事情はわからないけど
信仰って頭で小理屈並べ立てるようなものじゃなくって
生活そのものだよってこと。
なんつか夜道の灯火になるようなものじゃない?
904 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/29(火) 21:15:48 ID:xhLvJIgP
905 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/29(火) 21:32:50 ID:xhLvJIgP
地上にある教会は、
イエスの言葉を聞き、イエスの教えを学び、静かに祈る場所であるべきである。
他の信者の人格や、説教をする神父や、牧師の人格などあなたの知るところではない。
本来、父なる神との関係は、あなたと、父の関係であり、他者の人格など関係ないものである。
信仰の薄い者よ。別に他人の人格など、どうでもいいではないか。
問われているのは、他人の心ではなく、あなたの心なのだ。他人がなにをするかではなく、
あなたがなにをなし、どう生きるべきかが問われている。
別に地t上のコミュニティーにすぎない、教会にこだわることはない。
イエスの言葉を聞き、彼の教えを学ぶのなら、あなた一人でもできることだ。
そして、静かに祈る場所は、そういう場所であれば、別に教会でなくともいいのだ。
教会という場所、クリスチャンを名乗る人の人格が、あなたの信仰を揺るがすのなら、別に、
彼らとかかわることもなければ、教会という場所に行くこともない。
信仰の薄い者よ、他人が、あなたの信仰を揺るがすのなら、ただ独り歩め。
父なる神との関係は、本来は、あなた独りと父との関係なのだ。
もしも、聖霊の導きにより、地上に父なる神の栄光を表す者がいれば、喜び勇み、共に歩め。
彼らが集まる所に、地上に、真の教会を表すだろう。
エクレーシア。それは真の集会。彼らは地上に父なる神の栄光を示し、地上において、
真の教会を現し、そして、肉を捨て去るとき、父の御許で、一つとなる。
エクレーシア。それは、集会のことである。
906 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/29(火) 21:51:42 ID:xhLvJIgP
肉の復活について。
それはあるが、それはあなた方の思っているものではない。
言葉は肉と共にあり、霊も、肉と共にある。
これらは切っても切れないものである。これらが消滅する ”時” とは、
父なる霊が、全てを休んだ時である。だが、これは消滅と表現するのは正しくはない。
なぜなら、完全な消滅、本当の意味での、無になるのなら、再び目覚めることはないからだ。
愚かな仏教徒達は、涅槃の境地を、激しく誤謬している。それは、無のようで、無ではないのだ。
では肉の復活とは何か?それはグノーシス的に表現すると、我々の外側に向いている子宮を、
再び、内側に向けることなのだ。それはすなわち、多は多。一は一。という自我の世界ではなく、
一は多。多は、すなわち一。ということである。本来見られるものと、見る者は、同じであるが、
見られる者は、見る者を認識しない。だが、見る者は、全てを認識している。
これはどういうことか、どうたとえようか?それは大海原に似ている。自我とは、大海原に生じた波のようである。
その波は、煩悩によって生じる。その波は、他の波と干渉して、また新たな波を生み出すだろう。
個々の波は、それぞれの波を知らないでいるが、大海原は、全ての波を知っている。
なぜなら波は、彼の一部であり、彼自身だからである。煩悩により生じた波は、煩悩が増大すると、
大きくなり、なかなか消滅しないであろう。だが煩悩を滅した波は静まり消え、再び静かな大海原にもどるだろう。
肉の復活の真の意味を悟る者は、幸いである。
907 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/29(火) 21:58:29 ID:xhLvJIgP
>>897 暇人さん。ところであなた、嫌韓房なのかい?
908 :
神も仏も名無しさん:2007/05/29(火) 22:48:57 ID:p9XISxez
909 :
神も仏も名無しさん:2007/05/29(火) 22:52:03 ID:p9XISxez
あーも、また来てしまった、ムータン、現実、ってキリスト教の現実の事を言ったのよ、
言ってることは素晴らしい事を言ってても、その宗教のやってる事現実が違うっていう
意味だったのよ、私自身も2ちゃんなんかしてて堕落してるといえばそうだけど、
ところでムータン最近元気ですか?元気じゃなさそうになんとなくみえる・・違うならいいけど・・
ムータンになんかいいみ言葉をと考えたけど、すぐには思いつかなかった、考えとくね、
じゃあね、ばいばい。
人に躓いてるんじゃない・・イエス様に躓いてるようなもの・・
913 :
暇人No2:2007/05/30(水) 05:47:22 ID:1LjF3cJf
914 :
785:2007/05/30(水) 06:27:45 ID:oViLC2WE
なんだかすごい人そうなのでカラスの唄さんでも良いです。
遠藤周作さんの作品はカトリック・クリスチャンの方からみて
どういった位置付けなのでしょうか?
個人的に彼の作品はキリスト教徒の彼が書いたという事にも
大きな意味があるのかな、と思うのですが。
内容も重たいものが多いですし、どう読まれているのでしょう?
どんなにご立派なことを並べても他者を見下すような物言いや決め付けはどうなんでしょう?
好き嫌いで「地獄に落ちるわよ」と言い切る細木さんと大差ないように思われるのですが。
馬鹿だの凡夫だの、信仰うんぬんではなくて人として品位を疑われると思うし
信仰の為なら他人をあざけったり蔑んだりして良いのですか?
そういう教えでもあるんでしょうか?
915 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/05/30(水) 07:12:07 ID:A2BgPX99
その人の性格の問題でしょ...日頃の社会への鬱憤か、劣等感か
ヒステリーが溜まってるだけよん...笑いものにしてやりゃいいんだよん
>>911 人を見ては躓いてしまいます。ただ神様だけを見ていて下さい。
神様はあなたを招いておられます。心に平安がありますように。
917 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 08:49:53 ID:bs+ZlC9v
初歩的な質問ですが、バブテスト系は日本バブテスト連盟と日本バブテスト同盟とありますが、それぞれの違いというのはありますか?
>>911 もちその可能性もちゃんと考えてたよ。
確かに現実は、酷いもんだね。牧師と言ったって見渡す限り
勘違いして「牧師」って肩書きにだけ酔ってるだけのが多いし。
何が問題かと言えば、結局は自分の立場を守ろうとする我執が全ての悪因だし
苦の原因でもあるね。
聖書が悪いワケじゃない。聖書は道具だから。
神様はイスラエルだけを創造したワケじゃなく世界を創造したんだから
西洋思観だけじゃなく東洋思観の本も読んでみたらいいカモね。
私は東洋思想を読んで大きな気付きを与えられたよ。
結局は「自分が正しい」ってエゴが争いの元だから。
創造は神様が見て「良し」とされたものだからね。
ところで、最近は比較的調子いいです。
宗教は大分適当になって仕事にかける比重が増えたかな。
言葉は適当に。皆言葉に狂い迷うのだから。
言葉はツール。
雪ちゃんもあまり考え込まないで適当に創造を楽しもう^^
>>898 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。(ヘブライ11・1)
と書いてあります。自分の目で見て聞き、また触れて、確かめられること以外は信じられないと
するならばそれは唯物主義ですよね。しかしわたしたちはまだ見ぬ事柄である死後の生を信じて
います。主イエスの時代に生きていないにもかかわらずわたしたちは十字架と復活を信じました。
これが[信仰]です。
921 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 20:45:48 ID:u5bZFGHk
>>914 >遠藤周作さんの作品
僕はクリスチャンじゃないが、遠藤周作の作品はローマカトリック
的にみたら完全な異端だと思う。
中世だったら間違いなく火あぶりだなw
922 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/30(水) 21:07:10 ID:1MePNE7o
>>912 >イエス様に躓いてるようなもの・・
なら、もうあなたには何も言わず、私は足の塵を振り払おう。
人の子は天に上げられ、獣は地に下る。
塵から生まれた者は、塵に。私は彼らの前で、足についた埃を振り払おう。
救いに与かる者は、命の言葉を聞き分け、それに従う。
また今は聞かなくとも、いずれ聞くようになる。
だが、滅びる定めの者は、決して聞こうともせず、言い逆らい続けるだろう。
兄弟よ、聞こうとしない者に、無理に聞かせてはならない。
なぜなら、あなた方が天と呼ぶところが、混乱するからである。
だから聞こうとしない者に、無理に聞かせるな。
あなたが無理に聞かせなくとも、命に与かる者は、いずれ、命の言葉を聞き、従う。
だから話しても聞こうとしない者は、そのままにしておき、ただ、
彼、彼女達が、再び、命の言葉に耳を傾けるよう、祈ってやれ。ただそれだけでいい。
そして再び、彼ら、彼女らがこちらに来れば、そのときは、あたたかく迎えてやれ。
その人は、父の元で永遠に結ばれる、あなた方の兄弟である。
923 :
ルー:2007/05/30(水) 21:10:48 ID:xCYjanby
924 :
暇人No2:2007/05/30(水) 21:18:14 ID:okGuPORv
返事なしかね。。。カラスの唄さん
925 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 21:19:06 ID:u5bZFGHk
作家としての欲求を押さえ切れなかったんだよ。作家にとっては殉教
者よりは棄教者、例えば"転びバテレン"の方が遥かに魅力的な題材だ
からな。
キリスト教に自己流解釈加えた上で自分が洗礼を受けたカトリック教
徒であることを公言して憚らずにあんなもの書けばそりゃカトリック
関係者から非難されても当然だわ。
俺はクリスチャンではないからとりあえず何でも受け入れて読めるけ
ど、マジメなクリスチャンが読んで抵抗覚えるのも無理無いと思う。
「そもそも、踏み絵がタブーって偶像崇拝じゃね?」
というのはさておいても、極限状態の中、他の人を救うためといって
も棄教したことに対してずっと罪の意識は持ち続けると思うよ。
"声"が聞こえたといっても、それは本当の"声"か?自分の罪悪感打ち
消すために自分で造った幻じゃね?って自問自答し続けるよ。
(別に転ばずに死ねって言ってるんじゃないよ。)
"沈黙"って浄土真宗信徒からは大絶賛だったらしいね。
926 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/30(水) 21:23:00 ID:1MePNE7o
凡夫は凡夫だ。凡夫と言われて悔しいのなら、凡夫と言われないよう、
己のエゴを他人に押し付けることなく、少しはこちらの話を理解してから、ものを言えばどうだ。
何も知らない無知な者が、凡夫丸出しの知恵で、我々に説教をしてくるのは非常に笑える。
肉を持つ我々に、躓きは避けられないだろう。それほどまでに肉の思いは凄まじい。
はなからその思いを制御できるのなら、この世には生まれてきていない。
それができないから、今この世に生を受け、この世界に我々は自我を持ち、この世界に死人として
生きている。躓きは避けられないが、善意で語る者の心を汚し、躓かせる者は、もっと
罪は重い。真理を語る者の邪魔をし、彼らを躓かせる者は不幸だ。彼らは死んだほうがましである。
なぜなら、そのほうが彼らの為であり、皆の為である。彼らはその業による報いを、
いずれ自分自身が支払うことになるだろう。功徳といってもいろいろある。
中でももっとも尊ばれることは、真理を述べ、伝える事である。その彼の邪魔をし、
語る彼を躓かせるばかりか、結果、皆を躓かせる者の業は、押して知るべきである。
彼は、自ら命の門を閉ざすばかりか、皆の命の門をも、閉ざす。
>>"沈黙"って浄土真宗信徒からは大絶賛だったらしいね。
へぇ
なんでだろ?やっぱ大日如来の方が本物なのだ!なんてオチじゃないよね?
928 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 21:38:02 ID:u5bZFGHk
>>927 遠藤氏の描くイエスって罪人を裁く訳でも奇蹟を起こす訳でもなく、
ただただ苦しんでる人の手を取り一緒に苦しむだけだからな。
キリスト教でいえばイエス様よりはむしろマリア様に近い。
地母神的っていうかキリスト教的じゃないよ。
929 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/30(水) 21:42:47 ID:1MePNE7o
>>914 遠藤周作?
全く興味なし。興味がないので、コメントのしようがない。
ちらと何かで見たが、単なる誤謬の王様だろ、この人。
イエスの教えを全く理解していない男の、キリスト教の語りなど、どうでもいい戯言。
興味なし。
ついでにいうと、ニーチェなども下らない。
彼は単に、教会が教える教義を理解して、それを否定しただけであり、
肝心要の、イエスの教えは全く理解していない。
そんな彼の能書きを引き合いに、キリスト教を批判してくる凡夫は、彼と同じく、イエスの教えを
全く理解しもしてないのに、ちんぷんかんぷんないいがかりを、繰り返す。
凡夫とは滑稽なものだ。自分の無知を棚に上げて、他人様に説教をしている。
ところでおまえさん。他人様がなにを信じようと、なにを信じまいと、なにを信仰しようと、
なにを信仰しまいと、ほうっておけよ。おまえには関係ないことだ。愚かな凡夫は自分がなにをしているのかも
知らずに、ひたすら、他人様に、己のエゴを押し付ける。
言っておくが、一神教が争いを起こすのではなく、人々の争いは、
我々の心に巣食う、エゴという名の、サタンが起こすのだ。宗教間の争いは、その宗教に所属している、
君のような人達が、起こしているんだよ。
このような人種の人達が、宗教に属していると他の宗教と争うし、このような人種の人達が、無神論者であれば、
愛国心などに走り、他国にいる、君らと同じ人種どうし争う。この人種の人達は自分達の価値観以外は決して認めない。
そして、自分の価値観を他人に押し付ける。蛇よ、蝮の子達よ、君らは皆、同じ穴の狢なんだよ。
930 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/30(水) 21:46:15 ID:1MePNE7o
>>924 ものごとには順序がある。
わたしゃ、タイピングが早いほうではないので、失礼。
いやなにね、どこかであなたのハンドルで、嫌韓房丸出しの書き込みを拝見したもので。
勘違いなら失礼。
ところであなた、なんで、サロメに目の敵にされてるんだい?
君らのやり取りは、なにげに笑えるんだけど。
931 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 21:53:25 ID:u5bZFGHk
その日本語翻訳聖書みたいな不自由な日本語表現、どうにかなら
ないっすか?気に入って使ってるんならしょうがないけど。
932 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/30(水) 21:55:10 ID:1MePNE7o
>>928 >ただただ苦しんでる人の手を取り一緒に苦しむだけだからな。
そうか、遠藤周作って、そういう生き様だったのか?
立派じゃないか。俺より全然立派じゃないか。頭ごなしで否定的な書き込みをしてはいけなかったな。
少し反省する。
イエスの掟。我々に与えられた、たった一つの律法。その律法は古い律法を廃し、完成された律法。
それは、「あなたがたは互いに愛し合いなさい」である。
知識や、知恵より、人間はもっと大事なものがある。
それはイエスの掟でもある。それを忘れては、どんなに優れた知識を持とうと、人としておしまいだ。
我々は父の子である。我々は人であるのに、獣に落としてはならない。
933 :
暇人No2:2007/05/30(水) 22:11:45 ID:JDT7692g
サロメに惚れられていたのだが 冷たくしているうちに
どうも 憎しみに変ったみたいだね
愛憎が入れ替わっても 私と絡んでいたいみたいよ
934 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 22:22:42 ID:wTFdH2Pj
愛し合うって何をどう愛し合うのか
さっぱり分からなくなるよ。
935 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/30(水) 22:33:08 ID:1MePNE7o
利他の心を激しく揺す振られると、どんな悪人も、涙する。
それは、我々が本来「一」であることを、心の奥底では知っているからだ。
何も難しく考えることはない。また掟は、頭で考えて従うものではない。
ただ、あなたの心の奥底に眠り、皆の心の奥底に眠る良心に、聞き従えばいい。
>>933 心より同情する。
彼女、病気が良くなればいいな。
せっかく父は、僕に良いものをくれたのに、
あのような者を導けない自分が歯がゆい。
だが、それは僕の役目ではない。僕には役不足だ。
皆、次の時代に預れればいいな。
おやすみだ。皆さんに、主の平和。
サロメは情が深い分愛憎も激しいからね。
938 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 22:41:37 ID:JVURXo3Z
横レススマソ
遠藤周作文学館は、著者みずから描いたキリシタンがひっそりとくらしていた外海の絶壁に作られている。
美しい海と対照的な遠藤作品。
異端かもしれないが、食べず嫌いより、食べて嫌いになるのも、またヨロシ。
沈黙、海と毒薬他。
939 :
ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/05/30(水) 22:48:11 ID:A2BgPX99
イエスが再臨すると何方かは言うだろうが、イエス様が再臨しても
それがイエスである事を見抜ける人がどれだけいるだろうか、多分
殆ど皆無だと思うよ...中にはイエス様を「馬鹿」だの「凡夫」
だの言い出す奴もいると思うw...
キリスト教のスレで仏教の話をして、仏教のスレでグノーシス
の話を出すようなペテンし(周りが知らないと踏んで、言葉を
羅列して偉そうにする魂胆みえみえ)がいたら、やはりそれ相応
の知識が必要になるw...おれの勉学の最初の目的がそもそも
ペテン宗教家やイカガワシイ信者を暴いて、オウムやオウムや
オウムの様ないかさま宗教教団から健全な人達を守るため
だよーーーーん。
それにしても、二言目には「滅び」を連発してりゃ、明らかに
社会や世間に対しての憎悪・コンプレックスに凝り固まった
ロクな育ち方してない奴に決まってるよーーーーん。
940 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 23:04:20 ID:u5bZFGHk
>>939 >イエスが再臨すると何方かは言うだろうが、イエス様が再臨しても
>それがイエスである事を見抜ける人がどれだけいるだろうか、多分
>殆ど皆無だと思うよ...中にはイエス様を「馬鹿」だの「凡夫」
>だの言い出す奴もいると思うw..
君の書き方はマジメな信徒さんを怒らせるに充分すぎるものがある
が、僕にはそれが当てはまりそうだ。再臨は置いといてイエスが生
きている時代にもしも僕がユダヤ人として暮らしていたら、控えめ
にいってもイエスの事をかなりいかがわしい奴と思ったに違いない。
ことによったら"自称ユダヤ王"の処刑も見物に行ってたかもしれな
いな。
「どっち釈放するのか」とか聞かれたら、一緒になって"バラバ!
バラバ!"って連呼してると思う。
941 :
940:2007/05/30(水) 23:28:15 ID:u5bZFGHk
だからパウロってすごいなあと思うんだよ。
942 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 23:31:54 ID:wInO2YO5
ルシファーについてkwsk
943 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 23:40:39 ID:u5bZFGHk
イザヤ書14章12節〜
ああ、お前は天から地に落ちた
明けの明星、曙の子よ。
お前は地に投げ落とされた
もろもろの国を倒したものよ。
ラテン語のluciferは「光を帯びたもの/明けの明星(=金星)」を
意味しバビロンのネブカドネザル王を指していたらしいが、いつの
まにか悪魔の名前になった
944 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 23:41:32 ID:wInO2YO5
太陽(神)にはなれなかったっていう理由で
明けの明星という意味もあるんですかね?
945 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 23:44:21 ID:u5bZFGHk
wikipediaのルシファーの項には
>Lucifer はもともと、ラテン語で「光を帯びたもの」(lux 光 +
>-fer 帯びている、生ずる)を意味し、キリスト教以前から「明けの
>明星」を指すものとして用いられ、オウィディウスやウェルギリウス
>などの詩歌にも見られる語である。無論、ヘブライ語の旧約聖書に
>も、ギリシャ語の新約聖書にも使われてはおらず、元来は、サタンや
>堕天使といった伝説と一切無縁のものだった。
とある。
946 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 23:48:37 ID:wInO2YO5
キリスト教においては
裏切りの中でも「主人」に対する裏切りが最も罪深く
そいつらは地獄に真っ逆さまで
地獄の底で腰から下が氷漬けにされている
ルシフェルの口の中で噛み締められていて
片方にはイスカリオテのユダがいるとされていますよね
もう片方で噛み締められているのは誰ですか(`・ω・´)?
947 :
神も仏も名無しさん:2007/05/30(水) 23:57:05 ID:u5bZFGHk
>>946 >キリスト教においては
>裏切りの中でも「主人」に対する裏切りが最も罪深く
>そいつらは地獄に真っ逆さまで
>地獄の底で腰から下が氷漬けにされている
>ルシフェルの口の中で噛み締められていて
>片方にはイスカリオテのユダがいるとされていますよね
それはキリスト教じゃなくダンテの「神曲」って小説の話じゃない?
氷漬けのルシフェルに噛まれているのはユダ、ブルトゥス、カシウス
の三人。イスカリオテのユダ以外はカエサル(シーザー)暗殺の人って
ところがなんかヘン。
948 :
神も仏も名無しさん:2007/05/31(木) 00:09:52 ID:+TcBqSn/
遠藤周作がわからないならカトリックではないよ。
似非かニワカか練れてないか。
わからんやっちゃなあ。
949 :
神も仏も名無しさん:2007/05/31(木) 00:12:18 ID:+TcBqSn/
このスレと違って、
リアルカトリック信者には遠藤周作のファンは多いよ。
わたしはカト嫌いではありませんが遠藤文学は嫌いです(はっきり・きっぱり)
951 :
神も仏も名無しさん:2007/05/31(木) 00:30:22 ID:G/P0UViO
カトリックの伝統では「聖人」という人々が存在する。カトリック教会
では、歴史上、特に信仰の強かった人々を聖人として、信仰者の模範と
している。歴史上、信仰のために迫害して殺害された聖人は数多い。聖
ペテロも聖パウロもローマで殉教した。十二使徒の聖バルトロマイは信
仰のために、皮を剥がれながら殺害された。15・16世紀の聖人ウィ
リアム・ティンダルは聖書を英語訳したばかりにカトリック教会から迫
害され、処刑された。『ユートピア』で有名な聖人トマス・モアもカト
リックの信仰を貫き、イギリス国王ヘンリー8世のイングランド国教会
を批判したことから、ロンドン塔へ幽閉された後に処刑された。日本で
も安土桃山時代から江戸時代にかけて、長崎にて多くのカトリック信者
が殉教しており、特に豊臣秀吉の迫害により亡くなった「日本二十六聖
人」は有名である。
ロドリゴにもイエスは微笑みかけた、と遠藤は言う。しかしそれなら
ば、信仰のために死んでいった多くの聖人たちの立場はどうなるのか。
ある個人が「ロドリゴのような転向した者も神に愛されたのだ」と考え
るのはかまわない。しかし、もしローマ・カトリックがそのような考え
を大々的に認定してしまえば、信仰に殉じていった聖人たちへの崇敬と
矛盾してしまうことがあり得るのではないか。バチカンや浦上天主堂が
『沈黙』に批判的だったのは、確固とした理由があったと思う。ロー
マ・カトリックと『沈黙』は矛盾する。ローマ・カトリックとしての立
場を貫いたのはバチカンや浦上天主堂の方である。遠藤の思想は魅力的
であるが、それはローマ・カトリックではない。「遠藤的カトリック」
か「日本的カトリック」か「親鸞的カトリック」か、とにかく何か別種
のものであると思う
952 :
神も仏も名無しさん:
この「遠藤的カトリック」は近現代の日本人にとって受け入れやすいも
のなのだろう。カトリック教会の教義ではなく、新約聖書のイエスの教
えを遠藤流に解釈し、親鸞の悪人正機のような思想とイエスの教えを隣
接させる。五木寛之は遠藤の小説を高く評価しているが(『神の発
見』)、「五木流の仏教」と「遠藤流のカトリック」は相似性がある。
弱き者が救われる。全ての罪は赦される。ある宗教は他宗教と和解・融
合し得る。ある宗教を突き詰めていけば他の宗教に行き着く。
こういった遠藤・五木的な思想は、私の好むところでもあるし、おそら
く多くの日本人にとって馴染みやすいものなのだろう。しかし、それ
は、カトリックでも仏教でもなく、遠藤周作や五木寛之個人の思想であ
るに過ぎない。それはカトリックや仏教が本来持っている極端で危険な
部分をそぎ落とし、日本人の持つ通俗的な人生論と上手く適合させてい
くような思想だ。私個人はそのような思想が嫌いではない。しかし、そ
のような思想に真実を見出すのはちょっと違うかな、とも思う。