1 :
神も仏も名無しさん:
ここは「独自の解釈を披露して行くスレ」です。
一般論、独自論、大いに結構。どんどん語りましょう。妄想、空想、想像なんでもこい!
誰かの論理を否定したり、間違いだと断定したりはしないように。
もし、そうされても、しないように。餌をあげるとつけ上がります。基本はスルーで。
コテハンさんの参加大歓迎!名無しさんも、できればコテを考えてください。
オリジナル論理を披露して楽しみましょう。新たな気付きもあるかも…
2 :
空知:2007/12/10(月) 09:11:13 ID:+XSv5B6k
お!ゲット
また幅広く来たなあw
4 :
空知:2007/12/10(月) 09:18:28 ID:+XSv5B6k
う〜ん…確かに。
5 :
空知:2007/12/10(月) 11:22:46 ID:+XSv5B6k
ま、いいや。スレの主旨に則ってカキコしましょ。
俺等が思うのは、イエスは人だったってこと。神じゃないし、神の使者でもない。
それをキリスト教の神にまつりあげたのは、イエスの没後にキリスト教を作った人たち。
彼を神にして、それを信じさせることによって、人を支配したんだと思う。
これは仏教にも言えることで、仏陀としたのはシッダールタ本人じゃない。
大体、戒律とか法って何なの?って思う。守んなくても生きて行けるし、そんな制限は必要ないと思う。
「よりよく生きる為」とか他スレで言われたことがあるけど、そもそもそれって、「誰の人生を基準に判断しとん?」て思う。
良くも悪くも、よりよくもない。人生は人生でしょうに。不満があるから、そう思うんじゃないかと思う。
宗教が阿片に転落してしまっていることが、ここにきて明白となりつつある・・・・
7 :
奈々:2007/12/10(月) 23:10:08 ID:BiTLblZ0
イエスはユダヤ教徒でしょ!
8 :
空知:2007/12/11(火) 00:56:27 ID:1Uy+rmyU
>>6 同意です。
>>7 そうです。ただ、ユダヤ教はユダヤ人のもの。
キリスト教とは違います。異なるということですが。
9 :
空知:2007/12/11(火) 01:12:26 ID:1Uy+rmyU
私が宗教を必要としないのは「それぞれを認めない」からです。
自分だけが正しい、と主張ばかりしている。
本来は「人を平穏をもたらすためのツール」だと思うんです。
ところが、認めない。譲らない。そのくせ、愛だの、慈悲だの、悟りだのと説く。
まやかしが通じる時代は終ります。
支配を目的とした宗教は淘汰されることになるでしょう。
10 :
空知:2007/12/15(土) 17:49:03 ID:Z/9e1jXq
さぁて、本拠地をここに移しますか。
人が神である。
だからこそ、様々なことが可能になる。
内面を見つめよう。自己を探求しょう。
おのずとわかる。
11 :
神も仏も名無しさん:2007/12/17(月) 21:30:11 ID:5DL729c5
何だここに移動してたんだぁ〜。
相変わらずだ誰にも相手にされて無い。
12 :
神も仏も名無しさん:2007/12/17(月) 21:32:07 ID:MOjxq9nO
イエスは宗教ではない。
真理を語るお方。歴史的にも評価される人物。
13 :
空知:2007/12/17(月) 21:41:59 ID:3kwp0edP
イエスは宗教ではない。
>同意
真理を語るお方。歴史的にも評価される人物。
>真理ではない。
真理とは「共通ではない」
それぞれが真理である。
14 :
空知:2007/12/17(月) 22:03:55 ID:3kwp0edP
イエスが偉大なのではなく、人の本質が偉大なのだと思う。
個人を崇拝すべきではない。
個人を拝することは、「人の本質以外を拝すること」になるからだ。
本質とは、一つである。
誰もが同じである。イエスが特別ではない。
清濁を合わせて飲み込んであまりある存在が人の本質である。
我々は等しく存在の意思により今を生きている。
15 :
聖なる者(主イエス様):2007/12/18(火) 02:00:04 ID:xulITtky
空知さんへ
心を売り渡すことなどできません。
相手がいないからです。
悪魔も、地獄もありません。
↑
しかし わたしは霊能力があり
町で悪さするチンピラに悪霊がついているのがはっきり見えます
もちろん天使がついてる人もいます
どちらもリアルです
また 死後は レイプした人はレイプされた人の感情を味わいます
なぜなら 他人と自分はひとつだから
その反省過程は地獄です なぜなら良心の呵責が爆発するからです
生やさしい体験ではありません
それは地獄です 特に人に酷い暴力をふるった人は凄まじい
良心の呵責が襲います それは地獄です
死後には 自分の人生を観るのです それは人によっては地獄です
16 :
空知:2007/12/18(火) 02:49:39 ID:a25QBaqy
それを地獄とするなら、確かに地獄は存在します。
しかし、それは「自分が行った業に対しての償い」であり、言わば「自業自得」
それを「現世の人を支配するための材料や恐怖」とする必要があるでしょうか?
学びは「悪と呼ばれ、忌み嫌われているものを含む全て」を指し、それを自らが選んでいる以上、どのような事態を体験することも学びと思います。
それを事前に知らせることも、愛の形かもしれません。しかし、知らせたところで、受け入れられはしません。
現にあなたも私も奇異の目でみられているし、様々な意見を言われているではないですか。
人は自由である、という現然たる事実がある以上、私は「人に恐怖を与えることを良しとすることは、私にはできません」
あ」
18 :
大野ばりふら:2008/01/25(金) 09:18:44 ID:Jm8UAEzE
どの宗教にも属さない、大きな神様がいるの。
http://www.barifura.com/wp/?p=237 というか、どの宗教だって、その神様のことを讃えていたんだと思います。
けれどそのうち、今までの神様(○○教)よりも大きな神様がいるって主張している人が神格化されてしまって、また「○○教」という一宗教に矮小化されてしまう。
宗教の歴史はその繰り返しだったんじゃないでしょうか。
言葉は概念を伝えやすくするために抽象化してしまうので、必ず取りこぼし部分ができてしまいます。
だから、今までのどの宗教にも属さない大きな神様を、人間は啓示を受け、奇跡現象を見せられ、確信し、信じ、言葉にして広めようとしますが、やがてその試みも、「○○教」という一宗教に矮小化されてしまうのです。
なんてもどかしいんでしょう。「○○教」には、神様のヒントしか残らないのです。
逆に言えば、神様は現実に病み、苦しみ、困った人の前にしか現れないのでしょうか。だとしたら、そんな神様はやっぱりひどいなって思います。
胸が潰れるような事件やニュース、現実に救いに与れていない人々を私はたくさん知っています。
神様はどうして、そういった人達を助けないのでしょうか。
それとも私が知らないだけで、その人達も何らかの方法で神様は救ってくださっているのでしょうか。
どうか救われていて欲しい、と神様の僕の一人にすぎない私は祈ります。
神様、どうか、全ての命を救ってあげてください。
私がこうして祈ることが、少しでもその力になるのであれば。
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26 :
神も仏も名無しさん:2008/03/31(月) 19:38:39 ID:FZu9nnMi
ゴータマ・ブッダも、
ダルマも玄奘三蔵も鑑真も最澄も空海も法然も親鸞も道元も日蓮も
悟りを得ることについて
努力に基づいた「才能」があった人たちだ。
才能だよ。
優秀な才能は、尊敬には値するが、
必要以上に崇拝するのはどうかと、最近考えた。
才能は
おれにはねえ。
27 :
神も仏も名無しさん:
やあ、ひさしぶり。元気?
だれか次の独自講釈してください。