573 :
hage :
2007/12/11(火) 11:59:33 ID:m9kGAVOR どんな存在もその中に無限に自己以外の内容を含み、善の中にも悪が、仏の中にも 地獄を具え、地獄にも仏の世界を具しているとしています。迷いの生存、輪廻を繰り 返していく生死の世界が実は、そのまま涅槃の世界であるというのは、理解しがたい ことですが、本来あらゆる人間に仏性があり、成仏を本来、理屈( 理) の上ではして いるのであるということになれば、やや諾けることです。
574 :
hage :2007/12/11(火) 13:09:40 ID:m9kGAVOR
宝塔品で、釈尊は「如来の肉体は間もなく滅びる、 この法華経を譲り、弘通を委嘱する( 付嘱) 時が迫った。今や、その時に至った、誰 か弘経を希望するものは名乗り出よ」と、釈尊の滅後にご弘通をする者を募られまし た。その後、滅後の弘通は多くの困難が伴うことを示され( 六難九易) ました。その 後の堤婆達多品第十二では、仏法の上では一番の悪人とされる堤婆達多( 自ら新仏と なったと宣言して僧伽の分裂をはかり、釈尊の命を奪おうとした) と、八歳の龍女が 即身成仏したことが説かれます。この龍女の成仏は、女人の成仏を顕し、これは聴衆 の菩薩が六難九易の説法を聞いて弘通の意欲を喪失するのを恐れて釈尊が説かれたの です。勧持品第十三では、この娑婆世界に旧くからいる二万の菩薩の弘経の誓い、さ らに阿羅漢、比丘尼等が他の世界で弘経する旨の誓いが立てられ、また、八十万億の 数多くの菩薩が仏の滅後にあって法華経弘通の時に必ず現われる三類の強敵が迫害を するであろうが、これを忍んで弘通いたしますという誓いが述べられます。そして、 安楽行品では、これらの誓いを立てた菩薩の忍耐力がいくら強くても、三類による難 を忍ぶのは困難なので、そのような難の及ばない安楽な修行法を教えようと安楽行品 第十四が説かれるのです。
575 :
hage :2007/12/11(火) 13:11:09 ID:m9kGAVOR
そして寿量品の前の従地涌出品第十五では、他方の国土からきた菩薩方が、もしお 許しがあれば娑婆世界でご弘通をいたしましょうと申し出たところ、釈尊は、「止み ね、善男子」と止められて、滅後の法華経のご弘通はあなた方の任ではなく、実はこ の娑婆世界には、既にこの経を弘める使命を担っているものがあるのだといわれるの です。そして、大地が震裂して現われたのが、上行( ヴィシシュタ・チャーリトラ) 、 無辺行( アナンタ・チャーリトラ) 、浄行( ヴィシュッダ・チャーリトラ) 、安立行 ( スプラティシュタ・チャーリトラ) という四菩薩をリーダー( 導師) とする無量百 千万億の菩薩です。この菩薩方は大地から涌いた菩薩というので、地涌の菩薩といわ れます。 この四菩薩をはじめ地涌の菩薩は、皆、釈尊と同じように金色に輝き、三十二相( 三 十二種好相) という仏にしか現われない特徴を有しており無量の光明を放っているの です。そして、弥勒菩薩がこれらの地涌の菩薩はいったいどこから、どんな因縁があ って来られたのか、また、誰がこれらの菩薩を教化して導いてこられたのか、どんな 法を修習してきたのかと問います。
576 :
hage :2007/12/11(火) 13:12:54 ID:m9kGAVOR
この問いに対して、釈尊は、彼らは皆、この娑婆世界で釈尊ご自身が教導されてき た弟子であり、娑婆世界の下の虚空に住んでいたのだと答えられます。 この答えに対して、釈尊が菩堤樹の下でお悟りを得られてから、それほどの時間が、 四十余年しか経っていないのに、これだけの数の菩薩を教化して来られたとはとても 信じがたいというのです。さらに、釈尊が二十五歳とすれば百歳のように見えるほど の姿をしているのにどういうことでしょうかと問いを発します。 これに答えられて説かれるのが、この如来寿量品です。 ここで、釈尊は「一切の人々は、釈迦牟尼仏はシャカ族の王子の身分を捨てて出家 して、菩堤樹の下の道場で悟りを得て僅かな時間しか経っていないと思っているが、 実はそうではない、成仏して已来、無量無辺百千万億那由佗劫という時間が経過して いるのである。」と、無限の過去、久遠に成仏を果たしている仏であったのだと真実 を明かされるのです。
577 :
hage :2007/12/11(火) 13:14:53 ID:m9kGAVOR
その時間がどのくらい長いものであるかを、五百塵点劫というたとえで説明をいた します。那由佗は千億を意味し、劫は梵語でカルパといい長時間の単位を意味する言 葉です。五百塵点劫とは五百千万億那由佗阿僧祇の三千大千世界をくだいて、すりつ ぶして微塵となし、東の方に進み五百千万億那由佗阿僧祇の国を過ぎて、その内の一 塵( 一粒) を下しておき、さらにまた東方に行き、とうとう一塵もなくなった時、そ れまで過ぎ去ってきた世界をことごとく塵として、その一塵を一劫とする。その全体 の塵はどのくらいあるか分からないくらいですが、それと等しい劫というのは気が遠 くなるほどの長時間ですが、それより百千万億阿僧祇劫以前に成道し悟っているのだ と言われるのです。 つまり、如来の命はそれほどの過去から続いているのであり、その間、衆生の救済 をし続け、法華経を説きおわった後、ご入滅をされた後も永遠に救済を続ける仏であ ると宣言をされるのです。 つまり、過去久遠からの救済活動、現在の衆生に対する救済、未来の衆生の救済を あわせて説かれるのです。 そして、なぜ永遠の命をもって救済を続ける久遠本仏が、入滅の姿を顕すのかとい えば( 実の滅度にあらざれども而も唱へて当に滅度を取る) 、それは人々に仏に対し て恋慕渇仰の思いをいだかせるためであり、方便だからです。もし、如来が久しく生 きたままでおられるならば、誰でもおごりほしいままにして飽きてしまいなかなか遭 いがたいという想い( 難遭之想) や、敬い( 恭敬) の心を起すことがなくなってしま うということになります。
578 :
hage :2007/12/11(火) 13:20:39 ID:m9kGAVOR
このことを良医病子のたとえをもって釈尊は説明をされますが、概略を申しますと 「一人の名医があり、沢山の子息があった。用事があって、他国に赴いたとき、子供 達が誤って毒薬を飲んでしまった。非常に苦しみ悶えていたが、その時、父の名医が 帰り、本心を失ってしまった子や、まだ失っていない軽い症状の子もいた。助けを求 める子を見て、名医は薬草の色や香り、美味がそなわったものを調合して与えた。本 心を失っていない子はこれを飲んで治ったものの、本心を失っている子は飲もうとし ない。毒気が深く入り込んで分からなくなっているからである。そこで、一計を案じ て、その薬を枕元に置き、他国にまた出かけて、使いの者に父の名医は既に死んでし まったと告げさせた。これを聞いて、失心してしまった子達も大いに憂い、孤独感に 襲われ、悲しみ、ついに我に帰り毒から醒めた。「自分の病を治してくれるものは、 もはやこの薬しかない」と悟って、薬を服用したところ、たちまち治ってしまったの である。父は、子どもの病気が癒えたことを聞いて、急いて帰国して再会して喜び合 ったのである。」 この名医のしたことは、みな方便であって、決して嘘偽りをいったとして罪を問う ことはできない。実は不滅のいのちを如来は持ちながらも方便の力によって滅度を現 すのであると結んでいるのです。 この後、寿量品では、偈頌( 詩文) によって、補足をしながら再度、このことを繰 り返して説かれますが、これが有名な「自我偈」です。この「自我偈」は、古来から 珍重して読誦されている部分ですが、当宗では読誦は不要とされているので読みませ ん。
579 :
hage :2007/12/11(火) 13:22:31 ID:m9kGAVOR
この寿量品で顕された仏、久遠の本仏は歴史上の釈尊の本体ともいえる仏で、同時 に法華経や法華経以外で説かれるさまざまな仏の根源の仏様です。法華経では沢山の 過去仏といって、過去に出現された仏様の名前が出ています。日月灯明仏、燃灯仏、 大通智勝仏、空王仏、多宝如来、威音王如来、日月浄明徳如来、雲来音王如来、雲来 音宿王華如来などで、原始仏教以来、過去仏思想があり、釈尊以前から真理を悟った 仏陀は過去にも存在したという思想があったといいます。それは、仏陀という言葉自 体が仏教のみに限らず、インド一般の宗教でも使用されていた普通名詞であることか らも推理できるのです。 また、未来仏思想というものもあり、弥勒仏は五六億七千万年後に出現される仏と して信仰されてきました。また、法華経以前に説かれたといわれる爾前経では主役と して登場し、また、法華経にもその名がみえる阿弥陀仏や阿 仏など、東西南北、四 維( 東南、東北、西南、西北) 、上下の国土の仏が説かれています。 これらの多くの仏が法華経寿量品に現われる久遠本仏に見事に統一されるのです。
580 :
hage :2007/12/11(火) 13:30:31 ID:m9kGAVOR
さらに、法華経の久遠本仏という仏が、他の経典に説かれる仏と異なるのは、久遠 本仏が基本的には報身であるという点です。正確にいえば、三身即一の報身本仏とい います。報身というのは、サンボーガカーヤ( s a m b h o g a - k . y a ) というサンスクリット の訳ですが、修行の結果悟りを得られた仏身つまり仏の身体という意味です。他の経 典では、釈尊の残された教法を仏陀の一種の身体として法身というようになりました。 仏教学者の認めるところでは、釈尊のご入滅直後、仏身については、この法身と生身 ( 色身) の二身説が唱えられるようになったとされます。その後、仏身に対する考察 がすすみ、法身( ダルマカ― ヤ、d h a r m a - k . y a ) は真理そのもの( 法性、真如) 、仏陀 の生身はこの法身から衆生の救済のためにこの世に応現した応身( 化身、ニルマ― ナ カ― ヤ、n i r m . n a - k . y a ) とされるようになり、さらに報身を仏が実際の修行の結果、得 られた仏身として説くようになったといいます。これを、法報応の三身説と申します。 法身は永遠の真理であるので始めも終わりもない無始無終の仏身、応身は始めがあり 終わりもある有限な有始有終の仏身とされます。報身は、仏になる原因となる行を積 み、その結果の報いとして完全な功徳をそなえた仏身( 因行果徳身) で、因行という 始めがあり、終わりのない永遠の真理と一体となったのですから有始無終といわれて います。そして、法身は理を、報身は智を、応身は悲( 慈悲) を象徴するとされます。 法身が永遠性を有すること、法身の非寿は諸教の常談といわれ、いわば仏教の常識 であるけれども法華経では久遠の昔に成道した本仏が永遠性、常住性を有することが 特徴です。
581 :
hage :2007/12/11(火) 13:31:48 ID:m9kGAVOR
法華経の久遠本仏は、報身であるのですから始めはあるのですが、その始めが過去 久遠という始めなき始めですから、特別な報身ということになります。また、未来に も永遠の救済活動を続ける仏ですから、常住の仏ということになります。 法身というのは、いわば観念上の仏であり、具体的ではなく人格を持たないのです が、報身は信仰の対象となり得る人格をそなえ具体的な修行をともなっている仏なの です。そこに、私たちのお手本としてどんな修行を、どのように実践したら良いかが 明確になるから有難いのです。本仏が久遠の昔に成道される前に最初にされた修行、 つまり私たちと同じ凡夫であったときの修行をすれば私たちは良いのですが、そのお 手本の修行こそ、信心なのです。 四信五品抄には「信の一字を詮と為す」とあり、信こそ久遠本仏の修行、本因妙で あることを明らかにされています。
582 :
hage :2007/12/11(火) 13:34:09 ID:m9kGAVOR
10消化。
闡提や謗法の者が救われない、とか言ってる人は仏教徒ではないね。
584 :
hage :2007/12/11(火) 17:49:21 ID:m9kGAVOR
仏教徒の言いぶん ×謗法の者が救われない ○謗法があっては救われない
585 :
hage :2007/12/11(火) 18:19:45 ID:m9kGAVOR
私たちは、今でこそ信心修行というように申していますが、信心と修行はお祖師様 の時代では、別物だと思われていたのです。それに対して、お祖師様は信心こそ末法 という時代の修行のあり方で、信心によって初めて成仏( み仏と同じ境地に至ること) ができ、その証しとして現証のご利益を頂けるのであることを宣言されたのです。 では、信心以外の修行とは何かと申しますと、これは簡単に申しますと難行苦行を するのです。難行というのは、自力で悟りを開こうとすることです。また、苦行とは 滝に打たれたり、睡眠を断ったり、重いものを持ったり、針の上に寝たり、断食をす るというようなことです。禅定の修行をして、瞑想にふけり宇宙の実相を観察して、 一念三千の悟りを開くといわれています。けれども、果して誰でもがその悟りを開け るかといえば、ごく限られた人だけにだけ、できたに過ぎません。 そこで、いったい仏様は本当に、一部のすぐれた人だけを救われようとされたかど うか検証しますと、決してそうではありません。法華経には「今此三界、皆是我有、 其中衆生、悉是吾子」( およそ心を持つものが存在をしているこの世界すべてが私の 責任のある領域であり、その中で悩み苦しむ一切の生きとし生けるものは、ことごと くわが子である。) と述べられています。
586 :
hage :2007/12/11(火) 18:29:30 ID:m9kGAVOR
仏教学者によれば、信という言葉は経典で共通して使われている梵語( サンスクリ ット 古代インド語) では、おもにシュラッダー( . r a d d h . 信) 、アディムクティ( a d h i m u k t i 信解) 、プラサーダ( p r a s . d a 浄信) の三種が用いられていて、それぞれ が微妙な違いがあるとされています。これらの言葉については「法華経における信の 研究序説」( 昭和5 5 年 望月海淑著) に詳しく説かれていますが、法華経だけでは なく、パーリ語( インド古代の俗語でやはり上座部等の経典に使用されている 言葉) の四部経典、倶舎論( インドのてんじん天親【せしん世親】著) 、ゆいしき唯識 ( インド仏教の二大潮流の一つ) 関係の書、般若経、十地経(けごん華厳大経の一部) 、 密教関係の経典などに も使用されているのであり、「信」については仏教が成立した当初にも、一つの道と して存在していたことは確かです。けれども、その後、部派仏教が優勢になり、出家 者中心の仏教が主流となっていきました。しかし西暦紀元前後から大乗仏教が興起す るに及んで、仏教は一般の在家の菩薩に手に取り戻されたのです。その後、シルクロ ードを通って中国、日本に仏教が伝わり、やがて国の上層から始まり一般の人々の間 に受容されていきましたが、その時この大乗の真精神は正しく伝わったとはいえませ ん。法華経の信が成仏に至る道として確立され、教学的な論証がなされるには日蓮聖 人、特にこの四信五品抄のご撰述を待たなくてはなりませんでした。