>>218 >>215-217はコピペですね。
>他の宗派からすれば、そこから大石寺の御本尊〜結び付けれることはできません。
堀上人は「熱原法難史」で戒壇本尊の直接の文便ではないと仰せになっています。
聖人御難事の該当箇所の解釈として「余(日蓮大聖人)は二十七年に出世の本懐を遂げた」
建長五年から弘安二年まで27年目にして天台・傳教大師と同じく出世の本懐を遂げた。
これ以外に解釈のしようがない御文ではないでしょうか。
弘安二年に出世の本懐に該当する事蹟を見ると大石寺で主張する戒壇本尊建立以外にはないようです。
戒壇本尊建立の事実がないとしたら聖人御難事はどう解釈しますか。
日蓮大聖人の出世の本懐とは何でしょうか。
コピペ全体が他門の肯定できかねるところでありましょう。
貼っていった人は疑難への回答ができるからここに貼ったのでしょう。
感想ではなく質問をどうぞ。