学問としてみた一神教 Part2

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1カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
ここはユダヤ教、キリスト教、ひいては、イスラムを含めた一神教を、
今のキリスト教会が教える一神教ではなく、あくまで、学問的アプローチ
で、考察するスレです。学問的アプローチで、旧約聖書、新約聖書、クルアーン
などの書物を読み解き、一神教を探っていきましょう。あなたの信じる学説
等から、一神教を語ってください。あらたな発見があるかもしれません。
またそれに異をとなえる、信仰者からの意見も大いに結構です。大いに議論を戦わせ、
それぞれのアプローチから一神教を探って生きましょう。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に関する、学術的な回答がほしい方は、こちらのほうで質問よろしく。

聖書の読めるサイト
http://bible.monochro.com/index/32458
クルアーンの読めるサイト
http://www.isuramu.net/kuruan/index.html
2カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/08/07(火) 04:35:43 ID:L5Nm9d2r
前スレ
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1186068799/

レベルの高い話を、よろしく。
3 1乙:2007/08/07(火) 11:56:28 ID:7fjedd89
一神教とはなにか?一神教であることがアイデンティティーにすらなり
一神教的でないもの<偶像崇拝>で対立がありますね
教会での偶像てんこもりについてですが、文字を読める割合が少なかった時代には
教会のかべが、聖書の飛び出す絵本になっていたと思うので
偶像崇拝枠に入れるのはいかがなものかと思いますね

あと、一神教とはクリエーター概念と
4神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 12:02:42 ID:YMyZuklg
5神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 12:07:47 ID:YMyZuklg
前スレのウェブ魚拓をとっておいたのでしばらくは見られるだろう。
http://megalodon.jp/?url=http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1186068799/&date=20070807120540

ついでに、
■前スレ |†| キリスト教@質問箱171 |†| (ウェブ魚拓版)
http://megalodon.jp/?url=http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1185210915/&date=20070803133127
6神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 13:15:02 ID:kfP9XaE0
唯一絶対を世界適応するのがあふぉ
7神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 13:23:17 ID:5CTW2+qc
>>989
>>そのあるがままの人生・現実を受け入れて、精神の平安を得ることが、宗教
>の本来の目的であるはずなのだが。君らクリスチャンは、まったく逆を行ってる
>ことになる。
それは何の宗教ですか?
それがあなたの宗教だとしたら、なんとツマラナイこと・・。
それだけが宗教ならば宗教など必要ないのでは?
8神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 17:48:53 ID:uKsvEMFs
質問です(^-^)ノ
カラスの唄さんは
複数称?それとも一人称ですか?
9神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 18:34:13 ID:5CTW2+qc
カラスの唄、前スレかどっかで自分は使徒信条と違うものを信じてる、のような
趣旨の文を読んだ気がするのですが、それはどういったことなのですか?
10カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/08/07(火) 19:59:07 ID:L5Nm9d2r
>>8
どちらでもない。
闇夜に一羽のカラスが鳴いた。
私は闇夜のカラス。

「一」は全体であり、全体は「一」である。
11神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 20:08:25 ID:5CTW2+qc
かっこいいね〜。w
いやマジで。
12神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 20:35:12 ID:b+IzHI+z
http://www.cismor.jp/jp/research/lectures/051217.html
イスラム圏ではズー・ル=カルナイン(イスカンダル)は今でもアレクサンドロス大王と同一視されてるんでしょうか?
13神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 21:00:09 ID:Wcl6p3PC
>>10
宗教は、「一」どころか、ゴマンとある宗教ごとにばらばら。「神」の姿も
教えもそれぞれ違い、お互いにあい争っている。百人百様の「人間の概念」に
過ぎないからである。
14カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/08/07(火) 21:16:46 ID:L5Nm9d2r
>>9
詳しく書くと長くなるし、スレ違いなので簡潔に。

特に大きな違いはといえば、肉の復活について。
一般的なキリスト教徒は、復活のとき、自我と共に、自らの身体も聖変化し、
滅びるはずの身体も、滅びない身体となり、永遠に生きると思っている。
だがそれは違う。いくら身体が聖変化しようとしまいと、
相対で成り立つものに永遠などない。それは相対で成り立つ自我とて同じことである。
自我は死ねば終わりの、一回こっきりの幻のようなものである。

見られる者は、見る者を認識しないが、見る者は全てを認識している。
心の働きを止滅させたとき、見る者は本来の姿に安住するだろう。

復活とは、元からあった自分自身を、再び受け取ることである。

どう?随分と一般的なキリスト教徒の理解とは違うでしょう?
今の自我の復活を待ち望むこととは、滅びへの道だということを、彼らは知らない。
15神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 21:21:24 ID:b+IzHI+z
で、イスカンダルに二本角がある理由ですが、

以前テレビでアレクサンドロス大王がデザインされた硬貨を見たことがあります。
そのコインではアレクサンドロスの頭に羊の角が生やされていました。
ttp://www.geocities.jp/timeway/kougi-11.html
その時見たものは、たぶん↑のサイトにある写真のものと同じです。

コインの流布とともにそのデザインのようなイメージのまま
語り継がれるようになったのではないでしょうか。

ただし、アレクサンドロスのコインにはライオンや象の皮をかぶったものもあり、
それらではなく、なぜ「角のある姿」が伝承として残ったのか、という疑問も残ります。
ttp://www.amateras.com/trip/japan/museo/tokyo/shin.htm
ttp://www.s-ivy.jp/ptolemaic_kingdom.html
16神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 21:22:35 ID:5CTW2+qc
>>14
そこまで詳しく考えたこともない。


                  と一行レスでゴメンw
17神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 21:24:48 ID:5CTW2+qc

            _______________
   Λ_Λ        /`、
  ( ;`Д´)     <面白いもんはやくだせ!!
  ./ つ  つ゛ 〃ドンッ! \________________
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ゛
 
                     みんな待ってんだぞ。
18カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/08/07(火) 21:31:07 ID:L5Nm9d2r
スレ違いの話題で失礼。
個人的には、単なるアンチVSキリスト教徒の罵りあいではなく、
純粋に、学問的な話題でスレが伸びることを期待してます。
19神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 21:36:44 ID:b+IzHI+z
コインが造られ広まった地域・時期がわかれば、参考になるでしょう。
これは予想ですが、「角のあるアレクサンドロス」のコインは、ライオンや象の皮を
かぶったデザインのものよりも、より長く、より広く流通していた、と思います。
20:2007/08/07(火) 21:44:21 ID:uKsvEMFs
なるほど〜
なかなかシブいイメージングですね
姿は見えなくとも気づいたら見守られていたような
或いは郷愁を呼び起こされるような感覚・・・

ふふっなかなか面白いと思いましたよ
21KG:2007/08/07(火) 21:58:01 ID:ryxZ8TFO
>>15
まだリンク先を見ずに意見するのは恐縮ですが、
私が手掛かりとなると思うのは、アレクサンドロスの初期の頃の立像です。
それは羊の角を持った大王像で、ギリシアのペラから出土した、小さめの大理石像です。
この像は、典型的なアレクサンドロス像の特徴(少しだけ首を傾け、髪を真ん中で分け、口が半開き)を備えています。
時代も、前4,3世紀頃に同定され、かなり初期の頃の作品です。
ですから、これは、アレクサンドロスお抱えの彫刻家リュシッポスにかなり近い作品かもしれないといわれています。

さて、その角が意味するとことですが、一般的には、「牧畜の神パン」の化身を表していると考えれられています。
なぜパンなのかというと、その神は、しばしばギリシア軍に加勢して勝利を与えてくれるからだそうです。
要するに、戦争の神として描かれることによって、見る者に、力強さと恐怖を与えたのでしょう。
パンはパニックの語源でもありますし。
パンとの融合の理由は他にも諸説あり、「パン=全体(汎)=大王による全体支配」を表しているとか
出土場所のペラで牧畜が盛んであったことから、土着の信仰と融合させようとしたのではないかとも言われています。

とはいえ、角というのは、いつの時代も力強さの象徴で、後代のヘレニスティックな王たちも、角を被っております。
ですから、必ずしも、パン神に起源があるとも断言はできません。
でも、角のある君主の像はどの時代に遡るのでしょうかは興味深いです。
私が知る限り、ペルシア時代のコインには角のある王が描かれているのは見たことがありません。
ライオンと一緒に描かれているのは、よく見ますが…。

ちなみに、アレクサンドロスについては、アフガニスタンかどこかで、今でも昔話や人形劇の題材になっているそうです。
そこでは、圧制者として描かれずに、ヒーローとして描かれているのは興味深いです。
22:2007/08/07(火) 22:52:40 ID:+UlKOj7y
アレキサンドロスはギリシャではあるが、マケドニアというギリシャとしては辺境の権力者だったんだよね

まあ、ローマ時代になるとイタリア半島のラテン語のやつらに主導権が移るわけだが
23:2007/08/07(火) 22:59:25 ID:+UlKOj7y
アレキサンドロスの成果として、プラトン家王朝のミトラ教国家がアフガンの地で可能になったのだろうね

アフガンの隣はペルシャ語圏だったりインドも近所だし、ミトラ=ミロク菩薩が伝搬した経緯にもなったのだろう。
24神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 01:41:51 ID:pgZ+N7Ce
>21
Punicの語源てっきりPoeni=カルタゴのことだと思い込んでたorz

25KG:2007/08/08(水) 06:44:42 ID:5cYtLdfG
>>24
いえ、思い込みではなく、“Punic”(Poenicus)は、カルタゴと関連付けて正しいのではないでしょうか?
それはカルタゴの言語(あるいはカルタゴ的な)を意味し、もともとは「フェニキア」という語に起源を持ちます。
カルタゴは、フェニキア人の植民地でしたから、これはもっともな説明だと思います。

これに対して、いわゆる「恐怖」を指して言う「パニック」“Panic”のほうは、牧神パン(Pan)に起源を持つといわれています。
その理由は、パン神の性質である唐突な出現は、人々を驚かせ、逃げ惑わせると信じられていたからだそうです。
彼が、家畜の「群」を管理する牧畜の神であることから、この理由はありえそうな気がします。
牧夫というのは、人々(とくに牧畜文化において)にとっては、強力な指導力の象徴だったのでしょうか…。
またもう一つ、私が小耳に挟んだ理由は、パンは静寂が好きで、人が騒がしくすると大変怯えるから、というのもあります。
その場合は、音楽や楽器と関連付けられているのかもしれません。

余談ですが、ガリラヤ地方の南部に、バニアスというとても美しい国立公園がありますが、
そこには、ヘロデ大王がアウグストゥス帝に献納した「パンの神殿」の遺跡があります。
そこで行なわれた祭儀などを調べれば、当時の人々の、パン神イメージが分かるかもしれません。
26神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 08:18:09 ID:6jMIgKll
KGさんへの残暑見舞い
いつも御高説、拝見しています。
揶揄嘲笑、罵詈讒謗の飛び交う2ちゃんねるにあって、
常に声低く論理的に語られる姿に感銘を覚えます。
残念ながらKGさんの問いに対して
議論を深めるという形での論争相手は未だ現れていないようです。

  勝敗を事とする者
  見当違いの者
  論理的な思考の出来ない者
  単なる混ぜっ返し
  自分の知識を自慢したいだけの者
様々な相手にKGさんも内心辟易していることと思います。
しかしこのような人たちこそ2ちゃんねるの活力の源泉でもあるのです。
有象無象の海の中でKGさんの問いがどのような実を結ぶか、
外野からで申し訳ありませんが期待して見ております。
お体に気をつけながらKGさんはKGさんの問いを問い続けてください。
27:2007/08/08(水) 09:37:40 ID:RaQj+ho/
>>26 いいから一神教につながることを書け
主婦の会話じゃないのだから、あんたの派閥主観リップ会話なんていらんよ
それと
一神教でもなんでもいいが、潜在前提擦りこみ価値観もふくめて
主観というプライベートスペースと、それ以外のパブリックスペースでのスタンスを
切り替えないやつはゴミ
28神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 13:14:00 ID:YWaqTb1X
ヌフはこれだからな・・・。
29神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 16:49:53 ID:oX13HVJx
>>21
リンク先によると、「羊の角はアモン神の子としての神権を象徴する」そうです。
アレキサンドロス大王はエジプトを訪れた際にアモン神殿を訪れたのだとか。
ttp://members.jcom.home.ne.jp/diereichsflotte/History/AlexanderAndPhalanx.html
ttp://www.uraken.net/rekishi/reki-eu07.html
ttp://www.geocities.jp/msakurakoji/004Localmaps/30aleksandros.htm
また「自らをアモン神の子とする神託を得た」とも。

パン神の化身=アモン神の子=俺

すごい人だなぁ。
30KG:2007/08/08(水) 19:12:04 ID:5cYtLdfG
>>29
ローマ時代の彫刻作品にも、雄羊の立派な角を生やしたアレクサンドロス大王の頭部像の複製品があります。
そのオリジナルは、ヘレニズム時代のアレクサンドリア製で、やはり、アメン(アモン)神との一体化を象徴しているのだそうです。
彼が、シウァのアメン神殿を訪問し、そこで神官から、ファラオとして認められ、「アメン神の子」として迎えられたという逸話はあまりにも有名です。
アレクサンドロスからしてみれば、アメン神は、ゼウスと同一視できる神格だったので、彼はそれを喜んだと思います。
もちろん、この逸話の背後には、アレクサンドロス側・エジプトの神官側双方の思惑があり、これを純粋な宗教的事件と受け止めることはできません。
アレクサンドロスは、土着の神殿体制の支援を求めていましたし、神殿側も、アレクサンドロスの支援を申し出ることによって恩恵を得たでしょう。
この逸話は、その両者の“結託”を象徴しているのかもしれません。
アレクサンドロスと各地の土着の神々との融合の図像は、それら土着の支持基盤を獲得したことの象徴なのでしょう。

ここで、私などは、「イエス=神の子」というコンセプトは、このあたりに起源を持っているのではないかと考えてしまいます。
「人間の母から生まれた神の子」という設定は、ファラオ、アレクサンドロス、アウグストゥスに共通しています。
その定式をキリスト教徒が採用し、それをイエスに重ねたということは十分考えられます。
「イエスは神の子である」などと言われれば、人々は瞬時に、「ほほう、なるほど、神の子ね」と相槌を打ったことでしょう。
「神の子」という称号は、神秘性だけでなく、権威の正統性をもイメージさせたに違いありません。
唯一(?)、それにポカーンと呆れ、眉をひそめたのは、ユダヤ人だったでしょう。


31神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 19:39:56 ID:ZQ4sYusH
>>30
ユダヤ人とは別に、キリスト教徒が存在したということですか?
32神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 21:43:44 ID:TXvFZLtk
【聖書学】学問としてみた一神教【クルアーン】
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/credit/1186422122/

本スレに移動願います。

聖なるイシュアに対して入会申込書によって罪の赦しを請い、会員規約を戒律となし、
発行されたクレジットカードをこの高度資本主義社会における唯一絶対の神としつつ
免罪符としてゴールドカード・プラチナカードを求める罪深き人々が、
クルアーンとリボ払いの関係についての議論を深めようと試みています。



「借金してまで宴会を開いて、無一文となるな、/お前の財布が空だというのに。」 〜 シラ書 18:33
33神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 22:11:55 ID:YWaqTb1X
素敵杉ます。
また、惚れ直しました。
カラス殿。
34KG:2007/08/09(木) 01:09:49 ID:PkA/t/pP
>>31
もし、ユダヤ人が「神の子」というコンセプトを持っておらず、
それを唯一絶対なるヤハウェに対する冒涜と見なしていたのならば、
どうして彼らは、タダの人イエスを神の子とする教えを受容することができたのか?
この問いには、私も少々悩まされます。
>>30の最後の一文に(?)を打ったのはそのためです。

その疑問に答えるために、さらなる質問を考慮する必要があると思います。
@ユダヤ人は既に、「神の子」というコンセプトを持っていたか?
Aユダヤ人は、ヘレニズム・ローマ的な「神の子」観に慣れ親しんでいたか?
Bユダヤ人は、イエスを「神の子」と教えるグループには加わらなかったか(>>31)?
C福音書にある通り、ユダヤ人らは、イエスを目撃して、「神の子」だと確信したのか?

以下では@だけについて考えますが、それは、ユダヤ人が「神の子」という呼称に“眉をひそめなかった”ことを指し示します。
そのためには、やはり、新約以前のユダヤ人の文書に当たる必要があります。
これについては先学がいくつかありましょうが、ここではあえて、自説を展開してみたいと思います。
私が、まず挙げたい文書は、『ヨセフとアセナテ』です。
これは、前1世紀頃に、おそらくエジプトで成立した、ユダヤ人の文書です。
そこでのヨセフは、「初子」、「神の子」と呼ばれており、高貴な人物、神に認められた人物として描かれています。
ここで注目できるのは、彼が、あくまでタダの人間であるということです。
彼は、神の化身であったり、天から下ってきたり、聖霊によって生まれたわけではありません。
ヨセフのように、“タダの人”であっても、神の好意を得れば、「神の子」と呼ばれるのです。
このことから、ユダヤ人がタダの人を「神の子」と呼ぶことに、必ずしも拒絶反応を示さなかったということが言えます。
35KG:2007/08/09(木) 01:15:58 ID:PkA/t/pP
>>34のつづき。
@について、もう一つ参考になる資料は、死海文書の『神の子の書』として知られるアラム語の黙示断片です。
この文書は、前2,3世紀ごろに位置付けることができ、「神の子」の起源を探るには格好の材料です。
そこには、「神の子」と「最も高き方の子」(ルカ1:32参照)という語が出てきます。
その人物は、戦いを巻き起こし、短期間、地上を支配し、自分で、あるいは人々から「神の子」と呼ばれます。
この人物が誰を暗示しているのかは諸説ありますが、はっきりしているのは、
ここでの「神の子」という語が、統治者、支配者を指しているということです。
これは、『ヨセフとアセナテ』の中の、「神の子」像とは、明らかに異なります。

以上、『ヨセフとアセナテ』、『神の子の書』の中から、イエス時代“直前”のユダヤ人の中での「神の子」のコンセプトの起源を探りましたが、
両者の「神の子」の描写には、違いが見られ、そのイメージが、一枚岩的でなかったことがうかがえます。
とはいえ、イエス時代以前に、すでに「神の子」という用語を、ユダヤ人らが抵抗なく使用していたことは明らかです。
このことは、一部のユダヤ人が、イエスを「神の子」として受容することを、容易たらしめた可能性を示すかもしれません。

ただし、注意が必要なのは、それは必ずしも、「超人」や「神格者」を意味しなかったことです。
これは、>>30で示した、アレクサンドロスが採用した「神の子」の称号のイメージとは異なります。
「神の子」の称号が、後の三位一体説を誘発したとしたら、それはギリシア世界側の観念であったといえます。
ユダヤ人とギリシア人の「神の子」のコンセプトの起源が一つなのか、そこまでは分かりませんが、
この両者の持つ異なるイメージが、「神の子イエス」に収斂されたと考えることはできます。
ただし、「イエス=神の子」という神学に至るには、我々が想像する以上の、紆余曲折があったことでしょう。


36暇人:2007/08/09(木) 04:25:37 ID:bcA7u+1p
「アメン神の子」は、エジプト的には、
王族の女性(人間)+神(神の化身)=神の子というわけで、
王の正当性としての「神の子」主張ということになります。

土着神話に開放的なギリシア人気質の則り
アレクサンドロスは、このエジプト伝統に乗ったのでしょうね。
直子というよりは養子に近いかもだが 
要は「神の子」証明は『王の正当性証明である』

ルカ書の「マリア-聖霊降誕物語」は、このヘレニズム的な匂いが
あるかもですね。

但しユダヤ的伝統でも詩篇2:7に見られるように
「王」=「神の子」という観念はあった。
これは古代地中海沿岸地方に広く見られたのかもしれない
37暇人:2007/08/09(木) 04:29:05 ID:bcA7u+1p
ちなみに 「神の子ら」と複数形ではあるが

創世記その他では、天的な存在(元々は異教の神なのであろう)が、
「神の子ら」という名称で表現されている。

例;創6:4
38KG:2007/08/09(木) 06:06:43 ID:PkA/t/pP
>>36>>37
旧約聖書の王権のイメージは、多分に、オリエントの世界観から借用してきているので、
創世記の「神の子ら」と、詩編での王としての神の子との間には、何らかのかかわりがあると思います。
(詩編82:6にも「神々」「いと高き方の子ら」という表現が使用されていて、何となく、オリエントの多神観の痕跡を匂わせています。)
「神の子」という設定は、ギリシア世界、オリエントの世界両方において、王統の象徴だったのでしょう。
それは>>35の『神の子の書』にも反映されているのかもしれません。
このように、旧約だけを取り上げても、「神の子」のイメージは、決して真新しいものではなかったと言えます。
そのイメージはおそらく、メシアの背後に控えていたとも想像できます。

ただ、私としては、旧約において「神の子」という術語が、誰か特定の人物を指しているかどうかが気になります。
加えて、『神の子の書』のように、“呼称”として使用されたことがあるのかも気になります。
いずれにせよ、旧約においても(それらの観念は捕囚前のものでしょうが)、他の文書においても、
「神の子」という呼び名、あるいは設定が、神性や神格の象徴となっていないのは注目に値します。
ですからもしユダヤ人の間で、「神の子」が定着していたとしても、アレクサンドロスのように、神と自らを融合させることはなかった思います。
もしそれを認めることができたとしたら、それは、かなりヘレナイズドされたユダヤ人だったでしょう。

上の考察を踏まえて、イエスを神と等しい存在とする、キリスト教文書の最古層「フィリピ人の賛歌」(2:6)の文化背景でも探れば、何やら面白い発見があるかもしれません。
私は、Qや奇跡物語を生んだイエス運動の最初期の者たちは、イエスを「神の子」と見なしていなかったのではないかと思います。
イエスを神の子と設定する、キリスト教の教えや福音書に触れたユダヤ人たちは、そこでの「神の子」にどんなイメージを重ねたのでしょう?
彼らの困惑は、福音書の中のイエス裁判での大祭司らの困惑によって表現されているのかもしれません。
ユダヤ人らは、ユダヤ的「神の子」と、ギリシア的「神の子」に目を白黒させたことでしょう。
39暇人:2007/08/09(木) 07:56:27 ID:bcA7u+1p
マタイ・マルコに共有されマルコに無い
「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」は、
Qでしょ。

旧約外典の「ソロモンの智恵の書」にも「神の子」があるが
「義人=神の子」ですね。
これは前1C頃アレクサドリアで作られたと云われています。
イエスの頃の「神の子」は「メシア(キリスト)=神の子」でしょう。

「神の子」は、時代を経るにつれて「王」→「義人」→「メシア(キリスト)」という意味で
使われたとしたならば、Q資料の「神の子」は「キリスト」という意味
なのでなんら不思議はありません
40神も仏も名無しさん:2007/08/09(木) 10:21:44 ID:kWvlpzCC
こうやってユダヤの元ネタを探す時にとりあえず同じアフロアジア系の言語文化を持つアッカドやエジプト(ついでにアラブやエチオピア)を考える訳だけど。
C. H. Gordonあたりがそれだけでなく、ウガリットとギリシアの神話のつながりを考えるべきってのを唱えてたけど、今はその方面てあんまり考慮されてないのかな?

ヘルクレスの超人伝説と東地中海の神の子が王という文化の共通する基盤になってるものがあるんじゃなかろうか?って思うんだけど。

で、これがそれぞれ別に発展しつつ、この時期に再び巡り会ってこうやって発展したみたいな(元ネタ引っ掻き集められないんで、只の妄想に近いな、この書き方だとorz )。

41KG:2007/08/09(木) 16:58:36 ID:PkA/t/pP
>>39
確かに、Qの中には、「神の子」の記述がありました(ただし、最古層Qにはない)。
ですからご指摘の通り、Qの共同体は、いずれかの段階で(Qそのものにも発展段階がある)、イエスを「神の子」と見なすようになったことになります。
そうなると、必ずしも、「神の子」の観念が、ギリシア側だけからもたらされたとは言えなくなります。
イエス運動のある段階で(おそらくユダヤ戦争後)、イエスは神の子と見なされたのでしょう。
Qの中でも、この「神の子」を含む層は、最も後発だといわれています。

では、そのQの中の「神の子」が何を連想させるのか、という疑問が湧いてきます。
それはメシア(クリストス)なのか、それとも神格者なのか、義人なのか、殉教者なのか…。
その層全体を見渡すと、そこでのイエスは、この世のすべての権威をもつ者として描かれています。
“もし”当時、「神の子=メシア」という観念が、当たり前のこととして受け入れられていれば、それがメシアをも意味したと言えるかもしれません。
しかし、私は、イエスが「あのメシア」と結び付けられる時点を、ここに設定することには、まだ疑問を持っています。
私としては、Qの中のその「神の子」は、「神の加護を得た者」という程度しか捉えられないのではないかと思います。
そこでは、イエスが悪魔と会話していることから、ヨブ記の「神前会議」を連想する者もおりますが、それについては、何とも言えません。

以上のことから、Qの中の「神の子」は、王あるいは神の庇護者を意味したと考えることができます。
しかし、神を文字通りの父親に持つ、神格を受け継ぐ者としての「神の子」かどうかは疑わしいです。
Qの中の「神の子」は、神との血縁を意味したのか…。
私はその観念を、やはり、「フィリピ人の讃歌」との結合と結果と見なしたいのです。
もしQが「フィリピ人の讃歌」(2:6)をBGMにして読まれれば、神の子は、一気に、「神」となるからです。
想像するに、『マルコ』の中で「神の子」の様々なイメージは合流し、混濁されたのではないでしょうか…。
42KG:2007/08/09(木) 17:43:42 ID:PkA/t/pP
>>40
地中海を一つの世界と捉える視点それ自体は、決して奇異なことではないと思います。
むしろそうしないと、中東・ギリシア世界を正確に把握することができなくなると思います。
前13世紀頃には、ミケーネからギリシア系難民がパレスチナに漂着し、それが海の民、ペリシテ人だったということは、土器の型式からほぼ断定されていますし、
それよりはるか昔の、初期青銅器時代のペロポネソス半島の遺跡からは、パレスチナの型式の土器が見つかっており、同時にパレスチナからは、ペロポネソスの型の土器が見つかっています。
思想や哲学の分野においても、ギリシア−フェニキア−エジプトには、密接な交流があったことでしょう。
ですから、ギリシア的な王権観と、セム系の王権観の間に類似性が多くあるのは、当然のことだと思います。

こういう風に、当時の地中海世界を見渡すと、「アレクサンドロスの“東方”遠征」という用語が適切かどうか、首を傾げてしまいます。
上のような証拠を総合するに、当時の人々から見れば、東方は、「あちらの世界」ではなかったはずなのです。
ギリシア世界と、オリエントの世界は、ヘレスポントス海峡で分断されていたのではなく、地中海でもってつながれていたはずです。
ペルシア軍の主な戦力が、海軍であったことからも、それは容易に想像がつきます。
アレクサンドロスの東方遠征は、マルコ=ポーロの『東方見聞禄』ではなかったのです。

旧約の士師記のサムソンが、ヘラクレスをモデルとしていることはありえそうですし、
私など、映画『300』のレオニダス王とスパルタ兵を観ていて、同じ士師記の、キデオンと300人の精鋭部隊を連想してしまいました。
43暇人:2007/08/09(木) 17:54:42 ID:bcA7u+1p
ちなみにフィリピ2:6-11の賛歌の名称は「キリスト讃歌」

フィリピ2:6-11のキリスト讃歌をもって キリスト教神学に立つものは
パウロもイエス・キリストを「神」と考えてたと主張されるのですが
私は、パウロは イエスを「神」と全く考えてなかったと思っております。

2:6 ος εν μορφη θεου υπαρχων
ουχ αρπαγμον ηγησατο το ειναι ισα θεω

ος彼(キリスト) εν(英語のon 状態を表す。〜で)
μορφη(形 形態 姿) θεου(神の) υπαρχων(ある あり続けている)

ουχ(否定) αρπαγμον(強奪)
ηγησατο(みなす) το ειναι(であることを)
ισα(等しい 同等) θεω(神 与格)

キリストは神の形であったが、
神と等しくあることを強奪するように考えなかった。

「神と等しくある」という考えは『αρπαγμον(強奪)』という否定的な
意識であったので、神=キリストという感覚はなかったと私は考えます。
44神も仏も名無しさん:2007/08/09(木) 21:04:47 ID:xQuUzPl5
ミトラ教とゾロアスター教の影響があるのでしょうか?
ユダヤ教より古いと聞きました。
45KG:2007/08/10(金) 00:38:45 ID:l2U+mPhY
>>43
“Philippians Hymn”をそのまま日本語にして、「フィリピ人の讃歌」としてしまいました。失礼しました。

フィリピ2:6でのイエスが神格者でない可能性を指摘する見方は、斬新で興味深いと思います。
そういう先入観を取り払った視点は、思わぬ発見をもたらしてくれます。

そこで問題となるのは、「ハルパグモン」の意味の取り方ですが、確かに、それを簒奪・強奪(usurpation)と翻訳することは可能です。
この語には、他にも様々な訳語が与えらているそうですが(渇望する、張り合う、衝動に駆られる、固執するなど)、
その歌の中で、イエスが、神挌を簒奪することを拒否していると解釈するのは正しいと思います。

しかし、そのイエスの謙虚さは、彼が神格を有しているからこそ、意味を成すものだと私は思います
そのほうが、その歌に見られる「神の姿(形)」とか、「人間の姿として現れる(下界する?)」という表現の意味がとりやすくなります。
「♪キリストの凄いところは、ただ神と等しかっただけでなく、その地位に固執(ハルパグモン)しなかったという点にある」というのが、この讃歌のテーマではないでしょうか。
ですから、この讃歌のキリストには、神格が備えらているのではないかと私は考えています。
この讃歌を聞いたり歌ったりしたクリスチャンは、イエスの地位の落差に、驚き、感動したのでしょう。

以上の、神格を有する者(神に等しい者)としてのイエス像は、Qの「神の子」とは異なるものですが、
それらの書が、一緒に読まれるとき、それは相互にイメージを増大させていったに違いありません。
キリスト讃歌をBGMにしてQを読めば、Qの「神の子」は神格者として理解され、キリスト讃歌の「神格者」は神の子と理解されたのです。
マルコ福音書は、そうしたイエスの2つのイメージを統合する役割を果たしたのではないかと、私は想像しています。
46神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 00:58:26 ID:W68sxHcE
このスレは勉強になるな。
良スレage.

47暇人:2007/08/10(金) 01:14:31 ID:L8JtxCvI
αρπαγμον(強奪) は、αρπαγμοςの複数・対格です。

つまり直訳すると(強奪を)、(強奪品を)、(奪取すべき獲物を)という名詞です。
ηγησατο(みなす、考える、思う)という動詞とセットになると
はじめて、
「ある物を獲物と考える」という直訳から
「獲物として固守すべきものである」という訳が出てきます。

ηγησατο+το…(不定法)は、「…することを(が)、必要(正しい)と思う」

さて、私は「神の形」と「神と等しくあること」と
2:9「高く挙げ」という『高挙』、
2.11の『主』がまったく同内容の別表現だと考えています。

元々イエスは、『高挙』される資格があったが、
イエスは自分を低くして人間として十字架まで生き抜いた。
その己を低くした生き様ゆえに イエスは『高挙』されたのだと。

しかしこの賛歌を含めて パウロの手紙には、
「父なる神」と「主イエス・キリスト」に厳然たる差異があり、
高挙されてもなお、主イエス・キリストは神ではなく、
『神の右に座すもの』であったと私は思います。
48暇人:2007/08/10(金) 01:20:19 ID:L8JtxCvI
アレクサンドロスは自分が「神の子」=「王」と認定されるのを喜んだし
ローマ皇帝は、市民に自分を神と崇拝せよと強要した。
現代においても新興宗教の指導者は、自分をグルと呼ばせたり、
市井の高い役職や称号で自分を飾るのに懸命です。

ところが、イエスは自分を一切、誇らなかった。
そういう輩とまったく対照的に一市井人として生きた。
そして十字架で処刑された。
その処刑されたことによって、逆説的に神の右の座へ『高挙』された。
私は初期クリスチャンはこういう意識でキリスト讃歌を歌ったのではないかと
考えております
49KG:2007/08/10(金) 06:19:23 ID:l2U+mPhY
「キリスト讃歌」の特異な点は、その歌の冒頭で、イエスがすでに「神の形」を持つ者として描かれていることです。
たしかに、それは「イエス=唯一神」を決して意味しませんが、少なくとも、彼が神性を有していることを宣言しています。
彼は既にして、人々の上に立つ資格を備えた者なのです。
その前提で、この歌のドラマは以下のように展開していきます。

…“ところがどっこい”そんなイエスは、自分を神と等しい者とみなさなかった(みなすことだってできたかもしれないのに)。
彼は、自分の神性にこだわりを持たず、それをいつまでも追い求めなかった。
逆に、そんな彼がしたのは、人間と同じ地位に身を貶めることであった。
「神の姿をした者が、人間として出現する」…、これは「降下・零落・成り下がり」を暗示しています。
ここでの、神格から人格への「降格」は、その次の、「高挙」あるいは「昇格」への前振りとなります。

もともと神性を持ち、主として権威を振るう資格を十分に持ちながら、人間として死んだイエス。
そのイエスのために、神は、彼を“さらなる”高い地位、ブッチギリに偉い地位に上昇させます。
その描写が、この歌の後半部分を占めます。
イエスは、天地のすべてのものから跪拝され、すべてのものが彼を「主」と告白するのです。
50KG:2007/08/10(金) 06:24:34 ID:l2U+mPhY
フィリピ2:5−11の歌で描かれるイエスの威光は、神格を備えたアレクサンドロスや、アウグスティヌス、ファラオにひけをとりません。
冒頭での彼は「神の姿」をしており、もし神に角でもあれば、イエスの頭にも角を生やすことができたでしょう。
しかし、この歌の中で、彼が何にもまして素晴らしいとされるのは、自分を平民にまで貶めたことです。
そのゆえに、もともとの神格者イエスは、神から、今度は「全世界の主人」へと推挙されたのです。
この壮大な光景は、ギリシア世界の君主たちと比較することによって具体性を帯び、イエスの権威を最大級に高めることができます。

もしそのイエスが、「神の子」などと呼ばれたら…。
それは、導火線に火をつけるようなものです。
その瞬間、イエスは、エジプトのシウァ神殿で「アメン(ゼウス)神の子」となったアレクサンドロス大王のイメージで捉えられるでしょう。
私は、このフィリピ2:6の短い一節の中に、「イエスの成り上がり物語」の序章を読み取ります。
その物語は、福音書記者らによって肉付けされ、「神の子=神格=イエス」という話へと膨らみます。
そしてこの物語は、後代、イエスがついに「神」になることによって、クライマックスを迎えるのです。

このように我々は、初期キリスト教文書の中のイエス像に、当時のありとあらゆる神話的・伝説的人物の特色を見出せると思います。
そして現代でも、イエスには、ありとあらゆる理想・空想の像が重ねられつづけています。
51KG:2007/08/10(金) 06:27:16 ID:l2U+mPhY
>>50訂正
(誤)アウグスティヌス
(正)アウグストゥス
52暇人:2007/08/10(金) 07:36:15 ID:L8JtxCvI
ギリシア語的に言いますと、神性は、
θειοτης`,θεοτηςという抽象名詞があります。

「μορφη θεου」(神の形)は、あくまでも「神の姿」です。
新約では、
マルコ16:12「εν ετερα μορφη 」(別の姿で)
フィリピ2:7「μορφην δουλου 」(奴隷,僕の姿を)

「神の姿」と「奴隷,僕の姿」は対応関係にあります。
本来は「神の姿」だったのだが、謙って「僕の姿」を取られたのだ、と。
さてフィリピ1:1冒頭に、
「 παυλος και τιμοθεος δουλοι χριστου ιησου」
(キリスト・イエスの僕たるパウロとテモテ)とあり、
「奴隷,僕」という語が神ではなく「キリスト・イエス」に使用されていることが
わかります。

以上から見ても 日本語に訳され解釈された「神の形」は「神性」と解釈されうるが
ギリシア語テキストの文脈に沿えば、
「神の形」とは、「主イエス・キリスト」を表わしており
「神性」とは断絶があると私は考えます。

そのことはヨハネ福音書と比較すると更に明確になります
ヨハネのロゴス論は、神であったロゴスが降下してイエスになったという
「降下型」であり、パウロらの「高挙型」と真逆です。
53暇人:2007/08/10(金) 08:07:00 ID:L8JtxCvI
それと「神の形」がKG君の解釈どおりだとすれば
キリスト教神学の従来の解釈は正しいことになりますですね。

つまりパウロは、イエスを神と考えていた。
パウロが引用したキリスト賛歌は 当時の教会が礼拝時に使用したもので
古い伝統を持つと考えられていることから、
初期キリスト者は既に イエスを神と考えていた ということになるでしょう

付録 奴隷・僕の用法は
第一に主人(世俗的)に対する奴隷
第二に神に対する僕。預言者などが自分を僕と称した
第三に主イエス・キリストに対する僕
54神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 08:53:04 ID:yKhEnHDi
>>53
気の触れた大工の若者がなぜ「神」になったか、「学問的に」いま一つ判然と
しませんな。
55神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 09:08:29 ID:yKhEnHDi
>>48
>ところが、イエスは自分を一切、誇らなかった。
>そういう輩とまったく対照的に一市井人として生きた。

そんな人々は、世の中に多数存在します。圧倒的多数の無名の生活者は、みな
そうでしょう。

イエスは、「自分を信じない者は裁かれる」と脅迫していますね。「家族を
捨てて自分に従え」と強要していますね。市井人は、そんなことはしませんよ。

>そして十字架で処刑された。

十字架で処刑された犯罪者も、多数いますよ。

なぜ、イエス「だけ」が神?そのあたりの「心理」を、もっと「学問的」に
解明してください。
56神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 12:42:06 ID:x41CL5C3
一連の議論を読んでいると、KG氏がいかにいい加減な知識と、意見をもっているか
が分かりますね。新しいソースを出されて、ころっと立場を変える。細かな
議論に分け入っている間に、自分が何を主張していたかも見失っている。
57神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 14:08:35 ID:hIsu3Mw9
>>56
シーシー。またヘソ曲げて怒って帰っちゃうよ。
聖書を読んで理解してる人はマッタリとニヤニヤしながら観察してると思う。
KGは・・あまりにも面白い。w
喋らせておいたほうが・・・w
58神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 15:07:38 ID:x41CL5C3
はじめは、新約の「神の子」概念は、ヘレニズムの王に帰せられた概念の
コピーにすぎないと言っていたかと思えば、後半からは、いかにキリスト讃歌
でのキリストの神格概念が、一般的なヘレニズム的王の概念と異って
オリジナルなものかなどと言い出しているし、新約の神の子概念は後発の
ものだと言っていたかと思えば、すでにキリスト讃歌の中で(つまりかなり
初期から)、キリストに神性が帰せられているなどと言っているし、矛盾した
こと言っていることに気付いていないのだろうか。
59神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 15:16:30 ID:hIsu3Mw9
>>47
>しかしこの賛歌を含めて パウロの手紙には、
>「父なる神」と「主イエス・キリスト」に厳然たる差異があり、
>高挙されてもなお、主イエス・キリストは神ではなく、
>『神の右に座すもの』であったと私は思います。

はい、異端です。
それは「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」の三位一体教義に反します。

三位一体とは「父なる神」と「ロゴス (λογος) である子なるイエス・キリスト」と「聖霊」の3つが、
皆尊さが等しく、神は固有の三つの位格(自立存在: 希 υποστασις (hypostasis), 羅 persona)
でありながら、実体(希 ουσια (ousia), 羅 substantia)は同一であるという意味です。

暇人さんはヨハネの福音書を注意深く読む必要があるようですね。
60神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 15:17:58 ID:x41CL5C3
>>59
異端概念そのものが異端だよ。
新約聖書に異端なる語はあるかい?
61神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 15:20:29 ID:hIsu3Mw9
もしかしてもしかして暇人は・・・エホバの証人だったんですか?
62神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 15:20:50 ID:4WmHla/C
暇人の人じゃないが、非カルケドン派から見りゃ何を小細工してやがる!何だよな、このへんは(w

まぁ、それがなくとも後に公会議なんざやらかして決める前の話だし、キリスト教や聖書成立までの黎明期には異端も糞も無いと思うぞ(w。

63神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 15:21:40 ID:4WmHla/C
ついでに、ヨハネの福音書なんて一番成立も遅い物を持って来ても(笑
64神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 15:34:42 ID:hIsu3Mw9

あのぉ、私のスタンスとしては正統派キリスト教信者で
現在世界的に異端と呼ばれる宗教を信仰してる人とは当然、意見を異にします。
異端信者と争うつもりは毛頭なく、正統派に改宗しろとも申しません。
あなたがよければそれでよいのではないですか?>ID:4WmHla/C
ただ、世界的な標準で異端は異端ですので俺の意見が正しいと大威張りで発言するのは
非常に恥ずかしいこと、と自覚してほしいものです。
65神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 15:41:57 ID:x41CL5C3
>>64
イエスが「異端」なる概念をふりかざして、
人を排除したことがあるかい?

そういうことをする連中を忌み嫌ったのがイエスなのだが。
66神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 16:09:02 ID:4WmHla/C
>64
 残念ながらコプト派でもなければシリア派でもないのだが。
 自称正統派を振りかざすのはプロテスタントに多いよね。恐らく現代生まれのカルトと差別化をはからなければならないからだと思うけど。
 いずれにせよスレ違いの話だね。現在の話ではなく何故そうなったか?って話だもの。

 で、宗教板に有れども、このスレはあくまでも学問として見た一神教だからね。そこをお忘れなく。
 パウロがユダヤ教の戒律を打ち壊しつつも結局どっぷりと己が浸っていた、ユダヤ教的要素を持って来た事が原因なのかなぁ?
 史的イエス(限りなく霧の彼方)と、キリスト教の偶像として祭り上げられたイエスの違いも大きいと思う。学問的に考察していくと偶像化されていく過程ばかり浮かび上がる部分が有るしね。
67神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 16:11:47 ID:4WmHla/C
>>66
>自称正統派を振りかざすのはプロテスタントに多いよね。

ごめん。「福音派だの原理主義だのの」をプロテスタントの前に挿入(w

68神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 16:17:22 ID:92XCYOVH
 バハイ教もここでの議論の対象になりますか?
69KG:2007/08/10(金) 16:47:48 ID:l2U+mPhY
>後半からは、いかにキリスト讃歌でのキリストの神格概念が、一般的なヘレニズム的王の概念と異ってオリジナルなものかなどと言い出しているし…。

いや、私が言いたいのは、そうではないのです。
私が、フィリピのキリスト讃歌を持ち出したのは、その中に、ヘレニスティックな王統観が反映されているのではないかと思ったからです。
その中でイエスに帰せられている、「神の姿を持ち、それでいて人間として現れ、神から全世界の統治権を授けられる神格者」は、
私が>>30で言及した、アレクサンドロス像に通じるものがあるのではないかと、推測したからです。
ですから、キリスト讃歌の中のイエス像は、オリジナルなものではなく、むしろ、ギリシアの典型的な王観を受け継いでいると思うのです。

>新約の神の子概念は後発のものだと言っていたかと思えば、すでにキリスト讃歌の中で(つまりかなり初期から)、キリストに神性が帰せられているなどと言っているし…。

神と等しい姿を持ち、超人的で、世界を統べる権限を持つ者としてのイエス像(それはヘレニズム的な王のイメージに合致する)は、
最古の資料であるQには見られないことから、その新約的なイエス像は、
Qより後(あるいは別系統)の流れの中から生まれたのではないかと、私は考えました。
それを文書の中から引き出せないかと、新約の章句を物色していたところ、フィリピ人による讃歌が目に止まったのです。
それは確かに、Qとは別系統の断片であり、成立した地域も異なるとされていることから、
これは私の推測を指示してくれるものではないかと期待して、引き合いに出したのです。
70KG:2007/08/10(金) 17:08:34 ID:l2U+mPhY
新約以前のヘレニズム時代のユダヤ人の文書には、すでに「神の子」という呼称が登場します。
しかし、それらの文書の中で描かれる「神の子」は、決して超人的・神的ではありません。

旧約にも、神の子“らしき”概念はありますが、それらはどうも、イエス的な神の子には繋がらないように思えるのです。
では、福音書で描かれるような、あるいは後代のクリスチャンが想像したような、
人間をブッチギリに超越した「神の子」というキャラクターは、どこに起源を持つのか?
私はそれを、アレクサンドロスやアウグストゥスなどのギリシア・ローマ的な「神の子」に関連付けることを試し、
そして、その痕跡を、新約聖書の中に求めたのです。

これはなかなか面白い試みだと思うのですが、どうやら、そう思っているのは私一人だけのようです…。
私の意見への同意や反論の中から、イエスに帰せられた「神の子」のイメージの起源を探る、別の案が出てくることを期待しているのですが。
それは、このスレッドのテーマである「一神教」の考察に、何らかの形で寄与するはずです。
と同時に、一神教が抱える、様々な問題の根本(例えば、排他性や不寛容など)を見据える視点を提供してくれるかもしれません。
自由で斬新なアイデアを出し合うことこそが、このような掲示板の醍醐味だと、私は思っております。



71キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/10(金) 18:56:16 ID:f71SMjub
>>70
まあ 申命記32章8節の話しは知っていると思うけど
神に子供がいる という考え方は 別に珍しいわけではないよ。
72神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 18:58:22 ID:D63l/Kga
>>59
馬鹿がw
異端も正統も相対なんだがそれもわからない裸の王様がカトリックなんだよw
自らの愚かさを自覚してほしいものだw
73神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 19:16:07 ID:8rQNRjkz
>>68
なります。というわけで

日本語オンライン・バハイライブラリー
http://www.geocities.jp/oneworld_international/library.htm
をリンク先に加えることにします。
74神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 20:26:06 ID:hIsu3Mw9
異端は異端だよ。
世界三代カルトの一つはエホバの証人。
相対だろうがなんだろうが世界的にそうなってますので。
つまり、君らはマイノリティなわけ。
気持ち悪くて仕方がない。早く逝っちゃってほしいものだ。
75神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 21:15:23 ID:x41CL5C3
>>70
で、新約の神の子概念が、ギリシア・ローマ的な神の子概念に
影響を受けているとして、それだからなんだと言うのだね?
76神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 22:02:23 ID:D63l/Kga
イエスもマイノリティだったわけだがw
頭悪いなぁさすがw
77神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 22:45:56 ID:4WmHla/C
>74
ちっとも読めてないようだなぁ。そんな自称キリスト教だけど、近代に出来たカルトの話はした無いだろ?コプトとかいわゆる単性説の教会の話しただろうに。反論するならコプトは単性説否定してるだろ!とかそういう方向で突っ込め。

まぁいづれにせよ遡ってもせいぜい5世紀も遡れないような新興宗教はダメでしょ(笑)。いろいろな意味で(笑)。

>69
反論というかけなしてるコメントを見ると学問的批判精神というより護教的精神から生理的に耐えられないという感じの物しか見えないからその辺は相手にしないでかまわないと思うよ。

実際、自説がどうあれ新たな視点を提供されたら仮説は変化する物だしね。

78暇人:2007/08/10(金) 22:54:48 ID:L8JtxCvI
つーか 異端氏の基準(公会議)に拠れば

パウロや初期キリスト者やイエス自身は異端だな
79神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 23:42:15 ID:0Wg3Rznb
KG氏は、歴史の「事実」によって、イエスの「神格化」の由来を探り、それを
覆そうとしているのだよ。イエスの「神格化」が否定されれば、キリスト教は
崩壊する。
80神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 23:44:28 ID:nAI4jPqY
イエスは「キリスト教は他の宗教にまさる」とは言っていません。
イエスは「互いに愛し合いなさい」と言ったのです。
81神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 23:51:18 ID:x41CL5C3
>>79
「歴史の事実」によって、「信仰の真実」が覆ったりはしませんが。
82神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 23:51:58 ID:0Wg3Rznb
>>80
イエスが、軽薄にも、口にすべきでない「愛」という言葉を口にしたため、
愛が観念化し、実質が失われ、破壊されたのである。

「愛」とは、言葉や観念ではなく、特定の状況に応じて人を助けようとする
「具体的行動」の原動力となる自然の感情だからである。すべての人間に、
生来的にビルトインされている肉体的本能。

本当に愛のある人は、その「言葉」を決して口にしない。
83KG:2007/08/10(金) 23:54:54 ID:l2U+mPhY
>>73
たしかに、申命記32:8には、「神の子ら」という言葉が出てきます。
では、そこでの「神の子ら」が、紀元1世紀前後のユダヤ人らに、どのように解釈されたのか…。
そこでの「神の子ら」は、写本によっては、「イスラエルの子ら」であったり、「神のみ使いたち」であったりするだけに、問題は少々複雑です。

まず、マソラでは、そこは、「いと高き方(エルヨーンは、イスラエルの子ら(ベネイ・イスラエル)の数に従って…」となっており、
死海写本の申命記の断片では、「いと高き方(エルヨーン)は、神(エル)の子らの数に従って…」とあり、
さらに70人訳の当該箇所では、「いと高き方(ホ・ヒュプシストス)は、神のみ使いたち(アンゲローン・セウー)に従って…」とあります。

これらの読みの違いは、原本に近い読みが、多神教観を反映していたであろうことをほのめかしてます。
つまり、「エルの一人であるヤハウェ(「〜の息子」という慣用句は、「〜の一人」を意味する場合がある)は、
他の神々の中にあって、とりわけイスラエルを相続した」、というのが、この箇所のオリジナルの内容だと推測されます。
この世界観は、詩編82:1の中にも見ることができます。

ご指摘の通り、これらの記述は、オリエント的な神観の典型です。

では、紀元前後あたりのユダヤ人らは、この箇所をどのように読んだか、が問題になります。
彼らは、多神教観を反映するオリジナルの読みに従って、ヤハウェをエルの中の一人(エルの子)と想定したのか…。
私は、それはさすがにありえそうにないと思います。
84神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 23:59:03 ID:x41CL5C3
イエスについての、過去の人々がどう考えたかという問題と、
イエスそのものの本質を、現在、「わたし」という個人が
どう理解するかという問題には、懸架し難い亀裂が存在する。

イエスについての、過去の人間の理解や思想の展開の
軌跡をどう説明し、再構成しなおしたところで、
わたしが、現在、イエスをどう理解するかという「自由」を
否定したり、冒したり、はく奪することはできない。

85神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 00:02:42 ID:itZ6vlKq
人間を理解するということは、こういうことだ。
わたしの目の前に、Aさんという人物がいるとしよう。
A子さんについて、わたしの周囲の人々が、悪し様に証言していると
する。その証言を広範に集め、詳細に検討し、まとめたところで、
Aさんについての理解は深まるわけではない。
Aさんについて、正確に知るためには、Aさんと、直接に親しく
言葉を交わしたり、関わったりしながら、わたしなりのAさんの
理解を深めていくしかない。

「Aさんについての証言」について知ることと、
「Aさんそのもの」について知ることは、別物だということを
理解していただきたい。

イエス理解についても、同様のことが当てはまる。
86KG:2007/08/11(土) 00:02:47 ID:l2U+mPhY
新約の記者らが使用した旧約聖書は70人訳なので、彼ら記者らはそこを「神の子ら」ではなく、「神の“み使いたち”」と読んだ可能性があります。
「み使いと国境」の関係については、ダニエル8−10章の光景がすぐに浮かび、同時のユダヤ人もおそらくその光景と関連付けたはずです。
※(校訂によっては、そこを「神の子ら」に復元するものもありますが、その場合、70人訳の訳者は、バベルの塔物語を念頭に置いていた可能性があるそうです)。
仮に、神の子キリスト運動を起こしたのがユダヤ人であったとしても、彼らが申命記から、「イエス=神の子」の発想を引き出したかどうかは怪しいです。
その疑いは、上記の、新約記者らが使用していた70人訳の読みの違いによって強められます。

とはいえ、それでも、ユダヤ人の観念の中に多神教観が存在し続けていた可能性は否定できません。
もし、当時のユダヤ人が、タダの人イエスに神性(神の姿)を積極的に託すことができたのだとしたら、
それを誘発したのは、やはり、ギリシアやローマの神性を備えた王の姿ではなかったかと思います。
旧約の中からだけでは、「人の姿をとって現れた“神の子”」のキャラクターは引き出せないのではないかなと思います。
イエスの神格化への敷居を低くしたのは、やはり、ヘレニズムだったのではないでしょうか?

しかし、旧約の「み使い」でもってイメージされるイエスも、なかなか面白いかもしれません。
「旧約のみ使いとしてのイエス」とかいう論考、どこかにないでしょうか。
87暇人:2007/08/11(土) 00:10:32 ID:z3g3bZyM
もちと なんというか。。。

まあご参考に

大雑把に ユダヤ教は、
@多神教時代
A拝一神教時代(他の神々を前提した上でヤハウェーだけを崇拝する)
B唯一神教時代(他教の神の存在を認めない。せいぜい天的存在 捕囚後時代)
と言われております
88神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 00:12:44 ID:9B1rGxmY
さすがの頭悪ぅ〜な反応だなぁ。w

異端言われて頭きた?
カルトの分際でなにを。wwww
大勢の人間の人生壊してきた事実を見れば破壊的カルトと言われても仕方あるまい。
輸血拒否などで新聞をにぎわせてるのはエホバの証人、あなたたちだけよん。
くっだらね。
何事も結果を見て判断しないと。
それをイエスの理解が違うだけ、とかのたまうヤツの面が見たい。
89神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 00:14:53 ID:9B1rGxmY
>>88>>76 宛てとエホバの証人及び統一教会員、モルモン宛てねん。

地獄へ落ちろ。
90神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 00:15:34 ID:itZ6vlKq
>>86
KGよ。
イエスがなぜ、神の子と見なされるようになったか、
真の理由を教えてやろう。
それは、イエスが真に神の子だから、人々が、
そのように考えるようになったのである。
91神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 00:18:03 ID:itZ6vlKq
なぜなら、理由は明快である。

君が、君のおかあさんの子であるのは、
周りの人々が、「KGは、だれそれの子である」と見なすから、
君はおかあさんの子なのだろうか。
それとも、君がおかあさんの子だから、周りの人々が
「KGは、だれそれの子である」とみなすのか。

その順序を取り違えてはならんぞ。
子どもでもわかる話である。
92暇人:2007/08/11(土) 00:20:02 ID:z3g3bZyM
百人隊長の言葉が印象的だね

十字架で息をひきとったイエスに
『この方は まことに神の子であった』と。
93神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 00:28:49 ID:itZ6vlKq
その通り、
心の奥底からの全人的な納得としてして、
「この方は、まさに神の子であった」という
告白が、口から飛び出してきたのであって、
過去のなんだかの書に書かれている概念と、
なんだかの書の概念をくっつけて、
人為的に、概念を捏造したとか、
そういうことではないのだ。

何かを信じるという人間の内的な営みは、
原因や結果、影響関係という
因果律だけで説明しきれるものではないのだ。
信仰とは、しばしば、因果律や、損得感情を離れ、超えた
個人的な、跳躍であり、飛躍なのだ。
94神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 00:29:23 ID:J1+QvHb8
>>90
>>91
典型的な循環論法。

>>92
それが聖書やキリスト教のプロパガンダではないという確認はしましたか。
95神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 00:34:00 ID:itZ6vlKq
KGよ、君自身が、外人が英語で書いたものを鵜呑みにして、
その影響から、一歩も離れることができない人間であるからといって、
すべての人間が、過去の人間が考えたことの影響から離れて、
独自にものを考えたり、発想したり、信仰を形成したり
することはできないなどと、勘違いしてはならん。

人間は、他人の影響や、因果律から離れて、
自由にものを考えたり、創造したり、想像したりすることができる。
ここに人間の人間たる由縁があるのだ。
96暇人:2007/08/11(土) 00:37:29 ID:z3g3bZyM
>>94

プロパガンダかもだね

いづれにせよ 私の魂が
百人隊長の言葉に 震えたのは事実だね。アーメンとね
97KG:2007/08/11(土) 00:41:01 ID:ceYukoGc
福音書は、とにかく、イエスが特別な人間であったことを読者に印象づけるのに必死です。
長ったらしい系図を見せつけたり、処女から生まれさせたり、神童っプリを匂わせたり、奇跡を起こさせたり、神に天から語らせたり、予言をさせたり、皇帝や王の凱旋行列の真似事をさせたり、ユダヤ人の王として死なせたり、ローマ兵に神の子だと宣言させたり…、
福音書の記者は、ありとあらゆる手法を駆使して、イエスの特異性を際立たせようとしています。
クリスチャンのメンタリティを有していない私など、そのくどさ、えげつなさに、胸焼けを起こしてしまいます。

しかし、私のような者は別にして、そのくどさ、えげつなさに心地よさを見出す人々がいるわけで、
私としては、そうした、自分とは違う感受性をもつ人たちのメンタリティに関心があります。
98神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 00:46:39 ID:itZ6vlKq
バカなやつだな。

イエスを神の子だと、当時の人々が、心のそこから納得して、告白したからこそ、
キリスト教はかくも根強く急速かつ広範に、ローマ帝国内に
広がっていったのではないか。

単に、ヘレニズムの思想の影響をうけたとか、
そういう皮相な表層の問題ではないことになぜ気付けないのだ?
99暇人:2007/08/11(土) 00:47:50 ID:z3g3bZyM
そのながったらしい系図の一々を丹念に あるいは物好きで確認すると
イエスの系図を誇るのが目的ならば 絶対出さないような先祖が
何人も書かれていますよん。

あの系図は何が言いたいのであろうか
ダビデの末裔ということが主たる目的であろうけども
なんだろーねぇ。。。
100神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 00:48:35 ID:dBHIfNZy
単なる経験不足
101神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 00:50:02 ID:i9akUQHr
確かに、在来の多神教で既に「神の子」概念に慣れきっていた人々にとっては、
当然ユダヤ教よりは受け入れやすいし魅力的だったでしょうね。
102神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 00:53:30 ID:itZ6vlKq
ばかなやつめ。
対象には対象にふさわしいアプローチがある。
食べ物を知りたければ、取って食べることである。
音楽を知りたければ、耳を傾けることである。
女を知りたければ、愛してみることである。
宗教を知りたければ、信じてみることである。

書物をいじくりたおせば、なんでも理解できるなどと
妄想するでないぞ。あたまでっかちが。
103神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 00:53:52 ID:i9akUQHr
ヘレニズムな人々にとっては、ヘレニズムにより近い思想のほうが受け入れられやすい。
104神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 00:54:24 ID:dBHIfNZy
>>99
単に真実を書き記しただけだと思うが
105暇人:2007/08/11(土) 00:56:48 ID:z3g3bZyM
>>104

信者さんに怒られるかもだが。。

それと。。。まずもって不思議なのは

直接の血のつながりのない父方の系図を書いて 何の意味が。。。
106キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/11(土) 12:06:16 ID:w0J1ZpCM
>直接の血のつながりのない父方の系図を書いて 何の意味が。。。

マタイ福音書の血縁関係が無いことを言いたい ってこと?
確かに ルカ福音書は、そうのような意図が有るかも知れない。

パウロのローマ書の冒頭の挨拶文 つまり ローマ書 1章3節
>御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
は 当時の定型句だったとしたら 当時からダビデの子孫という呼称が
有ったのでしょうね。

マタイ 1章16節
>ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。

この表現が ダビデの子孫という側面を弱め マリヤの子だと言うことの強調した表現と読むと
当時有ったダビデの子孫という呼称を マタイ福音書が湾曲に否定してのかな。

例の イザヤ11章1節以下では ダビデの子孫ではなく エッサイから新たな国を立てる
って預言なんだね。 南北分裂の悲劇は ダビデ王朝から始まったって歴史観があるのかな。 
107Lydia ◆bbveMefdug :2007/08/11(土) 12:45:22 ID:B3vK22Af
kon
108KG:2007/08/11(土) 14:53:12 ID:ceYukoGc
私は、凡人イエスが、神の子あるいは神に格上げされた、奇妙奇天烈な歴史過程に興味があるのですが、
その過程を具体的に跡付ける資料が乏しいせいか、どうも、凡人を神と同等に見なした人々の思考パターンを理解することができません。

それに比べて、マリア信仰の歴史過程は、もう少しはっきりと跡付けることができるような気がします。
私が知る限り、イエスの母マリアの存在を伝える最初の記事は、マルコ3,6章でありますが、
そこを見ると、彼女は何の変哲もない、ただのオッカサンです。
イエスもタダの人でしたが、マリアはそれを上回るタダの人です。

ところが、“どういうわけか”、
カトリック教会や東方正教会では、タダの人マリアに祈りが捧げられ、彼女にまつわる日が祭日として祝われております。
マリアに関する教義も定められ、彼女の無原罪の受胎や、昇天が信じられています。
“どういうわけか”彼女は「執り成し役」にも任じられてもいます。
終いには、マリアの母のハンナまで、無原罪でマリアを身ごもったとされます。
シンデレラストーリーにも程があります。

『マルコ』のマリアと、カトリック教義上のマリアを比較すると、そこには天と地ほどの開きがあります。
クリスチャンとしての先入観がない私など、その落差に、椅子ごとひっくり返りそうになりますが、
このトンデモナイ「マリア成り上がり物語」は、イエスの成り上がりが、段階的に発展したであろうことを教えてくれます。
よく、「イエスが神の子だったのは、彼がまさしく神の子であったからだ」という意味不明な説明がされますが、
マリアの成り上がりの過程を見れば、別に、神の子でなくても、神の子に担ぎ上げられ得ることが分かります。

人間のイマジネーションとは大したものです。
マリア伝説の発展過程は、イエス伝説の発展過程のカラクリを暴露するヒントになると思います。

109暇人:2007/08/11(土) 16:01:26 ID:z3g3bZyM
>>106

「キリスト=ダビデの末裔」という社会通念があったのでしょうね
マタイの意図としてはダビデ系統の証明だと思います。
しかし冷静になると否定しているようにも読める、ということですね。

パウロは、ヘレニズム的教養があるので
ヘレニズム世界には色んな『神の子』があるが、
私たちの主イエス・キリストは、そういうのではなくて

1.ユダヤ教的な、ダビデの末裔としての『神の子』
2.復活した『神の子』
という『神の子』なのだ、と主張したかったのでしょうね
110神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 16:01:31 ID:wRDaJZfL
>>91

この場合、生物学的な繋がり云々は別にして、論理的におかしい。
「KG」が「KGの母の子」であるかどうかは、「KG」にはわからない。
真実を知っているのは、「KGの母」だけ。
「KG」は、「KGの母」から『お前は、私の子供だ。』といわれ続けたり、
常に一緒に過ごしてきたから、『自分の母』と信じているに過ぎない。
同様に、周囲の者は、「KGの母」が「KG」を『自分の子供である。』と話しているのを聞いて、
もしくは、常に一緒にいる(生活している)のを見てそう思った、そう信じているに過ぎない。

イエスを周囲の者が「神の子」とみなすからではなく、イエスが「自分は神の子だ」
と宣言したから神の子である、というのはおかしい。神の子かどうかを証明できるのは神しかいない。
しかし、神は人間にはその存在自体を証明できないから、神が「イエスは私の子供だ。」とは証明できない。

ID:itZ6vlKqよ、いや、カラスよ。名無しで論破(洗脳)しようとしても無理があるぞ。w
コテハン使ったらどうだい?wwww

111KG:2007/08/11(土) 17:18:18 ID:ceYukoGc
マタイは、イエスをユダヤ人の歴史の中に押し込め、それによって、イエスの唐突な登場と、真新しさを緩和させようとしたのではないでしょうか?
マタイの内容に注目しても、マタイは、イエスの教えが、実はモーセの律法の適切な解説であったことを印象づけようとしています。
イエスの中に、ユダヤ人歴史とユダヤ教の教えの真髄を見出すことを、マタイは読者に勧めているようです。
こうしたマタイのユダヤ色の強いメッセージは、マルコより際立っています。

マタイは、ユダヤの古来からの伝統を“掠め取る”ために、アブラハムとダビデの系図を置いたのだと思います。
これは、マタイ1:1の系図の紹介の文句の言い回しからも読み取れます。
多くの和訳は、そこの「ビブロス・ゲネセオース」を、単に「系図」としていますが、これは逐語的には、「誕生の書」と訳すことができるはずです。
一見すると、大まかな意味としては変わらないように見えますが、これが、創世記2:4や5:1の決まり文句そのまんまであることに気付くと、単なる「系図」という語がもつ以上の意味があるように思えてきます。

私は、ここでのマタイは、創世記の“系図”(ゲネシスの書)を模倣したのだと思います。
そうすることにより、イエスの登場が、太古から定められており、なおかつ、それはモーセ五書の伝統の中に据えることができるのだ、ということを主張したのではないでしょうか。
「ゲネシスの書」という語の使用は、ダビデにまで遡らせるだけでなく、もっと太古の、アブラハムやアダムにまで逆戻りさせるからです。
ですから、マタイの冒頭の系図は(もちろんダビデの末裔を印象づける効果があったでしょうけれども)、
それ以上に、トーラーやモーセ、アブラハムといった、ユダヤ教の根幹に、イエスを据える効果があったと思います。
これは、マタイの中のイエスが語る教えとも辻褄が合うような気がします。
112神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 17:36:31 ID:yj91bM6s
マタイに関していえば山上の埀訓と呼ばれる例の譬え話にも濃厚に出ている部分だよね。

ユダヤ教の正当性を持って来てイエスはその伝統に叶う存在だと。

トマスも含めた共観福音書のイエス語録とマルコと比較するとエピソードの配置の仕方から取捨選択の仕方、脚色の方法も含めて露骨と言える部分すら読み取れるものね。

冒頭の系図はベレーシートのそれを模倣してるのは間違いの無い部分でしょう>111
そこがマタイグループの狙いの一つだろうから。

マルコの書き方じゃぁそういう方向が足りなさすぎる!って書いたんだろうし、この辺はある程度自明の事だと思われ。ただその後の教会が彼らのプロパガンダを大幅に拡大してったのは予想外だろうけど。
113暇人:2007/08/11(土) 17:47:53 ID:z3g3bZyM
>>111

これこれ。
「βιβλος γενεσεως 」とあるのは70人訳創世記だね。

ヘブライ語の創世記2:4は、トルドット(由来,系図)はあるが書に相当する語はない。
ヘブライ語創世記5:1だと「セフェル トルドット アダム」とあり
「アダムの系図の書」だね。
70人訳にはKG君の云うとおりで「βιβλος γενεσεως 」がどっちにもある。

ではマタイは70人訳の定型句を真似たのだろうか。

「系図」がダメで直訳を探るならば「誕生の書」だね。
他に考えられるのは「誕生物語」とか「誕生記」
あるいは「はじまりの書」とか。

でもさ70人訳を踏襲しているならば『系図』が一番 ぴたりくるのだけどもね

それとユダヤ教に神話的なマタイが一番 ギリシア語を話す初期栗の人気があったそうだ
114神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 18:06:56 ID:IB5M+nup
例えば、ベートーヴェンの作品を考えてみたまえ。
その音楽は、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、サリエリなど、
先行する作曲家たちの影響を指摘することは可能だろう。
影響は皆無ではない。だが、中期から、後期へと、時代が下る毎に、
彼の作品は、先行する作曲家たちのいかなる影響も絶した
独自の音の世界が生まれているではないか。
歴史的因果関係によっては、ベートーヴェンの創造の謎を解き明かすことは
できない。キリスト気よぅの成立もまた同じくだ。
歴史的因果関係では説明しきれないのである。

「人間が他人の考えや思想を拝借しコピーすることしか
できない存在」ならば、KGのアプローチは正しいことになるが、
実際は人間はそのような存在ではない。
因果を飛び越えて、生きていくのが人間なのだ。
115神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 18:08:10 ID:IB5M+nup
>よく、「イエスが神の子だったのは、彼がまさしく神の子であったからだ」
という意味不明な説明がされますが、

意味不明なのは、君がアホだからだよ。
イエスが神の子であると多くの人が認めたのは、
イエスがまさに神の子であった名によりの証拠なのだ。
116神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 18:11:26 ID:IB5M+nup
>「KG」は、「KGの母」から『お前は、私の子供だ。』といわれ続けたり、
>常に一緒に過ごしてきたから、『自分の母』と信じているに過ぎない。

まったく、うすらとんかちなやつらだな。
『お前は、私の子どもだ」と言い続けて、
常に一緒に過ごし続けてきたくれた人のことを
「お母さん」と呼ぶのではないか。バカ。
117KG:2007/08/11(土) 18:55:44 ID:ceYukoGc
>>114
>因果を飛び越えて、生きていくのが人間なのだ。

私もそう思います。でなければ、タダの男が神の子になったり、タダのおっ母さんが、無原罪の処女になったりはしないでしょう。
それらはすべて、人々の因果を飛び越えた想像・空想の産物だと思います。

>>115
>イエスが神の子であると多くの人が認めたのは、イエスがまさに神の子であった名によりの証拠なのだ。

では、「マリアが処女だと多くの人が認めたのは、マリアがまさに処女であった何よりの証拠」ということになりましょう。

マリアの伝説の発展過程をザッと眺めれば、ただの人間が神様に祭り上げられることは、十分ありえると確信できます。
何せ、子だくさんのただのおっ母さんが、処女になったり、挙句の果てには、そのおっ母さんまでもが処女になるのですから…。
そのうち、マリアも、「母性」だなんだと名付けられ、神の属性の一つに組み入れられるのではないでしょうか?
現に、マリアが処女だったという証拠がどこにもなくても、人々はマリアが処女だったと信じてしまっています。
そんな思考回路をもってすれば、イエスを神の子であると信じることくらい、造作ないことでしょう。
仰られるとおり、人間は因果を飛び越えた発想をするのが好きなようです。
118神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 19:01:55 ID:IB5M+nup
>>117
マリアが、処女じゃないと、なぜわかるのだね?
119神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 19:20:25 ID:GqppEhFK
>>108
>凡人イエス

イエスは、「凡人以下」である。凡人は、少なくとも、イエスのような精神病者
ではない。

キリスト教の異常性の解明には、精神医学や異常心理学からの見地が必須で
ある。
120KG:2007/08/11(土) 21:06:07 ID:ceYukoGc
マタイの巻末のイエスの言葉(28:30)、
「あなた方に命じておいたことをすべて守るように教えなさい」も、ユダヤ教の律法主義の響きがします。
「命じる」「守る」「教える」…。
それらの言葉の使用は、申命記やヨシュア記1章で繰り返されているモーセのメッセージを彷彿とさせます。
1世紀当時であれば、このメッセージを発することができたのは、律法学者とパリサイ派だったでしょう。
ここで描かれているイエスは、彼らの台詞を口にすることによって、トーラーの解釈者、律法の教師を演じているようにも見えます。

そんなマタイを、教会がプロパガンダとして好んで使用した動機は、やはり、教会の伝統の古さを証明するのにもってこいだったからではないでしょうか。
イエスの、創世記にまで遡る系図は、教会の起源が、ユダヤ教と同じほど古いものであると主張するのに一役買ったと思います。
それは後に、旧約聖書を、「旧」に貶めて(?)、新約文書の引き立て役とする、視覚効果にもなったでしょう。
また、そこでの弟子たちが、イエスのメッセージを理解する者として好意的に描かれていることも関係あると思います(マルコよりマシ)。
マタイにおける弟子たちの描写は、弟子→使徒の継承を権威の正統性の頼みとする教会にとって好都合だったはずです。
マタイは、教会が、ユダヤ教と旧約を乗っ取るための、格好の踏み台となったのではないかと考えます。

121昆布 ◆konbu//XQ6 :2007/08/11(土) 21:24:12 ID:Lb+KVsBb
なんかよくわかりませんけど、一神教に関する考察ではなくて、ユダヤキリスト教史のひけらかしスレ?
122暇人:2007/08/11(土) 21:54:38 ID:z3g3bZyM
昆布君が 拗ねてる(笑)

あっち いっとれ(^。^)y-.。o○
123神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 00:09:12 ID:Dt2qktEl
>>116
>『お前は、私の子どもだ」と言い続けて、
>常に一緒に過ごし続けてきたくれた人のことを
>「お母さん」と呼ぶのではないか。

ただ言い続けただけでは、母であるという証明にはならない。
その母自身が「自分が生んだ子供である。」という事実が前提でなければならない。
仮に、生物学的な繋がりを排除したとして、その女が「自分の子供だ。」と言い聞かせ、
子供もその女を「自分の母」と認めていたとする。それも「親子」としては成り立つ。
それは周囲の者も「現実」として目の当たりにすることは出来るし、認めることは出来る。
ただし、「常に一緒に過ごし続けてきたくれた人のことを母と呼ぶ」という共通認識(概念の一致)
が各人のなかにあることが大前提。

しかし、神とイエスが親子(父子)という関係は、「現実、事実、真実」とは認められない。
なぜなら、神自体が人間に証明されない(されていない)からだ。
また、イエスが神の子であるというのは、聖書の記述の中のことであり、聖書自体が
イエスの弟子による記述であるから、イエスが「私は神の子だ。」と言ったならば、
弟子たちはそれを信じ込んだに過ぎない。

>>114
>実際は人間はそのような存在ではない。
>因果を飛び越えて、生きていくのが人間なのだ。

人間が因果を飛び越えるというのは、「信仰」ということを言っているのか?
もし、そうだとしたら、「人格化された神」がいると教える(教えてきた)これまでの、さらに現代の
キリスト教と同じではないか?

「信仰」は、「真実・真理」とは違うんじゃないか?
「真実・真理」は、クリスチャン、それ以外の人間の区別なく、つまり、万人に「真実・真理である」と
確認できなければ(共通認識、概念の一致がなければ)、それは「真実・真理」ではない。

124昆布 ◆konbu//XQ6 :2007/08/12(日) 01:18:16 ID:4uuFA0Uo
>>122
暇人には居心地良さそうなスレだな。

面白いから、眺めてるよw
125神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 10:52:45 ID:B1g9S/4U
>>123
ほんと、アホだな。
親子関係というのは、生物学的な関係ではない。
人格的なレベルで築かれる関係である。
だから、生物学的に親子でない者同士でも、
親子関係が築かれることは、よくあることである。
人間についての本質を取り違えることを、「学問的」な態度である
と取り違えているんじゃないのか?
126神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 11:00:28 ID:B1g9S/4U
>>123
親子関係とは人格的な関係であるから、
イエスが「アパ、父よ」と呼んでいる時点で、イエスは神の子であるし、
君自身が、神を「天にまします我らの父よ」と呼べば、君だって
神の子になることが可能なのだよ。

証明の問題ではなく、人格的な決意や選択という意志の問題なのだ。
127神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 11:17:05 ID:+/SG5DzE
>>125

宗教者は、なぜそんなに頭が悪いのか。

親子とは、文字通り生物学的な関係。人格的な関係は、生物学的関係からの
単なる比喩に過ぎず、原意ではない。「人格的な決意や選択」では、生物学的
な親子関係は絶対に生じ得ない。そもそも、人間にあらざる架空の神と人間と
の間に「親子関係」など成立し得ない。人間とサルとがセックスしても、子供
は生まれない。これが自然の摂理である。
128神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 11:29:47 ID:B1g9S/4U
>>127
うすらとんかちめ。
人格的な親子関係は、生物学的関係に尽きるものではないと
なぜわからんのだ。
子どもを運でも、便所に流したり、虐待して死なせたりする
母親と、子どもの間に、「親子関係」は成立していない。

人格的な関係というのは、人と木の間にすらもむすばれうると、
ブーバーの「我と汝」には書かれてあるぞ。
129神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 11:37:30 ID:+/SG5DzE
>>128

だから、生物的親子関係が「基本」である。原則と例外とを取り違えてはならない。

圧倒的大多数の親は、子のためには自分の生命さえ犠牲にする。これは、すべての
人間に生来的にビルトインされている肉体的本能。ごく少数の例外的・病理的
現象を取り上げて原則のごとく語ることは、倒錯以外の何物でもない。
130神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 11:44:00 ID:+/SG5DzE
>>128
フーバーは、すでに宗教で汚染された宗教者。「人間そのもの」については、
何もわかってはいない。
131神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 12:01:09 ID:B1g9S/4U
フーバーって誰だよ。
ばかちん。

例外と呼ぶには、児童虐待は非常に多くなされている。
報道されているのは、氷山の一角にすぎんらしいよ。
132神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 12:15:59 ID:YLjcOZZH
ナザレのイエスとは、父なる神とはペルソナは違うが 神そのものから 生まれた まさに神の御子
イメージとして天上での神の幻を見た方が 書いておられますが

父なる神ヤハウェは 奈良の大仏の何百倍も巨大な姿で どっしりと御座に座り たくさんの天の使いが 周りを翔びまわっていたそうです、突如 光輝く主イエスが 父神の胎内から 出てきて
人々の熱狂的な礼拝はピークに達したとか

聖なるプネウマ様は 女神のように地上に遍在され天には不在だと 言われたそうです、
これが聖三位一体のイメージです!
133神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 12:27:23 ID:YLjcOZZH
イエスは主

神学論争は あくまで イエスの神性を長く議論しました。

http://www.catholic-church.org/michi/senkyou-kazoku/homsanmitai.htm

http://pweb.sophia.ac.jp/~s-yamaok/sac99-06.htm

様々な教えに振り回されてはなりません
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/bible/bible66.html
134KG:2007/08/12(日) 12:32:35 ID:3dWxqnzb
誰しもが「神の子」になれるのであれば、あえて、イエスだけを「神の子」と呼ぶ必要もないような気がします。
アレクサンドロスも神の子、ファラオも神の子、アウグストゥスも神の子…。
イエスも、そんな「その他大勢の神の子ら」のうちの一人なのでしょう。
イエスが「神の子」であるがゆえに特別視されなければならないとしたら、
「その他大勢の神の子ら」も特別視されなければならないことになります。
現代のどこかの新宗教の教祖も、そう名乗っているのではないでしょうか?
では、彼らも立派な「神の子」です。イエスと同格です。

イエスなる人物は、おそらくパレスチナ地方南部のガリラヤのどこかで、普通の男女の夫婦との間に生まれたのでしょう。
そこには神の聖霊による身ごもり(=神によるレイプ)などなく、ごく普通の男女間の性関係があったはずです。
私は、それでもって、イエスを「人間の子」と判断するに足ると思います。
人間の子が、後に、「神の子」と自称したり、「神の子」に担ぎ上げられることはありましょうが、
それだけで、男女間のセックスによって誕生した子のことを、「神の子」と呼んだりしません。

ですからイエスの場合は、他の場合と同様、「神の子に担ぎ上げられた人間の子」なのです。
135KG:2007/08/12(日) 12:35:17 ID:3dWxqnzb
>>134訂正
(誤)パレスチナ地方“南”部のガリラヤ
(正)パレスチナ地方“北”部のガリラヤ
136神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 13:12:03 ID:y9DVycby
外典や死海文書読んでると聖典には出てこない、女性聖徒の活躍やパウロの
聖人化された物語、イエスの呪術的な奇跡物語、使徒継承はペテロではなく
ヤコブだった等々非常に興味深い話題が豊富だね。
カトリックは意図的に聖典化編纂時に都合の悪い部分をオミットしていったのが
見て取れる。
キリスト教を知るには外堀から埋めていくとよりクリアに理解できるのかも。

クルアーンも読んでみるとおもしろい。
物語風だけど、現代キリスト教を風刺したような描写が沢山でてくるね。
137神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 13:17:07 ID:B1g9S/4U
>>134
そうではないと思うよ。
138神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 13:24:33 ID:B1g9S/4U
>>134
その説明では、キリスト教が爆発的に広がって、2000年も
続いてきた理由がわかりませんね?
139神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 13:31:25 ID:YLjcOZZH
小麦と毒麦だよ
神は 天使により 人を検品し より分けている 善をおこない 義を待ち望む者は 主の再臨の際 天上へ引き上げられ 残る 不良品たちは 地獄と化した地球で とさつを待つ牛のように ジワリジワリと殺戮されます。黙示録読めば 結局 そう言ってますよ。厳しい!
140神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 13:33:34 ID:ybEvem61
>>133
佐倉さんは「ニケーア会議は、イエスが神か人かを議論した」とはしておらず、
「ニケーア会議に代表される4世紀初頭のキリスト論」として対比しているように、
二ケーア会議は「イエスは神」とするものだと書いているように見えますが、
リンク先の鈴木さんの反応の仕方はその点でズレているように思えます。

また焚書に関してですが、佐倉さんが「1〜3世紀のキリスト教徒がイエスを「神でない」としている文書」には、わたしも興味がありますが、
イエスを神とする「正統派」のクリスチャンたちによってそれらは歴史から抹殺された事情があるのです。 」
と言ってるのを鈴木さんが「「抹殺」されたので資料がないとは言えない。」と返すのは、
「イエスを神としないグループが書いた文書」を「そのグループの文書の思想を知ることができる資料」と
ごちゃ混ぜにしたうえでの答えといえます。

ID:B1g9S/4UさんとID:+/SG5DzEさんとのやりとりのように、全然噛み合っていないのです。
このスレッドでは、相手が書いた文章をよく読み、相手がどんな意味をこめてその言葉を使っているのか、
を考えながらやりとりが進められることを願っています。
141神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 13:38:31 ID:ybEvem61
ID:B1g9S/4Uさんの「親子関係」は社会的・精神的なつながり
ID:+/SG5DzEさんの「親子関係」は遺伝子的なつながり

であることは明らかですが、これはお互いに叩き合う性質のものではありません。
無理してもう一方の定義を全否定してまで「論戦に勝」とうとしているようで、無益だと思います。
142神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 13:41:16 ID:ybEvem61
>>138
(公式な教義でも)人間の夫婦から生まれているムハンマドの教えも
爆発的に広まってますよ。そして現在まで続いています。
143KG:2007/08/12(日) 13:41:25 ID:3dWxqnzb
>>138
まず、>>134だけで、私はキリスト教の発展を説明し尽くそうとはしていません。
そこでは、単に、「人間の子は人間の子である」としか申しておりません。

また、キリスト教会の発展と、正典編さんの過程を調べれば、その理由がわかります。
また、マリア信仰の発展をたどれば、人々がいかに踊らされやすいかも分かります。
現代における諸新宗教の成長の過程も、そうした理由を突き止めるヒントになると思います。

とにかく、「多くの人が信じたから真実である」というのは、何の説明にもなりません。
もちろん、「因果を飛び越えて」しまうブッ飛んだ思考回路をもつ人にはそれで十分でしょうが…。
そういう方は、「多数決=真実」という理論に乗っ取って、真実を追い掛けたらよろしいかと思います。
大変、お手ごろな理論です。
なるほど、皆が飛びつくわけです。

144神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 13:45:06 ID:B1g9S/4U
>>141
ばかもん。
神と人との親子関係の話題をしているんだから、
生物学的なつながりのはずがなかろうが。
あっちいけ。
145神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 13:47:14 ID:B1g9S/4U
>>143
イエス・キリストは、三位一体の神の第2位格であり、
乙女マリアよりまことの神、まことの人としてお生れになりました。
146神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 13:50:32 ID:B1g9S/4U
そうでなはいなどと、証明できるかね?
147KG:2007/08/12(日) 13:53:26 ID:3dWxqnzb
>>145
サッパリ意味が分かりませんが、
大変よろしいのではないでしょうか。
148神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 13:54:02 ID:PBcwnbyK
神とイエスが親和性を持った関係ということをいいたいのなら、
別に「親子」でなく「師匠と弟子」でもいいわけだ。
一般大衆には、「師匠と弟子」より「親子」のほうがイメージ的に「濃さ」を感じる。
宗教でも何でも、「大衆の心」により訴え易い言葉、表現を使ったほうが浸透力は大きい。

149神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 13:57:44 ID:ybEvem61
>>144
だから、ID:+/SG5DzEさんの対話でもはっきりそう言えばよかったでしょう。
神とイエスの関係は「人間の親と子の遺伝子的なつながり」とはまた別のものである、と。
そうせずに>>125-131で人間同士の例をあげて「親子関係」の定義を主張するだけだったために
単なる言い合いになってしまったのです。
150神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:01:18 ID:B1g9S/4U
>>147
意味がわからんなら、
キリスト教など論じないことだな。
君には向かない。
151神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:02:43 ID:B1g9S/4U
>>149
わたしは始めからそう言っているが。
親が子を子と呼び、子が親を親と呼ぶならば、
そこに親子関係は成立しているのである。
152神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:05:00 ID:GeNZaipg
大魔神とか、3つの顔をもつ神とか、シヴァとヴィシュヌとブラフマー
などと一緒だろ
153神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:06:07 ID:PBcwnbyK
イエスが神?を父と呼ぶのはいいとしても、
神がイエスをわが子と呼んだ(断定した)証明は出来ないだろう。
よって、親子関係は成立しない。
154神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:06:48 ID:GeNZaipg
古代インドの魔神アスラや、ヒンドゥー教の3神が、キリスト教に取り入れられ、三位一体となったのだ
155神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:07:53 ID:B1g9S/4U
>>153
君が神に対して「天にまします我らの父よ」と
呼びかければ、神もりっぱな神の子であるのだぞ。
156キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 14:08:47 ID:g1URKLen
>>153
っていうか
人間の親子関係は 当事者は証明できないしょ。
第三者しか証明できないんだよ。

だから 神をイエスの関係は 第三者しか言及できないんだよ。 
157神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:09:22 ID:B1g9S/4U
>>153
君が神に対して「天にまします我らの父よ」と
呼びかければ、君もりっぱな神の子であるのだぞ。
158神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:10:47 ID:GeNZaipg
キリスト教だと、三位一体が基礎であり、イスラム教ではマホメットの方がキリストより偉いっていう
決まりなんだろ?議論してどうにかなる話題ではない 
159神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:11:16 ID:B1g9S/4U
>>156
バカだな。
人格的関係である親子関係は、生物学的な関係に尽きるものではないと
なんど言えば分かるのだ。生物的に親子でも、人格的な親子関係が築かれない
どれだけたくさんの例があると思うのだね?
160神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:12:16 ID:PBcwnbyK
>>157
>呼びかければ、君もりっぱな神の子であるのだぞ。

「呼びかければそうなる」というのは、単なる思い込み。
思い込みが本人内部で完結するならそれもいい。
しかし、他人に宣教した時点で、それは妄想になる。
161神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:13:53 ID:B1g9S/4U
>>153
神であるイエス自身が、自分のことを神の子と言っているではないか。
ばかちん。
162キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 14:14:11 ID:g1URKLen
父親は その妻である母親が生む子を実子だと
自分では確認できないでしょ。

子の同様に 母親から生まれてくる時のことを
覚えている人間はいないんだよ。

母親も 出産に第三者の介添えが有れば
実子だとは確認できないでしょ。
出産直後に取りかえられる 可能性は否定できなしからね。


つまり 親子関係を署名するのは その当事者ではないんだよ。
163神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:14:57 ID:PBcwnbyK
>>156
母親が実際に産んだ子を「わが子」と呼べないって言うのか?(失笑
164神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:15:17 ID:B1g9S/4U
>>160
人格的な関係は、思い込みによって成立するのではない。
相互の信頼によって成立するのである。
信頼して、よびかければ、そこに人格的関係が成立している。
165キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 14:16:07 ID:g1URKLen
>>163母親は 出産はするが その子供が出てくる過程を観察はしていない。
166神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:18:06 ID:PBcwnbyK
>>162
>母親も 出産に第三者の介添えが有れば
>実子だとは確認できないでしょ。
>出産直後に取りかえられる 可能性は否定できなしからね。

現代の産婦人科病院の話をしても意味ない。
大昔は、出産したその場でわが子を抱いたし、その時点から母子はずっと寝起きを
共にしたんだよ。
167キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 14:18:20 ID:g1URKLen
だから 生物学的親子関係で 聖書を批判するのは無意味なんだよ。
168神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:18:40 ID:ybEvem61
>>151
それをはっきりレス(言葉として)出したのは>>125からですよ。
それを読まないと、>>116でもまだ「遺伝子とは別の意味だ」と確実に解釈できるものではない。
>>155という意味で「イエスは神の子」だったと読み取ることはさらに難しい。
あなたは最初からそのつもりでも、相手も最初から承知しているとは限らないのです。
169KG:2007/08/12(日) 14:19:26 ID:3dWxqnzb
>>150
ですから、もうご承知のこととは思いますが、キリスト教を論じるつもりはありません。
それは「神学」とやらを専攻している方々にお任せします。

私は単純に、紀元1世紀あたりにはじまったイエス運動、あるいはキリスト教活動が、どのように展開して行ったのかを追跡しているだけです。
信仰理解などには関心がありません。
信仰理解を歴史に持ち込むから、ややこしいことになるのです。

元来、歴史という分野は、どの分野の者が目を通しても、理解できるものです。
日本史の専門家が、西洋史の専門書に目を通しても、理解できるのです。
それは、アプローチの仕方と視座を同じくしているからです。
ところが、教会が提出するキリスト教の歴史に関しては、一般の歴史家はなかなか理解できません。
それは、学問の衣をまっとったクリスチャンが、信仰を守るために歴史をいじくりたおしているからです。
普通であるならば、歴史において、>>150の「意味が分からないなら…君には向かない」という言葉は出てきません。
私は、そうしたキリスト教の歴史の描き方に疑問を持っているのです。
私は、一般の歴史家でも理解できるキリスト教史を描けないものかと、思っているのです。

ですから、>>150さんのような方からのアドバイスは、ハナから相手にしておりません。
170神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:19:53 ID:B1g9S/4U
>>163
産んだ子どもを、便所に流す母親もいるわな。
幼児虐待が耐えない昨今ですな。
171キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 14:20:53 ID:g1URKLen
>>166
アブラハム物語の サラの出産の記事では その出産を助けている。

つまり 古代でも現代でも その出産を助ける人が子を取りかえることは可能だ。
172神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:21:24 ID:ybEvem61
>>154
「三人組の神々」は別に珍しいものではないのですけど、
その中でインド由来とする理由を教えてください。
173神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:21:25 ID:PBcwnbyK
>>164
>相互の信頼によって成立するのである。

だから、イエスが神?を父と呼ぶのも信頼するのも勝手だが、
神?がイエスをわが子と呼んだかどうか、信頼していたかどうかなどわからない、
証明のしようがないといっているんだよ。
神の存在そのものが証明されていないのだから、「相互関係」もなにもない。
174神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:23:14 ID:B1g9S/4U
>>169
>信仰理解などには関心がありません。


当時の人々の信仰の軌跡なんだから、
信仰理解に関心がないなら、イエス運動とやらの研究はおやめなさい。
175キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 14:24:41 ID:g1URKLen
だから 親子関係を証明するのは その当事者ではなく
周りの人々なんだよ。

神とイエスの関係も その関係を証言するのは
周りの人々なんだよ。

その周りの人が 父なる神と イエスは子なる神 と証言しているんだから
それは事実なんだよ。
176神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:25:41 ID:B1g9S/4U
>>173
君が神を「天にまします我らの父よ」と
呼びかけないならば、そりゃ、親子関係は成立していないわな。
177KG:2007/08/12(日) 14:27:52 ID:3dWxqnzb
>>174
あなたにそれを言われる筋合いはございません。
無意味な発言と、有意味な発言をまず振るいにかけてから、ご発言ください。
178神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:29:13 ID:PBcwnbyK
>>175
周り、第三者が証明したら「親子」になる?
第三者が証明したら「関係性」が生じるのか?
それは、違う。
関係性は「当事者同士」が決めるんだよ。

しかし、イエスと神?の場合、神の存在が証明されない以上、当事者同士という関係すら
存在しない。ましてや、第三者に関係性を決定できるわけがない。

お前も、妄想に嵌ったな。

179キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 14:31:27 ID:g1URKLen
当時は 政治と宗教と科学等等は分類して無いんだね。
つまり 一体のもの なんだね。

その当時のことを知るために 現代の感覚 つまり
政治 宗教 科学 等等を 分離して解釈する事は
無意味なんだね。
180神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:31:42 ID:PBcwnbyK
>>176

おまえはおまえの思い込みの中で生きればいいだけの話。
他人を巻き込むな。
もっとも、他人の思い込みに洗脳された方が生き易い人間も多くいるから、
そういう人間に一所懸命語りかければいいさ。
181神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:32:28 ID:B1g9S/4U
>>177
どんな宗教であれ、信仰とは、人の内面に生じる創造的なドラマである。
宗教的な共感や、経緯もって、人間の内面を扱うことができないなら、
宗教的テキストを、単なる歴史的資料としていじくりたおすのは、
資料の適切なアプローチとはいいがたいね。
182神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:33:13 ID:PBcwnbyK
>>179

ほう、キリスト教は時代によって解釈の仕方が変るんだ?w
183神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:34:01 ID:B1g9S/4U
>>180
貴様らこそ、人の信仰という、個人的、内面的な領域の問題に
学問の名を振りかざして、ずかずかとあがりこんでくるな。
184キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 14:34:50 ID:g1URKLen
>>178
第三者の証言を受けなければ、その当事者達は
親子関係を築けないでしょ。

だから 当時の第三者が イエスと神が親子関係にある と
証言する事がまず始めに有るんだよ。
185キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 14:36:11 ID:g1URKLen
>>182 福音書の時代に 三位一体 など無いのは常識だ。
186神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:37:14 ID:B1g9S/4U
>>169

>元来、歴史という分野は、どの分野の者が目を通しても、理解できるものです。
>日本史の専門家が、西洋史の専門書に目を通しても、理解できるのです。
>それは、アプローチの仕方と視座を同じくしているからです。

それは、十九世紀の幻想であって、民族や宗教や国家を超えて、共通の
アプローチや視座など存在しないことが、あきらかになっているのが
現代である。純粋科学として「客観的」な歴史記述が、可能などというのは、
妄想であり、そんな19世紀の妄想が通用しているとは、どこの三流大学の
学生かね?
187神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:37:55 ID:PBcwnbyK
>>184
>だから 当時の第三者が イエスと神が親子関係にある と
>証言する事がまず始めに有るんだよ。

最初に証言したら「真理」になるというのはおかしいぞ。
第三者が証言したら「事実」になるのか?

そんな発想してたら、無実の人も犯罪者にしかねないな。

188キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 14:38:13 ID:g1URKLen
出産時に 出産を終えた母親に 助産した人が
母親に「はいアナタの子ですよ」って言うらしいよ。

そこから 母親と子 の関係が始まるんだよ。
189神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:38:47 ID:B1g9S/4U
例えば、KGの「視座とアプローチ」の中に、既に、「キリスト教は真理ではない」
という宗教的な立場が、織り込まれている。
宗教的に、客観的な立場での、歴史記述など、不可能なことの一番の証拠では
ないのかね?
190神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:39:51 ID:GeNZaipg
キリスト教の教義が、三位一体なんだろ
議論する話題でない
191神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:40:27 ID:B1g9S/4U
ほんとに、バカなやつらだ。
親子関係という、人格的関係は、当事者と当事者の間に
結ばれる信頼関係、愛情関係である。
それは第三者によって、宣言されたり、証明されたりする
問題ではないのだ。鈍い頭をよく使って、考えろ。
192キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 14:41:05 ID:g1URKLen
>>187あんたは、母親から出てきた時に母親の顔を確認したの?
そして その時のことを覚えているの?
193神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:43:44 ID:PBcwnbyK
>それは第三者によって、宣言されたり、証明されたりする
>問題ではないのだ。

だったら、第三者に自己の内部を吐露せず、自分だけで信じていればいいんじゃないか?
「自分がいいと思うことを人にもしなさい。」なんていうのは、ただの押し付け。
194神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:45:20 ID:YLjcOZZH
聖光輝くよみがえりの主仰ぎつつ

195神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:46:18 ID:PBcwnbyK
>>192

おまえは、自分の母の証言より第三者の証言を事実とするんだな?
逆に、第三者が「お前達は親子ではない」といったら、その意見を採用するんだな?

196神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:48:54 ID:0xbtE1wd


 ∧⊂ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 (゜Д゜)ノ < うわ〜、不毛な議論まだやってるよヲイ
 (|  |    \__________
〜|  |
  ∪∪
197神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:50:36 ID:0xbtE1wd


>>513
(´ー`)。o○  (あるんだけどな...)
198神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:52:29 ID:B1g9S/4U
>>193
別に吐露していないが?
君が、このスレを読まなければよいだけの話ではないのかね?
あっちいけ。
199神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:53:24 ID:0xbtE1wd
モトイ

>>153
(´ー`)。o○  (あるんだけどな...)
200神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:57:18 ID:PBcwnbyK
まあいいや。
擬似親子芝居でもなんでも、それがおまえの生きる道ならオイラには知ったことではない。
じゃーな。

最後に言っておく。
学歴コンプレックスはみっともないぞ!!(失笑



201神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 14:57:27 ID:B1g9S/4U
人生を決定する一番大きな要素は何かわかるかね。
「好きと、嫌い」これが、人間の一生を決定づける。
好きな人と、好きな人が、くっついて、人間が新しく生まれる。
好かれない人間は死んでいく。
多く好かれる宗教は、栄え、多く好かれない宗教はさびれていく。
好きと、嫌いが、世界を形作っていくのだ。
事実がなんであるかが、世界を形作るのではない。
202神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:00:13 ID:0xbtE1wd
>>153

つ マタイ3:16-17 (新改訳聖書より)

 こうしてイエスはパプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。
 すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上にこられるのをご覧になった。
 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」



*注*「異・端」が使っている新世界約聖書にはないのかもしれません。
203キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 15:03:23 ID:g1URKLen
>学歴コンプレックスはみっともないぞ!!(失笑

東京神学大罵倒のことか?
204神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:06:24 ID:B1g9S/4U
好きと嫌いが全てを決定する世界の中で、
人が生きていく道は、次のような選択肢がある。

1.人に好かれる人間になる。
2.それができなければ、人に好かれる商品やサービスを提供できる能力を養う。
3.それができなければ、人に好かれている宗教を信じることで、人に好かれている
宗教の一員であるというアイデンティティーを確保できる。
4.それができなければ、人に好かれる代わりに、人を好きな人になる。
5.それができなければ、人が生きる道はない。

しかし、親子関係とは、好きと嫌いが、すべてを決する世界の中で唯一
好きと嫌いを超越した、関係なのだ。親子関係の中で人は、好かれることも
嫌われることも超えて、「愛される」ことができる。
それが親子関係という、人と人の間にむすばれる人格的なきずなである。
205キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 15:06:39 ID:g1URKLen
まあ 戸籍謄本を見てショックを受けた人の話しを思い出したんだよ。

この話しはやめる。
206神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:08:46 ID:y9DVycby
>>201
好きも嫌いもイメージ操作で作り上げられるものですよ。
参院選然り。
イメージの絶対化も論として成り立ちますが同時に相対化も同様に論として
成り立ちます。
自説を護教するために対論を封滅しようとする運動こそキリスト教ですが
現代社会にはとても馴染まない幼児性自己愛です。
207神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:11:24 ID:B1g9S/4U
>>206
好きと嫌いが、すべてを決定する世界の中で、
人に好かれなければ生きていくことが許されない
修羅場の世界で、

好きと嫌いを超えて、「おまえを愛する」という親子関係を
結んでくださる神の存在に、心の平和を見つける人間もいるのだよ。
208神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:15:07 ID:B1g9S/4U
いじめられて自殺する子どもたちを見たまえ。
彼らは、人に好かれない自分に絶望しているのである。

人気の絶頂にある芸能人のような人間だって、同じ運命の上にある。
波が弾いていくように、いつその人気の波がひいていくかわからない。
人気がなくなれば、仕事がなくなる。食べてゆかれなくなる。
人の好き嫌いは、まさに彼らの生死を決しているのだ。

わたしたち全ては、
好き嫌いという人間のきまぐれに翻弄される。
そんな私たちを誰が救うことができるのだね?

世界の創造者が、私と親子関係を結んでくださるという希望は、
私たちを救わないだろうか?
209神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:18:43 ID:y9DVycby
爆発的に広がったキリスト教の教えというものを現代マーケティング手法に当てはめ
考えればわかりやすいでしょう。
わかりやすいキャッチフレーズ、手軽な操作と廉価性、日常での利便性、汎用性
的確なコマーシャルとブランド戦略。
キリスト教はこれらを戦略的に行った結果、今日見る発展を得たのでしょう。
その後政治統制と更なる販路拡大により大航海時代を迎えましたが、よりより
製品(資本主義経済)によって今は退行の一途です。
イエスがどうというよりもイエスをうまく売り出した教会の知略こそ
目を見張るべきでしょう。

教会にとってはイエスでなくても良かったのです。マタイでもルカでも
ペテロでも、商品名がたまたまイエスだったというだけの話。
ウィンドウズをイエス・キリストと改名したところで売り上げは落ちないでしょう。
現代はイエス・キリストの製品性能が他社製品の勃興によって
相対的に劣化してしまったと同時に、現代人の嗜好に合わなくなってしまった
というだけの話なのです。
210神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:20:19 ID:y9DVycby
>>207
何もキリスト教じゃなくてもその精神効果を与えることはできます。
キリスト教でなければできないというのは信者の思いこみに過ぎません。
211神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:23:08 ID:B1g9S/4U
>>210
たとえば?
212神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:25:32 ID:B1g9S/4U
髪は抜け、歯は欠け、チンコはたたなくなり、
加齢臭が漂い、家族に見捨てられ、人から目を背けられ、
若い女の子たちに臭いと言われたとき、
それでも、わたしたちに生きる意味はあるのでしょうか?
213神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:28:33 ID:PBcwnbyK
>>203

勘違いさせてすまん、おまえのことじゃない。
もうひとりKGに食いついていたやつだよ。

214神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:31:25 ID:y9DVycby
>>211
無条件でおまえを愛するというイメージを創造したら簡単です。
宗教は概ねイメージ(神像)作成から始めますから。
一神教はその独善性により性格は限定されるかわりにわかりやすい
のですね。
イエスでなければ愛せないということは決してありませんよ。
例えばアッラーも慈悲深く慈愛に富む神ですし、大日如来、弥勒菩薩も
同様でしょう。
愛されたい欲求をどのイメージに持って行くかで帰属宗教が決定
されていくのでしょう。そのイメージそのものを悪しきものとするか
または生活のための処方箋とするのか、悪しき指導者の洗脳の道具と
なるのか。本質的な命題はイメージに対する意味づけです。

>>212
意味なんてなくてもいいんですよ。
意味があったところで何の役にもたちません。
215神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:39:52 ID:B1g9S/4U
愛が嘘偽りかみせかけかどうかなんて、
人にはわかります。
人は真実な愛を求めます。
216神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:41:20 ID:0xbtE1wd
誰かの意見に反論するとすぐに学歴コンプを毎度持ち出す人は
自身の心の反映にすぎない。
217神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:43:17 ID:y9DVycby
人は自分の思う真実の愛を疑いません。
例えそれが虚偽の愛だとしても騙されている間は幸せなものです。
218KG:2007/08/12(日) 15:43:50 ID:3dWxqnzb
例えば、歴史家ヘロドトスは、『歴史』の中で、ペルシアのクセルクセス王が、対ギリシア戦争のために、500万人以上の兵を動員したと「証言」しています。
ところがこんな数は噴飯もので、一目で誇張であると疑ってかからねばなりません。
兵に随行する、非戦闘員や家畜、食糧給仕の数を加算すれば、遠征にはその倍近くが参加したことになります。
それほどの人数を、行軍先で賄うだけの食糧を確保することは、物理的に不可能です。
それで、歴史家は、その数を差し引いて、実際には、5万ほどではなかったかとしています。

こうした判断を下す時に、「当時の資料としてはヘロドトスしかないから」とか、
「古代人と現代人とでは認識が違うから」とか、「これまで皆がそう信じてきたから」とか
「歴史には客観などないから」とかいう理由で、
ヘロドトスの「500万」を鵜呑みにするわけにはいきません。
こうした批判的なアプローチの仕方は、どの分野の歴史にも共通しています。

そしてそれはキリスト教の歴史再現にも適用することができます。
「福音書に処女受胎が書いてあるから」という理由だけで、それを鵜呑みにするわけにはいかないのです。
それは、ヘロドトスの「500万」を鵜呑みにすることと同じだからです。
歴史は単純です。
219神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:47:24 ID:0xbtE1wd
>>218

生きる意味って何?
哲学的な答えを知りたい
220キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 15:47:32 ID:g1URKLen
>>298
>「福音書に処女受胎が書いてあるから」という理由だけで、
>それを鵜呑みにするわけにはいかないのです。

福音書を記述した人は それを「鵜呑みに」したんだよ。
221神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:48:40 ID:y9DVycby
>>218
既にイエス死後より1世紀近くも経ってしまってから描かれた福音書には
主に歓心を得るための奇跡物語やグノーシス風であったりギリシャ風であったり
その作者の心情が遺憾なく反映されています。
福音書も同様に当時の教会の意向に沿ったものがセレクトされていっただけ
の話でしょう。
ローマ帝国の滅亡とキリスト教拡大戦略との相関を調べるとおもしろいかも
しれませんね。
222神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:49:42 ID:PBcwnbyK
>>220

キュロス〜、論点ズレてるぞ。
223神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 15:50:57 ID:B1g9S/4U
ばかなやつめ。
5万だろうが、500万だろうが、
どっちだっていいだろう?
そんな数字おっかけまわすことに
人生を費やすことが無意味だと思わないのかね?
500万と書いて、「そんなの嘘だ。ほんとうは五万だろう」
といったところで、人間の「現在」は、何も変わらない。
224キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 15:57:48 ID:g1URKLen
>そしてそれはキリスト教の歴史再現にも適用することができます。

福音書からキリスト教の歴史を再現して
それが キリスト教否定になるという
理屈が理解できない、のよ。

福音書やパウロ書簡から 現代のキリスト教の教理を
否定する事は可能でしょ。
例えば パウロは「養子論」だし

ヨハネ福音書は「仮現論」とも読めるし
また ヨハネ福音書では イエスが死ぬ前に
イエスの使命は果たされているし。

まあ 彼とは 興味の焦点が違うんだね。
225KG:2007/08/12(日) 16:02:47 ID:3dWxqnzb
>>220
鵜呑みにしたかもしれないし、しなかったかもしれない。
そんなことは承知しております。

仮に、鵜呑みにしていたところで、それが現代の歴史のアプローチの仕方に影響を与えることはありません。
ヘロドトスの著作に当たるように、福音書に当たるだけです。
他の神話や、奇跡物語をフィクションと切り捨て、それらフィクションの背景を探るように、イエス物語の背景を探るだけです。
自身を神の子と称したアレクサンドロスを人間の子と決め付けるように、ガリラヤのイエスを神の子と決め付けるだけです。
「俺は両親のセックスを介さずに生まれてきた!」と主張する人の話をフィクションと判断するように、福音書の処女降誕の主張をフィクションと判断するだけです。

我々が、以上のような判断を下すことは、個々のクリスチャンに、何の害も及ぼさないはずです。
個々の人がキリスト教を信じる信じないは自由です。
それは個々の人の好みの問題です。
イエスを崇めるなり、マリアを崇めるなり、好きにすればいいと思います。

226神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 16:04:51 ID:8dQajy1p
>202
そこで新改訳から引用すると何だ、またぞろ只のファンダメンタリスとかよ!って事で、全ての意見が否定されますので、ご注意を(w。

つーかマタイグループがやらかした仕事がそもそも問題あるんだがな(w
227神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 16:05:45 ID:0xbtE1wd
>>212
女性だけが生きがいの人がそうなったら
生きる意味はないんじゃないでしょうか?w
228神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 16:09:54 ID:0xbtE1wd
>>226
ファンダメンタリストって言われるの好きだから。w
しかしながら確かに新改訳つかってる教派だけどどこまでファンダなのかは疑問。。
個人的にはまだまだ足りないですね。
もっと強烈なとこありますし。w

愚か者はファンダ=ブッシュ と思考しますが 違いますので。

229キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 16:11:18 ID:g1URKLen
>>225 福音書に歴史性がある思ってるんでよ。

オレは 歴史的事実の断片はあるでしょうけど 物語としては
作り話だと 思っているよ。
230KG:2007/08/12(日) 16:11:57 ID:3dWxqnzb
>>224
私は、キリスト教を否定していません。
イスラームを選択するもよし、ユダヤ教を選択するもよし、仏教を選択するもよし、それは個人の自由です。
チョコレート味のアイスを選ぶ子もおれば、ミント味のアイスを選ぶ者もおるでしょう。
私は、他人の味覚の好みをコントロールすることはできませんし、するつもりもありません。

>>223
「どっちだっていいだろう?」という感覚の人は歴史に向いていません。
231キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 16:21:32 ID:g1URKLen
例えばさ
マタイ福音書は 保守的な福音書だと言われているでしょ

ところが 山上の説教の八福の後の 反対命題で最初は
女性に語りかけているんだね。
地の塩は料理の話しで 灯りを灯すのは当時の女性の仕事なんだね。
つまり 当時のマタイ福音書の朗読を聞いていた人達は
そこに イエスの女性に対する眼差し とみるわけよ。

そう言うことを マタイ福音書の記述者は 演出してるんだね。
そう言うことは 史実の検証からは見えないんだね。
232神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 16:22:32 ID:0xbtE1wd
>>230
で、KG、あなたにとって生きる意味とはなんですか?
233暇人:2007/08/12(日) 16:22:35 ID:1lGl29/2
500万とあっても5万ってあっても それはそもそも実数を正確に表現しようと
したのではなくて
「大勢」という事実を示したかっただけであろうと読むのが普通でしょ。

それをたいした根拠なしに5万と推定するのはまだしも
5万が事実だと考えてしまうと それはおかしいと私は思う
234暇人:2007/08/12(日) 16:24:47 ID:1lGl29/2
>>231

だいたい信者は女性が圧倒的に多かったのだから
女性陣を無視したカキコ自体がありえない。

当時の平均からしても、ばりばりの女性差別者であるパウロですら
女性陣を意識している箇所はある
235キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 16:30:59 ID:g1URKLen
マタイ福音書は イエスがダビデ子孫だ と言うことを
22章41節以下で否定してるわけよね。

だから 冒頭の系図の意味は イエスがダビデ家の一員だという
証明では無いんだと思うんだよね。

「主はわたしの主にお告げになった」(22章44節)は
最初の「主」は父なる神 で 後の「主」はメシアのことなんだろうね。

そして ダビデが歌っているんだから その時すでにメシアは
存在してた ってことなんだね。

ダビデ時代には すでにイエスはいったってことをいってるわけよね。

そういうことを言ってる福音書なんだから 歴史性を否定する
っていうか 歴史性を否定する事が滑稽なことなんだと思うよ。
236KG:2007/08/12(日) 16:41:07 ID:3dWxqnzb
>>233
ペルシア戦争の細かい議論に立ち入るつもりはありませんが、
もちろん、5万以上の兵員を見積もっている学者もいます。
5万を「事実」だと、諸手を挙げて歓迎するような能天気な学者はいないと思います。
しかし、実数の特定(断定ではない)が、無意味ではないことは、歴史を専攻した者であるならば分かるはずです。

ペルシア帝国の軍事制度や行政システムを研究する者や、ギリシアの軍備を研究する者には、「500万」という実数が障壁になります。
「500万」をそのまま鵜呑みにしては、正確ペルシア帝国の有様が描けなくなってしまいます。
また、ヘロドトスの噴飯ものの誇張表現から、ヘロドトスの著作の意図が見えてきます。
彼は、ギリシア兵の数は多めに見積もっていないので、これは明らかに、「象にアリが勝った」ということを印象づけるための演出であることが分かります。
ヘロドトス自身も、500万がありえない数であることを認識していたはずです。
そこから、ペルシア戦争におけるギリシア軍の勝利の評価や、ギリシア人の価値観が浮かび上がってきます。

ですから、「批判的に資料を読む」ということは、歴史家にとっては大切なことなのです。
もちろん、物語として読むならば、気にすることはないでしょうけれど…。
237暇人:2007/08/12(日) 16:46:27 ID:1lGl29/2
新共同訳略解は
「ダビデの子」は、1.1 9.27 20.30は当然として 
同時に「ダビデの主」であるとこの箇所は言っていると解しているね。

イエスが「ダビデの子」と同時に「神の子」であるというのが
初期教会の基本的なキリスト理解と主張されている。

実際はどうなんだろうね
238暇人:2007/08/12(日) 16:56:00 ID:1lGl29/2
>>236

7万かもだったし 3万だったかもぢゃん
500万ではなく5万という分析評価にも ある種の意図が入ってますよ。

ヘロドトスの噴飯ものの誇張表現←これが歴史を見る立場として決定的にセンスがないですね。

500万という「誇張」は、KG君の価値観という「ものさし」から評価されると
「噴飯もの」なだけですね

古代の人は想像力豊かだという評価もあれば
インド人に誇張に比すると まだまだだなぁという評価もあります。
239暇人:2007/08/12(日) 17:05:28 ID:1lGl29/2
>もちろん、物語として読むならば、気にすることはないでしょうけれど…。

それと ちなみに「歴史」を書いたヘロドトスは、
神々の意思に従いギリシア人的立場からペルシア戦争勝利までを
『物語る』のだね。

そもそも実証的ではない
240KG:2007/08/12(日) 17:13:22 ID:3dWxqnzb
>>238
>7万かもだったし 3万だったかもぢゃん。
もちろんそうです。10万、20万だったかもしれません。
それが、ここでの議論といかなる関わり合いがあるのでしょうか?
何を言わんとしているのかが、分からないのですが…。

「500万」を「誇張である」と判断することが、歴史の手法として間違いであるということでしょうか?
そしてやはり、>>218の根拠に基づいて、実数を見積もることそれ自体に、意味がないというお考えでしょうか?
実数を見積もった上で、その「注」に「ヘロドトスは500万以上とはじき出しているものの…」と書くことが適切でないのでしょうか?
では、ギリシア史の論文をどうやって書いたらいいのでしょうか?

私は、古代ギリシア人に、「敵兵500万」の記述がどんな印象を与えたかを踏まえた上で、発言しているのですが…。
私の価値観と、古代人の価値観は切り離しておりますよ。
ヘロドトスの叙述の仕方が、現代の歴史の叙述の仕方とかけ離れていることも分かっております。
ヘロドトスの著作が無価値であるなどとは思ってもいませんし…。
暇人さんの言わんとしておられることが、どうも分かりません。


241:2007/08/12(日) 17:58:43 ID:84hm33WE
示された数字の実数の合致に執着=化学教に準ずるとする
潜在擦りこみ価値に迎合したタイプって、数字の意味合いや娯楽的表記とか意識できない児童会話レベルだと思うよ
242神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 18:00:15 ID:67wXHBKW
暇人は風見鶏だから。w
ところで、暇人、お前のスタンスはどれ?
クリスチャン?無神論者?その他?



243神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 18:01:21 ID:8BtRx+vy
KGがこの板でやる意味がわかりません。噛み合ないのがわかっているのに。
歴史板でやればいいのでは?
244神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 18:12:15 ID:gZ2gG/6H
ヒント:キリスト教質問箱からの隔離スレ
245神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 18:21:41 ID:YLjcOZZH
とにかく イエスがこの世に生まれなかったら
@キリスト教は存在しないA今年は西暦2007年ではなくなるB西欧キリスト文化は 全て消滅 キリスト絵画 様々な学問 小説 バロック音楽も 荘厳な教会堂も C清教徒が起源のアメリカ合衆国もDお菓子のマドレーヌも存在しない。

書き出したら キリがないよ イエス様って 偉大な方ですね♪

池田大作が逆立ちしても 豚になるだけ
246神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 18:47:01 ID:0xbtE1wd
>>242
暇人は隠れエホバの証人みたいです。
これまでのレスから予測。
247キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/12(日) 18:47:45 ID:Bc550NA2
出エジプト記12章37節によれば エジプトを脱出したイスラエルの人々の
人数は 壮年男性だけで60万人だったと言われている。
これに 「雑多な人々」や妻子が加わったとして その総勢はざった200万程度と
想像される。

さて このことの史実性を検証するのは 当時のエジプト側の資料が参考になる
それによると 当時、まとまった数のエジプトからの脱出の記録は無い。

それら資料から 出エジプトはまったくの作り話しだする学者から
数家族程度の脱出だったする教説が有る。

まったくの作り話とする説 と 数家族程度でもエジプトからの脱出はあったとする説との
開きは大きいわけね。 でも両説とも納得のゆく説明があるんだね。
つまり 感覚的に60万人説を否定するのではなく その根拠となる資料からその説を
展開してるんだね。

確かに始めは感覚的なものでかまわないけど それを他人に納得させるためには
ある程度の資料が必要だね。
248KG:2007/08/12(日) 19:12:08 ID:3dWxqnzb

>>218で既に書いたように、ヘロドトスの「500万」に関しては、学者らは、
例えば、500万人(あるいはそれ以上)の糧食を賄うことの不可能性や、
海軍兵のための船橋の架設工事に要する時間などから、「500万」を否定しているそうです。
ペルシア戦争専門の学者らも、感覚的に否定しているのではなく、多方面から、それはありえなかったとする材料を持ってきています。

イスラエル人の「60万(100万越)」の40年に及ぶ彷徨の疑惑に関して言えば、
その経路となった可能性のある場所に、それだけの大人口の移動を示す痕跡が一つも見つかっていないこと。
埋葬の痕跡もなければ、トイレの跡もなければ、食べかす(家畜の骨も含む)も食器の跡もないこと、などが挙げられます。
また、パレスチナの考古学者がはじき出した、当時のエジプトやカナンの町々の収容人口をはるかに上回っていることも挙げれられているそうです。

249神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 19:14:20 ID:cHhZeCIA
>>245
イエスの狂気の感染により数億・十数億の罪のない人間の生命が理由なく
失われることもなかったことを、先頭に書くべきではないのか。
250神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 19:19:42 ID:0xbtE1wd
>>243
そうだよね。いい根性してるよね。
2000年来のキリスト教を否定してやろう、ってんでしょ。
嫌がらせだろ。
性格悪いからだよ。
根性が曲がってるから。

歴史板でやればいいええやんな。
そうすれば期待通りの答えが戻ってくるじゃねーの?
あ、いや歴史板にもあまされたのかも。w
現在の歴史学ではキリストが存在して十字架の磔はあった、ということになってますからね。
251KG:2007/08/12(日) 19:28:17 ID:3dWxqnzb
>>250
別に、私はキリスト教を否定しようとなんか思っていませんよ。
それを信じることは、大変に結構なことではないでしょうか。
素晴らしいと思います。
252神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 19:41:12 ID:8BtRx+vy
歴史板では相手にされない。宗教板では話がかみ合いっこないけれども
まだ相手してくれる信仰者がいるからうれしい、ということですか?
253神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 20:04:19 ID:cHhZeCIA
>>250
論理的な反論に窮すると、すぐに感情的になり、人格批判の罵詈雑言しか吐けない
のが、まさに宗教の「病理」。それが君たちの「神」の教えか?
254神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 20:06:42 ID:B1g9S/4U
>>236
>しかし、実数の特定(断定ではない)が、無意味ではないことは、歴史を専攻した者であるならば分かるはずです。


世の中のことを知らないようだから教えてやろう。
ペルシア軍の人数が五万だろうが、七万だろうが、
歴史学者という狭い閉ざされたコミュニティーの中でしか
意味をもたない数字だよ。
君のような人間が、三流大学で薄給の非常勤講師の職をえる
程度の意味はあるのかもしらんが、
物語聖を奪われて、事実の羅列となってしまった歴史に
中高生も、大学生も、世の中の人間もうんざりしているというのが
現状だ。

神話が、「事実をねじまげて書かれた古代人嘘っぱち」として
無価値なものとして見捨てられていた時代ははるか以前に終わりを告げ、
現代は、むしろ、神話や古代の歴史書の嘘の部分にこそ、人類に普遍的な
価値のある部分であるとして、神話を神話として、古代の歴史書を、
として、アプローチするのが、それら資料の正当な扱いであり、
正しい読み方として認識されているのが、現代である。

ヘロドトスの「500万」という数字が事実か事実でないかなどという
問題はどうでもいいことであり、大事なのは、ヘロドトスがその数字によって
告げようとしたものの意味内容の方である。
255神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 20:11:07 ID:0xbtE1wd
>>252
さぁ、KGに直接聞いてみれば?w
歴史板にスレ作って上げるとかさ。
歴史板での進行状況を見たいね。
それなりに歴史に詳しい人がいるんだろうからね。
ここだとなまじっか仏教徒とか宗教そのものを批判したい厨がウジャウジャ
いるから逆にKGにとては批判するにはうってつけ、に見えるんだよね〜。


>>251
それを詭弁と言います。
256神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 20:12:54 ID:0xbtE1wd
>>253
どこが論理的なんですか?w
頭オカシイんじゃねーか?
あんたの妄想じゃね?ご隠居さんよ。
257KG:2007/08/12(日) 20:17:44 ID:3dWxqnzb
>>254
仰られるとおり、物語のメッセージを受け取ることも大切です。
「批判的分析」ただそれのみをもってして、古代の諸資料をゴミ箱行きにするつもりはありません。
古代人の視点から、物語に耳を傾ける、という謙虚な姿勢も大切でしょう。
そういう読み方から見えてくるものもあります。
私は、そういう読み方を、この世から消し去ってしまおうとしているのではありません。
どうぞ、引き続き、そのような読み方を大切になさってください。

ただ、別のアプローチの仕方もある、ということも頭の片隅に置いておいて下さい。
一流大学でなくて申し訳ありません。
258神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 20:20:27 ID:B1g9S/4U
>>257
物語性を奪われた事実の羅列を
講義で、聞かされる
学生さんはかわいそうだな。
259神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 20:31:42 ID:B1g9S/4U
『近代の超克』など、京都学派が、戦争に及ぼした負の影響への反省から、
戦後、日本のアカデミズムは、極端な実証主義をよしとする風潮に傾いていった。
その風潮が最近ようやく反省されて、
自分たちの手で独自の哲学や、思想、物語を構築していこうとする
方向にゆっくりだが、変化してきている。
この時代の流れの中で、過去の文献から、物語性、思想性をうばいさって、
実証的な解明にのみ閉塞することをもって、「学問的」などと誤解していると、
KGよ、時代や、社会から君はどんどん取り残されていくぞ。

歴史を「脱物語化」、神話を「脱神話化」することが歴史家の使命なのではなく、
過去を積極的に「物語る」ことこそ、歴史家の本来の使命であることが再認識され
なくてはならん。
260神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 20:37:26 ID:B1g9S/4U
数字や、「事実」を羅列すれば、「歴史」が成立するのではない。
歴史から「物語性」を奪ったら、それはもはや「歴史」ではなくなってしまう。
歴史とは、物語ものと、それに耳を傾けるものの「間」に成立する
過去の追体験であり、過去の共有である。
その意味で、歴史とは「場所的」なものなのだ。
歴史というものが、本来的に「場所的」なものであるからこそ、
国家は、みずからの正史を必要としたし、膨大や時間や費用を欠けて
それを編纂しようとした。
五万という数字や、単なる事実の羅列は、このような「場所的」な意義を
もたない。場所的な、共同体的な意味を持たないものは、「歴史」とは
呼びえない。
261神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 20:44:33 ID:B1g9S/4U
>どうぞ、引き続き、そのような読み方を大切になさってください。

「そのような読み方」に対してさんざんバカにしたような
ことをこれまで書いておきながら、その言い草はなんだ?
262神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 20:54:17 ID:cHhZeCIA
>>261
また感情論w。君らは、感情ばかりで、理性は皆無なのか。理性も、科学的探
究心も、神が人間に与えた最大の賜物のはずだが。それを否定するのは、君た
ちの神を否定していることになる。

科学によって神が否定されることも(すでに否定されている)、神の大いなる
意図、人間に対する愛の自己犠牲だとは考えないのかね。
263神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 20:56:45 ID:B1g9S/4U
>>262
科学によって、いつ神が否定されたかね。
バカなことを言わないように。
科学史をきちんと学んで見たまえ。

「事実は、物語りとの結合の中でこそ生きる」
264神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 21:05:36 ID:B1g9S/4U
事実の羅列が、歴史にならないのは、
音の羅列が、音楽にならないのと同様である。

265神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 21:17:31 ID:8dQajy1p
一部の社会科学ってのは実質偽科学でしかないからなぁ(笑)

とはいえ、感情的になってみたり、ってのはダメだろ?

GNU is Not Unixみたいなのが答えってのは無しでいこうや(w。

266神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 21:21:09 ID:B1g9S/4U
>>265
ばかたれ。
パソコンごしに、なぜわたしの感情が覗けるのだね?
君は、超能力者かね?
267神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 21:26:23 ID:B1g9S/4U
歴史家は、まるで、ソクラテスの言説にはまるで耳を傾けずに、
ソクラテスの穴の穴に、鼻毛が何本生えているかを
熱心に数える人のようである。

大切のは、ソクラテスの鼻毛の数ではない。
大切なのは・・・
268:2007/08/12(日) 22:00:03 ID:JVnvl32b
一神教の元祖というより
ユダヤ教自体の痕跡が3000年前からしか観測されていないし
アーリア人系のミトラ教がユーラシア大陸の宗教の共通源流でいいんじゃないかなと思う。

地域でいえば、メソポタミア古代文明・イラン高原・アフガン地域北インド
269神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 22:06:11 ID:YxYpkSmg
http://home2.highway.ne.jp/miiboat/magimenu.htm
これって本当に「ミトラ教」なんですかね……??
270KG:2007/08/13(月) 00:57:41 ID:AVxiSJKk
私はイラン系の宗教に明るくなく、知ったかぶりするしかないのですが、
私が知る限り、ミトラ神は、『ヴェーダ神話』(アーリア族がまだ一つだった頃の神話)に遡ると思います。
その神話では、ミスラ(ミトラ)は、ある神々の“グループ”に属し、ヴァルナという神と“対”になっていたそうです。
つまり、ミスラ神は、その初期においては、多神の中の一神だったということになりましょう。

ところが、時代は下って、アーリア系民族がイラン地方に南下した後、
前7世紀頃に現れたとされるザラシュトラ(ゾロアスター)なる人物が、
先の『ヴェーダ神話』の中のミスラ神を、対であったヴァルナ神から切り離してしまいました。
ザラシュトラは自身の経典『ガーサー』の中で、ヴァルナ神だけを採用し、それをアフラ・マズダ神とし、切り離したミスラ神を無視してしまいました
こうして、切り離され無視されたミスラでしたけれども、以後は、太陽神として民衆の間で人気を博し、時代を生き延びていきます。
そして、もう申すまでもありませんが、パルティア時代、ローマ時代にミトラ教として隆盛を極めます。

以上のことから、ミトラ神の起源を探るには、『ヴェーダ神話』と『ガーサー』に当たるのが手っ取り早いといえます。
とはいえ、私はあまりそちらの方面には詳しくないので、この情報もあまり当てにはなりませんが…。
それにしても、ミトラ神が、多神教に起源を持ち、ゾロアスターの一神教によって捨てられたというのは興味深いです。
271神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 01:16:06 ID:2zP5GD2r
>>270
たしかガーサーを含んだヤスナの訳は昔に出た世界文学全集にしかなく、
今手に入るゾロアスター教の書籍では見られませんね。
アヴェスターの全訳が待たれます。

ゾロアスター教ではミトラ(ミスラ)はヤザタの一人として信仰されてます。
人気のある神であったため、後からまた拾いこまれたという感じでしょうか。

同じくヤザタであるスラオシャはイスラム化後は天使ソルーシュ(スルーシ)
に変化して伝承や物語に登場してます。
272神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 01:21:16 ID:2zP5GD2r
http://cjcskj.exblog.jp/m2004-02-01/
イスラムと言えば「他宗教への寛容」が思い浮かびますが、
変なテンションの高まりのもとでは無視されがちのようです。
2004年にはシーア派勢力がバスラという町から出て行くか
改宗しないと許さんぞと言って少数のキリスト教徒たちを脅してるとのこと。
ユダヤ教徒やバハイ教徒やヤジーディー教徒もこんな目にあうことがあるんでしょうか。
273神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 03:15:51 ID:OfNfOcek
>255
歴史板のスレは夏厨がキリスト教?オウムとかわらねーってコピペが続いてるダケだな。
このスレのが学問板っぽいトコが有る(w。

が、やはり護教派もループって心と宗教板らしー展開もあるが(w
274神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 03:19:42 ID:OfNfOcek
>272

シーア派と言っても、政教一致で聖職者が政治も仕切るべきってイラン型と本来バスーラあたりで盛んだった政教分離のアラブ型(?)とあるはずなんだが(というかシーア派もキリスト教プロテスタントよろしく各派ある)。
ここんとこの混乱で指導者層がぐちゃぐちゃになったり、パキあたりのタリバーン促成講座出身者が増えちゃった影響なのかねぇ?

だとするとちょっとどころかかなり厳しい状況だなぁ。
275神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 04:02:20 ID:lOcFqcMc
新刊の「預言者ムハンマド」(2007年8月24日PHP研究所発行、定価
¥800)を読むと、ムハンマドはキリスト教の影響を大きく受けており、
いわばキリスト教の焼き直しという感じだね、それだけに、キリスト教の病理
も制限的に受け継いでいる。クルアーんに出てくる25人の預言者の多くが、
聖書の登場人物であり、始祖はアブラハムである。

ムハンマドが、40歳を超えてから精神の不安定を生じヌール山の洞窟に3年間
も閉じこもったのは、何らかの精神障害の発生を示す。彼がそこで得たアッラー
の啓示は、精神障害の症状としての幻覚であることには疑いない。

アラビア半島の北隣は東ローマ帝国なのだから、アラビア半島にもキリスト教が
普及し、ムハンマドがその影響を受けていないことなど考えられない。ムハンマド
は、ヌール山で得た啓示を、妻のいとこに当たるキリスト教徒のワラカに相談し、
ワラカはその啓示が、天使ガブリエルからのものに違いない、と感心している。

このように、一神教3宗教は、すべて開祖の精神障害から生じたものであり、
「まともな人間」の思想から生まれたものではない。一神教が、その発生時
から現在に至るまで、絶え間ない殺し合いと紛争の原因になっているのは、
けだし当然のことであろう。
276神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 04:31:52 ID:lOcFqcMc
新刊紹介

「キリスト神話(The Pagan Christ)」(トム・ハーバー著、島田裕己訳、
2007年7月31日 バジリコ社発行 定価¥1800)

著者は、宗教・倫理に関する著作で、世界的に著名な神学者。トロント大学
教授として、ギリシャ語や新約聖書を教えた。

彼は、この著書の第1章で、次のように述べている。

「教会は、寓話という琥珀の中に守られてきたものを、無味乾燥な事実に
ゆがめてしまった。荘厳な神話やシンボルに込められた超越的な意味は、
いわば、奇跡、見当はずれ、あるいは到底信じられない、という類の「出来事」
の寄せ集めに還元されてしまった。救世主は「人の内」に宿る、つまり、人は
みな救世主の本質を内に秘めているという大いなる真理が、救世主とは「人と
して」現れたという排他的な教えに変形されてしまった。誰であろうと救世主
にかなう者はなく、主に近づくことさえできない。その結果として、中世の暗
黒時代、さらにもっと恐ろしい時代が到来したのだ。」
277暇人:2007/08/13(月) 07:11:37 ID:nQ8lWMCi
>>240
>私は、古代ギリシア人に、「敵兵500万」の記述がどんな印象を与えたかを踏まえた上で、
>発言しているのですが…。
>私の価値観と、古代人の価値観は切り離しておりますよ。

KG君は古代ギリシア人は 500万人の敵兵というのは「実数」だと
信じたと考えるのかね?

狭隘な山路を攻め上った実数が500万であろうが5万だろうが
密集隊列で応戦した重歩兵に当たれる人数はいっしょなんだが。

私は古代ギリシア人も誇張とわかっていた可能性もあるし
(そもそも古代人に50万人の敵兵が具体性をもってイメージできたのか)
あるいは10万を50万と誇張したのはペルシア側の可能性もあると思うのだが

そういった可能性に対する考慮を一切なく
実数と違うという分析から「ヘロドトスの噴飯ものの誇張表現」と
評価するのが史実を見る立場として決定的にセンスがないと指摘しているのだが
伝わらんようですな


278暇人:2007/08/13(月) 07:13:49 ID:nQ8lWMCi
私は古代ギリシア人も誇張とわかっていた可能性もあるし
(そもそも古代人に500万人の敵兵が具体性をもってイメージできたのか)
あるいは10万を500万と誇張したのはペルシア側の可能性もあると思うのだが

以上 訂正
279暇人:2007/08/13(月) 07:33:32 ID:nQ8lWMCi
>>259

なんで「近代の超克」なんかでてくるんだね(笑)

日本の史学は東大の講座派の史観が支配的であったのだが、
その史観からはみでる事実の断片が個々に実証されていき、
終に講座派史観が破綻した。その後、講座派史観に代わる
パラダイム(枠組み模索)時代がはじまり、哲学・思想・宗教に
若手史学者の関心が向いた。
しかし枠組み探しは成功していず、むしろ実証的な研究から
優れた報告が出ているのが現状でしょ

そもそも史観が終焉した時代でしょ
280KG:2007/08/13(月) 08:41:35 ID:AVxiSJKk
>>277
こちらが分かりきっていることを、いちいち議論しないで下さい。
あらゆる可能性を考慮した上で、「こいつは誇張だな、あり得ないな」と判断するのです。
何も、ヘロドトスの著作の意図や、古代人の感覚を見下しているのではありません。
とにかく、歴史家は、「500万」を鵜呑みにして、それをそのまま論文に表記はできない。
現代人に読ませる論文である以上、それは現代的な実数に置き換えねばならない、ただそれだけです。

暇人さんのほうは、どうぞ、ペルシアの軍事史について論文を書く機会でもあったら、
「ペルシアはギリシアに500万の兵を送り込んだ」と何の但し書きもせずに、お書きになったらよろしいかと思います。
私は何を言われようと、そんなことはしません。
暇人さんは暇人さん、私は私です。
“歴史的センスが皆無のド素人”の私については、見下しつつ、放って置かれてください。
“センスのない”人間には、何を言っても伝わらないと思います。

>>279を見てもそうですが、何でもかんでも相手の意見に噛み付けば議論になる、と思ったら大間違いです。
相手の間違いを指摘することは論破することではありません。
それよりも、相手の意見に優って妥当性があり、説得力のある代替の意見を述べることのほうが、
はるかに議論の質を向上させますし、読む者の知性も刺激します。
突っ込むことは誰にだってできるのです。
自分が持っている知識を披露することは誰にだってできるのです。
しかし、それだけでは、話し合いは前進しません。



281KG:2007/08/13(月) 09:34:35 ID:AVxiSJKk
>>271
>ヤスナの訳は昔に出た世界文学全集にしかなく、今手に入るゾロアスター教の書籍では見られませんね。
>アヴェスターの全訳が待たれます。

本が今手元にないので、名前は忘れてしまいましたが、私が読んだ『ゾロアスター』(?)という題の本には、
世界古典文学全集に“収録されていない”「アヴェスター」の訳が載っていました。
ただ、全訳にはまだ至っていないかもしれません。

仰られるとおり、そのアヴェスターの中では、ミスラは重要な役割を演じているので、
ザラシュトラには一旦は捨てられたものの、後代のゾロアスター教徒によって、神的存在者(神ではない?)に返り咲いたのでしょうか。
ヤザダというのは、神なのでしょうかね、それとも天使みたいなものなのでしょうかね?
あと、アケメネス朝ペルシア帝国が、ミスラをどのような地位に置いていたかも気になります。
ミスラが返り咲くのは、もっと後代になってからのことなのでしょうか。

それにしても、紀元後9,10世紀の「アヴェスタ―」の写本から、
それよりもはるか昔に遡る『ヴェーダ神話』や『ガーサー』の断片を引き出せるとは、なかなか興味深いです。
282神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 11:27:30 ID:6g6UYJHU
>>275
>2007年8月24日PHP研究所発行、定価

発売日前にゲットしすぎだろ……
>クルアーんに出てくる25人の預言者の多くが、

たとえば旧約聖書のエノクはクルアーンではイドリースとして登場する。
ヤアクーブ(ああ、ヤコブのアラビア風読みね)イスマーイール(ああ、イシュマエルの(ry)、
うってかわってエノクとイドリースは似ても似つかなすぐる。
なぜだろう。名前の意味が同じ、とかかもしれないが。
283神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 11:32:10 ID:6g6UYJHU
世界古典文学全集 3ヴェーダ・アヴェスター(筑摩書房)抄訳
ゾロアスター教 神々への讃歌(平河出版社)抄訳
ゾロアスター教の悪魔払い(平河出版社)抄訳
284暇人:2007/08/13(月) 12:35:36 ID:nQ8lWMCi
>>280
わかりきっているならば、
>>240
>何を言わんとしているのかが、分からないのですが…。

と書かなければ良い。
切り替えされて感情的になりなさんな
285神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 12:41:59 ID:zJLGAs0l
>>280

>相手の間違いを指摘することは論破することではありません。

それは君にも当てはまる言葉なのではないのかね?
君はまるで、昔の文献の「間違いを指摘すること」が、
歴史家の使命であるかのように
考えているではないか。

ヘロドトスや、福音書の「間違い」を探したところで、
何も浮かび上がってはこないぞ。

>それよりも、相手の意見に優って妥当性があり、説得力のある代替の意見を述べることのほうが、
>はるかに議論の質を向上させますし、読む者の知性も刺激します。

この言葉も、全く君自身に当てはめてほしい言葉だね。
「事実」を解明して、キリスト教の「思い込み」を否定するなら、
キリスト教の代替となる、これからの時代に生きる人間たちの「救い」や
「希望」やや「世界観」を提示できなければ意味がない。

間違い探しに終始して、
事実と異るから、キリスト教は嘘っぱちだ。思い込みだ。妄想だという
短絡的な議論はやめてほしいね。
286暇人:2007/08/13(月) 12:43:55 ID:nQ8lWMCi
「ヘロドトスの噴飯ものの誇張表現」というKGくんの評価は、KG君的には

「ヘロドトスの著作の意図や、
古代人の感覚を見下しているのではありません」でよいのかね?(笑)

私からすると かなり不可解なセンスだね(^。^)y-.。o○

ところでKG君における『噴飯モノ』とは どういうニュアンスなのだね?
287KG:2007/08/13(月) 12:49:05 ID:AVxiSJKk
>>284
分かりきっていることを、あえて議論の場に持ち出そうとなさったので、
その魂胆に疑問を抱き、「何を仰っているのか分かりません」と申したのです。

もし、できればでいいですので、私にはもう直接返信なさらないで下さい。
「切り替えし」にもなっていない返信は、私にとっては、実に不毛でありますから。
それでは。
288神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 12:51:07 ID:zJLGAs0l
>>287
歴史的に、主要な文献を指さして「噴飯物」などと呼ぶ
態度が歴史家にふさわしくないと言われてるんだよ。

歴史家なら、ヘロドトスの文献に当然敬意を払うものだろ?
そういう敬意が伝わってこないから、「センスがない」と
言われる。

自分が言われていることが
なぜわからんのだ?
289暇人:2007/08/13(月) 12:53:31 ID:nQ8lWMCi
285でも指摘があるとおり KG君は自分が何をしているか
解ってないのではないかと思う。

500万人という誇張したヘロドトスの驚き。
ペルシア軍の大軍への恐怖、脅威。
それを少数精鋭であたることで全滅したが
ギリシア全土に勇気を与えた感動などが500万人に篭められている
のだと思いを馳せられたならば
「ヘロドトスの噴飯ものの誇張表現」などという
後代の自称史家の『噴飯ものの評価』は同時代人として恥ずかしい限りかもだね
290KG:2007/08/13(月) 12:56:11 ID:AVxiSJKk
>>285
>ヘロドトスや、福音書の「間違い」を探したところで、何も浮かび上がってはこないぞ。

何も浮かび上がってこないとは初耳でした。
肝に銘じておきます。
291神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 12:56:28 ID:zJLGAs0l
新約聖書に対するスタンスも同じ、
まねただの、コピーしただの、でっちあげただの、
新約の記者たちに対する敬意は、君の「学問」からは伝わってこない。
ただひたすら、「噴飯物」のうそっばちの記述の中から、「事実」を
取り出すことだけが、価値のある行為であると見なしているかのようだ。
古代の文献に対する、蔑視という基本的なスタンスが、君の書き込みからは
透けて見える。古代文献の「嘘」の部分こそ、評価され、敬意が払われ、
注意深く耳を傾けなければならない。
292暇人:2007/08/13(月) 12:59:07 ID:nQ8lWMCi
>>287

片方が「わかりきっている」と思っていることを
もう一方が違う理解を持っているから議論がはじまるわけだね。

しかしながらKG君の指摘どおり
あくまでも自分の理解が「自明」で、他の解釈など不要ならば
議論は不毛ですね。
例えばキリスト教において「イエスが神である」のようにね。

どうぞ不毛ならば 私のレスを無視されてくださいませ
293神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 13:00:32 ID:zJLGAs0l
>>290
君は、いつもネガティブな古代人像を浮かび上がらせようとしているね。
自分に都合のよい嘘をつき、思い込みに囚われ、
誇張をし、事実をねじ曲げる人々として古代人像を浮かび上がらせ、
「事実」を何よりも重んじる自分の姿と対比させているかのようだ。
294神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 13:03:45 ID:zJLGAs0l
>>290
君の言う通り、ヘロドトスの間違いを指摘するなら、誰にもできる。
ヘロドトスを超えるぐらいの、人々を惹きつける生き生きした筆致で、
ペルシア戦争の全体像を物語れなければ、歴史家やってる意味ないんじゃないの?
295神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 13:05:05 ID:zJLGAs0l
古代人の噴飯物の文献の間違い探しして「学問してます」って
威張ってられるなら、こんなに簡単な商売はないわな。

うらやましい、商売だな。
296神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 13:07:48 ID:zJLGAs0l
「嘘の中に本当を探せ
本当の中に嘘を探せ」

って、谷川俊太郎の詩があるぞ。
297KG:2007/08/13(月) 13:15:22 ID:AVxiSJKk
>>289
ヘロドトスを文学として楽しむのならば、そういう読み方もするでしょう。
私は、そういう読み方を否定しているのではありません。
勘違いなさらないようにお願いします。

しかし、批判的な資料分析の際には、思いを馳せている暇はありません。
思いを馳せる時は、馳せる時で別であり、
ペルシア戦争の実態を知るために、実数の割り出をするときには、厳しく「誇張」であると切り捨てます。
資料を観て、一目で、「こいつは誇張ではないか?」と疑うことができなければ、そこから前に進むことはできません。
「味方は少数に、敵兵は大勢に」することによって、ギリシア兵の優越性を誇示しようとしている意図を見抜かなければなりません。
もし、そういう懐疑的な姿勢に切り替えることができなければ、史学の論文は書けません。
その視点があるからこそ、ペルシア帝国の軍備の大きさと、そのシステムについて、正確な有様を描けるのです。
ペルシア軍の本当の敗因は何だったのかを知るときに、ギリシア側の史料を鵜呑みにしてはいけないのです。
古典文学の領域と、歴史の領域とでは、アプローチの仕方が異なります。

ですが、>>289のような読み方は、それはそれで素晴らしいことでしょう。
298神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 13:19:04 ID:zJLGAs0l
>>297
ほんと、アホだな。
文学と、歴史を峻別したのは、
近代の枠組にすぎない。
その枠組すら既にくずれつつある。
ヘロドトスは、文学(近代的な意味で)として「歴史」を書いたわけではない。
ヘロドトスの枠組で、ヘロドトスを読もうとするのが、現代的なスタンス。
299神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 13:23:45 ID:zJLGAs0l
日本では、司馬遼太郎のような人が、歴史と文学の再統合という
現代的な課題を、引き受けた人だったんだだろうね。
300キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/13(月) 13:26:02 ID:YTiLsUfo
>ペルシア軍の本当の敗因は何だったのかを知るときに、ギリシア側の史料を鵜呑みにしてはいけないのです。

今は これと福音書の「処女懐胎」を同列に扱う時代ではないよ。
イエスの「処女懐胎」の真実性に疑問を 唱える事は
「ルナンのイエス」以前の時代なら 大変な議論或いは殺し合いになっただろうけど。



それを 同列に扱って 福音書を否定するってのは少なくとも「学問」的
姿勢ではないよ。
301神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 13:26:23 ID:zJLGAs0l
>>297
「間違い探しなら誰でもできます」
って自分で言っておきながら、間違い探し以上のことは
やはりしようとしないんだね?

それなら、完全に板違いだから、歴史板でやってきなよ。
302KG:2007/08/13(月) 13:28:20 ID:AVxiSJKk
>>298
>ヘロドトスの枠組で、ヘロドトスを読もうとするのが、現代的なスタンス。

それも初耳です。
さぞ、“最新の”歴史の研究に通じていらっしゃるのでしょう。
知らないことばかりを教えてくださり、大変勉強になります。
では、ぜひそれを、現代の歴史家たちにお伝えください。
そういう“アホな”歴史家はまだまだ大勢おります。
ペルシア帝国の研究家にも、「ヘロドトスの枠組み」で史料を読み、ペルシア帝国の実態を明らかにするようお伝えください。
303神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 13:34:19 ID:zJLGAs0l
>>302
そういう「ポストモダン」的な考え方については
さんざん説明した。歴史と文学を峻別する時代はとうに過ぎ去っている。

おそらく、歴史系の学会に身を置いて、自分の指導教官やら、
周りの学会の方法論に合わせて、生き残ろうとやってるんだろうから、
自分たちの方法論の批判にまで考えがおよばんのだろうな。
自分が何をしたいのか。自分が何をしているかもわかっていない
という姿勢が透けて見える。

なぜそのような方法論をとるのか。
そのような方法論を取るにいたった歴史的経緯はどのようなものか。
そのような方法論には、どのような功罪があるか。
考えてごらん。
304暇人:2007/08/13(月) 13:39:32 ID:nQ8lWMCi
んぢゃ 参考に最近の史学者のヘロドトス研究の一端として
古代ギリシア社会史が専門の東大の桜井万里子教授の一般向けの著作を紹介しておこう

「ヘロドトスとトゥキュディデス 歴史学の始まり」 山川出版

1 二人の歴史家と二つの戦争
2 ヘロドトスは嘘つきか?
3 新しいヘロドトス像
4 ヘロドトスの描いた史実
5 トゥキュディデスの「ヘロドトス批判」
6 トゥキュディデスが書かなかったこと
7 歴史叙述から歴史学へ

「21世紀の歴史学はどうあるべきか。その答えを、その可能性を、
古代ギリシアにさかのぼり、ペルシア戦争、ペロポネソス戦争を見据えた
二人の歴史家と対話しながら考えていきたい。のちの歴史家たちが非難し
たようにヘロドトスはほんとうに「嘘つき」だったのか。史料批判におい
て厳密だったといわれるトゥキュディデスは、ほんとうに「事実」だけを
記録したのか。歴史叙述が歴史学へといたる端緒を探る。」
305キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/13(月) 13:44:26 ID:YTiLsUfo
礼拝は、「儀式としての務めをすること」ナンじゃないか?
「礼拝をまもる」は、「儀式としての努めすること」ナンじゃないかな。

と ふと思った
306神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 13:44:36 ID:zJLGAs0l
ほらみろ。
ウソ(フィクション=物語り性)と、ホント(ノンフィクション=事実の実証)
を再統合しようというのが、21世紀的な学問の諸分野に共通する流れである。
君がそのような流れから取り残されているのは、指導教官のいうこと鵜呑みに
したり、優等生的に、学会の諸先生のやり方模倣しているからにすぎんよ。
もっと大局をみなさい。
307キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/13(月) 13:50:43 ID:YTiLsUfo
まあ 話しを一神教に変えてみると

ユダヤの信仰は バビロン捕囚期に拝一神教から唯一神教になったらしいね。
これは 当時のバビロンの政治形態に影響を受けたらいいね。

イエス時代のユダヤ教は 唯一神教ではなく 拝一神教だとする説があるね。
308KG:2007/08/13(月) 13:51:34 ID:AVxiSJKk
別に、資料批判したくない方は、しなくてもいいと思います。
ただし、歴史に携わる者は、資料を鵜呑みにはできません。
いたって単純です。

309神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 13:52:42 ID:zJLGAs0l
>>308
わかったから、歴史板行ってやれ。
ここは資料批判したい人が集まる板じゃないんだよ。
310暇人:2007/08/13(月) 14:21:44 ID:nQ8lWMCi
私は 資料批判したい人なんだが、
誇張表現をただちに「嘘」だとか「噴飯もの」と否定する立場に
疑問を持っているだけ。

ヘロドトスは「大軍が攻めてきた」という事実を描いたという立場。

500万人という数量に現代基準での正確さがなかったとしても
「未曾有の大軍が攻めてきた」という事実を正確に伝えているし、
しかも『500万人』は、「未曾有の大軍」という古代人の心理的な恐怖を
みごとに叙述しているとさえ云えるかも、と。

私の見解はともかくとして
宗教板に花咲いた学問スレッドなんだから KG君の立場も大いにありでしょ
311暇人:2007/08/13(月) 14:24:58 ID:nQ8lWMCi
「儀式としての務めをすること」に礼拝も含まれるでしょうね。

旧約的には それ以外にも動物犠牲祭儀やいろいろあったのでしょうけども
新約の時代になると イコール礼拝かもですね
312KG:2007/08/13(月) 14:26:45 ID:AVxiSJKk
>>309
わかりました。
では、失礼します。

私は、この2chという大型掲示板にならば、伝統的なキリスト教の歴史理解に挑戦しようとする、知的冒険者、アウトロー、異端者に出会えると期待したのですが、
やはり、“ここにも”、そうするだけの勇気を持つ者はいなかったようです。
定説や通説の壁を破ることが、多くの人にとっていかに難しいことか…。
キリスト教史の伝統的理解を守る「炎の剣」は、一般の人々の間でも、未だに物凄い勢いで回り続けているようです。
キリスト教護教と目的とした、因習的な歴史のアプローチの仕方が、未だに「現代的・近代的」などと呼ばれ、大手を振って闊歩しているのにも驚きました。
それらを実感できただけでも、ここに来た甲斐があったというものです。
なかなか博学な方が多いのにも驚きました。

私は端から、キリスト教を否定しようとも、クリスチャンに棄教させようとしていたのでもありません。
単に、皆さんが、どれほど批判的に、キリスト教の歴史を評価しておられるのかを知りたかったのです。
ですから、どうぞ、これからも、その信仰を保持なさってください。
いかなる宗教・宗派を問わず、信仰というものには価値があるでしょう。
それなくして、人類史はこのように発展してこなかったと思います。
宗教は人類の宝であり、これからも宝であり続けるでしょう。

短い間でしたが、どうもありがとうございました。
313神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 14:44:04 ID:zJLGAs0l
>>312
「現代的」と「近代的」は全く違う意味だぞ。
歴史学者のくせに、そんなことも知らんのか。
ばかもん。
314暇人:2007/08/13(月) 14:44:26 ID:nQ8lWMCi
>>307

むしろサマリアに対する我々の評価を修正したほうがよいかもだね

サマリアは「モーセ五書」のみを正典として、
エルサレム派が、「モーセ五書」に「諸書」をつけ加えるのを非難したために
エルサレムから嫌われたみたいだね。

客観的に見るとサマリアの言い分にも一理ありそうだが
315神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 14:47:40 ID:LPgNEhN7
>クリスチャンに棄教させようとしていたのでもありません。
そもそもそういう考えが傲慢。
ココを見て棄教しようなどと考えるヤツがいるはずがない。
316神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 14:50:46 ID:zJLGAs0l
>>312
>定説や通説の壁を破ることが、多くの人にとっていかに難しいことか…。

君自身が、所属学会の方法論を破れないでいるくせに、
人々のように言うデナイ。ばかちん。
317神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 15:00:48 ID:EB60YDGL
クリスチャンとは、嘘を事実だと信じ込んでいる、いや信じ込まずににはいら
れない人々の集まりだから、事実(真実)は、文字通り「豚に真珠」。
318神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 15:01:58 ID:LPgNEhN7
ホント詭弁家だよね。
最初に否定から始まってるのは見え見え。
公平な判断をしてるとは思えない。
新約聖書記者を少しでも敬う気持ちがまるでないのに現れてる。
自分の考えを発表するだけで人のものを受けるという姿勢もまるでないしね。

よっぽどお偉い方なんでしょうね。プ


319神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 15:02:05 ID:zJLGAs0l
>>312
>私は、この2chという大型掲示板にならば、伝統的なキリスト教の歴史理解に
>挑戦しようとする、知的冒険者、アウトロー、異端者に出会えると期待したのですが、

何を他人事みたいに言っているのだ。
傲慢なやつめ。
君自身が、歴史学における知的冒険者、アウトロー、異端者であろうと
しなさい。
320暇人:2007/08/13(月) 15:02:50 ID:nQ8lWMCi
>>317

負け惜しみにしか聞こえないところが 切ないね。。。

めげずに有用な情報(事実)を書いてくれ給え
321神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 15:04:41 ID:EB60YDGL
>>318
新約聖書書記を「敬って」などしていたら、「公平な判断」など絶対に不可能。
322キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/13(月) 15:07:01 ID:YTiLsUfo
当時のアッシリアとペルシャの占領政策の違いが大きいのでしょう。

北王国の人々は バラバラに捕囚されて混血がすすみ また
異教が入りこんできた。

一方南王国は 集団で捕囚地に住む事がでたので信仰の純粋さを
保つことが比較的容易に出来た。

また南王国は 北王国が滅ぼされたのにも 関らず自国が残ったのも
神の特別な恩恵だと思ったのかな。


創世記には 北王国側の文書もある言われている
ヨセフ物語で ヨセフが非の打ち所の無い善人に画かれているの
そうだと言われている。
それと たしか ヨセウ物語には神が出てこないと思ったよ。
323神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 15:07:51 ID:LPgNEhN7
>>321
あーはいはい。じゃ言葉間違えました。
古代人より自分を高みに置く、でいいですかね?
 
庇ってる暇があったら君が歴史板にスレ作ってあげれば?
そこで大いに学問してくれ。
324:2007/08/13(月) 15:43:18 ID:Gt6B0jhb
現在サマリア人は700人ほど
混血批判の彼らのほうが、新約聖書以前からの純潔を保持している皮肉
ユダヤ人側が人種として混血しまくり、母親家系ユダヤかどうかミトコンドリア調査あるのだろうか?
アシュケナージユダヤなんて完全に怪しいし
325キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/13(月) 15:58:42 ID:YTiLsUfo
「ユダヤ人とは他の人々が『ユダヤ人』だと思っている人間のことである
この単純なことから出発しなければならない。
その点で 反ユダヤ主義者に反対して
『ユダヤ人をつくりだしたのは反ユダヤ主義者である』
と 主張する民主主義者は正しいのである」
                            サルトル
326:2007/08/13(月) 16:58:33 ID:Gt6B0jhb
ユダヤ教やってればユダヤ人  宗教判断
母親家系ミトコンドリア同一がユダヤ人  人種家系判断

いろいろあるからねえ、父親家系ならY染色体で判断だし
その点、中国人と朝鮮人に古代からの家系は諸葛孔明村くらいなもんらしい
327キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/13(月) 17:34:46 ID:YTiLsUfo
宗教的には
「神が『私の民』だと思っている人間」
                    レヴィナス
328キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/13(月) 17:39:09 ID:YTiLsUfo
法的には ニュルンベルク法と言うのが有った
8分の1の血族関係があれば ユダヤ人とされた。
329神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 17:54:52 ID:M4xVt8zK

●このスレを立てたカラス氏へ質問と提言

一神教の「学問的アプローチ」とあるが、一口に「学問的」といっても間口は広いと思う。
KG氏が歴史的視点から考察して批判を浴びていたが、歴史的視点というのも「学問的アプローチ」の
ひとつではないだろうか?
あなたがこのスレを立てた意図はどこにあるのか(何を考察したいのか)がいまひとつハッキリしないので、
書き込む人も論点が絞れないのではないかと思う。

また、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、それぞれの「教義内容の比較」なのか、
一神教、汎神論、無神論の「思想構造の比較」なのか、まずそれを絞ったほうがいいと思うがいかがかな?
330:2007/08/13(月) 17:58:21 ID:Gt6B0jhb
ユダヤ教徒がモーセから家系がつながってないのは大問題のはずで
本質的に疑問あるから、成りあがったユダヤ人は、エルサレムのラビから嫁を大金積んでもらうのだと思われ
331神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 18:00:44 ID:LPgNEhN7
>>317
そんなこと言うとエホバの証人が怒るぞ。
332キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/13(月) 18:01:09 ID:YTiLsUfo
聖書的には モーセではなく アブラハムでしょ。
333キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/13(月) 18:14:46 ID:YTiLsUfo
まあ 聞くところによるとレビ族は きちんとした系図を持っているようだよ。
ユダ族 ベニアミン族は知らないけど。

レビ族は 神殿が再興された場合に絶対に必要な人達ですからね。
334:2007/08/13(月) 18:21:18 ID:Gt6B0jhb
天皇家が近親結婚でDNAが弱いわけじゃないのだけどね
古代文明で近親交配数百年で健康な事例あるから単なるタブーかなとも
女の子が父親避けるのは、異性として似過ぎたDNAを体臭で感じてさけているが
組み合わせ的に問題ないならラブリー父娘にもなりうる。
旧宮家も何百年も離れているしね、問題は一種のY染色体の酷使かもしれない。
ちなみにユダヤ人は母親家系が原則でミトコンドリア継承とか
335キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/13(月) 18:26:08 ID:YTiLsUfo
>>334 近親婚を避けるのは集団間で「女」を交換するためだよ。

だからユダヤ人も、その交換の法則が有るはずだよ。
336:2007/08/13(月) 18:44:19 ID:Gt6B0jhb
なぜユダヤ人は家系を女系で正当化するのか?被差別集団だから他から
男子を受け入れるいうスタイルが有効だったからか?
337キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/13(月) 18:49:44 ID:YTiLsUfo
出典は 忘れたけど

出産時に第三者が その子の親を確認できるのは母親だけだからだね。
つまり 子の父親は 確定できないからだと思った。
338:2007/08/13(月) 18:51:46 ID:Gt6B0jhb
アシュケナージユダヤというても黒海からカスピ海にあった国がユダヤ教を
国教にしたという、もう民族宗教ってなに?みたいな経緯があるから遺伝的に
ミトコンドリアの同系かどうかかなり怪しいのですがね
しかしそのほうが遺伝的には強かったりかも
また、外見黒人のアフリカ隔離村がユダヤ教と発見され、細胞検査の結果間違い無く
古代ユダヤとつながっているので、政情不安のさい、村ごとイスラエルに避難させたのはちょっと感動した。
339キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/13(月) 19:00:57 ID:YTiLsUfo
そう言う事は 現代のユダヤ人は気にしないと思うよ。

聖書時代のユダヤ教は サマリアを混血していることを理由に蔑視
してはいても 

エルサレム戦争後のいわゆる「ラビユダヤ教」は それ以前の
ユダヤ教とは違うんしね。

それに 現代のユダヤ教もまた 動いているからね。

ユダヤ教には キリスト教みなたな教理がないから
律法解釈の宗教だからね。
時代 地域が違えば解釈もちがうんだね。
340:2007/08/13(月) 19:01:09 ID:Gt6B0jhb
男系女系というのは昨今の男女差別問題とかじゃなくて

古代につながる家系を重要視するという二種類の取り組みなわけね
中国のように、漢民族時代は女系を名乗り、北方民族王朝時代は男系を名乗るを
数百年ごとに段階実施すると、完全に味噌クソになっちゃうわけね

男系ならたくさんの宮家をスペアする安定超長期体制が必須でそれこそ、日本の宮家は世界遺産w
女系のほうが確実かもね、女系に途中切り替えは家という価値観が崩壊するけど
ユダヤ人は古代につながったことが重要だろうしね、ラビはエルサレムに確保されてるしね
341カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/08/13(月) 19:05:33 ID:fBACn9SN
>>329
歴史学的アプローチも、学問的アプローチで、大いに語ればいいと思う。
KG君もおおいに自説や、自分の信じる説などを大いに語ればいいと思う。
ただ、自分は学問的アプローチで一神教を語りたいだけだといいながら、
単にキリスト教信仰を否定するためだけ、動機が悪意に満ちたものであれば
もちろん衝突するだろうし、叩かれる。ま、彼は、いまだ質問箱に張り付いている
どっかの御仁と違い、話せばわかる人のようなので、皆も目くじらたてず、彼の話も聞いてやってほしい。

テーマは広義的でいいと思います。
無神論者の立場で、学問的に一神教を考察するのもよし、
汎神論の立場で学問的に一神教を語れるのかどうか、疑問は残るが、語れるのなら語ればいいし、
信仰者の立場で神学的アプローチで、語るのもいいと思います。
また歴史学的に語るのもいいでしょうし、文献学的に語るのもいいと思います。
ただ何の根拠も無いのに、「イエス様を信じれば、天国に行けるのよ。だから皆信じなさい。」などという類の話は勘弁。

個人的には、ムハンマドという男の人生は、非常にドラマチックだったと思います。
クルアーンなど、歴史的資料としてみて、イスラム教(国)の発展の歴史、彼らの思想、教義など考察すれば、
面白いと思うのですが、日本では、キリスト教に比べ、マイナーな存在で、あまり話題にもならないイスラム教ですが、
クルアーンなど、歴史学的に話を発展できれば、面白いスレの流れになるんではないかと思います。

私は博学ではありませんので、皆さんの議論には加われませんが、話は興味深く読ませてもらっています。

342:2007/08/13(月) 19:14:15 ID:Gt6B0jhb
拝一と一神とかの微妙な解説もお願いしたいなあ ウィキとかみてるけど単的にいってどうなんだろ?
343神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 19:22:35 ID:zJLGAs0l
わたしのお墓の前で泣かないでください。
そこにわたしはいません。
死んでなんかいません。
千の風に、千の風になって、
あの大きな空を、ふきわたっています。
344カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/08/13(月) 19:27:42 ID:fBACn9SN
どうも、アーリア人発祥の、ミトラ教は、一神教成立に深く関わり、
キリスト教は言うに及ばず、イスラム教、ひいては仏教にまで、深く影響しているみたいですね。
http://home2.highway.ne.jp/miiboat/HP_Mithraic_Articles.htm
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html

どうも世界の残るメジャーな宗教は、元は一つの教えから、さまざまに発展してきたものではないかと
漠然ですが、そう思えてなりません。

どこかの馬鹿がキリスト教を否定したい動機で、質問箱で、ミトラ教をしつこく出していましたが、
そういうアプローチではなく、むしろキリスト教、いや、一神教とミトラ教の関係を肯定的にとらえて考察すると、
面白い話の流れになると思うのですが、どうでしょう?

345:2007/08/13(月) 19:41:05 ID:fPEpcr9+
ギリシャ哲学の浸透という側面を見ると、プラトン家王朝のミトラ教国がアフガンの地にあり
そのごアフガンの地からミトラ=ミロク菩薩が発祥で
アフガンは西にペルシャ 現シーア派地域
北インドも隣で、仏教への影響 ターバンな方への影響までもありうる。
ちなみにインドでは宗教と哲学は分けて考えない。
日本においても善悪から民主主義政権後退まで擦りこみされた潜在前提概念部分や
古代インド中国日本の思想も含めて、倫理という大枠で自身の価値観として再構築すべきだはないかと思います。
一神教というかミトラからみといえば、密教・浄土真宗、中国の天という概念なども系統ではないかと思う。
346神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 19:46:11 ID:zJLGAs0l
かわいそうな、KG。
347:2007/08/13(月) 20:02:29 ID:fPEpcr9+
ユダヤ+イエス+使徒+ギリシャ哲学+ミトラ+ローマ帝国国教化=キリスト教新約聖書編纂時
348神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 20:16:26 ID:/cvpzNHG
小川 英雄著「ミトラス教研究」リトン刊
値段は5000円くらい。
349神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 20:23:04 ID:LPgNEhN7
わたしもちょっと最後のKGにはホロッときた。w
礼儀正しく挨拶していったよ。。。
可哀そう・・・。
350暇人:2007/08/13(月) 20:26:44 ID:CTM2zK4c
>>349

うっ すまん やりすぎたかもだm(_)m


>>348

それって学術系なんだろうか?
ヒットページの引用からだと、
@ミトラ教は、遅くとも漢代202 B. C.-220 A. D.には東アジア一帯に広がった。
飛鳥時代には、日本でも聖牛の供儀が盛んに執り行われた⇒小川『ミトラス教研究』p64-66。

http://home2.highway.ne.jp/miiboat/HP_Mithraism_History_EastProp.html

とかとあるんだけども、なんとなく眉唾ぽいのだけども。。。

351神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 20:27:16 ID:M4xVt8zK
>>341>>344

丁寧な回答ありがとうございます。
私も、みなさんのような博識は持ち合わせていませんので書き込みはできません。
あなたの趣旨は了解しました。

イスラム教は馴染みがないので、みなさんの白熱した議論を期待したいとこですが、
個人的には、一神教(特にユダヤ教、キリスト教)の教義が個々の人間に、さらに現代の日本社会にとって
「有益になり得る部分」を考察していただければと思います。
私はキリスト者ではありませんが、旧約聖書や新約聖書のイエスが言ったとされる言葉の中に
「その鍵がある」ように思われます。
352神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 20:33:22 ID:vQ4N8Em7
>>346
可哀想なのは、君たちクリスチャン。イエスの精神的奴隷と成り果てて、
事実や真理は「豚に真珠」。

前レスで紹介した新刊「キリスト神話」では、神学者である著者は、キリスト教
の物語は、すでに遥かそれ以前のエジプトの神話そのままであり、神話の本来
の意味に従って、イエスを廃止して、「すべての人間の内なる神性」に置き換
えることを提唱している。
353神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 20:44:03 ID:LPgNEhN7
>>352
逆逆。w
真理を君に与えても君はどれだけ高価なものか理解しない。つまり豚に真珠。これが正解。

でもイエスの精神的奴隷だって。嬉しい言葉ですね〜。w
354暇人:2007/08/13(月) 20:47:24 ID:CTM2zK4c
>>352

検索してみると ミトラ教の専門家みたいだね

『聖牛の供儀』というのがミトラ教の特徴なのだろうかね。。。
よくわからんのだが

>>352

新刊「キリスト神話」を訳した島田さんという宗教学者は、
オウム擁護で名を馳せたオウムの理解者だったので
サリン後、社会的信用なくした先生だね

その書籍自体の評価については別問題だけどね
355神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 20:55:35 ID:vQ4N8Em7
>>353
>でもイエスの精神的奴隷だって。嬉しい言葉ですね〜。w

まさに、マゾヒスト、変質者、サイコパスの心理。
356神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 21:09:05 ID:vQ4N8Em7
>>354
島田氏がオウムの信者だったという嫌疑は、その後の裁判で解消されたと聞いて
いる。島田氏は、最近の著書で、中沢新一(だったと思う)を「浅原の思想的
指導者・扇動者」として激しく批判している。

オウムというが、キリスト教と原理的にはなんらの違いはない。殺した人間の
数から言えば、キリスト教はオウムとは桁違いの超カルトであることに気付いて
いますか。浅原も、洗礼をうけなければ、あそこまでは絶対にやらなかったはず。
357暇人:2007/08/13(月) 21:18:19 ID:CTM2zK4c
>>356

島田氏がオウム信者という説は初耳だが、
サリン以前は 島田のみならず世の中の空気として
「オウムの修行は 原始仏教に近い」と高く評価されていたわけ。
島田氏は初期からの理解者で
オウムが世間から疑惑で見られるようになってからも
「サリンを撒くようなことをオウムはしない」という立場から
サティアンに入り、検証しサリン工場はないと発表されたわけ。
358神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 22:23:29 ID:iN4DjeYr
>>350
サイトを見ると東条さんも「クサい」んだよな。
「ミトラ教天使七星教会」って新興宗教にしか見えない。
359神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 23:47:51 ID:xwMrieUy
>>357
島田氏は、オウムの研究をし、オウムの本を読んでいるうちに影響されたの
でしょう。あなた方が、聖書を読んで嵌るのと同じ。

しかし、それでは研究や学問とは言えない。
360神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 23:54:14 ID:LPgNEhN7
オウムが悪魔的と見抜けなかった時点でアウトでしょ。
あなたは読んだらどんな本でも影響されるんですか?
自分の中で選択してるはず。
オウムが好きで研究したろうし擁護もしたんでしょう。
既にオウム信者。自業自得。
361暇人:2007/08/13(月) 23:57:33 ID:CTM2zK4c
>>359

なるほどね ミイラ取りがミイラという奴ね。
確かに聖書に はまってますなぁ。

元々 島田氏はフィルードワークで有名になった研究者ね
研究対象に飛び込んで体験して 体験しながらモノを考える。

それが中沢氏はチベット仏教だったし
島田氏は。。。どこだっけ ヤマギシ会だっけかなにかだったな
362神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 00:07:16 ID:/p8jFH56
wikipediaの島田裕巳さんの項目を見てると、いろんな意味でため息が出てくるなぁ。
363神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 00:20:04 ID:CjyRrXO1
>>361
宗教学者のフィールドワークもおかしい。すべて宗教側のお膳立てで嬉々として
参加し、宗教側の言い分をそのまま発表する。これでは、宗教の「病理」の
解明は不可能。

オウムの信者も、生来は善良で純粋な人間。宗教に嵌ったばかりに、100%
の善意で人を殺し、自らも死刑台に上らなければならない。慈しみ育てた我が
子のその姿を見なければならない、両親の苦しみと悲しみは、想像を絶する。

その原因は、宗教学者が、もっぱらキリスト教に影響された西洋の学者の本ば
かりを有難がって読み、自らの特定の宗教の信者であることが多く、また職域
防衛の目的もあって、宗教の「病理」を解明、指摘、批判をまったく怠ってきた
からである。

また、既存宗教も、オウムを本質的に批判することはできない。既存宗教もオウム
も「原理的」にはまったく同じだから、批判すれば、そのまま自分に跳ね返って
くるからである。既存宗教は、オウムをカルトとして分離し、自らの自己防衛を
図っている。

宗教学者は、何と、オウム問題を、信者たちと地域住民との感情的対立の問題に
矮小化している。

死刑台に上るべきは、信者よりも、むしろこれらの宗教学者や既存宗教である。
364暇人:2007/08/14(火) 09:16:48 ID:CmDJriDr
元々、善良で純粋な人間が危ないのだよ。

世の中が「戦争」という空気になれば真面目に戦争をする。
宗教を奉じ、その宗教がたまたま悪い方向に行けば、
真面目に悪いことをする。

不真面目だと 上の言うことが「おかしい」と思えば
テキトーに手を抜く。
我々は自分の生真面目さ・純粋さを正当化してはいけないのだよ。
カルトはここを人質に取るのだ。

オウムを誉めそやしたのは世間であり
島田氏や中沢氏をもてはやしたのも世間なのだよ。
伝統仏教はそもそも 変な宗教で胡散臭いと考えてたし
脱カルト協会は 島田の言説を元々批判しておった。

しかしながら いつの時代も
筋の通った言説は世間に埋もれ
もてはやされるのは軽薄浮薄な言説なのだね
まあそれも賞味期限が来てすぐ忘れられるのだけどもね
365神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 10:14:02 ID:8uUXUlq7
>>364
>元々、善良で純粋な人間が危ないのだよ。

すべての人間は、本来的に善良で純粋。その人間を狂わせる「宗教」と、宗教
の「病理」を解明・指摘・批判できない宗教学者が、格段に悪いに決まっている。
キリスト教然り、オウム然りである。

ありもしない「神・霊・前世・来世」の実在を信じ込ませれば、人間は狂い、
どうにでも操作することが可能になる。「現実」やそれに基づく「社会常識」
という、唯一の判断基準が働かなくなるからである。
366:2007/08/14(火) 12:05:06 ID:hteZMPic
>>365 ID:8uUXUlq7
>すべての人間は、本来的に善良で純粋。

根拠は?性善説教?イデア教?あんたも宗教だよ

>その人間を狂わせる「宗教」と、宗教 の「病理」を解明・指摘・批判できない宗教学者が、格段に悪いに決まっている。

宗教学者は宗教の運営が現世勢力と結びついて暴走する危険性は指摘してるでしょがw
学者の発言が繁栄されないのは当たり前w
学者が悪いの?大丈夫かね君

> キリスト教然り、オウム然りである。

性善説教しかり、イデア論教しかりってかw前段に結びつく根拠のない
典型的なハンセンヘーワ団体の記事構成だね

>ありもしない「神・霊・前世・来世」の実在を信じ込ませれば、人間は狂い、

ないとする根拠は?実在の範囲はまだ?五感に感じるのとメディアも実在?

>「現実」やそれに基づく「社会常識」 という、唯一の判断基準が働かなくなるからである。

社会常識なるもの、善悪や恥の概念 和を最重要にする潜在前提概念からして
宗教由来なんだよ、心と基本概念・言語形態からして
宗教多種というパーツで完成しておる。君みたいなもんからでも
君が意識してない宗教パーツを省いたら、ロボトミーにもならない
呼吸するだけの肉片に君はなるのだよ、自己否定に気がつけよね
367神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 16:41:36 ID:WpBiWF3V
>>366
相変わらずこじつけ曲解、意味不明のの論w
(´0`)ふぁ~
368:2007/08/14(火) 16:48:18 ID:pmxo7rQD
指摘事項の根拠を示すことが不可能なら君は意見として成立してないだけだね
369神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 18:38:27 ID:X1rH6K+F

老い先短い構ってちゃんの隠居に構ってると
こっちまで地獄にひっぱられる思い・・・。www

370神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 18:49:50 ID:lGcH3SHg
>>366
>根拠は?
宗教による大量殺戮行為にも拘らず、人類がここまで存続し、しかもますます
発展しているという事実。

>社会常識なるもの、善悪や恥の概念 和を最重要にする潜在前提概念からして
>宗教由来なんだよ
職業的宗教家やごく少数の狂信者を除いて、人間は宗教で生きてきたのではな
い。すべての根源としての生存本能に従って生存を続けてきた。むしろ、宗教
から人間を取り戻すための闘いであった。一部宗教者がでっち上げた、神やイ
エスや教義は、人間が長い長い年月をかけて築き上げた共生のための叡智とし
ての「社会常識」とは本質的に異なる。宗教は、人間にあらざる神と人間との
関係。社会常識は、現実の人間同士の関係。似て非なるもの。

>宗教学者は宗教の運営が現世勢力と結びついて暴走する危険性は指摘して
>るでしょがw
それは、宗教自体の批判ではなく、宗教は批判できないので、人間に責任を
転嫁しているだけ。他のすべての社会科学においては、対象である社会現象
の病理を解明・指摘・批判して、それを除去することが、重要な目的の一つ
である。宗教学だけは、前レスに述べた理由により、それがまったくできて
いない。

>ないとする根拠は?
人間にとって、(必要な場合には観測装置を使って)その五感で知覚できない
対象は、「実在」ではなく、「空想」「妄想」という。ユダヤ教徒は3000
年間神を信じたが、良い事は唯の一度も起こらず、悪いことばかり。彼らも
ようやく、「神は歴史(現実)に介入しない」ことを覚ったようだが、あまり
にも遅すぎ。「現実に介入しない」とは、「空想だった」ということと同義で
ある。
371キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/14(火) 19:01:32 ID:5+nR84gq
>ユダヤ教徒は3000年間神を信じたが、良い事は唯の一度も起こらず、悪いことばかり。
>彼らもようやく、「神は歴史(現実)に介入しない」ことを覚ったようだが、あまりにも遅すぎ。
>「現実に介入しない」とは、「空想だった」ということと同義である。

スレッとの主旨としては
それでもユダヤ教徒は存在する事の 一神教側面からから考えるとんだね。

唯一神教だから つづくのだろうね
拝一神教なら 別の神さんに信心を切り替えられるだろうね。

バビロン捕囚時に天でイスラエルの神が他の神に勝利するんだね。
この辺が この宗教の逆説の始まりなんだろうね。
地で負けたのは 天での勝利があったからなんだね。
372神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 19:16:50 ID:lGcH3SHg
>>371
「現在」では、ユダヤ教徒は「神」という言葉はほとんど口にしないらしい。
あほらしくなったんだろうw。
373神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 19:54:12 ID:X1rH6K+F
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.' :,'. :゙>;::'、⊂‐ニ;;'´          '、';{|llll!: :;ノ ! : !::i. : : : : i :
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i,': : : :.::;.'.:::;`、    |llllH". : : : :`、    ,rシイ...: : ; : :/:i : i:!::i:    みんなKGに謝れ!
;'. : :..:::;':::::;':::::`.、  |ソ/. : : : : : : ;,! ,/'゙. /.:::: :,:': :./',:!: j:;:i;!;
i. : .:::;:'i::::;':::::::::i::`:.、;゙、';‐ 、,;__;,/ノ  . :,/.:::: :/. : :/.:::i. j:;;;;;;;;
l .:::;:'::;':::;':::::::::::i::::i::`:,`'-二'‐-‐''゙_,、-.':゙/.:::: ;ィ': : :/.:::::i: j、;;;;;;;
.:::;:':::;':::;'::::::::::::::i:::i:::::..`'‐、、、-<゙.::::::::/.::: ://. : /.:::::::i :j::.'、:;;;
374:2007/08/14(火) 20:17:28 ID:H2qgy9nc
>>370  > 宗教による大量殺戮行為にも拘らず、人類がここまで存続し、しかもますます発展しているという事実。

> 名目宗教によるとする
意地汚い人間集団が、生存権確保で衝突し
そのミハタとして、宗教的権威と正当性を掲げて
権力が暴走した、大量殺戮行為にも拘らず、人類がここまで存続し、しかもますます発展しているという事実を持って
人間が、性悪説であるという結論が出たんですかそうですかw

ますます発展?環境破壊で自滅カウントダウンなのに?
自然と共生という面で科学は害でしかなかったわけだがw
375神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 20:52:02 ID:9g2WYznO
なぜユダヤ教やイスラム教では豚とか食べちゃダメなのか考えよう。
どういう理由で「食べてはいけない」リストに含まれることになったのか?
376 メス豚野郎を食べない理由:2007/08/14(火) 21:00:01 ID:H2qgy9nc
1、伝染病 2、定住化を嫌った。 3、緑地保全  おそらく2と3
377キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/14(火) 21:09:59 ID:5+nR84gq
豚を食べない事で 豚を食べる集団との違いを確認できたんだろうね。

まあ バビロン捕囚期に 安息日を遵守する事で宗教的にと同時に民族的な
同一性を確認してたと同じ理由なんじゃないの?
378キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/14(火) 21:16:31 ID:5+nR84gq
ユダヤ人とは
宗教的・民族的な同一性と言うよりも

自分たちが「神が『私の民』だと思っている人間」だと言うことの
確認が出来たんだろうね。
379:2007/08/14(火) 21:17:48 ID:H2qgy9nc
イスラム教徒なら移動確保、ユダヤ人も急な移動の連続だし
騎馬民族は総じて豚飼いは一段低く見られるからね
豚は雑食で肉専門 羊ヤギなら毛も乳もあり草だけでいいからね 馬なら乗れるし運べる輸送手段

うろこのない魚介類はまじ食中毒回避だろうね
食事制限あったほうが他民族と棲み分けというのもあろう。港でのビジターで食いつなぐのはいいね
380キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/14(火) 21:25:51 ID:5+nR84gq
なんて言うのかな
オレは、蝶の幼虫とかカブトムシの幼虫は食べないよ。
その 食べない理由を合理的には説明できないんだね。

合理的な理由があるから食物規定があるのではなく
食物規定が先にあるんだよ。
そしてそれを利用して 自集団の独自性なり まとまった行動を
してきたんだよ。

気付いてみたら すでに食物規定を遵守していたんだね
オレが物心ついたら もうすでに蝶やカブトムシの幼虫を
食べない習慣があったのと同様にね
381:2007/08/14(火) 21:36:31 ID:H2qgy9nc
蜂の子と間違ってない?カブトムシや蝶の幼虫食べるひと知らないし、イナゴは漬物でほぼ野菜扱いらしいが、あと水中昆虫はあったと思う。一般的じゃないけど

うろこの無い魚介類は最初に痛むし、海洋民族の日常性がないとヤバイよ
古代においてだけどね
382キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/08/14(火) 21:46:03 ID:5+nR84gq
合理的な理由から食物規定が出来たのではないんだよ。
食物規定が先にあったんだよ。

食物タブーが先にあったのね。
383:2007/08/14(火) 22:34:39 ID:H2qgy9nc
神が言った。最初から決まってたというに決まってるが額面通りに信じてるの?
384神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 22:42:15 ID:XQtQG5Me
イスラームで、食べてはいけないもの。

「食べることが禁じられたものは、死肉、血、豚肉、アッラー以外(邪神)に
ささげられたもの、絞め殺されたもの、打ち殺されたもの、墜落死したもの、
角で突き殺されたもの、野獣が食い残したもの、だがあなた方が止めを刺した
ものだけは除く。石壇で犠牲とされたもの、また賭け籤で分配することもいけ
ない。これらは罪深い行いである。」(クルアーン第5章「食卓」3節)

やはり合理性はないな。豚肉(豚コレラ)が怖ければ、牛肉(狂牛病)はもっと
怖い。

命あるものを食べないという意味では、仏教が最も筋が通っている。

クリスチャンは何でも食べる。特に、血を好む。
385神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 22:56:16 ID:X1rH6K+F
そうですね。聖餐式で毎月血を杯一杯飲んでます。
386神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 00:25:28 ID:m6JyQeow
イスラームには、それでも、命あるものに対する思いやりが若干感じられるが、
キリスト教には、人間の生命を含めて、生命に対する思いがまったくない。
即ち、生きとし生けるものへの「愛」がない。聖書のどこかに書いてありますか。
387神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 12:16:36 ID:hfDDoZ+0
旧約新約聖書は読んだことがあるのでしょうか?
388神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 18:59:17 ID:TPDmq2YV
日本は、原爆を落とされなければ自ら戦争を終結できなかったの?
389神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 22:03:07 ID:KkbHgklM
英語版wikipediaによると、アズラエルとエズラエルは両方とも「神の助け」を意味するそうだ。
どちらも死にかかわる天使なわけで、関連があることは間違いない。
390神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 22:41:48 ID:KkbHgklM
いま「報道ステーション」見てたんだけど、
イギリスのスリーピング・セル、すげぇな〜
キリスト教徒・権力者や民主主義への憎しみが爆発してる。

イスラム神学校・マドラサの教育すげぇな〜
授業料無料で貧困層を受け入れてるのはいいんだけどね。

イスラム聖戦士が際限なく現れてくるのも無理はない。
391神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 22:49:38 ID:KkbHgklM
教室で子供たちが座って全身を揺らしながらクルアーンを読誦・暗記してるんだけど、
これってまさに「体で覚える」だよね。

頭のてっぺんから足のさきっちょまでイスラム化するのも無理は無い。
生活にも密着してるわけで、日常や政治の不満も宗教的に発散・炸裂することになる。
392神も仏も名無しさん:2007/08/16(木) 00:13:41 ID:ygQqUowI
>>387
>旧約新約聖書は読んだことがあるのでしょうか?

聖書には、すべての生物の「生命そのもの」への思いが、一体どこに書かれて
いますか。
393神も仏も名無しさん:2007/08/16(木) 00:38:21 ID:glRQcLaB
聖書もクルアーンも全部読んだことはありません。
ほんのちょっと、一部です。旧約だと創世記の中ごろでダウン。
クルアーンは何年か前に半分くらい読んだだけ。

「感じる」なら感じた章句を引用したほうがいいね〜。

話は変わるけど、ミカエルとかガブリエルとか天使名が人名として使われたのはキリスト教以後なんだろうか?
394神も仏も名無しさん:2007/08/16(木) 01:06:59 ID:glRQcLaB
イスラム教では「リドワン」(Ridwan)くらいしか天使名の人名としての用例は知らない。

……と思ったらいた。ミカエルのアラビア語読みMikha'ilの名をもつ人
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Mikha%27il_Na%27ima
ガブリエルのアラビア語読みJibrīlさんも
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Ahmed_Jibril
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Jihad_Ahmed_Jibril
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Jibril_Rajoub
395神も仏も名無しさん:2007/08/16(木) 19:59:42 ID:boCXvxMk
>>392
「根源生命への思い」という意味なら、無いよ。
396神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 00:07:17 ID:a427qw4J
>>395
聖書もイエスも、肝心の根源については無知だったということだね。根源に
ついては語らずに、彼らは一体何を語っているのか。
397神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 01:03:16 ID:34fe//L7
根源生命とは?
398神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 01:12:47 ID:qO6iy4eS
>>392
>聖書には、すべての生物の「生命そのもの」への思いが、一体どこに書かれて
>いますか。
聖書全体に書かれてると思いますが。
神の御子であるイエス・キリストが人類の罪の身代わりのために自ら命を捨てた。
これが生命そのものへの思いでなくて一体なんでしょうか?
神がご自分の御子を惜しまずに私たちのために与えてくださった、これ以上の愛がありますか?
贖われるのは人類のみではなく、動植物、土地、自然全部がキリストの血潮により贖われました。

これが神の生命への思い、です。

なぜわからないのですか?
もしかして一度も読まれたことがないのではないですか?
399:2007/08/17(金) 01:18:40 ID:34fe//L7
生命そのもの? 人間の愛について
たとえ話で二重の意味持たせながら大量に語られてるでしょ
400神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 08:31:58 ID:5gJH3fLu

>聖書を信じる前に、それが信じるに値するか否かを確認することが

必要でしょう。現代人は、何でも闇雲に信じればよいというものでは

ありません。
401:2007/08/17(金) 09:14:26 ID:k8mn5Z/u
信じるに値するか判断?
自分で理解できるか判断だろw
どこまで主観優先の神なんだよw
402神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 09:19:53 ID:Y52jKWx3
>>398
「生命そのもの」を罪悪視するキリスト教の、どこに「生命そのものへの思い」
があるか?根源を誤った、「倒錯者」「変質者」「サイコパス」の「異常心理」
に過ぎない。

人間は、罪などないからこそ罪悪感を感じる。真の罪人なら、はじめから罪悪感
などない。キリスト教は、この人間(生命)の「神性」をその宣教目的のため
に逆に「利用」した、きわめて悪質な、「創造」に真っ向から反する宗教である。
その「犯罪性」は、キリスト教が、史上そして現在も、最も多くの人間を、最も
残虐な方法によって殺してきたという「事実」によて、明白に証明されている。
403神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 09:40:21 ID:Y52jKWx3
「文明化への影響としての史的イエスはほぼ2000年もの間試され続けて
きた。異様にも皮肉なことに、それは、西洋人の人間性を太古の野蛮さから
大きく引き上げられなかったばかりか、現実として、最悪の暴虐と非人道的
行為の隠れみのとして利用され続けている。ほかならぬ温和なナザレ人の名
のもとに、きわめて卑劣かつ残忍な行為が繰り広げられた!西欧ヒューマニ
ズムは今こそ、われわれの輝ける希望、内在する救世主という概念を受け入
れてしかるべきである。」(アルヴィン・ボイド・クーン著『すべての宗教
の根源(The Root of All Religion)』
404神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 11:09:47 ID:k8mn5Z/u
>>402 根源生命とは?
405神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 11:17:39 ID:ZQ7KNWVD
>>397
ご隠居用語。当然他の人(例えば>>398-399)が考える「生命そのもの」とは違う。
で、このままやればこのスレの>>100あたりからあった「父」「神の子」の定義やらがどうのという論争(?)
みたいな、どこまでも不毛なレスの浪費になるだろう。ちなみに>>395は俺。
>>400
ダ・ヴィンチ・コードだの『水からの伝言』だのを闇雲に信じてしまう人って多いよね。
406神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 11:19:15 ID:ZQ7KNWVD
>>404
このスレを斜め読みしたらわかる…かも?
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1183533477/l50
407神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 11:32:02 ID:ZQ7KNWVD
毎度のことだが、何で質問箱にコピペする馬鹿がいるかね。
我 ◆82SSORBSMoの「マリヤ」スレ立てみたいな発作的なものなんだろうが。
聞かれてもいないことを演説しだすココモスキーやダニエルのほうがよっぽどマシだ。
少なくともこの二人は質問には答えるからな。
408神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 11:44:42 ID:qO6iy4eS
毎度顔文字や【】連発、石原慎太郎コピペするお馬鹿さんでしょ。
文章からリアル中学生だと思う。
暇で構ってほしいのかもしんないけど、それが何故宗教板、キリスト教なんだろうね。
ある意味笑える。
409神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 12:38:19 ID:fkS8W5B8

君たちも2000年も前から毎日聖書のコビベだけw
その異常・狂気の自覚がないから困る

返答に窮すると、相手の人格批判しか出来ない・・・w
リアルでも幼稚園並み知能の思考停止 ← 君たちの真似をするとこうなるね

暇があるのは君たちの方、大いに笑える。
布教セールスマンさん達!!ご苦労さん!!


410神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 12:46:26 ID:qO6iy4eS
>>409
キタキタ。(・∀・) w

で、あなたは何者なの?中学生?高校生?それとも大人?
どうしてキリスト教が嫌いなの?
なぜそれほどまでして粘着して頑張ってるの?
理由を教えて。
411:2007/08/17(金) 18:57:19 ID:w4Uwlug7
アンチでストーカならもっと重傷
ほかのことに人生を使おうよインキョたん
412神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 18:59:14 ID:01w5m0z5
>>407
俺、ダニエルから質問はぐらかされたことあるよ。
しつこくしつこくしつこく聞いたらやっと答えてもらったけど。
413神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 19:35:40 ID:uHr/daHJ
>>410・・・>理由を教えて。

あははははは・・・・・今だに理解出来ないの?

余りに読解力無いお馬鹿さんに、こちらこそ

ビ  ッ  ク  リ   !!ヽ(@_@;)ノ

あなたが何者かまず先に言うのが礼儀でしょ(笑)
漫才やってるの?

「宗教撲滅」
http://religion.bbs.thebbs.jp/1166805222/700-79
414神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 21:33:39 ID:T87yeXLL
>>412
もともと演説(言いたいことを言う)目的で居座ってるからね。
>>413
リンクの張り方間違ってるよ。それだと0番目(最初)のレスしか表示されない。
だいぶあわてて取り繕ったみたいだけど、無理しなくてもいいんだよ。

ココモスキーですら延々と「わははははは」と書くコピペを止めたってのに、
こいつらはどうしてこんな下らないやり方を続けられるんだ(笑)
挙句の果てに他の掲示板でのコピペ荒らしを得意げに紹介だとはな。
こういう人間の言う「礼儀」ほど空疎なものはない。
415神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 21:58:53 ID:T87yeXLL
以降、煽るため、反応を楽しむためだけの荒らしレス・コピペはスルーする。
416神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 22:11:57 ID:eSIPZefE
いちいち宣言するあたりが気になってる証拠・・・
417神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 09:01:05 ID:OrcfoqJ1
>>414
>リンクの張り方間違ってるよ。それだと0番目(最初)のレスしか表示されない。
だいぶあわてて取り繕ったみたいだけど、無理しなくてもいいんだよ。

(´0`)ふぁ~ 皆様、おはようござりますぅ
今朝は涼しくてお湿りを頂き、ほっと一息ついてありがたいことで感謝です。

リンクの張り方間違えたつもりないけど、君達の方がだいぶあわてて取り繕い
どうせ裏工作した結果でしょ、いつも幼稚さを自ら証明する狼狽振り〜(笑) 

>>416
>いちいち宣言するあたりが気になってる証拠・・・

どうも仰るとうりのようですね。ヽ(^。^)ノ

善良で真面目なクリ達には、何の悪気もないのですが・・・・・
洗脳されると他の意見は馬に念仏のようで・・・・・・残念!!
恨まれるばかりでホント損な役、演じてま〜〜す。
仲良くしたいけどねw

418神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 09:11:27 ID:K6pLumzj
夏休みも大方の地方で残り2週間ってことで夏厨な皆さんが頑張ってるのかね?

チラ裏質問

 メソポタミアのどこかの都市国家的主神を信奉。唯一神的要素は無かった。
 流浪の中で普通に多神教的にパンテオンを形成して行った。
 いつ頃からかヤハウェのみを唯一神として信奉する様になる。
 大雑把に見るとユダヤ人(まだユダヤ人と言えない時代かもしれんが)のウルトラナショナリスト的なアイデンティティーの確立と一神教の成立がリンクしてるって事で良いのかな?

 古代オリエントの民族の興亡を考えるとそうそう簡単に答えがだせるような物じゃないとは思うけど。
419神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 11:37:44 ID:u9Wgny0o
迫害者側を否定する方法として、その神々の存在を否定した、
というのはどうだろう。神格化された自然物(当時は太陽や月が
そのまま神だった)から神性を取り去り、単なる「被造物」にしていく。

対比として自分たちの神の権威・権能を唯一絶対なものとして高めることにもつながる。

「源流」としてよくイクナートンのアテン信仰をあげる人がいるが、
あれは実際にはファラオであるイクナートンを民に崇めさせる二神教なんだね。
アブラハムの唯一神教に結びつくものではないと思うよ。
420神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 11:50:35 ID:u9Wgny0o
「アーメン」をエジプト神話の「アメン神」に結びつける珍説が
質問箱に投下されたことがあったけど、両方の語は意味が全然違う。
アーメンは「然り」、アメン神の名は「隠されたもの」。
日本語と朝鮮語に似た発音のものがあっても、その意味が違ってたら
この二つを結び付けるか?(トリビアの泉で紹介された「モッコリ」が
これにあたる。これは、朝鮮語では「ネックレス」を意味する)
人間の発音できる音の数には初めから限界があるので、
多言語同士でもどうしても音・読みがかぶる言葉が出てきてしまう。
421神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 14:44:39 ID:lqg9Tw/u
イクナートンに一神教の源流をたどるのは、それまでの多神教を排して、ファラオ一神に集約したからでしょ。
まず、その多神教を排して、部族統一を図ったことが、類似。
それと、旧約聖書だって、預言者モーゼと主の関係で言えば、同じ構図。
二神といえば、二神。
新約は、それがメシアイエスと主。それに聖霊で三位一体。
別に違いはないんじゃない?
422神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 15:32:03 ID:u9Wgny0o
>>421
モーゼを入れて二神というのはいくらなんでも無理ありすぎ。

イクナートンはアテンと自分を同一視してたのか?

イエスは、そもそもイクナートンやモーセから見て遥か後代のこと。
互いに影響しあうような解釈は不適切だと思う。
(「神であり神の子」という設定はスレの初めに出てるように珍しくない
イエスの神格化の起源までイクナートンに求めることはない)
イザヤ書の「明けの明星」をルシファーにするようなもの。
423神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 15:37:18 ID:u9Wgny0o
類似はあるが、両者を直結させるほどの証拠が揃っているかが問題。
いい資料はないかな。
424神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 15:41:49 ID:lqg9Tw/u
>>422
イクナトンを入れて、ニシンに無理があるから、その無理さが同じということ。
それが無理なら、どっちも、一神。

> 互いに影響しあうような解釈は不適切だと思う。

意味不明・・・・
歴史的に充分重なってますけど?
425神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 15:51:27 ID:u9Wgny0o
wikipediaのアテン信仰(http://en.wikipedia.org/wiki/Atenism)の項目の一番下の節を和訳。
(訳の正確さには自信なし)

「アテン信仰の一神教の特徴のために、ユダヤ教(そして、次にそれから生じる一神教)
への繋がりが様々な作家によって提唱されました。
心理学者のシグモンド・フロイトは、Akhenaten が一神教およびモーセの宗教の創始者であると考え、
『モーセと一神教』に記しました。
最近では、アフマド・オスマンがAkhenatenとモーセが同一人物であると主張しました。
しかしながら、これらの視点は歴史家の中で広く認められていません。」

英語がすらすら読めたらなぁ。
426神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 15:53:49 ID:u9Wgny0o
>>424
三位一体、イエスの神格化はモーセかイクナートンが元ネタだと?
427神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 15:58:41 ID:lqg9Tw/u
>>426
その質問自体が意味不明w

というかどうして、イクナートンが神なの?
王だろう?

神であることの説明が不足。
428神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 16:00:37 ID:u9Wgny0o
>>427
ファラオはもともと神扱いされるものです。(神の子孫とされる王が
神使いされることは珍しいことではない)
429神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 16:05:17 ID:u9Wgny0o
イクナートンが自分を神として崇めさせているのを知ったのは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%974%E4%B8%96
で、エリアーデによる説とのこと。どう書いてるか気になるので今度
図書館にあったら借りてみよう。
430神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 16:09:30 ID:lqg9Tw/u
>>428
だから、その構図は、主と預言者の関係と同じ。

太陽神ラーを具現化したのが、ファラオ。
イクナートンは、その頃の神官の横暴から逃れるために遷都したわけだし、
一神は王の集権国家としてアイデアとして秀抜。
中国の宦官と天子の関係と同じだし、
宦官の横暴から逃れるために始皇帝が法治国家を目指したのと類似してるでしょう。
あくまでも、ラーは、ラーです。
431神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 16:16:20 ID:u9Wgny0o
>>428神使い→神扱いね。

>>430
預言者は神ではないし、自分を崇拝させる人達でもない。
唯一神を立てながら自分は従来のファラオ通り神扱いさせるという
ねじれた形から、アブラハムの宗教とは繋がらないのではと考えてる。
432神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 16:19:11 ID:lqg9Tw/u
>>431
だから、イクナートンは、神ではない。
太陽神ラーが神。

理解した?
433神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 16:24:55 ID:u9Wgny0o
>>432
王はしばしば神話の神々と同じように神扱いされるもの。
ファラオもそのように扱われる制度。
434神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 16:31:10 ID:lqg9Tw/u
>>433
預言者もしばしば、神として扱われるもの。
神の声は、預言者を通して語られる。

同じだよ。
435神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 16:38:47 ID:u9Wgny0o
>>434
>預言者もしばしば、神として扱われるもの。
イエス以外で神扱いされ(また、それが正しい信仰とされた)預言者
はいたっけ?旧約聖書にも預言者や神殿を伏して拝むシーンがあったが、
神として崇拝するのとは違うはず。十字架やカーバに向かって拝むからといって、
十字架やカーバを崇拝しているのではなく、神への崇拝の作法としてのもの。
436神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 16:42:58 ID:u9Wgny0o
吉村作治の「古代エジプト講義録」を読んでたら、
イクナートンは地に足がついていない理想主義者として書いてある。
フロイトの説のように、モーセが元アテン神官だとすると、
イクナートン(ファラオ)を神とし続けるのに無理を感じて
純粋な唯一神教にしようとした、という筋書きも描けなくもない。
437神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 16:44:54 ID:lqg9Tw/u
>>435
預言者は、神ではない。
したがって、イクナートンも神ではない。

なぜなら、人間は神ではないから。

理解した?
438神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 16:48:50 ID:u9Wgny0o
>>437
イクナートンは預言者ではない。
ヘブライの預言者と似た特徴があったとしても
ファラオ=預言者ではない。

>なぜなら、人間は神ではないから。

それはその通り。あくまでファラオは「神扱い」されてるだけ。
439神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 16:54:13 ID:lqg9Tw/u
イエスは神の子メシアであって、神ではない。

理解してる?

というか、政治の話と宗教の話の違いを理解してなければ、二神か一神かなんて話はいくらやっても無理。
天皇は人間であって、神ではない。
しかし、神様と同じ。
この意味がわからないのと、同じ。

もし、二神だとするなら、イクナートンが神であったというソースを出せばいいだけのこと。
つまり、アマルナ革命の一元性を証明すればいい。
エリアーデは、神秘主義者の王道だから、ソースとしては意味なしです。
440神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 16:55:30 ID:lqg9Tw/u
>>438
>>439

イクナートンは王であって、預言者ではない。
否定の仕方が間違い。
従って、どちらも、神ではない。

理解した?
441神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 17:05:05 ID:u9Wgny0o
>>439
>イエスは神の子メシアであって、神ではない。

それを言うならその位置付け自体、神として扱うのと同様、政治の話になる。
公会議で正式に認められるのは「政治の話」で
聖典に神の子だと記されるのは「宗教の話」と分けるなら別だけど。
>エリアーデは、神秘主義者の王道だから、ソースとしては意味なしです。

あらそうなの。
>>440
だから、ファラオの「神扱い」はあくまで制度として話しているよ。
442神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 17:15:40 ID:lqg9Tw/u
>>441
制度として話するなら、神と王の違いは?
神様単独ではどうやって、国を統治するの?

神様単独政治を説明しないと、神様扱い=神の証明は無理。
まして、二神であると考えるには、その前提条件を細かく設定しないことには、理解されない。

ラー→王→国民という序列関係の中で、どこで線を引くのかという関係が問題になってるだけの話し。

理解した?
443神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 17:26:50 ID:u9Wgny0o
>>442
>神様単独ではどうやって、国を統治するの?

できない。宗教内での約束事で神とされる地位(神格化された王・長)につくか、
神の意思を伝えるなり代行するなりの役割を得た人が国を統治する。
神話の神様自体が実際に国を統治すると言ったわけじゃないよ。
>神様扱い=神の証明

「神様扱いされること」→「実際に神であること」というつもりで言ったんじゃない。
約束事、信仰として仮に「そういうことにされている」ということ。
天体である太陽が「太陽神」扱いされるのも、そう。
444神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 17:37:43 ID:lqg9Tw/u
>>443
> 「神様扱いされること」→「実際に神であること」というつもりで言ったんじゃない。

であれば、話は簡単でしょ?
それがイコールである証明をすれば、二神の証明が出来ますよ。
ということで、今は一神であると了解されたと思います。

是非次回は、その二神の証明をされることを期待しておりますm(__)m
445神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 17:47:50 ID:u9Wgny0o
「→」じゃなくて「=」を使えばよかったのかな。
実際に神でなくても、神様扱いされることはできる。
げんに神様扱いされたファラオは、本物の神ではない。
二神教というのは「約束事・信仰上での神」が二柱以上あるというだけであって、
げんにそこに本当に神がいて崇められているのではない。
アテン神も古代エジプト人が思い描いた、太陽に関連する神格の一つにすぎない。
「実際に神であること」が問われるならアテン信仰は「0神教」になってしまう。
446神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 17:55:13 ID:lqg9Tw/u
>>445
というか、単純に一神教の意味がわかってないだけのことじゃない?
今頃、わかったけど(笑

ラーとイクナートンの神としての違いってなに?
というか、エジプトの多神教がわかってないということかも・・・・・・・・・

理解してから二神って言った方がいいよ。

それだけのことだね。
447神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 18:04:10 ID:u9Wgny0o
>>446
一神教、とりわけ唯一神教とは、
「神と呼ばれるものが一つしかなく、その他に同様のもの(神々)を認めない宗教」
間違っているか?

>ラーとイクナートンの神としての違いってなに?

自然物の神格化と人間の神格化、前者は権威の裏づけとして使われ、
後者は権威の裏づけとして使われると同時に自らも神として権威を使う。
448神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 18:12:18 ID:lqg9Tw/u
>>447
> 「神と呼ばれるものが一つしかなく、その他に同様のもの(神々)を認めない宗教」

イクナートンは、ラーの使いだろう?
別に、ラーと対等の立場とは言ってないから、一神教。
この考えを崩さないと、二神とはいえないと言ってる意味がわかります?

イクナートンが、ラーの神の役割とは違った神であると宣言したことを述べないと、ニシンにはなりませぬ。
449神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 18:28:01 ID:u9Wgny0o
>>448
神を数える際に、格が下にあたる神は数えなくてもいいのか。それだと一神教になるな。
他の神の使いとして伝令の役割を果たす神はギリシャ神話にもいるんだが。
450神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 18:33:57 ID:u9Wgny0o
たとえ格が違っても「同様に神とされるもの」が二人居れば二神教。
イクナートンは自分を以前のファラオのように神として崇めさせた、
その実態は二神教と言える。

今のところ資料はエリアーデしか見つけてないから、
これ以上ソースは出すことはできない。

エリアーデをソースとして認めないなら、これ以上話は続けられない。
451神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 18:43:34 ID:lqg9Tw/u
>>449-450
別に、イクナートンラーニシン説を唱えても私は、反対してませんよ?
私は、合理的に反論してますけど、納得しないのはあなたの自由です。

それだけのことでは?

これ以上は、無意味です。
452神も仏も名無しさん:2007/08/18(土) 19:03:57 ID:u9Wgny0o
>>451
エリアーデによれば「イクナートンが自分も神として崇めさせていた」
だけども、ID:lqg9Tw/uは「エリアーデは神秘主義者の王道なのでソースとしては意味なし」。
エリアーデが主張がそのまま正しいなら、アテン信仰の実態は二神教だったと言える。
正しくなかったら、(イクナートンが自分を神として崇めさせたという事実がなければ)
アテン信仰の実態は一神教だったと言える。
これだけの話だったね。
453神も仏も名無しさん:2007/08/26(日) 16:40:20 ID:UO4rws6s
  
454神も仏も名無しさん:2007/08/26(日) 21:06:22 ID:0llHbQPw
聖書に名前が出てこないような天使や悪魔(メルカバの天使やソロモンの霊など)はどのように成立していったんだろうか?
455神も仏も名無しさん:2007/08/28(火) 18:23:13 ID:6zV7wbFe
>>454
なんだか分からないけど、
「メルカバの天使」は多分エリヤを連れ去った火の戦車(「戦車」はヘブライ語で「メルカバー」という)のことでしょうか?

それなら「全く出てこない」ってことはないと思います。
456神も仏も名無しさん:2007/09/08(土) 18:16:05 ID:nq865aJ4
上げときましょう
夏休みが終わってからこっち、KG君を全く見なくなったなあ…
457神も仏も名無しさん:2007/09/08(土) 20:32:31 ID:Z6FjENLP
今は世界史板の「キリスト教総合スレ」にいる。
458神も仏も名無しさん:2007/09/14(金) 09:35:08 ID:5qQO/FgC
>>457
ありがとうございます。
よくご存じでしたね。

覗いてみましたが…相変わらずでしたね。
459神も仏も名無しさん:2007/09/14(金) 20:35:55 ID:5y6074+o
純粋に批判的研究だったら追い出されることもなかったと思われる。
なんつーかね、彼はケンカを売りたがってた。質問箱に殴りこんだ時点で
この人もしょせん荒らしと似たもの同士だと感じた。惜しいね、一歩間違うと人間こうなる。
460神も仏も名無しさん:2007/09/14(金) 20:46:39 ID:TmFhLduT
だが、奴は歴史板というか学問板から見るととっとと宗教板かオカルト板に帰れ!というタイプなのだよな(w

誰か引き取りに来てよ(w
461神も仏も名無しさん:2007/09/16(日) 20:44:44 ID:nrDt/wsO
http://en.wikipedia.org/wiki/Islamic_view_of_Lot

ロトはコーランだと近親相姦しない。
モーセやヨシュアの聖絶の話もなかった。
ユダヤ人が話したがらなかったから伝わらなかったのか
ムハンマドがクルアーンを説く上で自ら排除したのか。
462神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 01:35:59 ID:53v9+O+v
神は妄想、宗教は精神病理
463:2007/09/18(火) 03:19:38 ID:qyZq2g+A
>>462 人間の構成要素は
ハードが日本足歩行のサル
OSが神概念
ソフトウェアが言語となります。

神を一括妄想とすると人間の存在が妄想になり
神概念の組織である宗教を精神病とすると、人間=精神病になりますよ
464神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 05:46:12 ID:0yWVgYYf
神道は他神教なのに、アマテラスなんとかが世界を創造したときいた。
創造主とそれに作られた他の神々が同じ神の名前をもつのには?がついた。

アマテラスなんとかは全知全能ではないということかな。

会社みたいにピラミッド組織になってて、役職で分けて各自の仕事、みんな社員、アマテラスなんとかは創業者であり名誉会長ってことか、な?
465神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 05:58:26 ID:RDz1oCJj
>464

古事記と日本書紀ぐらい読んでおこう
466神も仏も名無しさん:2007/10/06(土) 13:27:35 ID:TJVOWji/
会社に譬えるのは無理があるだろう。
467神も仏も名無しさん:2007/10/07(日) 21:46:29 ID:OLQmOlwk
さすがに釣りではないか。
468神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 14:06:07 ID:W0lAZ/50
こんな文献を見つけた

「一神教」という言葉の起源と用法に関するノート
エティエンヌ・バリバール
http://site-zero.net/contents/vol1/post_27/
469神も仏も名無しさん:2007/11/30(金) 11:30:06 ID:rPBoe1dk
age
470神も仏も名無しさん:2007/12/19(水) 13:39:17 ID:/+eM3vjM
age
471神も仏も名無しさん
この板に、一神教を学問的に語れる人がいるわけがない。