カトリックが何よりウザイ

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581CDU ◆2xKCm7UiXI
醜い国ジャップは世界の僻地で、文化的にも最後進国だったといってよかろう。今でもそうだが。

ジャップはそんな野蛮国だったから借り物文化で猿真似をして、自らの文化を築き上げるしかなかったのだ。

つまり醜い国ジャップにはキリスト教を批判できる論理的根拠など何一つないのである。

実際ここでもキリスト教批判は感情論ばかりだもんな。w

ズルズル汚い音を立てないと、スパゲッティやスープを食べることが出来ない糞ジャップは野蛮民族である。

信号のない横断歩道で歩行者が横断しようとしていても、車を停止させようとするドライバーがほとんどいない糞ジャップは野蛮国である。

世界に兵器それも大量破壊兵器への転用可能な品物を輸出しまくっておきながら、「武器を輸出していない唯一の平和的国家である」などと嘯くジャップは偽善国家である。

都合の悪いことは全部見て見ぬ振りをして済まそうとするのが、卑劣なジャップの常套手段だよね。
そんなことをしているから糞ジャップはいつまで経っても世界から信頼されない。

西欧においてカテドラルの壁やモアイ像に落書きしたり大声を出したりするなど、糞ジャップのマナーの悪さも世界中で有名。野蛮民族なのだから仕方がないのだが。
582CDU ◆2xKCm7UiXI :2009/01/24(土) 03:24:45 ID:cwgOmVla
ジャップはやはりドイツとは比較にならないほどの野蛮国なんだな。
というかドイツだけに限らず、多くのキリスト教国と比較してジャップはかなりの野蛮国。w

路上などの公共の場所での喫煙が野放しになっているなど、喫煙対策が未だに立ち遅れている醜い国糞ジャップは野蛮国である。

それ以前に糞ジャップは野蛮で低脳だから、何をほざいても説得力は全く生じないんだよねえ。
残念ながら。w

糞ジャップはそもそも低レベルな文化しか持っていないDQN国だから、そんな野蛮国の連中がキリスト教をどんなに誹謗中傷しても、結局負け犬の遠吠えにしかならないわけなのだ。w

全部借り物文化で独自の文化を殆ど全く持ち合わせていない『醜い国』の糞ジャップは、キリスト教を誹謗中傷できるような根拠がないのだから、それも仕方がないんだけどね。

「敵性語」なんて言葉を使うこと自体が低次元な糞ジャップの野蛮な発想なんだよね。そんな発想を持っているから戦争で惨めな大敗を喫してしまうんよ。w

とにかくね、糞ジャップは民族的に能力が極めて低いから自前の文化を築き上げるようなことはできなかったのはある意味仕方がないんだけどね。
ただ、現在糞ジャップが持っている文化は全て外国からの借り物に過ぎないのだということは、分かっていないといけないよ。
そういうことが分かっていないと、本来は良いものであっても、使用を誤って良くない効果を出してしまうことが往々にしてある。
自由とか個人主義といった概念も低脳な糞ジャップにはその実体の正確な理解が困難なようなので、意味を取り違えて誤用をしてしまうことがあることもそのことによるのであろう。
583CDU ◆2xKCm7UiXI :2009/01/24(土) 03:25:52 ID:cwgOmVla
諸行無常なんて、見たまんまじゃねえか。w
生々流転する被造物たる自然物や自然現象の背後にある永遠普遍の真理、更にそれを支配している全知全能の神を見出すことが出来なかったことが仏教の限界でしょうな。

例えば、氷が水になり更に水が水蒸気になるという現象を表面的にだけ見れば如何にも生々流転して変化しているように見えてしまうが、
実はH2Oという分子自体は何も変わっていないというが如しだな。
こんな現在なら中学生でも常識になっているようなことすら釈迦は分かっていなかったんだなあ。w

諸行無常や輪廻転生も科学的にありえんし、差別思想にもつながりかねない危険な発想だよね。
やはり釈迦はアフォやね。w
教祖がヴァカなら、信徒もヴァカ。
道理で仏教が影響力を持っていた地域においては科学が発展しなかったわけだ。
やはり東洋思想はダメだね。話にならん。消えるべき。

生れ落ちた直後に立ち上がり何を血迷ったか「自分こそ宇宙で唯一尊い」などと口走ったトンデモ勘違い思い上がり野郎の妄言なんか信じてんじゃねえよ。

「自灯明」とはオレ様正義を振り回せということであり、「法灯明」とは人類普遍の客観的正義たる法に従えということだろ。
こんな矛盾したことを平気で同時にいえるような奴は分裂症気味だよね。w

王位継承者である王子の身分に生まれながら、世の中が空しくなったとかわけの分からないことをほざいて、
後継者がいなくなればやがて路頭に迷うことになる恐れもある家臣・領民を身勝手にも捨てて出て行くような無責任野郎の言うことは信用できないよね。

生老病死が苦だと勝手に決め付けてネガティブキャンペーンをして布教活動していたのはどこのどいつだよ。
出家していくときも、高齢者や病人を見て彼らを惨めな連中だと思ったそうじゃないか。敬老の精神や弱者をいたわる感覚が欠如しているんじゃねえの。
だいたい、生老病死が苦だというのは、若くて元気で生きているのが当然のことだなんて傲慢な考え方を前提としていることになるよね。
人間は神のお恵みによって生かされているという基本的な認識が欠如しているのは不届き千万だ!
584CDU ◆2xKCm7UiXI :2009/01/24(土) 03:26:35 ID:cwgOmVla
殺生戒なんて実現不可能の絵空事な戒律作ってんじゃねえよ。
これを本当に遵守しようと思えば、人体の持つ免疫機能もなくさないとダメだよね。
死ねといっているに等しい。w
シャカは殺人鬼。
父の思いも無視して勝手に隠れて家出していった我が儘野郎で親不孝息子のゴータマ君は『家族の価値』など当然軽視していたんだろうな。

犬の生命も更にはウィルスや細菌の生命もその尊厳性において人間の生命と同等だとブッキョはいうんだろ。
逆に言えば、人間の生命の尊厳性もウィルスや細菌の生命と同等程度しかないと。
これが仏教の限界。
あまつさえ、「生命を奪った者は、自らの生命を以って償うのが「生命尊重の本質」」というが、ある生物の生命を守るために他の生物の生命を奪うというのが自然の摂理である。免疫然り、動物が他の動物の肉を食すること然りである。
したがって、このような考え方は「生命尊重の本質」どころか生物のその存在の基礎を奪う考え方であるばかりか、自然の摂理を真正面から無視した考え方である。
また、生命の尊重を言うなら、他人の生命はもとより自己の生命すらも勝手に処分することも認めるべきではないだろう。
他人の生命を奪ったものが自己の生命をもって償うということは、その罪の償いのための道具として自らの生命を扱うということを意味し、これは生命の価値軽視以外の何物でもなかろう。
死刑が未だに存在する醜い国糞ジャップは野蛮国である。

サービス残業という名の事実上のタダ働きが当たり前のように行われていて、経営者のやりたい放題が認められている醜い国糞ジャップは野蛮国である。
また後期高齢者虐めの保険制度をゴリ押ししたのも、糞ジャップが野蛮国であることの表れ。

花見などと称して公共の場で宴会を行い、多人数で酒を飲み奇声を発するというマナー無視の傍迷惑な習慣を持つ糞ジャップは野蛮民族である。

インチキ映画や暴力ゲームばかり制作して暴利を貪り世界で顰蹙を買っている○ニーみたいな悪徳業者も多いイエローモンキーの低脳糞ジャップは野蛮杉。

政府の方針に批判的な言論を行っている者を自衛隊が監視し、その名前をリストアップするなどというナチスまがいの蛮行がまかり通っているイエローモンキーの低脳糞ジャップはやはり野蛮国。
585CDU ◆2xKCm7UiXI :2009/01/24(土) 03:29:11 ID:slY8tDhB
しかし切支丹禁令高札の撤廃、すなわちキリスト教解禁を前にして、最後の大迫害が起こるのである。

明治政府は神道国教化政策を励行、そのためにキリスト教徒は生け贄となったのである。
浦上村では村民総流罪という浦上四番崩れが起こった(こちらを参照)。

五島では、徳川幕府の禁教令施行当時と同じような激しい迫害が行われる。
吹雪の海中に子供を立たせ仮死状態になったら浅瀬に引き戻す、炭火に掌を入れさせ吹いて燃え上がらせる、戸板を腹の上に置きその上に乗り腹水を出させる、などの拷問が行われた。
また六坪の牢の中に200人が押し込まれ放置された。排便の施設もなく全員立ったままで、全くの地獄絵であった。こうした状態で8ヶ月も置かれ、次々と倒れていった。死んだ遺骸を葬ることも許されず、五昼夜も放置され、死骸は変形し平たくなる有様であったという。
二年後残された者は帰宅したが、その後数人が死亡。帰った家は、郷民によって略奪されており、何も残されていなかった。
http://www.collegium.or.jp/~take/christi/rekisi5.html
586CDU ◆2xKCm7UiXI :2009/01/24(土) 03:29:45 ID:slY8tDhB
1609年日本に到着したフェレイラは、他の宣教師と同じように熱心に布教活動を行った。1614年の宣教師追放の折には、日本に残り宣教活動を継続する事になった。その後フェレイラは日本準管区長として、潜伏司祭達の柱として活躍する。
そんな彼も1633年ついに捕らえられることとなった。キリシタン教界は彼が殉教するものと信じて疑わなかった。

彼は、元天正遣欧使節の中浦ジュリアンと共に穴吊りの刑に処される。穴吊りは、この時代最も過酷な拷問と言われた。その内容は、1メートルほどの穴の中に逆さに吊す、というものであったが、そのやり方は残酷極まりない。
吊す際、体をぐるぐる巻きにして内蔵が下がらないようにする、頭に血が集まるので、こめかみに小さな穴を開け血を抜く、などそう簡単に死なないようにし、穴の中に汚物を入れ、地上で騒がしい音を立て、精神を苛んだ。

5時間に及ぶ拷問の末、フェレイラは転んだ。
その棄教の時、吐いた言葉は「南無阿弥陀仏」であったという話がある。

幕府は家康の祖法を守るため、仏教中心の思想統制を行っていた。キリスト教否定のために仏教を用いるのが幕府のやり方であった。
穴吊りで意識が朦朧とした者に刑吏が「念仏を唱えよ」と迫るのである。これが棄教した転びキリシタンに、どれほどの精神的苦痛を与えたかは計り知れない。

転んだフェレイラを待っていたのは、さらなる生き地獄であった。江戸の小日向にある宗門改方・井上筑後守政重の下屋敷(通称切支丹屋敷)で通詞として余生を送ることとなった。
沢野忠庵という日本名をつけられ、日本人の妻を強制的に与えられた。そして屋敷に送られてくる捕らえられたキリシタンに棄教をすすめ、宣教師との通訳を務めた。
彼は1650年長崎で死亡、戒名をつけられ仏教徒として葬られた。
ちなみに同じ時同じ拷問を受けた中浦ジュリアンは、穴吊りに屈せず殉教している。
587CDU ◆2xKCm7UiXI :2009/01/24(土) 03:30:12 ID:slY8tDhB
棄教を迫るための拷問は、どれも凄惨を極めるものであった。
火あぶり、雲仙地獄責め、竹鋸引きなど、残酷な方法が採られた。

火あぶりは、柱にくくりつけ、周囲に薪を置いて火をつける。苦しみを長引かせ、信仰を捨てさせるため、薪は柱から離してとろ火で焼いた。背教したければ逃げ出せるよう、くくる縄は弱く縛ってあったという。
他にも両手両足を引っ張って、回転させながらあぶることもあった。その際、口から煙が出たという。
また簑踊りという火刑は、手足を縛り簑を着せ、火をつける、と言うものであった。苦しみもだえる様が踊っているように見えることから、この名が付いたのである。

雲仙地獄責めというのは、雲仙の硫黄沸き立つ熱湯を、柄杓に入れて少しずつかける、という熱湯責めであり、気絶したり死にそうになったら手当てして同じ拷問を繰り返したという。

竹鋸引きというのは、路傍の柱にキリシタンを括りつけ、首に刀傷を付けておく。そばに竹鋸を置いておき、通行人にそれを引かせた。竹鋸のため切れが悪く、苦しみが長引いた。ホントに人間のやることか、とか思ってしまう。

他にも、木馬責め、切・支・丹の焼印押し、硫黄と灰を鼻に押しあて口を閉じさせる、前回書いた穴吊り、など苦しみが長くなかなか死なないような拷問が数多く採用された。
これらの拷問を考え出したのは、島原領主松倉重政、唐津領主寺沢広高、長崎奉行竹中重義らであった。彼らの非人道的な拷問はキリシタンに、過酷な重税による圧政は農民達に、それぞれ反感を買わせ、それが島原の乱へと繋がっていくのであった。
588CDU ◆2xKCm7UiXI :2009/01/24(土) 03:31:17 ID:beWEodFO
殺すだけなら斬首で十分、見せしめのためなら磔で十分である。このような残酷な拷問が行われたのは、キリシタン達の心を砕き殉教の栄光を味わわせない事、凄惨な拷問を見せ他のキリシタンを棄教させることがねらいであった。
またキリシタン宗は邪教であるから、どんな残酷な処刑も当然、というキリシタン邪教観を民衆に植え付けようとしたのである。
そして幕藩体制固めのための神仏中心の思想統制と、鎖国の口実作りに、キリシタン禁制は大いに役立ってくれたのである。
そのためキリシタンの処刑は残酷なだけではなく、神州が穢れる、と言う理由から、キリシタンの遺体は焼かれ、その灰は長崎の伊王島の沖まで持っていって捨てたという。
http://www.collegium.or.jp/~take/christi/rekisi3.html