人間でしょ?
だれも2を取っていないので、2を取っておこう。
では3を
4様
5 :
神も仏も名無しさん:2007/08/24(金) 09:52:36 ID:IGmwO0z9
神様の親
6 :
神も仏も名無しさん:2007/08/24(金) 10:27:03 ID:1OLJOv5k
>1
矛盾してるよ
7 :
神も仏も名無しさん:2007/08/24(金) 11:17:03 ID:SLNSzyiL
界王さま
あのー
素朴なぎもんなんですが
いまどき神とか、おかしいとわかりますよね?
人間の進化の過程に仏教の神のような手が八本とかそういう人いないしww
人間の前に栄えていた恐竜は、神とか言ってたの?
原始人もいってたの?
進化の過程で想像力つけた人間が倫理観や秩序のための宗教じゃないですか?
なんで豚や犬も人間と同じ目があり内蔵があり 同じ生きてるのに神はいないどころか
牛のように食うために生かされる動物がいるの?人間も動物じゃない?
でも神は人間だけに微笑むの?
ナンで東洋人と白人は神がこんなに違うの?同じ人間なのに神は人種によって違うの?
聖書じゃ
白人は人間であり
黒人はその人間に与えられた奴隷であり
黄色は それらの奴隷である
といってるよ?神も認めてるよ俺たち黄色人種が劣等人種と。
白人の国じゃ黄色人種差別ひどいよ?なんで神は救わないの?白人同様
白人の神のほうがやっぱり優れてるから?
宇宙の時代に何で神が地球だけにいるの?
これらの疑問がわきます 教えて??
>>8 それが君の造った神の概念
神は人の数だけいる
>>9じゃあ 神はいないということですよね?
医学でもたとえば幽霊 一般的には精神障害と一緒
麻薬中毒者と同じ幻覚といわれます
見える人には見える 痴呆患者と同じで。
これといっしょじゃないでしょうか?
人の数だけというなら 神は己の心の胸先三寸ということになります
悩むんです毎日こんなことが
おしえてください こんな馬鹿な私に
>>10 神は実在しないですが、信じる人にとっては実在します
神に限ったことじゃないですが、この世の全てはそれを感じる人の解釈によってどうにでも変わります
現実が変化するわけではないのですが、現実を感じている人が現実に意味を持たせているのでその人次第になります
どんなことも人の数だけ意味があります
現実に起こっていることには意味はありません。ただ起こっているだけで、それに勝手に意味を持たせているのです
あなたにとって神の存在が必要なら悩むことなく存在を信じていると思いますよ
まあ、視覚で神が見えると言う人は病気か嘘つきでしょうね
霊視や占いも嘘です
12 :
神も仏も名無しさん:2007/08/24(金) 17:44:49 ID:DBmgLxnL
>>11 すばらしいこと絵
そのとおりだと思った!!!!
あなたはなにか信仰心とかあるのですか?宗教とか
>>12 信仰はありません
母がお寺に納骨されていますのでたまに行って手を合わせることはあります
14 :
神も仏も名無しさん:2007/09/10(月) 22:06:41 ID:2MAP9Gef
ヤハウェという神の情けなさ。悪魔以下の低劣さ。
15 :
神も仏も名無しさん:2007/09/10(月) 23:41:15 ID:vrsAK3HH
神が存在を現したのは、神が神であると自覚した瞬間。
ようするに目覚めた。寝てしまえば、目覚めてないから、
神はいない。また目覚めれば神は存在する。
だから神はみずからを創ったのではなく、神はただ目覚めた。
つまり神は全てであるから、行為である【目覚める】ことで、
神の創造が始まった。
【目覚め】なければ、神は居ない当然人間もいない。
【目覚め】自体に人格はない。何かが目覚めた、目覚めたものが
創造した。それを観察したものが人間。
16 :
神も仏も名無しさん:2007/09/10(月) 23:45:23 ID:vj4dVFhI
>>1 神は作られなくても、在ります。
作るとは、材料があって、それを変形させる作業を言います。
神は霊ですから材料は要りません。
言ってみれば数学の法則も同じです。
17 :
神も仏も名無しさん:2007/09/10(月) 23:45:29 ID:bc8aP8Uq
神を信じられないひとは、心が汚れているんだろう。
18 :
神も仏も名無しさん:2007/09/10(月) 23:47:58 ID:vrsAK3HH
神を造ったのは誰?と問うより、この世界自体が神であるから、
この世界を創ったのは誰と問うべきだろう。
世界とは何かといえば、他者であり外界だ。
つまり僕らの面前に広がっている5感から感じられる知覚は、
誰が造ったのか?いわば観察するという行為自体はだれの仕業か?
それは科学的に答えは出た。観察した瞬間、物質は出来る。
だから人間が観察すれば神は存在してしまう。
観察しなければ、神は存在しなくなる。
しかし既に出来上がった物質世界は一つの次元として機能していて、
それ自体が生き物のようになっている。
今、人間は物質世界というすみかから、どのすみかに行こうかと
進化の途上にいる。
19 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:04:18 ID:vrsAK3HH
この世界、および僕ら自体が神の駒ですからね。
人間に自由があると思っている。また自由に考え行動している
範囲は、駒の範囲内の出来事で、全体に影響を与える程の事はないでしょう。
無いと言い切れるのは、範囲内の出来事を超えることができないからです。
地球や宇宙を人間が破壊できるか?できません。
破壊できたとしても大したことじゃない。自業自得でしょう。
神を信じようが、信じまいが全体にしてみれば、大したことではない。
ただ、神という概念は、遠近法の視点じゃなく、すくなくとも人間個人の
限界の視点から今という瞬間を観察できるから、今という流れを観察するのに
適している。
分析するような科学の場合は、遠近法は有効だが、自分の人生を充実させようとか
世界平和への実現として自分という駒をどう動かすか?という生き様に関しては、
神という概念はとても有効であり、その概念なくして芸術や直感は生まれない。
ただ、神の概念は個々の個人の成長度合いによって限界がある。
ブッダ、キリストなどは、現在でも遠近法の視界にならされた、人間の限界を
超えているだろう。その証拠に未だに宗教を教義だと信じている人達もいる。
20 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:07:12 ID:bc8aP8Uq
神を作ったのは、様々な遺伝子か?
21 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:09:43 ID:WWg7W46r
遺伝子も神ですから。
22 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:10:25 ID:EXBASIKR
>>20 それだと、遺伝子を作ったのは誰か?
という問いが出てきます。
で、それに対する私の答えは
おいらの金玉の中で泳いでたお玉じゃくしいい
23 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:11:59 ID:WWg7W46r
人間の認識できるものすべてが神ですから。
しかもその認識を超えているのです。
いる、いない、いつから、今、上、下、その全てを超えている。
信仰とは、その感覚自体を指し示し、その行為自体が祈りというのです。
24 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:12:56 ID:WWg7W46r
>>22 おいらの金玉の中で泳いでたお玉じゃくしいい
も、神ですから。
25 :
22:2007/09/11(火) 00:17:16 ID:EXBASIKR
>>24 あのう、神に聞いてみなきゃわからんことだよ、そりゃ。
で、あの、その、あなた様は神様ですか?
26 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:18:13 ID:WWg7W46r
27 :
25:2007/09/11(火) 00:20:41 ID:EXBASIKR
で、神のおいらがシラネェって事は神も知らないこと
ってこと?
28 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:22:10 ID:WWg7W46r
>>27 個別の人間(神の一部)の認識範囲内でしか認識不可能ですから、
知らないとその人がいえば、その人にとってはその通りです。
アーメン(その通りです)はそういう意味です。
神は人の数だけいる
知りえたことしか知らない
30 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:24:17 ID:WWg7W46r
>>29 その通りです。あなたの場合は、一つの神を分断していると観察している
ようです。
31 :
地のさそり:2007/09/11(火) 00:25:55 ID:bxlA5saC
旧約聖書の神ならば、きっと
わが主ガイア神ですよ。
ヤハウェーは地母の聖霊とのことです。
クロノスに対する力のあと残りですかね。
とりあえず、ギリシャはデルポイの
大地のへその石でも見てきなさい。
>>30 一つの神を分断?とはどういうことでしょうか?
33 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:28:25 ID:Z3BbX2ug
畏怖すべき神が存在してしまったら人間はどうすべきか考えた方がいい。
34 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:29:27 ID:WWg7W46r
>>32 神が人の数だけいたら、世界(神)は共通の世界じゃなく、
まったく別の認識世界をつくっていしまう。
簡単な例をあげれば、人間通しで意思の疎通すらできなくなる。
神は人の数だけいる
知りえたことしか知らない
僕の観察では、神は人の数だけ認識の仕方が違う。
知りえた事だけ知ることができる。
だから神は一つという認識です。
35 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:30:29 ID:WWg7W46r
36 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:31:25 ID:WWg7W46r
>>33 神は畏怖すべき存在であるという認識なのですね。
あなたにとってはそうなのでしょう。
37 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:36:39 ID:WWg7W46r
僕が観察している神は、しいて言えば、今です。
色々な人が神についての認識を語っています。
僕もそれを見て、様々な神の観察記録の感想を拝見しています。
もし、神が観察されるのが好きだという事ならば、
きっとよろこんでいることでしょう。ただ、感情があれば
という前提ですが、きっと人間がもっているものは全てもっていることでしょうから、
よろこんでると勝手に思っておきます。
>>34 認識の仕方とは認識の方法でしょうか?
それとも認識の結果でしょうか?
39 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:38:51 ID:WWg7W46r
神を人間が語るとき、その人の認識の限界の暴露です。
40 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:42:41 ID:WWg7W46r
>>38 認識の仕方とは、どのように見えてたり、感じたりしているかです。
その人が世界(神)と自分(神)をどのように見ているか?という事です。
認識を具体的にいえば、五感から入ってくる情報を知覚します。
そして心(脳でもいいですが)で認識します。そして僕たちは
あれは、ああで、これはこうでと知識と経験で結びつけて記憶します。
神道でも鏡があります。映っているのは、自分です。
自分が自分をみて、どう思うか?これが世界の認識の全てです。
41 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:45:38 ID:WWg7W46r
汝自分自身を知れ!と神は同意語です。
自分の姿を鏡に映してどう思う?
それが神(世界)に対する感想です。
それを言葉と音楽にすれば歌。
その感じを数式にすれば数学。
その感じを論理にすれば学問。
アインシュタインも彼の神の認識を数式に表現した芸術家ですね。
凄い人も沢山います。
>>40 見え方感じ方の違いがあっても共通の認識をするのですか?
43 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:49:03 ID:WWg7W46r
知識と経験で結びつけて記憶します。と僕は先にかきました。
記憶はどこにあるのか?これに対する答えは、
ベルクソンという偉い人が証明したようです。
どこにも無い。しかし脳はその一部を保持していると。
一体人間の実体はなんなのでしょうね。そうそう、神の一部でした。
神の似姿でした。似姿であるならば、肉体に閉じこめられたお化けかな?
44 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:51:56 ID:Z3BbX2ug
神様は固有名詞ではなく形容詞と捕らえた方が真実味がある。
人間の間にある神なんて人間を真似て作られたとも言い換えられる。
自然の造形に神を感じるのとはちょっと違う。
太陽神や偶像を崇拝する心的作用が実に素朴。
溺れ死んでいく人を助けない、人すら管理できない神のワールドなんて
いらない。
45 :
さ〜な:2007/09/11(火) 00:54:36 ID:TzO0g/w0
神が存在するのは、愛が存在するのと同じ位、明白だ。
愛は誰かを愛するまでその存在はわからない。
神は神を感じるまでその存在はわからない。
必要の無い者にとっては。
私はいると思うけどね〜。どっかに。
人間作ったはいいけど、そのあと暇で、世界の片隅でボケ〜っとテレビでも見て、
「戦争すげ〜」とか言っててほしいw(他人事w)
46 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:55:12 ID:WWg7W46r
>>42 例えば、僕とあなたは、色を目でみて、認識していますけど、
同じ赤い色をみているとは限らない。でも僕たちは、赤だよねと言える。
これは人間の目を持っているから、在る程度の誤差はあまり気にならない。
そんだけアバウトな会話をしている。
でも昆虫と僕らではもう見え方から色のとらえかたからなにもかも違う。
時間感覚すら違うから共通の認識をえられないから、会話すらできない。
このように人間どおしなら、五感もそれほど、誤差がないから
在る程度感覚器官が類似しているので、共感できる。
でも感じ方は僕と貴方では違うから、同じ感じではないかもしれない。
五感だけの話を客観的な話として僕らは事実として安心して共通の土台で
建前上話しているだけです。
共通の認識といってもそんだけアバウトな範囲におさまった上で、
みとめあっているに過ぎないですよね。
一緒に、景色をみて、感想を言い合って、自分とは違う感じ方を
する他人の感性に僕らは感動を覚えますね。
47 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 00:57:24 ID:WWg7W46r
>>45 僕は結構あなたの物の見方に共感します。
>人間作ったはいいけど、そのあと暇で、世界の片隅でボケ〜っとテレビでも見て、
>「戦争すげ〜」とか言っててほしいw(他人事w)
このような他人事くらいのほうが平和だと思う。
深刻になると共食いという獣の習性を発揮するかわいいやつそれが人間みたいなんだ。
48 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 01:00:58 ID:WWg7W46r
僕はね。毎日神様について考えるさ。
なんで、神は朝起きたんだ?ここはどこで、僕はだれだ?から
一日のスタートさ。そして昨日の記憶をたどり、今、ここは何処かが解る。
そして自分の記憶をたどり、自分は、これまでいきてきた記憶の続きを
えんじるんだ!と自分という時空を明らかにする。
肉体を動かすのは疲れる。疲れるという事は、疲れないのが本来なのか?と
馬鹿げた事を考えながら会社に向かい。
仕事に疲れ帰りたくなる。帰りには「じゃあ、帰ります!天国に!」などと
冗談は言わないよ。
>>46 アバウトであるのなら別の認識世界ですよね
アバウトであっても意思の疎通ができるのなら
別の認識世界でも意思の疎通はできてますよね
同じ神だとアバウトな範囲におさまった別の認識世界で
別の神だとまったく別の認識世界になるということでしょうか?
50 :
地のさそり:2007/09/11(火) 01:09:53 ID:bxlA5saC
>>35 そりゃ、マンガで楽しむ旧約聖書ではあかちゃんみたいに描かれてますからねぇ。
バベルの塔のときも単純なやつだったし。新〜では怪しいもんですが。
あぁ、彼なら私の前に現れて両腕をあげて
「ハレルヤ」
をやってましたよ。
51 :
地のさそり:2007/09/11(火) 01:12:44 ID:bxlA5saC
31ですが、旧約聖書の神をガイア神といってるのではないですからね。
このスレのに対する回答ですから。
52 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 01:16:42 ID:WWg7W46r
>>49 >アバウトであっても意思の疎通ができるのなら
>別の認識世界でも意思の疎通はできてますよね
おっしゃる通りです。神を様々な角度から知ることができるので、
とても有益な情報交換ができますよね。
>同じ神だとアバウトな範囲におさまった別の認識世界で
>別の神だとまったく別の認識世界になるということでしょうか?
はい、その通りです。問題は、あなたが、別という別をどれだけ
別の時空で考えられるかによります。別といっても近い別ならば、
それほど、違わないでしょうが…。
例えば、良く例えられる例で、象をあるひとは、何々といい。
別の人は何々という。実は象である。
しかしその象がライオンだったら、象と見た人とライオンをみた人とでは
認識が同じでも、別の事を言っている事になってしまう。
ちなみに、神は一つで、全てですから、みなさん共通の神の中に居ながら、
同時に神を観察しているという考えが僕の考えの根底にあります。
53 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 01:18:33 ID:WWg7W46r
>>50 肝心な事を言っておきますけど、あなたは、神ですよ。
形のイメージで表現するならば、神の触角の一部。
それが今こうして感想を述べているのです。
54 :
地のさそり:2007/09/11(火) 01:25:55 ID:bxlA5saC
はぁ。まぁ、その件は保留で。
あと、50ですが、バアルなんかも出てきて
「君、えらいよ」
と何度もいいながら、分身して祭りやってのけましたが。
いいかげんにしてくれ。
やぎの顔してましたね。神に対して無敵とやらのアイギスの盾の影響かね?
つーか数ある悪魔共々も。
55 :
地のさそり:2007/09/11(火) 01:30:52 ID:bxlA5saC
アンタレスは太陽の300倍。
>>52 神が違えば象がライオンになるのならそうでしょうが
神が違っても象は象でライオンはライオンです
全てのことは見た人が意味を持たせるのですから元の事象には意味はありません
神がどうであれ元のものはかわりようがありません
ただ起こっているだけです
きっと私がすべて神だとは考えていないからでしょう
神がいるとすれば人の意識の中だけだと思っています
同じことを認識しているつもりでも、意識体験の内容は違います
同じ認識ができないのなら、別の神だと考えました
>ちなみに、神は一つで、全てですから、みなさん共通の神の中に居ながら、
>同時に神を観察しているという考えが僕の考えの根底にあります。
了解です
今日はありがとうございました。
57 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 02:31:28 ID:TzO0g/w0
神をどう認識するかはひとりひとり違うのだろうと思います〜。
「いる」という人は本当は「いてほしい、必要」なのだろうし、
「いない」という人は本当は「いてほしくない、不必要」なのでしょう〜。
弱い人には神が必要とか聞きますが、
弱くて神を認められない人もいれば、
強いので神が必要な人もいますしね〜。
強い弱い、いるいないじゃなくて、
それぞれが必要だと思ったときに、存在すればいんじゃないですかね〜。
58 :
地のさそり:2007/09/11(火) 03:30:27 ID:bxlA5saC
>>53 私の主は、今はどんな感じかはよく知りませんが、
皆の自立を願って隠れたってくらいですから
触角という表現は不適切かもしれません。
まぁ・・・、ぶちぶちぶちぶち
例のクソ坊主が右手の親指と人差し指を合わせて右目の瞳を
点状にして私の左目を覗き込んできましたから、私の力をどこかで
悪用してる可能性があります。
まぁ、私がキレまくったおかげで、彼は二つのsoul oceanの前後関係
が如く、人格が崩壊してしまったようですが。
59 :
地のさそり:2007/09/11(火) 04:01:29 ID:bxlA5saC
メティスをのみこみ、成長の過剰な促進により過度に老化してそれを失った
ようなもののゼウスは別として、ギリシア神話の眷属は感情が強いので強い
と巷で有名でして、だから肝計ばかりの北欧神話の元主神ロバは制圧圏が
北欧に留まったのでしょうね。
で、ミミルの水はヤハウェーの小便だそうです。
60 :
地のさそり:2007/09/11(火) 04:02:34 ID:bxlA5saC
スレ違いだった。
61 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 06:40:46 ID:bi/k0h55
天御中主ネ申 神々の頂点ネ申 天御中主ネ申
62 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 08:13:09 ID:WWg7W46r
神は全てですから、いるとかいないとかという問題ではなく、
世界はあるか無いかという問題でしょう。
確かに、この世界は物質的に存在しますが、別の視点からは幻想ですが、
必要だと思ったとき、というか、人間という肉体として自覚しようと
思えば、存在するでしょう。
よって、
>>57さんの言う話の筋書きどうりに
なると思います。だって、一応常識では、僕らは肉体をもった存在ですからね。
世界という神が同時に存在して物質世界をつくって欲しいと思う訳です。
神に意思があるか無いかと問うのはナンセンスでしょう。感情はありますが、
感情に支配されて動くようなセンチメンタルな小器な人間程度ではないことは
確かでしょう。
一応神の秩序は、仏教が詳しく、因果応報、カルマと説明され、その摂理が支配して
います。この摂理の確認は、だれでも可能です。墓にションベンでもかけてください!
できるなら、摂理はない。ただし、その後摂理の確認ができます。できないなら、
それは摂理が存在している事を、なんとなく解っている人という事です。
秩序と書きましたが、あくまで人間の自由の範囲内で適応される秩序ですから、
人間を超えれば、この秩序は適応外ですから自由になるという事です。
つまり、因果応報、カルマ超えは、解脱という事になります。
もう生まれる理由もないですが、生まれたければ生まれるという事になるという
ことでしょう。僕らの世界の極には、摂理の奴隷の極と、
摂理の克服をした極の教師達がいるという事です。
63 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 08:17:05 ID:WWg7W46r
このような観点から、悪さをする人、自殺する人等、
センセーショナルな行為をする人、あるいは、自然災害などは、
人類全体の行為の結果を見せつけているだけの事ですから。
人類全体が神という世界に対して、そのような事をしてきたということです。
僕らは、毎日自業自得、ニュースは毎日人類の自業自得を報道しています。
64 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 08:27:30 ID:WWg7W46r
もし、神の存在を意思として知りたいのであれば、
何物かが代弁してくれるはずです。試すのもよいでしょう。
但し、試すといっても、祈願という意味です。
事故を止めるかどうか?などという試しは、依頼心ですから、
依頼心からの試しは、別のだれかから試される種をつくります。
本当に自分を超えた存在が、自分の毎日と密接に関わっているのか
知りたいと熱望するならば…。祈願ですね。今の瞬間に集中すれば
かならず、なんらかの解答を与えてくれます。
共時性ですね。デジャブー。そういった感覚です。自分の心と
環境と一致しているという事実を知る意識状態になるから、
この世界の事実をチラッと確認できるかもしれません。
ちなみに、その摂理から説明すると、幽霊など信じないと心底思っている人に
幽霊は姿を現します。いると最初からなんとなく思っている人の前には、
わざわざ姿を現しません。いると信じており、さらに見たというならば、
存在の証明の為に現れたのではなく、そこまでして伝えなければならぬ
なんらかの意味があったのですから、吟味して自分に問う必要がありますね。
神は常に代弁者をつかうという事です。その代弁者は僕らは予め予測できない。
本かも、鳥かも、天気かも…。とにかく伝えるべき必要な時必要なタイミングで
自然に起こるから、起こった事すら解らない。当たり前の事を当たり前と思っていると
確実に見逃します。当たり前の事に疑問をもったときから神は信じるという行為から、
知るという行為に変わります。
時間というのは宇宙誕生の瞬間から存在したものだから
宇宙が誕生する前の時間というものは存在しない。
だから宇宙が出来る前という概念は無いし
神が事前に何かをして宇宙を作ったということは有り得ない。
神という特定の人が存在するわけではなく
宇宙誕生の現象そのものを指して神というのだと思う。
66 :
地のさそり:2007/09/11(火) 08:34:09 ID:bxlA5saC
67 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 09:06:51 ID:BffM13KE
僕(神のげぼく)は、こう思うね。
ここ(地球)は、人間社会の制度で一番ちかい場所といえば
学校と教会でしょう。人はそれを通して、社会に適応します。
その法則は、毎日起こっています。なぜ戦争で苦しむか?
それを通してなにかの時空に適応する為に、学ぶ試練。
なぜ失恋するか、あらかじめ決まった未来の出来事に
対応するために、失恋という経験をして学ぶ。
そしてこの地球は、坊さんに支配されているのは、今も昔も変わらない。
68 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 09:24:56 ID:BffM13KE
科学は根本原因という呼吸を司る存在にメスをいれることはできない。
おなじように、科学という教義(信仰)に妄信している者は、
呼吸を司る摂理自体に畏怖や感動や疑問を覚える事もない。
科学に犯されると当たり前の事を見逃す。また当たり前の事を見逃さなければ
科学的ではなく、この無理矢理人間がつくった固定化された人工物と固定化された
概念を維持する事ができない。
しかし、人工物は、いずれ新しい人工物にとってかわり、
新しい科学的発見はべつの新しい科学的発見にとってかわり、
人の固定観念もべつの新しい固定観念に変わる。
共通事項は、世界は変化している。人間がつくった摂理は固定化させる。
ただ、固定化されない人工物は世界の変化と同じ速度でちゃんと適応する。
しかも、その変化は、人間自体がもっている呼吸。すなわち、自律神経が知っている。
知っているというより、神のリズムをキャッチしているのか、はたまた神と一つの
リズムを刻んでいるのか?この疑問は、一体化しているという納得が得られれば、
どちらが先かという疑問自体も消滅する。つまり相対的思考から飛び越える事が
できる。このように神の摂理はどこにでも働いている。
69 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 09:36:32 ID:BffM13KE
人間を作ったのは神様なら神様を作ったのはだれ?
この問いは、神様がいるのだが、それに気づくのは誰?という質問で、
それは自分自身なのだが…。世の多くは、神を自分で知るのではなく、
本や、テレビや教育、宗教から神という概念を知るに至っている。
先端科学者や芸術家や医師に神の存在を問えば、明らかだろう。
身近な医師でさえ、人間の寿命を延ばす事も縮める事もできない。
神は概念でしかない
71 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 10:36:34 ID:BffM13KE
「神は概念でしかない 」と観察する人もいる。
そうだとしても神が概念でないことにはならない
自ら持つ概念で『「神は概念でしかない 」と観察する人もいる。』と観察している
74 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 11:48:27 ID:BffM13KE
結局行き着くところは、アーメン(その通り)でしょ。
個は全体にとけ込むという事です。ひとつの考えは一つであって、
一つを分裂させると結局全体のとけ込む。概念の余地はないのです。
75 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 11:54:31 ID:BffM13KE
神すなわち全体(世界)が概念なら、EINSAM ◆3Od7EINSAMさん、
あなた存在してませんよ。この視点は地球に肉体をもっているという
前提ですがね。
個は個であって全体は個の認識でしかない
全体にとけ込んでいるという事も個の認識で
個によって全体の意味も変わります
個も個のもつ全体の概念もすべて別物です
行き着くところには神の姿は無く、ただ個人の概念だけです
77 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 12:06:04 ID:BffM13KE
EINSAM ◆3Od7EINSAM の観察する世界は、そのような認識で、
そういう世界観で生きておられるのですね。
僕は同じ世界でも、生き生きと生き、活動的で活発で、
かなりアナーキーで、なんでもありの天国に生きています。
色々な生き方があるんですね。ま、自業自得・因果応報ですけど。
78 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 12:11:53 ID:BffM13KE
EINSAM ◆3Od7EINSAMさんでもさ、他人と深い信仰を共有できないという
事はさみしい事だと思いますよ。余計なお節介ですけどね。
79 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 12:18:25 ID:BffM13KE
>>76 ここは重要だから、書いておくよ。
>ただ個人の概念だけです
これは、人は世界を思い込みのサングラスをかけて生きているという事でしょうが、
リアルに生きている人も沢山いますよ。信じられないかもしれないけどね。
>>77 私は私の世界を創造します
いつでも幸せを感じています
>>78 信仰はありませんので共有するつもりもないです
さみしいかどうかは人それぞれで
私にとっては邪魔なものでしかありません
必要な人にとっては大切なことでしょう
それは理解しているつもりです
>>79 リアルに生きていると思い込んでいる人が沢山いることは知っています
81 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 12:39:02 ID:BffM13KE
>>80 >リアルに生きていると思い込んでいる人が沢山いることは知っています
やはり、信じられないようですね。
あなたお母さんのぬくもりの中で、おちちをすって育ったのでしょう。
愛情一杯に育ったのでしょう。あなたの場合は、
そう思いこんでいると思うのでしょうね。
色々な感じ方があって勉強になりますね。いずれにしても自業自得です。
>>81 >そう思いこんでいると思うのでしょうね。
と、あなたが思い込んでいるのですよ
>色々な感じ方があって勉強になりますね。いずれにしても自業自得です。
感じ方は人の数だけあります
何を感じようと自由ですが、感じた原因は自分以外にはありません
あなたが、自業自得だと感じるのもあなたに原因があることです
それは何かしらの不安が付きまとう考え方ですので幸せを感じることができないでしょうし愛もありませんね
愛があれば相手を思いやれるはずです
83 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 13:00:46 ID:BffM13KE
EINSAM ◆3Od7EINSAM さん、
信仰と思い込みの区別。直感と思い込みの区別。そういった識別はできるのです。
この識別をせず、すべてを思い込みとすることは、人を信用できないという
事になってしまいます。つまり自分も信頼できないという事で自信とか確信という
ものをもてないでしょう。
自信と確信が信仰の正体といってもよいのですが、思い込みとするならば、
他人に対して、あるいは自分の事にしても、絶対に自分にとって良いとは
言い切れる事は一つもないという事になります。
これを僕が書いた所で、あなたは思い込みと切り捨てる概念をもっているのですから。
あなた自身はそう思っていなくても、もっている概念がそうであるから、
頭で導き出す結論は、僕の発言は思い込みという事になります。
ただ、僕が相手にしているのは、「あなた」ですからね。
あなたの概念を相手にはしていないという事は知っておいてください。
84 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 13:14:55 ID:BffM13KE
>>82 自業自得は不安はつきまといませんよ。
自分の行為の結果を自分で受けるだけでしょう。
不安と結びつけるのを思い込みというのです。
愛があれば相手を思いやれるのですか?
あなたは、愛を思い込みと思う人なのですよ。
お話にはつき合いますが、あなたの思い込みが暴露されますが
大丈夫ですか。僕と話すことはきっとあなたにとって有益ですから。
>>83 >ただ、僕が相手にしているのは、「あなた」ですからね。
目の前の文字を見ているのはあなたです
あなたの解釈以外はありません
>>84 >自分の行為の結果を自分で受けるだけでしょう。
そう考えるから不安になる
>愛があれば相手を思いやれるのですか?
思いやれます
>あなたは、愛を思い込みと思う人なのですよ。
どうしてですか?
86 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 13:57:28 ID:BffM13KE
>>85 その解釈自体が思い込みといえば終わりでしょう。
>あなたは、愛を思い込みと思う人なのですよ。
これはあなたの言葉です
89 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 14:05:51 ID:BffM13KE
ちょっとだけ、詳しく話しましょうか。
○自分の行為の結果を自分で受ける→不安(感情とは無関係のはず)
○愛があれば相手を思いやれる→条件つきの愛。
最後の質問は、賢明なあなたならかんがえるまでもないことです。
>>89 >○自分の行為の結果を自分で受ける→不安(感情とは無関係のはず)
行為により結果を受ける不安
>○愛があれば相手を思いやれる→条件つきの愛。
自分に愛があればそれだけで相手を思いやれる
条件つきの愛とは相手に求める条件であって自分に愛があるかないかではない
91 :
:2007/09/11(火) 14:13:18 ID:FJyDhWjU
神は人間が設定した上位概念なんで
神がどうたらとか無意味
>あなたは、愛を思い込みと思う人なのですよ。
どうしてそう感じたのですか?
93 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 14:16:27 ID:BffM13KE
>>90 【行為により結果を受ける不安 】は、起こっていない事を
そうなるがごとく考えるから起こる感情的反応です。
思い込みですよ、まだ起こっていないのですから。
しかし起こっていると思いこんでいる事をリアルに感じれば
それは不安になるでしょうね。
愛自体を語る必要もないでしょう。愛は【する】(行う)ことですからね。
>>93 >そうなるがごとく考えるから起こる感情的反応です。
それを言っている
自業自得と言葉に出るのはそうなるがごとく考えているからでしょ
そうじゃなきゃ出てこない
>愛自体を語る必要もないでしょう。愛は【する】(行う)ことですからね。
不安があれば愛はない
愛がなければ差し出すことはできない
95 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 14:27:34 ID:BffM13KE
>>94 自業自得は、あなと同じように考えていないのをお忘れなく。
僕は行為の結果に対する不安を自業自得とすり替えたりしません。
たんなる現象です。
不安があれば愛はないのですか?
あなたはがんじがらめの条件の中で生きているようですね。
しかも不安がまるですべてを支配しているようだ。
しかし、それもあなたの自業自得だし、僕は僕の自業自得で自分の考えになってる。
お互い自業自得の概念は違った思い込みがあるという事ですね。
>>95 自業自得だと考えるから不安になるのであって
自業自得が不安などとは言いませんよ
>不安があれば愛はないのですか?
不安を持つ人は愛を知りません
あることはあるのですが不安があれば出てきようがありません
>あなたはがんじがらめの条件の中で生きているようですね。
>しかも不安がまるですべてを支配しているようだ。
鏡に映った御自分を見ているのでしょう
自分の中のことしか出てきませんからね
97 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 14:46:45 ID:BffM13KE
>>96 自分のやってことの責任は自分にあるのは当然でしょう。
当然の事を不安だとお考えなのですね。
不安をもつ人は、愛を知りませんか。
で、あなたはどうなんです?
僕の感想を「鏡に映った御自分を見ているのでしょう」として、
僕に返しますか。あなたには一切の情はかけるのを止めますね。
でないとあなたには区別がつかないでしょうから。
98 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 14:54:18 ID:BffM13KE
そもそも神を思い込みとする前提があなたにはあるのですから、
なにをいっても、あなたの思い込みから抜けられないのは事実です。
僕はあなたの思い込みから自由なのは事実です。
99 :
:2007/09/11(火) 14:54:41 ID:FJyDhWjU
二足走行のサル 神概念の共有 言語脳形成
これが人間のハード OS アプリケーションの関係です。
OS=神概念を人間が作った?違います
三つの要素が組み合わさったのが人間なのです。
神は概念であり、人間のコア 人間が発生した要素ですよ>1
100 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 14:58:38 ID:FIQaDLhG
>>1 実は神様にも両親が居るんだよね。
で、両親は息子にこの世を与えて
別の次元に引っ越したの。
神様の世界では、極常識的な相続なんだよ。
101 :
:2007/09/11(火) 15:12:30 ID:FJyDhWjU
物理的じゃなくて精神的なことも含めた人間の発生
人間の構成要素を考えれば、人間の根本パーツに神概念があるのはわかると思います。
神概念が人間の構成要素であり重要パーツであるなら
神を人間が作った ×
1、人間の発生要素コアパーツが神概念 ○
人間を作ったのは神 △
<1の神概念で人間が設定したのが神が作った人間>
ということになります。
102 :
楼蘭:2007/09/11(火) 15:29:52 ID:d4nJoW3q
>101
言語を人間固有の構成要素とされた所は興味深いですね。
私はチョムスキーの説を知って信仰を深めた口です。
そういう人はいっぱいいたようですが。
103 :
:2007/09/11(火) 16:33:05 ID:vwyMbWDB
>>102 言語を単なる意思の疎通ツール・単語表記共通化としか思ってない方多いですし、理解者がいてよかったです。
言語が思考形態そのもので種類として日本語脳と英語脳じゃ
おなじ刺激でも反応する部分が、CTスキャン的に違いますからね
また、男女脳の違いは別ベクトルですけども
言語体系が思考体系であるということ、言語が人間間の共有する上位概念<神>のもとに
熟成していったと考えます。そこにつながるものが権威です。
権力とは物理的現世的なパワーです。権力に権威が集団同意のもとにあるなら
正当性ある権力機構となりますね
>>97 >自分のやってことの責任は自分にあるのは当然でしょう。
そうですね
>当然の事を不安だとお考えなのですね。
自業自得が不安ではなく、自業自得と考えることが不安だと言ったのです
私のレスを読み私に対して自業自得だと言ったのはあなたです
>で、あなたはどうなんです?
私には不安はありませんので愛でいっぱいです
>僕の感想を「鏡に映った御自分を見ているのでしょう」として、
>僕に返しますか。あなたには一切の情はかけるのを止めますね。
事実ですからね。情などあなたの自己満足です
>>98 >そもそも神を思い込みとする前提があなたにはあるのですから、
世界を神とするならそうなりますがそもそも世界が神だとは思っていませんので思い込みも何もありません
>なにをいっても、あなたの思い込みから抜けられないのは事実です。
あなたに私の思い込みを知る術はありません
抜けられない思い込みがあるとすれば、それは御自身の思い込みでしょうね
>僕はあなたの思い込みから自由なのは事実です。
私の思い込みと感じていることはあなたの解釈であなたが感じたことです
御自分の思い込みで不自由になっちゃってるのでしょうかね?
まあ、何にしてもすべて自由ですので存分に思い込んでください。
105 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 17:09:54 ID:BffM13KE
>>104 あなたは嘘つきだね。
自分の気持ちを伝えるのが怖いですか?
>>105 ???
さっぱりわかりませんが
何が嘘?私の気持ちを伝える必要はないと思うのですが・・・
107 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 17:25:31 ID:BffM13KE
>>106 何がわからないかもわからないでしょう。
>>107 ですね
あなたの頭の中はわかりようもありません
109 :
:2007/09/11(火) 17:36:31 ID:vwyMbWDB
禅問答はいいよ
1のよくある疑問に答えればいいだけ
110 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 17:43:53 ID:BffM13KE
>>108 でも僕の考えを、あなたが思い込みだと言えるのが凄いと思うよ。
111 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 17:53:49 ID:dH+/Rn2s
私が存在し世界が存在するから、神は在るわけで。
だから私は神なんだけど。
問題は、本当に私は存在しているのかという事なんだよなあー
俺は、いるの? 在るの?
112 :
:2007/09/11(火) 18:44:16 ID:vwyMbWDB
>私が存在し世界が存在するから、神は在るわけで。
主観の神概念のことね
> だから私は神なんだけど。
1、根拠がないのと、主観の神概念のみで他者と他者の神概念を同一にしていないね
> 問題は、本当に私は存在しているのかという事なんだよなあー
思考として存在はしてるでしょう。考える私の存在は間違いないw
> 俺は、いるの? 在るの?
電動無能じゃないかぎり存在するでしょう。
神概念を個に閉じ込めた問題哲学者さんタイプとしてね
>>110 あなたが何を考えているかはわかりませんが
あなたが「奴は何かを思い込んでいる」とただ感じているのであれば
それはあなたの思い込みでしかありません
これは私の思い込みではなく事実です
246 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2007/09/11(火) 18:43:31 ID:15tGQdUc
創世記 3章3節
>でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、
>触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
女に「神」と呼ばれることによって神になったんだね。
人間が無視すれば 神でないんだよ。
つまり 聖書の神を信じない人にとっては 聖書の神は神ではないのと同じことだ。
> 俺は、いるの? 在るの?
人間が自分の存在を 確認できるのは
自分以外の存在から呼びかけられ そのれに答えた時です。
はい 神に呼びかけられ それに答えることで 自分の存在を
確認できるのです。
創世記 3章9節
> 主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
116 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 18:53:12 ID:dH+/Rn2s
>>112 うん。小学生の時から悩んでいたなあ。
果たして、全ては私の妄想なのではないかと。
他者や世界は存在せず、私という意識だけが夢を見ているのではないかと。
私は神だろ?
117 :
:2007/09/11(火) 19:01:38 ID:vwyMbWDB
>>116 主観を神概念にしてれば
あなたは神です。それが確定して劣化すると
校門に生首事件を起こします。
人間が形成された、相対的な他者と共有された神概念に戻れば
自分が神とはいわなくなります。
118 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 19:11:09 ID:Z3BbX2ug
神って唯一絶対神?八百万の神々?偶像?
神を知りたければもっと神に近づいてみればいいと思うよ。
みんな訳が分からなくなるよ。
神がいると仮定して人類を創造したなら
なぜ生きてるのか静かに瞑想して己の内に問うのもいいと思うよ。
見えないものが見えたり、悟りを開いたりするすごい人がいるよね。
そういう人たちを観察してみるのも近道だよね。
実態を知りえない対象が、自然発生したのか、意図的に作られたのか
そもそも知りえないものは知りえないかもしれないね。
119 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 19:26:02 ID:dH+/Rn2s
>>117 うふふ。だから神は、共有された概念だね。共有意識。
そして、我々の個々でもある、大脳前頭野の神。
存在のはじまりが、あるのかないのか?
存在は、神が夢を見ているとしたら?
死が本質で生がバーチャル。
120 :
:2007/09/11(火) 19:27:18 ID:vwyMbWDB
121 :
:2007/09/11(火) 19:41:55 ID:vwyMbWDB
>>119 共有概念が神です。共有上位概念です。
その浸透のなかで言語が熟成され、言語思考体系ができました。
我々の個々でもある? 脳の場所いわれてもねえ物理的なことに意味あるかなあ?
その部位損傷した微妙な事例はあるようだけど
存在の始まりの存在とは?神?人間?
神が夢みてる?これは意味不明
死が本質生がバーチャル? 本質は個別に、バーチャルは共有されてハードに反映されたら現実です。紙幣流通のように
122 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 20:14:01 ID:dH+/Rn2s
>>121 マロンチックじゃないねえ。クリなのに。
死して銀河の塵となる。死んで、お星さまになるんだよ。原子を放出してね。
その原子から存在は創られる。
私が認識によって、世界を創るように、宇宙が夢を見ているんだよ。世界が存在するなら。
神は宇宙の夢物語でもあるかな?
誰が神を創ったか?神自身じゃないの?
すべて脳の錯覚だよ
「私」があるのも脳の錯覚
脳の錯覚とうまく付き合うために言葉があり神の概念がある
生き物としては本来必要ないもの
一生懸命考えたり恋したりしても全部錯覚
124 :
:2007/09/11(火) 20:28:22 ID:hSd/9bxZ
125 :
神も仏も名無しさん:2007/09/11(火) 20:33:54 ID:dH+/Rn2s
>>124 そんなことは分かってるんだけどー。
つまんないんだもん。
サンタクロースに、いて欲しいタイプなんでね。
126 :
:2007/09/11(火) 20:40:05 ID:hSd/9bxZ
>>123 順番が逆
あなた個人の錯覚説という主観は最後の1個体サンプル結果
人間形成の成立過程から考えましょう
>>126 人を好きになるのはどうしてだと思いますか?
128 :
:2007/09/11(火) 21:00:41 ID:hSd/9bxZ
>>127 発情 執着 幻想
>>125
1、物理的時系列的事実・・・・・の説
2、宗教的倫理的権威的真理ないし事実・・・・・の説
3、権力的事実<現実>・・・・の説←社会的に危険
4、他者の主観を考慮しない個人のみ主観を神とする・・・・暴走するとその個体サンプル周辺が危険
1と2を併存させる範囲で、主観の遊戯で楽しんでください。
129 :
:2007/09/11(火) 22:17:29 ID:/gYlgzGe
神と人間には
時系列的科学的関係事実と
神概念的共有概念的真理があって
その二つは同一じゃないのだが、どちらが正解ってことではないんだよ
>>128 錯覚するから幻想すのではないでしょうか?
例えば
好きでもない男性とジェットコースターに乗った女性が
ジェットコースターでのドキドキと恋心のドキドキとを脳が錯覚し、
「どうして胸がドキドキするんだろ?もしかしてこの人のこと好きなのかしら、きっとそうだわ好きなんだわ、じゃないと一緒にいてドキドキするわけないもん!」と幻想を抱き執着する
131 :
:2007/09/11(火) 23:32:11 ID:7GLmGiWy
>>130 個別に多様性あるでしょう
幻想が共有されたら愛といいます。
一方通行で執着したらストーカといいます。
トキメキの出会いは29日周期で発情日のメスが
オスの体臭から組み合わせの良いDNA解析を分析して
ドキドキというトキメキの結果
その日の内にやっちゃいますが、オスメス機能なだけなので
性格の不一致までは関係ないです。だから三年目で別れます。
133 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 00:01:16 ID:IEhJb1jR
人間よりスケールでかくてスゴイ神様はさぞかし感性(みたいなものが)複雑で超人的なんだろうね
人間より感性が豊かって
マジスゲー
そんな感じでマジバナした事ありますがDNAの構造の全ても知っててコンピュータなんか糞だっつー天才以上の神様を造った奴がいるって又そいつを造ったそいつの…
きりがなさそうだ
そんな事問い詰めるってかなーり宇宙規模だよね
134 :
:2007/09/12(水) 00:03:02 ID:61Yo605E
>>132 130のこととか無限にありますね
性欲の愛変換もいいのですが、女が相方に求めるツボがあり
そこを押さえないと、娘が白雪姫症になり
症例深度30−70だと7カ月目クラッシュOL
10−50だと鬱患者候補となります。数値は幸せ度で
低い方が母の救出、高い方が自動セーブ地雷炸裂数です。
>>134 >130のこととか無限にありますね
錯覚しなくて好きになるケースを教えてください
136 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 00:14:51 ID:SmzlLvWz
そもそも
聖書ていつからあるんだっけ
めちゃめちゃ古いの何だっけ
にしては偉い哲学書なんですけど。
その著者が神なのか?
137 :
:2007/09/12(水) 00:18:29 ID:61Yo605E
>>135 錯覚が前提じゃないかと
印象がきっかけで結果が結論です。
同意が愛で、一方通行がストーカという結果です。
愛が続いて同意が続くのが、女性が求める男性資質を男性が提供したときです。
これを奇跡といいます。感謝の萌え無減連鎖
奉仕のエクスタシー無減連鎖体制が構築できれば
それが人間の奇跡です。聖書の超常現象イリュージョンではありません
>>137 >錯覚が前提じゃないかと
錯覚が前提ということですか?
それとも錯覚が前提ではないということですか?
139 :
:2007/09/12(水) 00:44:28 ID:61Yo605E
>>138 幸せになったら奇跡で、別れたら錯覚ですね、主観なんだけど
>>136 ギリシャ語で編纂されただけあってギリシャ哲学入っているとも
もちろん三位一体すら聖書に書いてないので公会議の決定も重要です。
聖書の価値は、イエスのたとえ話と考えます。曲解が多いのですが
<呪いのイチジク=律法学者へのユーモア皮肉に結びつかないと無意味みたいな>
140 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 00:44:32 ID:+3Vf62YC
人間であれ、神であれ、その他何であれ、「作らなければ存在しない」と
考えること自体、とらわれていると思う。
141 :
:2007/09/12(水) 00:48:32 ID:61Yo605E
>>140 発生観察かと
あと物理時系列分析と
宗教的価値観察は結論が違うがどちらも正解とも<主観>
>>139 >幸せになったら奇跡で、別れたら錯覚ですね、主観なんだけど
好きになっても幸せになるとは限りませんし別れること(付き合う)になるとは限りません
好きになった後のことより、好きになる時のことを伺いたいのですが
錯覚しなくて好きになることはあるのでしょうか?
あるのならどのようなケースなのか教えてください
143 :
:2007/09/12(水) 01:09:39 ID:61Yo605E
>>142 好きの同意期間が恋愛で
別れたら錯覚もしくはよき思い出としての恋愛
ハッピーエンド路線率を高めるなら
29日周期萌えのDNA適応オスの中から
思いやりという<結果やさしさじゃない女観察優先男>を最終選択することです。
また女が白雪姫地雷女なら見込みないですが
>>143 錯覚なしに好きになることはあるのですか?
145 :
:2007/09/12(水) 01:22:01 ID:61Yo605E
>>144 錯覚とは結果の否定的見解主観でしかありません
つまりハッピーエンドで幸せに包んでくれる男の資質を見極められるかの
確率追及しか方法がありません
146 :
:2007/09/12(水) 01:32:44 ID:61Yo605E
男は地雷女を避けることです。
女は女のことを優先取り組みする男を得ることです。
離婚したけなければ
>>145 恋愛の結果は関係ないでしょ
私が訊ねているのは錯覚なしに好きになることはあるのかということです
区別できませんか?
「人を好きになる」を結果として考えた原因に錯覚はないのかと聞いているつもりですが
>>126 すべて脳の錯覚
錯覚『説』と捉えるのなら最後でしょうが
本能以外は脳の錯覚でしかありません
幻想の中に生きています
人間形成の成立過程も脳の錯覚とうまく付き合うためのもの
148 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 01:50:27 ID:GidA31Q+
神はわしが作った
149 :
:2007/09/12(水) 01:51:48 ID:61Yo605E
>>147 錯覚は結果です数回目
錯覚という結果にならない選択で確立を高めるしかありません数回目
150 :
:2007/09/12(水) 02:19:49 ID:61Yo605E
>>147 >本能以外は脳の錯覚でしかありません
本能と意識にわけてます?無意識自動実行の白雪地雷女行動はどちらに入る?
> 幻想の中に生きています
根拠は?
> 人間形成の成立過程も脳の錯覚とうまく付き合うためのもの
群のバージョンアップで人間が形成された結果です。人間形成期まで錯覚と言われても・・・・
151 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 02:25:05 ID:duMekwLt
人に嫌われないように生きよう
152 :
:2007/09/12(水) 02:31:53 ID:61Yo605E
錯覚とは、本来で本質の対象を、偽で虚構と見間違ったり
またその逆だったりした、行為の後から認識できる失敗と判定された主観です。
153 :
:2007/09/12(水) 02:37:18 ID:61Yo605E
地雷女は正確に錯覚します。
正確にダメ男を選択する
いい男でも正確に幸せ状態で地雷自爆する
これは三歳までに形成された深層心理で自動実行されるので自覚はありません
>>1 くだらん神様(人間の都合ばかりを司るような性質の神様)を大量生産したのは、紛れもなく人間。
これ、青木雄二氏の指摘のとおり!
155 :
:2007/09/12(水) 02:49:47 ID:61Yo605E
>>154 それって運用問題で
神がくだらないのではなくて、人間の運用の悪さの問題だし
156 :
:2007/09/12(水) 03:10:11 ID:61Yo605E
157 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 07:47:06 ID:SmzlLvWz
進化論と創造論の話で地球は宇宙人が創ったとほざいてるヤツがおります
しかも宇宙人は円盤に乗ってる!ネッシーは絶対いる!の一点張りです
それが私の彼氏です
大学生です
158 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 08:01:54 ID:vkm+8ub7
神がどこから生まれてようと、ぶっちゃけどうでも良いけどさ。
いるなら見えても良いよな。
…イケメンだったら見えなくて良いけど。
160 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 09:07:59 ID:koPxPvI5
人間を作ったのは神様なら神様を作ったのはだれ?
この問いは、あくまで人間を中心に考えています。
そうではなくて、神が在ると仮定した場合。
その神とは何かと問わねばなりません。
その神を概念内(既存の固定観念)の出来事を神とするなら、
概念自体を神とするでしょう。
しかし、神を概念を越えたもの、つまり計り知れない存在として
とらえるならば、それは概念を越えています。その神を思いうかべて
神とするならば、概念を扱うような理解の仕方では限界がありますし、
また、それを人に伝えるにも限界がある。
よって既成概念を越えた存在を神というタイプと既成概念内での
思考実験によって神を紐解くタイプがいるが、認識、知覚、体験という経路を
たどって、なんとなくという感覚から、確信にかわり、ご対面という事になるのが
信仰から、知るにいたる流れでしょう。
よって概念を越えた存在があるかどうかを察知するには、直感や感性という
人間の素養を抜きにしては語れないでしょう。つまり主観が先にあり、
主観の検証を行い、その繰り返しで存在がじょじょに顕れてくるという事でしょう。
体験的実験なきものには、神は単なる既成概念でしょう。
161 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 09:13:17 ID:koPxPvI5
ここで話されている人達も、体験的な神を語っている人と、
単なる既成概念に、他人の体験的知覚の表明を落としこんで理解しようと
するタイプの人もいますが、神は客観性はなく、自分で知るものです。
想像力も直感や予感、共感などの感覚が退化している者に、その感覚を
伝えても無理があります。よって、そのような人には、ちゃんと説明
する必要がありますが、既成概念を越えた説明に付いてくることはできません。
よって、説明をするよりも、人間的感受性の資質が問題となります。
神(概念を越えた存在)を理解で理解することは不可能です。
自分の全部でキャッチするしかないでしょう。
162 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 09:19:59 ID:koPxPvI5
ようは、人間的成長過程で、過去の体験者が語り、それを概念化し、言い伝えられている
ような体験を経験するかしないかという事です。
よって、神は体験ですから、体験したか?しないか?そのどちらかで、
体験を共有している人には、体験者をなんとなく感じられても、
未体験の人には、体験者を理解できない。
つまり直感に信頼をおいている人。そして実際、直覚・直感の客観性を実生活で
照らし合わしながら、精度を上げている人の話しは、直感を信じられない人は、
直感や主観的事実を、まったく理解できないという事になります。
それを既成概念で説明すれば、既成概念内の出来事に成り下がるだけです。
よって神は知るものと知らないものがいるだけです。
見えないヤツに、いると証明出来ないならいないようなもんだな。
つーか、神とかいうのが出来てから何年経ってるか分からないけどさ。
大半の人が見えて無いんだから、いないって事で良いんじゃね?
物語の登場人物と大差無いし。
164 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 10:04:50 ID:koPxPvI5
>>163 その理解でいいのではないでしょうか。
みえないものには、フタをするという事は、日常的な出来事でしょうからね。
見えたら面白いだろうとは思うんだけどな。
昔の話だがキノコ食っても見えなかった俺には無理だわ。
>>149 人を好きになるのはどうしてかの問いに
あなたは 発情 執着 幻想 だと答えた
錯覚なしに幻想を抱くのならその例を挙げてください
>>150 >本能と意識にわけてます?無意識自動実行の白雪地雷女行動はどちらに入る?
「無意識自動実行の白雪地雷女行動」の意味がわかりませんが
意識なら脳の錯覚です
>根拠は?
人の意識など自然で生きるには必要ないことでしょ
>群のバージョンアップで人間が形成された結果です。人間形成期まで錯覚と言われても・・・・
錯覚を繰り返して受け継いでいるだけです
すべて錯覚なのですから気付かないでしょうが
167 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 10:22:46 ID:koPxPvI5
>>166 あなたのやってることは、既成概念に当てはまる事だけの活動です。
信仰の心を理解できないし、直感すら理解できない。
だからそのような質問がでるのです。
168 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 10:22:55 ID:QLPbOf4x
面白いねえ、このスレ。
宗教観が出るなあ。
169 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 10:29:10 ID:koPxPvI5
>>167 >あなたのやってることは、既成概念に当てはまる事だけの活動です。
122に反応した私のレスに126が反応したから説明する為に質問しているが答えが返ってこないだけのことにあなたが反応して理解できないと脳が錯覚しているようだが
特に活動などする気もないし既成概念自体が脳の錯覚であると言ってるのだから既成概念に当てはまる事だけなどと言われてもだからなに?って感じ
>信仰の心を理解できないし、直感すら理解できない。
理解しているつもりですが・・・
ただ幻想でしかないと言ってるだけのことです
>だからそのような質問がでるのです。
信仰の心を理解し、直感を理解しているのに(あなたにとっては)不思議ですね
「客観」は存在しない。存在するのは「共有された主観」。
真実は「人の数だけ」ある。「真実は一つ」は、数ある真実の中の一つに過ぎない。
だからいつの世も「唯一の真実」に拘る人だけが、争いを通して己の矛盾を体験する
幻想の中で
172 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 14:18:11 ID:koPxPvI5
173 :
楼蘭:2007/09/12(水) 14:24:05 ID:lHBfA42I
>171
>「客観」は存在しない。存在するのは「共有された主観」。
これは一般論として述べている訳ではなく、神について述べておられるのですよね?
ちょっと疑問に思ったのですが、
1.数学の、既に証明されている公式は客観と思えますが、これも主観と考えておられますか?
神を数学の公式のような物として捉えている人もいます。
2.主観が生じうる自身が存在するより以前から神が存在していたと考える人もいます。
それと、存在という言葉は何か特殊な使い方をされているのでしょうか? もしそうでしたら
簡単に解説もお願いします。
174 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 14:28:21 ID:koPxPvI5
EINSAM君は神については述べられません。
あくまで一般論です。
175 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 14:44:38 ID:koPxPvI5
EINSAM君は、自分の考えはこうであるとは、絶対に言えないのです。
いえることといえば、繰り返しでしょう。
なぜだか分かりますか?簡単な事です。彼が神になっちゃってる。
176 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 14:49:54 ID:koPxPvI5
EINSAM君、僕はこう思うとか、僕の考えはこうだ!といってごらんよ。
僕の考えは総て上で述べてる。ここいらで、EINSAM君自身の独自の
神感ってもんを聞きたいと思うよ。
>>172 >分からない事だらけのようですね。
そう、無知の知
>>173 おや?どこかでお見かけしたような・・・・
>これは一般論として述べている訳ではなく、神について述べておられるのですよね?
すべてです
>1.数学の、既に証明されている公式は客観と思えますが、これも主観と考えておられますか?
もとは誰かの主観。納得すれば納得した人の主観になります
>2.主観が生じうる自身が存在するより以前から神が存在していたと考える人もいます。
その人の主観でしょうね
>それと、存在という言葉は何か特殊な使い方をされているのでしょうか? もしそうでしたら
どうでしょう?私は特殊な使い方をしていないつもりですが、何が特殊かは人によるでしょうから・・・
辞書どおりに使っているつもりではいます
>>174 述べることはできない?
述べない?
>>175 私が神ですか?あなたにとっての神は私でしたか・・こりゃまいったな^^;
>>176 私の考えなどとるに足らんことですよ
つうか、神は概念だといってますが
自由意志は脳の錯覚
求めているものは心の安定
信仰も心の安定の為なんだが
罰があたるかもと考えてちゃ不安になってちゃって心の安定はできない
心の安定を求めて戒律を受け入れるが実は首を絞めている
だれかが言ってた自業自得
罪を犯しては許しを乞うの繰り返し
もともと罪など存在しないのに
179 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 15:37:05 ID:koPxPvI5
>>178 神は概念と考えればおっしゃるとおりになりますね。
結局一般的な神感ですね。神になっちゃう所なども一般的です。
はまってますね見事に。
あなた所で謙虚ですか。
180 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 15:43:05 ID:koPxPvI5
EINSAMさん、
このような質問にもあなたは答えられないでしょう。
あなたは神を体験したことはありますか?
当然、述べないでしょう。
181 :
楼蘭:2007/09/12(水) 15:43:35 ID:lHBfA42I
>177
一応存在という語は押えておきたいですね。
あなたの用法で言うと、喜望峰はディアスの発見以前は存在していましたか?
>>179 >あなた所で謙虚ですか。
さて?自分で言う事ではないと思いますが・・・
相手の意見を意見として受け入れはしますが・・・
>180
>あなたは神を体験したことはありますか?
ないですよ
>当然、述べないでしょう。
なにが当然なのかサッパリわかりませんが
無知な私でもあるかないかの質問ぐらいは答えることができますよ
>>181 >あなたの用法で言うと、喜望峰はディアスの発見以前は存在していましたか?
喜望峰としては存在していなかったでしょうね
183 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 16:04:56 ID:koPxPvI5
>>182 EINSAMさん、あなたは神を体験したことがないにも関わらず、
他人の神の発言に対し、脳内だとか、錯覚だとかとおしゃってるのですね。
184 :
楼蘭:2007/09/12(水) 16:06:56 ID:lHBfA42I
>182
おっと、やられた(笑 質問を変えます。
あなたの用法で言うと、
現在喜望峰として知られるアフリカ南端の場所は、ディアスの発見以前にも存在していましたか?
>>183 >他人の神の発言に対し、脳内だとか、錯覚だとかとおしゃってるのですね。
神の発言だけじゃなくすべて脳内でしょ
>>184 >現在喜望峰として知られるアフリカ南端の場所は、ディアスの発見以前にも存在していましたか?
どうでしょうねぇ。ディアスが通りかかったときに出現したとは考えにくいので存在していたのじゃないでしょうか?
186 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 16:22:19 ID:koPxPvI5
>>185 脳内とは、あなたの脳内では、何を差して脳内とおっちゃってるのでしょうか?
187 :
楼蘭:2007/09/12(水) 16:31:10 ID:lHBfA42I
>185
>ディアスが通りかかったときに出現したとは考えにくいので存在していたのじゃないでしょうか?
そうですか…存在しなかったと言われていれば、その時点で私はあなたに一度賛辞を送っていたでしょう。
私なら、「の前に」という語自体概念である。なんて答えるかもしれません。(勿論これは遊びで述べています)
主観、客観、概念、存在、時間/時系列
これらは、使うとすると以外に難しい言葉です。
188 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 17:06:06 ID:koPxPvI5
EINSAM君の脳内では、彼自身の脳内に存在する神の起源に気付いたかな?
>>186 あなたの脳内での脳内ですよ
>>187 >これらは、使うとすると以外に難しい言葉です。
すべて主観になりますからね
>>188 君の脳内でのEINSAM君の脳内でなら気付いたかもね
神を体験しているのなら私に確かめる必要はないでしょう
誰の中にも神は存在するのでしょう
確かめたり気付かせたりは神を疑う行為ですよ
許しなさい 彼はそれを知らないのだから
191 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 20:26:28 ID:nkeufvkm
>>186 脳内というけれど、あなたの脳内というのは、
物理的な脳の事を言っているのですか?
192 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 20:30:58 ID:nkeufvkm
>>190 EINSAM君が脳内という概念を定義してくれないと、
その言葉も空回りだよ。
>>192 >EINSAM君が脳内という概念を定義してくれないと、
脳内は
>>183の言葉です。定義なら
>>183に聞いてください
>その言葉も空回りだよ。
信仰のある人ならわかることです
194 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 20:45:33 ID:nkeufvkm
どうやら、EINSAM君と話すには、
時場所時間を設定して、EINSAM君自体を確認してから、
話さないと、脳内にトンズラしちゃうので、とりあえず、
捕まえないといけないんでね。
他人の脳内の出来事だと逃げずに、EINSAM君の言う
脳内という概念と、その持ち物は誰の物かちゃんと
他人に解るように伝えてください。
195 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 20:51:43 ID:0/4hqom5
投票コーナー
次期首相は誰がいいと思う?
自民・麻生太郎
自民・石原伸晃
自民・石破茂
自民・小池百合子
自民・小泉純一郎
自民・中川昭一
自民・中川秀直
自民・谷垣禎一
自民・福田康夫
自民・舛添要一
自民・山崎拓
民主・小沢一郎
無所属・田中眞紀子
無所属・東国原英夫
その他・あさはら彰晃
>>194 >他人の脳内の出来事だと逃げずに、EINSAM君の言う
脳内は私の言葉ではありません
>脳内という概念と、その持ち物は誰の物かちゃんと
>他人に解るように伝えてください。
>>183に聞いてください
197 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 20:55:24 ID:nkeufvkm
>>196 逃げますか。
あなたは、「誰の中にも神は存在するのでしょう」と
いいましたか?
>>197 >逃げますか。
あんた誰?
いきなり現れて逃げますかと言われてもねぇ・・・
>あなたは、「誰の中にも神は存在するのでしょう」と
>いいましたか?
言いましたがそれが何か?
199 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 21:01:52 ID:nkeufvkm
>>198 今、おっしゃった神は、「神は概念でしかない」と、あなたは、お考えですか?
201 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 21:08:48 ID:nkeufvkm
>>200 今あなたが、話している神は
「誰の中にも神は存在するのでしょう」
ということで、その神は、
「神は概念でしかない」というあなたの言い分ですが、
あなたの場合、神とい概念はあなた独自の概念ですか?
>>195 だめだめ。もう決まってるんだから。
井脇ノブ子。
理由:ピンク
>>201 >あなたの場合、神とい概念はあなた独自の概念ですか?
一応共通の概念ではあるけど、意識体験の内容は人それぞれだろうからそういった意味では独自になるかな
204 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 21:20:21 ID:766IX0VJ
神は光合成でできています
205 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 21:20:26 ID:nkeufvkm
>>203 それでは、貴方の独自のもちものである概念は、あなたが、
一般的に使われる「生」をもって生まれ、「死」をもってあなたの肉体とともに、
消滅するのでしょうか?
>>202 ワロタw
考えたんだけど思いつかなかった
>>205 「生」をもっては生まれてない。今までの体験で知り得たことだからね
「死」ぬ前に忘れるかそんなこと考えなくなると思う
つうか概念なんて変化するもんだろうから明日になれば神は存在してるかも
まあ聞きたいのは消滅するかってことだろうからちゃんと答えるね
消滅する
208 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 21:28:19 ID:nkeufvkm
>>207 あなたは、神を「神は概念でしかない」とおっしゃる。
その概念は、あなたと共に消滅するとおっしゃる。
では、あなたを生んだのは、誰ですか?
どちらかといえば『神が実在する」と主張する人に証明する責任があるよね。
>>208 >では、あなたを生んだのは、誰ですか?
私の母親です。もう随分前に癌で他界しましたが・・・
>>209 とは思うのですが・・・
証明できないことでしょうから相手に責任を摩り替えるのでしょうね
理屈ではわかっても感情で理解できないのでしょう
211 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 21:33:20 ID:766IX0VJ
>>209 そうだね。
この世界に、グfyボウgb「@ポが存在しないことを証明しろといわれても困るわな。
僕珍としては、「神は存在するのしないのかわからないし証明もできない」というのが正しいと思うよ。
いない、とも言い切れないような気がするし、いる、ことも証明できない。
213 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 21:36:40 ID:nkeufvkm
>>210 あなたは、神という存在は、「神は概念でしかない」。
そしてあなたと共に消滅する。
そしてそれを生んだのは、母親。
つまり、あなた独自の神は、あなたの母親が作ったという事で
間違いないという事ですね。
「それを生んだのは母親」ちゅうのはどうなんだろうね。(失笑
215 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 21:40:26 ID:766IX0VJ
神が実在すると思う人は、なぜそう思うようになったのですか。
>>213 >間違いないという事ですね。
207で「生」をもっては生まれてないと言ってますが
私独自の神は私の今までの体験で知り得たのですよ
神を信じるものは神の存在を否定する話には耳を貸さない
証明を求めるものは心のどこかで神を疑っている
217 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 21:53:48 ID:nkeufvkm
>>216 あなたが神という時、あなたの体験で知り得た事であり、
そして神は、概念でしかなく、
その神という概念はあなたと共に消滅するが、
「生」をもっては生まれてないのですね。
あなたの体験は母親から生まれた時から始まったのですか?
>>215 僕珍の過去の体験で言えば、
・親とか教会とかから、そう教えられたから
・みんなが同じように考えているから
の二点だろうね。
>>217 だれだって、生まれて直ぐに神があるとかないとかの知覚はないよね。
後々「知識」によって決めることだよね。
>>217 なんだかめんどくなってきた・・・
>あなたの体験は母親から生まれた時から始まったのですか?
神が概念だと知る体験が始まったのは小学生ぐらいじゃないかな
221 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 22:05:17 ID:nkeufvkm
>>220 あなたは小学生から、神が概念であると知る体験をして
今に至っている。そしてあなた独自の概念は、あなたの死をもって
あなたとともに去る。
そして小学生であった貴方を生んだのはあなたの母親である。
小学生が突然生まれるのではなく、赤子が徐々に成長し小学生に至る。
あなたの神の大元は母という事ではありませんか?
>>221 どうしてもそこにもっていきたいようだが・・・w
>あなたの神の大元は母という事ではありませんか?
迷信や科学でしょう
223 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 22:11:01 ID:nkeufvkm
>>222 あなたの独自の神という概念の大元は、母ではなく、
「迷信や科学」とおっしゃるのですか。
つまりあなた独自の神という概念は、「迷信や科学」という事ですか。
>>223 大元は、「迷信や科学」だが
概念が、「迷信や科学」ではないよ
仮に母からだ、として、その場合どういう展開になるわけ?
>>221 それがミームなんだろうネ。
親から子へ子から孫へとミームは受け継がれてゆく。
母親は その母親から伝えられているんだね。
>>223 概念ってただの出来事の解説だってこと理解してる?
228 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 22:26:28 ID:nkeufvkm
>>222 あなたの独自の神という概念の大元は、母ではなく、
「迷信や科学」なのですね。
そして、「迷信や科学」によって、「神が概念だと知る体験が始まったのは小学生」
という事ですね。
つまりあなたが神というとき、「神」とは、貴方独自の概念の事を指すのであり、
その概念が生まれたのは、「迷信や科学」から生まれたものであるならば、
それは既存の概念ですか?
>>225 流れからして
「神は概念」の大元が母だということになるだろうから神の存在をますます証明し辛くなると思うのだけど・・・
何か必殺技を隠し持っているのかも
>>228 >それは既存の概念ですか?
何かで知ったのだから既存の概念だろうけど、意識体験の内容は人それぞれだろうからそういった意味では独自になるかな
>>229 必殺技はイシス教?
Σ(☆◇・) キラーン-☆
231 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 22:41:56 ID:nkeufvkm
>>229 概念を形成したのは、あなたの個人(独自)の意識体験であるという事ですね。
あなたの場合、独自の意識体験を経て、「神は概念」と結論づけているという事ですね。
他人は、あなたと違う意識体験を経て、「神は概念」ではないという結論に
至った場合、あなたは他人の意識体験の結論を、「神は概念」ではないと認められますか?
変な人。
なんか、アホメばかぁ臭い。
>>231 >至った場合、あなたは他人の意識体験の結論を、「神は概念」ではないと認められますか?
認められますよ
わが面布を掲ぐる者は語るべからざるものを見るべし
>>232 クリシュナムルティーあたり読んだんじゃない?
>>235 クリームシチュー?
海砂利水魚じゃなくて?
>細木
有田腕上げたねぇ〜w
フトミクズコ?
あんた!地獄に落ちるわよ!
240 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 23:06:59 ID:nkeufvkm
>>234 神は、「全て」であるという概念があった場合、
「神は概念」という枠には収まりませんね。
それでも認められますか?
穴菌は相変わらずウンコたれだなぅ!
さては認可教だなっ!
おめ〜もな。はんかくせぇ〜
糞(フン)だっ★
>>240 ただの言葉遊びだってことを認められますか?
おめぇ、千代田か?なんか似てるなぁ〜
認めるものは救われる。
神さんでおなかいっぱい★
認めちゃイヤーン
251 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 23:15:44 ID:nkeufvkm
>>248 あなたは、あなた独自の概念を超えたものの存在を認められる
という事ですか?
もはや言葉に何の意味も存在していないよね。
そんなことよりさ、与謝野官房長官、姿勢悪いよね。歩き方も良くない。
きっと早死にするよ★
>>251 他人が何かしらの概念を持つ自由は認めるが
存在は認めようがない
他人の意識体験の内容を知ることなんてなかなかできることじゃない
255 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 23:23:13 ID:nkeufvkm
>>254 では、神は、「全て」であるという概念は認められないという事ですね。
普通は問いただすほうが強いんだけどね、構造的に。
こういうのも珍しいな。
幼稚園児が質問の練習してるみたいやね。
チエネツかな?
258 :
:2007/09/12(水) 23:27:36 ID:vMkKQvGV
概念か概念を超えたものかってw
概念ととらえたら人間構成構造観察という科学的時系列的判断ですし
人間を超えたものとして考えるのは、神概念内で言語脳思考体系を使って
宗教しちゃってるっつうわけで
ひとりの人間内で並立してるわけだがw
261 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 23:37:03 ID:nkeufvkm
>>260 では、神は、「全て」であるという概念は認められないということでしょうか。
262 :
:2007/09/12(水) 23:38:55 ID:vMkKQvGV
265 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 23:46:29 ID:nkeufvkm
>>263 神は、「全て」であるという概念はあなた自身は認められないが、
他人が持つ分には認めるという事ですね。
概念を認識している自分を「変数」として解釈しても
結局は切が無いから、ただその時点での出来事して捕らえるのが直接的だよな。
>>265 認めるも何もそんなもん自由だよ
強制なんてできようがないでしょ
268 :
神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 23:53:59 ID:nkeufvkm
>>267 その通りですね。
神は全てですから。全てを認めるでしょう。
>>268 そうそう
あなたの信心が足らないだけのことですよ
神が全てなら「神は概念」も認めるはずでしょ
それを認めないと神を疑っていることになりますよ
さて寝ますかな
みなさんおやすみなさい
272 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 00:00:15 ID:vUdQX5lN
>>269 神は、「全て」であるという概念はあなた自身も他人がもつのも認めないですか?
273 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 00:04:20 ID:vUdQX5lN
>>270 私は、あなたの独自の神「神は概念」も認めます。
そして私は、神は全てだとおもっていますから、あなたも認めます。
あなたの発言に対して、確認作業をおこたらないのです。
>>156 神道では「八百万(やほよろず)の神々」といい、
日蓮宗とかにおいても「諸天善神(しょてんぜんじん)」と呼び習わしているではないか。
それにまた、セム系一神教世界においても「天使」の地位で沢山の神様が登場してくるのさ。
神がすべてを創って、その神はすべての作られたものによって作られてます。
この関係で終わり。
276 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 08:37:38 ID:+q2UYbnk
>>272 どんな概念持とうと自由だよ
あなたに自由があれば私にも自由がある
つうか
概念は頭でとらえるものだから『神は、「全て」であるという概念』を持ったところであなたの頭の中だけのことだから現実に神が全てにはならないよ
「神は概念」に対して概念じゃぁいつまでたっても神は実在できないよ
どうせなら概念と離れないと
>>273 >あなたの発言に対して、確認作業をおこたらないのです。
そこが信心の足らないところだよ
全ては神の仕業なのだから神を信じていれば確認など必要ないだろう
あなたが神を信じていればよいだけで、あなた以外がどうであろうと神が全てなのには変わりないのだからね
わからない人はわかる日が来ればわかるんだよ。そのときが来れば神が教えるよ
あなたが気にすることではないよ
アーメン(その通りです)
278 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 09:26:46 ID:7n7DtEYl
僕は、神の子である。
僕の肉体を生んだのは、僕の母親である。
僕の母親も神の子である。
子が子を産むが、便宜上、僕は神の子の入れ子である肉体を生んでくれた神の子を母と呼ぶ。
この世界は、触ることも見ることもできる。音も聞こえる。いろいろ感じ知覚する。
触っては消え、創っては壊れる。常にこの今の瞬間しか存在していない。
今めの前にあるもの以外は、記憶や憶測と呼ばれてそれを概念とみなし、
信念体系をつくる。僕はそれを信じている。しかし今という瞬間しか存在しないことも
しっている。今はだれが創っているのか?今の知覚を通じた認識がたしかなもので、
それ以外は触れることも、みることもさわることもできない。
僕は触る事ができる事を実存という。神の子である僕が触る事ができる今という瞬間、
神の子である僕は、つくり手である神の世界に常に触れている。
いつ創られたか?それは、今創られて、次の瞬間消えるという法則だと思っている。
法則はいつ作られたか?といえば、在った。在るものはあり、ないものは無い。
279 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 09:27:07 ID:+ThcArVl
280 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 09:55:54 ID:7n7DtEYl
神の子である僕は死なない。他の神の子の肉体は、100年くらいもつ。
肉体は大地から生まれたから大地に返る。
神の子である僕は、そのとき、また大地以外のどこかに居る。
282 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 10:29:04 ID:7n7DtEYl
この世界は、今うまれて、次の瞬間消えてしまう。
今、それぞれの神の子達の目の前で起こっている事、感じている事が
総てで、それを他の神の子が、起こっていないと確認のしようがない。
起こっていると確認のしようがない。
しかし神は法則とともに、常に、それぞれの神の子達の面前に
今、広野として広がっている。人によって神の法則の結果の見え方は違うが、
神の法則が創っている今という瞬間の流れは、存在している。
神が存在しないという事は絶対法則が存在しない。というようなものだ。
秩序が存在しなければ、無秩序であり、今が消える。
絶対法則の結果生まれる今という神の子達の面前に広がる世界は、
絶対であり、在る。今、ここに何かがある。それは、まぎれもなく神である。
283 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 10:44:01 ID:7n7DtEYl
今、此処で触れない、感じられない神は、神ではない。
どこにでも在り、どこにでも通用し、どこでも一緒にいるもの、
それでなければ無い。在るというのが神。ないものは、ないのだから
信じられない。あるものは信じる必要がない。
284 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 11:09:30 ID:ICQfWD33
つかまず神の定義しなくちゃダメじゃん。
神がひげ面のおっさんだって言うんだったら人間が作ったんだろうけど、
神は「存在のすべて」だ、って定義すれば誰かが作ったんじゃなくて、
すでに「在る」ものでしょ。
存在するものすべてが神。
285 :
楼蘭:2007/09/13(木) 11:12:28 ID:22C6jEh1
まず、このスレッドで神とされているのは創造者の事だと思います。
創造者と言うのは、水道局のようなものです。
働きかけが人→神である限り、つまりただ水道水を飲んでいる限り、人は水道局が何と思っても構わないし
何なら存在を否定しても良いわけです。
問題は、働きかけが神→人となるケースで、水道料金を徴収しに来たら、独自の概念で水道学体系を
構築してきた人は困ってしまうでしょう。
今一つの問題は、水道局'の方'からやって来る輩に変なものを売りつけられる事。
286 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 11:38:03 ID:7n7DtEYl
>>285 働きかけが人→神
働きかけが神→人
この双方の立場から、同様な感想をもちます。
補足するならば、
独自の概念が、水道局'の方'からやって来る輩に変なものを売りつけなければ、
水道局'の方'からは何の問題もきない。こう思うのです。
問題は、売りつけという行為にあると思います。
その問題は、簡単で、
「水道局の方から来たと称する輩」が別に「水道局とは関係なかったりすること
あっ、途中だった。
結局、神は人間を作ってんだけど、神を作ってんのは人間なので、
神と称してるものはみんな詐欺だということでしょう。
でも、信じるのは自由ですからね。
騙されるのも幸せのひとつです。
289 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 12:30:26 ID:7n7DtEYl
>>288 あなたの考えは、
神は人間を作ってんだけど、神を作ってんのは人間なので、
人が、例えば、私は神だ!と称し、権威付をし、支配の道具として、
他人をコントロールして、自分に利益を得る行為の事を詐欺とするのですか。
神と称する者が、即、詐欺というわけではなく、神という概念を支配の道具としたとき、
それは、詐欺に化けるというのですね。
>>289 とりあえず、自分の考え述べてみたらどう?
水道料金はらわんやつから、料金徴収に来る神ってなんなのさ。
ていうか、世界が存在する、という不思議を前にすると神がどうとかってどうでもいい。
293 :
:2007/09/13(木) 12:49:30 ID:NkYQzKmr
>>288 神を人間がつくった説 貴方説
神と神概念は人間発生時の核パーツ 説
人間をつくったのは神なんで 貴方説
<人間をつくったのは神なんで>というのは神概念 説
294 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 13:00:48 ID:7n7DtEYl
>>289 人は神から作られているんだから、神に感謝するのは当然だけど、人様から指示される問題でもない。
ということに過ぎないのでは?
まして、金払えとか言われる筋合いの問題でないのは当然でしょう。
297 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 13:06:03 ID:7n7DtEYl
>>296 何が分からないと言っているのですか?
神についてなら、僕は上で述べてます。
>>297 あんた、男だったの?
考えてみたらあんたの神概念なんてどうでもいいよ。
せいぜい他人の隙見つけてはやっつけて見たくなる程度の概念でしょ。
299 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 13:09:50 ID:7n7DtEYl
>>295 僕も同じように思いますよ。
神を道具につかって、指示や指図するのは、支配だと思います。
300 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 13:13:25 ID:7n7DtEYl
>>298 僕の考えは、上で述べたとおりです。
>せいぜい他人の隙見つけてはやっつけて見たくなる程度の概念でしょ
そうですか。
そう。せいぜいね。
その程度。
302 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 13:23:39 ID:7n7DtEYl
303 :
:2007/09/13(木) 13:27:56 ID:fND9gso4
神概念の中に、自分をすべてかほとんどを浸たすなら
神がすべてで根源になります。<主観世界>
そこまで行くと神はどこから来たかの疑問に答えるのは困難になるでしょうね
1、神概念の中に入ることを宗教行為と定義
2、神概念を人間形成パーツとしてとらえるのを科学的時系列的観察
1だけ、2だけを正当だと主張するものを原理主義と分類し
1と2も分別し認めるものは理解者となります。
1も2もちょっとどうかと思う場合は?
305 :
:2007/09/13(木) 13:46:19 ID:fND9gso4
>>304 3を提示するなり、貴方の主観を提示するなり
めんどいからもういい。
307 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 13:54:48 ID:7n7DtEYl
>>303 素晴らしいご意見だと思います。
>そこまで行くと神はどこから来たかの疑問に答えるのは困難になるでしょうね
そうなんです。そこからが本当の探求の醍醐味だと僕は思います。
308 :
楼蘭:2007/09/13(木) 13:55:41 ID:22C6jEh1
>302
EINSAM氏への質問の意図は読んでいて分かるし、私はそういうあなたが好きですよ。
せっかくこういう話の流れなので、もう一度簡単にあなたの考えを教えていただけると嬉しいです。
309 :
:2007/09/13(木) 13:56:35 ID:fND9gso4
体系的な主観を
人間形成私観まで網羅して提示する
数行を書けるときにまたどうぞ
310 :
:2007/09/13(木) 14:21:20 ID:LTSsXoM5
神概念であることを<決めて>いる方のなかで
神探しという<選択>をするものがいますね、宗教ジプシーといいます。
神概念内で主観をカミにしちゃってる
311 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 14:38:57 ID:7n7DtEYl
>>308 非常に簡単に言えば、僕は経験者です。課題評価なきよう。僕なりのですからね。
体感型といえば、意識体験と区別がつくでしょうか。
絶対法則の存在を実験検証していおり、その結果の因果関係を検証するために、
概念を使うという事です。訓練は自分なりの方法と伝統的な方法を活用しています。
そこから導き出された感想を、既成の概念(言語)をつかって話しているだけです。
だから、一つの確信は、絶対法則は在る。
そしてどのような現れ方や感じ方をするかという事を、ツラツラと書き連ねている。
系統立てて話すのがよいのですが、固定していない法則を概念で固定したとたんに、
するりとぬけちゃいますから、聞き手に概念とはき違えられます。
よって、ちょくちょくと暇つぶしに書いている。それが本音です。
真面目な問いには真面目に、それなりの問いにはそれなりにちゃんと答えます。
よって、その都度、なんなりとどうぞ。
EINSAM君のような人には嫌われるタイプですね。
神がすべてだ何だっていっても、どう見ても神じゃないよな、って自分やらが
いるのに、言葉だけでいろいろいってもくだらんとおもうけどどうだろう。
313 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 14:50:54 ID:+q2UYbnk
まあ、神とは何かとか、神をつくったの誰なんて結論に、意味なんてないんだよなあ。
314 :
:2007/09/13(木) 14:55:12 ID:gDI62FLO
>>311 絶対法則ですか、体験での主観で得られたと?
絶対が絶対ないのが絶対とか?
>>312 どうだろうと言われても前文がぼやけているので答えられません
315 :
:2007/09/13(木) 15:02:03 ID:gDI62FLO
宗教がこの世にあってトラブルもある以上は
この問いかけに意味あんでしょw
>>313 まぁ、そういうのに意味づけしようとするのが神概念なんだろうけど。
317 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 15:06:50 ID:7n7DtEYl
>>314 僕が言っている絶対法則結果の事例を数個上げましょうか。
○僕は今、生きている。
○僕は肉体をもっている。
○言葉はそのものの実体を表していない。
これらは絶対法則の結果だとしてまずは認める。
318 :
:2007/09/13(木) 15:07:00 ID:BqitbYEo
>>316 神概念は人間形成期のパーツ
神に意味合いなどを持たせるのは宗教かと
>>311 名前が出たのでいちお
>EINSAM君のような人には嫌われるタイプですね。
嫌いじゃないですよ
ただそれがどうして「神」かは「?」ですが
それじゃ結局、神を定義してけんかになるだけw
323 :
:2007/09/13(木) 15:14:18 ID:BqitbYEo
>>317 哲学者のいう、疑えない存在=考える我の存在ですね
言語は思考だというのもお忘れなく
>>323 デカルトの我とヴィトゲンシュタインの我とは違いますよ。
言語が思考だというのも、同じようにどのレベルかで違う。
325 :
:2007/09/13(木) 15:37:08 ID:BqitbYEo
藤原正彦さんは日本人とは日本語だとおっしゃいます。
日本人とは花鳥風月です。
327 :
:2007/09/13(木) 15:57:50 ID:BqitbYEo
>>324 人間が形成されたときの神概念も含めた説明に持論がありますか?
>>327 そんなものはない(^o^)/
というのはどう?
329 :
:2007/09/13(木) 16:17:04 ID:BqitbYEo
>>328 人間形成期に 言語思考と神概念を含めた成立過程の否定はいいけど
人間形成の持論はないということでOK?
そんなことはないけど、現に存在しておる神概念の形成はわからない
言語形成もわからない。でも言語は段階によって思考でもある旨はわかるとしたら
もう意味がわからないのでね
人間進化の持論ていうか、単に固体進化は系統進化を含んで繰り返すってだけだろ。
>>329 人間は、フェティズムの概念能力を持ってる。
模倣し会話し対象化することが出来るから、どうしても絶対化するなにかが必要になる。
そうしなければ、共有化の幻想が成立しない。
言葉も意味の幻想・共有が重要なのであって、言葉自体にはなんの意味もない。
そういうことでいいのでは?
神はその共有の象徴。
この共有化の幻想については、記号論がわかりやすいでしょう。
ただし、その相対主義は自己閉塞しか生まないので、取り扱い注意。
概念は飽きてきたから、次は観念の話。
もうあかんねん。かんねんしてーな。
観念を簡便に勘弁オチw
全ての体験は己の観念によるもの
感じるもの全ては観念によるものだから神を感じるのも己の観念でしかない
神の元は己の観念
ってのはどう
337 :
神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 16:47:31 ID:+q2UYbnk
ならぬ観念、するが観念。
観念えらい!
観念のほうがわかりやすいよね。
表象にしてみる?
339 :
楼蘭:2007/09/13(木) 17:04:28 ID:22C6jEh1
>>317 ありがとうございます。
あなたが検証された普遍の法則を、神と呼ばれているのですね?
差し支えなければ少し教えてください。
法則とは物理法則の事ですか? 物理法則をも生み出したメタ法則のような物でしょうか?
何かの経典に書かれているような、宗教的な法則でしょうか?
神と呼ばれる法則には意思が有りますでしょうか?
人の自由意志は神との関係においてどの様な位置に有るのでしょうか?
読まれる方にはここで聞いて済みません。でもこの辺りはとても知りたいです。
つうことは「観念は具現化する」も絶対法則結果とやらになるな
どーでもいいですよ
そう
観念が具現化するのなら、なにやらの法則が神だとの観念を持てばその人にとってはなにやらの法則が神になる
なにやらの法則が神以外では考えられないのではなく、その人が勝手に神だと思ってるだけで
しかもなにやらの法則も観念が具現化しただけのものでそもそもそんな法則などどーでもいいこととなる
343 :
:2007/09/13(木) 21:57:52 ID:tvEj4Uj/
概念 観念の定義をしてからじゃないと意味ないんじゃない
概念は意味内容
観念は意識内容
345 :
:2007/09/13(木) 22:59:54 ID:tvEj4Uj/
上位概念<意味あい>
上位観念<意識> を示すとしたら?
意味は意識の下にあり、意識は自覚と無自覚に翻弄されそうだが
みつごの魂といわれる深層心理を自己分析しないと、無意識に操作されてる自分は発見できない。
海上から出た火山島が意識部分で、海面下3000メートルまでの大部分が三歳児形成の無意識だったりしてね
346 :
【はじめに】:2007/09/13(木) 23:57:24 ID:vUdQX5lN
>>339 久々の良い質問です。ありがとうございます。
楼蘭さんの発言に対し、順を追った上での僕の考えを列記する事で、
僕と楼蘭さんとの相違が明確になり、僕のとらえた感覚がそちらに
共感作用しうると考えますので、そちらの問いを項目化して僕の発言とします。
【僕の法則の発見方法と、普遍性の検証の手段は?】
僕の場合まず自分の日常での異常と感じた体験を実験材料にします。
(異常…怒り、欲求、事故、病気等がサンプル)
そしてそれが起こった起源をたどります。原因究明です。
原因が分かれば結果に納得する。納得すれば、過去の行為の結果が
どんな形で今、自分にかえってきたかが解る。
ここで、僕の法則の発見です。この段階では、再現性があるか?はまだ不明です。
ここまでは僕独自の絶対法則にすぎませんね。
次ぎに、普遍性を検証します。自分のみに当てはまるか?他者にも適応するか?
の検証です。これは行動観察で可能です。
続く。
347 :
【僕の法則はいかなるものか?】:2007/09/13(木) 23:58:11 ID:vUdQX5lN
法則をなんの法則か?とわれれば、まず、原因がある。
そして条件があったとき、結果が起こる。それだけの事です。
原因と結果の関連づけは想像力が必要ですし、条件を観察するには、
洞察という事になりますので、僕独自の感性によるところで、
どのように説明したところで客観性はありません。
但し、手法は内観、内省ですから様々な方法が確立されています。
【僕が考える法則自体に意思があるか?】
古典的な言い方でいうなら、神の計画は何でどのようにすすむのか?でしょう。
そして人間の限界と役割は?でしょうが、人間の自由についての僕の考えは、
この問題と密接に関わると思いますが、区別の為別項目で話します。
まず法則自体の僕の用語の持ち入り方は、一般的な概念どおりの理解方法と
変わりません。法則として在るだけです。
ここは心と宗教板ですから、人間として生きる為に役立てるという立場でいうなら、
人間にとっての法則の適応範囲とその影響でしょう。
つまり、法則に使われるか?法則を使うか?で個としての人間の自由度が変わる
という事になります。これは実際は二分化されているのではなく、自由度の拡大
方向が自由意志の試行能力の拡大。
法則に縛られる方向が自由度の縮小という事でしょう。
348 :
【人間の役割とその自由度は?-1】:2007/09/13(木) 23:58:52 ID:vUdQX5lN
今度は、人間の立場から法則を考えます。
僕らの肉体の限界は物理法則に縛られます。肉体自体は物理法則という概念
に縛られているのではなく、既に存在している絶対法則に縛られているという
事で、その法則の中での人間の発見に物理法則が在るという事です。
つまり、物理法則はその上位の法則の一つの部品です。
物理法則と物理法則という概念の違いを明確にするために、
ちょっと寄り道をします。ご理解されているならば、さらっと流してください。
まず徹底的に物理法則に縛られた人間の状態を書きます。
僕らの今の多勢の信仰は物理法則です。つまり人間は死んだら終わり。
物質次元の100年くらいのスパンで考えている信仰です。
物質もそれほど変化もしないし、固いものは固く感じるでしょう。
時間という信仰も物理法則をよりどころにした世界観にはあります。
もし、ご自身で概念という信仰がどれほど強烈か下記の例でおためしください。
その事例を体験するよいモデルがあるので示します。
349 :
:2007/09/14(金) 00:00:31 ID:tvEj4Uj/
最上位概念をファイルしておるのが観念であり
観念には種類があり、宗教観念 科学論理観念 政治観念 権力社会的権威追随観念<空気流され含む>などあると思います。
最上位観念はなんなのか?実際は大企業を動かすのが数十人の立場をとわない配置された人間であるように
9割の人間は空気に流されるだけなんであったりして
昨日と逆のことを言い出したりするんだけども
350 :
【人間の役割とその自由度は?-2】:2007/09/14(金) 00:05:13 ID:vUdQX5lN
5感と思考を切り離しつつ、肉体を感じるという感覚です。
http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/index-j.html 使用目的は違いますが、使えます。上記URLの絵は静止画像ですが、
動いてみえるはずです。これを止めてみてください。
注意:気持ちが悪くなった場合は、まだそのような状態に体が適応していないので、
止めればよいでしょう。
(実験)
その時の意識は少なくとも無心に近い状態ですから
思考自体を観察できる人であれば、自分の思考をつかって、囚われのない
思考方法が可能です。先入観や解釈が入り込めない状態ですから、
概念の影響が受けにくくなっています。
コツはこの絵の中をみながら、この絵の中に自分を入れるのです。
自分がどんどん入って行く事です。
以上は余談ですが、実践思考としてとても重要な事なのでお話しました。
351 :
【人間の役割とその自由度は?-3】:2007/09/14(金) 00:06:05 ID:KkujTaae
さて、この世界で物理法則に縛られた運動法則が適応されるのは、
実は肉体だけです。僕らが自由という時、それは自由な意思を指していうのが
一般的ですしょう。僕は既存の物理法則をつきぬける運動も実験中ですが、一般的には、
自由な意思をもとめているでしょう。(心と宗教板ですので…)
今度は、素朴な日常を例にとって法則の現れ方を説明します。
実例を挙げると解りやすいと思います。僕らの肉体は成長するとともに、
どんどん自由になってゆきます。しかし意思は、社会制度という見えない壁や
しがらみ、自己規定などでがんじがらめです。
純粋な人間の自由意志を考える時、まずは、がんじがらめの普通の大衆を
考えたほうが物理法則に縛られた意思の状態を解りやすいです。
縛られた状態が解れば、自由な状態も解ります。
この世界で生きるには、一定のルールの上に、つまり自分の意思の自由を自分で
制限してこの社会で生きているという現実を徹底的に直視する必要があります。
自分が自由になることが先決でしょう。
なぜならば、不自由な人間が自由意志を発見できようもないのです。
352 :
:2007/09/14(金) 00:06:48 ID:RNx6T1KB
法則を他者観察で発見するなら
白雪姫タイプ地雷女の行動パターンから
その発生形成プロセスが三歳までの環境という結論と発見からして
人間はバックグランドで自動実行される三歳児形成の深層心理があることは念頭においたほうがいいという結論になった。
関係ないと思いのあなた。議論での無自覚な反応を有自覚の貴方が否定できるのかな?
それをクリアして自由意志はあるか?といえば、当然あります。
(自分で自分の自由を制限する自由も在る)
その前提で、肉体は物理法則に縛られます。
つまり自由意志も在る。そして意思は自由であるが、肉体は絶対法則の
一部である人間の発見した物理法則に縛られる。
上記がこの地球に住む人間の自由意思の試行と、肉体の制限です。
この中で安楽に生きるのが一般的な人達です。しかし、
それじゃ満足しない人種もいます。その人達用の法則は…。
絶対法則が適応されている事実を目撃すればよいのです。
結論から言えば、物質に適応される法則は全て意思にも適応されます。
但し、物質の呪縛からはずれた思考があり、そういった意識をもっている
人は、意思は自由になります。これは一つの意識の段階の飛躍でしょう。
しかし種明かしは、既成概念からの自由。それだけの事です。
それをするのには訓練が必要というだけです。
物質の壁をの一例を想像したいならば、赤信号で左右をみて渡る時、なぜか
周りを見渡す心理や戸惑い。これは一種の不自由です。
もっと身近で連続長文発言、みなさんしないですね。なぜですか?
不自由です。法律を守らなければいけませんか?いいえやぶっていいのです
しかし自己責任です。これと同じで、法則は階層的に存在しますが、
やぶることも可能です。その際に安全なのは、上位の法則に従えば
それが可能です。その法則をしるとしらないとでは、物質社会での
自由度が違います。物質社会の概念に自由な意思が洗脳されてしまった人達の
もとめる自由は、条件付けされた洗脳からの自由意志の獲得です。
まさか空を飛んだり、神業を追求しませんね。僕は追求しますけど…。
冗談ではなく、職人や芸術家はそのあたりの追求です。
物質は人間の創造が先にあり、その創造を実現する方法はないか?と
考え、そして手順を創造して、再現可能にすることによって、初めて
物質操作が可能になることはお解りいたでけると思います。
発見と創造は同じ事であるというのは、僕の持論です。
日常の一個人の現実に置き換えると、思った事は実現しています。
これも一つの絶対法則です。
神の法則を知る第一歩で非常に大きな壁は、神の法則が在ると知る事です。
法則を研究するのではなく、法則が在ると知る事が第一ですから、
まずは信じる事であると宗教は教えます。実は法則でも神でもなんでも
いいのですが、それを知らない人には、便宜上なにか名前をつけたほうがいい
というだけの事でしょう。
実践があるから結果を享受できる。これも一つの法則です。
さらに、自由意志を絶対法則から解法させる自由意志の方法を実践するのなら…。
人間の発見した物理法則の一つに、エネルギー不変の法則ってのがありますね。
量的に計測できないものは、物理学では処理できませんが、
それは概念処理できないだけであって、起こります。そう考えるのが法則の完全
普遍化への実験者のすることです。
願うというエネルギーは、方向性をもたせれば、どこかに投げかけた
事になります。どこに帰ってくるかはわかりませんが、自分にむけて
願えばそれは循環サイクルを形成します。それが自己規定している
人間の自己イメージです。自分とおもっている自分の起源です。
思った事が実現している自分が今の自分です。これは絶対法則の一つです。
つまりこういう事です。自由意志と言う前に、意思を物質を扱うように
目に見えるようになるような訓練が必要で、それがみえるようになれば、
意思の流れがみえます。人間社会は意思で動いていますから、それを
とらえれば、よいのです。意思とは動けば動機です。
動機の根底には、欲があります。ちょっと宗教臭いです。
今の社会の神は、金、名誉、権力、主義、科学そういったものが
神として君臨しています。
神は、神であって、自然法則として毎日僕らとともにあります。
自由とは、不自由を知ることによっておのずと解ります。これも実践です。
本人が自由と思えば自由です。その自由が全てです。
その自由の純度は限りなく、肉体をも超える可能性があるというのが
神の法則が貫いている進化の方向性でしょう。
そして、楼蘭さんと僕にとって重要な事は、自分は今、どの程度の進化の道筋に
いるのか?これを明確にするのを自覚といいますが、そうすれば、
何をしたらよいか、直覚が冴えます。直覚がさえるということは、
根拠から知を得るのではなく、知ってしまう状態です。自分は何故うまれたか?
自分は何をすれがよいか?自分の使命は?病の原因は?等が切迫したものでしょう。
自分と外界が必然的にととのい始めたのを感じたら、環境への影響が
大きくなってきた証拠です。偶然がなくなってくるから直ぐにそれと
わかります。
もっと神の法則が貫いている証拠としてのリアリティーが欲しいというなら、
墓参りにでも言ってきてください。この行為は、墓という思いのエネルギーが
先祖代々もっています。墓は特別なものでしょうし、物質的であるが、
物質的でない象徴でしょう。これに何かを加えるという行為は、運動ですし、
思いはエネルギーです。はなったエネルギーはどこにどのようにもどってくるか
観察することです。
実験ですから、何かを先祖の知りうる全ての人達を思い浮かべ、
素直に実験したいのです!これで十分でしょう。今、なにがおこっているか
観察に徹すれば、気づきます。あくまで意思を物質のごとく扱う事で、
流れが、その人なりの感覚で知りうるはずです。ただし、そう望むならですが。
僕の考えは、こんなところでしょうか。
358 :
:2007/09/14(金) 00:22:54 ID:SIrTQeRk
すりこみで前提概念になっており
その枠内で話が限定されているのに、その自覚がない
クビキ深層前提概念といえる項目が、加工民主主義だったり、ネーミングがおどる人権だったりしますね
>ID:KkujTaae
まとめてくれると参考にしたいのですが
要は、まとめると、こういうことだろう。
>僕らの肉体の限界は物理法則に縛られます。肉体自体は物理法則という概念
>に縛られているのではなく、既に存在している絶対法則に縛られているという
>事で、その法則の中での人間の発見に物理法則が在るという事です。
>物質に適応される法則は全て意思にも適応されます。
>本人が自由と思えば自由です。その自由が全てです。
>その自由の純度は限りなく、肉体をも超える可能性があるというのが
>神の法則が貫いている進化の方向性でしょう。
つまり、絶対法則というのがあって、それを感じることが、
肉体ばかりではなく意志においても自由になることだと。
でも、絶対法則はオーバーだけど仏教だと普通の話だろう。
もともと、仏教においては時間の観念は否定される。
だから、肉体と言うのは仮の姿でしかない。
意識をなにか特別なものとして扱われるのも間違いだし。
もともと、個のエネルギーというのは存在しない。
それを前提にして、生命という存在を明らかにしないと、同じ繰り返し。
新興宗教はすぐその辺を断定するけどね。
そういうことだよね。
まあ普通に売ってる本に書いてあることだな
今時の人なら誰でも知ってるのじゃなかろうか?
知っているだけと実践できるかは別だけど
>>345 >みつごの魂といわれる深層心理を自己分析しないと、無意識に操作されてる自分は発見できない。
刷り込まれた観念があると自覚できれば解決できるよ。自覚できない人は多いけどね
362 :
神も仏も名無しさん:2007/09/14(金) 10:49:44 ID:9mC2j3Pp
>>359 そういう事です。
考えれば当たり前の事でしょう。
肉体というは仮の姿という表現は、誤解されやすいので、僕は使わず、
生命の一表現方法の一つと言います。
そして生命という存在は固定概念化させ適当な名前を付けていることも、
現世利益的な宗教には、必要でだと思います。その段階の宗教もあります。
それが良いとか悪いとかと言う問題でなく、それに満足する人もいるだけの事です。
一方生命の存在を仏教では無常といいますが、僕は、それを僕といいます。
僕の今した行動とその付けである結果を今享受する。無常と僕とを一つにする
行為が生きる実践であり、その先は無常を観察する立場に立つでしょうが…。
言葉にすると面白くもなんともないですが、クールに観察する認識訓練と
位置づけています。この位置づけそのものが僕ですから、僕の段階は、
僕成りの次ぎの段階に進むという事でしょう。これもみなさんと同じ当たり前の
事といえます。
363 :
神も仏も名無しさん:2007/09/14(金) 11:01:11 ID:fIzyEUW4
鎖国の日本に潜入しようとしたイタリア人宣教師シドチが
捕縛された。尋問にあたったのは新井白石だった。
白石は、西洋の国情や文化・天文・地理などの科学知識について
詳細に聞き出し、シドチの博覧や優れた西欧の学問水準に驚嘆し、
「西洋記聞」「采覧異言(さいらんいげん)」を書いた。
だが、シドチがここぞとばかりに熱弁を振るった
キリスト教の教義に関しては、耳を貸さなかった。
それでもくいさがるシドチに、白石はこう反論した。
「天地万物を創造したデウスがいるというなら、
デウスにもまた必ずこれを造り出した作者がいたはずだ。
デウスが自ら成り出でることができるものならば、
天地もまた自成し得ることに何の不思議もない」
364 :
神も仏も名無しさん:2007/09/14(金) 12:13:00 ID:9mC2j3Pp
起源の話しの先入観に、
無い、と、在るがありますよね。
在るものは、無いという状態から生まれたという考え方。
無いものは、在るものが無くなったという考え方。
大いなる相対論だと思います。
在るも無いも含む概念としてあるのが、便利ですし、
その両方を含んでいる「何か?」を知れば、そ起源の先入観は消滅しますよね。
365 :
神も仏も名無しさん:2007/09/14(金) 12:16:15 ID:9mC2j3Pp
ちょっと変な話し…。
恐竜の骨は、発見された瞬間、創造された、場合。
必ずしも、昔、恐竜がいたとは限らない。
この概念の前提は、「時間は無い」です。
366 :
神も仏も名無しさん:2007/09/14(金) 12:50:00 ID:9mC2j3Pp
人間がみているのは、物の表面。
それをカットしてみても、物の表面。機材をつかっても
人間が観察した瞬間に顕れる。
人間の内蔵間には空洞があるが、そこに何が入っているのか解らない。
人間が機材をつかってみても、空洞はあるが、その空間になにが
あるのか解らない。
感じたことや知ったことは選択の結果でしかなく
そのものに意味はない
何かしらの意味を求めれば神になることもある
いかなる事象も観念でしかない
368 :
楼蘭:2007/09/14(金) 14:31:55 ID:odKEnHQp
>>362 大変長いお答え、ありがとうございました。よく読ませていただきました。そして、正直な所まだ消化し切れていません。
私は、あなたが単にたとえ話や人の説をサラッと読んで理解したような気になっているのではなく、
ご自分で色々試して実感しておられる所に大変感心しました。そして、その方法を教えて下さってありがとうございます。
理解のために確認させて下さい。
・進化について
>その自由の純度は限りなく、肉体をも超える可能性があるというのが神の法則が貫いている進化の方向性でしょう。
法則には進化の原動力と方向性のような物が、予め組み込まれているような印象を受けますが、そういう理解で宜しいでしょうか?
また、もしそうであるなら、人には本能的に進化したいという欲が有ると言う事でしょうか?
・欲と意思について
>意思とは動けば動機です。動機の根底には、欲があります。
上記と関連して、人の中の欲が法則により起こるのだとすると、人の目標設定はどの程度法則に
影響されているのでしょうか? (この理解自体が間違っていたら済みません)
人は法則に逆らう目標設定を行う事は可能ですか?もしそうだとすると、その人の欲の由来はどこにあるのでしょうか?
369 :
楼蘭:2007/09/14(金) 15:27:01 ID:odKEnHQp
>364
何か物が有る、無いというのがどういう意味なのかによると思いますが、場というのがそれに近いと思います。
風が有る/無いとか、波が有る/無いと表現しますが、素粒子も同じように原理的には素粒子/エネルギーの状態を
取れますので風と同じです。
371 :
神も仏も名無しさん:2007/09/14(金) 15:39:46 ID:9mC2j3Pp
>>368 【進化について】
あらゆる生命が法則とともに存在し、生命自体が意思をもっています。
人間には人間の意思、それ以外の生命にもその意思があります。
ここで解る事は意思は法則内に存在している。
そして法則と意思は共に存在してその総和が今の世界
(人間が観察できるのは、人間界の宇宙)を形成している。
今という瞬間は、生命全体の総和の意思と法則の顕れで、
僕らが感じれれ、人間が観察できるのは、人間界の宇宙で、
その感じられる階層は人間においても、人間界の範囲で、
成長度合いによって違うだけ(全体からみれば)でしょう。
でも僕とあなたは、同じ人間ですから、人間界内の物質内での話しなら意思の疎通が
このようにできます。このように進化の方向性と、今この瞬間、僕らの
世界がどのようにできているかという事を、僕の観察として説明しました。
【欲と意思について】
【進化について】とも繋がりますし、先回お話した内容とも繋がる、
人間とは何か?ではなく、自分とは何か、なぜ生まれ死ぬのか?という直線を
循環にする思考実践の説明だからです。この実践自体も進化に入ります。
これを説明するには、今の時間では足りませんので、後ほどに続けます。続く。
ちょこっと…。【欲と意思について】の予告編。
人生という概念はでっち上げです。生まれ死ぬ。
死ぬ、生まれる。どっちでも同じで、それは人生という概念が発見・発明されてから
人間が信じたかちんかちんの信仰です。なぜでしょう。怖かったからです。
予告終了。
確かな観察は、人体は人体から赤ん坊で生まれて、腐ってハイになる。
だから人体は100年くらい持つ。
これを観察している視点である者は、人体を観察できる。
いったいその観察点はどこだ?その観察者がは、肉体と一体化しており、
肉体とともに、ハイになるのか?もともとハイになる要素もないのに…。
物質の形態をとっていないのかな?…。その観察者は。
しかもだ…。その観察者がいなければ、人工物と言われるものを創ることも
できない。つまり物質を制限内で操作できる立場であるという事はたしかだ…。
という予告編。
>>362 >法則には進化の原動力と方向性のような物が、
>予め組み込まれているような印象を受けますが、
>そういう理解で宜しいでしょうか?
>人には本能的に進化したいという欲が有ると言う事でしょうか?
僕も同じような「感想」をもちますが、感想をもった時点で、概念形成
してしまうので、感想は感想として自覚しつつ思考は明晰に保ち、
探求をし続けるのが僕のスタイルです。
本能的に進化したいという欲については、僕は単純に、各個が
快不快のの基準で快の方向に流れるという程度に考えています。
程度と申しましたのは、進化という概念は消滅させても問題ない。
なぜならば、人間中心で生命の変化が流れているわけではないからです。
生命全体の変化の中で人間の収まり所を模索するというほうが全体に対し
謙虚な姿勢だと思います。つまりこのような考えは個々の探求の取り組み態度
ですから、アプローチの違いでしかありません。僕の場合はこうであるという
程度でお考えください。
肝心な事は、変化の中で自分のポジションと役割ではないでしょうか。
つまり使命。生まれてきた理由です。
僕流に言えば、神に、「あんたは、こういう天才だから、世界に対してこのような行いを
することでかけがえのないものを享受する」と神に言わせるという事です。
375 :
【生命は生命自体に内在する目的、つまり終着点があるか?-1】:2007/09/15(土) 00:33:38 ID:7HMrhxT0
結論を先に話します。ここは心と宗教板ですから個人的な人間を扱います。
よって、僕を主人公として話します。
僕の終着点、つまり僕は人間として何を達成するかといえば、古典的には天国。
昔話に、天国にアダムとイブがいて、知恵の実を食べて分離が始まったわけですね。
一方で、死(知恵)んだら天国に行くという言い伝えもあります。
同じ意味を別の表現で現しています。
要約すると、言葉の発明により、概念世界を創ってしまったという事です。
人生という概念もその一つです。触れない、感じられない、見えない、
聞こえないものです。
日本には、真相を現す可愛いキャラクタに見ざる言わざる聞かざるがあります。
うわさ(概念世界)を皮肉っています。余談です。
そしてブッダ、キリストのような教師達がたびたび警告した。
概念は全部幻想だ!と叫んだ。
キリストは、父である神をつかって既に超えている存在を説明した。ブッダは仏と称し、
みずからの中に仏は在るとした。他にもイメージや薬草を使って、
それにゆだねることで幻想を殺し今を感じさせる方法や、
奇蹟を見せて目の前に注意を引く方法もある。いずれの教師も
現実に引き戻す為に、人々が信じている現実を幻想として扱っている。
基本的に、教師達は、みずからの行いを見せて、行いによって発見せよと薦めた。
安全確実だからです。
しかし直ぐに教えは概念にすり替えられ宗教が出来続ける。
さらに、その教えに基づく倫理がつくられ、法律という2重3重の幻想が
つくられ、もはや自由はないようなになる。さらに、自由の敵は、暗黙の了解という
幻想をもった者達の攻撃がある。現実という概念空間に縛られた意識は、
毎日100人程度の自殺者を生んだ。それが今の日本というリアルな現実。
この世界をブッダは苦といいう。べつに地獄でも現実でもいい。
肉体の苦をさすのではなく、心の束縛。言葉や概念を共有する知識欲はみたせても、
それ自体で結果的に自分の肉体をも縛るという傾向は、ネット社会でさらに加速された
共有された現実でしょう。
377 :
【天国-1】:2007/09/15(土) 00:38:15 ID:7HMrhxT0
>人の中の欲が法則により起こるのだとすると、
>人の目標設定はどの程度法則に 影響されているのでしょうか?
意思がまずあり、意思をある方向に動かそうとするとき、動機といいます。
意思の起こりはつまるところ欲です。僕は欲するから行動する。こういう事です。
したいから行動する。そして目標設定は絶対法則にはまったく影響されません。
考えるぶんには何を考えても、計画しても、目標設定してもいいのは、
お解りいただけると思います。僕は天国に行きたいわけです。
しかし、よく考えて頂きたいのは、ここからです。
実際、肉体と思考が結びついてしまっている人達は、
自由な思考ができないのです。自分の信念を超えて思考することが
できるとは思っていないのです。この事実が実は自分の信念内でしか
概念は回らないという限界です。これは絶対法則の一部である一つの法則です。
繰り返すなら、【自分の信念体系をこえた思考はできない】しかも、意思が
行動を起こさせるのですから、行動自体も自分で制限してしまう。
これを不自由と呼びます。(無意識の領域は割合します。自覚できない事を
論理化してもそれ自体がつかめないからです。)
つまりこうです、絶対法則は思考するぶんには全く制限を受けない。
絶対法則は創造という無限の可能性が意図となって同時に
絶対法則をこしらえている。この絶対法則自体もどんどん変化している。
だれが引き上げているのかは全ての生命の共同作業であり、進化でお話した
ように、法則自体も進化している。当然見え方によっては、飛躍も在る。
これが人間に与えられた法則の適応と関係です。
378 :
【天国-2】:2007/09/15(土) 00:40:37 ID:7HMrhxT0
しかし個に立ち戻ると、絶対法則の広野の中であるにも関わらず、
自分がつくった制限は、自分自身で超えるしかない。
自分を自由にするには自分しかできないという事です。
その上で、
>人の中の欲が法則により起こるのだとすると、
は、欲は個特有のものですから絶対法則の下位のまずは、個人の制限を越える方向に
進みます。自分で作った規則を自分で規則を破る方向にしか変化はないです。
自分でつくっている信念という規則を自分で破る方向ということです。
方法として、様々な教えがありますが、入子状態で進歩します。
小さな概念から、その小さな概念を包括する全体からみたらこれまた小さな概念へ。
一気にいくなら、偉大な教師の教えのトレスという実践でしょう。
ますは知るつまり信じるという行為を通じてそうであったか!と知る事。
>人の欲は法則の結果現れるものか?だとするならば、人がみずから行為を起こす為の
>目標設定は、法則とどんな関係でなりたっているか?
法則に逆らう行動を起こすことは肉体をもつ以上、物理法則下にありますから
当然不可能といえます。しかし目標設定や夢をみることは肉体の制限はないでしょう。
可能な事はいうまでもありません。それどころか無限です。
379 :
【天国-3】:2007/09/15(土) 00:41:34 ID:7HMrhxT0
その夢や希望は様々な階層の欲からきますが、深い所をいえば、過去の償いでしょう。
大いなる作用反作用ではないでしょうか。あっちえぶつかり、こっちえぶつかり
ボロボロになりながら、目的を達成してゆく。あるいは一直線に達成してゆく。
色々あります。いずれにしても、作用反作用でしょう。DNAの形状と結びつけて
漠然とイメージする人もいますが、僕はDNAの形状は小さすぎて見ていませんから
その方法は持ち要りません。
心理的には、こうです。人をきづつけた。すまないと思った。
こんどは、そうしないと誓う。テストをするために、もう一度おなじような
場面をこしらえる。今度は人をきづつけずにすんだ。成長した。
この法則を作り出して進歩するのではないでしょうか。
このあたりの真相は仏教の得意とする所です。僕の言葉でよければお伝えしますが、
学術的にしりたいならば、書籍が明るいと思います。
僕は説明が下手くそなのです。こんな所が僕の観察記録です。
>>368
380 :
神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 01:17:05 ID:ckOrMVWY
>人間を作ったのは神様なら神様を作ったのはだれ?
宇宙法則の完全体
今日、TVで太田と東大の佐藤教授が話してたけど、
やっぱビッグバンの前、更にその前、またまたその前とかは分からんわ。
神が生まれた原因の原因の原因の原因の…
最初の原因の原因はないよ。それがあれば最初にならないから。
全体から見たら、人間が原因といっている部分は、
円周上の一点を指しているのかもしれない。
だから原因をたどっていっても円周上をクルクル回り、
また、その円周上もクルクル回る入子になっていて…。
さらに終焉をたどっていっても、同様。こう考えると、
原因も終焉も無いということになる。どうなんだろうね。
仮に、いわゆる「神」というものがあるとしても、
それを定義することは無理だということだよ。
科学は現実に仮説を立て意味合いを持たせているだけで、なにひとつ本当のことはわかっていない
「こうじゃなかろうか」程度のことなんだよ
科学で解明できることもできないことも大差は無く結局は人の意味づけでしかない
何をどうだと考えようとも、人間の思考の範囲は人間の作った幻想でしかない
何かわからないが何かある・・・「ある」と感じている時点で人間の妄想でしかない
生死とは何なのか?いつからが生でどうなれば死なのか
産道を通って出てきたときが生なのか、受精したときが生なのか、精子は生きていないのか、細胞は死に生まれ入れ替わるがそれでも同じ人なのか
脳死状態はどうだろう、肉体はハイにならずとも意識は無い。まだ生きていると言えば生きているし、意識が無いのなら死んだも同じで死んでいるということか
脳死になると何故意識が無いのか。自分を観察することができなくなった状態でも肉体は生きている。意識は脳の作用で観察者は脳だということになる
観察者が脳なら肉体(脳)がハイになる時に観察者(脳)もハイになる
全ての事象はただ起こっているだけでそれに意味を持たせるのが人間
不思議や神がかりは知覚の限界でしかない
一生懸命意味付けをするのは少しでも不安から逃れたい欲求だろう。妄想でも心の安定があるのなら信じる価値はある
信じている人には神は存在する。が人のつくったものでしかない
っていうか 神が天地を創造した って考え方は
人間が 神という存在に気付いた 時より後に 生まれた考え方なんじゃないの?
最初は 「おまじない」つまり 呪術的なものがあり
それが宗教的なものになったんじゃないの?
その宗教の中ので 神と言う存在に気付いた人間と
有る特定の場所に こだわった人間がいただろうよ。
387 :
神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 09:40:31 ID:qH2fFh+a
>>386 神も 有る特定の場所にいるでしょ 川とか山とか
388 :
神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 09:50:46 ID:7HMrhxT0
>>383のような思考経路が無限の筋道をイメージできる状態への納得へ
思考を導くならば、つまり納得するならば。
人間の思考のパターンは循環させることで納得という終着点が在るとい
うことになる。(もちろん納得というのは、全体の一点に便宜上視点固定させた)と
いうことで、言論は、それを成立させずして成立できない。
しかし一直線の思考パターンは最初と終わりを確認して納得する。
ようはこういう事だ。
始まりと終わりがあるのは、まさに人生という概念が絶対であるという信仰に
基づいた思考方法。
循環しつつ、その循環経路自体も循環する入子にはいり、その繰り返しが
絶対であるというのは、人生の変わりに輪廻思想の信仰に基づいた思考方法。
よって、どの思考方法を用いるかによって、つくられる概念も変わる。
その中で神という概念を人がこしらえたのは、思考するのに、虚は絶対に必要と
いうだけの事ではないでしょうか。数学でも、ゼロが必要なようにね。
ようするに思考する場合のみ神という概念は使えるというだけでしょう。
神という概念にはなんの意味もないもの。
389 :
神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 10:00:23 ID:qH2fFh+a
いわゆる「偶像礼拝」という事があるよね。
ではその「偶像」が壊れれば その神サンは消滅するかといえば
しないでしょ 新たに偶像を作れば良いわけだから。
だとすれば その「偶像」が置かれる場所が重要なんだね。
山だとか川だとかの 特別な場所に置かれるよね。
それが 神殿 とかになったんだろうね。
そして その「偶像」は 自然石でも何でも良いわけよ。
つまり 呪術的なことをする 場所が重要なんだろうね。
いつかは地球が爆発する
神は何もできないが、人類は英知を持って、他の星に移住。
その新たな星にキリストはいるのか?
391 :
神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 10:08:40 ID:qH2fFh+a
だから 「神という概念」とか「宗教の本質」等々のものは無いんだね。
時代や地域で変るんだね。
その信仰者が信仰を他人と共有する為に それらが必要なんだね。
もし仮に「神という概念」があるとすれば
それは 信仰を共有する集団の中だけで必要なもので
またその中だけで通用するものなんだろうね。
全ての言葉は概念
言葉になってる時点で対応する少なくとも一つの概念は存在する
「人間を作ったのは神様なら神様を作ったのはだれ?」と神という言葉を使った時点で概念でしかなくなる
人間を作ったとされる神の概念があり、その概念は人の作ったものだから神は人の作ったものになる
人の概念である言葉を使う限りどのような神も概念でしかない
393 :
神も仏も名無しさん:2007/09/16(日) 21:31:40 ID:L07Qtm+7
神は言葉にすれば概念であるけれど、
神と言葉にしたその人の心には、神ということばを使ったなんらかの
思いがある。思い自体を人に伝える時には概念をもちいるが、
心をとらえる事ができるかできないかが人の個人差や成長度合いや
思考訓練によるところあり、解釈が分かれる所でしょう。
一例としてある人が、目の前で神だ!と叫ぶ。
その時の反応は様々で、
●ある人の心と共感して、それを感ずる。…共感
●ある人の言葉を聞いて、言葉の意味を考える…思考
●ある人の言葉のニュアンスを聞いて関心を示す…情動
●神という言葉に反応して、反射的な反応をする…条件反射
等々、視野が広くなればなるほど、その心である発信者の認識全体を
理解するでしょう。視野が狭いと上記の一部しか受け取れないということです。
このように概念は受け取る者の感受性によって、様々な
情報交換を可能にしている。
概念の伝達方法は、様々な方法はあれど、伝える事の本質は、
認識の共感作用でしょう。
簡単に言えば、私はこのように認識してこのように実感した。
受け取り側が共感すれば、「うんうん、解るよ」という事になります。
394 :
神も仏も名無しさん:2007/09/16(日) 21:43:52 ID:L07Qtm+7
神だ!と思うほどの宗教的神秘体験という感動を経験した人がいる。
一方で、神も仏もあるものか!という虚無的な感動を体験した人がいる。
一方で、神も仏もあるものか!という虚無的な感動を体験した人の場合、
神だ!と思うほどの宗教的神秘体験という感動を経験した人は、
間違いなく考えを改める。
理屈じゃなく、こういう感覚は、経験を重ねればだれでも行き着く所でしょう。
今にも死にそうなどん底で、手を差し伸べてくれた人に対し、
神の恵みのような思いでみるのは、ごく自然な感動表現でしょう。
感謝に表せないほどの感謝をどのように表すか?と、ポロっとでることばは、
無意識にそれを体験したという過去があったという事になるでしょう。
神は存在しない、と言い切るのも、相当どんなもんかと思うわけ。
396 :
神も仏も名無しさん:2007/09/16(日) 23:46:12 ID:bkX+TYm5
作ったということは、目的があって作っている。
作った者の目的に沿っていれば何も問題は起こらない。
病気とか不幸は、作った人の意図からはずれた目的外使用による
設計者の補償範囲外の用途に使ったことによる損壊を誘発したということで、
非常停止して原因を取り除くまで進むことができなくなっているのだから、
大急ぎで軌道修正すべきだ
397 :
神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 08:19:45 ID:cCqpR0zc
僕も、病気や不幸は、「設計者の補償範囲外の用途に使った」という
原因による結果であるという経験による実感を得ています。
具体的に言えば衣食住で、その習慣自体が原因となって、
病気や不幸という結果を享受している。そして、病気や不幸によって
外れた道であったことに気づく。このように考えます。
但し、生まれ持った宿命的なものは、生まれる前に原因があるという
ことになります。←これについては、話の流れからは脱しますが…。
一方で、出てきた病気や不幸に単に対処することで、パッチのように
修理するような方法をとって、表面的に結果をつぶしても、習慣が
改善されない限り、別の場所から結果が噴出する。このように考えるに
至りました。
天理教道友社「身上さとし」等で、因縁と事情との関係を解いています。
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=09626661 昔から日本では、罰(ばち)が当たるといいますが、
「設計者の補償範囲外の用途に使った」ことによる身体的反応の関知に
によって起こる、情動(感情)の快不快の基準をもちい、正しい方向性を
示す自由意思の指向の修正指針が自然と通じて、人間の意思に直接伝える
出来事であると観察できます。
398 :
神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 08:28:24 ID:cCqpR0zc
神を誰かが作ったと考えるにしても、
作ったということは、目的があって作っている。という意思の
問題に行き着き、その意思とはなんなのか?と解きたくなりますね。
一応言葉にするばあい、便宜上時間軸の設定をせねばならない為、
だれにでも理解しやすいために、
>>396氏は、
「作ったということは、目的があって作っている。」という
説から解説しているという事でしょう。僕もその説という部分に
乗っかって発言していますが、その説の是非がどうであるという
のは本質ではありません。説自体は、言葉で単なる概念という事です。
よって僕らは如何に実践すべきであろうか?というものを考えてゆく態度が
この心と宗教板の目的であると考えるのです。
言葉では言い表せないものをわざわざ言葉にしなくともよかろう
何か特別な思いがあるのならそれはそれでそーとしとけばいい
人に伝える必要はない。つうかできないのだから
神を使っても同じ思いだとは限らず確かめようも無い
それぞれが思っていればいいことで、わざわざ発表することは無い
言葉にならないことなどだれでも持っているのだから
神も仏も宗教上のもの
言葉では表せない何かがあるからと神や仏と結びつける理由はなにもない
401 :
神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 08:43:42 ID:tcTLLKp9
402 :
神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 09:09:30 ID:/NEmQDUf
言葉で言い表せないものは何か?といえば、実は、創造や発見の源で、
それを人はアートとか色々な言葉で表現するけれども、
まあ、庶民的に「感動」といってもよいでしょう。
あらゆる文化やあらゆる創造物は、「感動」を表現しているといってもよい。
しかし感動自体は伝える事ができないから、物質的に音や言語や感覚や形にして、
表現してたものを通じて伝達するのでしょう。
音楽や詩、もっと身近にいえば、恋愛中の男女の会話。さらに身近にいえば、
今ここで皆さんが話している事も含みます。その形や言葉には意味はないけれど、
その共感作用の受けてと、受け取り手の関係には意味がありますね。
もし、それ自体に意味がないならば、人間は生きて死ぬといだけです。
これを虚無的な物の見方というのです。つまり心を殺しているという事ですが、
話している以上、その虚無的心を伝達しているのは事実でしょう。
創造的に生きるには、感動表現をし、活き活きと生きる。これ以外の実践以外には
ないでしょう。宗教とは教えですが、実践するための教えではないでしょうか。
403 :
神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 09:42:03 ID:/NEmQDUf
神も仏も宗教上の限定されているものという考え方があるが、
実社会の至る所に目をむければ、その起源は、先祖から子孫へ受け継がれた、
伝統的行事や学んできた経験から波及した文化が今僕らが生きている社会であろう。
過去の人の考えや思いが形になって残ってこなかったら、このキーボードすら
打つことはできない。
しかも水晶とい石がなければ、IT社会すらなりたたない。
よって、神仏や宗教などは、この世界の現実で、ごく普通のありふれた
分離不可能な現実でしょう。分離するにも分離のしようがない。
404 :
神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 11:39:44 ID:/NEmQDUf
【+】が迎えに来るまで、指をくわえて待っているだけじゃなにも起こらないという事でしょう。
【+】は自分みつけなければならない。
【+】を見つけることによって、【+】は実現される。
【+】=総ての行動原理です。とても当たり前の事です。
さらに、行動原理は、【+】です。そして冒頭の【+】に戻るのです。
完璧なサイクルです。
>ないでしょう。宗教とは教えですが、実践するための教えではないでしょうか。
信じるものにとってはそうだね
神や仏は宗教上のものでしかない
ただ生きて死ぬだけと気付く恐怖から逃れる為のものだろう
脳の錯覚とうまく付き合う手段の一つだ
そうやって心の安定を求めるんだよ
悪いことじゃないが、人の作ったものにはかわりない
人それぞれでもその人の作ったものだからね
信じていればそれでいいはず
407 :
神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 14:32:44 ID:/NEmQDUf
宗教とは、信じるものではなく、あるものです。
現実に宗教はありますからね。
葬儀でも、信じて葬儀をするのではなくて、宗教の教えに
従ってとりおこなってゆく。この行為を信じるというのではなく、
行うというのです。
408 :
神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 14:57:47 ID:/NEmQDUf
ただ生きて死ぬだけと気付く時、恐怖する人もいる。
ただ生きて死ぬのが素晴らしいと思う人もいる。
生きながらえる事が快だと思う人もいる。
早く死にたいと思う人もいる。
死ぬのが怖いという人もあるが、実は、死ぬこと自体を恐れる人は一人もいない。
なぜならば生きている人は未経験だからね。
ただ生きて死ぬだけと気付く時、恐怖する人の場合は、
自分が亡くなると想像するのが怖いのであって、むしろ、絶命の瞬間よりも、
痛み、苦しみが怖いのでしょう。でもそれは生きていれば当たり前です。
よって「ただ生きて死ぬだけと気付く時」自分を活かして居ない人、
または生かす喜びを知らない人は恐怖をおぼえるかもしれない。
何故ならば、「ただ生きて死ぬだけと気付く時」そして恐怖をおぼえるならば、
やることをさっさとやるからね。不安になっている暇がない。
だからそのあるものを信じるか信じないかだろ
信じてる人にとってはそれでいいじゃんか
あるものをあるなんて言ってどうなる
人が作ったのだからあるんだよ
現実に沢山の宗教がある
不安が無ければ救いを求める必要はないだろ
心の安定を求めるのが宗教だよ
なにかしら不安があれば何か安心できるものにすがる
それは人の作った人を作った神
411 :
神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 15:25:03 ID:tcTLLKp9
412 :
神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 15:28:27 ID:/NEmQDUf
不安とは、無秩序な状態でしょう。
することも、やることも、なにもわからない。
不安定な心の状態をさしますからね。
安定は自分のすること、やることも、解っている状態でしょう。
目的がはっきりしている人は、不安はなく、やるかやらないかのどちらかです。
その場合にも、迷いはありますが不安はないでしょう。
実は不安だ不安だと言っている人の心は、「やりたくない」でしょう。
ズバリ言えば、つまり死にたい!でしょう。
めいっぱい不安にならず、半端は不安では何かにすがりますね。
宗教にすがるのは良い方ではないでしょうか。
大抵心を閉ざす方向にすすみますね。何にすがっているかはその本人は自覚してない
でしょうけどね。
人間が想像し得る神なんていうものが実在したらびっくりだよね。
人間が言う神は人間が勝手に作り上げたもの。
仮に神が存在するとしても、「私が神である。私に従いなさい」、と言うはずがないわな。
414 :
神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 15:59:11 ID:/NEmQDUf
「私が神である。私に従いなさい」というような人が時々いますけど、
僕は、そういう人に、神になった人っていいます。
でもそんな神を歌った曲があります。武田鉄也さんが歌ってましたよ。
「あんたが大将」って。高慢の極みですね。面白いと思います。
よく2ちゃんで「ネ申」とかやってるでしょ?
ちょうどあんなもんじゃないの。
スーパースターとかチョーカワイイとか、そんなもんでしょ。
そうやっていつのまにか「神」が出来上がる、ということ。
聖書の場合はもうちょっと意図的(政治的)なんだろうけどね。
でも大差ないよ。
416 :
神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 16:20:02 ID:/NEmQDUf
沢山の人が共同で神さまを賛美し、作為的な理想神のでっち上げが
あったという事ですね。日本にもありましたね。人間を神様にしちゃった。
最近支配的なのは、カネ様でしょうか。
ま、いいとこ「カネ様」だろうね。
418 :
神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 16:52:11 ID:/NEmQDUf
「カネ様」の力は凄いですね。
政治家も、カネ様をとても大切にします。みなさんカネ様をとても大事にしています。
でも、カネ様って「カミ」で出来ていますね。
神社の神さんの前には鏡があるでしょ?
あれの意味は、「よう考えなはれ、神さんというのはそこにいるあんたのことでっせ」
という意味らしい。
結局日本人の考え出した「神」がまだしも一番聡明だった、ということだね。
420 :
神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 17:52:53 ID:/NEmQDUf
自国を賛美するわけじゃないけど、
「日本人の考え出した「神」がまだしも一番聡明だった」ってのは、僕も同感だな。
421 :
神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 21:07:49 ID:IfNIYF84
神格化されたα
422 :
神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 09:22:55 ID:XyQkbqFJ
【<※>を概念でとらえる事その行為は思考訓練である-1】
<※>を感じた事が無く、<※>を自分なりに、ある断定に置いて結論づけている
段階の<※>の場合でも、概念操作により、<※>に到達することは可能です。
<※>は常に概念をうち消す方向に向かうからです。
概念を概念でうち消す事はできません。それは相対的でかならず、反対のもの、
あるいは、その概念自体を何かに還元させなければなりません。
つまる所概念を還元させる場合、個人的なもので終わるのです。
ならば、個人的体験が<※>と結びついているか確認することにより、
<※>の存在の有無が明らかになるのですが、その確認も個人的体験です。
よって<※>の客観的存在は他人に対し、概念という限定された条件で
証明することは不可能であるのです。個を証明せよ!というのは、生きているという
証明をせよというものだからです。
423 :
神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 09:26:17 ID:XyQkbqFJ
【<※>を概念でとらえる事その行為は思考訓練である-2】
しかし、<※>を概念操作で<※>に到達し続ける事は可能です。
概念の限界までは創作可能です。概念は相対的ですから、これだ!といったらあれ!が
在る。ならば、<※>はこれでもあれでもないもの。それが<※>です。
この方法で導き出した<※>という概念も上記のあれとこれを包括する上位の概念ですが、
概念である以上相対的なものですから、また上記のサイクルを繰り返してゆくのです。
偏った考えではなく中道を探求する思考方法によって、<※>を体験せずとも、
一応概念的に、<※>を体験したと言っている人の、概念からみれば抽象であろう
その概念の正体を知ることは可能です。但し、中道を探求できうる思考を実践できれば
の話しですが…。大抵の人は音を上げて、概念の停止をし、そので思考実践による
<※>の探求を停止してしまうのです。これがその人の思考の成長段階の限界です。
人間はバランスよく成長し、<※>を認識するのであって、思考をあやつり概念による
理解の努力を試みても、別の部分の成長が追いついていない場合、思考限界も
別の部分の弱点に足をひっぱられる形で、極端な身体バランスにならないように
創られているのでしょう。よって、概念で<※>を知る行為自体は、実は、
自分の思考の限界がどの地点にあるかを明らかにする有益な行為であると言えます。
<※>について考えるという行為は、自分との戦いでもあるのです。
424 :
カーマ・マーラ ◆X.9999999U :2007/09/18(火) 09:37:27 ID:92rZdVEJ
地球が誕生して46億年、宇宙が誕生135億年と言われてる。
人類以外の知的生命体を人が神と呼んでもおかしくない
古代の遺産、文明に於いても現代にはない知識が詰まっている
宇宙人ではなくとも、人類以外の先住者がいてもおかしくない
だからといって、神がいない、という根拠にはならないけどね。
426 :
カーマ・マーラ ◆X.9999999U :2007/09/18(火) 10:15:32 ID:92rZdVEJ
まぁね。。
427 :
神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 10:19:22 ID:GGIcD3+F
そもそも悟りって何?
グーグル先生に聞けよ
429 :
神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 10:27:15 ID:XyQkbqFJ
「宇宙人ではなくとも、人類以外の先住者がいてもおかしくない 」
という説は、時間が過去から未来に流れるという宇宙論がその元になっています。
その可能性もあると思います。物証として、観察すると、今ある物質は、変化して老朽化しますから、
あたかも古代という時代があるように観察できます。
(※僕たちは変化しない物質はみえませんし観察できませんからやっかいなのです。)
その根拠の拠り所になっている観点は、時間が過去から未来にながれる宇宙論ですから、
リアルであるであったという物証がえられるものは、発見された物質だけです。
しかし、人類以外の先住者が居たと仮定して、特定観点の時空論を拠り所にした根拠に基づく、
論理的な筋道からできあがる物質の成り立ちは現在の主流の認識方法の一つである科学な方法ですから、
多くの人が認める真実になりうると思います。
よって、「宇宙人ではなくとも、人類以外の先住者がいてもおかしくない 」という説は、
時間が過去から未来に流れるという宇宙論をまず証明できれば、真実であると認める事ができる人が
たくさん生まれるよ。という説の一つであると思います。
僕個人的な考えは、今つくられて、今消滅する変化の流れを感じているのが生命だと仮説しています。
変化しているから見ることも触ることもできると思うのです。
「今」も時間でしょ。
431 :
神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 10:29:43 ID:GGIcD3+F
432 :
神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 10:54:09 ID:XyQkbqFJ
>>430 そうです、だからこうしてキーボードを触れます。
リアルです。そしてキーボードは時と共に老朽化する。つまり変化する
から、その変化自体の極点が今、今、今と続いています。
その変化自体にしか僕は触れていないという宇宙論が
上で僕の個人的考えと発言した宇宙論の根拠になっています。
このきょんきょの源は、「変化あるものしか触れない」という事です。
神という概念は人が作ったものではなかろうか。
人=神。
人が自分の真実を映し出し、お互いに摩擦し合い、そこから学び、導かれて行く。
(神頼みするしない以前に)人はこうする事でしか前進は無かった。
人の生み出したこの世界の文明(世俗的なものも含めて)も神が作ったという事にもなるが、そうなのかもしれない。
あくまで仮説。
434 :
神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 11:02:41 ID:XyQkbqFJ
変化しない物をさわれるよ!という宇宙論がなりたてば、
僕の宇宙論は、そちらの宇宙論に包括されますので、
僕も、そちらの宇宙論に乗り換えることになります。
436 :
楼蘭:2007/09/18(火) 11:35:12 ID:SwCZMTW1
お話中失礼!
>>379 ご回答ありがとうございます。
私は自由意志を持つ事について、個人についてのみ考えていたのですが、全体との関連に気づかされました。
また、人は自分の設定した規範を自ら超える事が出来るだけでなく、あなたの述べる法則も、個々の人々が持つ
願いによって変化して行くという説明は大変興味深く思いました。
理解と言うより感想レベルで済みません。ありがとうございました。
437 :
神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 11:35:39 ID:XyQkbqFJ
>>435 僕の発言の語句の、「触れる」という意味を、厳密に表現しなくてはいけませんでしたね。
外界にに触れるという意味で、僕は触れると表現しています。
その観点で説明するならば、
音は振動として、耳という器官で変化をとらえています。
光は波長として、触覚や視覚で変化をとらえています。
議論の展開の余地として、夢はどうでしょうか?という問いがありますね。
439 :
神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 11:48:27 ID:XyQkbqFJ
>>438 映画マトリックスのリアリティーの表現は上手に表現していると思います。
仮に、僕たちは、この今の現実と慣れ親しんだ感覚を、なんらかの形で
外部から再現させられたら、現実と夢との区別はつけることは不可能である
という事でしかありません。
現実と夢と区別するひつようがあるかないか?という問題になるだけですが、
僕は現実といわれる時空(惑星宇宙)こそ、共有された現実といいたいです。
これは、物理法則に支配されているというだけです。
それ以外の現実感をもっている人は、物理法則内に、その現実感を
表現することも可能であるという事であって、物理法則内に、
べつの現実の表現をもってきた場合(上位の現実の場合)奇跡だ!と
物理法則内の住人は叫ぶ。それだけの事ではないでしょうか。
440 :
神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 11:56:47 ID:XyQkbqFJ
もし、僕の発言を完全に実感したならば、あるいは、リアリティーの断片でもかすれば、
同じ絵が動いたり、止まったりするのをコントロールできる事実が、
この実社会において、どのようなものの見え方の変化を実感できるかという事を
体験できるでしょう。
例えば、この絵を止める意味とその活用方法ですね。
http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/ 多くの人が動いていると思いこんでいるものが、正確に見える事ですが
想像できるでしょうか。ここまで書くと変人と思われかねないですね…。
>>440 訓練が必要とかお金が必要とかいう話じゃないのなら聞いてみたいけどね。
442 :
神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 12:59:56 ID:XyQkbqFJ
目の前の広野をただなんの先入観もなく見るというだけです。
お金も、訓練もなにも必要なく、今すぐにでもできますが…。
僕たちは、様々な伝統や文化、教育、概念に洗脳されて、
フィルターがかかってる五感を通してみています。人間にできることは、
人間の限界を超える事ではなく、人間の限界どおりに目の前の出来事を見る
という所からしは始まりません。そしてそれを外そうとおもっても、
なかなか外す事ができない。これが僕たちが置かれたたちばです。
悟りという様々な階層がありますが、その一つにまずは、フィルターを
外す行為を達成する必要(自分自身が先入観をもっているという自覚)あって、
そこからは、スムースに悟りといわれる段階をすすんでいけます。
悟りとったところで、真実と現実の「差を取る」事の繰り返しなのですが…。
階層的に段階があるから、一番高い悟りを神秘的にご想像される先入観を
おもちの人が多いでしょう。
いずれにしても体験的に、本当の事を知りたいと熱望するならば、
別の現実に移行する時期が近ければ近いほど、外部からの強い
圧力を体験します。つまり、多勢である洗脳者からの圧力は相当なもので、
それと戦うことですから、孤独で広野を旅するようなものです。
羊か?羊飼いになるか?といったところではないでしょうか。
じゃあ、
>>440 の絵を見て生じる錯覚はどうすればとまるの?
あっさり説明希望。
444 :
神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 13:08:42 ID:XyQkbqFJ
先入観なくものを感ずる、見る、味わう事ができたなら?
いや、戻る事ができたなら、そこからながめる風景は、
綺麗なものは綺麗に、汚いものは汚く、臭い物は臭いでしょう。
例えば大都会のど真ん中で、平気に空気をすったり、生きている人達が
苦しまなくてすむのは、人体が防御反応としてフィルターをつくっているのであって、
そのフィルターを介した人の言葉を、僕たちは信じるべきかどうか?です。
同じフィルターを僕は共有できないですが、どんなフィルターをもっているかは、
汚染された地区に済む人のフィルターは、純粋な環境に済む人にとっては、
目に見えるように解るでしょうが、その逆はないでしょう。
環境においてもそうですが、心のフィルターについても同じ事です。
445 :
神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 13:26:55 ID:XyQkbqFJ
物質という創造物が、今できあがり、今触っているという
瞬間を表現するならば、寝ている状態でみる夢が解りやすい。
創造主(自分)が想像した瞬間、その想像した創造物の中に
おり、同時に体験者であるから、そこが想像した時空であることすら
解らない。
しかも、ここが天国か、ここが地獄かまったく解るはずもない。
それは、いまいる此処が唯一の現実であると信じている人だけに
適応する。現に此処がどこか?という問いはありえない。
今、此処は常に移り変わるからね。
成仏できない霊というものがあるとして、こういった理由から
成仏できない。
そして霊というものがあろうがなかろうが、今いる現実を自覚する
ことは、とても難しい。だから、別の階層からのメッセージは耳を
傾ける必要がある。
447 :
神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 17:39:59 ID:XyQkbqFJ
僕らの人体形状の美意識は、白人への憧れが根底にあるけれど、
一昔前は、メリケン娘とか言って、けちょんけちょんに
けなしまくっていた現実もあります。戦争に負けて、白人の美意識も
うえつけられちゃったしね。それからアメリカの真似っ子になったようですね。
そんな人種差別があり、その傾向が僕自身も染まっている事も認めています。
「失望抱くのは僕だけですか」といえば、白人の身体美を美とする人にとっては
そうであるというだけでしょう。これも一つの偏見です。悪く思うのも
仰ぎ見るのも偏見だと思います。
僕は、マレーシアとかタイとかインド女性が好きだな。これも偏見ですけどね。
白人は美しいとは思わないからね。インド女性も白人だけど…。
同じように白人男性が日本人を美しいと思っても不思議じゃないと思います。
正直な話しをしちゃいますけど、
http://handicap.scenecritique.com/25216.jpg 僕は、このちゃらちゃら女(めちゃめちゃ偏見)達と思います。
http://handicap.scenecritique.com/17116.jpg こちらは、コビコビ女(めちゃめちゃ偏見)達と思っちゃいます。
こんな感想をもつのは、僕だけですか?
一番美しいのは黒人だよね。体のバランスも顔立ちとか肌理とかもね。
白人って若いときに見た目がいいのは黄色人と同じことなんだけど、
年取るにつれて肌はぼろぼろ髪はばさばさしわしわくちゃくちゃになっていくよね。
腰も曲がるでしょ。それから、あの際限なく太っていくのはどういうわけなんだろね。
449 :
神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 18:55:29 ID:nJer1/yl
>>447 それは違うと思うな?明治維新から、脱亜入欧してたし日本は。
もっと言えば織田信長も、肖像が書くのに、鼻高く書かせたのは
南蛮人を見てのことだし。
戦後のことじゃない。戦前の日本人はただのプロ場ガンダ。鬼畜米英思想。
美はグローバルスタンダードで白人です。現実は。常識。
占領されたから白人が綺麗に見えるというのはうそ。そんなの関係ない。
占領下で土人(日本人)と折衝したのは、ほとんど日系アメリカ人。
色の白いは七難隠す
色白がいいんです
452 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 06:20:22 ID:+HW4rW6U
歴史的常識は、過去をたどれば、どのように大衆が美意識を操作されていたか
わかるでしょうね。根元をたどれば白か黒かでしょう。人間の根元を美とするならば
歴史的事実、つまりアフリカという事であれば黒でしょう。
現在日本でも続いているのは、白人美のメディア操作をを大衆とメディアとの両方で
行っている。それに大衆はまんまと引っかかっている。しかし最近では、韓ドラとか
主婦層の美意識は変化の兆しも見られるし、熟女への美意識への変化の兆しの変化も
観察することができる。
地球上での身体的適応という点で考え、その根元を美とするならば、僕は黒人だと思う。
文化的に考えて、自分がその人間文化の中で優位に立とうという美意識であれば
現在では白人であると思う。
多勢を美とするならば黄色だと思う。
文化、地球上での適応、様々な事を考えてみても、つまるところ、
その場その場に適応できる身体が人間の勝手な美意識に関わらず一番適応するでしょうね。
今までは泥棒、搾取の文化(白人差別かな?)によって競争社会を先進文化として
白人文化ができたけど、泥棒、搾取の文化を先進とするのはどんなものか?
という変化の兆しもあります。
つまり調和型文化に先進国が移行している状況で、はたしてメディアは白人賛美を
このままずっと続けるとは僕は、思いません。
その地、その場に応じた美意識を持つという考えが主流になると僕は見ます。
人間身体の美という神概念に相当するものも時代により変化するという事です。
根元が黒ならその神も黒から生まれたともいえますね。
453 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 06:36:04 ID:+HW4rW6U
問題は日本人です。
日本人は黒人を知らなかった。白によって黒を知った。
自分が黄色であることも知らなかった。つまり人肌や
人の身体的特徴の区別があまりなかった。
アイヌとかに対してあった事の方が重要な事だと思います。
琉球とかに対して支配した。中国に対して知的賛美した。
黒船がきて白人文化が入った。
つまり日本人は自国の美を置き去りにした。
ざっとこの背景から、白の文化つまり宗教(信念体系)の伝道は
ものすごく魅力的だったと言える。だから他国も追従して、
その追従の度合いによって先進国という勲章を白から頂く。
歴史も白の視点。今の学問は白が作った物。それを学ぶ学生は、
どうころんでも、白をよしとする美意識が形成されるのは当然。
同じ白から生まれた仏教とべつの白の科学という間で、白の毒抜きを
しているのが今の日本の大衆宗教観だと僕は観察する。
日本は神道によって白の信念体系の終焉を向かえると僕は思う事もある。
神道といっても、過去に戻るのではなく、同じであるが、新しい神道だろうね。
太陽の国、日の昇る国。人が生まれた国。この信仰は実は当たり前なのです。
もしみなさんが日本の国にすんでいるなら、自分がいる場所から、
太陽を見ますし、日が昇るのを見ますし、自分はここから生まれたからです。
別に当たり前の事だと思うんだが…。
極東?僕ならふざけるな!ですよ。
最初からここに居るわい!ですよ。
ジパング?日本?いいえ!この地ですよ。
そうそう、ネイティブアメリカンではなく、現アメリカ先住民の
文化には日本人は馴染むんじゃないかな?彼らも当たり前の事を
考えますから。
それから白の大衆は原爆の被害の生々しい事実を知りませんよ。
現アメリカ先住民を泥棒した白を流出した元の、白の国の人達は、
今は調和型に移ろうとしていますね。つまりヨーロッパです。
時代の潮流という一つの流れという神は、調和・融合に向かっていると
僕は、観察できます。
さて、イエスは白だったのか?
西暦2007年という今は、白の2007なのか?
平成19年は、天皇がつくった年なのか?
僕らは二つの時間概念を作っていますね。
仏教のお経はだれが作ったのか?仏陀じゃないですね。
人の作ったものって言っている人達は、
そのルーツはどこにあるのか知ってて言っているのでしょうか?
いいえ?人伝えに聞いたという所でしょう。
もうそろそろ、でっち上げは信じたくない時代に流れは
移っているようですね。
でっち上げのもっともたるものは、ウワサでしょう。
ウワサ経済がバブルを生んだ。信じる行為自体が間違いの源ともいえませんか?
日本には信じるなどという言葉すらなく、「そういうもんだ」しかなかった。
「やればわかる」このような身体文化が在った。
「やればわかる」文化には、アホも、乞食も居た。見たとおりの人が
見たとおりの事をしていた。今では中身と外見がバラバラなので、
外だけみるといい人ばかり。そうではなくって悪い奴は悪い。
普通の人が何故悪いことを?といいますが、そりゃ悪い人でしょ?
僕の結論は、白から黒をしるのではなく、
黒から白を知ったほうが今の時代である白のフィルター自体の
真相が見えるという事です。
黒人つまり、僕らの一昔前は差別用語ですが、ドジンとかいってました。
可愛い「だっこちゃん人形」も流行りました。
黒人の人達の視点から、先進国を観る。つまり僕らを観察する視点は
真相を知るうえで、有効な手段の一つであるということです。
アフリカから日本をみるだけで、浮かれた日本が浮き彫りになるでしょう。
色の白いは七難隠す
色白がいいんです
458 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 10:27:51 ID:HLvdgVnP
459 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 10:29:27 ID:86k5eZvT
黒という闇があるから、光が見えます。
光自体では光しかなく、光すらみえません。
自分という視点は白では、照らす光で黒がみえないという事になります。
たしかに、黒は隠れます。つまり闇は隠れます。真相は闇に葬られます。
>>459 ちがうよ。反射するものがあるから光が見えるんだよ。
461 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 10:34:31 ID:KShrwT9+
白人の肌は老化が激しい
インド中東の褐色美人のほうがいいよ
462 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 10:58:06 ID:86k5eZvT
>>460 反射するから光はみえますが、光の中で光りはみえないから、
まず、闇があって、そこに物体があって、そこに光があり、
その反射を僕らはみているという事ではないでしょうか。
463 :
楼蘭:2007/09/19(水) 11:11:08 ID:WJJNO0QS
>462
光の中で光は見えないとは、具体的にどういう意味でしょうか?
464 :
:2007/09/19(水) 11:25:02 ID:KShrwT9+
善悪概念の代替え表現でしょ
善悪概念もすりこみなんだけどね
465 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 12:05:52 ID:86k5eZvT
>>463 例えば、太陽の光が当たっている白い紙に、
光源(電灯でもなんでもいいです)を当てて、みれば光源をあてた
のにも関わらず、紙を通して反射される光源の波長はうち消され
見えにくくなってしまう。
同じように昼間、月にうつった太陽の反射である光の波長をみることは
できない。
水の中で水をみることはできない。
空気中にある水はみることはできる。それと同じで、
今、いる場所が何処かを確認するには、今以外の場所が存在しないかぎり、
今いる場所が何処かも解らない。こんな説明でどうでしょう。
466 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 12:09:01 ID:86k5eZvT
ちなみに、太陽は熱いなどという信念は僕はもっていません。
467 :
:2007/09/19(水) 12:14:27 ID:oDB0ftPs
光と闇のそれぞれの神がいる実は多神のミトラ教形質を受け継いでいたりするね
468 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 12:19:34 ID:86k5eZvT
光は発見される前から在りましたし、雷は電気じゃなくて
最初からありました。空気がなんであるか科学で知られる前に、
空気はありました。このような考えも一理ありますが、
認識と存在は同時に人間を通じておこりますから、実は、人体の内部の内臓は、
人間がつくったと同時に出来た。宇宙も同じ。星だって発見と同時に存在してしまう。
この考えは結構有力ですよ。
469 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 12:24:16 ID:86k5eZvT
地球は昔は平だったのは本当で、
丸いと発見されてから丸くなった。
発見と創造は同時に今でも起こっているという事を
物質内では、証明できませんが、もしニュートリノが視点をもったら、
物質世界は「空」であり、何も「無い」でしょう。
よってニュートリノが存在するかぎり、物質はアブクとニュートリノに
言われてもしかたがありません。ニュートリノ君は人間に認識されています。
もし物質が人間が考えるようにスリヌケ不可と思うならば、そりゃ
相当なアホなニュートリノ君ってことになってしまいます。
470 :
:2007/09/19(水) 12:24:58 ID:oDB0ftPs
発見と同時に出現というのは主観認知を存在としておるからで
主観の以前に発見物はあったという概念後には無効
471 :
:2007/09/19(水) 12:32:34 ID:oDB0ftPs
ミクロの事象を一般化してもなあ
平らな(地球)も見渡した範囲の判断だけのことでしょう。
化学的視点 政治的視点 宗教的視点など
それぞれはそれぞれを否定しても、どれも現実とも言えるわけでねえ
そもそも人間が形成したのが
日本歩行のサルが神概念を共有して言語を発達させたのが出現要素なわけで
472 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 12:34:45 ID:86k5eZvT
「主観の以前に発見物はあったという概念後には無効」
ですから、有効なケースは、なんなのでしょうね。
473 :
:2007/09/19(水) 12:39:11 ID:oDB0ftPs
>>472 まず考える我の存在
つぎ、汝と我の問答
つぎ、無知の知を理解
474 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 12:42:57 ID:86k5eZvT
つまり今ある触って感じられる世界は、どこにあるという事でしょうね。
475 :
:2007/09/19(水) 12:59:28 ID:oDB0ftPs
世間と共有概念なら同意があり
独自なら変人よばわりされるのです。
時代によって、世間一般認知は
宗教的認知世界 政治的認知世界 化学的認知世界 商業的認知世界らがあり
それらの最大公約数が世間常識となります。
常識人に見られたいために周囲にカメレオンするのが9割の人間です。
アカい奴はたまたま周囲がアカだっただけですね
そういうのを回避するためにも、そういうのを作り出すためにも
信仰・すりこみ・などが横行します。
個人の資質はまた別問題ですが
闇は存在しない
人間の知覚能力の限界
光も闇も人の作ったもの
477 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 13:26:17 ID:Jmz8ndj5
夜は暗いですよ。目をつむれば何もみえなくなるしね。
闇は存在しないのでしょうか。
闇は存在しない
人間の目で見えないだけ
目を瞑っても触れることはできる
479 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 13:38:38 ID:Jmz8ndj5
闇なければ光もなくなっちゃいますね。
光も存在しない
人間の目で見えるだけ
目を瞑っても触れることはできる
481 :
:2007/09/19(水) 13:49:27 ID:oDB0ftPs
互いの存在を、一方の存在が担保する関係でしょ
光と闇の関係がそうで それを善と悪の概念に対比させてるのさ
その作用として、白人が善や天使 黒人が悪や悪魔に代替えもされてしまったがね
482 :
楼蘭:2007/09/19(水) 13:51:51 ID:WJJNO0QS
>>469 どうも。
私は写真が趣味なので、光の喩えには違和感を覚えます。
とはいえ私も、話題の中で相手が論じている内容が本人の主観についてなのか
ある程度一般的な概念についてなのか、それとも実体についてなのか、とはっきり区別
する事は大変重要な事だと思います。
483 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 13:55:46 ID:Jmz8ndj5
実は、人間に「無い」を認識はできないのです。
なぜならば、無の中にいるんですから。
その中で無いと叫んだら、在るという事です。
無いという方向性自体が矛盾をはらんでしまうのです。
なぜならば、在る存在が認識することだから当たり前なのです。
ようするに生きているという事は、無いという事自体が矛盾なのです。
相対的に見ることで意味を持たせる
もともと意味はない。ただ起こっているだけ
485 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 13:57:41 ID:Jmz8ndj5
>>482 僕が話している事は、一時が万事ですから、写真についても同様になりますよ。
写真は面白い
写真が趣味ですと?
Σ(☆◇・) -キラーリ☆
488 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 14:06:12 ID:Jmz8ndj5
「相対的に見ることで意味を持たせるもともと意味はない。
ただ起こっているだけ 」
と人が発言したとき、他人は、何が起こっているんだ?と
尋ねるでしょう。
489 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 14:09:54 ID:Jmz8ndj5
僕も写真を使った仕事をしていますよ。キラリ!
仕事で写真はやりたくない
しかも写真を使った仕事なら写真をやっていないってことだな・・・・
やっほーオークションでニューF1買っちゃった。
3.5まそえんだった。
ガンダムみたいなやつですな
モードラはついてないからそれほどでもない。
昔欲しかったとかですか?
AE-1.A-1,AE-1P もってるんだけど、F-1かF-3 が欲しかったの。
498 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 14:29:16 ID:Jmz8ndj5
どうぞ、写真機の話しで盛り上がってください。
結局、いまだかつてニコンは触ったこともない。
写真機、ってなんかヤシカとかニコマートとかの感じだよね。
年寄りの集まりかい!
(つ◇T)
写真機ばかりでは神様退屈でしょうから
話を戻しましょうか
神様どうぞ
↓
504 :
楼蘭:2007/09/19(水) 15:00:10 ID:WJJNO0QS
>>493 F-1ですか。渋いですね。持った感じは重たいでしょう!
昔プレスがこればっかり使ったもんで、野球場のバックネット裏が重量に耐え切れず崩れてしまったそうです。
モータードライブを付けなければまだマシかもしれませんが、チャージレバーの動作もこれまた重いですよね。あまりに重いので、F-1の発売以来、反作用で地球の自転が遅くなったそうです。
>>488 昼間月が見え難いのは輝度差の問題、水の中で水が見えないのは反射と屈折の問題と、
原因が先にイメージされるので、これと独我論を結び付けづらく感じています。
喩えというのは本来、分かりにくい事を直感的に分かりやすくさせる為の物と思っていますが、
505 :
:2007/09/19(水) 15:00:13 ID:/a1222mX
無いことを認識できない?
ある物体や現象が存在しないことをもって無いという認識ができてるはずだが?
夜から朝になると、暗くはない
火が消えてしまったら 火がない
電灯を消してしまったら 明るくない
皿のクッキーを食べられてしまったら クッキーがない
506 :
楼蘭:2007/09/19(水) 15:02:35 ID:WJJNO0QS
ボタン押しちゃいました…
要は喩えがそれ自体面白すぎるんです。
>>504 実はニューF-1買って以来、ちょとづつ家が傾いてきますた!
508 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 15:29:34 ID:Jmz8ndj5
>>488 自分で水に潜って、外部から垂らした一滴の水を確認できるかどうか
想像してみてください。
>>505 無いことは確認できますが、直接認識はできない。ちがいますか?
509 :
楼蘭:2007/09/19(水) 15:50:37 ID:WJJNO0QS
>508
温度差が無い場合、周りの水と屈折率の差が無い事によってドロップは見えない事は容易に想像できます。
クッキーが無い事はある事との差によって認識する事も解ります。
私が悩むのは、繰り返しになりますがこれと独我論との関係です。
立場によって認識できる物に差が有る事は解ります。水中にいればドロップは見えません。ただし、水中にいる人全員に等しく見えません。
これに対して、自分/外部の世界という観点で物事を考える場合、まず他の人も
一緒に水の中に入る事が出来るかどうか、出来るとしたらそれはどういう状況なのかを
はっきりさせる必要が有ると思います。
510 :
:2007/09/19(水) 15:53:06 ID:WL1FlVB/
511 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 15:55:49 ID:Jmz8ndj5
>>509 僕がものを認識するというのは、それ自体を目の前で、
知覚することができるか?という事です。
知覚とは身体を通じて感ずるという行為を差します。
簡単にいえば、それ見たの?感じたの?聞いたの?です。
513 :
:2007/09/19(水) 16:05:38 ID:WL1FlVB/
真っ暗闇を感じるし、あったはずのクッキーがなかったことを感じるし
そういえば総理大臣の辞任も聞いたなw
ある・ない、の判定に段階はあろうが
ないことを認識できないというのは無理があるねえ
514 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 16:10:41 ID:Jmz8ndj5
「真っ暗闇を感じるし、あったはずのクッキーがなかったことを感じるし…」
ということは、それは無いのではなく、「在る」ですね。
僕の言っている意味がわまりますか。
515 :
:2007/09/19(水) 16:17:33 ID:WL1FlVB/
>>514 感じられない<ない>とは?認識できないようですけど
516 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 16:18:59 ID:Jmz8ndj5
再度、書いておきましょうか。
実は、人間に「無い」を認識はできないのです。
なぜならば、無の中にいるんですから。
その中で無いと叫んだら、在るという事です。
無いという方向性自体が矛盾をはらんでしまうのです。
なぜならば、在る存在が認識することだから当たり前なのです。
ようするに僕らは、生きているという事は、「無い」という事自体が矛盾なのです。
総ては在るのです。
517 :
楼蘭:2007/09/19(水) 16:27:19 ID:WJJNO0QS
>516
上の文中では'認識できない'と'無い'が同列に扱われているように思いますが、
いかがでしょうか?
もしそうだとすると、無いという語の二重定義が問題のような気がします。
一見、自己言及による矛盾が生じるように見えますが、2つの語は指し示す意味の
階層が違うと思うのですが、いかがですか?
518 :
:2007/09/19(水) 16:29:23 ID:WL1FlVB/
>>516 その書き込みのことですか
1、人は無い中にいる ←この根拠は?
1を説明したとして、無い中にいれば無いを認識できない根拠は?
クッキーの無いは間接認識できるようですが
直接認識できない事例はないと?事例もなしに認識できないといわれてもねえ
519 :
:2007/09/19(水) 16:36:28 ID:8HiIaLDO
実際にないことを認識できているんだからねえ
520 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 16:48:03 ID:Jmz8ndj5
>>518 根拠などもないでしょう。
同じ質問をひっくりかえして、自分に対して質問すれば、
その根拠も証拠もないことがわかると思います。
僕はこの世界が存在するというならば、人は無いという事を知っている。
と結論づけてその視点で発言しているだけです。
在るというのは、生きていなくては想像すらできません。
無いというのは、想像することも、証拠を提示することもなにもできず、
言葉にすらできず、こうして書いていても無いについて語る事も
本当はできないですが、あえて無いを書いているだけです。
ようは、こういう事です。僕はこの世界は在ると思っている。
人はこの世界をどう思っているかは知りませんよ。
この世界とは、今この瞬間に存在して実感している自分と外界の事です。
みなさん在ると思っているのではないですか?
521 :
↑:2007/09/19(水) 16:55:58 ID:8HiIaLDO
ひとは無い中にいるという貴方の主観意見ね
そこから導かれる説も成り立っていませんけどね
522 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 16:59:16 ID:Jmz8ndj5
ひとは無い中にいるという貴方の主観意見ねとか
人の事を言う前に、まず、この世界は在ると思っているのではないですか?
この世界だとか在るだとかは脳の錯覚
ただ起こっているだけのことに意味を持たせないと心の安定が保てない
話はよくわかるがそれも脳の錯覚とうまく付き合う考え方でしかない
実際には何も無い
524 :
:2007/09/19(水) 17:13:37 ID:8HiIaLDO
ない、を認知できるかできないかだけのこと
できない派が成り立たないことを発言してるだけかと
この世があると認識してる人間はいるかもだけど
この世にいる。わけだし、ここらで、ない中にいる人間という主観に導いて
世界がないということを実感できないことに持ってきてという
禅問答か霊感商法ということでしょうか?
525 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 17:14:20 ID:Jmz8ndj5
「ただ起こっている」
何が起こっているのでしょうね。
また目撃者がいるんでしょうから。
だれが目撃者なんでしょう。
>>524 神の存在を謳う為には
「無いものは無い」としなければ困るんですよ
その為の考え方です
>>525 体験した者が目撃者です。体験した者が意味を持たせます
何が起こっているかは人の数だけあります
527 :
:2007/09/19(水) 17:21:15 ID:8HiIaLDO
世界はあるじゃなくて、世界にいるんですよ
無いなかにあなたは居るらしいですがね
どちらにしても 無いを認知できないという仮説は成立しませんでしたね
あと、世界を認知とかでだと思うが、何かが起こっているとのことですが
誰かが目撃者がいるとのことですが、それは他者と共有された同意見ということでしょう。
そこに確信がもてたことが事実ボックスに格納されるわけです。
他者意見も自分の脳を介するわけですが、
思考パターンができたらそのプロセスに従って自動実行され蓄積したり
三歳までに形成される潜在意識で無意識実行したりするようですがね
528 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 17:23:00 ID:Jmz8ndj5
僕の言うことはとても単純ではないでしょうか。
「この世界は在る」ならば、消えてなくなるものは何も無いでしょう。
みなさんご自身は生きて外界を認識している事を否定するのですか?
529 :
:2007/09/19(水) 17:25:02 ID:l3lw9wNn
>>528 この世があるとかないとかじゃなくて
居るものですが?前提から異にするわけで
つまりあなたはこの世があると認識なのですね
530 :
:2007/09/19(水) 17:29:55 ID:hMV1ukMM
無いなかに貴方は居るんだから、無いを認識してるわけで
無いを認識できないとする自説が最初から瓦解してるし
531 :
楼蘭:2007/09/19(水) 17:30:48 ID:WJJNO0QS
>528
皆さんの集合に私も含まれますか?
私はあるに一票。我らが宇宙はエネルギーの状態が変化している物です。エネルギーは無くなりません。
続きを聞かせて下さい。
532 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 17:42:14 ID:Jmz8ndj5
>>529 はい、この世界が在り、そこにいる僕。
こんな所です。
533 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 17:44:26 ID:Jmz8ndj5
>>531 我らが宇宙はエネルギーの状態が変化している物です。エネルギーは無くなりません。
確かにその通りです。エネルギーは無くならない。
534 :
:2007/09/19(水) 17:48:21 ID:1RTB+gl1
>>532 僕としては、この世界が在るとか無いとかが違う感覚
世界に属しているんで、いきなり居るですよ僕の場合ね
535 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 17:51:19 ID:Jmz8ndj5
>>534 はい、今以外の事は記憶ですし。今、世界があって、
ちゃんと僕は此処にいますし、あなたにこうして発言してます。
でも、書いている瞬間、過去になっちゃいますがね。
作り話の宗教の上にさらに嘘をてんこもりして楽しいのかお前ら
537 :
:2007/09/19(水) 17:52:41 ID:1RTB+gl1
在るー無い 善ー悪
アーリア系の宗教概念なのでわ?
538 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 17:52:49 ID:Jmz8ndj5
一つ新しい発言をしましょう!
僕は完璧です。
539 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 17:58:30 ID:Jmz8ndj5
僕の言うことはとても単純ではないでしょうか。
「この世界は在る」「そして人は生きている」
みなさんこれを認められますか?とても単純す。
540 :
:2007/09/19(水) 18:01:33 ID:1RTB+gl1
この世が在るとか無いとか 善ー悪相対化を前提にしちゃってるけどさ
それってアーリア人が荒れ地で神と向き合った孤独な価値観なんだって
密教や浄土真宗もアーリア系みたいだしさ
その前提スリコミは意識しようね
541 :
神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 19:44:09 ID:Ag3KX4oR
神を人間がつくったという前提がどうなのか
>>538 超ウケタw
世界は誰もが持っているが別々のもの
元は何もない
人それぞれが別々の世界を持っていて、さも共通したもののように振舞っている
それを意識できていればいいが無意識だと迷う
すべては選択したもの
543 :
:2007/09/20(木) 02:19:29 ID:AZRoAXwg
>>542 ひとの成立時にはすでに世界があるはずですが?
ひと以前になにもなかったということなら理解できますけどね
544 :
MC えなりー:2007/09/20(木) 04:30:33 ID:I3X+4pQU
神はフォーディメンシェンズ(四次元)だぜブラザーたちよ。
ゆえに人の理解の及ばない理屈の上に、初めから神はストゥアンドしてる。
人間の認識出来る、最初から最後まで、ヌェ〜ンド永遠を、初めの初めから創造されたGOD!
相対性とか遥かにファッキンoverじゃないか?
初めの初めの初めはなんなんだyo?
宇宙の果てを見たかメーン?
神創造→人創造→神創造のながれの方が思考停止、ニュワツォリツァマグォのマリファナ宗教だぜベイベ。
追うならゴーズォンとことん煮詰メルォウ。
安易な結論でセルフデイフェンス、グルァスハーツのか弱い自分は落ち着いたのかい?
ぴ〜っつぁ。
545 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 06:52:24 ID:13O2dVxQ
>>540 ごちゃごちゃいわんと、
「この世界は在る」「そして人は生きている」 って
?さんは、どう自覚してるの?こんなものはすり込みでもなんでもなく、
自分の直感的な実感でしょう。
546 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 06:54:44 ID:13O2dVxQ
>>542 世界は誰もが持っているが別々のもの
ってのは、妄想とか、感想というのではないでしょうか。
547 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 07:08:10 ID:13O2dVxQ
神を考察するにも、なにをするにも、仮定としてでも
ある観点をこしらえなければ、観察できないです。
その大前提として、観察者の立場は明確にする必要があります。
特に神という概念は、人々にとって自分から一番遠い概念ですから
それを発言するには、自分の立場を明かにする必要がある。
しかしこうも言えます。自分の立場(観察点)を明らかにすると
同時に、それは自分の対局、すなわちその人なりの神という概念を
同時に現してしまう。
僕の観察者としての立場は、常に自分からみた現実世界(他者)を
観察し、それを発信することを発言と言います。
問題は現実のリアリティーが各々違うという事です。
その為には、現実の定義として、
「この世界は在る」「そして自分は生きている」実感レベルを
共有できるかできないか?というのは議論をする上において、
の大前提であり、とても重要な人としての土俵ではないでしょうか。
548 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 07:20:47 ID:13O2dVxQ
「この世界は無い」「そして自分は生きていない」と実感するなら、
それはどんな存在でしょうね。
そのような存在が、この社会で、日常生活を営む場合、どのような
人格として他者に姿を現すのでしょう。
そして、「この世界は無い」「そして自分は生きていない」と
実感しているにも関わらず、キーを打って文字を刻む事ができ、
それを他者が、見る事ができるという事実を認めるならば、
あるいは、他者が見ることを期待できるなら、それは何なのでしょう。
まぎれもなく、「この世界は在る」「そして人は生きている」という
前提で、キーを打って他者に対してなんらかの意思なり考えを伝えていると
思うのです。
これに対しての反論の余地があるならば、是非お聞かせ願いたいですね。
しかし、心してくださいよ。
それを言うことは、発信者自身の根本的な観点です。
生きていない人とは僕は話せません。しかし生きていないと思いこんでいる
人とは話はできますから、反論して欲しいのです。
>>543 世界は概念
>>545 彼は質問するが質問されるのは嫌い
肝心なことには答えない
だから殻から出られない
>>546 世界観は統一的な考え方だがまったく同じ考え方などできない
世界は人の数だけ在る
それぞれが選択したもの
>>548 この世界は貴方の世界
貴方は貴方の中で生きている
今読んでいる文字は画面上の白黒模様に過ぎない
モニターの白黒画面の文字列を如何に解釈するかは貴方自身が決めている
これまで習った日本語という道具を用いて、貴方の主観、価値観、判断基準に基づいて、貴方なりのやり方で意味を選択している
一人一人価値観が異なるので受け止め方も違ってきます。同じ文を読んでも感じ方は各人バラバラ
解釈の結果についての原因や責任は情報の受け手(読者)にある
自分で解釈した内容に対して自分でレスを入れる
それを読む相手は相手なりの解釈でレスを返す
意思なり考えを伝えようとするのは自由だが
その体験は自分を知るためのものでしかない
550 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 09:04:55 ID:kUQDgeG4
>>549 で、あなたは、「この世界は在る」「そして自分は生きている」実感できます?
551 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 09:14:35 ID:kUQDgeG4
>>549 簡単にいえば、
「あんた自身は生きてんの?死んでんの?」って事ですよ。
この単純な事を自覚できない人が多いという事です。
あなたはどうかは知らないですが、自分は概念と同化している者ですよ!
とおっしゃるなら、概念の世界住人ですから、触れませんね。
秋田。
>>550 私の中での「この世界」はありますが、それは私だけの世界だと思います
「そして生きている」の「そして」が何なのかよくわかりませんが
世界がどうであれ生きている実感はあります。
>>551 本当はただ生きているだけなのでしょうが、脳が錯覚していて生きている実感を持たされていますので私の場合は生きようとしています
生き物としては生きていますが「自己」としては生死はありません
>>552 デジカメはやらないんですか?
554 :
楼蘭:2007/09/20(木) 09:22:36 ID:az63/OBm
>547
私は「この世界は在る」「そして自分は生きている」を実感しています。
この件についてさらに話を聞かせてください。
ただ、一つ質問が有ります。あなたの昨日のテーマ、
>実は、人間に「無い」を認識はできないのです。
は、今回のお話と何か関連は有りますか?
もし関連があるようでしたら、私の
>>517についてもご意見を頂けますでしょうか?
555 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 09:43:29 ID:kUQDgeG4
>>554 「人間に「無い」を認識はできない」
のは、「この世界は在る」「そして自分は生きている」を実感すれば、
明らかな事です。別になんの不思議も、概念もあるのではなく、
どこかの子供をつかまえて、聞いてもらえばいいでしょう。
「キミここに居る?」「生きてる?」
そして僕の手(空の手を差し出して)「僕の手に何かある?」
とでも聞いてごらんください。
ひねくれた子供が「空気!」と言うなら、そりゃ「在るものだよ!」と
教えて差し上げてください。
>私の
>>517についてもご意見を頂けますでしょうか?
については、
まずは、この僕の発言自体をお考えください。
556 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 09:46:24 ID:kUQDgeG4
>>553 私の場合は生きようとしています
生き物としては生きていますが「自己」としては生死はありません
と、いうことですか。解りました。
557 :
楼蘭:2007/09/20(木) 09:52:52 ID:az63/OBm
>555
解りました。まず文555について考えて見ます。
私の理解のために教えていただけますでしょうか?
1.「どこかの子供をつかまえて〜」の設問の、あなたが想定する答えは何ですか?
2.「ある」と「在る」の語の意味を教えてください。
558 :
楼蘭:2007/09/20(木) 10:18:12 ID:az63/OBm
>555
済みません、自分で読み返してみて質問が曖昧である事に気づきました。
追加と訂正をします。
1.「どこかの子供をつかまえて〜」の設問の、
1.1あなたが想定するあなたの答えは何ですか?
1.2あなたが想定する子供の答えは何ですか?
1.3何故子供に質問されるのですか?大人と子供で回答に差があるとお考えですか?あるとすればどの様な差ですか?
2.「ある」と「在る」の語の意味を教えてください。
3.「僕の手に何かある?」 の「何か」の語の意味を教えてください。
3.1 1と同様あなたの答えと子供の答えと大人の答えを教えてください。
3.2 質問の意図を教えてください。
よろしくお願いいたします。
559 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 10:38:48 ID:kUQDgeG4
>>557 1.「どこかの子供をつかまえて〜」の設問の、あなたが想定する答えは何ですか?
2.「ある」と「在る」の語の意味を教えてください。
については、単純にお考えください。
子供はその辺にいるでしょ。その子供が「ある」というのは、
何処にある?とか、単純に子供が感じ、発する言葉で、「ある」と
想像すればいいです。
おじいさんおばあさんに質問しても同じです。
あるかないかくらい、考えるまでもなく、見れば分かることでしょう。
そんなレベルの「ある」ですよ。また、それが総てに通じます。
言葉にすると長くなりますが、この例は、ここにリンゴはある?
はいあります。あるいは無いというレベルの話しです。
この話しすらまともに受け取るのは特定の段階の人には難しい事です。
560 :
楼蘭:2007/09/20(木) 10:54:01 ID:az63/OBm
>559
ありがとうございます。
>そして僕の手(空の手を差し出して)「僕の手に何かある?」
と言う質問と、同じ条件にて「僕の手にりんごがある?」
という質問は、意味として同じですか?
差があるのでしたら、その差を教えてください。
無宗派無神論者の俺が
余計な口をはさんでみるが…
宗教=哲学よね
未来永劫、確かな答えなんて
誰も出せるはずもなく
じゃなきゃ何千年も継がれないよな?
きっと千年前のヤツらも
似たような議論してたんだろうな
…なんて思っちゃったりしてるわけよ
>>561 空想だからね。
ま、別に誰も迷惑しないわけだし、強いて止める必要もないわけなんだけど。
563 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 11:08:14 ID:kUQDgeG4
>>560 空(から)の手を差し出すか、
リンゴを持った手を差し出すかの違いだけです。
物体としてあるかないかを、上の例では子供に問うているだけです。
それに対し、子供は物があれば、あるというし、
なければ無いというでしょう。これも日常的な出来事でしょう。
いうまでもなく、手に意味はありません。
>>562 おっ!アナタは慈愛の方ね
俺は無宗派なんだが
一部の反社会的カルト教団を除いて
宗教・哲学・思想は
各人の自由なんで
否定する気はないですな
>>564 宗教と、哲学・思想をひっくるめるのはちょっとどうなんだろうかと思うわけなんだけど・・
566 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 11:15:26 ID:kUQDgeG4
これだけは、言えます。絶対ですし、
みなさんの前にも姿を現すことも可能です。
「僕は生きている。」
これは宗教でもなんでもなく、実感です。
これを言えない、あるいは、実感もできない時代になっているのが、
本末転倒している状態というのです。
567 :
楼蘭:2007/09/20(木) 11:22:44 ID:az63/OBm
>563
済みません、同じ質問ですが、解りにくかったようなのでもう一度させて下さい。
>>555の文についての質問です。
"僕の手(空の手を差し出して)「僕の手に何かある?」"と言う質問と
"僕の手(空の手を差し出して)「僕の手にりんごがある?」"と言う質問は
意味として同じですか?
どちらの質問の場合も、手には何も乗っていない事に注意してください。
568 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 11:32:32 ID:kUQDgeG4
>>567 では、想像してください。より実感していただくなら、
できれば、ちゃんと、実際体を動かして手にリンゴを持って、あるいはなにも持たず、
ちゃんと、行動している自分を想像するかそうしてください。
想像している自分は手に持っている。あるいは持っていない状態です。
僕は概念をつかって自分が想像上で行動しているならばという
事を実感して頂くために、このような説明をしています。
だから、ご自分で、僕の言葉どおりの事をすればそのようになっている。
これで、ご理解いただけないなら、次ぎは僕を主人公にして、
その状況描写を文面で記すことにします。
その時は、またお知らせください。
>>565 ま、その辺は無宗派の俺なんで
ひっくるめちまうのは勘弁
って事で
570 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 11:46:14 ID:iXQmSvh1
571 :
楼蘭:2007/09/20(木) 11:51:37 ID:az63/OBm
>568
何度もご説明頂いているのに済みません。
私は、あなたの述べる「何か」が実際にどんな意味を持って述べられているかを理解するまでは、その行為を想像することが出来ません。
というのは、もしそれを理解せずに行動する場合、「何か」は私という立場から私個人の理解による行為となるからです。
立場の差を認識する事の重要さはあなたも指摘されているはずです。
>これで、ご理解いただけないなら、次ぎは僕を主人公にして、
>その状況描写を文面で記すことにします。
よろしくお願いします。
572 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 11:57:49 ID:kUQDgeG4
>>571 解りました。
>>555についてを、僕を主人公にして状況描写をもちいて
物語風にお伝えしますね。少々お待ち下さい。
「人間に「無い」を認識はできない」と僕はある日気づいたんだ。
この単純な現象を何故僕は見逃していたのだろう。
そんなことを感じた出来事をご紹介します。
僕はある日、あるオジサンに、「キミは此処にいるの?」と
尋ねられたんだ。そして僕は答えたさ、「此処にいるに決まってるじゃないか!」だってオジサンの目の前に僕はいるんだからね。
そしたら、オジサンはこういったさ、「生きてるか?」と、
僕は、こう言ってやったさ、「バカだなオジサン、みれば解るだろ!」
「生きてるから、ここに立ってオジサンと話してるんじゃないか!」
そしたらオジサンは僕に何も持っていない手を差しだし
こういった。「オジサンの手はなにかもっているかな?」
僕はこういった、「持ってるわけないよ、オジサンの手のひらには、
なにもないよ!」
今度はオジサンはリンゴを手に持ち、その手を僕に差しだしこういった。
「オジサンの手には何かあるかな?」
僕は言った、「リンゴっ!、それ頂戴!」
オジサンは言った、「リンゴが在るね。」
575 :
【在るんだね…2】:2007/09/20(木) 12:19:30 ID:kUQDgeG4
今度オジサンは手のひらにもったリンゴをポケットにしまい、
ふたたび僕の前に空っぽの手のひらを指しだした。
「この手のひらに何か在るかな?」
僕はなにも「なにも無いよヨ」と答えた。
オジサンはこういった、「じゃあ消えたのかな?」
僕は言った、「オジサンのポケットにあるのさ!」
オジサンは言った、「そうだね。」
オジサンは再び僕に空の手を差しだしこう言った。
「この手のひらにリンゴはあるかな?」
僕は言った、「無いよ!、けれどもオジサンのポケットには在るさ、
早くリンゴを頂戴!」。
576 :
【在るんだね…3】:2007/09/20(木) 12:21:03 ID:kUQDgeG4
オジサンは最初から、リンゴをポケットに入れていたのに、
僕はリンゴなんか無いと思っていた。でも目の前に在ったとき
在ると思った。でも僕はリンゴは最初から無いと思いこんでいたんだね。
オジサンは続けた。
「ここに無いものが在ると思うかな?」
僕は言った、「無いものをどうやって想像すればいいの?」
「無い物は僕には想像できないよ!」
僕はこの時しったのさ、無いものは、無いんだって。
でも、僕が無いと思いこんでいても、オジサンには
在る事を知っていて僕に隠して無いと思わせる事も出来るんだね。
って事は、総てが在るんだね。僕が知らないだけなんだね。
おしまい。
>>555 子どもに
「キミはいつから生きてるの?」「何処から生まれたの?」
と聞けば子どもはどう答えるのかな?
>>556 では今度は私からの質問です
あなたはいつ生まれたのですか?
578 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 12:52:37 ID:kUQDgeG4
>>577 「キミはいつから生きてるの?」「何処から生まれたの?」
と聞けば子どもはどう答えるのかな?
お母さんから生まれた事くらいは、子供はしってるでしょ。
いつから?ってのは、その子の母さんが知ってるはずですね。
>あなたはいつ生まれたのですか?
「あなた」とは何を指すのかを示すなら、答えられる範囲は答えます。
579 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 12:55:08 ID:PpPPMl8N
宇宙は誰が創造した?
空間も、時も酸素もその他諸々も
んで、宇宙に果てってあるのか?
宇宙の果ての先には何かが無いのか?永遠ループなのか?
宇宙の果ての先にはどんな物が見えるのか?どう見えるのか?
ブラックホールってどうやって出来ているんだ?
地球に人間と言う生命体が存在するなら他のどこかの星にも絶対生命体がいる筈 どこにいる?
これは神が知っている筈だ
>>578 子どもの「キミ」なら答えられて
ご自分のことになると答えられる範囲があるのですか??
子どもに
「お母さんから生まれたのはキミの体であってキミ自身ではないよね。キミはいつどこから生まれたの?」
と聞けば子どもはなんと答えるのかな?
581 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 13:18:51 ID:kUQDgeG4
>>580 僕の状況描写話しの登場人物の子供は僕の想像の産物だから、
どう答えるかは、解りませんよ。そういう空想話しは僕は
興味がないです。
僕自身の事なら、どんどん聞いてください。
582 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 13:34:53 ID:kUQDgeG4
また、変な事を言いましょうか。
僕は自分が一番可愛いと思うんです。
>>581 もともとどう答えるかわからない子どもに答えさせたのはあなたでしょ^^;
貴方ならどうなんですか?
「貴方はいつ生まれたのですか?」
つうか貴方も答えない人ですね
584 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 13:53:15 ID:kUQDgeG4
>>583 いくらでも答えますよ。
ただ、ちゃんと答えたいですから、聞くだけです。
漠然と自分の生まれを言うなら、今生まれて今死んでます。
僕の宇宙論は「今・ここに」しかないですから。
585 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 13:56:27 ID:kUQDgeG4
論と書きましたが人によっては、それ自体を
概念であるととらえる方もいらっしゃいます。
よって正確に表現します。
実際(実際で解りますね)も今、生まれ、今死んでいます。
586 :
楼蘭:2007/09/20(木) 14:20:06 ID:az63/OBm
>576
ありがとうございます。ちょっと私の理解を確認させてください。
1.私は、自分が今現在手元にEOS40Dが「無い」事を認識できる。
1.1 1が認識できるのは、私がEOS40Dの存在を現在より以前から認知している為である。
存在の有無を論ずる対象が認知されていなければ、そもそも存在について論じる事は出来ない。
2.存在の認知は、そのものが存在している事が前提である。
3.故に、「無い」事を認識できる物は「在る」
(ここで述べる「在る」は、過去に存在した事及び存在の予定を含む)
この理解は正しいですか?
>>584 あなたは今生まれて今死んでいます。
では、
あなたはどこから生まれたのですか?
588 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 15:03:32 ID:kUQDgeG4
589 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 15:06:17 ID:kUQDgeG4
>>586 はいそうです。説明が上手ですね。
「存在の認知は、そのものが存在している事が前提である。 」
>>588 あなたの肉体のことは聞いていません
今生まれて今死んでいるあなたはどこから生まれたのですか?
591 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 15:10:29 ID:kUQDgeG4
これも面白い話しなんですがね。
物理法則に反しないかぎりどんな出来事でも起こり得るとする
原理・原則があります。
つまり物理法則に合わせて、様々な思い込みをもてば、
まったく違った視点や観点や原則で、かつ物理法則にのっとって
なんなく生活することが可能であるという事です。
592 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 15:11:29 ID:kUQDgeG4
>>590 今に決まってるでしょう。僕の発言を良く読んでください。
自己に生死はないようですね
今しかないのですから今を今と捕られる必要も無いく
いつの今もいつでも自己はあります
生きたり死んだりはしません
過去や未来は相対的なもので
いつでも今です。
596 :
楼蘭:2007/09/20(木) 16:24:45 ID:az63/OBm
>589
ありがとうございます。
「存在の認知は、そのものが存在している事が前提である。 」
という条件は、
「そのものが無い事を認識できる」と矛盾しません。
と言いますのは、「無い事の認識」は通常、概念の指し示す実体の他に、
場所と時間の指定と言う条件が加わるからです。
これが
>>516に対する
>>517の指摘の趣旨です。
597 :
神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 17:15:47 ID:kUQDgeG4
>>593 >どこから生まれたのですか?
僕が今居る場所です。刻々と変わる今という此処です。
>>595 その通りです。上手な説明だと思います。
598 :
神も仏も名無しさん:2007/09/21(金) 08:14:00 ID:F89VrG7N
自分が感じられる別の意思というものは存在するかしないかは別として、
その感覚を感じ、それを神だ!とか霊だとか、異星人だとか、天使だとか
素朴な人間的解釈をし、断定し、それについての有無を追求する風潮は
今も昔もあるが、もっと現代的に言って、それを自分の目で確かめようじゃないか、
と、思う人も出てくる。
どうやって確かめるのか?あるいは、どのようにしてそれらとご対面してしまったのか?
そこで、妄想、二重人格など、既成概念内に還元して断定できうるものか?このような
問題がある。
自分の目で確かめる方法として、ドラッグがある。様々な修練体系も在る。
それ専門の秘教もある。このケースは能動的だろう。
自分の身に、強制的に起こってしまった例として、快楽目的のドラッグトリップ中に、
あるいは、なんらかの肉体的不具合で、精神と肉体との断絶の経験。事故などによる
極度の集中状態による非日常的な精神状態の経験。それらの最中に別の意思の介入の認識。
各種観光、あるいは、場所において、なんらかの別の意思の認識。
あるいは戦場での、別の意思の物質的介入。
いずれにしても、非日常的な場面では、何が起こるかわからないというリアリティーの
最前線では、人は既成概念で説明できない事態に遭遇するのは昔から人々に語り継がれていた。今では、温室内(社会制度や人工的環境)によって、介入があっても、人々は気づくような
精神状態になっていない。すくなくとも、別の意思の有無に関わらず、受動的に
受信できるようなアンテナが機能していない。その精神状態で神の意思をキャッチすることは
ほぼ不可能と言える。本当に存在しても、認識すらできないだろう。
599 :
神も仏も名無しさん:2007/09/21(金) 08:24:45 ID:F89VrG7N
神が何であるかと問う前に、アンテナが機能していないという事実を
まず人間自身が認識する必要がある。
その上で、体験すれば、神とは何であるかは、おのずとはっきりしてくる。
それ以外に、神の存在の有無を確認のしようがない。
神の思いこみの数ではなく、神自体を自分で確認するか、しないか。
この二つに一つが一人の個としての人間に与えられた使命であると、
断定してしまっても、よいかもしれない。
なぜならば、それ以外に自分で答えを出す方法が今のところ無い。
科学が扱えるのは、計量できるものに限られる以上、別の次元の
科学に相当するものが生まれるまでは、仕方のないことだろう。
だから、今の科学に相当する最前線は科学ではなく、
神の冒険野郎の結果報告の集大成をまとめ上げる真の科学者の
出現だろう。
知識人には全く期待できない。科学の歴史しか学ばない。
科学や哲学は勉強するものではなく、する事で、自分の体験を
チェックするのに使うもので、歴史ではない。
勉強している人達は何を勉強しているのかといえば、体験者の
科学的説明とその根拠で、真の科学者は観察者であるといえる。
600 :
神も仏も名無しさん:2007/09/21(金) 08:26:53 ID:F89VrG7N
よって、人類は、神を自分の知覚を通じて体験する時が迫っている。
というより、そのような人種が増え続けている。
あとは自覚すれば、おのずとその意味が解る。
最初から在るならば、(その有無に関わらず)気づくだけで良いのだ。
自分の世界を作っているのは自分でしかないのだから
自分の世界に神の意思を作りそれを自分の作った神用アンテナで受信すれば神は存在するだろう
ドラッグで夢を見てもそれはドラッグによるものだと割り切る人は多い
神に結びつける人は神の存在をもともと信じてる人だろうね
自分の中のことしか出てきようがない
「神」を知っていれば連想もできるが「神」の言葉すら知らなければ何を見ても神だとは思わないだろう
神という概念を持っているから感じることで、概念がなければただ起こっているだけのこと
最初から在るのは「神は概念」
もともとアンテナは必要ないんだよ
無理にアンテナを張るから妙な幻想に囚われる
神が何であるかと問う必要もない
はじめから決まっている
神は概念
何かの法則やエネルギーはそれはそれでよい
それらは法則でありエネルギー
わざわざ人の作った概念である神と結びつける理由はないだろう
多数の宗教があって、それぞれ真理であると信じている、ということが、
神が概念でしかないこと、というか、「神とは概念である」ということを示しているよね。
まったく別物でもよさそうなんだけど
どこでも神だからねぇ
日本では人が神様になったりするし
なにがなんでも「神」一本で括るからどれが本物だとかおのずとその意味が解るなどと言い出す輩が出てくる
それぞれが独立して成り立っていけばいいわけで、よりよい神を求めなくとも十分だろうにね
神の言葉を使う限りは概念でしかないのに、どうして別の言葉を使わないのか不思議
所詮人間なんて凡庸なものだから、誰が考えても大体同じになるわけ。
だから、ほんの少しの違いをあげつらって非難し合うわけだよね。
605 :
楼蘭:2007/09/21(金) 10:08:06 ID:6hlRXq4M
なんか常連の溜り場みたいになってきましたが…挨拶代わりに衝撃の事実を告げるなんて如何でしょう?
では、私も衝撃の事実をお伝えします。僕は…絶壁です。
>599
人によって体験から得た情報に差異が在ることを何らかの形で説明しなければいけないと思います。
ぼこちんは長瀬と柏原にくりそつ。
607 :
楼蘭:2007/09/21(金) 11:12:57 ID:6hlRXq4M
>606
証明せよ。
>>607 今鏡で確認中でつが、間違いないでつよ。
609 :
楼蘭:2007/09/21(金) 11:59:33 ID:6hlRXq4M
>608
それは主観だけど、このスレは元々主観を述べあう所だからまあいいでしょう(笑
お礼に私の主張の根拠を述べましょう。それはこないだ見た夢でした…
逸れは風も無くよく晴れた朝の事です。山の空気は秋ともなると肌を刺すように冷たく、
しかし、昇り始めた太陽の光は強く、夏の名残を感じます。
私は額に手をかざそうとしました。しかし、手が動きません、体が動かないのです。それどころか体と思える物はどこにも有りませんでした。
ややもして自分の頭(と思える所)に人がやってきました、そして彼らが「やー、良い長めだなぁ」などと言っているのが分かります。
そこで私は理解しました。私は絶壁なのです。
目が覚めて、妻にこの夢の事を話しました。私は主観的に絶壁を体験したのです。妻は私が客観的に見ても絶壁だと述べました。
私はその意味を問いました。妻は笑って答えません。そのうち悟る事が出来るそうです。
というわけで私は悟りの中途段階にあります。この絶壁を登り切った先に何が見えるのか期待しながら。
(つ◇T) 感動すた!
う〜む・・・
いくら考えても衝撃の事実がない
無神論者の俺だが
「神はみなさんの心の中に居ます」
これが究極の答えなんじゃね?
当然、俺の中には居ないのだが
613 :
:2007/09/21(金) 16:40:38 ID:MZHAhfkC
個人的な人間たちの神概念の観測は100前後に書いたけど
みなさんもそのファイリングの中に入った主観たちなんだけど
あとは、宗教的真理が各人にあり
時代などにより、政治的制約にも影響され
科学的数量的事実がそこに重なっていくとね
それらの結論種は、答えを異にしてたりするが
そのどれもが間違いってわけじゃないのだな
そこらへんの同意はまだ浸透してないと思う。
たとえば優秀な科学者であり、敬虔な信者は存在し、教祖の奇跡は疑っていない
個人的には、聖書などの奇跡は、イエスという存在の没人間個からのエスケープ表現だと考えますがね
614 :
:2007/09/21(金) 16:50:11 ID:MZHAhfkC
神とはなにか? それは人間統合の象徴
個別に展開する自由を無分別に容認すると
万人が万人に対する闘争で収集がつかなくなるという視点は聞いたことがあると思う。
人間社会が単位として形成安定した判断は
言語地域の形成である。言語形成に並行して
共通の上位概念が必要になった。それが神である。
615 :
神も仏も名無しさん:2007/09/21(金) 18:01:48 ID:2FPP5/Kt
>>609 最新の研究成果によれば、夢とは、睡眠時における脳細胞の乱れだから、夢に
意味を求める人間は、昼間も脳細胞が乱れているということ。
>>614 神は、「人間統合の象徴」どころか、現実には「人間の分裂の原因」。
内紛が最も多いのが、神を信じる宗教団体。現実をよく見てね。
616 :
神も仏も名無しさん:2007/09/21(金) 18:06:49 ID:2FPP5/Kt
神が自然を作ったのなら、その神を作るほうが、自然を作るよりはるかに
難しい。そんな面倒なことを考えるくらいなら、自然は自生したと考える
ほうが、より合理的。
617 :
:2007/09/21(金) 18:13:12 ID:0Jl9IKzv
>>615 それは統合する存在がバッティングしたからかと
本質の存在自体が分裂の原因でなしに、数種の本質のバッティングが原因の状況かと
>>616 化学的事実をメインフレームにする貴方の主観ですね
主たる思考種を、化学・宗教・政治のどれかにするかで結論が変わってきます。
問題はそれらを統合できる資質が各人にあるかです。化学自分がすべてなら貴方タイプ意見のみ人間になるのでしょうけどね
618 :
神も仏も名無しさん:2007/09/21(金) 18:48:16 ID:2FPP5/Kt
>>617 「数種の本質のバッティング」の原因となるのが、百人百様の概念に過ぎない
「神」なのですよ。
「科学・宗教・政治」のいずれも、「人間の営み」の一部。区別することは
不可能です。
神と名の付くものなら「数種の本質のバッティング」の原因となる、百人百様の概念に過ぎない「神」としてしか扱われない
それが神
何を言っても百人の中のひとり
620 :
神も仏も名無しさん:2007/09/21(金) 23:25:00 ID:mVEypbbJ
・・・
俺が神だけど何か?
名前?‥ヤハウェだょ。
戦争?‥平和って飽きるじゃん。
つーか、皆な無駄に頭いいな‥
世の中そんなに難しくねーのに‥
今?‥チンチンいじってるよ。
誰が俺を作ったって?
そりゃぁオメェ母ちゃんのマンコから
むりむりむりって産まれたんだよ。
むりむりむりむりむり‥スポッ!
621 :
:2007/09/22(土) 00:51:49 ID:nmRYaz2N
>>618-619 人間初期や社会が安定期だったときは
その本質である神が統一されていたわけです。
現在は統一過程といえます。厳密に統一はないでしょうが
オスマントルコのように、イスラム主軸で異教徒共存のように
人権化学民主主義資本主義教を主軸とした
各宗教共存への途中と思われます。
もちろん100年後も戦争あるでしょうし、平和地域は一部でしょうけども
それと政治・宗教・化学は分けることはできません
個人内部で調和させる資質が問われるだけです。
またどれか専門の人間個がいても構いませんけどね
理想で存在してるのは優秀な科学者で、イエスの奇跡も信じるみたいな
622 :
神も仏も名無しさん:2007/09/22(土) 02:26:06 ID:mK6m8QiQ
623 :
神も仏も名無しさん:2007/09/22(土) 04:27:20 ID:U0cGR7h5
だから俺が神だッつッてんだろ!
母ちゃんのまんこから、むりむりむりむりッて産まれたんだッてば!
むりむりむりむりむり
【●】を何であるかを観察する者が人間である以上、
【●】の存在を明かにするには、人間の何が【●】を観察して、
それを【●】と各々が言語をつかって、概念として他人に伝達しているかを
問う事により、【●】はどのような観察者の状態であれば、
【●】の実感をえられるのかが、明かになる。
観察者を同一にすることはできないが、観察者の状態をある条件内で、
一致させることはできる。
人の数だけ感じ方はあるが、人の観察点を一定にすれば、そこから見える
風景(見えるもの、みえないものも含む)も個人の感性内に落ち着く。
この観察方法は、再現可能でしょう。
【●】を感じたり、【●】を観察する際に問題となるのは、
観察点が一定でないという事につきるのです。
同じ場所に立って観察すれば、人間の個体差程度に落ち着き、
目の前の広野がなんであるかはハッキリします。
物質的な例を上げれば、富士山がみえる場所にいけば、だれでも
富士山がみえる。神がみえる場所にいけばだれでも神はみえる。
神の呼び名はどうでもいいでしょうが、目の前に見えている。
富士山でも同様で、山が見えていると言おうが、地球の出っ張りが
みえているといおうが、富士山が見えていると言おうがどうでも良い事でしょう。
そこで、【●】はどんな状態で体験することができるのか?
この観察点を設定する。つまり実験として、個体差を無くして、
条件を整えるのは実験の原則でしょう。
このような実験的な事をすれば、ある条件である限定された結果は
確実に得られます。
心理学はこのような方法で、発展してきた学問でしょう。
ただ、条件が精神であるから見えない。しかし学問として成立している。
鬱病というのがありますが、鬱を神と置き換えても同じです。
鬱は存在しません。これは概念です。
しかし鬱を体験したものは、それが何であり、どのような状態に陥るか
体験共有はできるでしょう。
霊を見た、人玉を見た、UFOを見た、言葉を使わず話をした、予知した等、
このような事は条件が整えば、万人に成立する鬱病と同じカラクリです。
但し、上に上げた実例を何と呼ぶかは、概念という事になります。
しかし、同じ体験をしている場合は、呼び名が違うだけで、体験の共有は可能です。
つまりこうです、精神状態の設定が観察点です。意識の状態といってもよい。
僕らの今の意識は、常識です。常識とは、このような意識を保ちましょう!と
教育や宗教、科学などで、教えられます。
常識とは、知識という概念をつかって、常の意識を教え、伝える伝統文化です。
今の生命に受け継ぐ意識の伝達です。意識が進歩しているというのが人間にとっての
進化の本質です。
もっと極論をいうなら、意識(意識であるものを概念をつかって意識としている)
事態が人間の正体とまずは認める事が第一段階になります。
意識を人間とするならば、その観察点のマッピングも可能になるからです。
今の常識では人間は「人と人との間に存在する何か」のはずですが、
大衆常識は、肉体こそ自分と思っているでしょう。
意識を観察点と設定しない限り、常識外のリアリティーを見ることはできませんし、
そもそも、意識の観察点を一定にするという概念すら創り上げることも
できない。
意識を定義せずとも、個々の人間の意識を一定の条件に整える事は
常識ですでに行っています。それができるなら、二重三重の階層の常識を
創り上げる事も可能です。実際、この社会では横展開はしています。
一般常識、科学的常識、宗教的常識、テイスト、各種業界常識等です。
でも、上下も可能です。例えば、物質界、意識界、思考界、名称未設定ですが、
上下も可能なのです。そのリアリティーからは、同じ時空を共有できるのです。
627 :
【人間の進化の方向性-結論】:2007/09/22(土) 08:52:31 ID:Sdjeog4c
これからの人間は、意識の地図を創り上げる。
これは学校教育でいえば、一年は、これくらいできる。2年はコレくらい…などです。
その上で、それらの意識状態の向上を目差す。
実はこれは意識の階層を明かにすることですから、個である我の進化状態も
あきらかにすることになります。この意識のマップが基本になった社会は、
絶対的な上下関係ができあがる社会ですから、同列意識上での争いは起きないでしょう。
下位意識では対立がおきますが、上位にいけばいくほど、調和方向に向かいます。
すでに、客観的に観察すれば、個々の意識の上下はすでに存在してしまっています。
これを認めるか、認めないかが人間に問われているだけの事でしょう。
認めてしまえば、下の人間は下で、上の人間は上です。
●万人は命に置いて平等でも、意識の進歩段階では上下がある。
●意識の伝達は、上から下に今でも流れている。
そのピラミッドの上位を神と名付けてもべつにどうってことない。
どのみち、言葉の世界観を超えれば概念が存在しようもなくなりますから、
言葉の無い世界に移行するだけでしょう。常識から観察すれば、
神を超える事が、次元の飛躍ですね。しかし単に観察点の移行だけです。
【●】は【●】であり富士山は富士山であり神は神
【●】が神になるのなら、富士山も神になる
言語で正確に記述することが難しいことはあるが何を指すのか誰にもわからないのだから名前をつけなくとも困ることはない
629 :
神も仏も名無しさん:2007/09/22(土) 09:02:15 ID:Sdjeog4c
神を超える事は実は、容易いのでです。黙ればいいのです。
黙る。想念自体も黙る。視覚も一点に縛られず、黙る。
耳も黙る。感覚も身体無いで騒ぐのではなく、黙る。
できれば、全体が自分ととけ込む体験に近づきますから、
そこに外部から個が介入すれば、その個の正体が自分か自分でないかが
はっきりします。
神を超えるの「神」がなんなのかわからないのだから
黙ったところで神を超えているなどにはならない
外部からの個だと感じるものはもうひとりの自分
631 :
神も仏も名無しさん:2007/09/22(土) 09:13:01 ID:Sdjeog4c
>>630 でっちあげずに、黙ればいいだけの事でしょう。
632 :
神も仏も名無しさん:2007/09/22(土) 09:24:55 ID:Sdjeog4c
少々乱暴な言い方をすれば、神などは殺してしまえばいいのです。
それも徹底的にです。息の根まで根絶させるのです。
すれば、静寂が在ります。とても静かです。
静かな静寂な時空を想像してみてください。
今、端末の前にいますが、外部から音が聞こえ、
微振動を感じ、呼吸、心臓の鼓動も在ります。
そして何かを見ている。
一方で、忙しく騒ぐ想念がある。その想念に悪魔である神が住み着いているのです。
想念を殺したら、リアルである神がいるかどうかの冒険の準備ができたという事
になります。
これがつまるところ、概念である神を超えた第一歩です。
>>631 でっちあげずに黙れば神を超える事になるのかな?
>>632 まあなんにしても神じゃないのならいいよ
概念である神を超えたところで神になるわけではない
【●】なら【●】と呼べばいい
神でないのならそれでよい
俺が万能神・絶対神になったら
詳しく説明してやっから
それまで少し待ってれ
っつうか、なり方教えれ
根本的に神に関する取り扱いは、死ねば解るので、
多くの人は、日常生活とかけ離れた出来事に感じ、
あまり洞察もしないでしょう。生きるのに必要はないです。
これは何を意味するかといえば、死ねば解るのであれば
生まれれば覚えているという事なのです。
ようは、記憶のより所をどこにおいている意識で毎日
その人が生活しているかにつきるのです。
たとえ、生以前を覚えていなくとも、自分を超えた、
つまりここでは、自分のコントロール外の力と自分の
行いとの共同作業で行わざるをえない事態に毎日直面
している人なら、なんらかの外部の力を認めざるを得ない。
農家の人であれば、自分の力だけで作物が育つなどという
高慢な考えは持っていない。勝負の世界においても、時の
運というものがあり、ビジネス界にもチャンスというタイミングも
ある。一人の人間でできうる限界などは、計画として、あるいは目的という
方向性である意思の結論が出た時点で、孤立的な力である。
実際の意思の試行の結果がでた時点では自分と何らかの力の共同作業の事実を
目の当たりにする。しかし、孤立的な力のみ認識している段階の認知者であれば、
自分の力であると勘違いする。
自分のコントロール下で生きている人の場合は、安全に生きているといえるが、
実際は幸不幸の確立は1/2です。
実は、この認知の仕方は、社会制度内でも厳密にやってはならない事であるはず
なのです。皆さんが、自動車運転する自動車などは、「こうであろう!」では
なく、「こうかもしれない?」という発想でなければならない。
交通事故は、常に事故を起こす人の認知力の範囲を超えた出来事で起こる。
知っており、さらに事故をわざわざ起こす人はあまり居ない。
もしそれでも起こす場合は、なんらかの別の認知に基づいた行為でしょう。
結論はこうです。
神とはこうであろう!では事故を起こす。つまり人間でいえば、病や苦しみ。
※このケースでは神は居ない。そして偶然が存在していると信じている。
神はこうであるかもしれない?ならば、事故を起こすかもしれないし、
苦しむかもしれないし、病気になるかもしれないから、注意する。
※このケースでは行動の結果は、自己責任であるから人間的に成長する。
実に単純な事なのです。
元々目覚めていない、忘れている意識である無意識や潜在的な意識を
意識するには、認知を日常の意識に置く「こうである!」という発想から
「こうであるかもしれない?」に変えるだけでよいのです。
「こうであるかもしれない?」に変えるだけで、潜在的にもっている知識である
叡智の利用が可能になるというだけの事です。
これは学問を鵜呑みにすれば、学問に支配され、学問を一側面からの
観察とすれば、かもしれないの一つであるのが学問であることを悟るという事です。
そして叡智は、学ばなくとも知っているという状態です。これを学問では、直感などと
いいますが、実は、その人の意識の段階である生の成長度合いです。
これが意識のヒエラルキーを現す上下関係の現れです。
どの社会、どの現場でも「勘」がよいものが常に生き残ってゆくという事です。
学問は勘を鍛えるものですが、他から学ぶ事を卒業できない人は、勘を退化させつづける。
638 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 07:10:51 ID:5UVvfNrp
今、目の前で起こっている事がなんであるかは、
勘がいい人は、知っています。
勘が悪い人は、知らない。
この世の中は、色々な認知段階の人がいます。
そんだけの事です。
勘を磨く為に、様々な教えがありますが、
教え事態を鵜呑みにするのが、勘を信じない者のすることで、
教えを信ずる者であり、
教えを実行して、勘を磨いてゆくものは、勘がますます
磨かれる。それだけの事です。
その結果、進化段階のある段階で、なんらかの自分を超えた意識と
遭遇する。それを何と呼ぼうね?というのが神のようなものでしょう。
639 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 07:18:27 ID:5UVvfNrp
病気は100%自分の責任です。でなければ寿命でしょう。
人との出会いも、自分の環境も自己責任。
さらに言えば、この時代に、この場所にうまれたのも自己責任。
これを認める事が、自分を認める事です。これを自覚といいます。
大抵の教えはこの自覚あっての伝承内容です。
640 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 07:29:03 ID:2DSBZWPT
神様の神様だろ
常識的に考えて
偶然は存在しないが
神も存在しない
偶然が存在すると信じる人もいれば
神が存在していると信じる人もいる
どちらも精神面ではどっこいどっこい
「神」はこうであるかもしれない?などと「神」を使わなくとも(別の言葉でも)自己責任であることはわかるのだから人間的に成長できる
実に単純な事
得に珍しいことではない
誰にでも備わっている
知る(思い出す)ことで存在するのであれば神ではない
神がいるとすれば絶対だろう
条件など必要ない
642 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 09:34:55 ID:p0IY+zcQ
何も存在しないと断定するなら、根拠があるものが
いかに愚かしいか解ると思う。
根拠ないものだけが、実は本当の事を指し示している。
「知る(思い出す)ことで存在するのであれば神ではない」等と
特定な事柄を否定し、別の断定する人もいるが、
それを言っている本人もその一部であることを見逃していると
言わざるを得ない。
「知る(思い出す)ことで存在するのであれば神ではない」
のであるなら、それを考え、言うのは誰なのか?という
自分が抜け落ちている。
つまり「神になってしまっている」状態の人がよく言う傾向がある。
643 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 09:38:24 ID:p0IY+zcQ
新たに創造することは、無限であるが、
創造したものに対して矛盾を追及する行為自体が矛盾なのですから、
否定者は常に創造者の後手に回るという原則は、いつでも
どこでも繰り返されている。
だから大衆は常に否定から始まるのです。
644 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 09:49:44 ID:p0IY+zcQ
創造されたものを否定する者がもっとも恐れるものは、
創造者です。
とても簡単な理屈です。
「無かったことにしたい」のです。
この素朴な欲求のままに生きる。
いわば、小さな神に成り下がるのが、人間が陥りがちな、
傲慢という一つの心の癖です。
大衆とはそういうものです。その一部に人々は生きているのですが、
そこに属しながら、別の次元に住む事も可能なのです。
645 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 09:52:38 ID:p0IY+zcQ
心理学で言う、集合的無意識の有無が問題なのではなく、
集合的無意識の中にどっぷりつかって、それと一体化している
マシンのような反応を繰り返す不自由な精神に問題があるのであって、
人間はそこから自由になれるのです。
但し、その自由が在ると自覚できれば…。
あるいは、ここに機械的反応しかできない自分が居ると悟れば…。
646 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 10:21:22 ID:p0IY+zcQ
永久機関と言われる原理、人間を現意識から自由にする方向性に導くある物
現在の矛盾を解決するある何か。そういったものは既に在ります。
ようは、まだ認める人が少数ですから、大衆に浸透しないため使用できない
だけの事です。創造レベルで既に起こっているものは、実は、すでに実現して
しまっている段階の事で、また、個人においては、その自分の創造を越える事を
認める事も認知することもできません。
人生を長いとするならば、自分が創造できうる事は総て実現します。
それはオカルトであってもなんであってもです。あらゆる個人の創造は
個人の感覚において確実に達成されてしまいます。
つまり飛べる創造をした人が飛んでいるんです。
他人を否定する事を創造する人は、ずっと人を否定し続け、
最後は病気など人(その人が人の何を否定する癖をもっているかによる)の否定で死ぬ。
心の癖が人生を支配するということです。
単純な構造である原則がこの世界を貫いています。
この因果、因縁、原理はずっと昔から伝えられており、根拠(他人の同意)を欲しがる
科学という信仰者にはとうてい理解できない、抹殺事項であるから、単なる思想にしか
みえないでしょう。
647 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 10:32:10 ID:p0IY+zcQ
僕(因果)の一つの忠告は、
「夢は一つ残らず実現してしまうから気をつけろ!」です。
648 :
:2007/09/24(月) 14:21:13 ID:yGv4JYIP
集合的無意識は、
物質精神双方安定した社会が三十年は続いた中で共有されたものだと思う。
それは個人的資質での無意識は別で二段階あると思う。シツケ期間ともいえる。
第一段階は、地雷女系白雪姫の深層心理で三歳までの環境で形成される。
第二段階は三歳から第二反抗期までに形成される、その期間にすりこまれた思考パターンと基本価値観であり、教育分野ともいえる。
発言者が決まったパターンで地雷炸裂したり、トータルで矛盾をはらんでいたりするのはこの部分を点検したほうがいい。
ちなみに宗教概念でもこれらの影響の下にいる。点検したほうがいいかも
それらは無意識に自動実行されるというぼトムネックになっておる。
649 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 14:58:53 ID:p0IY+zcQ
面白いです。続けてください。
神だと決め付けから始まっていれば何を言っても神だろ
なぜそれが神なのかがまったく語られないのであればただの空言
なぜ神を持ち出すのか
誰でも知っているごくごく普通のこと
特別なものだと勘違いすれば「これが神か」と勘違いもあるかもだが
上下関係は見える側と見えない側がある
652 :
:2007/09/24(月) 17:02:35 ID:p+XeqZnw
神概念の中にいるものを形成し、同時にそれが人間形成だった。
神概念の中に専属の者は神が神そのものの存在
神概念を有しながらも、外部からと他者の違う神概念を観察できるものが現在人の標準であり
宗教概念・政治判断・化学教を自身の内部で調和させているもの
安易な神否定のものは、新たな科学教にそまった
ネオ神概念専属であり、人間形成も言語形成もわかってない非化学的矛盾の存在と
653 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 17:03:18 ID:9xv4+4D5
何言ってんの?
馬鹿じゃない?
654 :
:2007/09/24(月) 17:10:35 ID:p+XeqZnw
>>653 なにがどうバカで本来はこうなのではと
体系的な意見があればどうぞ
下から上は見えない
656 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 17:20:37 ID:9xv4+4D5
ちなみにジャンプ最全盛期(?)と言われる、600万部(1991年時)の頃の
主な連載陣
ドラゴンボール・・・・・・・・・・・・・・鳥山明
スラムダンク・・・・・・・・・・・・・・・井上雄彦
ろくでなしBLUES・・・・・・・・・・・森田まさのり
ドラゴンクエスト ダイの大冒険・・・・・・三条陸/稲田浩司/堀井雄二
シティーハンター・・・・・・・・・・・・・北条司
花の慶次-雲のかなたに-・・・・・・・・・・原哲夫/隆慶一郎
ジョジョの奇妙な冒険-第3部-空条承太郎・・荒木飛呂彦
魁!男塾・・・・・・・・・・・・・・・・・宮下あきら
まじかるタルるートくん・・・・・・・・・・江川達也
こちら葛飾区亀有公園前派出所・・・・・・・秋本治
幽遊白書・・・・・・・・・・・・・・・・・富樫義博
電影少女・・・・・・・・・・・・・・・・・桂正和
新ジャングルの王者ターちゃん・・・・・・・徳弘正也
燃える!お兄さん・・・・・・・・・・・・・佐藤正
エース!・・・・・・・・・・・・・・・・・高橋陽一
珍遊記・・・・・・・・・・・・・・・・・・漫画太郎
(週間少年ジャンプ1991年3−4合併号より)
657 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 17:24:03 ID:p0IY+zcQ
「安易な神否定のものは、新たな科学教にそまった ネオ神概念」
ってのは、とてもウイットが利いて面白いと思います。
658 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 17:26:42 ID:p0IY+zcQ
僕は「神」という言葉に過剰反応するその認知方法である
思考パターンに興味があるね。
一つのトリガーを引くと、実に様々な反応がでるんだ。
僕は、
「無意識に自動実行されるというぼトムネックになっておる。」
という表現も大変面白いと思うよ。
659 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 17:29:40 ID:9xv4+4D5
ちなみにジャンプ最全盛期(?)と言われる、600万部(1991年時)の頃の
主な連載陣
ドラゴンボール・・・・・・・・・・・・・・鳥山明
スラムダンク・・・・・・・・・・・・・・・井上雄彦
ろくでなしBLUES・・・・・・・・・・・森田まさのり
ドラゴンクエスト ダイの大冒険・・・・・・三条陸/稲田浩司/堀井雄二
シティーハンター・・・・・・・・・・・・・北条司
花の慶次-雲のかなたに-・・・・・・・・・・原哲夫/隆慶一郎
ジョジョの奇妙な冒険-第3部-空条承太郎・・荒木飛呂彦
魁!男塾・・・・・・・・・・・・・・・・・宮下あきら
まじかるタルるートくん・・・・・・・・・・江川達也
こちら葛飾区亀有公園前派出所・・・・・・・秋本治
幽遊白書・・・・・・・・・・・・・・・・・富樫義博
電影少女・・・・・・・・・・・・・・・・・桂正和
新ジャングルの王者ターちゃん・・・・・・・徳弘正也
燃える!お兄さん・・・・・・・・・・・・・佐藤正
エース!・・・・・・・・・・・・・・・・・高橋陽一
珍遊記・・・・・・・・・・・・・・・・・・漫画太郎
(週間少年ジャンプ1991年3−4合併号より)
660 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 17:40:22 ID:p0IY+zcQ
>>653 自分が、何をどのように、どんな状況で「馬鹿じゃない?」と
言っているのかも解らず、無意識的反応をするサンプルを
神はあなたを通じて、この場に与えてくださったのです。
そして、
>>654で、神は黙示、
>>655で、神は、
下から上、つまり神である私を見ることができないとおっしゃる。
つまり汝自分自身を知れと神はおっしゃる。
661 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 17:41:57 ID:p0IY+zcQ
このように、神は常に全体の流れの中に存在しており、
どのようにでも姿を変えて、今、此処に顕れる。
さて、神とは何でしょう。
>>660 殴って倒して蹴り上げて踏みつける、ちゅう感じの人だね。
663 :
:2007/09/24(月) 18:12:52 ID:p+XeqZnw
化学教の中に専属所属しておるものは、化学が唯一絶対の神ですから
化学井戸を生み出した元までは観測できませんので
かがくまんせーかがくまんせーとサマナ服を着て踊り続けます。
664 :
:2007/09/24(月) 18:34:09 ID:p+XeqZnw
三歳までに形成される白雪姫症状は、程度がひどくなると自爆女となります。
生命危機がゼロ。通常が50.幸福絶頂が100としますと
例えば20−70の間では普通に優秀でマジメだったりします。
OL入社で7カ月目からクラッシュして12カ月で辞めるまで大混乱社員いませんか?
彼女こそ自動実行された自爆女です。三歳までに深層心理が形成されているので
無自覚だし、同じ事を繰り返しても正当化してるので自覚はないのが多いです。
わかりやすいDV後遺症なら対処できるのですがね、魔性の女もそうですね
自爆女かどうかは早くサーチして対処しないと組織はガタガタになります。注意しましょう。
前提概念は他にもあります。善悪概念ですが日本的にはホドホド概念ですし、
罪の文化ですが日本的には恥の文化ですし、異文化との失敗した帰国子女になっているのが
現在日本人かも知れません。
665 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 20:44:37 ID:5UVvfNrp
>>663 たとえが面白いね。
僕なら言うね。
化学教の元は自分である。しかし自分は観測できない。
「かがくまんせーかがくまんせーとサマナ服を着て踊り続けます。」
これはひどい!ひどすぎる!しかし爽快でもある。僕ならマジで斬っちゃう。
このユーモアは見習いたいね。
>>644 確かにおっしゃる通りの出来事に直面するケースをよく見かけます。
僕の場合は、極楽とんぼとブりっこチャンってあだ名を付けています。
自爆女は、確かに組織はガタガタになるけど、そういう自爆女に対応する
自爆男もいて、それと釣り合うので、ガタガタ組織はガタガタと存続しています。
でも最近は、そのような組織じゃ適応できなくなっているような気もします。
善悪の問題は…倫理感、道徳感ですね。
僕の場合は、右にぃ〜習え!整列ぅ〜!っていう文化が日本。
それに乗らないと村八分です。クワバラクワバラです。
でもそんな文化だから、これこそ絶対ってものを見つけ、
そこに右に習えが生じたら、このパワーは凄いだろうね。
「異文化との失敗した帰国子女」ね。僕は、異文化に染まりきれず、
消化統合もできず…(これを失敗というね)流行に右に習えをしてる。
さて流行は誰が創造しているのか?っていう問題がありますね。
>>1 子供が大人に成長するのであって、子供から大人が生まれるのではないよ。
>>666 その説明には無理がありますね。
大人と子供の関係を、神と人との関係に見立てているのでしょうが、
大人というのは子供が成長した結果の謂いです。成長の期間を経ています。
子供が長して、大人になって、子供を生むわけです。
おわかりでしょうか。
もっとわかりやすく言えば、
人の細胞は所詮細胞であって、人間ではないってことね
>>669 一細胞でも人に近づく可能性を秘めているってことさ
それを成長というのだよ
頭でっかちさん^^
皮肉や嫌がらせ抜きで話できんもんか、と思うけど、
まあできひんわけなんやろね。
672 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 21:47:56 ID:5UVvfNrp
ある子供が時を経て、大人に成長する。
ある子供(大人)が別の子供が授かるのが道理。
これは親子関係。
永遠に生きると考え、親子関係はずっと変わらない。
ならば、子から親は絶対に生まれないのも道理。
これは肉の掟ですね。但し、人間がそうであるならば…。
673 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 21:50:16 ID:5UVvfNrp
親は大事にしなくてはならない。
何故ならば、親が無くては、僕はいない。
僕の親の親の親の親が居なくても僕はいない。
でも僕がいなくても先祖は居る。
674 :
神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 21:51:03 ID:5UVvfNrp
但し、その僕も先祖かもしれない…。
うぅ〜ん。なんだろうね。
675 :
:2007/09/24(月) 22:40:24 ID:+x2czeUX
輪廻転生の果てに神になっていくバージョンアップ型神概念でしょうか?
すべての事象はただ起こっているだけ
体験した者が意味を持たせる
何か特別なものを体験したのであれば
それは人の作ったもの
観察者は人だから
神を感じたのであればそれは感じた人の観念に拠るものであって
神だとする事象自体にはもともと意味はない
意味を持たせるのは人
神は人の作ったもの
677 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 10:33:35 ID:Es0g5BcQ
すべての事象はただ起こっているだけですね。
そして、「体験した者が意味を持たせる」のではなく、
体験したものはまず知覚します。そして認知し、
自分の身に起こった出来事であると認識します。
それを他者に向けて発言することは、「説明」といいます。
「説明」に意味はありません。
説明を読んで、それを解釈した者が
「体験した者が意味を持たせる」
「何か特別なものを体験したのであれば それは人の作ったもの 」
「神を感じたのであればそれは感じた人の観念に拠るもの」
という感想を述べるのです。もちろん感想にも意味はありませんが。
感想は他者と自分との考えの相違から起こる自動反応でしょう。
つまり、
>>664で説明されているようなサンプル的行為そのものです。
678 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 11:01:29 ID:Es0g5BcQ
概念的に神を考察する上でもとても面白いのですが、
絶対があって、対立概念がある。
そしてその対立概念自体が下位対立概念の絶対に君臨し、
それが永遠と入れ子状で概念空間を構築する。
これは想像力がいるので、図解すると、
┌─絶対─ …
┌─絶対─│
│ └─絶対─ …
絶対─│(対立)
│ ┌─絶対
└─絶対─│(対立)┌─絶対 …
└─絶対─│(対立
└─絶対 …
概念は常に絶対という前提があって三位一体で形成されているので、
対立的な立場に立った瞬間、絶対を見失う。
知覚した段階で自身の意味付けが生じる
説明を読んだ者の解釈は関係ない
感想は感想であって別の観念が働くもの
知覚した自身は自身なりの意味付けをする
その意味を他が知ることはできないが、意味付けしたことは事実
人が意味付けをするのであれば神(神でなくとも)は人の作ったもの
説明を持ち出しても観察者の体験は変わらない
680 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 11:05:03 ID:Es0g5BcQ
概念は常に絶対という前提があって三位一体で形成されている事実と
ちゃんと直面すれば、否定することは、肯定することになる。
否定者・肯定者は、その前提概念を見失うという事実が概念的に
よく理解できると思う。
概念は空間に存在する信念の嵐のようなもので、
防御する場合に絶対にしてはならないことは、対立である。
つまり別の言い方でいえば、生き霊に対抗してはならない。
681 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 11:22:41 ID:Es0g5BcQ
概念を個人的に形成するのは「個」である。
それに対極するのが、「全体」である。
全体は「個」を含む。
個は個でしかない。あるいは、全体は全体でしかないという対立が起こるが、
それを含む概念は、個は全体の一部であり、全体は一部なくしては全体として
機能できない。
つまり個の視点でいうなら、個は全体の一部であるから、その中心にいけば
いくほど、全体像を把握する。これが個の成長の概念的モデルでしょう。
個と全体の繋がりの断絶が起こっている段階の立場では、個は個でしかないという
考えにとどまる。そのような段階の観点では、全体に概念が展開せず、個と個である
対立概念が支配的になる。よって「である」「でない」という断定を概念としてではなく、
同化して用いる。つまりそうである、そうでないと本気で、思いこんでいる。
これはごく自然な現象でしょう。
682 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 11:45:18 ID:Es0g5BcQ
個であり全体でもある感覚が芽生えていない段階では、また想像することすら
できない段階では、「人は所詮一人で生き、一人で死ぬ」「だれも助けてくれない」
そういった被害者的な観点から孤立意識のとりことなるが、一つの段階として、
人と人との支え合い等の体験をしたり、ふれ合いという体験をしたならば、
そういったセンチメンタルな感情を卒業し、理性的に、全体と個の繋がりを
認知・認識できるようになる。
これは生命全体に及んでいる。
これは誰でも通る段階で、想像できる、あるいは思い出したという事は、
意識的消却にすぎないが、しかし全く想像も概念形成もできないという事であれば、
未体験であるから、今後が楽しみでしょう。
683 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 12:13:58 ID:Es0g5BcQ
人間であれば「知覚した段階で自身の意味付けが生じる」
はずがないのです。
知覚を記憶する段階で生じるのです。
「知覚した段階で自身の意味付けが生じる」ならば、
それは知覚ではなく、認識ですから必ずしも感覚を
通していないといえます。まさに概念の世界の出来事になります。
この考えであるならば、今目の前の出来事をありのままに
みることはできないでしょう。
なぜならば、この文章そのものが単なる光ですからね。
なんらかの反応をするならば、意味付をするのは、すくなくとも
僕ではないです。
さて、これは実験です。他者の反応を待ちましょう!
回りくどくて結局何が言いたいのかよくわからない。
>なぜならば、この文章そのものが単なる光ですからね。
>なんらかの反応をするならば、意味付をするのは、すくなくとも
>僕ではないです。
その通り
だが、「この文章」に反応したことと神を体験したこととは無関係
神であれなんであれ意味付けをしたのは体験者
その説明に対しての認識は別物
体験したことの説明に対しての解釈と体験自体は別物
どのような体験も観念に拠るものであれば神だろうとなんだろうと人の作ったもの
神を体験したことは事実だろうが、その事実は己の作ったもの
もとに意味などない
刺激を感じ取り意味づけすることが知覚
687 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 12:50:42 ID:Es0g5BcQ
思いこんでいる神など、殺してしまえばいいでしょう。
簡単な事です。
そして再び言いましょうか。
神は存在してしまっている。
688 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 12:53:54 ID:Es0g5BcQ
そして、神は次ぎの人の発言により、定義される。
神はその人を通じてまた顕れる。
だから僕は殺してしまえばいいとまた言う。
689 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 12:55:19 ID:Es0g5BcQ
もうそろそろ、誰が神か解ってきてもよい頃なんだが…。
690 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 12:56:28 ID:Es0g5BcQ
数少ない閲覧者のみなさん、次ぎの方が神を創造されます。
神を通じてね。
691 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 12:59:04 ID:Es0g5BcQ
人間を作ったのは神様なら神様を作ったのはだれ?
それは…。
↓
神様〜?
そんなの、エロチャンの半角に行けば、沢山いるぞ
あなたですよ
神の存在を信じるものには人を造った神が存在する
その存在を作ったのは自分であることに気付かないが
695 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 13:12:38 ID:Es0g5BcQ
「神の存在を信じるものには人を造った神が存在する」
やはり存在しました。
そう信じる者には存在する
誰が作ったかといえば存在を感じる人が作っている
神様を作った(作っている)のは人間
697 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 13:23:54 ID:Es0g5BcQ
人間を作ったのは神様なら神様を作ったのはだれ?
それは…。
↓
698 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 13:31:31 ID:Es0g5BcQ
発見者と同時に目撃者が出現します。
体験レポートをどうぞ!
↓
699 :
楼蘭:2007/09/25(火) 13:43:01 ID:kzUNuYS4
>>683 知覚を抽象化する為の機能として丸中氏と私は生得的な言語を想定しています。
そして私は、人間の言語は人間とは別に存在する創造者によって、人間に与えられた物と考えています。ですから私は、知覚の意味づけ自体神が人に供えられた機能と理解しています。
ところで、この意味づけという言葉ですが、考慮するに当たってどの位のレベルの事を述べているのかが気になります。
人種偏見のように自分の努力である程度克服できるものについてでしょうか?それとも、視覚の空間認識のように、知覚と認識がほぼ切り離せない分野にまで話が及ぶのでしょうか?
人間を作ったのは神様なら神様を作ったのはだれ?
それは…。
↓
人間を作ったのは神様だと思う人
発見者と同時に目撃者が出現します。
体験レポートをどうぞ!
↓
発見者が目撃者
体験は常にしている
あなたも私も
これを見て感じることがあなたの体験
りんごを見て神様だと言ってるのも同じこと
702 :
楼蘭:2007/09/25(火) 14:24:47 ID:kzUNuYS4
>700
しかしですね先生。しかしですよ。
体験と初体験は違います。
703 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 14:33:31 ID:Es0g5BcQ
>>699 僕たちは言語は音として知覚しますが、音は空間に広がる響きです。
その響きは人間の知覚など取るに足らないほどの量でしょう。なにからなにまで響いている。
僕ら人間の受信能力は制限されて、その範囲で人間どおしで個体差は多少ありますが響きを共有できます。
先天的な響きの波長の意味の例として、「はっ」とか「あっ」とか「ぎゃー」とか単純な無意識に
はっせられる万国共通の言語ともいえない言語がありますが、これは何かを感じたときの身体的反応が
急激な呼吸の排出によって出てきて、声帯を通過したときに鳴る音です。これが言葉のルーツでしょう。
言語のルーツは呼吸音です。そういう意味では体が自然に出す音という事で神の仕業と表現してもいいかと
思います。叫び声などを聞けば、難しい事を考えずとも、体が先に反応します。
そして音の響きで距離を隔てた相手と意思疎通をするのは、俗語のテレパシーと同じでしょう。
受け手と出し手が同じ感覚を共有すれば、どんな言語だろうと合図だろうと意思疎通は可能です。
言葉自体は響かないですが、響きは言葉によって人間は想像できますから、このように
文字を読む事で、想像上の響きを聞き手内部でこしらえています。
そしてその意味は、教育と経験によるものです。偏見だらけですが、偏見なくして意思疎通は不可能です。
但し、偏見を使って話すのと、偏見に支配されて話すのとでは天地の差があります。
言語に響きはありませんが、言語から想像する響きから、反射的に反応して身体感覚を想像上で
こしらえて、その感覚を受け取るというのが、言語、つまり概念をつかった意思疎通です。
知覚と人がいうとき、知覚自体は、単なるマシンですから、僕らは本当の知覚をしていません。
知覚+補正(想像)で補って外部を認知している以上、他者との相違は免れません。
単純な区別なら難なくできますが、区別が細分化されると意思疎通は誤解の量が増えます。
とりあえず、僕の言語と身体との関係を述べました。
704 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 14:41:32 ID:Es0g5BcQ
705 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 15:12:12 ID:Es0g5BcQ
あらゆる場所で、あらゆる世界で行われている意思疎通は、
境地の伝達です。
偏見というのは、言葉を鵜呑みにしたり、概念を鵜呑みにしたり、
論理や話の筋道にその真相をとらえそれをリアルとすり替える行為ですが…。
極端な話しですが、相手の話など聞かなくても解ります。
それには、前提であるその人自身の動機を知っている場合に限ります。
動機さえ押さえれば、何を話してもどのように話しても、
それは見てくれで、境地すなわち人として、ある視点から
みた世界観の観察表現という枠を越えられない事はおわかり頂けると思います。
僕の動機はとても単純です。今此処はリアルである。このだれにでも
当てはまる前提ですから、概念空間の入る余地がまったくないという事です。
つまり信念も入る余地もない。在るのは、未確定事項と可能性と今だけです。
このような分別ができれば、自他の境界ができ、神のバリヤーが発生し、
今という次元に確実にアース状態になりますから…。
(例えです・多少の遊びは憶測を発生させ会話が弾む)
境界が設定され守られます。
706 :
楼蘭:2007/09/25(火) 15:19:27 ID:kzUNuYS4
>703
そして音の響きで距離を〜
以降の文には概ね同意します。
それ以前の文については異論もありますが、この後お考えの話の展開にとってそれほど重要な要素ではないと言う事でしたら、まず先にそのお話を伺いたいと思います。
707 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 15:37:49 ID:Es0g5BcQ
上の文章は、戯言ですので、他意はないです。
どうぞ、異論部分はご遠慮なく、明らかにしてください。
708 :
楼蘭:2007/09/25(火) 16:00:25 ID:kzUNuYS4
>707
どうも。
>これが言葉のルーツでしょう。
'ルーツ'が人個人の発達について述べておられるのか、人間と言う種の進化について述べておられるのかによって話は違って来ると思いますが、
文脈から、個人の言語能力取得についての比重が多いと感じます。
人の言語能力についてですが、文法を取得する能力事態が生得的なものだという説が有ります。
>叫び声などを聞けば〜
笑い声や危険な時の叫びなど具体的な状況、ポポー、食べたいなどの単語や単純な動詞などは、おそらくその説明で足りると思います。
ただ、人には文法理解の能力が有り、単語を並べて概念を作り、意思疎通を行う事が出来ます。この文法理解の能力がどうも、人間の生得的な能力のようなのです。
>>702 いつでも初体験ですよ
>>704 体験レポートなど関係ないですよ
体験はその人のもの
その人の観念により意味付けをする
神であれなんであれその人の観念でしかない
レポート後は別の話です
710 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 16:42:50 ID:Es0g5BcQ
>>708 僕の観察記録ですから、すべて僕がこれまでみてきた。個人達の言語能力取得に
ついての実感説明です。
人の言語能力について、「文法を取得する能力事態が生得的なもの」だという説
については、一つの可能性として、僕の観察の検証に役立てたいと思います。
ただ、文法を知ってもしゃべれませんから、元からあるとするならば、
文法に含まれるなんらかの波長的なものの共有が可能であるのかな?という
可能性のみ仮説しています。
例えでいえば、ミュージシャンがアドリブで楽器を演奏して、それに
アドリブで答える。これはコミニュケーションです、楽器が弾ければできるという
わけではありません。これと同じ理屈です。
「文法理解の能力」に僕が対応する意味を述べるならば、まだこれだ!とは
いえる段階ではありませんが、
「文法に含まれるなんらかの波長的なものの共有が可能」という事になります。
僕の興味はむしろ言語は見てくれで、実は言語という道具をつかう事によって、
共感作用に集中する。そうする事によって、共感作用を起こしているのではないか
と考えています。
711 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 17:00:21 ID:Es0g5BcQ
712 :
:2007/09/25(火) 20:08:11 ID:46a3dI7I
主観たちの絶対視主張が続いていますか?
ありがちな主観種はファイリングと閲覧がよろしいかと
713 :
神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 21:28:34 ID:UKRZI5Uu
人間なんかバカなんだから。
いくら考えても無駄。
714 :
:2007/09/25(火) 22:47:54 ID:vfG6pI+m
主観を外部からファイリングされたりすると
個の主観=全ての方は、気分が悪くなるようです。
汝と我の会話を参考に主観を意識しますといいかもですが
社会的無意識と個人的シツケ期間無意識と個人的教育期間無意識に翻弄されていますので
割と、ひとりの人間としての体系的思考としてのありえない組み合わせもよくあります。
そこで、汝と我の会話のあとに、ソクラテス無知の知までたどり着けば大したものかと思われます。
そうすれば、人間形成期の共有概念を求めた黎明期をトレースしはじめて
初めて可能性が出てくると思われます。
>>711 発信者などはいませんよ
体験をした人が意味付けをする
その意味を正確に人に伝えることは不可能
発信しても届かない
受け手から見れば発信者はいない
レポートを見ても受けての観念が働くだけのことだから
発信者が誰でも何をどう体験しようが何を感じようがその人の観念の表れでしかない
体験した人はその人の観念が表れる
レポートを見た人はその人の観念が表れる
発信者が誰であろうと同じこと
観念の表れでしかない
ここで言葉のやり取りをしているつもりでも
相手は自分
716 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 03:32:41 ID:vKRHlwWq
以前幻聴に苦しめられたときあまりのうるささに思わず
「神様…」と念じたところ
「神様はあなたでしょ。クスクス…」と幻聴に言われました。
なんべん神に救いをもとめても必ず「神様はあなたじゃない」とか言われます。
それ以来幻聴が聞こえなくなったいまでも内心自分は神様なんだと思ってます。
なんのご利益もありませんが。
そんな俺は立派な統合失調症w
717 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 09:11:25 ID:RitPbqPf
718 :
楼蘭:2007/09/26(水) 09:41:10 ID:LVriCQaQ
>717
これは、経典の筆者と神との関係について述べておられるのでしょうか?
719 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 09:46:29 ID:RitPbqPf
>>718 単純な事ですよ。誰が誰にむかって話しているか
解っていない、つまり自他の境界を曖昧にして、
言論の責任の主人公を見てくれの客観に置き換えるという
手法を排除するために、発言者を特定するために尋ねるだけです。
720 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 09:54:36 ID:RitPbqPf
>>718 何故、そのような行為に、僕が及ぶかといえば、
>>712 >>714 などで、述べられているような事なのですが、
僕は、ほおっておかない人というだけです。
落っこちていたゴミ(良心から)はちゃんと拾う。そう在りたい人です。
721 :
楼蘭:2007/09/26(水) 10:21:02 ID:LVriCQaQ
>720
私はEINSAM氏の意見に同意している訳ではないのですが、でも
彼が自身の内なる何かと会話出来る事とか、宗教は人が考えた物だという意見を聞いているので、まあ発言の意図というか立ち位置は理解出来ます。
私はそれより、ごみ拾いに忙しくてあなたの本来の発言が止まってしまっている事を残念に思います。
722 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 10:44:47 ID:RitPbqPf
>>721 僕は一つ一つ確実に進めて行くことで、今、見聞きできる事の
取りこぼしなく行うという成長方法です。
前向きな議論には応じますが、それには、立場を明確にしてこそ、
なりたつという考えです。
漠然とした主役のない抽象的現象のみを語るならば、
本をよめばよいし、この世界が無意味であるならば、
何も語る必要はないのです。
しかし、それを語るというならば、立場は発言には
必要だと思います。つまり僕はお化けは嫌いって事です。
お化けがいたら、居る場所に帰れ!というだけです。
ここは地上であり、発言は発言者が当たり前に発言している
前提でこそ意見交換がなりたつと、当たり前に考える者です。
僕が考えるから僕の意見。他人が考えたなら他人の意見なのです。
これが崩れたら話しになりません。
723 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 11:11:42 ID:RitPbqPf
お化けには正体があり、本性があります。
お化けは裸を嫌うのです。裸になれば正体が明らかになるからです。
これはオカルトでもなんでもなく、お化けとお化けが
お話をしたら、バーチャル空間の完成です。
しかしこれは冗談ではなく、何らかの存在が二人お化けを
つくったら、もう世界ができてしまう。
最初は何もなかったが、こんどはその二人がまたお化けをつくり、
どんどん世界は広がってゆく。
まさに今、この世界も、今、想像しうる方法で創られていて、
その縮図は今、どこにでも観察可能だと僕は考えます。
ミクロを見れば宇宙の縮図があるし、惑星をみればミクロの
拡大版がある。人間関係をみても中心があり。流星もある。
どこを見渡しても、観る目さえあれば、構造・原理・原則は
貫かれている事は観察できる。僕の役目は、僕という一つの
観点であって、それに僕という人格を創り、目に見える文字に
して発信している。僕もお化けではありますが、みせかけ
僕が主張しているから、実体化させているのです。
724 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 11:31:36 ID:RitPbqPf
僕らが慣れ親しんだ、社会制度や人工物にも必ず存在するのが
創造主です。ここにも原理原則が働いており、まず、発案者がいる。
発案者が発案したら、計画者がでてきて、作業者が作業する。
その段階段階でも発案者がおり、行動計画と実行をする。
創造主はどこにいるか?という問いは、何処にでもいるです。
そして問うべき事といえば、創造主である発案者の創造の源は
どこに在るかといえば、それは、創造主がどこにでもいるならば、
時空のどこにでも居るという原理原則と一致させて考えるだけで
よいと僕は思うのですが。
そして思ったなら、自分でそれを確かめればよく、
確かめれば、自分の創造の源、つまり直感とかインスピレーションの
出所が明らかになってくる。というよりも思い出すという事です。
それが生前か生後かの区別もあるでしょうし、外部からの働きかけかの
区別もあるでしょう。
725 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 11:40:22 ID:RitPbqPf
問題は、僕のこの創造である発言の源と、その発信のタイミングですが、
これは人間には予測不能でしょう。完璧なタイミングで…。というより
上位の創造主の原理原則にのっとった自由しか僕にはないからです。
僕は、その役割の一部を背負っているという事になります。
書かせる動機として、僕の上位創造主は、なんらかの欲求を起こさせる為に
なにか手段をでっち上げるはずです。僕はそれに無意識に反応しながらも、
内省することにより、創造主の意図を読み解く楽しみに明け暮れるという訳です。
まったく僕って馬鹿だなと思いますが、同時に上位創造主は凄い!と思います。
しかし、これは創造主を持ち上げる態度です。僕の上位創造主はそのような
センチメンタルに支配されるのではなく、使う事でしょう。ならば、僕は
僕は創造主に感謝という感情で、対応することが、中庸としてふさわしい態度だと
思うわけです。つまり無難っていうことです。
726 :
楼蘭:2007/09/26(水) 11:53:12 ID:LVriCQaQ
>725
興味深いお話です。
人が作った機械は大抵その人の作成の意図どおり、少なくとも作ったとおりに動作します。現在の人間社会もこれと同じように上位創造者の意図どおりになっているという事でしょうか?
また、人が機会を作る際には何らかの目的が有ります。
上位創造者にも何か目的が有って、下位の創造物に対して行動していると考えられますか?
「エルカンターレ」という神様を作ったのは、徳島県は麻植郡川島町という片田舎出身で東大を出ていることだけを取り柄として生きている、
元トーメンのダメ社員だった男。
信者に対してはすぐにバチを当ててくださる素晴しい神様。
少し教団を批判したら「これは和合僧破戒の重罪だ! 殺人にまさる重罪だ!!」と、すぐに喚きたてて、
音羽にある大手の出版社に示威行動を起こした前歴を持つ。
小児的な人間性にあこがれる方は、是非とも「主・エルカンターレ」に帰依しよう!
729 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 12:52:18 ID:RitPbqPf
730 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 12:57:05 ID:QCK3/t+m
一つの方程式
731 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 13:00:52 ID:QCK3/t+m
愛。
そして生と死。
732 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 13:09:00 ID:RitPbqPf
>>726 現在の人間社会も上位創造者の意図どおりでなないでしょうか。
それを確かめるには、自分が誰の言いなりか?
あるいは、何を恐れているか?と問うだけで自分で確認できます。
上位創造者にも何か目的があったのか?という問いですが、
「創造する事」というとても当たり前の事になりますが、
それでは人間の理解としては、漠然としすぎるでしょうから、
「進化と多様性の創造」とか「成長」とかでしょう。
そして個においては、創造のどの部分を受け持っているのか?
という問いが自分の使命を悟る事という事になります。
このように僕は観察しました。
733 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 13:16:39 ID:RitPbqPf
誤解なきようにしておきたいので、追加しますが、
創造とは、今という瞬間からいえば変化に相当します。
よって、消すことも創造ですし、増やすことも創造ですし、
生むことも、爆破させることも、殺す事もすべて創造です。
ここに感情的なものはありませんが、感情を使った創造はあります。
734 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 13:27:06 ID:RitPbqPf
>>726 普遍化、一般化した人間を主人公にした文章のほうが
理解しやすいよ。と、いうことならば、そのような
表現に置き換えますよ。
>>729 私の書き込みをどう解釈するかはあなたです
発信者が誰なのかは関係ありません
誰かの書き込みを読んで解釈して返事をする
自分で解釈して自分で返事する
相手がいるようでも自分だけなんです
どのような事象も己の観念によって具現化されたもの
もとに意味はありません
勝手な解釈で感情的になったり神が存在したり
736 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 14:15:17 ID:RitPbqPf
737 :
楼蘭:2007/09/26(水) 14:22:38 ID:LVriCQaQ
>734
ありがとうございます。
成長する森と言うシステムにおける蟻の役割を探ると言った所でしょうか?
もし私が勘違いをしていなければ、あなたは以前、ご自身の目標は天国へ行く事だと述べていたと思います。蟻が死んで木が芽生えると言った所でしょうか。個人として次のステージに進むというのは理解できます。
全体として、進化の果てという物は有るのでしょうか?また、全ての物事の始まりと言う物は有りますか?
738 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 14:42:31 ID:RitPbqPf
>>737 はい、ご記憶の通り、僕は天国に生きます。
ところで、これは冗談というか余談ですが、
人は漠然と「帰る」といいます。その時、思い浮かべるのは、
家であったり、何処かでしょう。僕が帰りたいっていうときは、
もちろん家ですが、時々冗談で、「帰る!天国に!」と言ったりします。
これは帰る場所は心地よいという事を人は漠然としっているのかな?と
思ったりもします。
余談でした。
全体としての進化の果て、すなわち終わりはあるか?という問題は、
在るともいえるし無いともいえる。つまり一つの階層は別の階層の
一部で、それが永遠とミクロからマクロまで続いて、そしてその
創造しうる範囲すべても、別の階層の一部として変化し続けるという
のが時系列でみた進化のイメージです。
だから一つの階層の果てというものはないでしょうが、境目のような
ものはあるでしょう。固体、流体、気体、という例を挙げた場合、
境目はないですが、ぼんやりと在りそうです。
しかし一方で世界は今、この瞬間にしか存在していないし、
その確認は記憶でしかない。常に人は今しか知らない。
この二つの問題を統括するものが循環され無理のない状態ということは
想像するのは容易いです。
739 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 15:11:07 ID:RitPbqPf
現、時空をから別の階層に行く方法は、
客観的時空からの脱出です。主観的時間は自由に延び縮させることが
できますが、客観的な時間は、物質ですから時間とセットで存在して
います。時空とは物質を指し示す事とイコールでしょう。
そこで主観的時間は自由ですから、そこから別のリアリティーの
階層に移行することはできるでしょう。この手法は古代から
様々な方法で語られています。
意識全体を別の時空にもってゆくこともできますし、
想念だけ、感情だけ、感覚だけ、またはその一部だけ、
その人の能力によります。
視覚が別の階層を眺めるような波長になってしまった場合、
別のリアリティーを見ることもあるでしょうし、聴覚なら
別の、また触感なら…。というようにです。
つまり主観的時空を客観的時空に無理矢理同調させているのが、
僕たち人間なのですが、無理矢理同調させていると思っていないのが
また、僕たちであって、それをほどいてやるだけで、別の現実に
入ってしまうだけです。
このような認知を達成したならば、あらゆるオカルト現象は
個においては納得できてしまいます。個において重要なのは、
実はそのようなものではなく、カルマと言われる現象の問題でしょう。
740 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 15:13:28 ID:RitPbqPf
作用反作用って事だけなんですが…。
そのデティールを日常に当てはめて、実用に生かす発想をし、
活用する人が少ないのはもったいない事でしょう。
しかしその事実が目の前でセンセイショナルにおきないかぎり
大抵の人は眉唾なんじゃないかな。
戯言でした。
742 :
楼蘭:2007/09/26(水) 16:14:05 ID:LVriCQaQ
>740
ありがとうございます。
慣れ親しんだ直線的な時間以外の、時間の経過の仕方というのは、正直理解に困難を覚えます。
>そこから別のリアリティーの階層に移行することはできるでしょう。
ここに飛躍があるように感じます。実際にどの様な感覚を得たとしても、自分がいる場所での実時間はそれなりに経過しているはずです。とすると、その感覚自体が自分のいる場所で(自分の頭の中で)起きているという事ではないでしょうか?
私は、人の心の中というのは全て脳の中で物理的な反応が起きている結果だと思っているのですが、他の可能性があると言う事でしょうか?
743 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 16:46:44 ID:RitPbqPf
>>741 >>741←ここ書かれている文字は、こう書いてあります。
「それはあなたが決めることです 」
>>743 そう
それをどう解釈するかはあなたの観念に拠るもの
すべての事象に意味はない
意味を持たせるのは体験者
体験者の観念が具現化する
自分の中のものしか出てきませんよね
745 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 17:24:32 ID:RitPbqPf
>>742 「人の心の中というのは全て脳の中で物理的な反応が起きている結果」
ということは、人の心の中、つまり記憶の事をお話されているのであれば、
ベルクソンという人が、脳と記憶は平行して存在していないという科学的
証明を行っています。思想や哲学と同列で扱われているようですね。
その他、様々な人がその問題に取り組んでいます。
でも物理的現象は解明されないでしょう。なぜならば測定できないからです。
ブッダは自分で確かめろ。やれば解るという考えで説かれています。
僕の考えは、脳は物質です。記憶(心の中)は文字どうり記憶(心の中)です。
これは死ねば解るのですが、死ぬ前に知りたい人たちが、
ブッダ式で自分で確かめるのです。
ようは、どうしたら自分自身で納得できるか?ではないでしょうか。
僕は体験しなければ納得しません。
746 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 17:26:12 ID:RitPbqPf
>>744 >>741←ここ書かれている文字は、こう書いてあります。
「それはあなたが決めることです 」
747 :
神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 17:54:32 ID:RitPbqPf
>>744 >>744←ここ書かれている文字は、こう書いてあります。
そう
それをどう解釈するかはあなたの観念に拠るもの
すべての事象に意味はない
意味を持たせるのは体験者
体験者の観念が具現化する
自分の中のものしか出てきませんよね
748 :
追加よろ:2007/09/26(水) 20:14:32 ID:VZJP+rwt
それぞれの主観があるんだょ派
他者の主観を感じるのも僕の主観だょ派
僕の主観、をあなたが同意じゃなくても意見として理解したかどうかは反応として認知しますが存在として僕の主観内判定だょ派<自分主観神派>
主観は相対で考えよぅ派<汝と我会話派>
主観洗練は鞭の知じゃなくて、無知の知を理解してからだょ派<ソクラテス派>
>>747 そそ
何かを体験してもそれは己の観念が具現化したものに過ぎない
↑
これは解釈でなく事実
体験は解釈だが、体験が解釈なのは事実
体験が解釈と解釈していようと体験が解釈と解釈しまいと体験が解釈なのは事実
これを読んで感じることはあなたの観念
ピンとこなければ・・・下から上は見えない
750 :
:2007/09/26(水) 20:44:41 ID:XJabTy5E
1に戻るとすれば
人間をつくったのが神だとする神概念があり
神をつくったのは誰?の質問に回答するなら
化学的観察として、人間形成期に発生したのが神
宗教概念としては人間の上位概念なので答えがなかったり、考えない領域
751 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 00:00:06 ID:Rg7B1qCs
神は誰がつくったのかを唯一絶対神信徒に聞いてみたい。
>>750 幼児期の全能感の神と、合理主義を経た後の神の概念は違うでしょ。似てるけど。
753 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 00:19:51 ID:Au4dWZsg
神様を作ったのはミンチカツ
754 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 02:39:02 ID:RLX7grNZ
>>715 言いたいことはわからんでもないが、そういう言い方をして、いらぬ誤解を招くのが良く見るパターン。
この板では、毎度お馴染みのネタだし。お経ですなw
つーか、楽だよね、「何でもかんでも相手のせいに出来る」ってw
そんなんだから、相手に対する配慮が足らず、反感かってるわけ。
まぁリアルでは、どうか知らんがw
755 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 02:45:08 ID:RLX7grNZ
>>752 それはあんたの神概念に元ずく区別だって事が、このスレでは述べられてるわけなんですが、それをスルーして、そういう発言してんの?
756 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 06:50:19 ID:pQL9oHIM
>>749 そそ
何かを体験してもそれは己の観念が具現化したものに過ぎない
↑
これは解釈でなく事実
体験は解釈だが、体験が解釈なのは事実
体験が解釈と解釈していようと体験が解釈と解釈しまいと体験が解釈なのは事実
これを読んで感じることはあなたの観念
ピンとこなければ・・・下から上は見えない
757 :
鏡様:2007/09/27(木) 07:06:25 ID:pQL9oHIM
>>749 鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡
鏡 そそ 鏡
鏡 鏡
鏡 何かを体験してもそれは己の観念が具現化したものに過ぎない 鏡
鏡 鏡
鏡 ↑ 鏡
鏡 鏡
鏡 これは解釈でなく事実 鏡
鏡 鏡
鏡 鏡
鏡 体験は解釈だが、体験が解釈なのは事実 鏡
鏡 鏡
鏡 体験が解釈と解釈していようと体験が解釈と解釈しまいと体験が解釈なのは事実 鏡
鏡 鏡
鏡 鏡
鏡 これを読んで感じることはあなたの観念 鏡
鏡 鏡
鏡 ピンとこなければ・・・下から上は見えない \ 鏡
鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡鏡
さて自分を映してみてどう感ずるか?
>>754 勝手な解釈で反感を持つ
まさに観念が具現化してるね
ただの文字列に反感を持つ程度なら神を感じることもあるだろうね
レスの目的はよくわからないが、俺の言いたいことがまったくわかってないことはよくわかった
>>757 事実だと感じる
ピンとこなければ下から上は見えない
君にとっての問題はコピペする目的だろうな
760 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 09:14:36 ID:fSSDdTvM
>>760 レスを返しているだけだが何か問題でもあるのかな?
762 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 09:31:09 ID:fSSDdTvM
作用反作用って面白いんです。
この世界ってのは、創造するように創られているので、
そこに鏡をもってくると、破壊行為の創造は、
みずからの破壊的な動機の大本である発信者に立ち戻るのです。
世界は創造に満ちており、それを無に帰することは、
人間には許されない行為なのです。しかし人間には自由な意思があります。
だから意思の試行は自由ですが、それを実現するには、相手が必要です。
その相手が鏡を持ち出したら、その衝動は自分に返るのです。
つまりこういう事です。自分の行為は受け止める相手が意図した通りに
受け止めてくれたなら、支配が成立。しかし反発されたら支配する
エネルギーが発生する。受け止め、何も返さない場合は、発信者に返る。
自分の行為や言動は、自分に返されても大丈夫なものを選びたいものです。
なぜならば、創造行為は至福を生み、破壊行為は虚無に帰するからです。
破壊を生み出す事はできても、虚無を生み出す事は、
この世界ではできないようになっています。
何故ならば、この世界が虚無が背景にあって、僕らは創造したものしか
見えないし体験できないからなのです。
ま、簡単にいえば、自分の尻は自分で拭け!って事です。
意味の無い発言をしている人は一人もいないのです。
人の発言の無意味性を証明するならば、その人は他者から証明し返されます。
僕はだらだら関わるのが面倒なので、そのような場合は最短で返すだけです。
763 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 09:46:15 ID:fSSDdTvM
>>761 レスを返しているだけだが何か問題でもあるのかな?
764 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 09:58:31 ID:fSSDdTvM
生命の衝動の根底にあるものは、同化です。
自分の分身を創りたいという衝動です。
なぜか?自分の正体を知るためです。
この原則は日常生活から生命全般にいたるまで貫かれている秩序でしょう。
ここの掲示板の主旨に沿って話すならば、自分の心を他人に伝える行為をし、
そして気に入ったものは取り入れ、不要なものは取り入れない。
そこに強引さや、支配、そういった意図があった場合は、
反発するエネルギーが発生します。またより強大なエネルギーに
弾かれます。取り込むか弾くか融合するかというのが精神活動にも
あります。
今のところ、僕たちは何の分身になりたいかといえば、
キリストや仏陀、自然、宇宙というのがその正体のようです。
科学はそれらを分析して知ろうとしますし、
宗教は、心のありようを学ぶ。真似の仕方ですね。
そして日常目にする商品は、自然界にある美しい形の真似です。
自然界に無いデザインは僕らは、美しいとも思いませんし、
それに相当するものがあったとしても、無機質的なデザインといい、
独特の美しい輝きを放ちます。
765 :
楼蘭:2007/09/27(木) 10:11:05 ID:kOw6VewA
>>745 ありがとうございます。
心は精神活動について述べたつもりでした。また、ベルクソンの実験は知らないのですが、時代から言っておそらく科学的な検証というより哲学的な考察と言う事ではないかと思います。脳の活動を測定できる技術は最近に発展してきているからです。
とは言え、人が人らしく活動するのに記憶は不可欠だと思います。
それで、心が記憶の中にあるというご意見は大変興味深く思います。
>僕の考えは、脳は物質です。記憶(心の中)は文字どうり記憶(心の中)です。
心は物質の中には無いという事ですね?
私は記憶とは、単に以前の事を自分なりに覚えている事だと考えていましたが、さらに別の意味が有りますでしょうか?
また、心とは何でしょうか?心と記憶との関係はどの様なものでしょうか?
766 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 10:31:23 ID:fSSDdTvM
「心は物質の中には無いという事ですね?」
というより、確認のしようがない。確認のしようのないものは
ひとまず保留とし、別のアプローチで探求するというスタンスです。
「 私は記憶とは、単に以前の事を自分なりに覚えている
事だと考えていましたが、さらに別の意味が有りますでしょうか? 」
つまり自分のしてきた行為の観察記録で、その認知は肉体の知覚に
基づき、それを統合する器官を「心」という認識器官と考えると
物質的で理解しやすいと思います。
記憶は自分の行為の結果を認識器官である心の記録として何処かに
貯めておき、それを引き出す行為をした結果、再び認識器官をとおして
脳という物質で、五感に変換して、やっと過去に起こったできごとだとか、
今起こっている出来事だとか、再び認識器官である心で認知します。
説明するとメカニズムが非常に難しく聞こえると思います。
結論は、心はまず、目に見える形に近い状態に便宜上変換して考える事が
でき、その変換状態としては、知覚の統合器官、つまり「心=認識器官」と
考えるのが理解が進むと思います。認識器官は単なる器官ですから、
認知しかできません。それを感情と結びつけて強い弱いという強弱を作り出し、
強い記憶、弱い記憶を作り出します。
この原理によって強い感情体験は強烈な記憶として温存され、
弱い記憶は微弱な記憶として温存されます。
記憶の場所、引き出し方については、長くなるので、ここでは触れません。
まずは、心と記憶を考える上での認知のよりどころとなるヒントを
僕なりに提示させて頂くまでに止めます。
767 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 10:38:18 ID:fSSDdTvM
心を観察できるという事は、その上位の概念を持ちだして、
その正体を便宜上明らかにしてゆかないと説明はできませんが、
事実上、それは「魂・霊・神等」とせず、自分という位置づけで、
僕の説明はなりたっています。
>>758 だからわかってるんだって。
ただ、言い方がそれじゃ不味いって言ってるのよ。不十分。
伝わってないのは、相手じゃなくお前のせいなんだけど、それを相手のせいにしてるって言ったわけ。
よく読め。理解しろ。
まず、日本語勉強しなおして、読解能力上げて来い。
話はそれかr
てか、こんなやつ多すぎ、この板
>>763 で君は754か757なのか?
レスを返しているのならどちらかだろうが名無しだからどっちかわからないんだよ
問題は754か757かわからないことだよ
それとも横レスかな?
何が破壊行為かは破壊行為だと感じる人の観念
その人なら破壊したいときにそうするってことだろうね
破壊などできようもないんだけどね
まあ、破壊だと感じることが問題だろう
>>768 >だからわかってるんだって。
わかってるつもりだろ
>ただ、言い方がそれじゃ不味いって言ってるのよ。不十分。
何を持って十分なのかはさっぱりだが
特に伝えたいこともないんだがなぁ・・・・
>伝わってないのは、相手じゃなくお前のせいなんだけど、それを相手のせいにしてるって言ったわけ。
どう伝わってるのかは知らないが、相手が受け取ったままでいいよ。つうか相手の観念は俺にはどうしようもならんだろ
>よく読め。理解しろ。
どうして理解させようとするのかな?
>話はそれかr
話しにならないのなら話さなければいいだろ
なにも強制はないんだし
>てか、こんなやつ多すぎ、この板
そうか?俺以外には見ないが
味噌も糞も一緒じゃいかんな
まあなんにしても神は人の概念
なにか特別な体験も神を信じる人の観念が具現化したもの
ここでの俺のレスを読んで感じることもその人の観念が具現化したもの
俺にはどうしようもない
何感じようが自由
自由には責任がつきもの
人の所為にしちゃいかんな
すべては己の選択
772 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 12:01:57 ID:fSSDdTvM
773 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 12:07:32 ID:fSSDdTvM
僕は総ての人、総ての生命、総てが神と思っていおります。
当然、「神は人の概念」という人も含んでいます。
この神様に矛盾がおきないし、対立が起きないのです。
なにかが神でなければいけないのならそれでよろしいかと
私にはそれが神であろうがなかろうが同じことです
神と呼んでも呼ばなくとも矛盾はおきないし対立は起きません
誰かが神と呼ばなくなった途端に矛盾がおき対立が起こることはないでしょう
矛盾や対立はそれを感じる人の中にあります
775 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 13:16:09 ID:fSSDdTvM
【人間を作ったのは神様なら神様を作ったのはだれ?】
この問いは、神というものが人間とは別に独立して既に存在しているという前提で
話しを展開したほうが良さそうですね。
そうすれば、脳内や人間の内部に在るという問題をクリアし、
客観的な現象として議論できますからね。
776 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 13:30:13 ID:fSSDdTvM
だって、もともとこの世界に自分とは別の存在としての
神が居ないといういう前提であれば、神の起源があるはずもないのです。
さらに、神が自分とは別の、つまり妄想や思い込みとは別に「ちゃんと(解りますね)」
存在していると考える前提すらないのであれば、その起源は、実に簡単です。
神は自分、神という妄想を抱いた時が生まれた時で、自分が神という妄想を
消し去った時が神の終わりです。
だから、神の起源を考えるならば、既に在るという前提が不可欠であると言うことです。
777 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 13:56:48 ID:fSSDdTvM
しかし、自分とは別の存在としての神が在るという前提を
ちゃんと理解していれば、あるいは確認できるならば、
他人(他)の存在を信じる事であり、他者の存在を認めるという事に繋がりますから、
宗教的にいえば、宗教は要らないという事になります。
よって宗教と神とも切り離して考える必要もでてきます。
純粋に、たとえが悪いですが、
死にそうな時、あるいは、何かお願いをするときに創造する神は
実際に存在するという前提での議論と、その神の現れ方を考察することで、
その起源にも迫れると思います。迫れなくとも、その課程で、得られる実用的知識は
膨大な物となるでしょう。
「既に存在しているという前提」などと言い出せばなんでもありですなぁ
脳内や人間の内部に在るという問題をクリアできないからでしょうが・・・
理屈では理解できても感情で理解できないのかな?
真実は「人の数だけ」ある。「真実は一つ」は、数ある真実の中の一つに過ぎない
だからいつの世も「唯一の真実」に拘る人だけが争いを通して己の矛盾を体験する
779 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 15:23:16 ID:fSSDdTvM
>>788 このスレタイトル
「人間を作ったのは神様なら神様を作ったのはだれ?」
が、「既に存在しているという前提」です。
780 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 15:29:46 ID:fSSDdTvM
>>778 あなたが、僕に言わんとすることで、僕が個人的に返す言葉があるとするならば、
それは、
>>778の発言すべてを含む神に、
>>778の発言内容は包括されているに
過ぎないと言えます。
その意味で僕はこういいいます。
「いいんじゃないですか」
781 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 15:40:31 ID:fSSDdTvM
絶対法則という真実はなくとも、絶対法則という真理はあります。
真理によって原理原則があって、僕たちは生活できる。
絶対法則をどう解釈するかは、人の数だけあり、
各々の感情も結びついていることでしょう。
しかし法則自体に感情はありません。こんな説明はどうでしょう。
>>779 アンカーミスと思いますので一応
神が人間とは別に独立して既に存在しているという前提ではないでしょ
>>1を読めばわかりますよね
つうか前提も何も神はいないのですから・・・・
>>781 法則自体はただ起こっていることです
それに意味をつけるのは人。観念が関わってきます
神に結び付けたい人はどうぞ御自由に
783 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 16:42:51 ID:fSSDdTvM
>>782 一連の発言とその反応を観察するに、
あなたは、「神」と言う言葉が嫌いないようですね。
784 :
┃・)ノ ◆DV4hb.MG/U :2007/09/27(木) 16:52:33 ID:1msMoUue
問題は「神」という言葉が好きか嫌いかでは無いよね。
785 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 17:24:55 ID:fSSDdTvM
便宜上、神という言葉は、都合がいいですからね。
宇宙でも、何者か、でも、サムシンググレートでも、色々ですけど、
未確認事項、自然でもいいですが、「神」一文字でラクチンですからね。
でも、楽か苦かの問題でもないですが…。
僕としては神という言葉を、人々が聞いて思い浮かべる事は
予測もつきません。これは上に上げた神相当の言葉をもちいても
同じでしょう。
法則の話しをすると神の話しではなく、法則の話しですから、
ここの板じゃなくなるしね。
ただ、神ということばと、便宜上使わざるをえない「神」という言葉とは
違いますね。
神は具体的ではないですから、抽象的な思考自体を排除し、具体的事項のみで
真相を明らかにするスタイルの思考パターンをとられる人の場合には、
ちんぷんかんぷんになっちゃうかもしれません。
そこまでの配慮は神でなければ…(失礼)。僕にはできません。
786 :
:2007/09/27(木) 18:44:57 ID:obZk7a5h
>>752 それって 幼児の神・子供の神・大人の神分類ですか?
750は人間一般観察ょ
787 :
:2007/09/27(木) 19:01:30 ID:j9kDegzU
神とは人間集団が最大公約数として最上位概念を求めた結果だったというのもあると思います。
ただ、ヤオヨロズの神さま各種の話じゃないですけど
ーーまた分類で申し訳ないですが、うる覚え分類ーーー
1、幼児の神 泣き叫ぶ赤ちゃん時代を経た言語獲得幼児が
ほんとに困った時に純真に求める神 三歳まで
2、児童の神 三歳になり赤ちゃん的シツケも一段落に教育期間に入った少し知恵のついた
児童が、あろうことか神に要求する顧客態度になった自動が<要求する神>
3、大人の神 社会的無意識すりこみ、しつけ期無意識刷りこみ、教育期無意識刷りこみが
自動実行されることを意識し、己と周囲を
無知の知ソクラテス視点で謙虚にファイリングし
政治と宗教と化学をバランスさせた者が向き合う神
んーーーーずいぶん主観が入ったようだw
788 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 20:26:35 ID:ZysFR93Q
ヤハウエはどうやって生まれたかですね
創造主が七日間で世界をつくったらしいが
創造主はどこから沸いた?
>>783 言葉に好き嫌いはないですねぇ
ただの言葉ですから
どんな言葉でも同じですよ
すべては人の観念
神でもサムシンググレートでも同じです
神か神じゃないかじゃなくて
神だろうと何だろうとすべて人の作ったものだってことですよ
あまり言葉に拘らないほうがよろしいかと・・・・
790 :
:2007/09/27(木) 23:18:44 ID:wefxSiq8
唯一絶対神は誰が創造したんだろうね
>>790 絶対神というのは、絶対的な無との対の概念に過ぎないんだろうけどね。
792 :
神も仏も名無しさん:2007/09/27(木) 23:32:00 ID:cX9HaIjO
ニートのようなひとがつくりました。
バカにしてませんよ、念のため。
ブリブリ天才だったんです。
私はニートのなかから「神」以上の
何かをうみだしてくれるのを期待しています。
待ってます。
>>787 その概念はよく知らないなぁ。
こんな感じ。
1.幼児の神 自他の区分がついていない 原始的アニミズム
2.児童の神 自他の区分がつく 世界に対する自己の欲求の投影の神
3.青年期の否定される神 合理性 世界を合理的・科学的に解釈。神の否定。
4.大人の神 根源的苦しみの認識。合理性を越えたもの、超越的なものへの欲求。
794 :
:2007/09/28(金) 01:04:52 ID:WdqA/afb
>>791 創造主というお話の内部に付き合った前提での創造主をクリエイトした存在は何?という疑問ですね
>>793 僕の幼児の神は、幼児が無心にすがる神
それとアニミズムが原始的とは思いません
メソポタミアはじめ水源をおろそかにして肥沃な大地を台無しの文明たちは
アニミズムを離れていますが
アニミズムが洗練したかたちで作用する日本は
立ち入り禁止水源と制限水源で豊かな森を得ました。
進んでる遅れてる原始・文明というベクトルより
本来的・共栄的なものはマヤ文明や少数民族のひとの誠実さで人間判断やらが
評価高いです僕は
知識をもっていない人間が、太陽、月、星、自然現象など未知の現象に触れたとき、
きっと想像力で納得のいく答えを探すし、好奇心を満たさずにはいられないのが人間。
そして当時の様子をこのように想像してしまう人間の性質は、今も昔も変わらないと思う。
だから、神を作ったのは人間とする考え方は自然だろうね。
796 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 07:25:01 ID:TRwCdcc5
様々な神概念を読ませて頂きました。
人間の欲求の象徴としての神を提示される方や、
生き方のモデルとしての神を提示される方、
対局概念から神を提示される方、様々な表現があり、その多様性に感動を覚えます。
それに対し、僕の神は、人間の創作である概念では有りません。
当然学問的定義もないのです。完全に実在している実体という点で、
信仰とも違うし、概念とも違う。むしろ原理・構造・秩序として
確実に君臨するエネルギー的に扱っています。そこには生命と
いうものが有る以上概念とは言えません。
そういう意味で、昨日だされた概念に敬意を表すならば、
>>794に述べられているスタイルの、アニミズムです。
僕の考えでは、神に対する敬意、自然に対する敬意の度合いで、
人間の進歩度合いを表現するならば、一番遅れているのは先進国です。
その先進国の象徴は、「比較」と「恐怖」の崇拝です。
この崇拝は分裂を引き起こします。一番最初に分裂させ、無意識化させたのが、
神との分裂です。忘れない為に各種の儀式や祭りがありますが、
すっかり形式化して、在る神が、簡単に言えば、概念。いわば個人の思いこみ
という考えにすり替わっています。
>>789では、
「神だろうと何だろうとすべて人の作ったものだってことですよ 」
人間ってなんでも創れるのですね。とても高慢な発想だと思います。
797 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 07:32:27 ID:TRwCdcc5
神を概念として扱うならば、概念とは何か?と問う必要があるのですが、
それは各々の人間が創った創作です。
しかし、概念で地球が存在できるわけでもなく、
概念で自分が生まれたのでもなく、概念に生かされているのでもなく、
概念がなくても生きられます。
こういう事です、人間の創作である概念、つまり神という語句の
意味をなんとするか?というならば概念以外にないですが、
この地球を作ったのは、あるいはこの宇宙をつくったのは何か?
全ての人間の考え得る、その思考自体をつくったのはなにか?
それが各々の頭の中であるならば、いったい地球という物体は
概念で出来ているというのでしょうか?
798 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 07:49:02 ID:TRwCdcc5
僕の場合、
>>787さんの発言内容におおむね考えを同じくし、
それに追加するとして、
4として、概念で説明するならば、プラトンの永遠不滅の原型(イデア)が
あり、その説明は的を得ず、イデアに相当するなんらかの実体自体も固定化されず、
変化し続ける。事を認知し、実際に日常生活に行かせる心神一体の状態。
一見アニミズムですが、現代では過去のアニミズムとは違い
一回りして、アニミズムの進化版になった統合概念として説明可能な段階に
入っていると思います。
799 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 07:57:06 ID:TRwCdcc5
アニミズムの世界観の中に生きた人達には神は実在していたが、
現代の一部である先進国の人達は実在を消し去る手法として
無意識というものを発明した。消却行為で、感性の一部に蓋をする
方法をあみ出した。これは権力者の洗脳操作によるものです。
これからの時代は、自分で確かめ、検証し、無意識を意識化する
方向で人々は進歩発展してゆくでしょう。その過程で、実在の
神を感ずる方向に進み、概念(身体を離れた妄想)からの
脱却を経験し、概念の一人歩きは消滅し、日本古来からある
真相をあらわす言葉である道理が復活するという事です。
社会のニュースをみても明かではないでしょうか。
道理が置き去りになって建前がまかり通る。
嘘、でっち上げ、架空、概念、そのようなものは道理の前には
無力です。概念をけちょんけちょんにけなすならば、
道理の前では単なる、ウワサですよ。
道理はだれがどう行っても、まかりとおっているものです。
800 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 07:59:03 ID:TRwCdcc5
親を概念だ!などと笑止千万な事を言っているようじゃ。
この社会は腐りますね。
>>796 >人間ってなんでも創れるのですね。とても高慢な発想だと思います。
あなたも人間です
「僕の神」とあなたも神を創っているのですから高慢ってことになりますね
鏡に映った御自分が見えたのでしょう
>>800 親と神との関係がまったくわかりませんが
社会が腐るってのは相対的な考え方ですね
神が存在するのなら人の感じる「社会が腐る」も神の意思でしょう
こうあるべきと考えていては成長はありませんよ
下から上は見えない
>>800 親も概念でしょ。
ていうか、世界に触れるとき、概念化した認識がすべてに入り込むのが人間だっていう視点もあるってだけでしょ。
803 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 09:25:33 ID:Z9tJIm4/
>>801 自分が何者か解っていっているのですか?
この地上に生きて、今、呼吸をしている心身ですよ。
僕の神という時は、この体をつくったその本体をも指します。
単純な事をお聞きします。あなたはこの地に住んでいて、
端末を画面をみている心身を指しているのですか?
僕は心身を指しています。実在している物です。
804 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 09:27:05 ID:Z9tJIm4/
>>802 あなたはどこから生まれたのでしょう?
親という概念を僕はいっているのではなく、
ちゃんと体をもった親ですよ。実体もある。
お母さんお父さんの事ですよ。
それを概念とおっしゃるのですか?
805 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 09:28:47 ID:Z9tJIm4/
体が無いようなお化けの正体は空っぽなのです。
806 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 09:41:41 ID:Z9tJIm4/
>>801 親を概念だ!などと笑止千万な事を言っているようじゃ。
この社会は腐りますね。
をハッキリに言いましょう。
下から上は見えない のではなく、上から下を見ているのです。
つまりアホって事です。←これくらい言えば解りますか。
あなたにも言いましょう。
あなたは母親から確かに生まれているでしょう。
807 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 10:01:47 ID:Z9tJIm4/
EINSAM君はこれで発言のチャンスを与えられた訳ですから、
その答え総てにたいし、僕もEINSAM君のせいにします。
EINSAM君と同じ土俵に立ってお話してあげます。
今日は、楽しみたいので、そんな気分です。
808 :
楼蘭:2007/09/28(金) 10:06:23 ID:NttOwdrE
>>788,
>>790 神には始が無いと聖書に書かれています。
詩篇 90:2 山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。
そして、時間そのものが神の創造物であるというのがアウグスチヌスの説です。つまり、北極点に立ってそれ以上'北'が無いのと同じように、時間が神によって作られた以上、神の存在'以前'というのは無いという訳です。
809 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 10:37:04 ID:Z9tJIm4/
>>808 それが神によって書かれたというか、神の代弁として人間にむけて
書かれたとしたら、神というのは方便で、つまるところ、
その状態になったとき、神(主)に会える。
つまり私自身を知るという事でしょう。
この地点に来れば、仏教と変わりません。
これを理解するポイントは、誰が誰に向けてどの時空から書いているか?
というのが問題で、これは意識の境地を表す方便です。
「神には始が無い」これは当然の事で、在るだけです。
僕が、
>>788で発言した内容は、このスレッドの主旨はこうであるよ
という意味です。
このような所が僕のもっている認識です。
810 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 10:55:39 ID:Z9tJIm4/
楼蘭さんは実在の神を紐解こうと試みていますよね。
僕は実践して確かめようというスタイルです。
他多数の人は、実在しているという前提がないですから、
人間の思い込みとして扱っています。よって、僕の発言も
概念者用と実在者用と区別する必要があるのです。
ここがさらに混乱を生む原因になりますが、
神の実在自体が人間のでっち上げという考えでストップしている人に
対しては、残り少ないスレでありますから、手短に片づける事にします。
本来、概念派は、「神は実在するか?」というスレで話すべき事を
ここで話すのです。概念派は実在を抹殺しようとするだけです。
811 :
楼蘭:2007/09/28(金) 11:00:57 ID:NttOwdrE
>809
神は在るという概念を理解し易いのは、クリスチャンよりむしろ無や空を理解している仏教徒なのかもしれません。
>これを理解するポイントは、誰が誰に向けてどの時空から書いているか?
1.詩的表現であり実態の写実ではない。
2.筆者が理解の境地に達した。
3.神が筆者に霊感を与えている。
2がおそらくあなたの立場かと思います。
キリスト教的な信仰は3です。3の場合必然的に、神は人に向かって自身を(聖書を通して)示していると言う事になります。
812 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 11:08:09 ID:Z9tJIm4/
>>811 とても鋭い洞察だと思います。洞察とレッテルを貼るには申し訳ない
と思います。
僕の認識では、2.3は同じ境地だと認識しています。
つまり、今、楼蘭さんの発言された事を感じ取った根拠などなにもなく、
ズバリ僕の事を言い当てた。さらに、3は実は楼蘭さんがそうであって、
楼蘭自身、それに気付いてない。こんなところが真相でしょう。
そして僕も3によって、これを楼蘭に伝えている。
つまり教え合っている。実際、僕はこの現象自体に神の意志を感じています。
813 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 11:20:04 ID:Z9tJIm4/
楼蘭さんは、宗教的経験をされた事がありますか?
無いにしても、あるにしても、それは常に起こっていますから、
間違いなく、あちらから、なんらかのサインは在ると直感します。
神は見つける物ではなく、神がこちらを見つけるのです。
そのように考えたほうがご対面前の方の場合(断定して申し訳ありません)
よろしいかと思います。
意識の段階としてだれにでも起こる儀式的な出来事でしかないですが、
起こる事で頻繁に起こります。
>>803 呼吸をしているのは自分の体であって自分自身ではありません
自分の手、自分の目、自分の耳、自分の体、全部「の」が付きます
つうかあなたは ID:TRwCdcc5なのですか?
>>806 どんな社会が腐ってなくてどうなれば腐ってるなどと妙な観念をお持ちのようですね
どんな社会も社会です
私の体は母親から生まれましたが、私の体は私自身ではありません
>>807 誰のせいにしようと自由ですが感じる矛盾はあなた自身から出るものです
理屈では理解できても感情で理解できないようですね
真実は「人の数だけ」ある。「真実は一つ」は、数ある真実の中の一つに過ぎない
だからいつの世も「唯一の真実」に拘る人だけが争いを通して己の矛盾を体験する
ま、下から上は見えないってことでしょうな
つうかあなたは ID:TRwCdcc5なのですか?
>今日は、楽しみたいので、そんな気分です。
申し訳ない
今、EF28mmf/1.8 USM が届いたので私は別のことで楽しみたい気分です^^
815 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 11:47:23 ID:Z9tJIm4/
ちなみに、聖書は開いたページの目に付いた所が
今の自分にふさわしいことばです。
一種の通信機の役割を果たすと考えてもいいかと思います。
そこに書かれている事にはまったく意味はありません。
よんで、何を感じたか?これが通信結果です。
816 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 12:05:05 ID:Z9tJIm4/
817 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 12:18:00 ID:Z9tJIm4/
せっかくだから宗教的に、EINSAM君にかがみを立てかけて置きます。
これによって、なんのカルマも外部にもたらしません。お守りです。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━主曰く━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ ┃
┃ 誰のせいにしようと自由ですが感じる矛盾はあなた自身から出るものです ┃
┃ ┃
┃ 理屈では理解できても感情で理解できないようですね ┃
┃ ┃
┃ 真実は「人の数だけ」ある。「真実は一つ」は、数ある真実の中の一つに過ぎない ┃
┃ ┃
┃ だからいつの世も「唯一の真実」に拘る人だけが争いを通して己の矛盾を体験する ┃
┃ ┃
┃ ま、下から上は見えないってことでしょうな ┃
┃ ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
818 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 12:39:21 ID:Z9tJIm4/
>>814 >今、EF28mmf/1.8 USM が届いたので私は別のことで楽しみたい気分です^^
それはそうと、
神はEINSAM君にそのような機会を与えてくださって、EINSAM君も幸せですね。
僕は、そんなEINSAM君を許してあげます。そうぞ!楽しんでください^^
僕と神、そして地球、いや宇宙にEINSAM君が「楽しみたい気分」を満足させている。
その光景を目に浮かべるにつけ、
ああ、神が届けた、EF28mmf/1.8 USMは、きっと満足させてくれると思いますよ。
そこをのぞけば、神が見え、それを触れば、神を感ずる。さらに、EF28mmf/1.8 USMを
みるたびに、神を思い出す。それは素晴らしい出来事ではないでしょうか。
そう、実は、EF28mmf/1.8 USMそのものが神なのです。羨ましい!かぎりです。
となると
あなたにとっては私が神ですな
安っぽい神ですなぁ^^;
羨むってのは精神性の未熟な人ですが
神である私を許すとは・・・よくわかりませんな
821 :
:2007/09/28(金) 17:36:34 ID:B6EuDkDK
本来的にアニミズムのほうが
これから環境的にも見直される潮流を感じますね
アメリカのネイティブはじめマイノリティーたちは概ね
人間個人の誠実さ加減を、人間の価値として最上位に査定するようで、その考えも貴重だと思います。
あとは前提になっておる善悪概念は、悪側設定が必要なので問題あるかなと思います。
日本人は善悪概念なんかないのに、ほどほど概念ベースで善悪概念を操作し、変な反応が多いのと
空気がすべてなのに、論理的な話をしたつもりで
発言内容よりも、誰が言ったかで判定し、
その発言者が社会的権威や職場での権力・自分を肯定か否定で
カードゲームでの味方・敵キャラ設定数十種類に振り分け
カードキャラごとに、数行のコメントしかないという会話が90%なのかなと実感しておるところです。
822 :
本気(´・ω・`)(´・ω・`)@まっすぐ、真剣、深呼吸:2007/09/28(金) 17:40:55 ID:QpR1VQtm
ビックバンを起したのは、人か。
ビックバンの前に何があったか。
ビックバンがあったとして、その一秒前は何が存在していた。
無から有ができる仕組みは。
823 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 17:52:56 ID:Z9tJIm4/
>>819 >>820 「 羨むってのは精神性の未熟な人ですが
神である私を許すとは・・・よくわかりませんな 」
「 となると
あなたにとっては私が神ですな
安っぽい神ですなぁ^^; 」
EINSAM君には、これで十分。
>>821 なかなかいいことをおっしゃる
>>823 あなたの神が安っぽいのでしょ
まあ好きにしてください
下からは見えないでしょうからね^^
真実は「人の数だけ」ある。「真実は一つ」は、数ある真実の中の一つに過ぎない
だからいつの世も「唯一の真実」に拘る人だけが争いを通して己の矛盾を体験する
826 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 18:07:24 ID:cQQ5PsFH
827 :
:2007/09/28(金) 18:18:32 ID:ysmUdubj
カードゲーム脳であっても、それを自覚して
各戦闘能力・諜報能力など細かく数値化して
体系的に人脈グループ振り分け・意見内容分類などをすれば
使えるデータベースになるのでしょうが
肝心な項目の数値化ファイリングをしないので感情会話しかないので残念だったりします。
828 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 18:26:19 ID:cQQ5PsFH
>>822 どの創世紀にも膨大にある銀河の創造はないよね?
829 :
:2007/09/28(金) 18:36:48 ID:ysmUdubj
カードゲームプレイヤーには神は理解できず
たとえ宗教やっていてもそれはプレイの一形態であると
カードゲームをクリエイト=創造するなら
神を理解する入り口に入ったのかも知れない。
プレイヤーとクリエーターの差ですね
830 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 18:49:27 ID:cQQ5PsFH
>>829 宇宙を作った神がいたとして、膨大な数の銀河や星団、星々の中の
ちっぽけな地球を見てると思う?
地球の中の生物から人間だけを見てると思う?
その世界の数多くいる人間を一人一人見守ると思う?
さらにカトやプロを選別してると思う?
神の物語なんて、古代の人の創造力だから
いたとしても地球外にない
>>794 御伽噺としては面白いかな。絶対神が自分は何者か、と自分に問う。第1原因に原因があればそれは第1原因たりえない。
原始的という言葉がどうしてもマイナスに関連付けされるなら、他の言葉でもいいけど。
前合理的って意味。
インドなんかでも、徹底的な合理的思考を経て多神教的な神秘主義やらに行き着いてるんだろうけど
833 :
:2007/09/28(金) 19:31:19 ID:F+TfGtx6
>>830 神を人格化視したうえでの疑問ですね?
神を人格視する手法は一般的ですが
そこまで行くと、人格化ならぬ人間同一視ですね
神は観る側が その存在をプレイとして感じるか
クリエイト設定して認知するかの問題ですね
あなたは神を擬人化し、人間同一視して疑問の中にいるようですよ?
834 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 19:53:22 ID:cQQ5PsFH
835 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 20:10:50 ID:cQQ5PsFH
836 :
:2007/09/28(金) 20:16:05 ID:F+TfGtx6
あなたは人格化神を批判じゃなくて
人格化神設定しながら、神を人間の延長にとらえるレベルの信者を批判してると?
人格化神自体に問題があると?
父と子と聖霊の聖霊を六枚翼ハトの絵で書いたり
ハトじゃしょうがないから、三者をイエス三人会議状態で描いたりしてますが
本来、聖霊なんかは姿がないわけです。イメージしやすいように
人間の似姿の神像でしょうね そのこと自体は批判ないですけどね僕は
人間を作ったのは神様なら神様を作ったのはだれ
人間
じゃあその人間を作ったのは誰
親
じゃあ親を作ったのは誰
その親
じゃあその親を作ったのは誰
その親
じゃあその親を作ったのは誰
神
よって神
だからさ、誰かに作られた神は神じゃないって。
839 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 20:45:30 ID:cQQ5PsFH
>>836 信者も含めた宗教批判、人の創造による神の姿でしょう。
神話の多くは英雄の話を神格化し物語として広めたと思われます
三位一体の父と子と精霊は別の神話のモデルだと思いますが。
>>837 生物の母は原始の海ですよ。単細胞から多細胞へ
精子と卵子の結合して胎児になるまでの過程である程度解るよね
840 :
神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 20:58:51 ID:cQQ5PsFH
もちろん意識(自我)が発生する
メカニズムは、さっぱりわかりません
841 :
:2007/09/28(金) 21:19:49 ID:lY5jOkKG
信者 宗教 化学教 民主主義教でもいいですが
それらを属性一括批判する根拠として
人格神やその設定をあげられてもなんか納得できないですね
この理由で、属性批判が成り立つのかな?
それぞれの属性の個に劣化分子がいることは理解しますけどね
あと
化学的観測事実 宗教的真理 政治的社会的妥協が食い違ってもいいのじゃないかな
それらのどれをセレクトするかじゃなくて、それらを主観の中に調和=エスプリする個人の資質が問われることだと思います。
>>826 神がいると思っている人によって違うでしょうね
「宇宙も含めて神ですよ」と言う人もいるでしょう
宇宙だと思っていても実は巨大ゴキブリの糞かもしれないのですがね
巨大ゴキブリから見ればただの糞
糞の中の極々小さい地球の中の極々小さい人間が「宇宙のエネルギーが神そのものなんだよ」とかなんとか言ってるのかも
843 :
:2007/09/28(金) 22:25:38 ID:3rXxf67R
宇宙に思いが集中したのは化学の進歩と映像紹介による認知世界の拡張による
大自然への憧れ、ネオアニミズムという罠
844 :
神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 06:16:06 ID:BguRkplE
>>841 僕と表現の違いはありますが、ファイリング能力と属性という
確固とした思考体系の構築に不可欠な要素やテクニックの活用に
関して僕はとても勉強になっています。
分類整理して、確実な共有理解に進むという考え方は
できれば僕の望む所です。個においては漠然と行っているのですが、
この思考のプロセスでは、共有方法として有効な事であることは納得できました。
人格神については、人間がもつ感情と結びついていると思います。
事が起こった現象から、その仕組みをとらえるならば、人格の出現は
ありえないです。
一方で神の設定自体の各自の相違自体を成り立たせず、
一括批判することの意味は、これまた各自の感情が絡んでいます。
>>841では、「主観の中に調和=エスプリする個人の資質」と
いう表現で語られていますが、僕は、「一元的理解力」という
一つの個人の修得可能な技術として考えています。
しかもこの能力自体が、「アニミズム」の個人的境地を再現させる
次世代の理解力の根底になると考えているのです。
よって僕の発言は常に、個の資質を問う形で話しが展開するので、
感情的反発を買うことは当然の結果でしょうが、思考のプロセスや
僕の経歴を明かにすれば、そのような事は避ける事も可能です。
845 :
神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 06:46:36 ID:BguRkplE
>>842 あなたの場合、観点と前提を作っていないので、
何も生まない批判です。
発言者に対し、批判の根拠は示すのが礼儀というものでしょう。
846 :
神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 06:55:41 ID:BguRkplE
>>837 僕はこの考え方、思い方としては、まったくもってシンプルで、
好感がもてますよ。少なくとも、原因をたどってゆくという
思考方法はどこかで終わるのですから、最終段階を神とするのは、
ごく当たり前の事ではないでしょうか。
実際、それ以上は、創造の領域ですし、どのように今現在の自分と
結びつけるかがポイントになります。
一回りさせれば、自分なりの神像がはっきりして、納得する道筋は
シンプルに出来上がると思います。
これは僕の感想ですが、多くの人は遠回りしたり、
まったく見つけられず、複雑にしてしまったりすると思います。
847 :
神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 07:14:07 ID:BguRkplE
>>832 カードゲームは、単なる紙ですね。
紙には意味はないけれど、様々な概念が設定されているじゃないですか。
パワー★★★★とか、ある条件でこういう事ができるとか、何がなにより上とか。
そして対戦相手とカードの強さを競う。
カードゲームの目的はゲームだからズバリ「勝敗」です。
ここで言う、カードゲーム脳というのは、勝ち負けで、
「人間を作ったのは神様なら神様を作ったのはだれ?」の結果を出す勝負では
ないという事です。
宗教であってもどこの宗教がいいだとかわるいとかという基準でそこに
属するならば、それはゲームプレイヤー。
プレイヤーは、誰かを負かしたいという気持ちを持っている者、
あるいは搾取、比較、競争、こんな心で本当の事を知ることができますか?
つまり対話ではなく、勝敗で、真相を明らかにできますか?
批判によって、真相が明らかにできますか?これがゲームプレイヤーのする事です。
一方、クリエイトは、プレイヤーを誘導する。提供者です。
創造主を神とするならば、同じ立場に立つという事ですから、
様々な事を創造する。どんな創造でもプレイヤーよりは一歩一歩真相に近づく。
但し、ずっと創造し続けないと勝敗に走り、そこで真相の探求を停止してしまう。
848 :
神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 07:14:29 ID:SVgwK1Oc
ビッグバンは神がやったのか?
ビッグバンの前は何があったんだろ
神も人間も、仏によって創られたものに他ならないのです。
だから神とて、人間同様にわがままに選り好みをするわけです。
仏 > 人間 > 神
こういった図式が成り立ちます。
850 :
神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 07:22:24 ID:BguRkplE
?さん、語弊があれば、過失、訂正をおねがいします。
851 :
神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 07:25:50 ID:BguRkplE
>>849 仏の視点からすれば僕も同感です。
但し、仏=神とするならば、
神仏>人間
となり、僕はこのように考えます。
852 :
神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 07:27:37 ID:ajcC6WKr
ズバリ スレタイに答えよう!!!
西暦1973年12月13日
ラエル(RAEL)はフランス、ピュイ・ド・ラソラにあるオーヴェルニュ火山の噴火口跡で、エロヒム(ELOHIM)と名乗る異星人の1人と遭遇、以後6日間に渡って、地球のすべての人たちへあてたメッセージを託されました。
エロヒム(ELOHIM)は言いました。
「神も霊魂も存在しません。
私たちがDNAテクノロジーによって、地球のすべての生命を創造しました。」
エロヒム(ELOHIM)とは古代ヘブライ語で、「天空より飛来した人々」という意味です。
聖書でGOD、神として伝えられている言葉は、古代ヘブライ語原典ではエロヒム(ELOHIM)と書かれているのです。
ほかの惑星に住む人々、エロヒム(ELOHIM)は現代から約2万5千年前、生命の存在していなかった地球にやって来て、DNA技術によって生命創造の実験を始めました。
そして最後に、彼ら自身の姿に似せて、地球人を創造したのです。
モーゼ、ブッダ、イエス・キリスト、マホメットといった宗教の預言者たちは、それぞれの時代に応じて遣わされたエロヒム(ELOHIM)のメッセンジャーでした。
そして、科学的に物事を理解できるようになった現代において、エロヒム(ELOHIM)は最後のメッセンジャーとしてラエル(RAEL)を選び、
このメッセージを地球のすべての人たちへ伝えることと、エロヒム(ELOHIM)を迎えるための大使館を建設することを彼の使命として与えたのです。
彼の運動は、ラエリアン・ムーブメント(RAELIAN MOVEMENT)と名付けられました。
853 :
地のさそり:2007/09/29(土) 08:01:07 ID:WadDNSFF
ケイオスは神だという話がありますが、
だとしたら、ケイオスはどこからきたのやら。
参考
ケフカ「命、夢、希望…、どこから来て、どこへ行く?」
カオスを超えて、終末が近づく
>>845 何かを生むつもりもないし批判しているつもりもないんだが・・・
批判じゃないのだから批判の根拠などあろうはずもないし・・・
礼儀も何もどうして批判だと感じるのかな?
ただ俺宛のレス(神がいたとして・・・)に返事しただけなんだが
あんたが誰かを批判する時にはこうするってことだろうね
つうかあんただれ?
855 :
神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 08:24:23 ID:BguRkplE
終末。ここからは、広野であり、創造の領域で、
個においては、旧世界観と新世界観が交差する地点という事でしょう。
世界が終末するという事は、それを観る従来の個の消滅という事になりましょう。
変化とは、あるいは、終末とは、それが終わった後に気づく人と、
兆候に気づく人と、まったく気づかない人等に分類されます。
カオスの正体は、何かを分類するまでもなく、どこえ行く?
という点がはっきりするという事ではないでしょうか。
つまり、現在においては、どこえ行く?という事を察知する人、
解らない人、気づかない人と分類でき、
さらに、意識というものが共有されているという仮定で話をするならば、
意識できる人、意識できるが行動は無意識な人、無意識で反射反応をしている人
このように分類できるでしょう。
カオスは無意識的な人と行動において無意識な振る舞いをする人にむけて
発射される概念ですから、目的が見えているつまり、行き先の解る人にとっては、
外部に兆候が現れるのは、どれだけの人が必要か割り出すだけで変化予測は可能でしょう。
856 :
神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 08:26:53 ID:BguRkplE
>>854 つまり神が居たとしてという前提での感想なのですね。
ならば、神が居たとする考えは全て個人に還元されますので、
結果的に、個人的な批判が対象になるのもうなづけます。
>>856 それで相手に何を示すのが礼儀になるんだい?
>>847 ふーん。
ていうか、ゲームプレーやも、クリエイトもただの分類じゃない?
ゲームの中にもクリエイトな部分はあるし、クリエイトの中にもゲームはあるだろし。
ソーユー分類が相対化の地獄を生み出すてとこもあるしねぇ
859 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 08:17:36 ID:muHwA239
>>857 発言者に対し、批判の根拠は示すのが礼儀というものでしょう。
根拠を示さない感想ならば、相手の根拠なき感想も認めるのが礼儀というものです。
で、ご質問への僕の答えは、「自分がそのような感想をもった経緯」を示すと
いうことです。礼儀に関して説明しました。
860 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 08:24:59 ID:muHwA239
>>856 そうです、分類です。その説明を、
>>827で、説明しているのです。
分類することで、相対化させるのは、比較の発想です。
そうではなくて、ファイリングというのは分類ですが、
むしろ区別して考えるということです。
円グラフのように区別して、その部分の要素はこである、
別の部分はこういう要素がある。それによって全体を理解しようという
試みという事で、要素要素の相対化させることが目的で分類するのではなく、
真相を知るために、一端区別して考えるという思考方法のモデルを現しているという事です。
861 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 08:49:03 ID:muHwA239
神を考える時に観察者が取る区別は、
神と人間を一端区別する。人間とは別物という分類において神を考えるのが
分析の原則です。あるか無いかを確かめるには、分析者は、自他の区別を
まず第一に行う。それにはまず、境界の設定を行う事です。
区別の線引きです。どこに境界を設けるかという設定は、
この議論では様々です。
科学は、人間の知覚の既知を実存とし、それ以外を未知としています。
これにならい、知覚は肉体に基づきますから肉体と外界という区別という
原始的な観察方法に立ち戻れば、神と自分との境界はとても明確なものとなるのです。
すると観察側の立場は、人で、人が何を観察しているのかが明かになります。
観察結果を普遍化させれば、共通点が見つかります。検証可能な事柄は、
物理法則と一致していますから、それは再現可能で、理に適った現象として
神の一部を現します。
このような分析の繰り返しで、人間とは別物の何らかの存在を明かにして
人と神の区別が可能になります。
そして区別した結果を統合すれば現在人間が知りうる全体像の統一された結果も
導き出されるというのが分析結果というものです。
>>861 それって、神かんけいないでしょ。
ただ、観測可能な対象と観測不可能な対象とに境界を設定しただけでしょ。
863 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 09:25:28 ID:+QdL+cwI
観察者(人間)の存在は重要。
マイナスとプラスは常に一体として存在していて
磁石の2極のように、受容する力(感覚、センサー)があることと、
その対象物があることの両方が同時に揃っていることが、存在できているということ。
両者は最初から結びついていて、一体として存在してるもの。
864 :
(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/09/30(日) 10:19:15 ID:BCOtGcf8
神というのは動かされずして自ら動かすものとしての第一原因。それゆえ
神は『霊』であるとされる。
物質的事物はある部分によって構成されたものでしかない。水素と酸素が
化合して水となる場合、これらが水を生むのには不可欠だが、水素と酸素は
互いに全く異なったものであり、水が出来るためにはこの2つの他に結合させ
る何かがなければならないと言える。卵からヒヨコになる変化においてその
理由は卵の中にもヒヨコの中にもなく、理由は第三者である卵をあたためる
親鳥にあるということと似ている。
つまり、およそ構造・構成をもったものはどうしてもその原因が他になけ
ればならないから神がもし物質的な事物に属するとすればそれは当然構成物
とならざるを得ず、第一原因ではあり得ないことになり、言葉を換えて
言えば第一原因たる神は絶対に単純のもの、構成されたものでないもの、
すなわち非物質、霊でなければならないという結論になるわけだ。
宗教が教える神の存在を水だの生き物だのと考えるならその初めから
神という言葉に対して無意味な思案をしていると思う。
だが、なんだかんだいっても神とか霊とかどうでもいいんだよね。
こんなクソスレで長文書けるあなた方は神です!
867 :
(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/09/30(日) 10:44:45 ID:BCOtGcf8
>>865 >なんだかんだいっても神とか霊とかどうでもいいんだよね
『神』や『霊』の定義や意味合いを取り違えて議論しても平行線だと
思うんだよね。この議論について「どうでもいい」という人はここに
レスしてもしなくてもどうでもいいとも思うよ。どうでもよくないと
考える人は、一度宗教の教える内容として『神』が何か『霊』はどういう
意味なのか、と知ることが大事かもしれないね。
868 :
┃・)ノ ◆DV4hb.MG/U :2007/09/30(日) 10:46:05 ID:FaN9xADf
どうせヒマなんだから聞いてあげなさいよ。
>>867 どうでもいいという視点も大事かもね。
なぜ鬼神を語らず、無記といったのか。
870 :
(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/09/30(日) 10:46:56 ID:BCOtGcf8
>>866 >こんなクソスレで長文書けるあなた方は神です!
なんだかよく聞く誤解だな、とスレタイ見て思ってね、たまたまスレが
上がってたんで初めて書き込みしました。以降はレスしないでROMか
放置かもしれないけど、あしからず。
>>868 どっかでみた視点のうけうりばっかだし。
872 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 10:51:39 ID:h3znERMa
>>840 意識=言葉(言語)だよ。それ以前は、感情。
感情を言葉(言語)で表現することを積み重ねることで自我が形成される。
873 :
(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/09/30(日) 10:59:56 ID:BCOtGcf8
>>869 >どうでもいいという視点も大事かもね。
>なぜ鬼神を語らず、無記といったのか。
君の興味やスレの流れがこっちにはあまりよくわからなくってね、ゴメン。
「自灯明と法灯明」との間にあるもの「エゴと法」の間にあるもの、
それを良心とか道徳とか言い換えることは出来ても「それは何々である」
と明記するようなことは出来ないもんなんじゃないかと思うよ。
神を信じる人にとって神はどんな存在であるのかということについては
ほとんど理解できないというべきなのかもしれない。つまりなんであるか
を知るというより、何でないのかということを知るに過ぎないのだと思う。
自分達の神が他のものとどのように異なるか、何故異なるかということが
知りうることなのかもしれない。
神はこれこれである、と語られるときには疑ったほうがいい時が多い
ような気がするね。
悪いが自分には「鬼神」も「無記」も知らないし語れない。「神」は
知りえないし「無記」はその意味をまったく知らない。思いつきを
ちょっと書いた。乱文駄文で失礼。
874 :
:2007/09/30(日) 18:33:53 ID:44mm9xBn
疑問点
1、神と人間が別だという前提設定<同時発生じゃないの?>
2、実存である化学とそれ以外に分離して、神を証明だといわれてもそれは化学領域のマッピングじゃないのかな?
3、聖霊と精霊がごっちゃな方がいる。先祖崇拝・霊・共有幻想・仏・神々・創造主=クリエーターなどがごっちゃ
875 :
神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 23:25:36 ID:CheNS1xj
精霊というと妖精ですか?
聖霊になると三位一体ですが
>>859 で俺のレスのどこが批判だと感じたのかな?
877 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 07:56:11 ID:X3vQd7JC
>>874 「神と人間が別だという前提設定は、同時発生である」という前提は、
人間が実在しなければ神も実在しないという論であって、なんらかの
大前提があって、その相対的関係において神と人間が実在するという
考えに基づくのですから、同時発生という論は、人間の認知と同時に神が
発生すると結論づけることができませんか。その逆も同じ事。
「実存である化学とそれ以外に分離して、神を証明だといわれても
それは化学領域のマッピング」
という論の前提は、化学が存在しなければ、未知も存在しないという事であって、
その相対関係において化学と未知が存在するという考えに基づくから、
化学での発見と同時に未知も発生するという論も同時に発生するはずです。
「聖霊と精霊がごっちゃな方がいる。
先祖崇拝・霊・共有幻想・仏・神々・創造主=クリエーターなどがごっちゃ」
これはまさしく言葉と言葉の表す意味の不統一の現れで、
統一概念は、主観的観察でしょう。
観察者と観察物との区別を試みる一線を設けるだけで、
相対化、分類化されている上位概念の正体がおのずと明かになります。
神を知る事と人間の観察点を知ることは、すなわち人間個人の観点の
拡張度合いを現してしまうものだと思われます。
878 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 08:04:41 ID:X3vQd7JC
>>876 批判=「物事の可否に検討を加え、評価・判定すること。」
その事実確認をご自分で行うのがよろしいかと。
879 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 08:23:49 ID:X3vQd7JC
>>864 「神というのは動かされずして自ら動かすものとしての第一原因」
という論は、非物質にならざるを得ず、その観点は、人間の認知は
非物質をも認知可能であるという前提になり、
いわゆる、人間は霊であるという事になり、霊からみると神は
非物質界においても第一原因であった。という認知に基づきます。
この根拠は、個の能力において、認知能力が極めて高い次元に到達した
人の教えにより、あるいは、発言者個の認知能力の主観より導きだされる
発言になります。
非物質をあたかも物質を扱うように思考によって取り扱うには、
その指向者の認知度合いが重要になってきます。あるいは、
認知できずとも、認識できれば思考は可能でしょう。
認知、認識の両方もクリアしていない非物質を扱う事は、
現在の日本では教育されていませんが、芸術関連では非物質を扱う事
をしていますから認知、認識は可能ですが、そのようなタイプの人は
ここを見ませんし、言葉にできないから、芸術表現をするのでしょう。
それ以外でここを見る人のほとんどは、非物質の認知、認識は、
言葉と意味との組み合わせの概念という記号としてしか認知しないでしょう。
よって大半の人は、人間は霊であると認める事は不可能であり、
бιб∂さんは、異端扱いは免れません。しかし真相において、
僕は、бιб∂さんの発言自体は、「真実」ではなく神の真相を
現す方向性の思考方法としての意味はあります。
神という言葉に対して無意味な思案をすることは真相を明らかにする
という目的からは越脱しているでしょう。
>>878 評価や判定などしてないと思うが・・・
どこで評価・判定と感じたのかな?
881 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 08:28:39 ID:X3vQd7JC
そして人としての立場として、
「神というのは動かされずして自ら動かすものとしての第一原因」
を認知できうる観点は、
人間は霊(魂等、非物質)である。と認識するあるいは認知する。
さらに知覚し、そうであると悟る事により自覚する。
この自覚がない人は、
「神というのは動かされずして自ら動かすものとしての第一原因」
として扱う事も論ずる事も不可能というのは理に適います。
根拠を示さないのは礼儀知らず・・・だったよな
883 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 08:58:08 ID:YOrLXXl/
>>882 礼儀しらずの人間に対しては、なんどでも言いますよ。
礼儀知らずは、礼儀しらずです。
>>883 お前は誰だ?
根拠を示さないのは礼儀知らずなんだろ
どこで評価・判定と感じたのか示さなければ礼儀知らずだよな
礼儀知らずは礼儀しらず
まあ俺は礼儀しらずでも結構だがな
そんなもん感じた奴の自己責任だよ
886 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 09:24:35 ID:YOrLXXl/
礼儀しらずでプライドばかり高く、
屁理屈をいい、能力がないから示す物もなく、
他人の発言からしか自分の発言につなげることができない。
もっといえば、愚かな人も居ますね。
自分の中のことしか出てこない
888 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 09:28:32 ID:YOrLXXl/
そのような人は、実際社会では通用しません。
人の足を引っ張るだけです。
そんな人間をまともに扱う必要はないでしょう。
他人を認めず自分だけは認めさせるという都合のよい神様は
いません。
他人のことなどわかりようもないが
自分のことならよくわかるもんだよ
890 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 09:37:30 ID:YOrLXXl/
屁理屈人間に理屈は不要でしょう。
態度が物語る実社会で通用するはずがないことを
理屈で平気で言うのです。
つまり子供は経験を積む必要があるのです。
根拠を示さないのが礼儀知らずなら
どこで評価・判定と感じたのか示さなければ礼儀知らずだよな
俺は礼儀などどうでもいいがもとは誰かさんの言葉だからね
>屁理屈人間に理屈は不要でしょう。
そうやって逃げるから成長しない
つまり経験不足は経験を積む必要があるのです。
実社会を持ち出しても意味無し
ただの言い逃れ
>礼儀しらずでプライドばかり高く、
まさにぴったり
892 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 09:52:53 ID:YOrLXXl/
屁理屈に頼る人間が一番怖いのは、
実社会での実績です。
自分で自立し、家族、あるいは自分を養い。
自分の使命を全うするごく当たり前の事です。
これはできるかできないかの問題でしょう。
子供は、口だけです。
893 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 10:04:48 ID:YOrLXXl/
わけも解らず自分の考えすら述べられず、
規範、生き方、生き様すら示す事もできず、
総ては他人の勝手な言い分とほざく子供達。
いったい誰に飯を食わせてもらっているのでしょう。
知っている事といえば、被害者意識。すべては他人が悪いと考える
思い癖。
いったい自分が生まれて、自分が生きているという事はいつになったら
解るのでしょう。
>屁理屈に頼る人間が一番怖いのは、
>実社会での実績です。
そうなのか?
よく知ってるなぁ
俺が子ども時分はけっこう屁理屈言ってたが実社会の実績が怖いなんて思ったことはなかったなぁ
子どもなんだから実社会の実績なんて考えることないだろうし・・・
>>893 まあまあお前も子どもだったわけだから
心配しなくとも誰でも大人になるよ
他人の通過点を気にすることはないだろう
誰もが通る道なんだから
俺もお前のようなこと言ってた時期があるよ
恥ずかしい思い出だがな
そのうちお前にもわかる日がくる(かも)よ
そのときになって赤面しな
根拠を示さないのが礼儀知らずなら
どこで評価・判定と感じたのか示さなければ礼儀知らず
だがな
897 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 10:16:27 ID:YOrLXXl/
材料があると、それに対応する事ができる。
まったく素材ってありがたいですね。
しかし創作というものは難しい。
口だけで物ができればそれは素晴らしい事です。
誘えば、へらへらしゃべりだす。これが実体です。
898 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 10:24:32 ID:YOrLXXl/
恐れをなすと、ぺらぺらと他人に屁理屈。
自分の生き様や、考えで勝負もできない。
空っぽさ。理屈で補うしかない。
>>897 この考え方、全然廃れないね。
いつになったら自分の過ちに気付くんだろう。
900 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 10:34:55 ID:YOrLXXl/
上げ足取り。足がなくなれば、ただの空っぽ。
どこで評価・判定と感じたのか示さなければ話しにならないな
観点と前提のないこといわれてもなぁ・・・
根拠は示すのが礼儀だってことだったから礼儀知らず
根拠のないことで批判だと決め付けることができるのだから何でもありだろうがな
まともに会話できるのなら
どこで評価・判定と感じたのか示すだろうし・・・
掲示板の文字を読んで感じることは読んだ本人の観念でしかない
書き込んだ相手が批判じゃないと説明したのだからそれで話は終わりなんだが
なぜかいつまでもグジグジグジグジ
目的はわからないがなにやら感情の原因が相手にあるかのように勘違いしている模様
なにがどう上げ足取りなのかはまったく不明で説明もないままだが
そもそも勘違いから始まったことだから、きっと勘違いだろう
なぜ示せないかが問題だな
なんとなく批判だと感じたとかかな?
なんにしても元は勝手な思い込みだ
まずそこからスタートしないとな
批判だと感じる観念を知ることだ
自分の観念なんだからわかるだろう
903 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 12:48:44 ID:YOrLXXl/
屁理屈屋はどこまでいってもそこまで。
最後はいつも観念話しで終了。
口だけ。の内容無し。
いや、だから
どこで評価・判定と感じたのか示さないからだろ
話がそこで止まってるんだよ
あとはお前がその言い訳をしているだけじゃん
どこで評価・判定と感じたのかを聞くのがどう屁理屈なのか説明もないしな
逃げ口上
905 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 12:59:00 ID:YOrLXXl/
何をいっているのでしょう。
神は概念で止まっている人が…。
何言っても結果が出てるんだよ
どこで評価・判定と感じたのか示せなければ勝手な妄想だったってことさ
お前は妄想が多い
まずそれを自覚することからだな
まあお前には捨て台詞がお似合いだよ
これからはその程度にしとけ
恥かくからな
907 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 13:06:22 ID:YOrLXXl/
>>904 別のレッテルをこしらえましょうか。
「口だけ」←行動が伴わない人の事を指す。
908 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 13:08:14 ID:YOrLXXl/
病名まで付けましょうは、
自他の区別がつかない、境界性人格障害。
それでいいよ
満足だろ^^
もう結果は出た
お前はもういいよ
911 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 13:22:59 ID:YOrLXXl/
単なる概念ですから。
そういう人には概念の乱用をもってしたところで、
概念だから無害でしょう。
912 :
:2007/10/01(月) 18:31:52 ID:CpKJNOyo
>>877 >「神と人間が別だという前提設定は、同時発生である」という前提は、
化学的時系列的な事実推測としてそうだと考えます。
宗教的真理としても、社会的政治的権力妥協的としても
別の回答を自身に内在併存させてはいますけどね
>化学が存在しなければ、未知も存在しないという事であって、
これは発言者主観に対する問いかけであって僕の主観そのものではないので
疑問点は元の発言者にというか僕も知りたいです。元発言者の主観をね
> これはまさしく言葉と言葉の表す意味の不統一の現れで、
> 統一概念は、主観的観察でしょう。
これは51音字ひらがなカタカナを覚えれば
文字を操りスタートできる日本人日本語社会の宿命である
同音異語の弊害でもあり、洒落になる部分でもありますね
聖霊は三位一体の父=神 子=イエス 聖霊=エネルギーみたいに降り注いでいる神の愛といいますか
精霊になると妖精さんやもしかしたら水木しげるワールドもファイリングされるかもですね
このスレは何人かの意見交換が出来る大人風味の方がいて
勉強になりました。また機会があれば皆様よろしくです。
ちなみに、私を中丸と呼ばれる方はウィンドウズ系パソコンか携帯で
?さんと呼ばれる方はマッキントッシュだと思われます。
913 :
(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/10/01(月) 21:16:43 ID:zzXtYcQt
皆さん、難しいレスを返されますね。読んでもこっちは、よくわかりません。
>>864 >>867 >>870 >>873 と書き込みしましたが、内容はキリスト教のカトリック
の教えについて教えのままにその理解しているところを書き込みしていました。
ですから
>>879さんの『異端』の意味は定かではないものの異端の考えでは
ありませんから安心してください。
>>874さんの疑問に答えた後、少し神についてカトリックが教えるところの
「神」の意味を書き込みしようと思います。
>1、神と人間が別だという前提設定<同時発生じゃないの?
神の認識は人間関係や個々の気づきからはじまるかもしれません。しかし
人間がいるいないに関わらず「神」は初めから存在であることを書いています。
>2、実存である化学とそれ以外に分離して、神を証明だといわれてもそれは
>化学領域のマッピングじゃないのかな?
自分が語ったのは化学ではなくて哲学ですね。神の存在証明には古くから
因果律の応用・秩序を鍵とする証明・生物学的証明・良心を鍵とする証明が
一般的に解説されます。その内因果律の応用に基づく説明が
>>864の中心
的部分です。我々が体験するものは何をとってもことごとく第二原因でしか
ないものであるということに気づくことが重要点です。
>3、聖霊と精霊がごっちゃな方がいる。先祖崇拝・霊・共有幻想・仏・神々・
>創造主=クリエーターなどがごっちゃ
自分が問題にしたのは創造主として、神が霊であることについてちょっと
書き込みしたわけです。
914 :
(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/10/01(月) 21:48:02 ID:zzXtYcQt
>>879 >よって大半の人は、人間は霊であると認める事は不可能であり、
>бιб∂さんは、異端扱いは免れません。しかし真相において、
>僕は、бιб∂さんの発言自体は、「真実」ではなく神の真相を
>現す方向性の思考方法としての意味はあります。
神は霊であるということの意味を自分は書き込みしましたが、人間
について神と等しく「霊」のみであるかのような説明は一切していません。
人については、摂取・成長・繁殖では植物的生命を持ち、感覚を持つ
ことにおいては動物的生命を持ち、動物の中でも理性的活動をする
特徴を持つ存在です。人は動物と近類であり理性的という種差がある
生き物と言えるでしょう。神を考えた時に同じように定義するならば、
まず他にそれと似たものが沢山なければなりません、そうでなければ
近類と種差を見出せないからです。ところが神は他に類例がないから
定義の局限性が当てはまらず結局定義づけは不可能ということなのです。
神があるならば、それはどこまでも絶対に神でありその以外のものでは
ない、それだけなのです。この対象を超越し他に類例を持たないこと
これを『絶対』と表現するのです。これは例えば神の智慧は人間のそれの
ごとく知りえるものでその大きさに比べるとまさに無に等しいというような
意味で限定されることはないということです。神の「無限」も同様です。
それはあらゆる相対のものとの比較を絶している、それをすなわち
「無限」と称していると考えてよいでしょう。
『神の真相を現す方向性の思考方法』としてこちらの書き込みを理解
された部分、これは正解です。現実は哲学があるのではなく信仰と愛
と希望の実際でなければおかしいということになります。哲学が消え去る
ほどに宗教の本質は知らされてくるもの、自分はそう思います。
915 :
(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/10/01(月) 21:50:34 ID:zzXtYcQt
なんだか長文連投は気が引けます。『カトリックが教えるところの「神」
の意味』について書き込みするつもりでしたが、後日気が向いたら・・・
ということで。おわり。
916 :
神も仏も名無しさん:2007/10/01(月) 21:56:58 ID:EjdxNKLT
?
917 :
最後に}(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/10/01(月) 22:06:51 ID:zzXtYcQt
>>914で書ききれませんでした「人間の持つ霊」についての書き込みは「神」
についての因果律の応用・秩序を鍵とする証明・生物学的証明・良心を鍵と
する証明についてあらましを説明し、人と神とについて教えを学ぶ中でその
理解をしていただきたいと思いますので今は書き込みしません、あしからず。
918 :
神も仏も名無しさん:2007/10/02(火) 09:42:35 ID:/xDxQf+4
>>917 勉強になります。
бιб∂さんは個人的考えから述べているのではなく、カトリックの教えを根底に
語られているのですね。それならば、僕の発言した「異端」という発言は
撤回します。教えについて語っているので、個の立場への配慮は不要ですね。
お考え(カトリックの教え)を拝見しますと、絶対(とても表せませんが)と人間と
の関係は、表裏一体ではなく、言葉は悪いですが、神あっての人間という事であると、
いう教えのようです。しかしそれとて教えがそうであって、信仰の極地は、神との合一
でしょうから、個においての境地の規範は、例としては、マザーテレサのような状態だと考えます。
僕の考えは、人間あっての神であり、同時に対をなし、神あっての人間という考えです。
これは神仏一体という考えを根底に置いている。万物は命において平等であり、その万物は
総てが同時に発生したという考えに基づいています。神がピラミッドの頂点であることには
変わりないですが、全体と個は相互関係である点において平等という点を強調したいです。
その意味で、「信仰と愛 と希望の実際」を僕の言葉で表すならば、
「神仏一体、生命平等の会得による行動が今の個人」です。
よって僕個人は、今、神仏一体のどの段階に居るか?を自分に問い。
かつ外界は、その現れとして調和、不調和として感受するという
因果律に基づいているというどちらかというと、仏教寄りの生き方です。
僕の場合は、理に基づく行動規範が僕の哲学になっているようです。
カトリックのお話しを聞いて、僕の発言はカトリックの方にたいして、
神への暴言に感じられるケースもありうるな…。と思う所もみつけられました。
様々なアプローチがあるのだなと思いました。
919 :
神も仏も名無しさん:2007/10/02(火) 10:53:48 ID:/xDxQf+4
神か自分かの区別、自分か自分でない存在かの区別が限りなく進んでいくのが、
認知の原則でしょう。
僕らは、赤子の時、全体か自分かの区別もなかった。
モーフにくるまれ、抱きしめられ、自分の身体領域を知った。
自分の思いの領域と他者の思いの領域を知り自他の想念の領域範囲を知り、
自分の感情と他者の感情も知り。その境界線を知る。様々な時空に様々な
自他が存在している。その遠近法的にみえるものを観察しても限りがない。
しかし自分の領域を明らかにする段階に応じて、外部が段階的に見えてくる。
これが叡智といい。知る前に、つまり遠近法的に知るのではなく、
直接知を起こす。知るというのは、本来理由も根拠もない。単に知るだけの事。
知らない人に伝える方法が知識で、知るものは知識は無い。あるのは
知識をもちいた伝達という事になる。それが教えといわれるものの正体と
仕組みでしょう。
何故、解るか?その理由も根拠も無いのですが、これを主観と切り捨てる発想は、
自分は知らぬと言うことにつきる。根拠を知りたいと思うならば、調べるだけで
知識として知ることは容易い。
920 :
楼蘭:2007/10/02(火) 11:11:58 ID:C2Ezar/k
>>813 返事が遅くなって済みません。
興味深い話が進んだようですね。まだ読んでいる途中です。
私個人に神秘体験の経験は有りません。しかし、物心付いたころにはすでに聖書と神の存在について教えられていた為か、神の存在についても、それの人への働きかけについても、疑った事は有りません。
また、私の中で創造者と聖書が結びつくのは、中丸氏ご指摘の通りこの幼年期の教育が大きな要因だと思います。
>EINSAMさん
あなたの神レンズは良く写りますか?
実は私も同じの持っています。癖玉ですが、確かに良く写る状況が有ります。
>>920 >あなたの神レンズは良く写りますか?
どうも開放付近が甘いようです・・・少し絞ればいいんですが・・・
わかっていれば別のレンズにしていたかも・・・^^;
宗教とは自分の中に神を作り出すことではないだろうか
人間の持つとてつもないパワーを引き出すために
昔から人間は宗教を作り、仮に神を制定して崇拝した
923 :
神も仏も名無しさん:2007/10/02(火) 13:13:51 ID:/xDxQf+4
僕も考えを同じくしています。
この視点で語るならば、宗教自体が道具という事になります。
教えに本質はなく、教えられた者が会得したものが本質になります。
925 :
神も仏も名無しさん:2007/10/02(火) 13:33:09 ID:/xDxQf+4
神という概念を創ったのは人間でしょう。
しかし宗教では神という概念が本質ではなく、
その教えの内容と実践においてその本質があります。
正しくは、「神を作ったのは人間」というように断定するのではなく、
「神という概念を作ったのは人間」ということが宗教で言う神でしょう。
/
/⌒ ヽ / /
( )'゙ヽ. _/
. /iー-‐'"i ,; /
i ! ( ヽ. ) ノ/ .:/
(\.゙ヽ_(_/,イ/
i ! (\\_,_)' ノ
(\\_,_,)' a
i ! l ,i\ ヽ、 !
これが作ったんだよ神も。 きずけ世いい加減 馬鹿
927 :
神も仏も名無しさん:2007/10/02(火) 16:01:50 ID:/xDxQf+4
そ
>>926 その通りだが「きずけ」ではなく「きづけ」
929 :
神も仏も名無しさん:2007/10/03(水) 09:39:30 ID:q8T6APQZ
男性原理。これを何とするかは、個々の認識によって変わってきますが、
対極する女性原理への理解は、生み出すという発想はなく、
育むという点で、無いものから何かが発生したという発想自体が無く。
既にあるものを育むというパラダイムから成立している。
この発想は何も生まないが、育む事で結果的にすでにあるものと
調和しながら、自然発生的に育まれる。
現在根底的な転換期に来ているとすれば、メジャーな考えは
総て淘汰される。もっとも進んでいる、あるいは先進的な
人間においての分類を上げるとするならば、先進諸国の主婦達の
動向を観察することでしょう。
時代は先進諸国の主婦層によって作られ、それに男性が対応し、
文化が形成されている。男性原理のみで作られた社会は、
根底が在るという育まれた状態をすっかり忘れて、作ったのは
我々だという傲慢な発想から抜けられない傾向があり、
これは明らかに自然に対し、劣性を表している。
930 :
神も仏も名無しさん:2007/10/03(水) 09:52:29 ID:q8T6APQZ
本能は正直だ。
生まないものは、生まない。
なにもつくらないものは、生き残らない。
育まない、生まない遺伝子は消滅方向に向かっている。
日本のみの統計だけを見ても明らかで、
結婚しない男女の傾向をみれば、その特性自体が
次世代に受けつぐものはないという事という見方が
種の存続の適応の原則に照らせば明らかでしょう。
但し、受けつがれるのは肉体のみではなく、
思想、その他も同じでしょう。
生き残ったものが適応者。
931 :
神も仏も名無しさん:2007/10/03(水) 14:13:46 ID:sp/vFIoT
つうことはDQN思想が最強つうことだな
DQNが適応者
できちゃった婚おめでとう!
932 :
:2007/10/03(水) 17:20:40 ID:EzUgFmBU
児童は労働力という負のスパイラルが途上国で展開されているわけですが?
また、2人以下の富裕層児童家庭も標準ですが?
ありがとう繋がり社会の無限連鎖
なにかをスポイルして100年以上単位<三世代以上>の
幸せ無限サイクルをグランドデザインして
国民はその指導者のもと、ロードマップを共有して、よりよい持続可能な社会を選択同意すべきではないでしょうか
933 :
神も仏も名無しさん:2007/10/04(木) 06:57:01 ID:nJu28FFc
児童は集金力という負のスパイラルが先進国で展開されているとも言る。
そして、2人以下の富裕層児童家庭も標準となっている。
これは何をいみするかといえば、労働力というのは生き残る為に、
集金力とは経済社会の維持。その発想自体がいずれ破綻し、淘汰の対象となる
といえる。
先進国に流れている金を途上国に流出させる為に、途上国は
おこぼれをもらう行為として労働が成立している。
先進国が途上国にしている事は、消費社会・快楽平和主義的な刹那的幸福感への洗脳行為。
していることは、泥棒、小細工、嘘、ごまかしによって生活の根底を築くというのが
本質であるから、それを露骨に行うと犯罪になる。先進国のしている事は、
搾取と競争と比較である人を敵として扱う社会であるから、共食いの現象。
自然界で共食いが起こる状態といえば、資源が有限である状態になった場合に起こる。
そして資源を有限とするようにでっち上げるのも人間。そうする事により、
独占でき、その独占物の競争の提供者となり価値の操作が可能になるからだ。
これは物質に限らない、思想の独占、主義の独占、神の独占、力の独占。ノウハウの独占。
米国の得意分野である独占信仰。
幸せ無限サイクルの手段として、有効な手段は、
●第三者による人工物の破壊←自然界が担当。(異常気象・異常発生などによって)
これによって人間の愚かさに渇を入れる。
●永久資源の定着。(ノウハウ技術も既に在るのだから、それを認め経済社会に無料配布)
●泥棒、小細工、嘘、ごまかしの暴露(既に暴露は金と結びつき金のあるところに暴露が
発生している。)
つまり幸せ無限サイクルは既に段階的に起こっている。個においては、
淘汰対象者と次世代構築者との二分化が起こっている。あらゆる階層のマイノリティーの
動向が常に、未来を現している。つまり個の一刀が全体への浸透の速度が限りなく
加速される時代に突入した。
こうあるべきと考えているうちは程遠い
知っていても実践できなければただの自己欺瞞
神はあるがまま
935 :
神も仏も名無しさん:2007/10/04(木) 15:20:57 ID:VDGRgvIP
↑
神は概念と言っていた人ですよね。
やっぱり言葉(ことだま)かなぁ
937 :
:2007/10/04(木) 22:46:00 ID:lL2yuW4H
左利き男と白人ブロンド女は
わけあってもてるそうだ。
それと一夫一婦制は平均以下男の救済だな
938 :
:2007/10/04(木) 22:58:50 ID:lL2yuW4H
ごめんスレ間違い
940 :
神も仏も名無しさん:2007/10/11(木) 20:10:09 ID:ths2J/Au
宇宙の運行法則を、人間が神や仏という概念にしたのでは?
神は人間の想像力でいかような姿も現す、という気がする。
法則だけは違うよ、法則だけは違う
942 :
神も仏も名無しさん:2007/10/19(金) 16:20:22 ID:tTTjOTtY
西暦1973年12月13日
ラエル(RAEL)はフランス、ピュイ・ド・ラソラにあるオーヴェルニュ火山の噴火口跡で、エロヒム(ELOHIM)と名乗る異星人の1人と遭遇、以後6日間に渡って、地球のすべての人たちへあてたメッセージを託されました。
エロヒム(ELOHIM)は言いました。
「神も霊魂も存在しません。
私たちがDNAテクノロジーによって、地球のすべての生命を創造しました。」
エロヒム(ELOHIM)とは古代ヘブライ語で、「天空より飛来した人々」という意味です。
聖書でGOD、神として伝えられている言葉は、古代ヘブライ語原典ではエロヒム(ELOHIM)と書かれているのです。
ほかの惑星に住む人々、エロヒム(ELOHIM)は現代から約2万5千年前、生命の存在していなかった地球にやって来て、DNA技術によって生命創造の実験を始めました。
そして最後に、彼ら自身の姿に似せて、地球人を創造したのです。
モーゼ、ブッダ、イエス・キリスト、マホメットといった宗教の預言者たちは、それぞれの時代に応じて遣わされたエロヒム(ELOHIM)のメッセンジャーでした。
そして、科学的に物事を理解できるようになった現代において、エロヒム(ELOHIM)は最後のメッセンジャーとしてラエル(RAEL)を選び、
このメッセージを地球のすべての人たちへ伝えることと、エロヒム(ELOHIM)を迎えるための大使館を建設することを彼の使命として与えたのです。
彼の運動は、ラエリアン・ムーブメント(RAELIAN MOVEMENT)と名付けられました。
ミトラ
944 :
神も仏も名無しさん:2007/10/19(金) 16:49:03 ID:tW3e8ipX
冷静に考えればわかると思うけど
そんな作ったとか作られたとか
その時に立ち会った人が居なきゃどれも憶測でしかないよね
君達馬鹿でしょ?わかるはずないじゃん
945 :
(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/10/20(土) 03:52:54 ID:qSYFE7DR
>>918 >信仰の極地は、神との合一でしょうから、個においての境地の規範は、
>例としては、マザーテレサのような状態だと考えます。
マザーテレサも神を信仰して生きた人でしょうが、どこまでも神ではなく
マザーテレサでしかありません。その事実が変わることはないのです。
>僕の考えは、人間あっての神であり、同時に対をなし、神あっての人間と
>いう考えです。これは神仏一体という考えを根底に置いている。
聖書が記すことにおいて神が「私は自らある者である」と宣言される言葉が
あります。これに対照的な意味は「私はあらしめられた存在である」となるの
です。ですから第一原因たる神の意味と我々の実際とは同一で表裏一体で
あるとは考えられないかもしれません。我々にとって我々に関する一切は自ら
作り出したものではなく全て与えられたもの、それらに初めをもつ存在です。
与えられた者は、与えたものに対して相応しい態度を取る、それは宗教的
態度です。神を愛し人を愛する、偶像を拝さない、聖日を大事にする、両親を
敬う、殺さない、盗まない、人に虚しい証言をしない、人の所有物を熱望しない、
というような十のことばが旧約にあります。神と人に相応しい態度、十のことば
ではそれが簡明に記されていると言えるかもしれません。
946 :
神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 07:58:56 ID:Cz1WxAA3
それ虚言。
見たことでもないのに真実であるかのようにのたまうこと。
全てウソつき野郎だ。
947 :
(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/10/20(土) 09:36:40 ID:qSYFE7DR
>>946 見えもしない、掴めもしない、聞こえもしないものをあるとかないとかどうして
言えるか。
人が贈り物をする時問題にされる心、貧富に関わらず親が子にかける愛情、
そういう心と心に宿る愛とは無限のものです。霊は見えないが故に存在しない
というのは矛盾です。むしろ心があればこそ贈り物の授受も起こりえたのです。
親も子も見え共に存在します、これに反して親子の関係は目に見えません。
しかも確かにそれは存在していて、これこそが我々人間にとって最も深い
問題であり人間生活の根源となるものなのです。
霊の実在に関してのこうした反省はあまりに日常的過ぎますがその実非常に
重大です。なぜならこれらのことを真正面から否定するならば、人間らしい
生活を送ることは実際上不可能とならざるを得ないからです。
もう一点肉体的能力において人間は動物と同じかあるいはそれよりも劣って
いる、が超肉体的な仕事をしていて感覚でも肉体でもない何かを駆使するの
です。それは植物や動物にはない能力で、目的を持ってそれを自ら知ること
が可能である知性です。目的を知り、その目的を目指して進むか否かを自ら
決定し、その決定に対しては責任を負う。この自主性と責任性とに植物とも
動物とも違う人間の特性があります。見えるところ、感覚、それらは否定出来
ませんが理性と理性の対象となる実在を認めることも大切であるという事実、
これをもって霊が非物質的な実在であることの意味の一端をも示すことに
なろうかと思います。
948 :
神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 09:54:54 ID:HhkWep7Q
はっきりしているのは、聖書は人間の創作物だということだよ。
これ以上の真実はない。
そして、その聖書が人間を残忍にするという事実があるのみだよ。
見えないことはもとより見えることすら見えない盲人の言葉はウソ偽りに満ちていて
おぞましく、神の概念に反逆する不真実・大悪魔がこれ。
949 :
(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/10/20(土) 10:21:07 ID:qSYFE7DR
>>948 聖書は神の霊感に照らされて、人がものした書簡の集まりだよ。
聖書自体に永遠の命があるわけじゃないとイエススも言っている。
イエススを通して天の父のもとに向かうことが出来るように聖書は
キリスト教では大切にされ読まれている。
聖書の記述を利用することは悪魔も公生活前のイエススを試す
時にされている。聖書自体は信仰の書ともなり悪魔の道具にもなる。
結局聖書がどうとか人がどうとか言う前に神の霊感に照らされて
聖書を手に出来るか、神への信仰の内に愛によって神と人とに関係
を持ち得ているか、それが問題なんだと思うね。
950 :
(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/10/20(土) 10:25:56 ID:qSYFE7DR
>>948 >おぞましく、神の概念に反逆する不真実・大悪魔がこれ。
神の概念を語ること自体、それがどんなに立派に見えても方便であり、
嘘偽りであることはありうるのと同様、聖書の文字もそれがどんなに立派
に見えても本質を取り違うことでどこまでも深く無意味に人の傲慢さを
くすぐるに過ぎなくなるってことがある。
951 :
神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 10:26:17 ID:3c7YckYy
大乗経典・小乗経典も神の霊感だから大切にしろよ。
大切にしないからキリスト派の人は殺戮をするんだろ。
952 :
(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/10/20(土) 10:31:17 ID:qSYFE7DR
>>948 だから、良心において偽らないことは大事だね。良心を偽らないことは
聖書を信じていようがいまいが大切なことではないかと思うよ。
953 :
神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 10:38:24 ID:kdI/doww
そうだね。聖書を絶対とすることは良心を捨てたということ。
954 :
(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/10/20(土) 10:44:01 ID:qSYFE7DR
>>951 他者の良心を尊敬し配慮するけど、経典は神の霊感だと言われると
ちょっと。長くなるから今は詳しく書かない。
955 :
(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/10/20(土) 10:47:19 ID:qSYFE7DR
>>953 >聖書を絶対とすることは良心を捨てたということ。
聖書は神ではないけれども神について霊感に照らされて人に告げる
ものではある。それを無視することを良心が命じているとするなら君の
こころが他者をその実すてていないかどうか確かめた方がいいかも。
先人が血の滲む様な苦労をして迫害に耐えて霊感して悟ったものを
現代人は5分で吸収できるんだよ。
感謝の心が少しでもある人は、仏典や聖書やコーランを粗末にしたりせず、
ときおり開いて見たりする。
ところがクリスチャンや創価学会員には感謝の心が少しもないんだね。
キリストのみでなければならない、と思い込むことによって
先人へのねぎらいの心をすっかり忘れて、先達たちをたたき回るようなことをする。
そしてそれが好いことのように思ってしまう。恐ろしい。
958 :
神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 11:23:44 ID:atgDAyBV
時間、空間を作ったのも神
神の存在って生物の進化を根本から覆せなければ、不成立ですよね?
人類は
微生物→海洋生物→陸上生物→動物〜類人猿〜原始人〜現代
と進化する過程で能の発達により人知を身につけるのであって
順番は
人知の発達→言語→文化
したがって、神の誕生は
「人類の能の発達」以降。
って事は
神が創造主で全てを創りだしたのではなく、
「人類が神を創りだし、『神』という《思想》を生み出した。」
という理論を否定する方法は?
960 :
神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 11:46:15 ID:lx5mMkV2
>>1 「存在するもの全てに作者が存在する」
をまず証明しないと、議論にならんよ。
961 :
神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 11:47:20 ID:atgDAyBV
通常の学問は時間が経ては進化発展するけど
宗教や哲学のような思想は説いた人がいなくなれば
本来の教えと異なる解釈をしたり曲解したりして
だんだん廃れてゆくように思う。
特に宗教はより良いものは賞味期限が長いけれど
偽者は短いという耐用年数で測れるように思うけど。
962 :
(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/10/20(土) 11:57:27 ID:qSYFE7DR
>>956-957 霊感の問題は難しいよ。キリスト教では『愛がなければ』預言をしていても、
全ての知識に通じていても、どんなに深い信仰があっても、体を焼かれるため
に人に自らを渡しても、すべて虚しいとされるパウロ書簡の記述がある。目に
見えない関係性をうんぬんするのは軽々に語れることではないよ。相手に対
して「感謝」の心がないと書き込む君も、一皮むけば非難されるその姿は君
自身であると気づくような性質の問題かもしれないし。まともに意見を言うと
長くなるからちょっと思いついたことだけ書き込みするけど・・・。
963 :
(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/10/20(土) 12:16:23 ID:qSYFE7DR
>>959 信仰者がなぜ神を信じているか、それをきちんとお知りになればそういった
変なことは言わないのではないかと思います。
>>963 何故故に神の存在が思想以外で成り立ち、存在を肯定できるか。
また、「変」と言える理由を是非ともご教授いただければ。
そこが聞きたい。
965 :
神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 23:10:18 ID:atgDAyBV
世界人類、十数億人の人々が尊敬してやまない、イエス・キリストが信じ続け
ていた「神」は、彼の独断と偏見にもとづくまったくの空理空論だと決めつけ
られましょうか。イバラの冠をかぶって十字架につけられた、あの真実の真理
の使途に対して、狂人呼ばわりする人がいるならば、その人こそ、世人の前に
歩み出て、自らが狂っていないことを証明するべきです。
一体、誰が釈迦やキリストという人類数千年の歴史が誇る偉人を論破するだけ
の真理を体得し、道破しえたというのでしょうか。
人類数千年の歴史が「尊敬」の二文字をふしつづけてやまない彼らの教説を
一笑にふす自信があるならば、彼ら以上の人格者であることを、まず、あなた
が証明してごらんなさい。
966 :
神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 23:22:30 ID:Pu0+QozX
>>965 二千年に及ぶイエスへの尊敬がもたらしたもの、それが大量虐殺。
それと人格者であることと言ってることが正しいかどうかは別問題。
「あの人はいい人だけどバカだよね」って台詞はよくきくだろ。
ついでにブッダやイエスはあの当時の基準からして人格者ではありません。
何より人格者なんてチンケな枠に納まる人間は他人に影響を与えられません。
968 :
神も仏も名無しさん:2007/10/21(日) 00:49:04 ID:S658JZgx
アメーバーが何億年かかれば偶然に人間になったという進化論は正しいとは
思わない。
これは、建物が完成する過程つまり、基礎を作って柱をたて瓦をのせて・・・
という過程を説明してるだけで、実際は完成した状態の設計図が先あったという
存在を忘れていると思う。
969 :
(бιб∂ ◆8fRI53Oe1o :2007/10/21(日) 00:56:35 ID:Ej+ydc9j
>>964 愛って日常生活から離れた何かじゃなくて、見えないけど確かにある。
そういうことの何であるかは、きちんと直接に掲示板のレス以外でやり取りを
して理解したり学ぶべき。
970
975
980
985
989 :
神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 05:47:41 ID:X1aKSvez
【在日北朝鮮カルト顕正会絡みの凶悪犯罪の歴史・日本編 2007年度版】
11月 2日 覚醒剤取締法違反 顕正会員 逮捕 送検
11月 6日 入会強要 森田 議文 中原 ムネハル 小川 ジュン 北森 某 逮捕 送検。
11月11日 顕正会への入会強要で監禁暴行 松野 登志彦 和田 茂樹 逮捕
12月 8日 埼玉・行田市で溝口順子容疑者(47)ら2人が器物損壊の疑いで逮捕、ほか二名別件で逮捕
1月11日「顕正会本部」を捜索 大学生に入会強要、「神奈川県警公安1課」が3人逮捕
2月24日 東京都北区で中華料理店に放火。実刑。
3月 4日 入会強要 顕正会員 武藤 ひさ子 逮捕。
3月18日 顕正会員が違法射撃 秀島 裕展 逮捕 送検
3月26日 拉致監禁暴行 男子高校生失明 逮捕 送検。顕正会本部を捜索
4月13日 顕正会への入会強要・殺人未遂・暴行 前川 某 逮捕
5月 2日 顕正会員が強制わいせつ・余罪多数 丸山 陽三 立件 逮捕
5月 5日 監禁 石川 秀樹 行徳 祐一 逮捕 「 起 訴 猶 予 処 分 」にて釈放。
5月 9日 顕正会への入会強要 小池 淳子 逮捕・送検。
6月15日 殺人・覚醒剤取締法違反 顕正会員 宇高 明男 宇高 聡 起訴
6月15日 殺人 顕正会員 宇高 明男 逮捕。
6月22日 通信販売契約社員(37)約51万人分の顧客情報を記録して流出させる。
7月 2日 入会強要・拉致・監禁・暴行 桜井 祐也 太田 隆司 高橋 康晃 逮捕
7月 3日 傷害 群馬の中沢誠が元短大教授(71歳)を暴行、顕正会群馬県施設に一斉捜査。
7月25日 顕正会員が住居侵入・暴行 田中 えりな 逮捕
8月 3日 入会強要で拉致監禁暴行 男子高校生骨折の重傷で「顕正会本部」を捜索。
8月28日 顕正会への入会強要。拉致監禁暴行 顕正会員 2名 逮捕 送検
9月 7日 女児に性的暴行で、少年(19)逮捕。
9月14日 大阪教育大付属池田小学校殺人事件 宅間守死刑執行。
9月19日 軽犯罪法違反(つきまとい) 顕正会員2名 逮捕 送検
10月 9日 活保護費を不正受給で7人逮捕。
10月17日 オレオレ詐欺グループ仲間割れ殺人事件 逮捕。
990 :
ねんころり:
馬鹿じゃない?すべてを創られた神様に はじめも おわりもあるわけないニャン
哲学学べ 久しく遠い過去から 神様はおられる方 創造者は被造物ではありませんから、区別すべし。
人間には理解出来ない超越した存在だニャン
信じる対象