臨済録を読む

このエントリーをはてなブックマークに追加
116神も仏も名無しさん
915「太陽の裔である偉大なブッダ、あなたに遠離することと平安の境地とをお尋ねします。
 修行者はどのように観じて、世の中の何をも執着することなく安らぎに入るのですか?」
916『ブッダは答えた、「考えているものである我がいる」という「虚妄の思考の根源」の
           一切を破壊せよ。
           内に存するいかなる妄執をもよく導くために、常に心して学べ』
                            <スッタニパータ>

仏教は無常=無我=縁起にて候、無執着にて候。
仏性=真実の自己=主人公=アートマン観念への妄想執着は仏教にあらず、
ましてや「三界の輪廻」妄想に及んでや。

下半身がバラモン=ヒンドゥに侵食された自称「仏教」がある

だから現実の日本には禅宗でもバラモン的『葬式仏教』しかない。