>>153 古代ウパニシャッド(奥義書)〜ヨガ唯識の禅那〜新ウパニシャッド(クリシュナ敬神)
バガヴァッド・ギータ ヴェーダンタ文庫
スワミ・プラバヴァーナンダ クリストファ・イシャウッド 共編 熊澤教眞 訳
p14 ギータとマハーバーラタ
ギータはもともと人間としてのクリシュナを語ったものではなく、
ブラーマンすなわソ究極の実在としての姿を語ったものである。
クリシュナがアルジュナに話しかけるとき、
時には人間として語るが、たびたび神自身として次のように語っている。
私はこの肉体に宿る
ブラーマンであり
不滅不変の生命である
私は永遠の法であり
絶対なる至福である
・・・クリシュナはヴィシュヌの化身であり、
アルジュナに対して選ばれた神である。アルジュナはこれを知っている。
しかし幸い無知によって彼は時々これを忘れる。
事実、彼に忘れさせているのはクリシュナである。
なぜなら普通の人間は 神との不断のまじわりによる緊張に
耐えられないからである。
バガヴァッド・ギータ ヴェーダンタ文庫
スワミ・プラバヴァーナンダ クリストファ・イシャウッド 共編 熊澤教眞 訳
p9−10 ギータとマハーバーラタ
最後にユディシュティラが残った。彼は四人の死体を見て嘆き悲しんだ。
その時声があった。
「子供よ、まず私の質問に答えよ。
そうすればお前の悲しみとかわきは治まるであろう。」
彼は振り返った。そして義務と徳の化身・ダルマが
鶴の姿となってそばに立っているのを見た。
「天に行く道は何か。」と鶴が尋ねた。「正直であること。」
「どんな方法で人は幸福を見出すか。」「正しい行為によって。」
「悲しみから逃れるためには何を克服しなければならないか。」「自分の心を。」
「人はいつ愛されるか。」「うぬぼれを持たない時。」
「世の中の驚異の中で最大の驚異は何か。」「周囲のすべての人間が死ぬのを
知っていながら、自分自身も死ぬということを信ずるものがいないということ。」
「人はどのような方法で真の宗教に達するか」「議論ではない。
聖典や教義でもない。これらは役に立たない。宗教に至る道は聖者のみが歩む。」
ダルマは満足した。彼はユディシュティラに名前を告げた。
そして四人の兄弟は生き返った。
バガヴァッド・ギータ ヴェーダンタ文庫
スワミ・プラバヴァーナンダ クリストファ・イシャウッド 共編 熊澤教眞 訳
p180
心をこめて 一葉、一花、一果、水を 私に捧げる者があれば
その清純な心による 敬虔な贈り物を私は受ける
・・・
そうすれば汝は善悪の結果をもたらす行動の鎖から解放される。
汝のすべてを私に捧げよ。
汝の心が私に合一して解脱すれば、汝は私のもとにくる。
p119
私は万物に対して平等である 誰をも愛さず誰をも憎まない
私を崇拝する者は いつも私の中にいる 私も彼等の中に宿る
罪に汚れた者であっても ひたすら私を愛するなら
彼の決意が正しいために 彼は正義の人と見なされる
・・・
p120
私を愛する者は滅亡しない ・・・。 汝は私のもとにくる。
バガヴァッド・ギータ ヴェーダンタ文庫
スワミ・プラバヴァーナンダ クリストファ・イシャウッド 共編 熊澤教眞 訳
第九章 神秘のヨガ スリー・クリシュナ
p116
私は太陽の熱であり 雨を降らせ、雨を止める
私は不滅の生命であり死である
アルジュナよ 顕現したときの私は宇宙であり 非顕現の私は無である
三ヴェーダに精通し 聖餐のソーマ酒を飲み 罪を清めて祭祀をおこない
私を礼拝するものは 天への道を求めて祈る
彼等はインドラの王国に至り 天上の歓喜にひたる
p117
彼等は天国の歓喜を味わい その功績が尽きるとともに 人間の世界に帰る
三ヴェーダの道をとり 欲望を求むる人々は 無限の流転をくりかえす
ひたすら私を礼拝し、他を思わず、敬虔であれば、
私は必要な一切を彼に与え、彼の持つものを保護する。
・・・
神々を祭る者はその神々のもとに行く。 先祖を崇拝する者は先祖に行く。
精霊を崇拝する者は精霊に行く。そのように、私を熱愛する者は私のもとにくる。