神との対話4

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786神も仏も名無しさん
神との対話は本当に面白いですね。今日も帰りの電車の中でパッと開いたページがここでした。

P178
 愛情ある態度をとるということは、必ずしも相手の好きにさせるということではない。
 子供をもった両親はそのことをすぐに悟る。
 おとながおとなに対する場合、国が国に対する場合には、そう早くは悟れない。

逆に言うと、大人同士だと「相手も分別のある大人なんだから」「相手の横暴を止めたら自分が
何をされるかわからない」などの理由で、相手の好き勝手を放置してしまう、ということでしょう。
そして改めて考えさせられたのがこの部分。

 ときには、ほんとうの自分であるために、ほんとうの自分を放棄しなければならない。(中略)
 したがって、平和な人間としての自分を「まっとう」するために、戦争に加わらない自分という
 考え方を放棄しなければならないかもしれない。歴史は人間にそんな決意を求めてきた。

 同じことは、私的な関係についても言える。
 人生には、ほんとうの自分でない面を示すことで、ほんとうの自分を証明することを要求されることが
 何度かある。何十年か生きていれば、それがわかってくる。
 ただし、観念的な若者にとっては、究極の矛盾と感じられるかもしれない。
 もっと成熟してから振り返れば、神聖な2分法に思われるだろう。
 だからといって、人間関係で傷ついたら「仕返しせよ」というのではない
 (国家間の関係でも同じだ)。