44 :
神も仏も名無しさん:2007/12/21(金) 21:43:08 ID:8JwlV7Ky
殺すなかれ 殺す者は殺されろ
裁くなかれ 裁く者は裁かれろ
米国は広島・長崎に原爆を投下して数十万人の市民を殺傷したが、
エノラゲイの乗組員、原爆の開発・製造者の誰一人
地上では殺人鬼として裁かれなかった。
アルカイダは自爆テロ攻撃を行なって数千人の市民を殺傷し、
米国は激しい報復を行なったものの、逆にアルカイダに共鳴し、
支援を与える人間も多数存在する。
佐世保乱射犯は銃を乱射して数人の市民を殺傷した後に自殺し、
世間から激しい非難を浴びている。
人間社会の正義では、一つは英雄的戦闘行為と呼ばれ、一つはテロと呼ばれ、
一つは殺人鬼と呼ばれる。だが、神はこのように人間のご都合で決められる
正義など、信用していない。国と国とが戦争し、国民同士が殺しあうことは
許されるのに、個人と個人が憎しみ合い、殺しあうことは許されない、そんな
人間の身勝手な正義など、信用していない。
エノラゲイの乗組員を許す神は、佐世保乱射犯をも許す。
佐世保乱射犯を許さない神は、靖国神社に祭られた英霊の大部分をも
容赦なく地獄に突き落とす。
46 :
1:2007/12/22(土) 00:58:33 ID:tEPmzqPP
>45
許すとか地獄に突き落とすとか言ってるけど、お前は
神さんが許したり突き落としたりするのを見たことあるの?
実際には神さんは何もしていないでしょ。
47 :
1:2007/12/22(土) 01:01:23 ID:tEPmzqPP
無為の神か。
遠藤周作の「沈黙」をふと思い出したな。
>>45 背景の事情が全く異なる事象を無造作に同一視するというのは感心できないな。
49 :
1:2007/12/22(土) 02:12:12 ID:tEPmzqPP
>39
>刑務所ではないが、永遠の苦しみの中には放り込まれる罠。
「永遠の苦しみの中には放り込まれる」のが事実としてもそれは死後の話。
現世とは無関係。
もちろんそれを信じている者にとっては、悪行を防止する抑止力には
なる。
が、信じていない者にはなんの抑止力にもならない。
だいたい現世で悪行をする奴は、死後の永遠の苦しみなんか信じてい
ないのでほとんど無意味。
結局、悪党を裁いて刑務所に放り込む以外に解決策無。
以上。
50 :
1:2007/12/22(土) 02:19:06 ID:tEPmzqPP
>17
>神というのは、地上60億の人間全ての親なのだ。人間同士が
>いかに憎しみ合い、殺し合っていたとしても、全員の親である
>神が子供への愛情を放棄することはあり得ない。
ここでいう神とはだれだよ? キリスト教の神?
もしそうで
「地上60億の人間全ての親」
なんてこと、イスラム教徒に言ったらえらいことになりそう。
「俺の神はアラーだ。いつからキリスト教の神が俺の
親になったんだよ。押し売りもたいがいにしろよ」
と言いそう。
51 :
1:2007/12/22(土) 02:24:51 ID:tEPmzqPP
♪信じるべき神なんて自分で決めるのさ〜
>>49 いや、もちろん現世における刑事司法制度を否定するものではないけどね。
しかし、凶悪犯罪者の犯した罪を完全に裁ききれるかといえば、そうでもない。
刑事司法制度において処罰できる範囲にも、限度があるからな。例えば、1000人を殺した犯人を終身刑にしたとしても、本当の意味でその罪に見合った罰を課したといえるかどうかは疑問。
物理的な限界もある上、人権などにも配慮しなければならない。
それに対して、神の裁きは無限だからな。
53 :
神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 06:04:40 ID:j7FYci5v
わざと殺したのでなかったら、当然許さなければならない。
誰だって何時なんどき殺人者になってしまうかわからない。
わざと殺すのはいけない。
キリスト教では、罪そのものは許されるが、
犯した罪が招いた事態の責任が許されることはない。
こればかりは社会に対してキッチリと償う必要がある。
それが終るまでは決して天国には行かれない。
神を信じても、償う必要がなくなるわけではない。
昔は、神を信じて許され、償いのほうは免償符を購入すれば償ったことにするといって、
教会が金儲けに走ったことがあった。しかし
償いは償いとして、それに見合った罰を世間からちゃんと受けなければならないから
今は教会では免償符なるものは売らなくなっている。
刑事罰と民事の補償責任のようにキリスト教では罪と償いは別個のものと言っているのだから、
信じて許されて、そのまま天国ではない。許されて償うまでは死んでからも償いのための罰が待っている。
死後受けなければならない償いを消すのが免償符だったわけ。
>>50 一神教の例として、アブラハムの宗教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教がある。
いずれも、旧約聖書を経典とし、同一の神を信じている。
旧約聖書の創世記において、アブラハムの子であり兄弟であるイサクとイシュマエルがおり、
イスラム教の聖典クルアーンにはイシュマエルがアラブ人の祖であるとの記述がある。
また、インジール(福音書)に描写されたイーサー(イエス)は神性を有する存在ではなく、
アッラーフの預言者であるとされている。
(Wikipedia 『神』より)
55 :
糞禍徒名散弾正:2007/12/22(土) 11:27:25 ID:gzfRG3Q/
./ ;ヽ
l _,,,,,,,,_,;;;;i < メリークリスマスだ ベイべー!
l l''|~___;;、_y__ lミ;l スラッグ弾から逃げる奴は救われないぞ!!
゙l;| | `'",;_,i`'"|;i | 俺様はよくカト教会に通う熱心な糞カトだ!!
,r''i ヽ, '~rーj`c=/ 俺様だけはカト教会で散弾銃昇天だぜ ベイベー!
,/ ヽ ヽ`ー"/:: `ヽ
/ ゙ヽ  ̄、::::: ゙l, ホント 糞カトとスポーツクラブ最高だぜ! ハハハァー
|;/"⌒ヽ, \ ヽ: _l_ ri ri
l l ヽr‐─ヽ_|_⊂////;`ゞ--―─-r| | / |
゙l゙l, l,|`゙゙゙''―ll___l,,l,|,iノ二二二二│`""""""""""""|二;;二二;;二二二i≡二三三l
| ヽ ヽ _|_ _ "l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |二;;二二;;二=''''''''''' ̄ノ
/"ヽ 'j_/ヽヽ, ̄ ,,,/"''''''''''''⊃r‐l'二二二T ̄ ̄ ̄ [i゙''''''''''''''''"゙゙゙ ̄`"
/ ヽ ー──''''''""(;;) `゙,j" | | |
>>53 どー見ても計画犯であって、「わざと」ですな
57 :
神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 14:24:54 ID:uH3wl+UH
聖書に書かれた内容を真実と信じ込んでいる人間は多くいる。聖書では、「懲らしめのむち棒」
として体罰を許可する文面がある。 また、 SEXに関してもうるさく書かれている部分もある。
マリア様が処女で子供を生む事に象徴されているのではないだろうか?
猟奇事件を起こした人間が刑務所で読む本は聖書が一番多い( 自主的に )。また、犯罪を犯した
人間の子供時代を考えると、親が宗教に熱心か不熱心の二通りに分類される。あまりにも不熱心
で子供にかまわない例もあるが、熱心な宗教者の場合もある。
先ほども書いたとおり、体罰を許可している聖書。子供のしつけにむち棒を使用することがある。
このむちを使用する体罰で、快感を覚えていく親もいる。また、逆に快感を得る子供も存在する。
こういった体罰すぎると、その子供は暴力を振るい相手を押さえつけるようになる。
また、男児の場合、女性は汚い生き物だと教えられる場合がある。それは、聖書に熱心な母親が
間違いを犯さないように指導するためである。勃起するのは厭らしいことだ等も教えられる。そう、
これらが猟奇犯罪にかかわっていると考えられる事件は多数あると考えている。
幼い頃に、尻叩きにあった経験。使用されたのは、電気コード、木の棒、ハンガーというものまであった。
痛いというより羞恥心のほうが大きかったという意見と、本当に怖かったという意見があった。羞恥心は、
その後、性的な行動に進んだという意見もあった。また、親の言うことを全て、そう100%正しいと思い込
まされたのではと考えている人もいた。 虐待された子供が親になり、自分の子を虐待するパターンが異
常に多いことに気づいた。
1. 佐世保の事案は猟奇犯罪ではない。
犯人は特定の知己を狙っており、一定の性的嗜好/憎悪に基づいて
標的を選択した形跡はうかがえない。また、殺害の態様も単純な銃撃であり、
快楽のための猟奇殺人からは程遠い。
2. 本事案は、児童虐待ではない。
犯人はそもそも親ですらない。また、殺害の対象はいずれも成人である。
以上より、
>>57の分析は本事案とはひとまず無関係なものと考えられる。
59 :
神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 15:51:46 ID:+eSEqsTb
>また、男児の場合、女性は汚い生き物だと教えられる場合がある。
>それは、聖書に熱心な母親が間違いを犯さないように
>指導するためである。勃起するのは厭らしいことだ等も教えられる。
そうそうキリスト教による大きな勘違いはそこですね
女性に対して淫らな感情や性的興奮やそれによりオナニー行為を
することでさえ罪と教えることが間違いなんです
本当は女性を見て興奮するのはごく当たり前のこと
こういう勘違いな宗教こそ地上から抹殺されるべきなのです
このように間違った教えのキリスト教を学んでいたからこそ
馬込は性的に抑圧されてあのような悲惨な事件を犯してしまったのでしょうね
60 :
神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 16:21:34 ID:Syc0Ttvu
自分より幸福な人間に対して嫉妬や憎悪や復讐心を抱くことさえ
罪と教えることが間違いなんです
本当は幸福な人間を見て憎悪するのはごく当たり前のこと
こういう勘違いな宗教こそ地上から抹殺されるべきなのです
心の底で本当は嫉妬し、相手を憎んでいるのに、その憎悪が
キリスト教の教えによって抑圧されていたため、表面上は
親友として付き合っていた
その抑圧が最後に外れた結果がこのような事件なのでしょうね
61 :
1:2007/12/22(土) 18:13:10 ID:tEPmzqPP
>54
>一神教の例として、アブラハムの宗教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教がある。
>いずれも、旧約聖書を経典とし、同一の神を信じている。
旧約聖書を経典としているのは知っている。
ただ一般の信者は同一の神を信じているなんてこれっぽちも
思っていないだろ?
キリスト教の基本教義である三位一体説によるとイエスキリストは神となるだろ。
これに異議を唱えると異端として、昔なら処刑されたはず。
同じ神を信じているというならイスラム教徒に
「おまえの神はイエスさんだよね?」
と聞いてみたらよい。
逆にクリスチャンに
「おまえの神はアラーだよね?」
と聞いてみたらよい。
62 :
1:2007/12/22(土) 18:20:34 ID:tEPmzqPP
>52
>しかし、凶悪犯罪者の犯した罪を完全に裁ききれるかといえば、
>そうでもない。
>刑事司法制度において処罰できる範囲にも、限度があるからな。
>例えば、1000人を殺した犯人を終身刑にしたとしても、本当の
>意味でその罪に見合った罰を課したといえるかどうかは疑問。
物事には限界があるのは当たりまえ。
だからといって無為で臨むのことが最悪。
処罰に限界があるならその範囲内で対応すればよい。
1000人無作為に殺したら死刑にすればよい。
何を躊躇する必要があるのか?
>それに対して、神の裁きは無限だからな。
神はいつどこで裁いたのか?
大量殺戮の黒幕に神は裁きを下したことがあるのか?
あるなら証拠を示してくれ。
63 :
1:2007/12/22(土) 18:31:06 ID:tEPmzqPP
>53
俺は佐世保銃乱射犯のような自分勝手な計画的犯罪者について論じている。
(過失致死についてはスコープ外)
>
>キリスト教では、罪そのものは許されるが、
>犯した罪が招いた事態の責任が許されることはない。
>こればかりは社会に対してキッチリと償う必要がある。
それなら佐世保銃乱射犯は「事態の責任」については永久に許されることはないな。
犠牲者およびその遺族に謝罪することもなく自殺したのだから社会に対して償う
ことは永遠にないのだから。
ま、そうであってもこのような重罪犯の罪そのものも許されるべきではないな。
あと、免罪符っていつの話だよp
中世ヨーロッパのころのことだろ。
64 :
1:2007/12/22(土) 18:48:01 ID:tEPmzqPP
ところでイスラム教徒がいたら教えて欲しい。
イスラム教では、佐世保銃乱射犯のような計画的殺人鬼は許されるのか?
65 :
1:2007/12/22(土) 18:51:42 ID:tEPmzqPP
佐世保銃乱射犯のような計画的殺人鬼であっても墓に入れるのか?
被害者に対して本当に申しわけないと思うなら殺人鬼の遺族は
墓などつくるべきでないと思う。
66 :
神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 19:44:27 ID:Syc0Ttvu
処刑された独裁者ムッソリーニの遺体はミラノの広場に逆さ釣りに
晒されたが、その後ちゃんと墓が作られ、今日でも花が絶えないという。
毒ガス兵器で虐殺されたエチオピア人の立場で見れば
殺人鬼の墓に花を供えるなど、許しがたい行為だろうが、
人間社会の正義など所詮はこの程度に相対的なもの。
ましてや、どのような殺人鬼だろうが親族が身内の墓を作ることすら
非難するなど、人倫にもとる。
67 :
神も仏も名無しさん:2007/12/22(土) 21:18:38 ID:fH44IQMs
本人が許されたと思えば許されたことになる。
結局神は本人にしか見えない。
教会で自殺したのはそのため。
68 :
糞禍徒名散弾正:2007/12/22(土) 21:35:30 ID:9x4nQ7uv
:::. : . .:::
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{ ヽ| |ノノ
_ト、Lj/}
r< { | |7ヽ、 メ リ ー ク リ ス マ ス !
{ ,_ェェ.L⊥.__{ノ、
j `}ー' スラッグ弾 to YOU!
} ――ー-{
ヽ --―‐r'
\_ __. イ by
K K K
`ー┴ ´ 狂乱射魔 糞カト疹者育成 会
同種の乱射事件が米国で起こると、日本のメディアは
『繰り返される銃社会アメリカの悲劇』と書き立てる。
しかし、今回の佐世保の事件もまさに「銃社会日本の悲劇」であり、
起こるべくして起こった悲劇なのである。
仏法では鳥獣(動物)の殺生は禁じられている。人間も鳥獣も
輪廻によって繋がっていると考えるからであり、自分が今殺そうとする
獣が実は自分の先祖の生まれ変わりかもしれないからである。
百歩譲って、人間が生きるため・身の安全のために最低限必要な分だけは
鳥獣を殺してよいのだとしても、趣味や快楽のために鳥獣を殺すことが
仏法に背く罪であることは疑いもない。
ところが現実の日本は、趣味の狩猟のために合法的に散弾銃を
所有できる社会なのだ。趣味快楽のために鳥獣を射殺することを
容認する社会を作った以上、ときに同じ銃で人間が殺生されることは
「是れ因果の必然」であり、1のごとく「殺人鬼は地獄に堕ちろ!」と
罵り立てて憂さ晴らしをすれば済む問題ではない。
「果」を責め立てるのではなく、「因」を省みて社会を改めなければ
アメリカを見るまでもなく、今後も一定の確率で同じ悲劇が
繰り返されるだろう。
自殺は罪って腐った考え方はいい加減やめるべき
無茶苦茶に悪い事しろと言ってるようなもんだろ
>>69 別に銃は手段の一つに過ぎないだろう。銃は本質的な問題ではない。
>>61 >ただ一般の信者は同一の神を信じているなんてこれっぽちも思っていないだろ?
いや、多くの信者は思っていると思うよ。「啓典の民」という言葉もあるぐらい。
ただ、お互いに相手に誤謬があるとは思っているだろうが。
>>62 >1000人無作為に殺したら死刑にすればよい。
今回の事件の犯人や自爆テロ犯みたいな連中を死刑にするのは、盗人に追い銭というもんだろ。
死刑の無力さ・不合理さはもはや疑いが無い。
>神はいつどこで裁いたのか?
「そういう信仰が社会秩序の維持に役立つかどうか」が君の問題意識だったはず。
>>1 許されない。
たとえジハードのつもりでアッラーの名を叫びながら命を捧げるまで至ったとしても、
その齎した結果が人々を「楽園」に向かわせる道理と逆な場合は、地獄へまっしぐらとされている。
ましてや、今回の事件のようなことをすれば、たとえどんなに熱心であったムスリムであっても行き先は地獄。
私怨からの殺人行動という、まして同時に自殺までするという想念を出しているままに死ねば、
自分から進んで<自分にとっては居心地のいい>地獄へと向かうこととなる。
>>59-60 世界三大宗教を否定するとはいい度胸だ。w
それだと神道みたいな破廉恥な宗教しか残らなくなってしまうぞ。
76 :
神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 16:21:14 ID:flMLsb1G
>>1はよほどの暇人らしいが、
Oh my Godの意味をよ〜く考えてみると良い。その中に答えがある。
77 :
糞禍徒名散弾正:2007/12/23(日) 17:41:32 ID:L7QqlVNJ
./ ;ヽ
l _,,,,,,,,_,;;;;i < Oh my God!Oh my God!Oh my God!だ ベイべー!
l l''|~___;;、_y__ lミ;l スラッグ弾から逃げる奴は救われないぞ!!
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78 :
神も仏も名無しさん:2007/12/23(日) 17:50:23 ID:wt7bsH6g
>>1 神はもうすでに赦しているよ。彼が生まれる前からね。
昨年10月にアメリカで起こった乱射事件
米ペンシルベニア州ジョージタウン──当地周辺で暮らすキリスト教
プロテスタントの一派、アーミッシュの学校を襲撃し、児童5人を殺傷した後に
自殺したチャールズ・カール・ロバーツ4世容疑者(32)の葬儀が7日営まれ、
アーミッシュらも参列した。
容疑者の遺体は妻や子ども3人が付き添うなか、9年前に死亡した娘の墓のそばに
埋葬された。容疑者は娘の死にとらわれていたとみられる。
葬儀の参列者75人前後の約半数はアーミッシュだった。コロラド州の消防署付き牧師
ブルース・ポーター氏によると、アーミッシュらは容疑者の遺族に心からの許しを表明し、
容疑者の妻も深く感動していたという。
アーミッシュの人たちは容疑者の家族を事件の夜から訪ねて許しを表明し、
手を差しのべたと伝えられる。容疑者の家族は現地の主教を通じて
被害者の家族への面会を求め、遺族の一部は容疑者の家族を子どもの葬儀に
招いたという。
「神が私たちの罪を許したように(容疑者の罪を)許したい。簡単なことではない。
だが、憎めばそこから動けなくなる。明日を生きるためにも、許したい」。
銃乱射事件で孫娘二人を殺されたアーミッシュのイーノス・ミラーさん(63)の言葉。
プーラナ・カッサパ。ジャイナ教の出家のように全裸の苦行者で、何をしても善悪の業が生ずることも、それらの果報もないと唱えたという。
マッカリ・ゴーサーラ。アージーヴィカ教団(邪命外道)の開祖で、たいへん厳格な生活規律を立てたが、努力や才覚のいかんを問わず、
輪廻はしかるべき時が来るまで続き、しかるべき時がきたら輪廻は止み、すべての人は解脱すると唱えたという。
アジタ・ケーサカンバリン。毛髪を編んだ衣をまとった苦行者で、この世は地水火風の四元素の離合集散で成り立っており、
霊魂もなければ来世もなく、したがって善悪の業の果報を受けることもないと唱えたという。
パクダ・カッチャーヤナ。世界は右の四元素に苦、楽、生命を加えた七要素から成り、それらは互いに独立した不変のもので、
何の関係もないから、たとえ人の首を剣で切り落としても、剣がそれらの要素の間を通過するだけの話で、殺す者も殺される者もなく、
同様に、聞く者も聞かしめる者もいないと唱えたという。
サンジャヤ・ベーラッティプッタ。いかなる質問にも捉えどころのない鰻論法で応じ、いかなる見地にも立つことを拒否したという。
ニガンタ・ナータプッタ。一般には本名ヴァルダマーナで知られるジャイナ教の開祖であり、
いかなることについても多面的な推量を重ねて一面的な論断を避けなければならないと唱えたという。
81 :
神も仏も名無しさん:2007/12/24(月) 14:05:20 ID:mwoB4GNE
カトリックは中世でわかるとおり、残酷な死刑を原則認めます。庶民に対する神の正義の顕現を示すことと、罪人に罪の償いの多く(全部)を現世でさせる、つまり改心まで導かねばならない。
改心(改悛)が進めば、死刑が無期も有り得るし、残虐よりも無痛(減痛)の手段に移るだろう。
アメリカは数理的キリスト教(資本主義、プラグマティズムなど)なので具体的に禁固二百年で罪を償え、この世での正当な約束を軽んじる者は来世も同様、と諭すのです。勿論、安楽死刑もあります。すべて背景にアメリカ流宗教哲学があるのです。
と に か く
<ヽ`д´r┐ スチャ
/_{{{二ijjjj=┻
| ヾ,> 彡
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ス ポ ー ツ ク ラ ブ 大 好 き な
バババッバッバ
<ヽ`∀´r┐ \从/ _ ;・;.※。; ヒィー
/_{{{二ijjjj=て; ;:そ ─ ─  ̄ ─_#;;゚'Дハ o-o
| ヾ,> /Y^ヽ  ̄ ─ /(つY>つ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
糞 カ ト 万 歳 !
『 ††† 〜 佐世保散弾銃乱射事件 〜 ††† 2007・12・14 』
世の中のスピードがあまりに早過ぎるために、 「 今頃 」の感もありますが... 先月14日に起きた
長崎県佐世保市での名簿上のカトリック信者による 散弾銃乱射事件について、 私達は何を思う
べきだろうか? 「 実は馬込は、高校時代、 黒ミサとか黒魔術にすごく興味を持っていました 」と、
独特な世界観、宗教観を持っていたことを証言するのは、ある同級生。「不良っぽい奴から、から
かわれたりすると、 馬込は、 相手に聞こえないくらいの小声で妙な言葉をつぶやいていました。
それが黒ミサとか黒魔術に出てくる呪いの言葉だったのです 」 (中略)
奇妙なことに、小柄な倉本さんに対し、長身の馬込は下から上に向けて発砲し、天井には大量
の血痕が付着していたという。天に叛き、禍々しいシンボルを創作したようにも思えるのだ。
(週刊新潮 12月27日号)
まず、この事件の被害者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。
また、「 犯人 」と呼ばれるに至った霊魂のご家族( 特に親御さん達 )にも、主の御憐れみを願います。
上の記事にみられるように、自殺した犯人が高校生当時から黒魔術に関心を持っていたことは確か
なようである。彼の同級生らの証言として、複数の報道が伝えている。私達はこのことに何を見るべき
だろうか?このような事象の「 原因 」に関して、私は昨年11月7日の日記で書いた言葉をもう一度繰り
返す必要を感じる。
> 「原因は多く、そして複雑です」 その通りです、ブニーニ大司教様。
> この世の現象はどれも、その「目に見える原因」を拾えば、
> 「それは多く、そして複雑」です。
「 目に見える原因 」について一般人が言えば、「 彼はキ印だったんだ 」で終わるかも知れない。あるいは
精神科医が言えば、「 彼は統合失調症だった 」ということになるのかも知れない。けれど、私は私の個人
的確信として、「 そこには悪魔・悪霊の存在がある 」 と 信じている。 ごく当り前のことように信じている。
精神病の(そしてあらゆる「 犯罪 」の)背後のかなりの部分に、それらの働きがあると思っている。それは
ちょうど紙の表裏のようなものだ。精神科医が紙の表を見て言うことも間違ってはいない。でも、それだけ
ではない。まして「 患者 」が自ら黒魔術に関心を持っていたなら、そこにはなおさら疑いの余地はない。
しかし、カトリック司祭の果たして何割が、悪魔・悪霊のワルサについてはっきりとした意識があるだろう?
この犯人の所属教会の神父様がニュースにちらりと出ていたが、 彼は自分の信者が黒魔術に何らかの
傾倒を持っていたことを知って、今、何を思っていらっしゃるだろう? 何かハッキリしたことをお考えになっ
ているのか。それともぼんやりなさっているのか。
私が以前関東に住んでいた時、ある教会で司祭が殺害されたことがあった。それも御聖堂の中でである。
確か、一人の信徒が朝聖堂を訪れると、そこで神父様が殺されているのを発見した、ということではなか
ったかと思う。その後何も聞かなかったから、あるいは迷宮入りになったのかも知れない。
私は、 このようなことを見る時、 「 カトリック信者はこれらを単に " 事件の一つ " と思うべきではない 」と
常に思う。つまり、何と言うか、この世的な目ばかりで「 事件の一つ 」と受け止めるべきではない。一般にも
世間のあらゆる犯罪は「 人間と悪魔 ・ 悪霊との共同作業 」と言えるが( もちろん人間側は無自覚である )、
中でも教会がらみの事件や犯罪は悪魔が特に狂喜するところである。
私が以前別の信仰を持っていた時---それはもちろん異教であるが---ご神前のご神体(信仰の的)を傷つ
けようとして暴漢などが押し入って来そうになった場合、上長から 「 何をしているのですか! 」 とドヤされる
のは私達信徒であった。 神の教会にそのような暴漢が入りそうになったこと自体、 それを許したこと自体に
おいて私達の信仰が責められるのである。曰く、「 祈りが足りないからです! 御用が足りないからです! 」
もちろんそれは異教の話である。われらの天主の唯一の真の宗教ではないところの話である。何の正当な
根拠もない。しかし、いちおう宗教文化的に比較して言わせて頂ければ、 「 悪魔・悪霊というものに対する
認識において、カトリック教会には 何という " 甘さ " あるものか 」 と思わずにはいられない。 聖堂内部で
神父が殺害されてさえのんびりしている。まずまず世間一般の事件の一つだと思っている。「残念だけれど、
教会と言えども人間の世界だから、こういうことも時にはあるのだ 」とまとめている。「 悪魔・悪霊の働き 」
などほとんど思わない。私達の祈りの不足を思わない。祈りを「 防備 」だと思わない。
果たして現代の( 否、過去においてだって意外とそうだったかも知れないが )カトリック司祭は、「 悪魔 」
「 悪霊 」 「 黒ミサ 」 「 黒魔術 」 と いうものに関して、 どれだけの " 現実感 " を持っているだろうか?
エクソシズムを苦笑する人達ばかりなのか?また、信者にしてもそうである。もしこの事件の犯人の身内が
それらについて認識があり、彼の所持している書物やアクセサリーなどに敏感に気づいていたなら、この
事件は阻止できていたかも知れない。(事実、これら「 黒ミサ 」や「 黒魔術 」が決して少なくない西欧では、
少なくとも日本よりは警戒心があるようである。)
また、それ以前の問題もある。これの方がより重大に違いない。たとえば、現代のカトリック教会においては
主日のミサが実際には、「 掟 」にはなっていないことである。ある信者が教会に来なくなっているのに気づい
ても、司祭は「 まあまあ、長い人生には色々なことがありますよ。しかしそれでも神様はその人のこともお気
にとめていらっしゃるのです」などとまとめて、迷った羊を立ち返らせるための積極的な働きかけなどチッとも
しようとしない。しかし、もし現在の教会において文字通りの「掟」があり、「掟」に背くことが文字通りの「大罪」
になっており、【 大罪 】の状態がそのままでは【 地獄行き 】を意味していることに文字通りなっており、そして
もし自分の息子のことで親が司祭に相談をしており、その彼が年に数度しか教会に来ないのを知っていたな
らば、司祭が家族に「 今度一度私のもとに彼を来させなさい 」と言うぐらいのことは、司祭としてごく当然のこ
とだったと言えるだろう。( しかし、今、そんな動きは教会の中に「 100%ない 」と言ってもいい)。
司祭は、聖ピオ十世の公教要理の始めにある 「 本当のカトリック信者とは 」 という古い言い回しに固執する
ことによって、「 名簿上のカトリック信者 」 を救うこともできたのではないか。そしてもちろん、この事件の被害
者達をもである。 しかし、現在の教会では、「 掟 」も、「 大罪 」も、「 救霊 」も、「 地獄 」も、何もかも薄く伸ばさ
れてしまっている。
悪魔は狂喜している。
主の御聖櫃の前で神父が殺害されても( もちろん聖徳の司祭であった場合、殉教の可能性もあるけれど )、
御聖堂の横で悪魔に犯された哀れな信者が散弾銃で自分の頭を吹き飛ばしても、「 主に申し訳ない 」と思わ
ない、「 私達の罪だ 」と思わない、「 教会をあげて償いをしなければ 」と思わない。ただひたすら「 事件だ 」と
思ってぼんやりしている。
恐れながら申し上げますが、これは何という霊的盲目でしょうか。
私自身天主の 「 ふるい分け」の前に置かれた人間なので、 恐れながら言いますが...
それ故に...
「 われわれ暗黒の王子達は、王子、高位聖職者、霊魂の牧者、お前達に感謝する。
お前達の怠慢によって多くの信者達が地獄に落ちているからだ。」
89 :
神も仏も名無しさん:2008/01/12(土) 17:21:02 ID:Q8B+5m+O
90 :
神も仏も名無しさん:2008/01/12(土) 17:32:14 ID:x6VHCpL3
まさにフンのように凶悪な朝鮮カトリック信者、通称: 糞 力 卜 であった
朝鮮はプロテスタントが多いんだよな?
92 :
神も仏も名無しさん:2008/01/23(水) 13:20:17 ID:yhA3N2U8
ハナクソとメクソ
93 :
神も仏も名無しさん: