>>214 元々は自分の命を守るための原始的なものだったんだろう。というのは
動物も怒るからね。で、動物がどういう時に怒るのかというと、縄張りに
入り込んだ場合だ。縄張りというのは自分の領域だ。拡張された自分の
体の一部と感じている領域だ。その領域は要するに自分の家の敷地の
ようなもので、動物の場合はそこで餌を捕って生活している。だから
その領域が踏み荒されたり奪われたりすると餌が捕れなくなるので命に
かかわる。それで怒って威嚇して追い出そうとする。この性質が人間に
そのまま受け継がれている。(但し物理的な領域だけでなく思想にまで
拡張された形で。物理的なものは人間の場合はとても範囲が広くて、
国土だ。国土が他国に侵略されると怒って追い出そうとする)。
つまり、怒りというのは「自分」と思い込んでいる領域が侵略された
と感じた時に起こるということだ。悟った人に怒りが起こらないのは
この「自分」が幻想で、本当は存在しないものだと分かっているから
だろう。逆に、怒りっぽい人というのが居るが、そういう人は「自分」
が拡張され過ぎている人ではないかと思える。本当は「自分」ではない
ものが傷つけられているのに「自分」が傷つけられたのと同等に感じる
ということだ (たとえば特定の芸能人をけなすと怒るとか、特定の
コンピュータのOSをけなすと怒るとか、特定の宗教やその教祖を
けなすと怒るとか、そういうのはそこまで「自分」が拡張されている
ということだろう)。だがそれが幻想であることは特に修行をしなくても
誰にでも明らかだろう。物理的に切り離されていて明らかに「自分」
ではないからだ。そこには精神的な継りしかない。