【浄土真宗】妙好人と学ぶ4【信心獲得(決定)】

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747神も仏も名無しさん
(駒立の吉蔵同行)

  「大名が持っても乞食が持っても十両は十両。持った人によってその値打ちは
  変わりゃせぬ。今もなむあみだぶつという十両も、聞き手に徳があるのじゃない。
  なむあみだぶつという体そのものに徳があるのである。機の上に値打ちを見たら
  地獄落ち。この機の上に往生の相談注文のないのが、如来の本願の約束じゃ」

  「弥陀は凡夫のウブを受け取る。善知識は凡夫をウブにして渡すが役。
  私はただ凡夫の性のウブのまま死んでゆくじゃ」


(田原のお園)

  「伊勢の町をお園が念仏を称えながら歩いていると、行き違いの人が、
   「婆さんが空念仏を称えて行かれるわい」と独り言を言いました。それを
  お園が聞きつけて、「よう言うてくれた、よう言うてくれた。何処に善知識がいるやら
  知れぬものじゃ」と言いながら、その人の後を追ったのです。するとその人は
  振り返って、「そのように腹を立てぬでもよいじゃないか」と言うと、「いや、腹を
  立てたのじゃない、お礼が言いたいのじゃ。この婆の口に称える念仏が、もし
  功徳になって助かるのなら何としよう。まるまる助けられた後の粕念仏とは
  嬉しい。よう知らせてくれた、よう知らせてくれた」とお園は喜んだと言います。」

  「ある人が「私はたのむ一つでお助けと決定しております」と自分の領解を述べると、
  お園曰く「たのむものがお助けなら、たのまぬものはなおお助けじゃ。
  たのむを我から見る世話のいらぬお助けが嬉しゅうござります」」