り社交的となり、多くの男性と関
係を持ち、男性は身なりを気にしなくなり社会性が薄れていく傾向
があるらしい。で思ったんだがウィルスにとって、ある程度免疫を
落としつつ、かといって死なないのが一番いいんじゃないかと。
ここで思うのが宗教的生活態度。節制はするけど、精力はつけない。
自分の中に悪があると思っていたけど実は外から入ったのかもしれ
ない。
朝日を浴びて健康的に生きるのを拒絶してしまうのはウィルスのせい
である可能性だってある。昔は胃がんがウィルス由来なんていったら
笑われていたように。
これは「迷惑な進化」っていう本を読んで思ったことです。
実はまったく詳しくありませんw
誰か詳しい方が居られましたらご光臨をお願いしたいのですが
m(_ _)m
153 :
神も仏も名無しさん:
age