原始佛教 その26 [仏教]

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1神も仏も名無しさん
下記の板や某SNSへの誘導ロビーにすればいいかと思います。
【前スレ】http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1182472272/

ここではアーガマ(漢訳阿含經典など)やニカーヤ(パーリ佛典)に説かれている教法や教理 を中心に、様々な議論を重ねて行けた
らと願います。佛教の原点を闡明できる良スレにな る こと期待しております。引き続きよろしくお引き立てのほどを。

自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されるようお願い申し上 げます。原始佛教関連以外の話題は当該スレ
ッドか新たなスレッドを建ててお願いいたします。 スレ違いの妄想珍説には終始黙殺・完全無視をよろしくお願いします。
立論議論に際しては首尾一貫・理路整然を心がけて頂きたく存じます。
※尚、当スレで得られる知見の使用等はあくまで各個人の営為に委ねられることをお含み置きを。

・過去ログ保管サイト(独り言 ◆ZZW30U26joさんのご厚意による)
http://www.geocities.jp/jfcps873/index1.html

━━注意事項━━━━━━━━━━━
追記:粘着に無知蒙昧な珍説を吐き散らす外道「机龍之介」が寄生しておりますが無視・スルーでお願いいたします。
議論があれば「オウムだ、オウムだ」などとのたまう「松」も同様であります。尚、これらにレスを与えることも荒し行為と認定いたします。
2神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 08:27:18 ID:2vZGjPoC
・参考サイト
web上で読める原始佛典の和訳
『スッタニパータ』
 http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/buuta0.htm
『ダンマパダ』
 http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/sinri-0.htm
注:しかし、誤字誤写が多いので、岩波文庫の原典を参照してください。

「ブッダのまなざし 翻訳編」(日本テーラワーダ仏教協会によるもの)
http://www.j-theravada.net/sakhi/buddha_manazashi-0.html
注:部派佛教の一派である南方分別説部の流れを汲む一団体のサイト内のものであります。

インド思想史における佛教の成立やその展開を把握するには・・
http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/bukkyou1.htm

佛教思想の特徴を明快に説明したもの・・
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/index.html

漢訳阿含經典等は以下で閲覧出来ます。語句検索も出来て非常に便利です。
http://w3.cbeta.org/
3神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 08:28:12 ID:2vZGjPoC
・参考サイト2
web上で読めるパーリ文献としては、原語なら、
http://www.sub.uni-goettingen.de/ebene_1/fiindolo/gretil.htm#Pali
http://www.mettanet.org/tipitaka/index.html
http://www.tipitaka.org/tipitaka/booklistframe2.html *アッタカター&ティーカー註釈つき
などがあります。フォントのダウンロードとインストールをお忘れなきよう。

パーリ文献協会版のパーリ語辞典。
http://dsal.uchicago.edu/dictionaries/pali/

パーリ三藏の英訳です。
http://www.accesstoinsight.org/canon/index.html

サンスクリット語関連サイトなら、
Monier-Williamsのサンスクリット語辞典。
http://webapps.uni-koeln.de/tamil/

Apteのサンスクリット語辞典。
http://www3.aa.tufs.ac.jp/%7Etjun/sktdic/index.html

サンスクリット文法等。
http://www.manduuka.net/sanskrit/index.htm
などがあります。

http://depts.washington.edu/ebmp/index.php?PHPSESSID=f3427b60964f4e88531d5e0507ae57c1
大英博物館とシアトル・ワシントン大学の協同による
“Early Buddhist Manuscripts Project”。
近年アフガニスタンで出土したガンダーラ語の『ダルマパダ(法句經)』や『スッタニパータ』「犀角經」などの古写本、
いわゆる「最古の佛典」の写本画像と研究報告の一部が閲覧できます。

インド思想史概説 http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/bukkyou1.htm
4VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/08/07(火) 08:29:06 ID:2vZGjPoC
「真ん中の道を、サイの角のように、ただ独り歩め。 」 VEGAN ◆PsPHI2rklQ著
人間が指、足、心臓と認識する。部分化する。
さらに見れば、鉄分、ビタミン、たんぱく質、骨、骨のカルシウムと部分化できる。
しかし、それは一つのワタシという有機体です。
部分として孤立し実体していると固執するとき妄執というのではありませんか?
実は相互に依存しながら、つまり縁起しながら動いているというのです。
人間がアンタ、俺と認識するとき、それが同じような妄執なのだ、と釈尊はおっしゃった。
ワタシは五蘊ではない。ワタシは見つからない。実体性が空である。
ワタシは五蘊に依存して存在しているから、五蘊の所有者がワタシではないか。
しかし、五蘊以外にない。実体性が空である。
さらに、なにかを見るとき、過去の記憶を被せて鬱積のある感情あるいは再び期待を抱く。
そうでなく無常である世を、あるがままに見よと、釈尊はおっしゃった。 無常であり、実体性が空である。

物は実在している。
しかし、実体が、つまり自性が無い。相互に依存し、縁起しているに過ぎない。
わたしが一つの有機体であるように、わたしとあなたも一つの有機体である。
実体はなく、なにか我執を存続させているような自性は突き詰めるとない。
それは妄執である。
しかし、物は実在している。
虚無論でもない、実在論でもない。マーヤでもない、アートマンでもない。禅でもない、阿頼耶識でもない。
真ん中の道を、サイの角のように、ただ独り歩め。

死こそは、本当の生であり、そこには再び期待するという我執が滅されている。
それは死のように滅されたのだ。輪廻が起こるのは死してなお、再び期待するからだという。
ゆえに本当の死こそが、本当の生である。
そこには再び期待するという我執が滅されているのである。本当の死であり、滅されたのだ。
あるがままを見、過去の記憶を見ているのではない。つまり、生きているのだ。

ただ、どのようにしてそこに達するのかといわれれば、 まだ学び足りず分からない。
ただ、どのような方法だとか、どのような道であるか、どのような宗教ではないのだ。
ただ、早急に、執拗に、徹して再び起こし続けないことである。
それが瞑想である。 そこに真理がある。
5VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/08/07(火) 08:43:32 ID:2vZGjPoC
「本質は無常である。実体は空である。」VEGAN ◆PsPHI2rklQ著
仏道とは、ブッダの信仰だったのでしょうか、あるいは法衣を着ることでしょうか?
いえ、それは四聖諦の実践でした。

変化のある無常の世界において、再び期待する。
しかし、再び期待したものを得たとしてもそのまま再び移ろっていく。
そこで苦を味わう。
苦と切り離すことができない。

このように苦しみの本質は無常であると知った。
そして、栄華を願う心は、離れるとした。
そして、権力を願う心は、離れるとした。
そして、快楽を願う心は、離れるとした。
生老病死、その移り変わりを、ああしようこうしようと願う心は離れるとしよう。

このようにしてから、再び期待したことに気づくのである。
今度は期待の裏にある苦を照らし、この無明を暴いていく。

そして、根本原因であるワタシを仮設するという妄執を暴くのである。
物は存在している。それらが無常に変わり行く相互関係でしかない。
そこにワタシというものは見つからない。空だ。
ワタシを仮設するとき、再び期待するのである。これが苦の原因だと気づく。
さらに、何かが存在すると仮設する、この妄執を暴くのである。

仮設して得たい、害したいとするとき、
それが苦の原因となる。
しかし、本質は無常である。実体は仮設である、空である。

このようにして知識として知るだけでなく、瞑想するとき、つまり体得するとき、
再び期待することなく、あるがままを見るとき、真理を悟っているのである。