イエス・キリストは、日本に降臨なされた。

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133神も仏も名無しさん
☆正義と善☆
この世で正義と善を認め、肯定するのであるならば死後の生、いわゆるあの世と神の存在は認めなければならない。
この世で善を認めると言いながら、返す刀であの世の存在と神の存在を認めないと言われる方は矛盾しております。

死後の生がイコール無である前提から正義と善はこの世で成立しない。死後の生が無であると言われるならば、
人間は自我の性質から必然的に利益に向かいます。死んで無になるわけですから、自己にとって得な方向を選択し、
利益を目的化するのは必然と言えます。

そして利益を目的化しますならば世界の腐敗、人類の腐敗、環境破壊は自然の摂理に即した当然の帰結となります。
それは人類自身が、人類自身の選択において自律的に選択した結果であって、利益や国益を目的としながら
環境を良くしたり、 あるいは神とあの世の存在、並びに信仰を無視して人類救済を実現するのは不可能ということです。

これを「無知」と言いますが、あの世が在る、神の存在が在る、
死後の生は在るという前提からのみ神の善悪や正義はこの世で成立します。
「死後の生」イコール「無」の等式と共にこの世で倫理は成立しないということです。
134神も仏も名無しさん:2008/01/22(火) 23:19:26 ID:wvwXZv+Y
>>133 続き
神の存在とあの世の存在が、もしないと言われるならば、この世で正義と善は成立しません。
何となれば死んで無になるわけですから、誰でも利益に向かうことになるからです。
神への信仰とあの世の存在を説かなければならない理由もこの世で善悪が成立しようがないからです。

この世で正義と善を認めるならば、神の存在とあの世の存在は、これを必然的な存在として認めなければならない。
これがカント哲学で主張された思想です。神の存在と霊の不死は倫理観から必然的に要請されるということです。
信仰の義務を人間の義務として生命の本然の性質として開示する価値を神理と言います。

神の存在やあの世の存在を無視してみたり、分からないといった前提から何の善悪を論じているのでしょう。
何を善として何を悪としているのでしょう。虚空に釘を打つような真似は止めなさいと言っているのです。

単にその存在を認めるなどというのは、傲慢以外の何ものでもない。
神への絶対服従と信仰というのは永遠の人間としての義務となっているのです。
というのはその心を知るために人は永遠の生命を与えられているからです。