【仏教】悟りを開いた人のスレ【鬼和尚】

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927神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 21:41:43 ID:6BCBZAx2
食べる時は箸を使わなければ食べられないというのが凝り固まった思想かもです。

「こうしなければならない」などの制約が地獄を生んでいるのかもです。
928神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 22:07:16 ID:07D+vn0Q
>>908の話って昔、近所のお寺の住職さんから聞いた事あったな
結構有名な例え話だよ

この有名な例え話にケチつけてる人の心が貧しい事だけは確か
929神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 22:27:34 ID:9vI4zDgf
>>928
そうだね。確かに。

でもお釈迦様もバラモン教の教えとか、当時当たり前であった常識(?)に囚われず、
苦行などの修行にも疑念を抱き、「なぜ?」を求めたとかってことはないかなぁ・・・
多くの人にとって当たり前の事でも、よくよく観察してみると違うものが見えてくるのかも?
その視点は大事じゃないかなって思った。


一方、席に着いたキリストは神に祈ると手を振った。
すると”奇跡は起こり”人々の皿には食べ物があふれ、グラスはワインで満たされた。
皆永遠に幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
ごめん、またまた妄想w
930神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 22:37:12 ID:6BCBZAx2
私はあのたとえ話は好きではないです。

聞いてみたいと思っていたのですが、みなさんはあの話の状況で、
1.先に食べさせてもらう方を選ぶ
2.先に食べさせてあげる方を選ぶ

どちらでしょう?
931神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 22:37:17 ID:iNmXRdVt
で、結論としては、この話は
   凝り固まった心が地獄を産む
ということを言いたかったということなんですね。
932神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 22:46:35 ID:9vI4zDgf
>>931
・・・すまん。
俺余計なこと言っちゃったみたいだな。
933神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 23:13:04 ID:iNmXRdVt
>>932
えっ?

一連の議論で深い理解に導かれたのではないでしょうか?

>>908 の話の価値観に固執していることが皮肉にもすでに >>908
描かれている地獄そのものですよね。自分の目の前にあるお気に入りの
価値観に落とし込みたいんだけど、箸が長くてそうできず、欲求は一向に
満たされない。飢餓状態ですよね。長い箸で相手を満たしてあげることを
実践しなければならないのではないでしょうか。 と、思いました。
934神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 23:21:01 ID:YovdYpYX
感情的にならず相手の言葉を聞き、理解を深める。

これこそ賢者の姿。

気持ち良いですね。
935神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 23:22:19 ID:9vI4zDgf
>>933
長々とくだらん話をするなと言われたのかと思った・・・
浅はかでした。

凄いですね。深い。
とても勉強になりました。ありがとう。
936神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 23:47:22 ID:rBLpLt/F
妄想と現実は紙一重のところがありますね。
思いに揺れが無ければ、妄想も現実になります。
全ては無であり、人の思いが作り出した幻想ですから。
もちろん天国も地獄も、あると思う人にはあるのでしょう。
全ては何を思うか、もしくは何を思わないかで、それぞれの現実があるのでしょう。
937神も仏も名無しさん:2007/09/16(日) 00:31:42 ID:ZJtbo2pE
ちょっと前にTVで、先天的な脳の障害をもっている人が出てて、その人は自分と他人の
区別が出来ないそうなんです。禅ではよく分別を無くせって言ってるんだけど、元か
ら分別の機能が無い人がいるんだなと。本当に分別が無ければ普通に社会生活が
出来なくなる。人間は訳があって自分と他人、自分と世界に境界線を引いてる。生き
ていく為の便利な機能なんだけど、それはあくまでも仮に設定しただけのもの、妄想
と言ってもいいし、幻影と言ってもいいし、虚構と言ってもいいし。その虚構である境界線
を人間は真実であるかのように、実体があるかのように、勘違いしていまいました。
これは釈迦の言う苦の原因の根幹ですね。愛着・嫌悪・慢心・卑屈さなど。
基底は無であるのに、なぜ神は・・否、私達はこんなメンドクサイ世界をつくっちまったん
だろねぇ〜。
>>937

ちょっと前にTVで、先天的な脳の障害をもっている人が出てて、その人は自分と他人の区別が出来ないそうなんです。
禅ではよく分別を無くせって言ってるんだけど、元から分別の機能が無い人がいるんだなと。
本当に分別が無ければ普通に社会生活が出来なくなる。
人間は訳があって自分と他人、自分と世界に境界線を引いてる。
生きていく為の便利な機能なんだけど、それはあくまでも仮に設定しただけのもの、妄想と言ってもいいし、幻影と言ってもいいし、虚構と言ってもいいし。
その虚構である境界線を人間は真実であるかのように、実体があるかのように、勘違いしていまいました。
これは釈迦の言う苦の原因の根幹ですね。愛着・嫌悪・慢心・卑屈さなど。
基底は無であるのに、なぜ神は・・否、私達はこんなメンドクサイ世界をつくっちまったんだろねぇ〜。  』

記憶力が、何秒かある、と言うイギリス人の話ではなかったかなー。

存在は、物質は、
2ではない、
それは、1の如し、である。

なので、あなたの思う分別がないと言うのは、禅ではないのです。
神もありません。
如来(にょらい)
と、仏教は、言います。
来に意味はありません。
意味を強調する言葉です。
なので、
真理は、
如(にょ)、
如し(ごとし)
です。
ほとけさまの、異名です。
939ライブドワ:2007/09/16(日) 03:23:41 ID:l4Y8qyXy
ムダだとは思いますが一応聞いておきます
鬼和尚さんは思念で楕円系の物質を生成できますか?

もしできるというのならいますぐあなたの元に学びに行きますw
940ずっとロム。何度もロム:2007/09/16(日) 03:25:33 ID:kBGvEZKR
お釈迦様が城から出てすぐ、後に弟子の話を退けているが、
最初か二番目に会った教祖は天に宝を積んでいるだけで悟りにはまだ至らない
との考えで自分で真の悟りを見出さなくては行かなくなったみたいですが‥

具体的に天に宝を積むとは何の事なのでしょうか?
鬼和尚さん少し難しいかもしれませんが説法を希望します。
何故天に宝を積む事は真の悟りへの道に成らないのでしょうか?
鬼和尚さん難しいかもしれませんが説法を希望します。
もし良い行いや善行をする事で天に宝を積むのであればお釈迦様は善行とともに
人は何をどのようにし、又どのようにする為に説かれたのでしょうか?
鬼和尚さんの説法を希望します。いつも読ませていただいております。ありがとうございます。
ぜひ宜しくお願いします。
941ライブドワ:2007/09/16(日) 03:54:33 ID:l4Y8qyXy
鬼和尚ではありませんが
輪廻にさ迷ってる俺の主観では

それは 誰が悟りを得るのか そこによります。
人は1000人1000絵です。人の数だけ物語があり
魂の状態も違います。ですから 教えは一つではアリマセン
すごく悟りに近い魂は 勝手に悟りを得ますしw
程遠い魂は やはりいくら修行しても そこには至る事が難しいです。
これは いわば 運命です。

the destiny of life です
自分の運命を見極めましょう 
それはあなたの腹の太さによります
見極め 現状を認識したのなら
正しい道が見えるはずです
そこから始まるんだと思います
942神も仏も名無しさん:2007/09/16(日) 04:21:11 ID:p7hOcS+6
>>939 ライブドワさん
>思念で楕円系の物質を生成できますか?

楕円系とは? 楕円形に近いのでよろしければこんなのでよろしいか?

ttp://s1.muryo-de.etowns.net/~kiko/image/daen.htm
943神も仏も名無しさん:2007/09/16(日) 04:41:55 ID:58TDz398
>>940

>天に宝を積んでいるだけで悟りにはまだ至らない

宝を金だとしよう
金を積んで置いて何が解る
使い方(運用)が解って初めて価値が解るものであろう

長い箸も使い方が解らねば何の価値があろう

価値があるからと積むのは良い
ただし使い道が解らねば何の価値があろうか
使い方を考えねば何の価値があろうか
価値を輝かせる方法を見つけることが必要ではないのか
言われたから積むのではなく自分で見いだす事も価値である
944偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2007/09/16(日) 14:06:58 ID:rGKe5cSb
>>920
あー。あの長老悟ってない?
「色即是空」はよくても「空即是色」の方がおかしいというのは言葉の意味として
おかしいということで、たとえば「リンゴは果物」だというのは正しくても「果物は
リンゴ」だというのはおかしいということらしい。
945神も仏も名無しさん:2007/09/16(日) 18:50:55 ID:DOB5OxXY
>>944
弥勒がそのこたえを簡単にいってるよ。
考え方を。
946鬼和尚:2007/09/16(日) 20:49:27 ID:r2ITJOwy
>>930 わしは食わす。全部食わしてから小1時間説法じゃ。

>>934 善いことじゃ。愛語施じゃな。

>>937 なかなか鋭いのう。世界とはおぬしの知覚ではないかな。

>>939 それが出来るのはおぬし自身だけじゃ。わしに会えるのも定められた者だけじゃ。
947神も仏も名無しさん:2007/09/16(日) 20:59:50 ID:7d3n8eLF
>>946
何回かレス頂いている者です。

和尚さんと会っていろんなお話してみたいですね〜。
和尚さん天台か禅宗の方と思うんですが〜。
…それかサークル?(妄想だったらスルーで)

いや〜、ホントに惹かれるお話です。
948鬼和尚:2007/09/16(日) 21:24:23 ID:r2ITJOwy
>>940 それはマタイの福音書からの言葉じゃな。貧乏人に金をやると、天に金を積むことになるそうじゃ。

 善行は良いものじゃ。
 しかし、それだけでは進歩というものがない。
 奴隷は決して自分から変わろうとはしない。神の奴隷であろうと、金貸しの奴隷であろうと、主人の気に入られようとするばかりで、己を変えようとはかけらも思わないものじゃ。
 そして、主人に気に入られる為に、天に金を積むだけではなく、何でもやる。人まで殺そうとする。

 神を信じるという者達は昔から、殺し合いばかりしている。
 オウムの者が人殺しばかりしていたのは、実は仏教徒ではなく、シヴァ神を信じるシヴァ教徒だったからじゃ。
 十字軍、ジハード、最終戦争と、神の奴隷と称する者達は奴隷根性によって容易に殺人集団に成り代わるものじゃ。神に気に入られる為に、昨日は天に金を積んでも、今日は神の為に人を殺すかも知れぬ。

 奴隷根性からの行いを脱し、己の行いは己で考えて、己で決意し、己を変えようとしなければ、進歩することは出来ないのじゃ。
 お釈迦さまは決して人を奴隷にはしない。
 自らは道標となり、自ら治そうとする者を治す医者であると言われた。
 己の意志で、己を変えようと決意した者だけが、悟りを得られるのじゃ。

 人が自我を得て、己の自由意志で己の行いを決められるようになったのも、意味があることだったのじゃ。
 人として生まれたのなら、誰も他の者の奴隷であってはならんのじゃ。
 己の行いは己で考えて決め、己の意志で己を変えなければならん。
 それでこそ真の自由が手に入るのじゃ。

 神の奴隷から脱し、自我の呪縛からも逃れ、真の自由を得る為に、お釈迦さまは偉大な教えを述べられたのじゃ。
 天に金を積むのではなく、現世で修行を積むが良い。
 頑張るのじゃ。  
 
949鬼和尚:2007/09/16(日) 21:33:34 ID:r2ITJOwy
>>944 何度も書いたが空というのは執着を離れ、自我を解体する為の心理的な技術なのじゃ。言葉の一つを取って正しい、正しくないと言うのは無意味なのじゃ。
 色即是空に空即是色で何も問題はない。
 悟りを得ておらぬと、どうしても経典の真意は判らないものじゃ。

>>947 わしはたった一人のわしじゃ。サイの角のように一人歩むのじゃ。おぬしが真に悟りを求める者なら、いつか会うことになるじゃろう。
950偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2007/09/16(日) 23:46:01 ID:rGKe5cSb
>>945
え? どこに書いてある?

>>949
悟らないと真意が分からない? そうか・・・。
とすると、何のために経典があるのかいまいち分からなくなるな。
悟ってない人が読んだら意味が分からないか誤解するかのどちらかに
なるわけでしょ? (どちらにしても実感は掴めないから言葉をいくら補って
伝えようとしても無駄な感じはするけど)。悟っていたら既に実感できる
状態になっているんだから経典を読む必要性は特にないでしょ。読ん
でもその通りだと感じるだけだろうし。じゃあどういう人のための経典なの?
(もうちょいで悟りそうな人向け?w)
951神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 00:24:58 ID:D5wLMF9S
>>950
経典を読まなくても悟れる人は悟れます。

自分を変えようと葛藤している人は、悟るには難しいでしょう。
自分の世界を真に体験した先に悟りはあります。
952神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 00:36:32 ID:AHHXn7Y1
>>948
人為による政略による欲望による殺し合いですが、
それによってイエス批判には繋がらない。
神というシンボルは太古より政治の道具になっていたし、
なりやすい性質のもの。
キリスト教批判はイエス批判に繋がらないと言うこと。
我々が犀角のごとくただ一人歩むには、あれがいいこれがいいという
他者観によらずに、真実を見極める目を養うこと。
イエス論もなかなか味わい深いものです。
953神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 00:38:31 ID:hK55u+CK
>>951
自分とか先とかありませんよ間違っています、はい頭でっかちやり直し
954神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 03:14:00 ID:HoXf73T4
奴隷を生むのは神ではなく、人だと思います。
信仰が執着へ、祈りが欲望へと変貌を遂げた時、人は自分が
「作り上げた神」の奴隷となるのではないでしょうか。

これは、私の個人的な意見ですが・・・

「悟り」とは「気付き」・「気付き」とは「学び」
宗教や宗派というものは、大きな一つの意思の末端にすぎず、
どれか一つの宗教が総てというモノでは、ないと思います。
ひとつひとつが尊く、ひとつひとつが大切なもの。
経典も解答書ではなく、参考書のようなものだと思っています。

>>953
私は間違っているとは、思いません。

>自分を変えようと葛藤している人は、悟るには難しいでしょう。
>自分の世界を真に体験した先に悟りはあります。

悩み苦しんでいる時、学びを得ることは難しいもの。
心を沈め自分を・周りを「曇りない眼」で視ることで、様々なことに
気付き・学び、一歩一歩前に進むのではないでしょうか。

すべて私の勝手な解釈ですので、間違っていたら訂正をお願い致します。
955神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 05:24:58 ID:kEr5S0H+
>>954
横から失礼、そのご意見・・・
すべてにおいて同意します。

かつての先人達、もしくはその教え(仏典、聖典諸々含)に
あまりにも後代の人間は囚われてはいないでしょうか。
かの先人達においても「解答書」はなかったはずです。
皆各々に「気付き・学び」があってのことではないでしょうか。
参考書があるだけ我々は幸福ですが・・・
(但し、宗教や宗派の中には道を外したものがあるやもしれぬことは考えられますけど)

でも結局これは鬼和尚の仰るとおり(>>948
「己の意志で、己を変えようと決意した者だけが、悟りを得られるのじゃ。」
という事になるのやも知れませんね。

言葉というものは不自由ですね。概念というものが曖昧で・・・
956神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 12:28:51 ID:O+cJYlhe
>>937
> その虚構である境界線を人間は真実であるかのように、実体があるかのように、勘違いしていまいました。

ふむ。その通りだが、オレがどこかで書いたコピペでなければOK。

> これは釈迦の言う苦の原因の根幹ですね。愛着・嫌悪・慢心・卑屈さなど。
> 基底は無であるのに、なぜ神は・・否、私達はこんなメンドクサイ世界をつくっちまったん
> だろねぇ〜。

何もめんどくさくはない。
楽しみたまえ。
957神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 12:33:51 ID:O+cJYlhe
恐らく、方便を使っているのだろうが
悟りは得られるものではない。
むろん、>>953のように自分の世界だとか先だとかにはない。

悟りを得た?
バカを言っちゃいかん。
かつて悟りを得たものなどおらぬ
それは悟りじゃない自我だ
958神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 12:37:53 ID:O+cJYlhe
悟れば経典類の真の意味がわかるだろうが、
悟れば必要なものではなくなる
それまでの道標とすればいい
959神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 12:43:11 ID:26qkaGs1
無常
常に移り変わるということ

釈迦の時代と、今の時代は少し違うかもしれん

重要なことは、どんなことをすれば世の中のためになるのか
自分のためになるのか

960神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 12:49:24 ID:O+cJYlhe
またまた、方便だと思うが

進歩とは迷いである
己を変えられるとは迷いである
悟りを得るとは迷いである
偉大な教えとは迷いである
現世とは迷いである
修行とは迷いである
なぜならこれらが自我の迷妄だからである

真の自由はある
しかし手に入れるものではない
そんなことはできない
自由とは束縛概念が無いことであるからだ
961これから:2007/09/17(月) 18:29:19 ID:mX04E0Et
>>532
みんな〜こんにちは。最近は法華経大全を爆読中。
こちらブラボー
532番さんいらっしゃいますか? どうぞ。ガーピッ
962神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 18:34:52 ID:UX6RpJe0
頭が消えて、意識が無限に広がっている様な感じです。
これは前段階それとも到達ですか?
963これから:2007/09/17(月) 18:55:56 ID:UgYf1HVm
>>532
みんな〜。こんばんは。最近は法華経大全買ってきて爆読中。
少しずつ読めばみんなの話に参加出来るかなと…

こちらブラボー
532番さんスレにいらっしゃいますか?どうぞ。
964これから:2007/09/17(月) 18:59:07 ID:UgYf1HVm
2つ入ってしまった。ウィルコムあんまりよくないな〜(-_-;)
ごめんなさい。お恥ずかしい限りで。
965神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 19:38:45 ID:Iq6/C8ip
>>961
あんたもう来ないって言ってたじゃん
966これから:2007/09/17(月) 21:23:24 ID:UWubyGgj
うん。
鬼和尚さんと皆に聞きたい事があって戻ってきました。
数ヶ月前、霊的な導きがあった時どうして良いか分からなくて適当にネットで見つけた
住職さんに電話したらディクシャに来なさい見たいな事いわれて、まあ行ってみたんです。
インドに居る、カルキバカヴァンに帰依してる人で会って分かったけど、霊的にも相当熟してた人だったから
住職さんと話をするのも初めてだったししばらく通ったり、話してみてたんです。で、アカシックレコード見られたり
で興味持ったんですけど‥
色んな話をしていくうちに霊的に何かがおかしいなと感じ始めてカルキヴァカバンの写真見たら
それはもう物凄い獣の姿が背後に見えたんです。ですぐ関係を絶ちました。
このカルキのグループとかおかしいと感じたり
同じように写真に何か見えたりした方いらっしゃいますか?
967鬼和尚:2007/09/17(月) 21:43:40 ID:6cW+14Nn
>>950 ふむ、そうじゃな、例えば野球やサッカーなどの技術を書いた本があるとしよう。 その本はもとプロ野球選手やJリーグの選手だったという者なら、何が書いてあるか良くわかるじゃろう。
 ここはテクニックを向上させる為に書いてあるとか、体力をつける練習を書いてあるなどと、全て理解出来る。
 しかし、本としてだけ読んでいる者がここの文法が間違っているとか言うのは、経験がない為に実際を知らないのだと判るじゃろう。
 そして、初心者は理解は出来ぬかも知れないが、とにかく本やコーチを信じて言う通りにやることで進歩していくじゃろう。
 それが経典の存在する意味なのじゃ。
 初心の者は経典を信じ、修行していくことで、少しずつ判るようになるのじゃ。

>>954>>955 うむ、己で考え、気付いていくというのは良い。
しかし、日本人を含むモンゴル人は宗教に疎く、宗教の全てが良い物であると思っているのは間違いじゃ。
 旧約聖書には異教徒を虐殺せよと記され、神の敵は殺せと教える宗教は多くある。オウムのように殺人教義を持っている宗教もあり、日蓮などは法華経の敵は害するのが一番の功徳だなどと言う者もおる。
 それら悪しき宗教は人を奴隷にし、殺人をも強要する。今、世界で起こっていることを良く見るがよかろう。
 宗教の奴隷になった者達が、殺戮を繰り返しておるではないか。

 お釈迦さまはこう言った。

 「 自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自己をよくととのえたならば、得難き主を得る」

 神は人の主ではなく、人は神の奴隷ではないのじゃ。
 人を奴隷にしようとする宗教は確かにある。
 みんな気をつけるのじゃ。

 しかし、>>955はなかなか鋭いのう。I円。
968神も仏も名無しさん:2007/09/17(月) 21:48:45 ID:D5wLMF9S
>>954
951です。すみません。言葉足らずの意見で。
多くの人に葛藤があります。
現実と理想の格闘が心の中でおきているからです。
そしてそれは意識しなくても表れてくるものです。
自己のある限り。
もちろん自己は概念でありますが、悟りに至らない限り自己は在るわけです。
苦しみの原因は葛藤です。
しかし、己を変えようとすればするほど葛藤は生じるのです。
ただ臭いものに蓋をしただけです。
だから自分に起きた現実を体験するわけです。
自分の起きたことを本当に洞察していくことが、葛藤を無くす方法です。
もちろん、その体験には大きな気づきや学びがあります。
>>967
へんなしゃべりは、なし・・・
970鬼和尚:2007/09/17(月) 21:51:12 ID:6cW+14Nn
>>962 それは一時的に身体の認識が消えたのじゃ。真の意識への一瞥ではある。
 しかし、まだ自我も認識も残っておる。恐れずに修行を進めるのじゃ。

>>966 わしの前前スレを見よ。己の頭で考えて、己で判断するのじゃ。 
>>970
(笑)
気取ってんの?
972962:2007/09/17(月) 23:15:14 ID:UX6RpJe0
>>鬼和尚さん
レス有り難うございます。
認識の大転換がおこったのでもしやと思ったんですが、まだ途中段階なんですね。
頑張ります。
973偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2007/09/17(月) 23:31:48 ID:Dj8kMxoJ
>>967
なるほど。

しかしそうなると「分からなくてもとにかく信じろ」という話になってしまうな。
そういうのは入門書としてはあまりいいものではないように思うんだが。
「神を信じろ」と大差ないような気もする。分からない人は分からないために
色々な解釈を生み出してしまい、そこに間違いが入り込むスキが出来てしまう。

ま、経典が一つしかないわけじゃないから、全体としてはこれでも大丈夫
なんだろうけどね。
974神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 03:56:40 ID:30hQNsVb
俺悟り開いたから全然眠くならないよ
975鬼和尚:2007/09/18(火) 21:11:44 ID:HWHmalVm
>>972 うむ、そのような感覚が生じるのは行力がついてきたからじゃ。自我が今までの常識から抜けだし、揺らぎ始めておるのじゃ。
 頑張るのじゃ。わしがついておるぞ。

>>983 初心の段階では信じるしかない。
 しかし、経典を読んで修行いくうちに、内容を理解して知ることが出来るようになる。
 そして、最後には悟りを得て経典が真実であると、証明することが出来よう。
 信、知、証の三段階が経典を理解する道なのじゃ。

 今日はこれくらいかのう。 
976神も仏も名無しさん
「空」に関しては論理的にも理解出来るので、縁起の法とか学ぶがよろし。
ダライ・ラマの著書が分かりやすいよ。