グルジェフが使った、そして@さんが好きな「自己想起」という言葉、
ですが、私はこの言葉を聞いた時にラマナ・マハリシを思い出します。
「自分は誰か?」という内面への問いかけは究極の自己想起です。
自己想起は内面への「問い」です。
観察した上で、また観察の前に「それは何か?」と問うことです。
観察と自己想起、言葉は違いますが、両方とも意識的でなければできません。
<観察の場合>
怒りがあるとします。
わたしの怒りの観察をします。まず、私が怒っていることを素直に自認します。
反応があるところに「認識」はありません。「反応」しかありません。
自分の怒りを自認すると観察の80%は終わりです。
私が自分の怒りを自認すると、怒りに繋がっている様々な記憶、思考パターン
等々の連鎖に気づきます。そうすると私の怒りのルーツについての理解が
あります。それは怒りの問題ではなく、私の誤解とか事実に対する錯覚である
ことが明らかになります。
<自己想起の場合>
怒りがあるとします。
「それは何か?」と自分に問います。その時、内面に注目が行きます。
怒りを怒りとして自認します。以下、観察の場合と同じです。