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なぜ人は強さを求めるのか。それは優越感を得たいからである。
社会的地位、肉体的強靭さ、学歴、名誉、などなど。
強さには様々あり、人それぞれ追い求める強さは違うだろう。
真理的な智慧も、また一つの強さであり、それにより優越感を抱くものだろう。
しかし、ここで矛盾が生じる。
宗教家は、傲慢や横柄を戒める。人を見下すな!偉ぶるな!と戒める。
謙虚であれ!見下すことなかれ!と教えているにもかかわらず、
彼ら宗教家は、真理的強さを持つことにより、
他人よりも自分のほうが勝っているのだという、優越感を必ず抱いている。
自分達のみがこの真理を知っているという独善性までも生まれる。
宗教に入ると心地よいし、布教しようと猪突猛進になるのは、
これらの心理が働いているからである。
彼らも普通の人間なのである。強くなりたいし、優越感も得たい。
しかし世間一般のルールの中では強者になれないから、
宗教的ルールの中で強者になりたがろうとするのだ。
これらに本人はまったく気付いていないので、口では理想論をはくのだが、
その心理を見た場合、まったく崇高なものではなく、
逆に、偽善的になっている面で、普通の人間よりも誠実ではないし、純粋でもないのだ。