>>17の質問に移ります。
釈尊の時代ですら不信を起こし救われなかった人たちがいます。
法華経「方便品」には「若し余仏に遇わば、此の法の中に於いて、便ち決了することを得ん」
未来の仏に依って(此の法)法華経で救われると説きます。
未来つまり末法で法華経を広め人々を救うのは上行菩薩だと説明しました。
上行菩薩は法華経「霊山虚空会」では「是の諸の菩薩は、身皆金色にして、三十二相、無量の光明あり」と
仏と同じ相を具えて出現しています。表向きは菩薩でも本当は仏との証拠です。
釈尊と上行菩薩は「不二」(その二つが切り離せない)関係にあります。
末法で力を失う釈尊は末法を救う上行菩薩と立場が入れ替わります。
「「互為主伴」(互に主となり伴となる)と言います。
従って
日蓮聖人は仮の姿として上行菩薩の再誕であり、真実の立場は末法の仏となります。