480 :
神も仏も名無しさん:2008/08/03(日) 08:38:23 ID:PAlYAWyP
つまり、飯の量を減らすべきであると?w
感情は抑圧しないで手放すのが良い
抑圧してると反動がくるよ
482 :
神も仏も名無しさん:2008/08/04(月) 00:20:35 ID:7bsxTt7e
怒りは何かに対する執着やこだわりが強いと起きやすくなるね。
執着やこだわりというのは物事が「こうなっているべきだ」とか「こうなってはならない」
という想いだけど、実際に思い描いた通りの理想の状態になることは滅多にないから。
もちろん、滅多にないからこそ欲してしまうのかも知れないけど、しかしこれはやはり
苦を産む元になる。
483 :
神も仏も名無しさん:2008/08/04(月) 00:38:05 ID:7bsxTt7e
宗教関係でこだわりというと、たとえば自分の信奉する宗教の教えに固執したりする
というのがありそうだ。たとえば聖書には「隣人を愛せ」なんて書いてあるが、目の前には
隣人愛の足りない普通の人が沢山居るわけで、これは理想と掛け離れた状態だ。
ここで理想通りになっていないからと言って怒ってしまったところで、特に何も変わらない。
まあ、無茶苦茶怒って人を鞭打って無理矢理従わせれば実現するわけだが、
それはそれなりに大幅にその教えに反したことになるのが普通だろう。
少なくともその行為には全く愛がないし思い切り人を裁いている。
(敵だと思っているのならば「敵を愛せ」にも反する)。
484 :
神も仏も名無しさん:2008/08/04(月) 00:47:53 ID:7bsxTt7e
あと、執着心は恐怖や不安の元にもなるね。持っているものがなくなって
しまうかも知れないという恐怖ね。というか怒りという激しい感情によって
かき消されて分かり辛くなっているだけで、怒りが起きている時は恐怖や
不安などもワンセットで全部抱えた状態になっているような感じがする。
不安や恐怖に対する防衛反応が怒り、ということかな。
485 :
南無大師遍照金剛:2008/08/13(水) 17:32:41 ID:PM1hMhSL
ソフトやメンタル面ばかりを云々いうけど
心や精神作用に影響を及ぼすハードやフィズィカル面も考えないと
脳みそや肉体的に疲労が貯まってたり寝不足だったりするとねぇ
心や精神に及ぼす影響も尋常ぢゃないよね
486 :
南無大師遍照金剛:2008/08/13(水) 18:08:41 ID:PM1hMhSL
呼吸をするときは腹式呼吸だぁ
って拘ってる方もいらっしゃる
歌を唄ったり楽器演奏の時は腹式呼吸だ
でも声をだす
楽器を吹くは
どっちも空気を吐く時だ
空気を吸う時は胸式呼吸なんだよね
空気を吸う時は腹式呼吸より胸式呼吸の方が空気が入るから
腹式呼吸で息を吐く時に腹圧をかけないと肺に入った空気を全て出し切れない
ヨガではムルバンドーというテクニックを使う
瞑想の時に空気を最大限に肺に吸い
最大限に肺から吐くのが脳みそが一番良い状態だと思う
488 :
神も仏も名無しさん:2008/08/14(木) 00:01:13 ID:BM1OGi7v
ん? 俺は昔から普通の時は腹式でしか呼吸してないぞ? (特に何のこだわりもなく子供の時から)
昔聞いた話では、男は腹式が多くて女は胸式が多いらしいな。
オギノ式
490 :
神も仏も名無しさん:2008/08/14(木) 10:19:53 ID:fcHiTvC0
ヒッヒッフー と呼吸すると良いらしいな
呼吸って無意識にしてる
自律神経にも関係してくる
呼吸を意識すると
交感副交感にも影響してくる
腹呼吸とは横隔膜を上下させ肺を押したり引っ張ったりして
肺に空気を入れたりする
無意識呼吸=腹式呼吸ではない
意識する腹式呼吸と無意識でする腹式呼吸は動かす神経が違ってくる
神経が違うと緊張も変わってくる
吐くときは腹式呼吸で吐かないと肩に力が入る→胸や肩で吐くと筋肉の緊張が起きる
吸う時に腹式呼吸だと肺の下側だけしか膨らまない
空気は肺にしか入らない
肺に最大限に空気を入れる為には胸と腹の筋肉を使う
肺と胸の筋肉で肺の上と横を引っ張り
お腹の緊張を解放して横隔膜を下に下げ肺の下を引っ張る
そして吐く時は胸や肩の緊張を解き
胸肩の重さで肺を押し潰し
腹の力で横隔膜を上に押し上げ肺を押し上げる
胸肩の重みと横隔膜に挟まれた肺は空気を吐き出す
仏教の禅は座ってれば良いらしい
しかし
ヨガの瞑想は
座り+呼吸をより最大限に酸素を取り込み
酸素を身体中に脳みそに行き渡らせる工夫をする
そして脳みそをクリアーに免疫力をアップさせる
健康になることが目的におかれる
実は漕洞宗だったりする (`▽´)
地味に大悲心ダラニが好き
ブッチョウソンショウ
イッサイニョライシンヒミツゼンシンホウキョウインダラニ
アミダニョライコンポンダラニも詠む
495 :
神も仏も名無しさん:2008/09/08(月) 22:04:36 ID:J4YGN1Zl
近所の部屋から笑い声が聞こえてくる。
ダウンタウンの番組の時間帯は大体聞こえてくる。
腹から笑っているように聞こえる。
不思議に思うおれがおかしいのかな。
497 :
南無大師遍照金剛:2008/09/11(木) 11:48:58 ID:yP2eAhV9
いくら怒りや憎しみを抑えてもきりがないケースもある
498 :
南無大師遍照金剛:2008/09/11(木) 11:52:07 ID:yP2eAhV9
お釈迦様がおっしゃるには救いようがないものもあるそうな
説法が通じない相手
俺の親父はじめ俺の親父系の家系がそう
人を憎み恨み陥れ
自分自身程素敵な人間はないという
本当に救いようがない
善の心を捨てない限り怒りは消えないとおもう。
500 :
南無大師遍照金剛:2008/09/11(木) 11:54:26 ID:yP2eAhV9
お前が悪いから
お前が邪魔をするから
と全部他人のせい
何故他人がその様な態度を取るのか?考えない
俺程素敵な人間はいない
だから全部お前が悪い
居るんだね
こんな素敵な人間
俺の親父に俺の祖母
501 :
南無大師遍照金剛:2008/09/11(木) 12:00:30 ID:yP2eAhV9
お釈迦様が仰るには
悪いと思ってやる人を改心させることは出来る
しかし
悪いと思わず敢えてやる者は改心させられない
と
何故か?
そもそも悪いと思ってやるなら説法をも通じ悪いことは駄目ですよと諭すことも出来る
でも
悪いと思わず気づかない者はどのような手段を払い講じようが気づかない
正に俺の親父の家系
502 :
南無大師遍照金剛:2008/09/11(木) 12:03:17 ID:yP2eAhV9
ごめんなさい
親父
飽きたから
あんた無理だべ
どうにもならねーわ
息子恨んでくれや
503 :
南無大師遍照金剛:2008/09/11(木) 12:32:59 ID:yP2eAhV9
俺の祖母
俺が小さい頃から天理教の神様使って生き霊送ってくる
俺も自分自身で頭が変だなと
俺も知恵着けて何か知らんが自衛して跳ねのけてたら
跳ね退けたものの殆どは祖母に帰らず
親父直撃
頭と心の弱い親父あボーン
一番の被害者は親父だろうね
親父があボーンした時に真言宗のお坊さんに頼んで降霊させたら祖母の生き霊が降りてきた
504 :
南無大師遍照金剛:2008/09/11(木) 12:38:42 ID:yP2eAhV9
降霊させた霊曰く
お前が全部悪い
と
親父が機嫌悪くなる時の口癖(笑)
真言宗の坊さん曰く
祖母の怒り憎しみが親父に取りついて現してる現象だと
だから
俺も我慢したさ
しつこく繰り返される
お前が全部悪い
という言葉
でも飽きた
自分
>>1だけど。
いまさらながらタイトルのつけ方がまずかったとおもうんだ。
「制する」だと、ともすれば、怒りを敵対視することになる。
家族のように、「付き合う」しかないんだよね。結局。だって怒りも自分自身なんだから。
無論、野放図に発散するものでもない。
無自覚に爆発させるものではない。
取り付かれて振り回されるべきものでもない。
「怒り」なしで生きられたらどんなにいいだろう?
でも、実際に湧き出るからね。
「怒り」付きの人生を、うまく共存できたら、それは自分を向上させる「教師」になるかもね。
>>504 こんなスレ立てておいて、言うのもなんだけど、
「怒り」なんて、それ自体は、自然な感情だと思うんだよね。
自然現象であるとしたら、自分を責めることは、いっさい無いし、「我慢」の対象でもないと思う。
不用なものなら、人間に備わってないでしょう。
ただ、それに飲み込まれれば、自分を失ってしまうし、まわりにもよくない。
「あ、怒りだ」と自覚して、それでもう勝利だとおもうんですよ。
人それぞれの「課題」だと思うんだよね。「この怒り」は、自分にとってどんな意味があるんだろう?
それは頭では答えがでない。身体に聴いて見なければわからない。
まず、自分の「怒り」を許してみようよ。
できれば、相手と切り離して。でないと、自分が苦しいからね。
自分では全然出来てないけどね。
507 :
1:2008/09/11(木) 13:32:28 ID:zlNYE4QV
仏教でで大事なのは「慈悲=受容」だという。
ならば、自分自身の「怒り」に対しても、「慈悲」「非暴力」でいかないと。
「怒り」に対して「出て行け!」「消えろ!」というのは、「暴力的」だ。
そんな対応されたら、「怒り」も悲しいだろう。
かといって、「怒り」に取り付かれて同一化するのもまずい。
相手をするのでもなく、いっしょに遊ぶのでもなく、
やがて去っていくお客として、心の庭を貸してやろう。
「またきなよ、勝手に遊んでいけ」と、客観視することができたら、自分の成長につながるんじゃないかな。
難しいけどね。
508 :
南無大師遍照金剛:2008/09/11(木) 19:40:38 ID:yP2eAhV9
戦争の時代
戦争の無い国に生まれて良かった
509 :
神も仏も名無しさん:2008/09/12(金) 04:25:20 ID:JMMQwPNX
「自分は人からバカにされている」という思い込みは怒りを起こり易くさせる。
問題は馬鹿にされている事実そのものよりも、それを自分がどれくらい気しているかだな。
そもそも馬鹿にされていると思うのは、自分ならこういうとき人を馬鹿にするだろうということがわかってるからだよな。
俺自身、いつも胸にきざんでることがある。「嫌悪」 には、「同族嫌悪」以外無いということだ。
あらゆる嫌悪は、己の中の同族によって引き起こされる。
511 :
神も仏も名無しさん:2008/09/12(金) 15:55:56 ID:JMMQwPNX
「自分のものだ」と思っているものが多ければ多いほど、怒りは起こり易い。
人間は自分が何も持たずに素っ裸でこの世に産まれてきたことをすぐに忘れる。
512 :
神も仏も名無しさん:2008/09/13(土) 04:09:39 ID:NbfyIx25
>>510 そう。同族だ。同じ価値観を持っているから馬鹿にしたりされたりということが実現可能になる。
たとえば東南アジアには首長族というのが実際に居て選ばれた女性は首を長くするための
金属の輪を首に付けるが(実際には首が伸びているわけではなく肩が下がっているらしいが)、
それは首の長短に意味があるからであり、長い方が特別だからだ。つまり、それによる価値
尺度を彼らは持っている。だから首が長い者が首の短い者を馬鹿にするということも可能に
なるだろう。しかし、彼らが日本にやってきて首が短いということで日本人女性全員を見下して
馬鹿にしたとして、我々は何も感じないだろう。むしろ彼らの姿は奇異なものと受け取られ、
彼らを笑う者も居るかも知れない。価値観が全く違うからだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E9%95%B7%E6%97%8F
嫌韓と嫌日、親韓と親日でわけたほうがいいわけか。
514 :
613:2008/09/13(土) 16:14:04 ID:PjVsR8iz
>>505>>506>>507 この前、たまたまここがagaってたので見れて、初レスなんだけど、
とっても良いと思うよ。
それでこそ自在だと、思ったりする。
そこまで考えが至れれば、後は好きに起こったり、喜んだりしても良いと個人的に思う。
515 :
神も仏も名無しさん:2008/09/13(土) 17:21:28 ID:WAaMIT+m
理屈はよく分からないが経験上言えることは、怒ったら勝てないということだ。
怒りは勝利を困難なものにしたり失わせたりする。たとえ勝ってもそのために
払われた犠牲の方が大きくなりすぎて喜べなくなる。博打で10万突っ込んで最後に
1万勝つみたいな感じだ。おそらく頭に血がのぼって冷静な判断力が失われ間違いに
気付かないことが増えるからだろう。特に博打は分かりやすい。日頃は昼飯代を
ケチって安いもん食ってるようなやつでも博打の時は平気で何万も出す。ものの
価値が分からなくなっている。よくよく考えてみれば異常なことだし狂っている
と言えるだろう。
516 :
神も仏も名無しさん:2008/09/13(土) 18:19:18 ID:WAaMIT+m
>>507 怒りは肯定も否定もせずただ観察を続けるしかないかもね。否定すりゃ余計に
大きくなるし肯定すりゃつけあがる。触れないように注意しながら観察続ける
しかないような気がする。生えてきた強烈な毒を持つ毒キノコみたいなものだ。
毒がとても強いので触れない。触れば散々苦しんだ挙げ句死ぬ。そんな毒キノコが
庭に生えてきたのと同じだ。そういう場合は一定の距離を保ち監視しつつ触れ
ないようにして、栄養を与えないようにして根絶やしになるか変質して毒性が
なくなるのを待つしかない。
517 :
507:2008/09/13(土) 19:07:28 ID:n3yq9tnZ
>>514 はじめまして、自在になれればいいんですが、振り回されることしきりです。
以前チベットのマンダラで、修行者がゾウ(感情)に振り回され、やがて飼いならし、自分の
パートナーとする、というものをみました。でも、ゾウを殺すことはしないんですね。
>>516 完全に同感です。
それが人の自然な生き方でしょうね。
庭を観察するように、心とつきあいたいですね。
アリンナ・ワイスマン「やさしいヴィパッサナー入門」より(P52〜53)
「ある人物にまつわる話が頭から離れず、それに関連して嫌悪感が出てきた場合には、
その話の筋を追うのをやめて、意識を身体に戻すことが助けになります。
心の中で"彼らが私にした仕打ち"を何度も繰り返す代わりに、胸のあたりにあるこわばり、
のどの焼けるような感覚、アゴのあたりの緊張が何であるのかを調べていくのです」
「嫌悪感を、その原因だと感じられるものから引き離して、無自覚に反応してしまうのではなく、
注意深く吟味して見ることは出来ないでしょうか?嫌悪とは実際にどんな体験なのでしょう?
身体的にはどのように感じるのでしょう?
開かれた感じですか?それともこわばるような感じですか?」
「私たちは、自分の手持ちの話については裏も表も知り尽くしています。
それについて再び考えてみても何の学びにもなりませんし、幸せにもつながりません」
「中立的な対象(呼吸・体)についての意識に戻ることによって自覚が強まり、
そして自覚こそが困難な情況を解決する為の助けとなるのです。」
↑怒りの対処として、身体に意識をむけるというのは、フォーカシング、プロセス指向心理学などとも共通するようです。
相変わらず、怒りについて、いろいろ本を読んで対処法を勉強中です。
ちょっと抜書きして書いてみます。長文なのでうざければスルーしてください
どれもよく似た内容です。
ご参考になれば・・・
「痛みと身体の心理学」(新潮選書)より
「自分が怒っている場合、体に気持ちを向けるとよいと思います。
すると怒りが対象化され、分化されていきます。」
「怒りや攻撃性は単に悪者扱いされ抑圧されるべきではありません。」
「その一方、怒りの盲目的な開放は短絡的すぎます。
それでは他者を傷つけ、自らを崩壊させるだけの結果に終わってしまうでしょう。
どうしたらよいでしょうか。」
「抑圧、排出された怒りは水で薄められ一見解消されたように思えても、
実際には消失することはありません。それは消えうせることなく、比喩的にいうと、
ある種の生命力のようなものを携えた浮遊霊や邪気のようなものとして、フィールド
に生きつづけます。排除、無視され「悪霊」となった怒りは、自らを表現するために憑依する
獲物、相手を狙っていることでしょう。」
「抑圧するのでも衝動的に解放するのでもなく、関わる、関与する、付き合う、対話する
という姿勢を大切にしましょう。そのためには抑制(抑圧ではなく)が必要です」
↑この本には、怒りと付き合うためのワークものってました。
「怒りに頭をたれる」ことで、対象化し、距離をとることもできる、とか。
ちなみに、チベット密教で、憤怒仏に供物を捧げるのも、そうした「怒りの対象化」としての儀礼であるとのことでした。
ティク・ナット・ハン「仏の教え ビーイング・ピース」より
「怒りを戦いの相手とすべきよそ者とは、わたしは考えないでしょう。
また、外科手術によって除去すべき、不適当なものとは、考えないでしょう。」
「(自分と怒りは)非対立であり、しかも二つではないのです」
「思いやり、愛、やさしさ、非暴力をもって、私は自らの怒りに対処しなければなりません」
「ちょうど弟か妹の世話をするように、愛と思いやりをもって、怒りの世話をしなければなりません」
「怒りを絶滅させることは、自らを絶滅させることです。そのように怒りに対処することは、
自らを戦場に変え、みずからをぶんだんして、一方をブッダの味方にし、一方を悪魔の味方にすることになります。このように各線苦闘することは、自らに暴力をふるうことです。」
「怒りを感じたとき、はっきりとしたこころをもって、私は怒っている。と自らにいい聞かせるべきです。
ティク・ナット・ハン「微笑みを生きる」より
「腹が立ったらすっかり自分を忘れてしまい、自分を起こらせた相手の粗雑さや
不正直さ、残酷さや正悪さといった悪い面ばかり考えたくなります。
相手が嘘つきで嫌な人間だというのは、本当かもしれないし、
ただ自分がそう思っているだけかもしれないけれど、問題の根っこは腹を立てている
心のほうですから、私たちはまず自分にもどって、自分の内側を調べて見なければなりません」
「息を吸って 怒りがここにあると気づく
息を吐いて 怒りは私だと気づく
息を吸って 怒りは不快なものだと気づく
息を吐いて 怒りは通り過ぎてゆくものだと気づく
息を吸って 私は静か
息を吐いて 私はこの怒りを毅然として迎える」
「気づきは怒りに気づいても、抑圧したり追い出したりしないで、ただ見つめているだけです。
これがいちばん大切なことです。気づきは裁判官ではなくて、妹をいたわり慰めてくれる
おねえさんのような存在です。」
以上ですが、自分の怒りに「しっかり気づく(対象化)」「排除しない(受容)」「怒らせた相手を追わない」
をポイントとして、最近は心掛けています。
1さん、大変参考になった。ありがとう
523 :
たいら:2008/09/14(日) 10:38:36 ID:yrQR7yqt
祈る。人類の希望のために祈る。わたしたちはすべて一体だ。わたしたちはすべて一丸となって真新しい夜明けを迎える。その暁に、豊穣と自由が与えられる。父よ、大地に幸いあれ。
>>516さんのレスを参考にして、
心を庭のように観ることにしました。
怒りのときは「あ、キノコが生えた」、喜びの時は「あ、花が咲いた」と。
キノコはいずれしなびていく。
花もいずれ枯れていく。
諸行無常で、悲しむことも喜ぶことも無い。
これも、仏教的なものの見方かな?と思います。
多くの植物(感情)を受け入れることができる、できるだけ大きな庭(心)を持ちたいと思います。
そして自分は、その庭の鑑賞者となりたいと思います。
世の中って嫌な奴ばっかしだと思ってたけど最近すこし減ってきたような気がする。
多少冥想とかの効果出てきたかな
526 :
神も仏も名無しさん:2008/09/19(金) 01:21:14 ID:9PhzRYZ4
自分が変わると世界が変わったように見えるもんだ。
変わるというか、眼鏡のくもりが取れた感じか。
527 :
神も仏も名無しさん:2008/09/29(月) 00:20:20 ID:1w+EsEXY
ヴィパッサナーはじめたら、すこしづつすこしづつコントロール出きるようになった気がする・・・。
イライラしてる母親も可哀相。
自信がなくて防衛的にふるまってしまう父親も可哀相。
という視点が出てきた。
いままでは自分は被害者だと思って腹が立ってたけど・・・。
いまでも腹は立つけど・・・。
528 :
神も仏も名無しさん:2008/09/29(月) 19:55:38 ID:dp8Ua/oR
ヴィパッサナーを苦なくできるっていいなぁ。
しばらく続けてたけど、すぐに眠くなってたりしてた。
オレはホ・オポノポノ。
やっと苦なく続けられるものが見つかった。
529 :
神も仏も名無しさん:
ホ・オポノポノいいよねえ。
あれはマントラみたいでもあるな。