【浄土真宗】妙好人と学ぶ【信心獲得(決定)】

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>>712,719
法論するつもりはありませんが、どうして、そう断言されるのでしょうか。
有縁の方が勘違いされないように、参考に申し述べます。

◎雑を修するは至心ならざれば、千が中に一もなし、と(往生礼讃)

◎あに百即百生の専修正行を捨てて、堅く千中無一の雑修雑行を執せんや(選択集)

◎もし専修の者は、十は即ち十ながら生じ、百は即ち百ながら生ず。もし雑修の者は、百の中に或いは一両人の生ずることを得、千の中に或いは三・五の人の生ずることを得(楽邦文類)

◎しかるに自力の道は化益なお難し。故に見聞する所、現在の得益は未だその証を得ず。故に千が中にその一もなしというなり(六要抄)

「一万人に一人もいない」は言い過ぎだったかもしれませんが、現状は、
ご聖典が言うところの「雑行」もできていないと考えます。
少なくとも、「千人に数人くらいではないですか?」のような
つっこみになると思います。
化土往生できる人が千人に数人いるとして(私は今どきそんなにいるとは
考えていません)、それでも、化土に往生する人の方が多い。
つくづく、報土往生は難信である、という意味でしょう?
そう読めないことが不思議です。書いてある通りに読めば、
そうなると思います。