617 :
298:2008/01/13(日) 04:07:35 ID:5YejBOoP
掟によれば、他宗他派の誹謗はできないのです。
私のように、掲示板にて書いたりしている者は、
ますます気をつけねばならぬと反省しております。
ですから、共に求めたい方には、あれこれお話したいこともございますが、
方向性が違うのであれば、あまり、あれこれ言いたくありません。
典拠典拠とおっしゃいながら、他派の誹謗を為すことも、
おかしなことです。
618 :
熊本:2008/01/13(日) 11:20:58 ID:vSC1eyXm
298さんへ。
なぜ「信心を獲ていますか?」という問いが基本になるのでしょうか?私にはよく分かりません。
自分自身の信心の有無こそが問題であって、他人の信心の有無は計り知れないものであり、仮にお相手が信前の方であろうと、自らがその方を導く事など凡夫である私たちには出来はしないでしょう?
「あなたのお聞かせ頂いておられる信心とは、お味わいとは、いかなるものでしょうか?」という問いかけならば分かりますが。
私の誤解ならそれでいいんですが、あなたの過去の発言には「信心の無き者とは話にならない」といったニュアンスが感じられました。
だからこそ私はこだわる訳です。
お取り次ぎは他人の為のものではなく、私自身の為のご縁。ならば、何故お相手の信心の有無にそこまでこだわる必要があるのでしょうか?
私はあまり頭のいい方ではありませんので、出来れば御文章などの引用ではなく、ご自身のお味わいをご自身の言葉で語って頂けると幸いです。
619 :
7:2008/01/13(日) 11:32:27 ID:2vEow7B2
横レスごめんなさい。
妙好人スレを立ててもらったのは、信心の沙汰をするためです。
ですからスレタイは【信心の】妙好人と学ぶ【沙汰をせよ】にしたほうが良かったかな、とも思っています。
しかし浄土真宗、信心獲得の文字は求めておられる方が検索するときのことを考えると絶対にあったほうがいいですよね・・
・・・最初のテンプレに信心の沙汰をせよ、と書いておくことにしたいと思います。
このスレとしては、書き込まれる方の信心の有無に徹底して拘っていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
620 :
298:2008/01/13(日) 18:25:52 ID:uVbvOqWv
>>618 >私の誤解ならそれでいいんですが、あなたの過去の発言には
>「信心の無き者とは話にならない」といったニュアンスが感じられました。
>だからこそ私はこだわる訳です。
熊本様。本当に私の主観であるのですが、
私は熊本様から、真摯な気持ちを感じるのです。
真摯な方のご不審には、何の問題がありますでしょうか。
誹謗のための問いには、あまり意味がないようにも思いますが、
お聖教にも、「誹謗もまた縁となる」のような意味のこともございますので、
一概に否定もできないのであると思っております。
「信心の無き者とは話にならない」と熊本様がお感じになられますのは、
「信心の無き者がお手引きをしようとするのは、もっての他」という
私の考え方に原因があるのではないかと思います。
しかし、「信心の無き者とは話にならない」ということですと、
信心を求める方まで否定されてしまいます。
信心の無き方をこそ、救わねばならないのです。
信心無き悪人こそが正客でございます。
621 :
298:2008/01/13(日) 18:26:24 ID:uVbvOqWv
私が否定しておりますのは、あくまでも、自障障他です。
信心をいただいていない方が、信心を求め、不信であるからこそ、
不審を問うことは、これは歓迎されるべきことです。
私はここで、「お話にならない」方について、2種書いています。
ひとつ目は、
1)信を獲ていないのに、他を導こうとする方
ふたつ目は、
2)信を獲ておらず、信を求めてもいない方
です。
1)の方には、「信を獲てから、お導き下さい」と申し上げます。
2)の方には、「信をお求め下さい」と申し上げます。
いずれにしても、信心為先を申し上げます。
しかし、このように申し上げるわけですので、
「お話にならない」わけでもございませんで、
お話したい内容もあるわけでございます。
それはあくまでも、信心為先です。
そして、それがわからないであろう方には、
方便のお話を致します。
ですけれども、こちらのスレッドにおいては、
なるべく、真宗の要に近いところをお話してゆきたいというのが、
私の望みです。しかしそれも、凡夫のはからいに過ぎませんので、
流れに任せる他ございません。
この書き込みは、私の思うところを述べておりまして、
熊本様のお問いかけに、十分にこたえていないと思います。
また、今晩にでも、書き込むように致します。
622 :
神も仏も名無しさん:2008/01/13(日) 20:58:23 ID:/ihqoxdi
>612
大きくとらえれば、「正しい道理」「正しい理法」でした。お詫びして訂正いたします。
これは直訳です。また、中村辞典に依っています。
出拠は『雑阿含』等、各所にあります。
正法を仏法と定義するのは『論註』に依ります。
仏教は救われれば良いと言う教えではありません。
悟りの理法・目覚めた人=仏の道理に基づかねば、仏教ではなく、
単に救済教とでも言うべきかもしれません。
出拠は、その宗旨が仏教であることを証明するために欠くことができません。
「真実の教を顕さば『大無量寿経』これなり」とあるように、
親鸞聖人も出拠を肝要とされておられるのはご存じのことと思います。
(『教行信証』自体ほとんど引文で構成されていますよね)
出拠を明確に押さえることは、大変重要事なのです。
仏教はお釈迦さまの教えなのですから(ここでは、大乗非仏説はひとまず置いておいて、
親鸞聖人の受け取られた浄土真宗を前提とします)。
では、再度お尋ねします。「宿善の機=救いを求める者」の出拠は他にありますか?
623 :
298:2008/01/13(日) 21:01:47 ID:uVbvOqWv
>>622 やっと内容に進まれたようで、うれしく思う次第です。
よっぽど私の文体が悪いのだと思います。
先に進めてくださいましたことに、感謝致します。
今書き込む時間がございませんで、夜に書き込みたいと思います。
また、できますれば、簡単なもので構いませんので、
HNをお定めくださいませ。過去の発言を検索するのが、
大変なのです。
624 :
298:2008/01/13(日) 21:09:23 ID:uVbvOqWv
>>622 よろしければ、一点確認したいことがあるのですが、
あなた様は、真宗を否定されている方(真宗は、仏法でないという立場の方)なのでしょうか。
それとも、真宗は良いと思うけれども、私が書いていることが、
真宗の正意と異なると感じている方なのでしょうか。
どちらの方であるかによって、私がまずお書きしたいことも変わって参りますので、
お答えいただけるならば、うれしく思います。
625 :
神も仏も名無しさん:2008/01/13(日) 21:52:31 ID:/ihqoxdi
>624
勉強不十分な私は「宿善の機=救いを求める者」と言う事を、
お聖教で拝見した事が未だかつてありませんでした。
故に、何処にそのようなお示しがあるのか、お尋ねしているだけです。
覚如上人のお示しか、蓮如上人のお示しか、それとも親鸞聖人のお示しにあるのか、
その出拠を挙げていただきたい。唯この一点です。
626 :
神も仏も名無しさん:2008/01/13(日) 22:37:25 ID:dnm5xxep
議論の前に
まず、阿弥陀(キリスト教はじめ、他の宗教における神)についての基本的合意が必要だと思うのだが?
627 :
神も仏も名無しさん:2008/01/13(日) 22:38:13 ID:dnm5xxep
他力なんだろ?
628 :
ROM人:2008/01/13(日) 22:45:50 ID:9WqtvJs5
基本的合意はすでにあると思いますよ。
今行われているのは、かなーり的を絞った議論です。
629 :
ROM人:2008/01/13(日) 22:47:02 ID:9WqtvJs5
と書いたけど自信なくなってきた。上の発言はスルーしてください。
ではROMに戻ります
630 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2008/01/14(月) 01:11:56 ID:q5HWNZuM
>620-621
>信心無き悪人こそが正客でございます。
こういうことは、信心ができてから言って欲しいものだ。298さんの発言は、信心の
ある人が言えば至極尤もなんだけど、信心の無い人が言えば、噴飯物の馬鹿話になる。
298さん。貴方は信心のある人なのか、信心の無い人なのか。298さん自身は自分
で信心があると思っているんでしょう。ところが、貴方に問答をぶつけている人は、おそ
らく名無しさんも、熊本さんも298さんには信心はなさそうだと思ってるんじゃないの
か。ぼくはそう思うよ。なんなら、率直に聞いてみるといい。「298は信心がある人の
ように、貴方には思えますか」、と。
298さんに信心があると思っている人も確かにいるようです。このスレを見ている人
の中でも、多分7さんと、263さんなどは298さんを信心のある人だと思っているよ
うだ。
まあ、他人(名無しさん、熊本さん、7さん、263さん)のことについて、僕が、あ
あでもないこうでもないと勝手に想像していうのは、不遜極まりない。外れている可能性
は大ありだ。少なくとも、僕は298さんに信心など無いだろうと思っている。信心などない
と僕が貴方に思っている根拠も、聞かれればすぐに言う準備がある。
298さんを「信心のある人」と思える人には、620-621などの話は真っ当な意見だと
思う。ところが、298さんには信心がないと思える人には、620-621のような意見は、
トンチンカン以外の何者でもない。
信心があってこそ言えることは、まず、自らの信心の証を示してから言って欲しいと僕
は思う。それは僕だけの感想だろうか。他の人はどうなんだろう。少なくとも、298に
は信心がなさそうだと思っている人には、298さんの主張は非常に反発を感じる。僕が
見て620-621は非常に見苦しい。
631 :
298:2008/01/14(月) 01:28:35 ID:W538q9Wq
>>622 >大きくとらえれば、「正しい道理」「正しい理法」でした。お詫びして訂正いたします。
>これは直訳です。また、中村辞典に依っています。
>出拠は『雑阿含』等、各所にあります。
>正法を仏法と定義するのは『論註』に依ります。
このようにおっしゃるということは、改邪鈔を解釈するときに、
改邪鈔以外の典拠を用いても良い、ということでよろしいのでしょうか。
私は、お聖教は相互に関連していると考えておりますので、
改邪鈔を解釈するときにも、他の出典に依って問題がないと考えております。
なぜなら、同一の弥陀の救いについて説いているものだからです。
また、私が
>>624においてお尋ねしていることについてお答えがありませんので、
「真宗は仏法である」という立場で論を進めて参ります。
(これは、このスレの趣旨を考えれば、妥当であると私は考えます。)
親鸞聖人によれば、
◎それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり。この経の
大意は、弥陀、誓を超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れんで選んで
功徳の宝を施することを致す。釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群
萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲すなり。ここをもつて如来の本
願を説きて経の宗致とす、すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり。
でありますので、御開山当流におきまして、
釈尊一代の教説、縮めれば、「仏の名号」となるのであります。
これは、お認めいただけるのでしょうか?
無論、他宗の方であれば、認めていただけなくても、仕方ありませんし、
私は、「仏説に虚妄無し」と思っております。
如法に修行すれば、他宗でも、あくまでも仏法です。
滅度に至ることは、当然であると考えています。
632 :
298:2008/01/14(月) 01:36:53 ID:W538q9Wq
>>624において、私が問いましたのは、
>>622 >仏教は救われれば良いと言う教えではありません。
>悟りの理法・目覚めた人=仏の道理に基づかねば、仏教ではなく、
>単に救済教とでも言うべきかもしれません。
を読みまして、浄土門と聖道門についてのあなた様の考えを、
問いたいと思ったのです。
ひょっとしましたら、「浄土門は仏教に非ず」という方なのかも
しれないと思ったのです。
それと、できましたらば、HNを定めてくださると、
とても助かります。
話しを進めてゆく上で、発言者を同定できることも助かりますし、
過去の御発言を検索する上でも助かります。
あなた様は、勉強不十分だからお尋ねしたいとのことですが、
以前の御主張は、あなた様は、厳密に聖典を読んでおり、
私の主張は全くお門違いで、検討にも値しない、
というような態度であったように記憶しております。
勉強不十分なのは、私も全くその通りでございますが、
あなた様は、以前、あなた様の勉強は十分であるとお考えのように
とれる表現をされていたと思います。
これは、心境に変化があったのでしょうか。
それとも、ただ、あまり意味のない挨拶のようなものとして、
本音ではなく建前として、「勉強不十分」とおっしゃっているのでしょうか。
もし、勉強不十分同士であることは仕方ないけれども、
それでも意見を交わすことにより、互いに成長があるかもしれないという
ことでありますならば、HNを定めることに、ご協力いただけないでしょうか。
それとも、HNを定める手間には値しないというお考えなのでしょうか。
633 :
298:2008/01/14(月) 01:42:09 ID:W538q9Wq
>>630 渡海様。他の方が、私に信心が無いと思うということを、
特に私は問題としておりません。
他人様に認めてもらう必要は、無いからです。
私としても、私の思い込みで無いということを、
どうやって、自分自身(私自身)に示したら良いのですか。
自分に対してもできないことを、人様に対して
どうやってできるのでしょうか。私には、それは無理だと思います。
正法を誹謗する事は、よくないことですが、
私を批難したからと言って、それがたいしたことになるとは
思えませんし、批難されても仕方ないような私です。
証を出せと言われても、実際出せないのですから、
批難されても、どうしようもありません。
そもそも、「信心の証」とは、何なのでしょうか。
どのようなものを、想像されていらっしゃるのですか。
634 :
298:2008/01/14(月) 01:49:15 ID:W538q9Wq
>>618 >お取り次ぎは他人の為のものではなく、私自身の為のご縁。
>ならば、何故お相手の信心の有無にそこまでこだわる必要があるのでしょうか?
それは、このスレの趣旨が、未信の方が、妙好人に学び、自身も獲信するための
ものであるからです。
なぜ、妙好人でなければならないのか。
それは、未信の方に導かれることは、もうこりごりだからだと思います。
自分も信が獲れていないのに、「ああじゃない、こうじゃない」と言ったところで、
その方について行って、どうして信がいただけましょうか。
獲信者と名乗る方でも、真偽があるでしょう。
しかし、そもそも信を獲ていない方であるならば、未信の方を導く資格がありません。
635 :
298:2008/01/14(月) 02:02:15 ID:W538q9Wq
>>619 そもそも私がこちらのスレッドに興味を示したことも、
スレタイによるのです。
求めている方がいらっしゃるのだろうと感じました。
求める方がひとりでもいれば、たとえそこが地獄でも、
本来行かねばなりません。
「信心為先」と聞いておっても、真に受けない、本気にしない方が
ほとんどであるだろう中で、このようなスレッドを作ること自体が、
問題提起のようなものであり、それ自体がメッセージであると思うのです。
他所で書いていたときにも、私のようなこと(信心の有無を問う)をすれば、
「(ある真宗の派では)糾弾に合いますよ」とおっしゃった方がおられました。
その方の発言内容が、本当のことなのかどうか、私には経験もないので
わかりません。
しかし、その方の発言内容が嘘だとしても、その方ひとりの発言だけでも
嘆かわしいことであると私は感じました。
あくまでも、私の個人的な感想です。
636 :
298:2008/01/14(月) 05:03:53 ID:W538q9Wq
>>618 熊本様。「信心を獲ていますか?」という問いが基本になるのは、
信心を獲ることこそが肝要であると思っているからです。
真宗では、信心こそが往生の正因であって、
この一点こそが大切です。
信心を獲ていない方には、信心を獲てもらわねばなりません。
信を獲たかどうかが、ものすごく大切なのです。
これにより、凡夫が弥陀の浄土に往けるかどうかが決まるのです。
もちろん、そもそも浄土往生を望んでいない方に対しては、
「信を獲ていますか?」ではなく、弥陀の救いとはどのようなものなのか、
あるいは、定散の善から、あるいは、八正道から、あるいは、四諦から、
あるいは、七佛通戒偈から、お話をはじめなければならないと思います。
そして、自らが信を獲たら、有縁の方に信を獲っていただくことは、
佛恩報謝になると考えます。
浄土に往くまで時間があり、御恩報謝のために何ができるのかと言えば、
御恩報謝の南无阿彌陀佛です。
それから、引用ではなく、とのことですが、ご参考にされる方も
いらっしゃるかもしれませんので、ひとつ引きます。
どうかご容赦ください。
◎信をとらぬによりてわろきぞ、ただ信をとれと仰せられ候ふ。
善知識のわろきと仰せられけるは、信のなきことをわろきと仰せらるるなり。
しかれば前々住上人、ある人を、言語道断わろきと仰せられ候ふところに、
その人申され候ふ。なにごとも御意のごとくと存じ候ふと申され候へば、
仰せられ候ふ。ふつとわろきなり、信のなきはわろくはなきかと仰せられ候ふ
と云云。(聞書186)
637 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2008/01/14(月) 11:29:47 ID:q5HWNZuM
>>633 >他の方が、私に信心が無いと思うということを、特に私は問題としておりません。
まあ、そうなんでしょうね。信心がないと言われれば、猛烈に噛みついてるときもある
が、今回のように、冷静になっているときもある。そういうことでしょうね。人の心は千変万化
しますからね。
>他人様に認めてもらう必要は、無いからです。
よく分かります。疑城胎宮のなかでは喩え金の鎖で縛られていても、たった一人の世界
では邪魔する者のないお天下様でいられる。大変心地よい世界だそうです。
他人から見れば大変不便な世界だろうと思っても、ご本人は大変お幸せでいらっしゃる。
ここから抜け出るのは大変だ。500年かかるそうだ。
>私としても、私の思い込みで無いということを、どうやって、自分自身(私自身)に示したら
良いのですか。
思いこみであれば、思いこみでないということを示す方法などは、世の中にあるはずも
ありませんね。
>自分に対してもできないことを、人様に対してどうやってできるのでしょうか。私には、それ
は無理だと思います。
思いこみではないなどと、自分に対して偽証できない以上、他人に対して偽証などでき
るはずはありませんよね。
>証を出せと言われても、実際出せないのですから、批難されても、どうしようもありません。
そうそう。無い袖は振れぬ。思いこみでないなどという証など、出せるわけありません。
638 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2008/01/14(月) 11:31:21 ID:q5HWNZuM
>そもそも、「信心の証」とは、何なのでしょうか。
さあ、貴方の場合には何になるのでしょうか。信心の証は、貴方に信心が獲得できた
ときの貴方にしか分からないことだろうと思いますよ。
>どのようなものを、想像されていらっしゃるのですか。
さあ、どのようなものになるんでしょうか。今から楽しみにしているんですよ。
298さんには信心がない。まあ、実際は信心があるのかも知れませんよ。信心がないように
見えるというのは、僕の勘違いかも知れない。僕の勘違いかも知れないが、298さんには信心
がないと僕は思っている。このスレには、298さんには信心があると思っている人もいるよう
だが、無いと思っている人は、どうも僕だけではなく、複数いそうだ。
信心のある人が言えば極めて妥当だが、信心の無い人が言うとやけどする主張というのがある。
確かに、親鸞聖人や蓮如上人が言えば、実に核心を突いている言葉というのがある。しかし、善
証や善鸞などが言えば、鼻持ちならん言葉になるものがある。善証とは、北の郡に住んでいた人
物で、親を罵り、善信を誹謗し、鎌倉政府から念仏禁止令を公布させた中心人物である。善鸞と
は、十八願を萎んだ花に喩え、親鸞が義絶した親鸞の長男である。彼らには信心がなかった。信
心のない人が言えば、鼻持ちならんことになるものがある。
信心のない人が言っても他の人々にすぐ受け入れて貰える話はいくらでもある。しかし、信心
のない人が言えば鼻持ちならなくなる言葉がある。これは注意した方がいい。自分は信心がある
から何を言ってもいいんだと思えば、大きな間違いを冒す。
話し手には信心があると言うことを、聞き手も受け入れている場合には、言ってもおかしくな
い。しかし、信心がなさそうだと思っているような聞き手には、発言は控えるべきだろう。無用
の混乱を招く。あくまでも、信心のない人が言っても受け入れて貰える話をする。あるいは、自
分には信心があることを先に聞き手に立証し、話し手には信心があることを聞き手に了解させて
から言う。手続きが必要だ。手続きを間違えると混乱する。
信心なんてそんなたいそうなもんじゃないだろ。
ようはあの世や仏様、魂の存在を是認できるか、どうかにすぎない。
単純なことだよ。唯物論が少数派の時代の昔の人や妙好人といわれる人は、これが容易にできた。
みんなお互いに
「あいつの信心はニセモノ」、「あいつには信心がない」と裁きあっている。
浄土真宗を究めると白蓮華じゃなくて閻魔大王になるんだね
641 :
熊本:2008/01/14(月) 13:43:17 ID:ASsFB+A9
298さんへ。
まず、渡海さんの質問に対するお答えには共感いたします。私も信心の証など示せるはずはないと思います。
信心とは理屈や理論ではなく、心の動きであり感情です。心の証など私は示せるものではないと思います。
ですから当然、他人の信心の有無など分かるはずもありません。
また、信心正因である事くらいはもちろん私も重々承知しております。
私が再三お聞きしているのは、自分自身の信心の有無ではなく、他人の信心の有無にこだわる必要がなぜあるのか?と言う事です。
その理由が知りたいのです。
その理由としてあなたは他人を導かねばならないと言う事を仰いました。それならばこの件に関して私はもう何もお聞きしたい事はございません。
他人の信心の有無にこだわる必要があるのか?否か?という意見の違いが生じた理由がはっきりしました。
私とあなたとでは、決定的に考えに違いがあります。
私は自分自身も含めて凡夫を導いて下さるのは阿弥陀様であり、凡夫ではないと思っています。
善知識の話とも繋がりますが、あくまで我々凡夫はお相手にとっての阿弥陀様のご縁のパイプ的な存在でしかありません。
お相手を照らし育てて下さり導いて下さるのはそこに流れて下さる阿弥陀様のご縁と言う名の水です。
仮に私が今生で悟りを得ており、完全な対機説法が出来るのならば、他者を導く事も出来ましょう。
ですが、残念ながら私が私としてこの世に生きている間は、往生は決定させて頂けると思いますが、悟りは得られませんし、対機説法も出来はしません。
ですから、私には他者を導く事など到底かないません。
どちらが正しいとは言いませんが、私とあなたとは考えに決定的な違いがあります。
それがはっきりしましたので、私の疑問は私なりに解消しました。
ありがとうございました。
642 :
熊本:2008/01/14(月) 13:53:15 ID:ASsFB+A9
渡海さんへ。
私は298さんだけでなく、他人の信心の有無など分かりません。また、そのような事にはあまり興味はありません。
私は私自身のお味わいを深めさせて頂けるなら、お相手が信心を起こさせて頂いた方であろうと、そうではなかろうと、そんな事はどうでいいです。
そこは誤解のなきようお願いします。
643 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2008/01/14(月) 15:46:14 ID:q5HWNZuM
>>642 >そこは誤解のなきようお願いします。
はて?。どこぞに誤解でもありましたか。もし、こちらに気づかぬ誤解があったとし
たならを申し上げた。
>他人の信心の有無など分かりません。また、そのような事にはあまり興味はありません。
前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざ
らしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり、と(親鸞)。
熊本さんは、どこのどのような方が存じません。私は、正真正銘の在家ですから、他人様の信
心の有無などに興味がなくても構わんのですが。熊本さんがもしお坊様なら、お坊様とは実に楽
なご商売でございますね。私自身のお味わいを深めさせて頂けるなら、前を訪うことは必要がな
い。後を導くことにも興味がない。社会に対して責任もない。使命もない。そういうことでしょうか。
もし、熊本さんがお坊様でなければ、想像で大変失礼なことを申し上げてしまった。 m(_ _)mスマン
644 :
298:2008/01/14(月) 15:58:50 ID:M4dcHxhb
>>641 熊本様。たとえ信を獲ても、ひとりもお手引きしなくても、何の問題もないと
私は思います。還相廻向となった後に、済度すれば良いことだからです。
私の場合は、信をいただく前に、「いくら掟があるとは言え、何も言ってくださら
なければ、何もわからないし、信をいただく縁を得ることができないではないか」
と思っていました。
また、「信を獲ていない方に話しを聞いても、信を獲ることできないだろう」
と思っていました。
この自分自身の気持ちがございましたので、「信を獲たらば、自信教人信を行おう」と、
信心得る前から考えておりました。その気持ちが、継続してございます。
ただしもちろん、これは私の場合です。
私の考える信心では、通常の意識の方が信をいただいたのであれば、
「南无阿彌陀佛のすがた」とは何か、はっきりとわかるのです。
「次第相承の善知識」の意味もわかり、その役割もわかり、
信をいただきたい宿善開発の行者が10人いれば10人、
100人いれば100人、全員例外無く救われ、信をいただけるということも
わかるのです。
また、私自身を信じてくださる方が、もしいらっしゃるならば、その方々にも、
例外無く信を獲っていただけます。なぜなら、それは弥陀の仕事だからです。
お手引きとは、そういうことです。
私にとっては、味わいの深い浅いは、おまけのようなものです。
信心を獲たかどうかが重要なのです。
味わいが浅くても、信を獲たらば極楽往生治定、
味わいが深くても、弥陀をたのまず、信を獲ていないならいたずら事です。
南无阿彌陀佛
645 :
298:2008/01/14(月) 16:20:06 ID:M4dcHxhb
>>641 味わいというのは、文学的感性や、宗教的感性に依存するものであると
思います。
弥陀は機を問わず救ってくださるのですから、救われたよろこびを
うまく表現できないとしても、何の問題もありません。
内心に秘めていて、何の問題もありません。
ただ、お講においては、まわりの方のためにも、自分のためにも、
表してゆくことが奨励されているだけで、それは義務とは異なると思います。
もちろん、後念相続において、よろこびを深めて行くことも、
真宗の楽しみとして、楽しい日暮しのために、価値があることだと
思います。
しかしそれは、信心の有無と比べるならば、ささいなことです。
もちろん、そのささいなことにこだわりながら生きるのが、
我ら凡夫であると思います。
ですから、信後の相続も大切になるのだと思います。
646 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2008/01/14(月) 17:02:24 ID:q5HWNZuM
>643
誤 あったとしたならを申し上げた。
正 あったとしたなら失礼を申し上げた。
647 :
神も仏も名無しさん:2008/01/14(月) 17:14:08 ID:eBYVGjH6
>渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
お ま え こ こ お か し ー ん じ ゃ ね ー か
,,-‐----‐、 , -'"` ̄ ̄"`''-,__, --‐‐-..,
/ 、゙ヽ、 ‐-'´ ヽ‐- / / ヽ
,/´ .., ヽ,,l_)' zェェェァ' ;rfァt ヽ ,ト/ / ヽ
/ ヽ,r' ,l′ _,,, . __,, ,l゙.-〈__r,'、 ヽ_
_.l ヽ」 ,l .イてソ` l イにj`,/ ゙‐ヽ、_,, /l
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648 :
熊本:2008/01/14(月) 22:28:04 ID:ASsFB+A9
渡海さんへ。
え〜っとですね、私が他人の信心の有無に興味がないと言っているのは、私の誤解だったようですが、298さんが「信心の無い者とは話にならない」と思っておられると感じたからです。
他人の信心の有無を話をする前提条件になさっておられると私が誤解していたからです。
あくまで私が他人の信心の有無など問題ではないし、興味がない、と言ったのは、話し合いをする際にそんな事を前提条件にする必要はないという意味で言った訳です。
それにあなたは信心のある人とない人では同じ事を言っても違ってくるという内容の発言をなさっていましたね。
私の先程の書き込みでの発言は、そうは思わないから言ったのです。
お相手が信心獲得させて頂いた方であろうと、そうではなかろうと、そこに阿弥陀様のご縁を感じさせて頂くならば、そんな事は問題ではないと私は思うからです。
649 :
熊本:2008/01/14(月) 22:36:06 ID:ASsFB+A9
また、私が他者を導く事など出来はしないと言う発言がお気に召さないようですが。
以前にも申しましたように、私は他者を導く事など凡夫である私には出来はしないと思っています。
確かに私は僧侶ですよ。私は日々、門徒さんに精一杯ご法話をさせて頂いております。
なぜなら、有縁の門徒さんと共に喜びを分かち合いたいと思うからです。
しかし凡夫である私に、正見も正思惟も正語も正業も出来ない私に、他者を正しい道へと導く事など出来るでしょうか?
あまり善鸞さんの話を持ち出すのは好きではないのですが…。
誰もが信心獲得させて頂いた方だと思われている親鸞聖人でさえ、結果的には我が子善鸞さんを正しい道へと導く事は出来なかったと言えるかと思います。
何故だと思われますか?
私はこう思います。
親鸞聖人はご自身のお聞かせ頂いたみ教えをそのまま善鸞さんにお伝えされた事と思います。
ですが、善鸞さんの心(受け皿とでも言えばいいでしょうか?)と言う名の因と、
親鸞聖人のお話やその他の様々な影響と言う名の縁が合い集まって出た結果は、親鸞聖人の想いとかけ離れたものとなったのでしょう。
何が言いたいかと言うと、親鸞聖人のお言葉に間違いはなくとも、それを受ける側の機に宿縁による耳がなければ、信心と言う名の花は咲かないと言う事です。
正しい法に遇う事はかなっても、正しく法を聞く事がかなうとは限りません。
そして、それは私たち凡夫には計りしれず、どうしようもないと思います。
ですから、私は精一杯お話はさせて頂きますが、他者を導く事など出来はしないと思う訳です。
650 :
熊本:2008/01/14(月) 22:45:32 ID:ASsFB+A9
298さんへ。
ひとつ気になる表現がありましたので、一応確認のため質問させて頂きます。
例えば、厳密に言えば私は親鸞聖人を信じているのではありません。
親鸞聖人のお言葉を通してお聞かせ頂いた阿弥陀様のみ教えを、本願を信じさせて頂いております。
あなたは親鸞聖人を信じていますか?それとも阿弥陀様のみ教えを本願を信じていますか?
失礼な質問だと思いますが、お許し下さい。
651 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2008/01/15(火) 00:41:58 ID:YKGWVO+E
>>648 議論の中に割ってはいるのをしばらく控えます。スレを見ている人が、議論の流れに混乱しそ
うなので、今回はノーコメントにさせてください。
熊本さんと僕とは、立っている考えの基盤が違いすぎる。上辺では共鳴できる部分もあるんで
しょうが、心底では多分できないでしょう。議論が混迷する前に、僕はしばらくROMに入りま
す。
熊本さんに対する思い以上に、僕は298さんにはいろいろ言いたいことがある。僕の感じで
見て、298さんは信心がない。今の僕はそう思っている。その上で、298さんが信心のある
ようなことを言っていることに、僕は今、抵抗感を覚えている。
ただ、これもいまこれを出すと話が混乱するので控えます。議論のお鉢が僕に回ってくるか、
あるいは僕の欲求不満が頂点に達するかしたら、そのとき放出するかも知れないけど、とりあえ
ずは仕舞っておきます。
298さんとは、じっくり話ができる機会が来るといいなと今の僕は願っています。
652 :
298:2008/01/15(火) 00:47:16 ID:QccSb9f4
>>650 熊本様。決して失礼ではないと思いますから、安心して質問ください。
大切なところだと思います。
まず、信には自力の信と、他力の信があります。
自力の信というのは、凡夫の迷情を練り固めたようなもので、
たいして価値がありません。往生の正因にもなりません。
この信において、私は、親鸞聖人を信じてますし、
親鸞聖人は弥陀の生まれ変わりだと思いますし、
弥陀のみ教えも、本願も信じているわけです。
「信じようとしている」と言っても構いません。
そして、信じようとしても、疑いも残ります。
しかし、これは所詮は凡夫の信であり、自力の信です。
たいした価値もありませんし、
こだわりのもとですし、煩悩のもとです。
しかし、多くの方は、教義にもとづいてこの自力の信を
調節しようとして、苦しんでいるように見えますが、
そんなものは、どうでも良いのです。
信じようが、疑おうが、いずれにしても、
たいしたものではありません。
もうひとつ、私は他力の信をいただいています。
これは、何を信じるとか、何を信じないとか、
そういう種類のものではありません。
弥陀の本願による、真実の信心です。
清浄で、金剛のものであり、こちらは、はかり知れない価値があります。
ですから、よろこんでいるのです。
南无阿彌陀佛
653 :
298:2008/01/15(火) 01:08:36 ID:QccSb9f4
>>650 >しかし凡夫である私に、正見も正思惟も正語も正業も出来ない私に、
>他者を正しい道へと導く事など出来るでしょうか?
もちろん、聖道の道を導くことは、凡夫にはできないでしょう。
しかし、弥陀の救いを獲てもらうように、導くことはできます。
というよりも、できねばなりません。(それが、信を獲ているという
ことだからです。)
これは、救うのが凡夫である自分だからではなく、
弥陀だからできるのです。
弥陀の救いは、聖道門とは違います。
自分があさましい凡夫だからこそ、
同じく凡夫の方も、救われる道を示すことができます。
弥陀の無上方便により、凡夫が白道を歩み出し、
いずれは滅度に至るのです。
654 :
298:2008/01/15(火) 01:11:11 ID:QccSb9f4
>>653 >しかし、弥陀の救いを獲てもらうように、導くことはできます。
と書きましたが、これは、誰でも引接できるわけではありません。
あくまでも、相手の方に宿善がある場合に限ります。
しかし、宿善の機であり、救いを求める方であれば、
全員弥陀に救っていただくことができます。
信前の方は、南无阿彌陀佛が何かを知りません。
「真実信心とは、南无阿彌陀佛ですよ」と言われても、
訳がわからないはずです。
そこからいろいろなことを想像してしまい、
難しく考えているだけです。
655 :
298:2008/01/15(火) 01:19:52 ID:QccSb9f4
>>651 しばらくROMに移行するとのことですが、お返事致します。
また、気が向きましたら、書き込んでください。
>熊本さんに対する思い以上に、僕は298さんにはいろいろ言いたいことがある。
>僕の感じで見て、298さんは信心がない。今の僕はそう思っている。
>その上で、298さんが信心のあるようなことを言っていることに、
>僕は今、抵抗感を覚えている。
私の現状を見て、「獲信したと言っても、こんなものか」ということで、
疑問に思われ、「ということは、信を獲ていないのだろう」と思われても、
全く自然のことであると思います。
私はあくまでも凡夫であり、信心いただいても、凡夫であることに
変わりはありません。
信心いただいて、急に善人に早変わりするわけではありません。
凡夫のままなのです。
凡夫のままで、それでも、何かが変わります。
(これを、「何も変わりません」と表現する獲信者の方もいますが、
私は、「何かが変わります」という表現を好みます。
信を獲たのですから、やはり変わると思います。
何より、安堵します。求道のゴールに辿りついたのですから。)
私はあくまでも凡夫に過ぎず、信心の体は、南无阿彌陀佛なのです。
南无阿彌陀佛は、体でありながら、用でもあります。
正に、機法一体のものです。
いずれ、お話する機会もあれば、さらにつっこんだお話もできるでしょう。
つっこんだお話をすれば、「やはり信など獲ていなかった」と失望される
可能性も高いと思いますが、私がどれほど浅ましくて醜くても、
それでも、弥陀の信心は真実なのです。
656 :
熊本:2008/01/15(火) 01:53:14 ID:j/0u5+do
渡海さんへ。
ROMに入るとはどういう事なんでしょう?
いまいちよく分からないんですが。
文章から察するに、しばらくここに来られないという事なんでしょうか?
657 :
熊本:2008/01/15(火) 01:56:19 ID:j/0u5+do
298さんへ。
あなたの仰る通り、道を示す事は可能かと思います。
私がお聞かせ頂いたみ教えをありのままお伝えさせて頂く事は出来ると思います。
ですが、これも厳密に言えば本来の私には無理な話です。
あくまで私は阿弥陀様のお陰さまで道を知らせて頂きましたし、その道を示したくともお相手に恵まれなければ示しようがありません。
聞き手も話し手も(こうやってわけて表現する事自体あまり好きではないのですが)お相手に恵まれたのは阿弥陀様のご縁によると思っています。
つまり、私は阿弥陀様のご縁なくしては導くどころか、示す事すら出来ない、何一つ出来ない存在なのですから、
私の伝道活動を他者を導くと表現する事にとても違和感を感じます。
確かに、私もお陰さまで多くの門徒さんとのご縁を頂いておりますので、
ひょっとするとお一人くらいは私を通した阿弥陀様のご縁によって信心獲得させて頂いた方もいらっしゃるかも知れません。
しかし、それはあくまで結果的に私が導いたかのように見えるだけで、実際は私が導いたとは思えません。
やはり私は「導く」と言う表現は、阿弥陀様のみに該当する表現であると思っています。
おそらく、私とあなたの「導く」や「示す」といった言葉の認識が多少違うのではないかと思います。
以前にも申しましたように、私は頭のいい方ではありませんのでうまく説明は出来ませんが…。
出来れば、先程の渡海さんへの書き込みの善鸞さんの話の部分に書きました内容とあわせてご覧頂けると助かります。
658 :
298:2008/01/15(火) 01:58:24 ID:QccSb9f4
>>649 熊本様。それから、
>私が他者を導く事など出来はしないと言う発言
ですけれども、熊本様が、「他者を導く事など出来はしない」と思っていたとしても、
それでも、やはり我らは凡夫ですから、名利を求める気持ちも、人師になろうと
する気持ちもあり、他者を導こうとしてしまうものだと思います。
現に、今も熊本様は、私を導こうともされていると私は思います。
これは、批難しているわけではなくて、我らは凡夫ですから、
どうしてもそうなってしまうでしょう? という意味です。
もちろん、失言しないように気をつかい、自らは「人を導こうとはしていない」という
立場であると主張することはできるのですが、日常生活を、観察してみれば、
やはり、人を導こうとはされていませんか? 私は、そんなところばかりです。
もちろん、熊本様は、私よりは立派でしょうけれども、それでも、
知らず知らず、導こうとされているときがあると思います。
もしそうでなければ、私など足下にも及ばぬ、聖道も修せる尊い方だと思います。
659 :
298:2008/01/15(火) 02:30:40 ID:QccSb9f4
>>657 熊本様。私は、熊本様のこだわる言葉づかいを否定したいわけでありません。
「導く」と言うと、たぶん傲慢に響くということで、
謙虚なお人柄から、抵抗を感じるということだと思います。
私の価値観からすれば、「多くの門徒さんとご縁をいただいて、
ひょっとしたらお一人くらいは信心獲得させていただいた方も・・・」
ということで、「それでいいのだろうか?」と思いますし、
その信をいただいた方も、熊本様のご想像通り、熊本様の導きにはよらず、
他所にて信心の沙汰を行い、信心いただいたはずです。
(もちろん、熊本様は、広い意味での善知識となっております。)
◎宿善開発して善知識にあはずは、往生はかなふべからざるなり(御文2-11)
この場合、熊本様は、宿善開発の助けとなってくださったことになります。
そして、その信心いただいた方は、他所にて善知識にあっているはずです。
もし、そのような方が実際にいらっしゃるならば、
おそらく、熊本様に次第相承の善知識の存在をお伝えしたいでしょうが、
言うにはばかれる雰囲気を、熊本様がお出しになっているのだと思います。
◎願力不思議の仏智を授くる善知識の実語を領解せずんば往生不可なり(改邪抄)
願力不思議の仏智を授けることができないならば、真の善知識ではありません。
また、実語を授かっていないなら、真の善知識ではありません。
僧侶必ずしも善知識にはあらず、道俗問わず、獲信せねばならぬのが、
この道です。
僧侶の方であるならば、「むずかしい話しはわからない」などと
おっしゃらずに、せめて御文様くらいは、繰り返し御拝読されることを
望みます。
もちろん、熊本様ご自身が決められることですので、
むずかしい話しがお嫌いであれば、致し方ありません。
660 :
298:2008/01/15(火) 02:56:27 ID:QccSb9f4
>>622 >ここでは、大乗非仏説はひとまず置いておいて、
これも気になる御発言なのです。
真宗門徒にとっては、釈尊の出世本懐が大経であることは、
当然ではないのでしょうか。
あるいは、南无阿彌陀佛が尊いということや、
二尊の御恩を感じることも、当然ではないのでしょうか。
もちろん、そのようなことが当然でない方に対しては、
そのような方のために、少しでも、ご縁となるようなお話を
心がけねばならぬと思いますが、
他宗や無宗教の方にお話するならばともかく、信心獲得を求めるという、
とても絞ったお話をするこの場所において、
このような発言が出るということは、
あなた様は、特に獲信を求めてはいらっしゃらない訳でしょうか。
それとも、閲覧していらっしゃる方への、遠慮の表現なのでしょうか。
「妙好人」と言っている時点で、一般の方は信じていないのですから、
特に遠慮もいらないのではないかと思います。
>656
>ROMに入るとはどういう事なんでしょう?
失礼しました。掲示板の専門用語です。
他人の書き込みを読むだけで、自分からの書き込みはやや控えるという意味です。
彡川川川三三三ミ〜
川|川/ \|〜
川川 ◎---◎|〜
川川 3 ヽ〜
川川 ∴) A(∴)〜
川川 U /〜 ___
_;川川 ダッラ〜 . | | |\_
/ 川川 __/ . | | | | |\
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\ \ /\  ̄ ̄\ | | | | |::::|
/:\ \ ドピュ ̄\っ))))〜〜| | | | |::::|
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↑
「ROMに入る」と言いながら荒らしを止めない渡海難
663 :
熊本:2008/01/15(火) 15:40:02 ID:j/0u5+do
298さんへ。
あなたとはやはり考えが違うようです。
大変失礼ですが、あなたはご自身を釈尊や菩薩か何かと勘違いなされてませんか?
善知識が善知識たるのは、阿弥陀様のご縁あっての事。
いくらあなたが素晴らしい方であろうと、宿縁によってお引き合わせ頂いた、法を聞く耳を持つお相手に恵まれなければ、善知識たりえません。
例えるなら、仮にあなたがいくら素晴らしい水を注ごうとも、種のないところに花は咲きません。
また、その水の水源はあなたではなく、阿弥陀様です。
仮にあなたが自ら水を注いでいると思われているのなら、それはあなたが救い主であると勘違いなされている事になります。
あなたはあくまでもパイプ的な存在でしかありません。
664 :
熊本:2008/01/15(火) 15:42:41 ID:j/0u5+do
298さんへ。
また、想いと結果は別の話です。
確かに私も一人でも多くの方が少しでも早く救われて欲しいという想いはあります。それはまさしく私の煩悩のあらわれでしょう。
ですが、その煩悩の想いは私の才覚でかなうものではありませんし、その結果は私の伺い知れるものではありません。
それは阿弥陀様のご縁によってのみかなうものです。
何故私がそう思うかはこれまでに繰り返しお話させて頂いた通りです。
私はただ、精一杯お話させて頂く他ありません。
門徒さんが救われるかどうかの責任が私にあると言うのなら、仏教ではなく熊本教です。
私も御文章や三部経、教行信証、嘆異抄などなどの書物は自分なりに読ませて頂いております。
しかし、私は頭が悪いので出来れば分かりやすくお話して頂けると助かります。と言ったのです。
それがそんなにお気に召さないのでしょうか?
おそらくあなたは、私を相当な怠け者と思われているのでしょう。あなたが私をどう思われようとかまいません。
私は私なりに日々聴聞させて頂き、日々門徒さんに精一杯お話させて頂くのみです。
あなたのように、他者を導く事など私には出来はしませんし、私の才覚で信心を獲てもらうなど出来はしません。
もうこれ以上、私がお話する事はございません。私がお話したい事は繰り返しお話させて頂きましたので。
最後に、お付き合い頂きましてありがとうございました。
665 :
熊本:2008/01/15(火) 16:07:20 ID:j/0u5+do
渡海さんへ。
そういう事でしたか。なにぶんそういう事にうといもので、お手数おかけしました。
渡海 難
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彡川三三三ミ
川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
川川::::::::ー◎-◎-)
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._川川;;;::∴ ノ 3 ノ 彡川三三三ミ
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