【仏教】悟りを開いた人のスレ 12 【鬼和尚】

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564鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
>>501 いい質問じゃ。
 死とは例えば旅行のようなものと言えよう。
 人は旅行する時には目的地や行き方など調べ、なるべく快適に過ごそうと思うものじゃろう。
 滞在が長くなるほど、沢山の情報を知ろうと思うものじゃ。
 それによって不安を無くし、楽しい期待が高まるものじゃ
 もし長く旅行しなければならないのに、行き先も行き方も判らないのなら、不安に苛まれ、ストレスを多く受け、不安から逃れ様として多くのものに執着するだろう。

 死とは永遠の旅路のようなものじゃ。
 永遠に行かねばならないのに、多くの者は行き先も行き方も判らない。
 それ故に人々は毎日、不安に苛まれ、金や権力や名声に執着し、互いに争い、この世を苦しみながら生きておる。
 死の不安が煩悩の原因であるとも言える。
 
 しかし、もし、死を超える事が出来たなら、死によって消える事の無い不死の境地に辿り着いたなら、もはや死の不安に怯える事は無い。金や権力や名声に執着する事も無くなり、争わず、この世を楽しみながら生きていけるじゃろう。
 そして死を迎えようという時にも、お釈迦さまの様に楽しいとすら言えるじゃろう。
 死によって変化するものは何であるか、恐れていたもの何なのか、それらが理解出来れば、死の不安は無くなり、初めてより良く生きる事が出来るのじゃ。

 死を超えると言う事は、むしろ不安を無くし、より良く生きる事であるとも言えるのじゃ。