正統なキリスト教とは異なる教義である
ことを明らかにし、その伝道活動においても
正体を示し、伝道対象者に教義や
信仰活動に対して充分なインフォームド
コンセントをすることです。
メンバーに対しても充分な情報公開をし、
外部からの情報や第三者との相談に
意図的な封鎖を行なわず、
信者に所属・脱退の自由を与えることです。
献金使途などの会計と監査を誠実にし、
他宗教や他の思想などの尊厳を認め、
スキャンダルに対しても自分たちの主張を
公的に明らかにするのであれば、
この団体のどこに問題があると
言えるでしょうか。
これらのことは健全な団体であれば
当然のことのように思えます。
このような団体なら誰もが安心して、
興味を抱き、所属できうるのではないでしょうか。
果たして、G○Aがこれらの項目を
達成できるかどうかは、G○Aという組織の本質に
関わっていることです。
聖書の言葉を借りて、たとえ話をひとつ
したいと思います。土の中に蒔かれた種を、
私たちは見ることができません。
その種が良い種なのか、悪い種なのかは
わからないのです。
実がみのればわかるかもしれません。
良い実なのか、悪い実なのか。
良い種からは良い実がみのり、
悪い種からは悪い実がみのるというのが
一般的な考え方でしょう。
しかし、実が悪いからといって、
種が悪いとは限りません。
良い種でも土壌などの
環境が悪かったために悪い実が
みのったのかもしれません。
悪い種ならば土壌が良くても、
良い実はできないでしょうけど。
G○Aにみのったのは「先生のエルランティ・
スキャンダル」という悪い実だと思います。
果たしてこれは、先生自身の問題で悪い種が
そもそも原因なのか、それとも組織の隠蔽体質
という悪い土壌が問題なのか。
土の中の種を見ることは難しいですが、
土壌の改良をすることはできるでしょう。
良い土壌に変えて、良い実がみのれば、それは
良い種のもとG○Aは発展するでしょう。
良い土壌に変えても、スキャンダルの悪い実が
実り続ければ、それは種としての先生自身に
問題があったということで、メンバーの
一人ひとりにとっては手の施しようがない
でしょう。G○Aのメンバーのみなさん、
あなたが本当に、人生をかけるほどに
G○Aの価値観を必要としているのであれば、
ぜひ土壌の改良を行なってみてください。
私は、G○Aであろうとどこであろうと、
みなさん一人ひとりが、健全の内に
人生を豊かに歩まれることを
望んでいます。
G○Aの組織や活動が改善されるのであれば、
それは私にとっても喜ばしいことですから。
でもその前に、よくよくその土壌や
樹木を観察し調査されることをお
勧めします。
もし、悪い種だったなら、
決して良い土壌に移し変えられる
ことを望まないでしょうから、
改良を進めようとする者をひどく
傷つけるかもしれません。
そして、その他のたくさんの木をご
覧になられることもお勧めします。
世界にはあなたの知らない素晴らしい
価値観がきっとたくさんあると思うのです。
決して、G○Aだけを選ぶ必要は
ありませんし、一つだけが絶対的に
素晴らしいのでもないのですから。
G○Aを離れたからといって、
そのことで裁かれたり、不幸を
うけることはありません。
そういった裁きや何かを受ける
(と考えている)のは、G○Aという
価値観の内にある者だけで、それを
捨ててしまえばそれらに左右されることは
全くないのです。
また、G○Aの価値観を離れるからといって、
全て無くなるのでもありません。
G○Aに入る前の価値観や、
G○Aの中であなたが人間の
本質的に経験したことが
知恵や知識となってこれからも
役立つでしょう。
それらをもとに新たに出発する
ということです。
それは人間関係などについても同じです。
家族や旧来の友人・知人、時には
新入生として出会った人たちが
今まで以上に近い存在となるかも
しれません。
なぜなら、もう彼らに対して何かを
隠し意図的な嘘をつく必要が
なくなったのですから。
しかし、G○Aを離れるからといって、
幸せになるとは限りません。
もちろん、不幸になるとも限らないことです。
幸・不幸はあなた自身の考えや
言動や選択に全てよるのです。
ですが私は、G○Aに残るからといって、
幸せになるとも限らないことを言っておきます。
G○Aの中でも幸・不幸は結局のところ、
あなた自身の問題です。
では、G○Aと外の世界では何が
違うのでしょうか。
私が思うには、G○Aでは、
ほとんど全てのものが与えられる
ということです。
今週は何に留意すべきか、どんな
働きをなすべきか、どの新入生の
面倒をどのようにみるべきか、
誰と結婚すべきか、ある行為の
正当性や結果に対する原因理由など
といったたいていのことは用意されるでしょう。
G○Aの外では、どのような
価値観をもつのか、どんな集団に
所属するのか、何を行なうのか、
何を正しいとするのか
といったありとあらゆることと、
それらの結果の責任が、無限大の幅を
もってあなたの選択に委ねられている
ということです。
それは、シビアですが手ごたえのある
現実です。先ほどのたとえ話の中で、
良い種、良い実、悪い種、悪い実
といった表現をしましたが、
私は望ましい表現だとは
思っていないのが本意です。
何を良しとし何を悪しとするかは、
本来、個人それぞれの価値観による
ものだからです。
だから是非、あなた自身にとって、
またこの世界の中で、G○Aとは
本当にはどういうものなのか、
冷静に深く調べ考えてみてください。
そして、あなた自身にとって
本当に良いもの、求めるもの
とは何かをしっかりと見つめ
考えてみてください。
固定観念や立場にとらわれず、
自分自身の本当の姿と向き合い、
物事を知れば知るほどに、
この世界は広く、多様で自由で
素晴らしいのですから。
私がG○Aを離れる中で
学んだことのひとつが
そのことでした。
●エピローグ :
つらつらと長きにわたり偉そうな口ぶりで
書いてきたかもしれませんが、私も自分にとっての
人生の価値を模索している段階にあると
言えます。みなさんと同じように、
大小いくつもの問題を抱えながら、
人生路の歩む途中にいるのです。そして、
世界の全てを知りえることはなく、無知でもあり
続けるのです。
でも、世界には知るべき素晴らしいことが
まだまだたくさんあるのです。
だからこそ、G○Aを通して出会ったみなさん
一人ひとりとも、隔たりを取り払い、
再び顔を合わせ、コミュニケーションをとり、
お互いの人生をより豊かなものにするために、
これからも影響しあえると思っているのです。
そのことを望み、この文章を記しました。
この先、G○Aで出会った数多くの人たちと、
以前のように心通わせ、世界の素晴らしさを
共に喜び合える時が数多く訪れることを願い、
この文章を締めくくります。
355 :
神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 19:57:39 ID:HcKGku2c
↑カルトに騙されたバカ信者の言い訳に過ぎないのだが・・・
356 :
神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 23:20:02 ID:46yn5WtD
お疲れさまでした。
とても興味深い読み物でしたが、どこで手に入れることができるでしょうか。
広く読まれますように。
よいお年をお迎えくださいませ。
↑カルトに騙されたバカ信者の評価と価値
358 :
【大吉】 :2009/01/01(木) 19:36:45 ID:soeVK/5P
↑
あけましておめでとう!
日本は侵略国家であったのか
田母神俊雄
アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により
日本国内に駐留している。これをアメリカによる
日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約
に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や
朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍の
これらの国に対する駐留も条約に基づいたもので
あることは意外に知られていない。
日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に
軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで
一方的に軍を進めたことはない。
現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求
されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などに
よって国際法上合法的に中国大陸に権益を
得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置
したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理
矢理締結させたのだから条約そのものが無効だと
いう人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない
条約など存在したことがない。
この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為
を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、
惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に
存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに
自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその
家族などを暴行、惨殺するようものであり、
とても許容できるものではない。
これに対し日本政府は辛抱強く和平を
追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。
実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。
1936 年の第2 次国共合作によりコミンテルン
の手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に
多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は
日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、
最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させる
ことであった。
我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢し
きれなくなって1937 年8 月15 日、日本の
近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)
を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を
促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。
我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり
込まれた被害者なのである。
1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の
仕業であると長い間言われてきたが、近年では
ソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも
日本軍がやったとは断定できなくなった。
「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、
「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び
「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」
などによると、最近ではコミンテルンの
仕業という説が極めて有力になってきている。
日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の
廬溝橋事件についても、これまで日本の
中国侵略の証みたいに言われてきた。
しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の
劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の
仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの
俺だった」と証言していたことがわかっている
「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。
もし日本が侵略国家であったというのならば、
当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった
国はどこかと問いたい。よその国がやったから
日本もやっていいということにはならないが、
日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と
同じように開発しようとした。当時列強といわれる
国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は
日本のみである。我が国は他国との比較で言えば
極めて穏健な植民地統治をしたのである。
満州帝國は、成立当初の1932 年1 月に
は3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も
人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に
増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に
増えたのか。それは満州が豊かで治安が
良かったからである。侵略といわれるような
行為が行われるところに人が集まるわけがない。
農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、
わずか15年の間に日本政府によって活力ある
工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も
日本統治下の35 年間で1千3 百万人の人口が
2千5 百万人と約2 倍に増えている
「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊
かで治安が良かった証拠である。戦後の日本に
おいては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、
日本軍によって破壊されたかのように言われている。
しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、
現地の人々はそれまでの圧政から解放され、
また生活水準も格段に向上したのである。
我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り
現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活の
インフラも数多く残している。また1924 年には朝鮮に
京城帝国大学、1928 年には台湾に台北帝国大学を設立した。
日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立したが、
京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。
その後8 番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939 年の
名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は
大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を
造っているのだ。
また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への
入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑に
なった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という
陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校2 6 期生で、
硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。
朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。
またその1 期後輩には金(キン)錫源(ソグォン)
大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。
日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた
元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しい
ことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。
もちろん創氏改名などしていない。
中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し
新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。
1 期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン)もいる。
李王朝の最後の殿下である李垠(イウン)殿下
も陸軍士官学校の29期の卒業生である。
李垠(イウン)殿下は日本に対する人質の
ような形で10歳の時に日本に来られることになった。
しかし日本政府は殿下を王族として丁重
に遇し、殿下は学習院で学んだあと
陸軍士官学校をご卒業になった。
陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。
この李垠(イウン)殿下のお妃となられたのが
日本の梨本宮方子(まさこ)妃殿下である。
この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴な
お方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもり
ならこのような高貴な方を李垠(イウン)
殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。
因みに宮内省はお二人のために1930 年に
新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。
また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった
溥儀(フギ)殿下の弟君である溥傑(フケツ)殿下
のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の
嵯峨浩妃殿下である。
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えて
みると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、
列強の植民地統治とは全く違っていることに気が
つくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人
のために教育を与えることはなかった。インド人を
イギリスの士官学校に入れることもなかった。
もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど
考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカ
などの国々でも同じことである。
一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、
朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く
暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と
考えられていた当時にあって画期的なことである。
第1 次大戦後のパリ講和会議において、
日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、
イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。
現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの
世界になっている。時間は遡るが、清国は1900年の
義和団事件の事後処理を迫られ1901年に我が国を
含む11 カ国との間で義和団最終議定書を締結した。
その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初
2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、
東京大学出版会) 」。また1915 年に
は袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の
言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。
これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、
この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の
国際常識に照らして、それほどおかしなものとは
思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。
しかし4 年後の1919 年、パリ講和会議に列席を許された
中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する
不満を述べることになる。
それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を
支持してくれたのである「日本史から見た日本人・
昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党
との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。
常に中国側の承認の下に軍を進めている。
1901年から置かれることになった北京の日本軍は、
36年後の廬溝橋事件の時でさえ5600名にしかなっていない
「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。
このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、
形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に
象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針で
あり、それは今も昔も変わらない。
さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、
遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して
敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない
過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今
では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって
慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。
実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。
ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。
米国国家安全保障局(NSA)のホームページに
載っている。
膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に
青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで
紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、
コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信
記録をまとめたものである。アメリカは1940 年から1948年までの
8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を
使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。
そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から
解読作業を開始した。そしてなんと37 年もかかって、
レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解
読作業を終えたというから驚きである。
しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカは
これを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995年に
機密が解除され一般に公開されることになった。
これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・
ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンの
スパイがいたという。その中で昇りつめたのは
財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。
ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを
書いた張本人であると言われている。
彼はルーズベルト大統領の親友である
モーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を
動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。
当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを
認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを
通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなる
フライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う
蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に
先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは
日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領
になったため、日米戦争を開始するにはどうしても
見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。
日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃
を決行することになる。さて日米戦争は避けることが
出来たのだろうか。日本がアメリカの要求する
ハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を
避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に
戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の
国際情勢を考えれば、アメリカから第2,第3の要求が
出てきたであろうことは容易に想像がつく。
結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である
日本で生活していた可能性が大である。
文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは
放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の
歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ
解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。
戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が
白人国家の支配から解放されることになった。
人種平等の世界が到来し国家間の問
題も話し合いによって解決されるようになった。
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の
力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を
戦わなければ、現在のような人種平等の世界が
来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。
そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、
そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し
感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和
で豊かな生活を営むことが出来るのだ。
一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。
戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと
思っているのであろう。
当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかり
である。やらなくてもいい戦争をやって多くの
日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと
言っているようなものである。しかし人類の歴史を
振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。
現在においてさえ一度決定された国際関係を
覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づき
アメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。
これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返
ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は60年以上
不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実行支配が続いている。
東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付け
ようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは
戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。
日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、
だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにして
おこうというものである。自衛隊は領域の警備も
出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も
極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も
禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は
雁字搦めで身動きできないようになっている。
このマインドコントロールから解放されない限り
我が国を自らの力で守る体制がいつになっても
完成しない。
アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに
守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。
日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、
司法もアメリカのシステムに近づいていく。
改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。
日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。
日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに
暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かって
いるのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけ
ではない。アジア地域の安定のためには良好な
日米関係が必須である。
但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子
関係のようなものであることが望ましい。
子供がいつまでも親に頼りきっているような
関係は改善の必要があると思っている。
自分の国を自分で守る体制を整えることは、
我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに
外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に
理解されているこのことが我が国においては
国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で
我が国の侵略がアジア諸国に耐えがた
い苦しみを与えたと思っている人が多い。