なぜなら律法をことごとく守ったとしても、
その一つの点に落ち度があれば、
全体を犯したことになるからである。
たとえば「姦淫(かんいん)するな」と言われた方は、
また「殺すな」とも仰せになった。
そこで、たとい姦淫はしなくても人殺しをすれば、
律法の違反者になったことになる。
だから自由の律法によって裁かれるべき者らしく語り、
かつ行いなさい。
(ヤコブ2:10)
お互いに愛し合う事の外は何人にも借りがあってはならない。
人を愛する者は律法を全うするのである。
「姦淫するな、殺すな、盗むな、貪(むさぼ)るな」
など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局、
「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」
と言う、この言葉に帰する。
愛は隣り人に害を加えることはない。
だから愛は律法を完成するものである。
(ローマ13:8〜10,レビ19:18)
キリストは私達の為に、呪いとなって
私達を(旧約)律法の呪いから贖(あがな)い出して下さった。
(旧約)聖書(申命記)に「木に架けられた者は呪われる」
と書いてある。
それはアブラハムの受けた祝福がイエズス・キリストにあって
異邦人に及ぶ為であり、約束された御霊(みたま)を
私達が信仰によって受ける為である。
(ガラテア3:13〜14、申命記21:23)
彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため
次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。
なぜなら自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。
(ヘブル7:27)
しかし今や私達を繋いでいたものに対して死んだのであって
私達は律法から解放され
その結果、古い文字によってではなく
新しい霊によって仕えているのである。
(ローマ7:6)
神は私たちに力を与えて新しい契約に、仕える者とされたのである。
それは文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。
(律法の)文字は人を殺し、(キリストの)霊は人を生かす。
(コリントU3:6)
神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、
その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。
そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、
彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。
(コロサイ 2-14)
神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは
人としてのキリスト・イエスです。
(テモテへの手紙 第一 2:5)
私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、
すべてのものは この神から出ており、私たちも この神のために存在しているのです。
また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、
すべてのものは この主によって存在し、私たちも この主によって存在するのです。
(コリント人への手紙 第一 8:6)
語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、
神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。
それは、すべてのことにおいて、
イエス・キリストを通して神があがめられるためです。
栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。
(ペテロT、4:11)
私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。
このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。
(ペテロU、3:18)
知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えが とこしえまで
ありますように。アーメン。
(ローマ16:27)
23 どうか、父なる神と主イエス・キリストから、平安と信仰に伴う愛とが
兄弟たちの上にありますように。
24 私たちの主イエス・キリストを 朽ちぬ愛をもって愛する すべての人の上に、
恵みがありますように。
(エペソ6:23−24)