894 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 00:06:08 ID:XVMBKgvQ
>>892 天の神は、楽しいことをせずにはおられない(楽しみがなくなると死ぬ。)
楽しい→欲→生への執着→生きながらえるエネルギーとなる。
895 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 00:12:01 ID:KNJ+drkt
生まれて数か月の赤ちゃんは、
目の前におっぱいが来ると、
泣くんです。
飲みたくて飲みたくて、泣くんです。
飲みたいという欲イコール苦しみなのです。
飲みたいという苦しみがなくなると、眠ります。
我々は、欲は快楽のもと、欲は気持ちいい、すばらしいと勘違いしている。
それは、後天的に身に付けた知識ではないでしょうか。
欲の正体は、苦しみ。
生きることの、生きるための活動の、あらゆる動機は苦しみ。
苦しみこそが生かしている。
生きることは苦しみ。
苦しみがなくなれば生きる必要がなくなる。
で、苦しみの原因は、過去の業です。
業が新たな苦しみ(生きようとする動機)を生む。
896 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/11(金) 00:12:12 ID:JgtiAput
>>889 ここではおもろいかぁ…。先日はオカ板にて
「里中はつまらない。でもつまらなくてもいいんだよ」
と言われた。まっこと人の心は千差万別面妖である…。
897 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 00:13:45 ID:KNJ+drkt
898 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/11(金) 00:16:38 ID:JgtiAput
>>897 おもろいと言われてもうれしいしつまらないと言われてもうれしかった。
899 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 00:18:07 ID:KNJ+drkt
900 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/11(金) 00:20:32 ID:JgtiAput
言葉の上っ面は正反対でも言葉の向こうにある心は似た感じだったからか…。
901 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/11(金) 00:22:06 ID:JgtiAput
903 :
音響:2008/01/11(金) 00:28:14 ID:qbuKG6Sm
こども里中はオカ板とおもしろさにこだわっとるな。
オカルトとユーモアは相性はいいからね。
904 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/11(金) 00:35:02 ID:JgtiAput
>>903 はあ。まあ。ねえ。そういう体質なので…。
905 :
m0rSvao3:2008/01/11(金) 00:37:27 ID:fOC2q8eB
>>895 ああ、そうそう、それそれ。
それが自我の本来の役目。
でも、それが無制限に突走ってしまうから、必要の無い苦しみを生むんだよね。
906 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 01:56:27 ID:kRw5ZrbF
察するに餓鬼とニートの知識合戦の集まりか〜〜〜。
屑スレだなぁ。頑張って生きろよ〜。
大学修士とっても将来終わったな!ガキども。
グシャッ
908 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/11(金) 10:41:44 ID:JgtiAput
バリバリグシャグシャバキバキゴクン!
909 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/11(金) 10:53:51 ID:JgtiAput
ぼくをみて!ぼくをみて!ぼくのなかの怪物がこんなに大きくなったよ!
きっ、貴様!!いったい何をたくらんでいる!バリバリグシャグシャバキ
うわぁああーーーーッ!!!!この腐れニートどもがーーーーーーー!!
ブリッ!
911 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 11:31:29 ID:h87Zf73x
苦とは感情である
912 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/11(金) 11:33:45 ID:JgtiAput
普通に10分座った直後に環境かえずに音楽だけかけて10分座ってみた。
そしたらやはり、感覚が違う。
913 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/11(金) 11:36:16 ID:JgtiAput
914 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/11(金) 11:43:46 ID:JgtiAput
わたしにとって欲(感情?)とは無くすものではなく操作するもんなんだけど
操作するには執着(など)が邪魔なんです。
だからわたしは悟りたくないんです。
915 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 12:21:33 ID:h87Zf73x
>>913 例えばアパートに住んでいて、隣りから聞こえてくる騒音による苦は執着なのでしょうか?
あるいは強姦魔に犯された時の苦は?
それらに苦=執着の方程式が成立つのでしょうか?
>>914 面白い。
欲望を操作する?
916 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 12:49:14 ID:KNJ+drkt
>>915 眼耳鼻舌身意が感受する一切の刺激は、
もともと苦なのです。
しかし、心の状態によって、
快楽だと勘違いしたり、嫌悪したり、苦悩に陥ったりしてしまう。
大音量でも好きな音楽のライブの音なら平気だし、
好きな異性とのエッチなら平気。
執着が苦悩の原因。
917 :
キンキ鬼ッズ:2008/01/11(金) 12:56:00 ID:o9ht4muj
おはようございます。
苦=執着、成立すると思うよ。
アパートで隣の騒音を苦痛に感じるのは、たとえば「騒音で寝られない。睡眠に対する執着」と言えるでしょ。
まあ睡眠は大切だけど。
918 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/11(金) 13:01:36 ID:JgtiAput
>>915 さあ?執着なんじゃね。知らんけど。たぶん。そうさ。おそらく。
919 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 13:43:21 ID:h87Zf73x
>>917-918 ならば、その手の苦はこの苦しみの原因は自分の執着に原因があると理解することによって消えるのでしょうか?
おそらく消えないのではないでしょうか?
なぜならば、苦の原因は明らかに外界にもあるからです。
この苦しみを認識によって消そうとしたら、おそらくその人は頭がおかしくなります。
それに騒音を不快に感じるのは人間の正常な感覚です。
どっちにしろ、ほとんどの苦は認識によって消すことはできない。
しかしリアルでない苦は消すことができるでしょう。
920 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 13:45:33 ID:OxYui7Dp
>>915 肉体的苦痛についてはあるでしょう。が、心の持ちようで感じ方の
強さがかなり変化してしまうと思います。
たとえばこんな話を聞いた事があります。電車の線路の近くに
住んでいて夜電車がうるさくて寝られないという相談を受けたので、
その人にその鉄道会社の株を買う事をすすめた。すると電車が来ても
その人はうるさがらなくなった(むしろ喜ぶようになった)。
現在何かで苦を感じている場合は、自分の中の何が苦を増大させて
いるのかについて、あきらめずによく考えてみた方が良いかも
知れません。自分の立場や状況がちょっと変わっただけで、全く
同じ事が起きても苦に感じなくなるかも知れませんから。
921 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 13:54:53 ID:OxYui7Dp
>>919 苦しみそのものが執着なのではなくて、何かに対する執着が苦しみを
大きく感じさせることがあるということだと思いますよ。
922 :
m0rSvao3:2008/01/11(金) 14:02:09 ID:qsKLpSmm
>>919 俺は強姦されたことがないので分からないけど、騒音に対する苦は、割と楽に消せる。
不思議なことに騒音に対する苦を消すと、騒音を撒き散らす人とか物とかが出現しなくなる。
まあ、全く出現しないというわけじゃないけど。
923 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/11(金) 14:03:31 ID:JgtiAput
924 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/11(金) 14:04:19 ID:JgtiAput
すみません。取り乱しました。
925 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/11(金) 14:22:56 ID:JgtiAput
>>919 うん。理解することで消えるのかなあ。消えないような気がするなあ。
ちょっと難しくてわからない。
926 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 14:24:18 ID:h87Zf73x
>>920-922 なるほど面白い。
非常に参考になりますな。
確かに認識は有効です。
苦を軽減させることができる。
しかし、感情を思考によってコントロールすることは不可能と、
誰かが言ったとか言わなかったとか…
まぁそれは置いといて、里中さんて女性?
927 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/11(金) 14:31:47 ID:JgtiAput
928 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/11(金) 14:43:04 ID:JgtiAput
あー。そういや、
できそくない師匠が理解だの思考だの考えたって頭おかしくなるだけのこってすぜ。
座るっきりっきゃねえんでやんすゲヘへ。みたいな事いってたよー。
929 :
キンキ鬼ッズ:2008/01/11(金) 15:05:57 ID:o9ht4muj
そんな下品じゃないでしょー?
930 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2008/01/11(金) 15:19:38 ID:JgtiAput
美子フィルターが掛かってます。
931 :
m0rSvao3:2008/01/11(金) 15:45:07 ID:qsKLpSmm
>>926 > しかし、感情を思考によってコントロールすることは不可能と、
思考によるコントロールではありません。
苦しいのは、自我が苦の原因を求めて暴走するからです。
苦を簡単に消す方法として、こういうものがあります。
例えば、騒音を聞いてイライラしたとします。
イライラに気づいたら、そのイライラを感じながら心の中で「どうして? どうして?」と「どうして?」だけを1分ぐらい唱えます。
ポイントはこの「どうして?」の問いに答えないということです。
答えるのは自我ですし、自我の出す答えには意味がありません。
「どうして?」を唱えるのは、自我が出てこないようにするためです。
「どうして?」を繰り返しながら、自我を思考停止にさせ、イライラをじっくりと味わうのです。
1分ぐらいやってると、「もういいや」って思えてきます。そうしたらやめます。
日々のイライラにこれを対応していくと、小さなイライラはどんどん消えていきます。
また、一度消えると出てこなくなります。
馬鹿どもは無意識の中に押し込めてしまうんです。
933 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 17:55:52 ID:KNJ+drkt
>>919 仏教では一切皆苦だと説きます。
眼耳鼻舌身意の刺激は、もともと苦痛しかないのです。
苦痛を消そうとするのではなく、
苦痛があたりまえじゃないかと覚悟できるのでは。
スポーツの練習や試合では、
倒れそうなくらいの肉体的苦痛があたりまえです。
しかし、子供達でさえ、そのような過酷な部活動に
平気で毎日でかけていきます。
なぜかというと、部活動には苦痛が伴うと、
はじめから覚悟できているからでしょう。
しかし、部活動以外の場面で、
スポーツのときのような苦痛を味わう場面があったら、
腹を立てたり悲しんだりすることでしょう。
なぜなら、日常生活では、苦痛を覚悟していないから。
しかし、本当は、生きているかぎり、
すべての刺激が苦痛の組み合わせにすぎないのです。
934 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 18:06:39 ID:LtMpO30V
たとえが変。
部活は苦じゃないし。
935 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 18:32:04 ID:OxYui7Dp
>>933 激しい運動をすると脳内麻薬様物質が自動的に出るので、たとえば
ランナーズハイになったりはする。酒飲んで痛みを感じないように
しているようなものだけどね。
とにかく自動で痛み止が出るので運動中は苦しみは少な目になる。
後で筋肉痛に襲われるかも知れないが。w
936 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 19:02:16 ID:KNJ+drkt
>>935 私は長距離走をやってたけど、
やっぱり辛いですよ。
でも、走ってるときのあの苦痛を病気とかで味わへと言われたら、
かなり不幸だと感じてしまいます。
しかし、苦痛を覚悟の上で走ってるときは、
苦しいけど不幸とは思いませんよ。
937 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 19:08:31 ID:h87Zf73x
>>931 なるほど、そのやり方なら、小さなイライラなら消えますな。
たぶん
>>933 苦痛を消そうとは最初から思ってませんよ。
部活のつらい練習からくる苦痛を耐えられるのは、それが体を鍛えることに繋がるという自覚があるからでしょ。
日常生活における苦痛も確実に意識を鍛えることに役立ってるんだけれども、その自覚がないんでしょうな、ほとんどの人は。
938 :
鬼和尚:2008/01/11(金) 21:11:53 ID:72ZVqEfT
>>880 苦とは人間が悟りを得ようと努力するための、動機になるものじゃ。
苦が無かったら、誰も悟りを得ようとは思わないじゃろう。
昔の貴族のように遊ぶために産まれてきたと、何不自由の無いい生活をしていれば、そのように思い修行などはしないじゃろう。
苦から脱する為には、やはり観察をするのじゃ。
世に言われる四聖諦も、知っただけでは何もならない。
例えば前に話した子供を無くした女が、お釈迦様のもとに来て教えられ、さまざまな家を巡って死人が出た家の人々の苦しみを観察して、己の苦を離れたように、苦しみは観察によって厭離出来るのじゃ。
何故なら人は誤った認識により、苦をもたらす縁起に自我を投射し、自分は苦を受けている、苦は自分のものであると感じているのが、観察によって客観性を保ち、苦を我がものとする誤謬がら離れるからなのじゃ。
阿頼耶識は心のあらゆる作用に自我を投射しておるから、心の作用によって生じた苦にも、必然的に自我を投射し、苦は我である、我がものであると認識させる。
それらの苦を厭離させる観察は、阿頼耶識の作用を止める力があるのじゃ。
観察は観察するものと、観察されるものの間に距離を作り、何が客体であるかを如実に認識させる事が出来るのじゃ。
観察によって苦を単独で厭離する事も出来る上に、苦を離れたものとしての自我に気付く、観照も起き易くなるのじゃ。
939 :
神も仏も名無しさん:2008/01/11(金) 21:49:27 ID:SZaYbR55
>苦は我である、我がものであると認識させる。
これれす。
人生楽ありぁ〜♪苦もあるさぁ〜♪
なるほど、鬼和尚の教えは観察、そして観照へ、ですか。
今、初めてテンプレ読んだw
今日はプライベートで12時間もの間、不快かつ不運な状態に居続けたけど、心理的にはノーダメージでしたね。
疲れも全くなかった。
これも観照のおかげか?
うん、たぶんそうだ。
>942
本当にダメージをケアしたい、悪影響を嫌うなら
3日後くらいまで気をつけて。