285 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :
再起・挫折・再起・挫折を繰り返すことは確かに大問題だが、貧困は大問題ではないのか。病
気は大問題ではないのか。圧政・戦争・飢餓・天災・政情不安は大問題ではないのか。こういう
反論は当然あるだろう。貧困・病気・圧政等も、人類が立ち向かわなければならない問題であり、
再起・挫折を繰り返す輪廻も立ち向かわなければならない問題である。いずれも大事な問題だと
いうべきだろう。貧困や病気や圧政などについては、その解決に向け、社会的には様々な提案が
なされている。我々は、こうしたそれぞれの提案に、適宜耳を傾けながら取捨選択し、必要に応
じ、立場立場で必要があれば逆提案をすることもある。
輪廻の問題もそうした発想と決して矛盾するものではない。我々仏教徒は、輪廻の問題につい
ては釈迦の仮説的提案に耳を傾け、釈迦が提案した方法論を、自分の生き方の中で試験的に、
あるいは継続的に実践してみようと選択した人々である。僕はそう考えている。
十二因縁の仮説とは何か。十二因縁の仮説は十二個の単語が続いている。無明・行・識・名色
・六処・触・受・愛執・有・生・老病・死、である。十二個の単語は経典間によって若干の揺れ
があるが本質的な相違ではない。
286 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2007/11/09(金) 09:49:28 ID:sl0Nxim5
本源(過去因)
ああ、俺は馬鹿だった。俺は本当に馬鹿だったんだよ(無明《根本原因》)。馬鹿だったから
あんな衝動が涌いた(行)。
現状分析(反省)
馬鹿だったからあんなことを考えたんだ(識)。知恵も分別もなく衝動が涌いた。そんな考え
が涌いたからこそ、あんな事物を意識した(名色)。あんな意識が涌けば、ものごとはみんなそ
っちの方に見えてきた。耳に心が宿って聞こえてきた。目に心が宿って見えてきた。感情に心が
宿って感情が動いてきた(六処)。耳に不快なものは避け(触)、耳に快い方に心は向かった
(受)。
現状分析(束縛)
そうなれば物事に執着が現れる(愛執)。執着は積み重なっていく(有)。
未来分析
執着すれば繰り返し繰り返し再起しなければならない(生)。繰り返し繰り返し再起すれば繰
り返し繰り返し彷徨・疲弊する(老病)。愚かな行為は、今後も繰り返し繰り返し挫折するだろ
う(死)。
287 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2007/11/09(金) 09:51:35 ID:sl0Nxim5
釈迦の主張と従来説の違いは、無明という概念を出したことだ。それ以前には、輪廻の根元は
欲望にあると考えられていたようだ。欲を断てばいい。理想主義(色界主義)はそう主張する。
欲さえなければ人は迷うことがない。そう考えられていた。しかし、欲を断ってもなかなか迷い
は尽きない。これに対し、欲を断っただけでは駄目なんだという主張もあった(無色界)。それ
じゃ何が原因なんだというところで、行き詰まった。釈迦は無明という概念を提案したのである。
迷いの根元は無明にある。この仮説は、大乗仏教・小乗仏教の全てを貫徹する共同認識であり、
この仮説を否定する思想は仏教ではない。では無明とは何か。無明とは、方法論が無いという現
実である。これを考えていこう。