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306神も仏も名無しさん
>>153

古代ウパニシャッド(奥義書)〜ヨガ唯識の禅那〜新ウパニシャッド(クリシュナ敬神)

バガヴァッド・ギータ  ヴェーダンタ文庫 
スワミ・プラバヴァーナンダ クリストファ・イシャウッド 共編 熊澤教眞 訳 

p14 ギータとマハーバーラタ
ギータはもともと人間としてのクリシュナを語ったものではなく、
ブラーマンすなわソ究極の実在としての姿を語ったものである。
クリシュナがアルジュナに話しかけるとき、
時には人間として語るが、たびたび神自身として次のように語っている。

私はこの肉体に宿る 
ブラーマンであり 
不滅不変の生命である 
私は永遠の法であり 
絶対なる至福である

・・・クリシュナはヴィシュヌの化身であり、
アルジュナに対して選ばれた神である。アルジュナはこれを知っている。
しかし幸い無知によって彼は時々これを忘れる。
事実、彼に忘れさせているのはクリシュナである。
なぜなら普通の人間は 神との不断のまじわりによる緊張に
耐えられないからである。
307神も仏も名無しさん:2010/04/25(日) 19:27:21 ID:jZoRqMR/
バガヴァッド・ギータ  ヴェーダンタ文庫 
スワミ・プラバヴァーナンダ クリストファ・イシャウッド 共編 熊澤教眞 訳 
p9−10 ギータとマハーバーラタ
最後にユディシュティラが残った。彼は四人の死体を見て嘆き悲しんだ。
その時声があった。
「子供よ、まず私の質問に答えよ。
そうすればお前の悲しみとかわきは治まるであろう。」
彼は振り返った。そして義務と徳の化身・ダルマが
鶴の姿となってそばに立っているのを見た。

「天に行く道は何か。」と鶴が尋ねた。「正直であること。」
「どんな方法で人は幸福を見出すか。」「正しい行為によって。」
「悲しみから逃れるためには何を克服しなければならないか。」「自分の心を。」
「人はいつ愛されるか。」「うぬぼれを持たない時。」
「世の中の驚異の中で最大の驚異は何か。」「周囲のすべての人間が死ぬのを
知っていながら、自分自身も死ぬということを信ずるものがいないということ。」
「人はどのような方法で真の宗教に達するか」「議論ではない。
聖典や教義でもない。これらは役に立たない。宗教に至る道は聖者のみが歩む。」

ダルマは満足した。彼はユディシュティラに名前を告げた。
そして四人の兄弟は生き返った。
308神も仏も名無しさん:2010/04/25(日) 19:28:04 ID:rZvfsKwP
バガヴァッド・ギータ  ヴェーダンタ文庫 
スワミ・プラバヴァーナンダ クリストファ・イシャウッド 共編 熊澤教眞 訳 
p180
心をこめて 一葉、一花、一果、水を 私に捧げる者があれば
その清純な心による 敬虔な贈り物を私は受ける
・・・ 
そうすれば汝は善悪の結果をもたらす行動の鎖から解放される。
汝のすべてを私に捧げよ。
汝の心が私に合一して解脱すれば、汝は私のもとにくる。

p119
私は万物に対して平等である 誰をも愛さず誰をも憎まない
私を崇拝する者は いつも私の中にいる 私も彼等の中に宿る

罪に汚れた者であっても ひたすら私を愛するなら
彼の決意が正しいために 彼は正義の人と見なされる
・・・
p120
私を愛する者は滅亡しない  ・・・。 汝は私のもとにくる。
309神も仏も名無しさん:2010/04/25(日) 19:29:16 ID:u/XmtmUv
バガヴァッド・ギータ  ヴェーダンタ文庫 
スワミ・プラバヴァーナンダ クリストファ・イシャウッド 共編  熊澤教眞 訳

第九章 神秘のヨガ スリー・クリシュナ 
p116
私は太陽の熱であり 雨を降らせ、雨を止める
私は不滅の生命であり死である 
アルジュナよ 顕現したときの私は宇宙であり 非顕現の私は無である

三ヴェーダに精通し 聖餐のソーマ酒を飲み 罪を清めて祭祀をおこない
私を礼拝するものは 天への道を求めて祈る
彼等はインドラの王国に至り 天上の歓喜にひたる

p117
彼等は天国の歓喜を味わい その功績が尽きるとともに 人間の世界に帰る
三ヴェーダの道をとり 欲望を求むる人々は 無限の流転をくりかえす

ひたすら私を礼拝し、他を思わず、敬虔であれば、
私は必要な一切を彼に与え、彼の持つものを保護する。
・・・ 
神々を祭る者はその神々のもとに行く。 先祖を崇拝する者は先祖に行く。
精霊を崇拝する者は精霊に行く。そのように、私を熱愛する者は私のもとにくる。