288 :Jan David博士 ◇JandH92ssE :2007/09/09(日) 21:09:37 ID:H+oXjfSV
当時、神学界では韓国の類似宗教と小宗派に対する研究が真摯になされた。龍門山修道院・伝道館・及び統一協会に対する小宗派研究である。統一協会の神学については、殆どの神学者が否定的で、静観するだけで発言しなかった。
統一協会擁護派としては、ソナムドン教授が統一協会研究として「原理講論、」を称して 「これまでの韓国の神学会が生んだ神学書の中でその実に於いて、またその、組織力に於いて、その想像力と独創性に於いて最高のものである」と評したのである。
もちろん、反対する神学者もいた。徐南同教授も統一協会の全てを肯定したのではない。
「統一協会の誤謬についても鋭意、分析、判断した。歴史の教理的解釈と再臨主の固定的観念。復帰原理の感傷的懐古 「家庭の純潔」主張、、こう言ったものは、通過文明の古着にしかすぎない」と判断したのである。
しかし、韓国キリスト教全体としては、一部の教役者を除いては大部分の神学者たちはこの論争に関与しなかった。民衆神学を知らなければ判断を大きく誤ることになる。
山谷は韓国の民衆神学を知らないために重大な判断ミスを犯している。民衆神学の核は、「民衆がメシア」という立場を明らかに取りつづけているところにある。これは一歩取り違えると大誤解を生む恐れがある。それについてソナンドン教授の言葉を述べたいと思う。
「民衆の苦難に参与すればそれが人間となる道であり、それがまさに救いの道なのです。このように理解すれば苦難を受ける民衆がメシアであり、それゆえ民衆は新しい時代の主人となるのです」
このように、単純に「民衆がメシア」だとは語っていない。「民衆がメシア」だと語る前の「そうした意味で」と「このように理解すれば」は、非常に重要である。
この部分を故意に見落とせば、その意味するところは全く違ったものになり、曲解して民衆を率いる聖霊を受けた個人をメシア、来臨のキリストと皮肉にあげつらい 名誉毀損を行うこともできる。