カキコの後ろに、、、、、を付ければ、君もきょうから大王ファミリーだ、、、、、
仏教って用語にしても身近にあるってのがいいよね。
日本語を教えてもらえる環境にいるってのはありがたい事なのかも。
954 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2007/12/15(土) 01:14:27 ID:jcKjuikk
>>939 凡夫だからこそそういうのをやりたくなるんじゃないの?w
955 :
後悔修行者:2007/12/15(土) 01:16:09 ID:bEHijKR1
>>948 ありがとうございます。
自分の培ってきた行いを回帰し、すべては幻想であるが
たどりつく一つの真実はそこから見出せるということ言うことですね?
あなたはすばらしいです。
話をはぐらかしせずに本当に一言で解答される。知恵を在る人ですね。
坐す前にもなぜ坐すのか?課題か必要でありました。識者であれば成す。
ありがとうございます。
956 :
神も仏も名無しさん:2007/12/15(土) 01:23:07 ID:h5ZRjs2F
957 :
音響:2007/12/15(土) 01:24:48 ID:b24/vJUI
せったんファミリーっていうか、坐禅会の打ち上げかなんかでこのスレネタにして飲んでただけだろ。
彼等も五千人ですからw
959 :
◆Kami/cnLhE :2007/12/15(土) 01:57:04 ID:hDtccPUn
>>957 > せったんファミリーっていうか、坐禅会の打ち上げかなんかでこのスレネタにして飲んでただけだろ。
そ−だったんだってなー
960 :
後悔修行者:2007/12/15(土) 01:57:45 ID:bEHijKR1
?
961 :
◆Kami/cnLhE :2007/12/15(土) 02:14:01 ID:hDtccPUn
49、
蜜蜂は(花の)色香を害(そこなわず)に、汁をとって、花から飛び去る。
聖者が村に行くときは、そのようにせよ。
次々現れる知識自慢の糞コテ共のなれ合いはウンザリ。
俺は鬼和尚の話だけが聞きたい。
おれも鬼和尚が面白くてこのスレ、ロムしてたけどね、
あのファミリーは妬みが多くてウンザリ。
え、なに言ってるの?
「」に愛なんてものはないですよ
愛は人間が勝手に語ってるだけですよ。
だって「」は「」でしょうが。
965 :
『 』:2007/12/15(土) 05:28:37 ID:ZO/FV0kk
|ーーー
| |
| 愛だね |
| |
ーーーー|
966 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2007/12/15(土) 06:26:39 ID:d0TKm3xl
>>944 そゆこと言ってっから居なくなるんじゃね?
今日、このスレに神がいたな。937
IDがww
師匠のコピペはしょせんコピペだからつまんないよ。
拙くてもいいからお弟子さん達の生の声のほうがずっとまし。
969 :
なにわっこ娘:2007/12/15(土) 06:50:42 ID:w3mkd9Y0
(=゚ω゚)ノオハヨウ
皆さん元気ですかぁ〜!
だぁ!
さて坐るかな
972 :
できそくない:2007/12/15(土) 07:20:29 ID:Bq+vKle2
おはよ、寒い朝。
973 :
なにわっこ娘:2007/12/15(土) 07:33:24 ID:w3mkd9Y0
元気があれば寒さ{{(>_<;)}}も吹っ飛ぶ
(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)
974 :
里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2007/12/15(土) 07:44:49 ID:d0TKm3xl
世俗の仕事じゃ座るひまねえ。二とを追うものはいっとをも得ず?
975 :
なにわっこ娘:2007/12/15(土) 07:58:15 ID:w3mkd9Y0
坐禅は自由自在
976 :
できそくない:2007/12/15(土) 08:01:04 ID:Bq+vKle2
>>974 そんなことないです。
世間を捨てるってのは心のもんだい、僧院にいても妄想のとりこっての多いです。
逆に世俗の人でも動中工夫さっぱりとこなす人がいます。
ようはやるって覚悟だけ、出家も在家もありません。
977 :
できそくない:2007/12/15(土) 08:07:36 ID:Bq+vKle2
>>975 そうです、しっちゃかめっちゃかって感じでいいんです。
足はけっかふざで手はどうで脊椎を立ててなんて意識していりゃそりゃ坐禅にならんです。
すべてうっちゃってただうち坐る、只管打坐です。
いずれ坐禅が坐禅になる季節ってのきます。
978 :
音響:2007/12/15(土) 08:58:48 ID:b24/vJUI
979 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/12/15(土) 09:06:54 ID:rQZr59WO
>>904 馬鹿はお前だろ。なんだ、このちんぷんかんぷんなレスは。
おまえ黙示録ちゃんと読んだことねぇだろ。
黙示録の終盤には、神の大いなる大戦の後に、キリストが統治する神の千年王国がやってくる
とある。第一の復活とはキリストをあかしをし、神の言を伝えたために首を刎ねられた
者達がその時代に復活するとある。それが第一の復活だ。その時代を終えた後に、古い天地は滅るとある。
つまりその時代を経た後に、世の終わりが来ると書いてあるんだよ。その時代を経た後でないと、
この世界は滅びず、存続していると言うことになる。第一の復活とはその時代に再びこの世に生まれる
人達のことを言ってるんだよ。神の仕組んだ大いなる大戦の後、大淫婦は滅ぼされ、
今の価値観とは違う、キリストの統治する、新しい価値観の時代が来て、その時代に生きる者は、
真理を受け入れ、真の命を得る。イエスの説いた、イエスの掟を受け入れる心を持てる者は、
そのような業を持つ者に限られるということだ。今の時代の価値観にどっぷり浸かり、
大淫婦の支配する我々には、たとえイエスの言葉を受け入れても、それを行うことは難しい。
だが疎に時代に預かる者は、彼の言葉を受け入れる。だが、今の時代に、彼の言葉を聞こうとも、
彼の言葉を決して受け入れようとせず、己のエゴをひたすら愛する者は、その時代には預かれない。
その人の業ゆえに。それが因果応報というものだ。俺はなぜその時代に預かる者を第一の復活と呼び、
その後の真の復活と分けてあるのか、その意味をよく理解している。これは非常にうまい喩えだ。
なにが第一の復活とは、最後の審判の前で裁きの前に一時的に生き返ることを言うだ。
最後の審判が千年も続くのかよ、おまえの言っている能書きは、最後の審判と、千年王国とごっちゃに
なっている、めちゃくちゃなものじゃないか。おまえ、俺に説教するくらいだから、
黙示録には、この第一の復活に付随して、第一の死と、第二の死のことが書かれているのは
もちろん知ってるんだろうな?おまえの馬鹿理論で、第一の死と、第二の死と、
この第一の復活との関連性を、整合性のとれる話で説明してみろ。利口な人が読めばおまえの
低脳ぶりがよくわかる。おまえの話はちんぷんかんぷんで、めちゃくちゃなんだよ。
980 :
音響:2007/12/15(土) 09:10:38 ID:b24/vJUI
うぉ、すごいな。
煩悩執着ってのはエネルギーだなぁー
981 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/12/15(土) 09:12:08 ID:rQZr59WO
>>980 なんかいったか?智慧の欠片も無いくせに、態度だけは一人前の人。
982 :
音響:2007/12/15(土) 09:13:59 ID:b24/vJUI
>>981 いや、褒めてんだよ。
その煩悩執着も何かの縁だろ。
983 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/12/15(土) 09:25:31 ID:rQZr59WO
彼の子羊は、たとえ大淫婦の支配するこの時代に生き、イエスの言葉を聞き、彼の掟を守れなくとも、
彼の言葉は受け入れる。そして自分は悪い存在だと自覚している。
だが彼の子羊に属さない者は、彼の言葉を聞いても、決して彼の言葉を聞こうとしないだろう。
彼らは、次の時代に預かることは無い。その業ゆえに。
これはイエスと言う男を信じろと言う話ではない。彼の言葉を受け入れる心のある人なのか、
無い人なのかという話である。真理に至る道とは、善の修業を完成させることだと言った。
エッセネ派の流れを汲むとされる誰もが知るある団体では、シンボルマークとして、コンパスと、直角定規を
合わせたものがある。コンパスは道徳を示し、直角定規は、真理を示す。直角定規と、コンパスは、
一対のシンボルマークとなり、それはダビデの星を表す。道徳の完成は、真理に至る道だ。
これを否定し、受け入れない者は、命を得ないだろう。
984 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/12/15(土) 09:37:28 ID:rQZr59WO
結局バカルカなんてのは、知ったかでものを言っている浅はかな、愚か者に過ぎない。
よぉバカルカ。女は男の前では黙ってろと言ったろ。女は黙って男に従えばいいんだよ。
おまえにこの言葉の意味がわかるか?このことはパウロも言った。女は男の前では黙ってろ。
女がでしゃばると、ろくなことは無い。おまえのレベルは、所詮は女の浅知恵なんだよ。
ところでおまえ、他人の言説にケチばかり付け回ってんじゃねぇぞ。
おまえの行動は、真理を知らない表われだ。おれは釈迦がなぜ、真理を悟るものは、議論争論をしては
ならない、それは真理に反するからだと言う趣旨の話をしたのか、その意味をよく知っているぜ。
俺が他人の無知で失礼な反論にいちいち反応しているのは、俺の心の未熟ゆえ。そのことはよく自覚している。
自分のしていることも知らずに、他人に議論を吹っかけているおまえ達とは違う。
女は男の前では黙ってろ。この言葉の意味を知るものは、己の心を知り、この世界の造り主を知るだろう。
985 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/12/15(土) 09:53:15 ID:rQZr59WO
いちいち出典先の文言を探すのは面倒なんで、文言は割愛するが、
グノーシスにははっきりと、この世は流転すると書いてあるどころか、グノーシス関連文書には、
はっきりと輪廻について書かれている書物もある。別に新約聖書の内容にも矛盾しないものだ。
はっきり言っとくが、新約聖書に、輪廻を否定するものなどどこにも書かれていない。
否定しているのは、今の教会と、その教えを妄信している今の信者と、どうしても、仏教と、キリスト教を
分けて考えたい、一部のおかしな仏教徒だけだ。バカルカなんてのも、ろくに聖書も読まずに、
ただ、今の世間の定説を妄信し、それを前提に話しているに過ぎない。
どんなにもっともらしい能書きを垂れても、所詮は、女の浅知恵。
ちなみに黙示録は、キリスト教において、また聖書においても、非常に重要な位置にある。
あの荒唐無稽な文章に隠されたメッセージを読み取るものは少ない。旧約は、イエスの十字架により
成就した。黙示録は、神との新しい契約、新約そのものだ。神は、神の千年王国を我々に約束したんだよ。
そして、世はまさに新約の成就に向け、動いている。一神教は、我々に破滅的な争いを起こす
ために存在している。中東の出来事はなにも偶然ではない。
しかし、黙示録と聞けば、条件反射的に馬鹿にした反応をするとは、とんだ低脳児がいるもんだ。
内容も読めないくせに、よく知りもしないで、馬鹿にできるものだと、ある意味関心できる。
もっともこの程度の智慧の持ち主に、黙示録の内容は読み解けんだろうけど。
986 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/12/15(土) 10:07:57 ID:rQZr59WO
ここで聞く耳のあるものに、黙示録の内容を解き明かそう。
旧約を少しでも知るものなら、イスラエルとは、神と戦う者という意味であることはよくご存知だろう。
イスラエルとは、我々この世に生きる、人間の喩えだ。そして黙示録には、今の天地が滅び、
新しい天地に、美しく輝く新しい都、エルサレムが花嫁と称して描かれている。
エルサレムとは、イスラエルの首都。それはイスラエルの中心部でもある。
マタイ
>ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。
>ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことで
>あろう。それなのに、おまえたちは応じようとしなかった。
ヨハネがみた、新しい天地のもと現れる新しい都エルサレムが、非常に美しく描かれているのは象徴的だ。
イスラエルの中心地、エルサレムとは、我々の心のことなんだよ。
そして黙示録に描かれている紙の千年王国の前に滅ぼされる大淫婦とは、欲にまみれた、今の時代に生きる
我々の心のこと。
987 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/12/15(土) 10:11:54 ID:rQZr59WO
何度も言うが、黙示録に書かれている、神の千年王国に預かる第一の復活とは、
ベースに輪廻思想あっての話だ。この時代に預かる者は幸いである。彼らは生きるだろうから。
>> ああ、エルサレム、エルサレム、 ・・・ よ、
いいですねえ。 壮大な物語 のよう、 この美しいセリフ で。
中東人、白人達は なにかとオーバーな所があるけど でも goo 。
カラスさんが はいると 異国的でレスが ひきしまって goo .
ハーフの美しい人とのようで 。
仏教だけ のレスより 華やかに 。
今日天気いいし、外行って、サイクリングで嵐山お寺めぐりでもしてきます。
カラスさんも、外天気いいよ。
990 :
後悔修行者:2007/12/15(土) 11:22:44 ID:bEHijKR1
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2さん へ
おはようございます。
マイトレーヤとはどの文献から出てきたものですか?
教えていただければいいのですが。
あのなぁ、カラス。
そもそも黙示録はキリストが書いたわけでも、キリストの言を明記したものでも何でもないんだぞ。グノーシスの輪廻も同様。
こんなもの資料に値しない。要するに君が嫌うカソリックや禅のごとくもともとのキリスト教が歪んで出来たものに過ぎない。
君はただ古いから、という理由で受けいてれるに過ぎない。
縁起で空ね。無のお陰様。
さっぱり悟りは開けない。
今ここ。
>>984 >女がでしゃばると、ろくなことは無い。おまえのレベルは、所詮は女の浅知恵なんだよ。
カラスの唄さんはお母さんに育ててもらったのではないの?
家庭の複雑な事情とかあったらゴメン。
994 :
できそくない:2007/12/15(土) 12:31:51 ID:FcL+/7Hl
悟り終わって悟りなし
ダライラマが仏教タイムズのインタ−ビュ−に答えて、「悟のないのは仏教とはいえない。」
と云った、そりゃただの信仰だと、わたしのまだ出家して間もないころだった、
「へえチベット仏教なんてたいしたことないと思ってたけど、しっかりしてるじゃないか。」
そう思ったことだった。そりゃ悟なければ、仏教ではない。悟なければ、他の常識ごと殺し文句と同じです。悟があるから、たといどのような問題にも答えを出すことができる。
ですから普通には取り付く島もないふうに見える、そりゃそうなんです、一般常識で解釈できるんなら、そりゃそれだけのものです、なにかあると総崩れになっちまうです。
そうじゃないんです、金剛不壊と云われる本来のありようです、帰家穏坐です、シャバに吹き荒れるどんな嵐もここに来れば、まったく納まる。
そうでなけりゃ役立たず、仮にも宗教とは云えんのです。
他の宗教は信不信による、鰯の頭も信心からです、らしく眼蔵牽強不会も、こうだってんで信じ込んでお人形さんやってりゃ、そりゃまあ信仰とは云える。
でも仏は信不信によらぬ。信仰の荒唐無稽を取らないんです。一よければ多悪い、たいていひとりよがりの信仰です。宗教の功罪罪のほうがよっぽど大きい、人類の歴史が証明するところです。
そりゃ思想イデオロギ−も一神教の延長上にあった。
人間も目を覚ます必要がある。
如来来たる如し、ものをあるがように受け入れる以外にないこと、真実相です、いらんものよけいことは不要というんです。
これが釈尊の教えです。
995 :
音響:2007/12/15(土) 12:33:31 ID:b24/vJUI
>>994 ふうん、できそくないはなんで出家したんですか?
996 :
できそくない:2007/12/15(土) 12:34:53 ID:FcL+/7Hl
ところがことはまったく単純だったんです。
一切事について思いつくかぎりを試みて、
「ついになんにもならず」
刀折れ矢尽きて、ガンジス河の辺菩提樹下に座す、手つかずなんです、なにをどうしてもどうにもならんから、自ずから諸縁を放捨です。
するとこういうことが起こった、身心が失せるんです、生まれたまんまに戻ったといったらいいか、生まれる以前というべきか、体も失せ心も失せ、身心の失せたことにも気がつかない、忘我です。
心意識の欠如なんですよ、それがたまたま明けの明星によって一念起こるんです。
「我と有情と同時成道」
自分というものまったくなくってものみなあるんです。こりゃやってみなくっちゃとうていわからんです。
類推の識域を超えるんです、宇宙と一体化するっていえばそういうこったろうが、じゃそれを観察するっていう余計ものがない。
とやこういったってしょうがない、やってみるっきゃないし、たとい理由付けは二束三文です、うれしくもなけりゃ実際でもないもの、いくらひけらかしたってアホらしいってより、ただの害悪です。
驚くべきことに仏教一切事すべてこの一瞬に成立するんです。
「この宗ごう末なれども一切沙界含容す」
もと如来としてあったものが、いつのまにか自分も知らぬまに迷い出して、ついにわけがわからなくなっている、それをもう一度きしっともとに戻してやる。
戻ったとたんあ−そうかっていうんです、他になんにもなかった、わずかに自分という架空現象の思い込みがあった、それによってとたんの苦しみがあった、今雲散霧消する、脱落身心です。
真実相です、如来来たる如し、まさにこの通りというんです。
997 :
音響:2007/12/15(土) 12:35:40 ID:b24/vJUI
>>993 煽り言葉にそういうレスをしても。違う次元のおはなしだとおもうヨ
998 :
できそくない:2007/12/15(土) 12:37:38 ID:FcL+/7Hl
五祖禅師がおうむしょじゅうにいしょうごうしんの一語に悟ったのは実にこれです。
般若心経に端的に記されています。
悟とは人間のメカニックそのものです、一回的にこうあるんです。メカというと外部操作ができるんですが、こりゃ自分のこったでどうもこうもってことになる。
正師につく以外ないと云われるゆえんです、無心から有心へ迷い出て無心に帰る、もと無眼耳鼻舌身意です、二二んが四みたい簡単です。正師−たまたま先にやってみたんです。ノウハウがあるんです。
いろんなこと云うのはわからん人です。
次に悟を得たとはもとへ戻ったということなんです、もとへという本来復帰は一回こっきりです。だから、
「悟を得て悟のないことに気がつく」
んです。ここが言葉の上の理解では首かしげちまうんですが、実際にはこうなってるってだけです。
ですから悟った人は悟りを云わない、悟らない人がいろいろ云う。ここを坊主どもは故意か偶然か−頭悪いってだけだけどさ−間違えるんです。
なんと自分が生まれつきお釈迦さん〜道元さんだっていうわけです、いやはやってただのでたらめですよ。無心忘我体験のないことには、
「自分というどしようもないもの」
にけりがついていないんです。だったらなんにもならない、我欲の為にしかできない、仏教のこといってるようで、おれがおれがって云ってるだけ、しかもなにかというと洞喝するのは、仲間を頼んでの他なんにもないからです。
仏教はほんらい仏、いろんな人もいいけど、たった一人もいいんです、すなおで余計ことしない。草や木や鳥や雲の仲間なんです。
強いていえば生きている楽しさですか、それが一体化してこうあるんですよ。理屈なんか云ってないで、どこのだれだって関係なく、お釈迦さんの追体験なんです。
行ないすますとからしくの世界じゃない、実のことです。
(コピーですまんです、敬愛する師のことばです。)
999 :
音響:2007/12/15(土) 12:40:45 ID:b24/vJUI
「この世の実相を会得せずして、どんな宇宙や天地の虚相を究めても、
それは皆、依草附木、野狐の妖怪にすぎない。」
1001 :
1001:
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