(駒立の吉蔵同行)
「大名が持っても乞食が持っても十両は十両。持った人によってその値打ちは
変わりゃせぬ。今もなむあみだぶつという十両も、聞き手に徳があるのじゃない。
なむあみだぶつという体そのものに徳があるのである。機の上に値打ちを見たら
地獄落ち。この機の上に往生の相談注文のないのが、如来の本願の約束じゃ」
「弥陀は凡夫のウブを受け取る。善知識は凡夫をウブにして渡すが役。
私はただ凡夫の性のウブのまま死んでゆくじゃ」
(田原のお園)
「伊勢の町をお園が念仏を称えながら歩いていると、行き違いの人が、
「婆さんが空念仏を称えて行かれるわい」と独り言を言いました。それを
お園が聞きつけて、「よう言うてくれた、よう言うてくれた。何処に善知識がいるやら
知れぬものじゃ」と言いながら、その人の後を追ったのです。するとその人は
振り返って、「そのように腹を立てぬでもよいじゃないか」と言うと、「いや、腹を
立てたのじゃない、お礼が言いたいのじゃ。この婆の口に称える念仏が、もし
功徳になって助かるのなら何としよう。まるまる助けられた後の粕念仏とは
嬉しい。よう知らせてくれた、よう知らせてくれた」とお園は喜んだと言います。」
「ある人が「私はたのむ一つでお助けと決定しております」と自分の領解を述べると、
お園曰く「たのむものがお助けなら、たのまぬものはなおお助けじゃ。
たのむを我から見る世話のいらぬお助けが嬉しゅうござります」」