クリスチャントゥデイ異端・カルト疑惑Part60

このエントリーをはてなブックマークに追加
1神も仏も名無しさん
1968年 クリスチャンアカデミーでソナンドン教授ら3人の神学者が文鮮明と対話。
1970年 ソナンドンら3人は「現代神学」で、原理を褒めちぎり、多くの若者が原理に走る。
1972年 そのひとりジャン青年が23歳で原理活動し始める。 
1979年 大韓長老会、数年間の調査の末に「統一教会はキリスト教ではない」と結論、ソナンドン教授延世大学学長辞任。ジャン青年も方向転換して、韓国神学大学で正統神学を学び始め、統一教会信徒を内部から救おうと決意する。
1981年 ジャン牧師韓国神学大学卒業
1982年 成和学校経営力のない校長のせいで認可取消しに追い込まれ、資金集めに奔走。
1983年 成和学校、資金が集まらず、さらに1984年9月末まで延期を文部省に願う。
1984年 学校奉仕者のチェジンバク牧師が、信頼できる経営実力者としてソジンソク氏(宝林産業代表取締役、ソウル地方裁判所調停委員、貿易協会の審査委員で、相当の財力と徳望がある、複数企業経営者」を、その代理としてジャン牧師をシンシンモク校長に紹介。
校長は二人を受け入れて、ソジンソクからの資金注入により学校建設にいそしむ。
だが、シン校長は新しい学校の理事を誰にするかで、ソジンソクと意見が合わず、交渉が一時決裂、建物未完のまま9月末が過ぎた。
1985年 1月に文部省が工事中の建物を視察して、最終的に認可を取り消す。シン校長は解散を考えるが、集めた寄付金も返済できず、土木工事費用も出せないまま、最後にカネと引き換えに土地と理事長職をソジンソクに渡し、学校運営を放棄した。(1985年6月)
1986年 ソジンソク新理事長は、学校建設を完成させて、成和学院の名称で開校、文部省認可を受けて、学生を募集し始める。ジャン牧師は成和学院教授に。
1987年 成和学院は成和神学校の名で事業を拡大。
1988年 成和神学校は統一神学校と合併されてセンムン学院に。
1989年 12月、シン元校長は教界から責任を問われて謝罪文を書かざるを得なくなり、センムン学院の要職にあったジャン牧師にすべての責任をなすりつけた。
2007年 シン元校長、クリスチャントゥデイ設立7周年記念礼拝に駆けつけ応援。
必読 >>2-10