>>932 時間も概念の一種
今、という瞬間は存在しない
今と思ったときにはすでに過ぎている
人間が時間という目盛りを付けて認識しているだけ
人間の自我があるから、時間ができている
聖書あたりでも ”はじめに言葉ありき” ロゴスから時は始まるわけです
>という事が、人間に理解できたとすれば、はたして苦しみは無くなるのでしょうか??
>それよりも、人から優しい言葉をかけられるほうが苦しみは和らぐのでしょうね。
お釈迦さんは、優しい言葉では解決できない苦悩を抱えたから出家しんたのだと思いますよ
>>931 これに関してはまったくその通りだと思います。
が、なかなか悟った人はいないもので、苦しんでいるのは
自我なのです。たくさんいて、これが真理だ、これが悟り
だ、私が正しいとわいわいとやっているのはやっぱり自我
なんですね。931さんのおっしゃっていることを、本当
に理解できたなら、僕の苦しみも、またハゲさんの苦しみ
もきっとなくなるのではないかと思います。
>>932 これに関してまったく同意します。
でも、まさかぽちがやさしくないを言ってると思ったわけでは
ないでしょうね。
実は今日は一つちょっとだけ楽しい話があったのです。
ですが、書けば若干しゃべりすぎになると思いますので
また後日のネタとしてとっておきたいと思います。
ありがとうございました。ノシ
おはようございます
時間も概念なんですね。
何が正しいとか正しくないとかは、現証によって判断するのが一番だと教わります。
ぽちさんはとても優しい心の持ち主と思ってますよ。
ところで、ぽちさんの苦しみとはいったいどんな事なんでしょうか?
現証なー。現証があっても認められない人が多すぎる。
筆頭株主は日蓮さんなんだけど結果を認めたくないからって引きずって
みたところで雪だるま式に余計に悪くするだけ。まずは良くても悪くて
も結果を認めるということでしょうか。
ぼくの苦しみ。
ぼくにとってアナタの苦しみがぼくの苦しみです。
うそです。ってまあ、うそでもないのですが、それ以前に僕は人には幸
せになってもらいたいというくせに、逆に自分はといえば不幸にならな
ければいけないとさえ思っています。
どこかおかしいのだけれど・・
お問いかけですので答えますが、できれば興味本位の方は読まないで
ほしいです。読んでも、気分の悪いもやもやが残るだけですから。
一例ですが、親に結婚の報告をした夜、「離婚するよ」と言いました。
そしてその言葉の通り、4年後くらいかな、離婚しました。昔の話です
けどね。これは「正しい行動には正しい答え」という何気ない言葉を
追求した結果です。
逆に言えば「間違った行動から幸せを得てはいけない」という戒めです。
ぼく自身、深く悩んだすえ、「自分は両親の間違った行動の結果である」
と判断しました。であるとするなら、「僕自身が幸せになることは、両
親の間違った行動を正当化してしまう」と考えたわけです。
両親には、間違いを間違いとして認めた上で、生きてほしいと願った。
来世というやつが本当にあるのかないのか、分からないけど、今生での
過ちを繰り返してほしくはなかったわけです。
「正しい行動がきちんと正しい結果を得るためにも、間違った行動から
は不幸な結果が導き出されねばならない」
これが、僕自身が幸せを目指せない足かせなのですが、いまだにひっく
り返せないでいます。
>>937ぽちさんへ
お話の内容はよく解らないところもあるのですが、
御両親の事で苦労されたのでしょうね。
何の因果か親子の縁があったのでしょうが、親には親の果報が、子には子の果報があると聞きます。
ぽちさんにはぽちさんの果報があるのは間違いないと思います。
苦労をただの苦しみにするのか、今生で与えられた修行として、修行の実りを楽しみとして生きるか、
という事を教わりますが、難しいですよね。
私はついつい楽な方、楽な方に流されてしまいます。
そうですね。運命論的に因果を見ているわけでもないのですが。
でも、そのことはもういいんです。事実、そうなったのだから
何も間違っちゃいない。二人は年老いました。
プロセス主義といいますが、現証というのはやはり結果主義の
ような感じがします。
過去からの因縁も、将来の実りも、すべて捨てて現在に集中する
というのがほんとのプロセス主義。プロセスが結果、因果倶時。
この言葉はハゲさんから教えてもらった言葉ですが、これも
また、なかなか難しいですね。でも、大好きな言葉です。
>>939 「現証」という言葉が、法に対する言葉だけでなく、行動に対しても使うのかどうかは、私にはよくわかりませんが、
プロセス主義、種をまき育てることが大切ということとの関係は、ぽちさんの言う通り、「どっちなの」?となりますね。
ところで、「諸法無我」という言葉はご存じと思いますが、Wikiで見ると「慈悲」との関係が乗っていて、なるほどなと思いました。
ぽちさんはどう思われますか?
見てきました。このような段取りになっていたのかとあらためて知りま
した。一方で、如是我聞、天上天下唯我独尊、や、大我、他己、など
いろいろな我に関する言葉もあるようですね。
僕の場合は無我とまでは言い切れないでいます。
べつに執着したいと思わなくても、歯は痛むし、腹は減る。
多くの仏教系の宗教家は、本来、救われている、ただ、それに
気がついていないだけ、というふうに説くのを見かけます。
でも、どうでしょうか。執着によって歯が痛むのでしょうか。
執着によって本当に腹が減るのでしょうか。
そうだ、と言われたらそうなのかも知れませんが、やっぱり
疑問は残ります。生き物というのは本来、救われていない、
というのが私見です。
942 :
p(´⌒`q):2008/10/21(火) 20:53:56 ID:13fx7Xkb
お久しぶりです!
現証のご利益を早くいただけるならそれに越した事はないけどね。知らないうちにいろんなところで戴いているんですけど此ればかりはたるをしるとしかいえないしp(´⌒`q)
これまでの生き方に因るしね(;_;)
有り難みを知るのは自我の強いぼんぶには難しめかね
自分たちになんかないと感得する事は難しめかね
pさん、こんばんわ。
ありがとうという言葉。
お坊さんは布施に対してはあまり言わないようですね。
なんでも、その人の功徳のための修行だから、お礼を言われると
報われてしまって功徳が減る、というような理由だったと思いま
す。本当に減るんでしょうかねえ。増える気もしますが・・
おはようございます。
私もぽちさんと同じく、「ありがとう」という感謝の言葉をかけられても功徳が減るというような事は無いと思いますよ。
功徳は貯金やポイントカードのようにどこに預けたり損得勘定で計算できるものではないですからね。
こうやって考えると「功徳」っていったい何なんでしょうかね?
功徳というのは言い換えれば善因善果ということなのでしょうか。
善因善果が誰が見てもそうなるなら、仏教によらなくとも全員が
善を積み善の果を手にいれます。しかし、実際はどうでしょうか。
かえって、悪いことをしたほうが、栄えているというのが世の実情
かと思います。
これがたちの悪い寺なんかだと、始末におえない。
苦しんでいる人に施しをするどころか、苦しんでいる人は悪行の結果
そうなったんだから、物欲をたって修行すれば来世は明るい、とか、
悪人に施しをしても悪事を重ねるだけ、一番いいのは寺に布施するこ
と、だとか。
弱者はますますやせ、寺はますます太る構造ですが、これが因果律に
照らして、どこが間違えているか、といえば、おそらく間違ってはない
でしょう?寺が集めるだけ集めても、それは寺の善行の結果ということ
です。自分は絶対正義ですから、悪人には施さない。修行中の弱者にも
施さない。
施すのは正義である自分だけ。こんな考えなら太らないほうがおかしい
んです。
でもこれは、いったいどこが間違っているのでしょうか。
>>936 現証…ねえ?
なにかよいことが起こったとして、仏様でもないのにその原因を特定できるの?
解釈や認識によって、同じ事態でも楽にも苦にもなるんじゃない?
>>937 …以下は状況を理解しない私の的外れな感想ですが
それこそ自我が作り出した因果律という檻に自分を押し込めているのじゃない?
これはこうでなければならないという檻
(もっとも簡単安易に抜け出せれば、誰も苦労しないのだろうけどね)
因果業報を認めるのなら、過去の罪を懺悔し、罪を超える正しい善を積んで楽果を得ればいいだけだと思う
>>941 >多くの仏教系の宗教家は、本来、救われている、ただ、それに気がついていないだけ、というふうに説くのを見かけます。
よく本来仏と気が付いた人は仏、気が付かないのが凡夫と言われますが、この気が付く、というのが安易な事じゃない。
本質が仏だと知ればその時点でもう仏だ、とか安直に言う仏教者はほぼ偽物と考えていいです
>でも、どうでしょうか。執着によって歯が痛むのでしょうか。執着によって本当に腹が減るのでしょうか。
歯が痛み、腹が減る、ここまでは現世で成仏した人も同じです
でも、悟った人はその苦に執着し懊悩を深めることはしません。仏は第二の矢を受けないのです
ttp://www1.odn.ne.jp/ceu55990/DAININOYA.html
>>946 >善を積み善の果を手にいれます。しかし、実際はどうでしょうか。
>かえって、悪いことをしたほうが、栄えているというのが世の実情かと思います。
業報思想は現世だけで考えていません
次の生かその次の生かはわからないにしても、罪の報いを受け、善の楽果を受ける…のが業報思想です
(もっとも歴史上のお釈迦さんが三世因果を正意として説いていたかは疑義があるそうですし、
現代人には「へー」で済まされるかもしれませんがね)
仏(ここなら御宝前か)へ寄付されたものを自分の所有物と考え、その財産の多さを誇り自慢するようなのは、
餓鬼道なりなんなりへ堕ちると考えれば精神衛生上よろしいかと
丁寧なレスありがとうございます。
自分の檻を作ってしまったというのはまったくその通りです。
今となっては過ぎてしまったことですが、どうあがいても
操られてしまったような感じです。
二の矢については、人間は受けやすいけど、動物はあまり受けない
みたいですね。二の矢も痛いかもしれないですが、でも、ぼくは一
の矢のほうが痛いと思っている、というのかな。
ちなみにたちの悪い寺のモデルはオウム真理教でした。日扇さんの
ところも何やらもめてはいるようですが、そのことに関してはあま
り知りたいとは思っていません。興味があるのは原理的なことです。
ご紹介のサイトはすごい楽しかったです。また教えてください。ノシ
http://jp.youtube.com/watch?v=HWF7gFK51Xw&feature=related
そして、あと50で
950ゲット
利益というのは、ただ、まっすぐに純粋に何の計らいもなく
目の前の人を愛せることではないでしょうか。
それは僕自身の目標でもあります。
でも、ぼくにはそれが出来なかった。
ま、いままでのことはともかくこれからは出来るように
ならなければいけません。ゴールは目の前にあるのです。
>>949 >二の矢については、人間は受けやすいけど、動物はあまり受けないみたいですね。
面白い視点ですね
たしかに動物は動物は悩むことも、後悔することも、恥じることもないです
逆に言えば、悩み、後悔し、恥じ入るからこそ人間だとも言えるのでしょうね
オウムの教祖は今、悩んだり、後悔したり、恥じ入ったりできるのでしょうか?
…できないとすれば今まさに畜生道にいると言えるのかもしれません
>二の矢も痛いかもしれないですが、でも、ぼくは一の矢のほうが痛いと思っている、というのかな。
第一の矢が当たったらどうしようと考え悩むのは、当たる前から第二の矢に苦しんでいると言うのでしょうね
人間にとっての死とはまさにそういう事態です
>利益というのは、ただ、まっすぐに純粋に何の計らいもなく目の前の人を愛せることではないでしょうか。
利益はすぐれた性質や特質を意味し、即物的な福利の意味でも、宗教的な救済の意味でも使われます
他を利する、という場合は利他と言います
あなたの言う無条件の愛は、キリスト教ならアガペー、仏教なら慈悲が相当するでしょう
慈悲は友愛を語源とする(慈)と、呻き声を意味する言葉から派生した他人への同情・共感を語源とする(悲)との合成語です
お互い縁起によって生起し、同じように苦しむ存在であるという共感こそ、慈悲と利他の源泉です
とかく自我に振り回されっぱなしになる凡夫には慈悲の心を持つことは難しいことです
しかし、敵対した人であっても、同じように悩み苦しみ後悔する人間であるという想いさえあれば、
それがブレーキになってくれるのだろうとも思います
>>954 むむ。僕に二の矢が刺さってるですって?
一本刺さってました。ありがとうございます。
すべての命がたった一つの細胞からの枝分かれであるとす
るなら、発生学的にも意識とか本能というものはずいぶんと
後付けのような気がしています。
禅でいうところの見性とか悟りとかは、自分たちが一つで
あったころの古い記憶をたどる作業のような気がしていま
す。
動物が生きることは必要に応じて殺し食べることです。
これは理論上は自分が自分を着替えただけですから、いい
とか悪いとかましてや罪とかいう種類のものではないと思
います。
実際に自分が食われる場合は別にしてですけどね。
オウムはどうでしょうか。慈悲だといって必要以上に殺した
のですから、やはりかなり不自然に思えますね。
自我には集団的自我があって、これを克服するのは結構大
変みたいです。
自分の属する集団を愛するというその想い自体は自然なこ
とだとは思うのですが。
しかし、こうやっていろいろな人から意見を聞いたり、また
自分で書き込んだりしていると、自分の目指すべき道がうっ
すらと見え始めたりするものですね。
やっと秋らしい気候になってきましたね。
先週までは汗ばむような日が続いてましたから、御祖師様の御綿をさせていただくのもどうかと心配してたのですが…
これだけ朝晩寒くなりますと、早めにさせていただかないと申し訳ないですね。
皆様はいかがされてますでしょうか?
命の繋がりって不思議ですよね。
人間は魂が主なのか、それとも命の繋がりが主なのか?
心や意識は永遠に繋がっている命に従っているだけなのかもしれないですね
958 :
p:2008/10/29(水) 20:31:04 ID:jApR4XLn
おわたの話はお寺によってかなり違っているようです。
教務さんに頼むとこもあれば 買って被せるだけみたいなとこもあるみたい
おはよーございます。
昨日、1から読み直して見ました。どうせ喧嘩ばかりで面白くないだろ
うと思って読んでなかったんですが、失礼しました。なかなかしっかり
としたスレだという印象を持ちました。
集団的自我の話をしましたが、個人の反省もさることながら、反省を経験
している宗派というのは僕にとって魅力的です。かつて暴れた経験をもち、
それを反省して今に至る宗派は結構あります。
何度、題目をとなえようと、また、なんど念仏をしようと、なんど神に祈り
をささげようとも、人や人の集団は簡単に過ちを犯してしまいますね。
問題が解決するどころか、それが原因で問題が広がっているような場合さえ
見受けます。
個人としての修行もともかくも、宗派としても立派になっていってほしい
と祈ります。ここにはおそらく人を指導される立場の方も多くいっらっし
ゃるので。
960 :
ぽち! ◆Pochi/L1oE :2008/11/02(日) 00:59:07 ID:naBHpeoR
2ちゃんというのは誰が誰やらはっきりしないし、おまけに発言の
削除が簡単でないというので、罵り合いになる場合が多く、その意
味でハゲさんが案内役を引退するというのは個人的には賛成です。
人を悪く言うというのは、言われた人よりも、言った人の人生を痛
めてしまいます。
だから、ハゲさんの案内役引退の話はまあ、成り行きまかせで、ど
ちらでもいいのですが、気になるのは資料を送ってくれたという教
務さんとの関係ですね。
かつて、一年前、あんまり荒れるので、あの人はスパイじゃないか、
というようなことをぼくに言ったことがありましたね。
ぼくは、たしなめたというか、決め付けるのはよくないよ、という
ようなことを言った記憶があります。その後で「我慢する」の詩を
おくりました。
資料を送ってもらったということは、すくなくとも、別宗派の人
ではなかったわけですね。
それを送り返すとか書いてありましたが、もう送り返してしまった
のでしょうか。
だとすれば、つらい思いをされたのではないかな。
どういう経緯でそんな運びになったのか、このスレだけでは判然と
しないのだけれど、いろいろと主義主張があってのことだろうとは
思います。
思いますが、お別れするにしても、まあ、しないにしても仲直りを
してはいかがですか。
教務さんにしても、資料を贈るというのは自分の見込んだ男として
すべてを託すようなつもりで贈られたはずです。
ちょうど、仲直りできて、めでたしめでたし、という感じでこのスレ
が終わったら、もう喧嘩する空きがない、という段取りで・・
さーて、お二方、いかがでしょうか。
http://jp.youtube.com/watch?v=T40Tx2WS6Ag&feature=related
961 :
ぽち! ◆Pochi/L1oE :2008/11/02(日) 19:24:29 ID:naBHpeoR
不二について僕自身、考えてみましたが誤解がありました。
不二というのは「まったくコピーみたいに瓜二つ」という具合に理解して
いましたが、そうでもないなと。
胃が心臓と同じ働きが出来ないので、不二ではない、というわけではない
んですよね。違っていて不二。
960の問いかけは継続中。
不二 ふに [s:advaya]
advayaは,数の二を意味するdviの派生語dvaya(形容詞:二重の・二種類の,中性名詞:二重・対)に否定辞のa-が
付いてできた語であり,形容詞として「二ではない」「単一の」,また中性名詞として「同一性」「単一性」を意味する.
<不二>(あるいは<無二>)は仏教では一般に生死不二・善悪不二などという表現で使用され,相対的対立を
超えることを意味する.
なお,ヴェーダーンタ学派においても<不二>(advaita)が説かれるが,これはブラフマンとアートマン(個我)ないし
現象世界の同一性を説く(不二一元論)ものであって,仏教における<不二>とは意味合いを異にする.
【インド仏教】同じく相対的対立の超越といっても,仏教諸学派によって<不二>の「二」として想定されるものに特徴が
見られる.中観派では有と無(有無)の二辺(両極)を離れることとしての不二が強調され,この二辺を離れた智慧(prajna)を
<不二智>と呼ぶ.
一方,唯識派では所取・能取(能所)の無,すなわち客観として顕現するもの及び主観として顕現するものの止滅が
不二とされ,そのときの智が<不二智>と呼ばれ,無分別智を意味する.
唯識派は<不二>に円成実性という「不二なるもの」を見るのに対し,中観派はこれを批判して,<不二>における
否定辞「不(a‐)」の働きは単なる否定でなければならないとした.
また密教では,男尊によって象徴される空性(般若)と女尊によって象徴される大悲(方便)の不二として菩提心(大楽)
が説かれ,これは男尊と女尊の双入(結合)によって象徴された.
【中国・日本仏教】<不二>を説く経典としては「入不二法門品」なる章を持つ維摩経(ゆいまぎょう)が有名であり,
中国・日本の不二思想に大きな影響を与えたが,それは必ずしも維摩経のままを受け継いだとはいえない.
すなわち,維摩経においては<不二>はあくまで相対的対立の超越を意味するが,中国・日本では『大乗起信論』
などの影響下に,<不二>を相対的二(善悪など)を生み出す絶対的根源と捉え,これを真如・如来蔵と等視する傾向
が強い.この傾向は空海を経て徹底した現実肯定の不二論(天台本覚思想)を生んだ.
世事雲千変
浮生夢一場
964 :
ぽち! ◆Pochi/L1oE :2008/11/03(月) 20:21:32 ID:Oltd4VLJ
965 :
ぽち! ◆Pochi/L1oE :2008/11/04(火) 23:45:24 ID:bRf746cK
ハゲさんは世事・・ですか。
世事と世事じゃないのを逆にも見られますね。
というより守ろう守ろうとしているのが我かもよ。
それでは、教務さんの方はいかがですか?
こんばんは
「世事雲千變(変) 浮生夢一場」とは
「世の万事はすべて変化多くして雲に似ている、はかなき人生は一場の夢を見たに過ぎない。」
ということらしいです。
967 :
ぽち! ◆Pochi/L1oE :2008/11/05(水) 01:09:33 ID:6uF1QFXL
いや、教務さんとの仲が良かろうが悪かろうが、資料をもらおうが
送り返そうが、そんなものは夢の一場面に過ぎない、と読んだも
のだから。
そうなってしまうと、カキコ自体が無意味になってしまう。
だから、今、対じしてる瞬間がゴールであり、やれ仏法だなんだと
後生大事に抱え込んでいるものが「我」なのかもしれないよ、
という意見でした。お分かりだとは思うけど、とりあえず解説。
私と教務さんとの仲を心配して頂いて申し訳なく思います。
今は直接に交流させて頂く事はないのですが、
喧嘩をしているとか、相手を嫌っているとかは全くありません。
頂いた資料云々も全てお返ししています。
有る事がきっかけ、原因となって意見が対立するようになったのですが、
当時は私の中でもいろいろな思いが涌いて来ましたが、今は冷静に見る事ができるようになってきたと思います。
人が生きている間には、いろいろな縁に巡り逢いますが、
それは今生だけの事が原因なのではなく、過去世からの因縁があり今それが果報として現れているということをあの教務さんにも教えていただきましたよ。
人は自分自身の力だけで生きているのではなく、いろいろな力によって生かされている。
現在この瞬間の力だけでなく、過去からの大きな力のおかげで生かされている。
この一生は一瞬の夢のようなものだけど、永い永い過去からのおかげで存在しています。
969 :
ぽち! ◆Pochi/L1oE :2008/11/05(水) 19:25:56 ID:6uF1QFXL
つまり言い方を変えれば、現在のおかげで未来が存在するとい
うことだと思います。
変えようのない過去よりも、確かに岐路の存在する現在のほう
が大切なようにも思います。
もっとも、口を開けば喧嘩になるというなら、確かに別れたほ
うがよほどいいのですけれどね。
教務さんも、ハゲさんのことをかわいくてかわいくて仕方がな
いという面もあったのではないかと。いや、想像ですけどね。
資料ってどんな資料かは知らないけれど、嫁に行く娘を送るよ
うな気持ちであったのではなかったかと思います。
しかしハゲさんを見込んで託したというなら、どうして自分の
目を信じて最後まで託さなかったのか。
まあ、2ちゃんのシステムゆえに多少の言いすぎや、勘違いも
あったのかも知れませんが、お二方ともそんなものに引きずら
れるような格の方とも思えない。
人を傷つけるというのは、自分の知らないところでも傷つけた
りするもんです。ここは一つ、お互いに本来の気持ちに戻って
話しをしてみるというのはどうでしょうか。
教務さんはいかがですか?
このスレももう少しです。
970 :
ぽち! ◆Pochi/L1oE :2008/11/05(水) 19:28:42 ID:6uF1QFXL
971 :
ぽち! ◆Pochi/L1oE :2008/11/09(日) 14:17:51 ID:xi5H+SEX
http://jp.youtube.com/watch?v=_-m-Br82Cfs&feature=related ぼくがこのスレで出会って印象に残ったのはアルさんかな。
ぼくはアルさんのことをすぐに忘れるだろうし、アルさんは僕
のことを忘れると思うけど、でも確かにぼくの奥深いところに
は何かが刻まれたと思っています。
いよいよスレも残り少なく、おしゃべりな僕もさすがに遠慮が
ちになってくるというのか。
しばらく教務さんを待ってみたけど、見ておられないのか返事
がないようです。待つと言っても、スレの流れを止めていると
いう意味もあるのでいつまでも待つわけには行きません。
よほどおかしな荒れ方をしないかぎり、ぼくは退場しようと思
っています。長い間、お騒がせをしました。
皆様の信仰に実り多いことをお祈りしております。
ハゲさん、教務さん。あまり力にはなれなかったけどごめんね。
またどこかでお会いしましょう。
972 :
p(´⌒`q):2008/11/18(火) 21:00:46 ID:r3bskHfl
なかなか進まなくなったねぇ 日蓮主義爆弾が必要かな?
かなり冷えて来てますのでお身体大切に
973 :
アル:2008/11/19(水) 00:26:47 ID:hkQMK5BU
食べて寝て病気して年老いて死ぬのは、動物も虫でも出来る。ヘドが出るような2ちゃんスレは最近は見てない。人間はここにしかいなかった、もうすぐさよなら
毎自作是念
以何令衆生
得入無上道
速成就佛身
>>972 人間がいない?
そういう意味なら、それは2ちゃんに限らないんじゃないかな?
たとえば、あなた自身はどう?
あなたが失望を覚える畜生のような人と同じ面が、自分にもあるとは感じない?
経曰。(きやうにいはく)
毎自作是念 (まいじさぜねん)
以何令衆生 (いがりやうしゆじやう)
得入無上道 (とくにふむじやうどう)
速成就佛身 (そくじやうじゆぶつしん)
応受持斯経(おうじゆぢしきょう)
是人於佛道(にんおぶだう)
決定無有疑(けつぢやうむうぎ) 文
煩悩業苦の三道
法身般若解脱の三徳と転じ
倶體倶用無作の三身當體蓮華佛と顕れん事疑いなきものなり
是れ即ち本門の観心也
生死の長夜を照す大燈明
元品の無明を切る大利剣
妙法経力
追福作善證大菩提
978 :
アル:2008/11/23(日) 08:46:23 ID:ouv1lp7O
畜生どころか他スレ荒しの修羅です。私がこのスレを我此土安穏と感じ、荒さなかったのもhageさんポチさんpさんらに癒されたからです。
979 :
アル:2008/11/25(火) 17:48:13 ID:HNcqfcML
もうすぐさよならですが、連絡方法。一年半後に京都駅近く七条通りに『心のいしゃ』というのが出来ます。急ぎは、七条ダンスの店で変わった住職が時々来る筈ですがと聞いて下さい
980 :
ご存知より:2008/11/30(日) 09:27:47 ID:TuWpqAU+
もう、最後だから何かひとこと言葉を残しておかなければいけないでしょう。
ぽちさんが気にしてくれているように、はげさんとは一生つきあう人ができた
なあという、うれしい気持ちでした。しかし、はげさんも言っているように、
つまらぬことから、仲たがいをしました。このスレも書き込みはしないけれど
毎日みていました。今の心境は、せっかくよい出会いだったのに、もったいない
ことをしたなあと思っています。はげさんにメールを書こうかと思ったことも
何度かあります。私はブログもやめたけど、はげさんはまだやっているのかな。
年末が近づくと、いろいろな思い出が心の中を走馬灯のようにグルグルします。
982 :
ご存知より:
ありがとうございます。「貴方のようなほとけさまに出会えたことを
うれしく思います」などと言われると、恥ずかしくして、身の置き所
に困ります。元来気性がはげしいもので、いい歳をしているのに、
あっちにぶつかり、こっちにぶつかりの一生でした。おそらく死ぬまで
この性格は治らないと思います。しかし、よい思い出もたくさんありま
した。多くの人たちに感謝しています。
貼り付けてくださった、インドのガンジス河の動画、私もこんな小船に
乗りました。ガンジス河の水を直径4センチ、高さ5センチほどの真鍮
製の容器に入れて記念に持ち帰りました。
あなたが敬慕してやまないマザーテレサに会ったのもこの旅行の時でした。
覆水が盆に返るものなら、返したい気持ちです。