【親鸞聖人が】浄土真宗親鸞会【泣いている】

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306渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
 高森仏教はここが間違い。

 高森仏教は、信心がない会員にも破邪顕正をやらせる。信心がない人に仏教を語らせようとす
る。これが間違い。布教・伝道は信心決定者の仕事であって、信心の無い人が無闇にやることで
はない。信心が無いとはどういうことか。邪定聚の機と不定聚の機とがいる。

 「わしゃ念仏はいやじゃ。称えとうない。梃子でも念仏などは称えんぞ」。このように腹が固
まっている人を邪定聚の機という。こういう人も、親鸞会は会員に誘っている。会員になってい
る。このように腹が固まっている親鸞会会員が、どうして非会員に念仏を勧められるだろうか。
他人に念仏を勧めなければ地獄に堕ちると脅迫されれば、キチガイになる。結局、親鸞会会員は、
非会員に念仏を称えなくていいんだという話しかできない。念仏を称えなくていいんだという話をす
る。そうすれば邪定聚の機も会員になる。

 偉い人々(諸仏)が、西でも東でも、南でも北でも、口を揃えて念仏を勧めていると聞けば念
仏を称えてみようかなという気になる。しかし、勧められなくなると、念仏は止まってしまう。
これが不定聚の機だ。こういう親鸞会会員が念仏を称えていない非会員に念仏を勧められるだろ
うか?。他人に念仏を勧めなければ地獄に堕ちると脅迫されれば、キチガイになる。こういう人
は念仏を称えなくていいんだという話しかできない。実際にも、念仏を称えなくていいんだとい
う話をする。こうして邪定聚の機も不定聚の機も会員になる。

307渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/04(日) 13:15:59 ID:FqalJmEP
>>306
 信心の無い人、つまり、邪定聚の機や不定聚の機には、念仏しなくてもいいんですよという話
ししか、本質的にできないのだ。高森さんが、念仏は信後であり、信前ではないと、阿弥陀経を
否定する教えを説いているというのは、そういう事情がある。

 真宗の安心は根本から転覆される。信心正因、称名報恩が真宗の本旨で、念仏はすべて信後報
謝の念仏に限る(伊藤康善)
 高森さんの真宗論は伊藤康善によるようだ。伊藤康善は阿弥陀経を否定する教えを説いているよ
うだ。結局、この伊藤も、高森から類推すれば、信心の無い人つまり、邪定聚の機や不定聚の機だ
ったと言うべきだろう。華光会も親鸞会も、本質は共通していると考える。

 仏教が分かっていない人。親鸞仏教のイロハ、信心の無い人。邪定聚の機や不定聚の機が真宗
を扱えば、親鸞会のような外道の宗教になる。