【親鸞聖人が】浄土真宗親鸞会【泣いている】

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294渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
 高森仏教はここが間違い。

 仏の教えには三種類ある。一つは正定聚の機に向かって説かれている教えである。二つ
目は不定聚の機に向かって説かれている教えである。三つ目は邪定聚の機に向かって説か
れている教えである。正定聚の機に向かって説かれている教えを不定聚の機や邪定聚の機
に説いても意味がない。正定聚の機に向かって説かれている教えを不定聚の機、邪定聚の
機に説けば、真実の信心が得られると思っている人がいるようだが、見当違いも甚だしい。
不定聚の機や邪定聚の機には、それぞれ説かれている教えがある。

 邪定聚の機に向かって説かれている教えを不定聚の機に説くとどうなるか。これも全く
意味がない。邪定聚の機に向かって説かれている教えは、邪定聚の機に向かって説くのが
適しているのであり、これを不定聚の機に向かって説くことは見当違いも甚だしい。
 邪定聚の機は、「念仏なんか嫌じゃ。念仏なんか称えたくない。わしゃ、そんなもの称
えんぞ」と腹を固めており、念仏に向かっては梃子でも動こうとしない人だ。
 不定聚の機は、腹を固めているわけではない。熱心に勧められれば「まあ、そんだけ勧
めるんなら、念仏でも称えてみようか」という気を起こす人だ。
295渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/04(日) 10:50:35 ID:FqalJmEP
>>294
 邪定聚の機には念仏を勧めない。ほとんど勧めない。その代わり定善・散善を勧める。
定善とは精神統一であり、散善とは廃悪修善である。邪定聚の機とは、タイプが様々であ
り、しかも念仏ではくくれない。だから念仏以外の様々な教えが含まれている。これは定
善(精神統一)又は散善(廃悪修善)という大きな枠組みでくくることができる。ただし
これらは、浄土の要に逢うことはできない(化身土)。
 邪定聚の機に説かれている教えは、「浄土の要に逢うことはできない」ということは大
事なことだ。これは不定聚の機にいくら説いても、「浄土の要に逢うことはできない」。
当たり前のことだ。

 熱心に勧められれば「それじゃ念仏を称えてみようか」という気を起こす人、つまり不
定聚の機には、不定聚の機に説かれている教えを示さないといけない。不定聚の機に説か
れている教えとは、阿弥陀経なのだ。そこでは、一心不乱に念仏を称えよと説いている。
熱心に勧められれば「それじゃ念仏を称えてみようか」という気を起こす人には、阿弥陀
経を中心に話をしなければならない。

 不定聚の機というのは、真実の信心があるわけではない。勧められれば念仏を称えるが、
勧められなくなれば念仏は止まってしまう。定善や散善を説かれれば、その方に移ってい
く。実に可塑性に富んでいる。念仏を勧められなければむしろ定善が肌に合っているとい
う人、念仏を勧められなければむしろ散善が肌に合っているという人、がいる。そいうい
う人々がいるのだ。
 定散自力の念仏は 果遂の誓いに帰してこそ おしえざれども 真如の門に転入する。
精神統一的に称える念仏でもいい。廃悪修善的に称える念仏でもいい。真実の信心がない
我流の念仏でいいんだ。念仏を称える者は決して捨てておかないぞという仏の誓いをたよ
ってずっと続けていけば、人は、続けていく中で、知らず知らずの内に真実の世界に入っ
ていくだろう。親鸞はそう教えている。
296渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/04(日) 10:52:10 ID:FqalJmEP
>>295
 不定聚の機に説く教えを邪定聚の機に説いたらどうなるか。
 「この上は念仏を採りて信じ奉らんとも、また捨てんとも、面々の御計らいなり」。自
分から去っていくだろう。
 信謗共にあるべし。邪定聚の機は念仏の集まりから去っていく。これは追いかけてはい
けない。無宿善の機に至りては力およばず。邪定聚の機には、無闇に念仏の話をすべきで
ない。当流の他力信心の一通りを勧めんとおもわんには、まず宿善無宿善の機を沙汰すべ
し。仏法の話をしようと思えば、まず、相手が邪定聚の機か不定聚の機かを考えないとい
けない。相手は、念仏を勧めれば念仏を称えるような人か、念仏を勧めても念仏を称えな
いひとか、そこをよく考えるべきだ。

 高森さんの大きな間違いは、邪定聚の機も不定聚の機も、見境無く誘うことだ。邪定聚
の機にも不定聚の機にも、見境無く声を掛け、邪定聚の機向けの仏法(観無量寿経)を説
き、極楽浄土に往生できますよと、大風呂敷を広げる。邪定聚の機向けの仏法を聞けば、
人は正定聚になるのか。そんなことはないんだ。
 念仏嫌いの邪定聚の機の高森さんは、自分が邪定聚の機、無宿善の機であることを知ら
ない。それで宗教商売に手を出した。ここが間違い。邪定聚・不定聚・正定聚の関係が、無
茶苦茶なのだ。