889 :
次第にその迷雲も晴れ:2007/05/12(土) 13:54:10 ID:xYDRtpNB
■■■新入生へ■■■
そろそろ親鸞会の存在を聞かされている頃でしょう。
絶対の幸福になりたいという気持ちで新歓合宿を終えた方も多いと思います。
しかし、以下の4点をよくよく知った上で継続するかどうかを考えてください。
@皆さんの先輩は(たとえ4年生、院生であっても)、絶対の幸福になっていない。
AOBの人(実際には親鸞会の講師ですが)も、絶対の幸福になっていない。
B親鸞会の本部にいる立派な方々(親鸞会の幹部ですが)も絶対の幸福になっていない。
C親鸞会の会長(高森先生)も、絶対の幸福になっていない。
@、Aに驚く方も多いと思いますが、現実には1人もいません。皆さんの
知らないところで会合が開かれ、3年生以上は「なったことにしよう」と
決められているのです。
Bの偉い方々については、そろそろお目にかかる頃だと思います。「富山県
へ行こう!」と先輩が言い出したら、「あ、ついに!」と思ってください。
Cについては、現在本スレで解明しているところですので、楽しみにご覧
下さい。
890 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 14:55:32 ID:PcqmOyq2
>>885 >親鸞会結成以来はボロを出さずに来ましたが、それ以前に大きなボロを。。。
>しかも獲信体験という決定的な場面の記述に、高森氏はボロを出してます。
>
>親鸞会の動揺は相当なもので、ご覧のとおり、アラシが横行してます(笑)
>これのおかげで「盛り上がったスレ」に載るといいですね(笑)
「獲信の記録」という本にも、以下のような記述があったけど、
獲信した人が「これで獲信したのだろうか・・・」と疑っているのを、高森氏が「振り返ってみると
すべてが包まれていることに気がつくのだ」とか言ってますが、これって今、親鸞会が主張している一念で疑いなく
頂ける信心と異なるのではないですか?
高森顕徹・編 『獲信の記録』 華光社 P69〜71
・・・挨拶も忘れて、今あった不思議な出来事をありのまま顕徹君に語った。一同は我がことのように
喜んでくださる。だが、私自身は何がなんだかさっぱり分からぬ。本当だろうか・・・。
これが獲信したというものであろうか?
まだまだ疑いの晴れぬまま、種々ご馳走に預かる。こんな、うまく食事したことが近頃にあったろうか。
やがて、顕徹君の話に薄紙を、はぐが如く、光明は輝きを増し、歓喜は胸に張り裂けるのであった。
「如来を求めて、いくら追っかけても、人間は到底追いつけるものではない。また自分でとらえられる
位なら、他力信心なんか必要もない。弥陀は十万億土の彼方におられるものだと思っていられたか
知らぬが、何のことは無い、アンタの腹の中にいて、しかもこの宇宙を包んでいる絶対者なんだ。その
懐に入っていながら、それを追っかけ、とらえようなんて、問題ではない。追いつけないことが分かって
初めて振り返ってみると、何のことは無い。総てが包まれていたことに気がつくのだ。この様に包まれて
いながら、何を悩みますかね。」
不思議だ!そう聞けば悩もうにも悩む種が無いではないか。そして顕徹君の語るどの話も皆、素直に
肯定出来るからおかしい。弥陀が智慧や才覚で分からんでもよいのだ。このままでよいんだなあ。
ああ、このままだった、このままだった。
891 :
次第にその迷雲も晴れ:2007/05/12(土) 15:03:21 ID:xYDRtpNB
>>890 UPありがとうございます。
■■■土蔵秘事活動をしていた高森氏■■■
高・森・氏・は
土・蔵・秘・事・の・親・玉・だ
と・い・う・こ・と・が
判・明・し・ま・し・た
892 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 15:13:39 ID:SnQ/RTR/
>>890 これって高森氏が20歳の時に書いた文章ですよね。
18の時には信心決定して一念の信心を獲ていたはずなのに、
こんな体験談を平気で書いているんですね。
結論
高森氏の20歳の時の信心と今の信心は異なる。
あるいは、18歳で信心決定したというのはウソ。
893 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 15:55:38 ID:14iKNSWN
会長は自分の語る親鸞聖人の教えが事実と異なっていたならば、
その場で即刻、腹を切るといわれたことがありましたね。
今回の問題では背を丸めて屈みこみ、じっと嵐が過ぎ去るのを待つ手段を
とっているように見受けられますが、これまでとってきた親鸞会の主張から
みてみると、その方法は全然美しくないですよ。
_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_
デケデケ | |
ドコドコ < アンチはウンチ!アンチはポンチ! >
☆ ドムドム |_ _ _ _ _ _ _ _ _ _|
☆ ダダダダ! ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨
ドシャーン! ヽ オラオラッ!! ♪
=≡= ∧_∧ ☆
♪ / 〃(・∀・ #) / シャンシャン
♪ 〆 ┌\と\と.ヾ∈≡∋ゞ
|| γ ⌒ヽヽコ ノ ||
|| ΣΣ .|:::|∪〓 || ♪
./|\人 _.ノノ _||_. /|\
ガッガッガッ
ドチドチ!
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デケデケ | |
ドコドコ < アンチはウンチ!アンチはポンチ! >
☆ ドムドム |_ _ _ _ _ _ _ _ _ _|
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ドシャーン! ヽ オラオラッ!! ♪
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ドチドチ!
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│ しばらくお待ちください .|
│ Now anting... .|
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ウズウズ…
=≡= ∧_∧ I'm anti.......
/ \ (・∀・ )/
〆 ⊂ つ∈≡∋
|| γ ⌒ヽヽコノ ||
|| .| |:::|∪〓 ||
./|\人 _.ノノ _||_ /|\
シーン
=≡= ∧_∧
/ (・∀・ ) <誰も相手にしてくれない
〆 ┌ | | ∈≡∋
|| γ ⌒ヽヽコノ ||
|| .| |:::|∪〓 ||
./|\人 _.ノノ _||_ /|\
=≡=
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〆 ∈≡∋
|| γ ⌒ヽヽコノ || さよなら
|| .| |:::| 〓 ||
./|\人 _.ノノ _||_ /|\
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/⌒ ⌒\
/( ●) (●)\
/::::::⌒(__人__)⌒::::: \
| |r┬-| |
\____`ー'´____/
(( ( つ ヽ、
〉 とノ ) ))
(__ノ^(_)
899 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 17:28:16 ID:4YY7TDqS
高森先生のご著書である『会報』には「仏教では疑心に二つある」として
「晴れる疑心と晴れない疑心」を出され、
疑煩悩は絶対に晴れることのない疑心である、とご教示されております。
ですので、晴れる晴れないということがあるのは本願疑惑心である疑情に
限ります。
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
901 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 17:52:25 ID:yKhaNEt1
華光会の事が何でこんなに隠されているのか分かりました
902 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 18:02:16 ID:c7nBp/Ym
>>890 ID:PcqmOyq2さん
質問に答えてくださり有難うございました。できれば、獲信の記録の
前後の文もアップして頂くと有難いと思います。
ラ〜ラララ〜
おっおっー!
チャチャチャ
ゴーゴー
米国の著名な心理学者チクセントミハイは、
「生きる目的」がわからないから、
どれだけ利便と娯楽に囲まれても、
心からの充実が得られないのだと説明しました。
クセントミハイ!
ハイ! ハイ!
(. `Д)_(Д´ )
ノ ノヽ | |>
ノ > < ヽ
ハイ!
(. )_(`Д´)ノ
ノ ノヽ |ヘ |
ノ > <
ハイ!
(`Д´)_(`Д´)ノ
ノ ノヽ |ヘ |
ノノ <
あるある探検隊!
ヽ(`Д´) ヽ(`Д´)
| ヘ|ヽ | ヘ|ヽ
| ̄ | ̄
あるある探検隊!
(( (`Д´) (`Д´) アンチが2chで自演する
(/ /) (/ /) ))
< ̄< < ̄<
_(Д´ ) _(Д´ ) あるある探検隊!
ヘ| |\ ヘ| |\ あるある探検隊!
< <
910 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 18:51:19 ID:LTy/77sr
光線部のみなさん頑張ってますね
(( (`Д´) (`Д´) ↑早速アンチのこの反応
(/ /) (/ /) ))
< ̄< < ̄<
_(Д´ ) _(Д´ ) あるある探検隊!
ヘ| |\ ヘ| |\ あるある探検隊!
< <
浄土真宗親鸞会はカルト宗教なのか
ほうれんそうこれは、野菜ではない。
報告・連絡・相談を略しているものである。
この言葉の起源は統一協会だろうか…。
親鸞会では、会員は上司(先輩)にこの3項目を常時行なっている。
会員個人も会側も一貫して『本人の意思によって云々…』と言っているが、
実際には親子間で話し合われる時も、その直後には上司(先輩)に相談して次回の指示を仰いでいるのである。
本人にしてみれば、それが私観的な考えではなく第三者に意見を頂戴する事が客観的な見つめ方になると見当違いの理解をしているのである。
つまり、これを行ない続けられると、親子間でいくら話し合いの場を設けてみても、いつまでも平行線でしかなく、イタチごっこに終始する。
なんとも、悲しくなるような文章ですね。
報告、連絡、相談を「ほうれんそう」と言って重視するのは、ビジネス書にもあるし、今日、どの会社でもよく言われることでしょう。
「起源が統一教会」って、そんなこと聞いたことありませんね。
どうも、NONSECT氏は、強引な関係付けがお好きらしい。
親鸞会の学生さんは、ごく普通で、おおむねまじめな方が多いと思います。
親鸞聖人の教えを聞いて、生きる意味、生死の一大事という、人生の根本問題を知らされれば、自然な感情として、
それを家族や友人にも伝えたいという気持ちに、だれしもなるでしょう。
しかし、話の仕方が稚拙であったり、勢いで感情が先走って論理性を欠いたりで、両親に誤解を与え、余計に心配をかけるケースも多々あります。
(無理もありませんね。釈迦45年間の仏説は、最高の哲学をも超える教えですから、その仏教を聞いて、まだ日の浅い若者が、そんなに上手に話できるはずがありません)
そこで、誤解のないように話すにはどうすればいいだろうか、と先輩に相談するのも、ごく普通のことでしょう。
そのように、学生が先輩に「私観的な考えではなく第三者に意見を頂戴する事」がいけないことなのですか。
それなら、NONSECT氏が学生会員のご両親の相談に乗っているのはどうなるんでしょうか。
以下は、私に相談に来られた方の、NONSECT氏の印象です。
・NONSECT氏は、子供の言うことは、みな親鸞会の上司の指示であるかのような口ぶりで、頭ごなしに否定し、不安を煽り立てるような話し方でした。
・具体的なことはほとんど話しないまま、「浄土真宗親鸞会は危険だ、危険だ」とくりかえす。
途中で、何か、この人自身が偏っているのでは、と思うようになりました。
親鸞会に悪意と偏見を持ち、オウムや統一教会等のカルト宗教とを結びつけ、平気で事実を歪曲してホームページをつくるような人物に相談しても、
「客観的な見つめ方」になるとは、とても思えないのですが、いかがですか。
私も聞きたい。
参加したい親鸞会では、最近、友人や家族も、どんどん講演会や部室に来ているようです。
いろんな偏見を持って調べにくる方も、もちろんあるでしょうが、大抵は、実際に参加してみて、誤解が解け、安心して帰られるそうです。
たとえ、話の内容がすぐには納得できなくても、その場の雰囲気を肌で感じ、学生や講師の方とも話をして、自分の目で確かめていかれるからでしょう。
中には、自分自身が感動されて、「私も聞きたい。参加したい」と、続けて積極的に部室にこられるお父さん、お母さんも、ずいぶんおられるとか。
さすがに、仕事が忙しいお父さんたちは、続けて何度もという方は、そんなに多くはないようですが。
おじいさん、おばあちゃんと一緒という方も、おられます。
916 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 19:41:21 ID:PcqmOyq2
>>890 >「獲信の記録」という本にも、以下のような記述があったけど、
>獲信した人が「これで獲信したのだろうか・・・」と疑っているのを、高森氏が「振り返ってみると
>すべてが包まれていることに気がつくのだ」とか言ってますが、これって今、親鸞会が主張している一念で疑いなく
>頂ける信心と異なるのではないですか?
>>893 >会長は自分の語る親鸞聖人の教えが事実と異なっていたならば、
>その場で即刻、腹を切るといわれたことがありましたね。
>
>今回の問題では背を丸めて屈みこみ、じっと嵐が過ぎ去るのを待つ手段を
>とっているように見受けられますが、これまでとってきた親鸞会の主張から
>みてみると、その方法は全然美しくないですよ。
>>901 >華光会の事が何でこんなに隠されているのか分かりました
シンパのみなさん、反論はなしですか・・・
917 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 19:45:13 ID:9l8LIwOF
>>892 カルト宗教の法の華福永代表が「天声」を聞いたときの
記述が著書によってバラバラで状況も時期も矛盾している
っていうのを思い出した。
ホーホー
まあね
920 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 22:03:43 ID:k4U8t1V/
その華光会の時の文章と、親鸞会での文章がまるで違う。
50年近くにもなる親鸞会の歴史の上では、一念の信心について説法しているのだから、この際ハッキリと「華光会にいましたが、そこは間違いだと分かって飛び出しました」とか表明すればいいんでないのかね?
これでアンチはチョンだということが判明しました。
922 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 23:01:04 ID:14iKNSWN
ネット対策員にとっておそらく初めて目にしたであろう「獲信の記録」を読んで、行った対応というのが荒しによる情報撹乱行為
であることに、驚いた。
これは組織にとっても重要な問題なので、下っ端会員が下手な対応をとったならば、一気にS会の評判を落としてしまう・・・
ここは組織のしかるべき立場の講師(布教局長など)が会長先生に直接お聞きするなどして、適切な対応をとるまで沈黙した方が、
組織としても得策であると思えるのですが。
923 :
神も仏も名無しさん:2007/05/12(土) 23:25:19 ID:PcqmOyq2
>>890 >「獲信の記録」という本にも、以下のような記述があったけど、
>獲信した人が「これで獲信したのだろうか・・・」と疑っているのを、高森氏が「振り返ってみると
>すべてが包まれていることに気がつくのだ」とか言ってますが、これって今、親鸞会が主張している一念で疑いなく
>頂ける信心と異なるのではないですか?
>>893 >会長は自分の語る親鸞聖人の教えが事実と異なっていたならば、
>その場で即刻、腹を切るといわれたことがありましたね。
>
>今回の問題では背を丸めて屈みこみ、じっと嵐が過ぎ去るのを待つ手段を
>とっているように見受けられますが、これまでとってきた親鸞会の主張から
>みてみると、その方法は全然美しくないですよ。
>>901 >華光会の事が何でこんなに隠されているのか分かりました
会員の人たちからの反論もないようですが、みなさん高森氏の信心についてのこのような記録を
初めて目にして、驚いているのでしょうね。
なぜ、華光会についてひた隠しにされてきたか、ようやく多くの人が考え始めるのではないでしょうか。
>>920にも書かれているように、「過去はこのようなことであったが、今はこうです」と高森氏自身がハッキリ言えば、
おそらく会員の人たちはついてくるでしょうに、会長自身が隠し事ばかりしているから、事態は悪い方へ流れているような気がします。
会員の人たちも、これを機に今までの絶対的な会長信仰について、一歩立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか・・・・。
あほすぎて話す気力もおきんわ
アチャー
ミャー
体験よりも教えが大事
アハハ
イヒヒ
ウフフ
.┌、 r┐ r┐ヾ> (_ / ミ
!. | ヾ> || lニ コ 〈/`ヽ _ ミ
|. ! ノ| | レ! _| |. ,イ,.- 、 |  ̄_ ̄丁 '' ー┬‐- -ミ
ヽ二/ .ヽ/(___メ> /,|.l l ! ( ) ! (´ ) ! r‐
ry'〉 ,、 /イ,! `ー' _L =- --┴-ニ二ト、_'ー'
lニ', r三) (( |'J」-''_二 =-- ‐一 ー‐t‐-ト、 二__
|_| )) レ'/´ィ 、_________ ヾミ| l
_r┐ __ (( V ,、 F≡三r一tァー, | l:.:. .::
└l. レ',.-、ヽ )) |ノ^>、 '^ミ二´ | l:.:.:.::
ノ r' __,! | (( V/イソ .::ヽ、二_
└'!_| (_t_メ.> )) | / ,' _ .:.:.:.::i|,)ノ
r-、 (( |.〈、 、 _〉 `丶、 ;:ィil| ノ
,、二.._ )) | 笊yfミミミミヾ、 '!l|il|li!fj'
ーァ /. (( ヽ |i''r ''_二二ニミ;ヽ、 ,|l||il|l|,「゚|
ん、二フ )) |,l| V´ :::::::::;;/ トi|l|i|i|l|!Ll
,.-─-.、 (( |i! ゞ=-‐''" ,i||i|l|l|l|!|i{
/ /l .i^ヽヽ ` |il! ーォii|「、 ,,.,.ィi||l|i|l|l|i|l|シ'
. | .レ' / l.| ヽ二ニ,ヽ ,/i|l||livil|||l|i|l|l|lil|l|i|l|i|i|i|l|l|l|{'
. ヽ/ ノノ <ノ {l|!|l|i|l|i|l|i|||i|i|l|i|i|i|i|l|l|!|l|l!r'
r┐,.─-、 / 7 ヾ!||i|i||i|i|l||l||i|i|l|l|l|l||l|l!イ
||し'^) ,! ┌‐' 'ー┐ト、 ``,ヘi|l|i|l|i|l|l|i|r''`''"´ i ,
|_| l´r' 7 /_7 / 」__〉 (_~`^~"゙'ヾ ノ / ,
[_] [_] 〈_/ヽ_/ .ト─' ノ / /i
アハハ
イヒヒ イヒと言えば 化
ウハハ。
大乗仏教の運動で、一番の問題点がお経、つまり、よりどころとなる聖典の問題でした。
伝統的教団には、釈迦から伝わる教えをまとめた経典や、釈迦から受け継がれてきた
戒律をまとめたものなどがありました。
ところが、一般民衆から起こった大乗仏教には、それがありません。
聖典がなければ、教団形成はできません。
そこで、大乗仏教の人々が取った方法は、経典を創作するという、現代人にはとても理解のできない方法でした。
自分たちの理念、理想を述べたものを自分たちのよりどころの聖典とし、それも、
「私はこのように釈迦から聞きました」という書き出しをもって、経典を創作していきました。
このように、好き勝手に誰でも経典を作り始めたのですから、その経典の量たるや、ものすごいものとなりました。
また、釈迦以来の伝統的仏教教団は、比較的、当時インド一般社会に浸透していたヒンズー教とは
一線を画していたのですが、大乗仏教は、ヒンズー教の社会に生きる一般民衆から起こったのですから、
初めからヒンズー教の影響を強く受けることになります。
このことは、次回以降に述べますが、このときに、仏教の中に、阿弥陀仏とか観音(観世音菩薩)とか
地蔵菩薩などの超自然的、神格的存在が説かれるようになり、大乗経典に多く記されていったのです。
もちろん、このようなことは、釈迦は説かなかったことです。
紀元前252年に第三回の仏典結集を行ったアショカ王の詔勅(石柱や磨崖に刻まれた仏教思想)は
現在でも見ることができます。内容は上座部仏教の教えです。 仏教に熱心だったアショカ王は息子を
伝道者としてスリランカに派遣したわけですが、勿論伝えられたのは当時の仏教(上座部)でした。
無量寿経 阿弥陀経(大乗経典)はなぜ伝わらなかったか?
その当時、まだ存在してなかったからです。
なぜ、浄土信仰は亜流なのかと言うことですが、それは阿弥陀仏の浄土の教えは思想史の上からいっても、
また、宗教学的な見方からいっても、
釈尊の本来の教えとは言えない色々な状況証拠があるのです。
思想史的にいうと、阿弥陀仏信仰がインド本土では流行したことは立証できません。
法顕、玄奘、義浄という中国僧で法を求めてインドまで旅行した人々は、
阿弥陀信仰については、なんら報告をしていないのは奇異なことで、もし、インド、釈尊以来の教えであるなら、
その筋道をたどることがある程度できるはずです。
937 :
神も仏も名無しさん:2007/05/13(日) 06:31:30 ID:sp2IRyIR
899 :神も仏も名無しさん :2007/05/12(土) 17:28:16 ID:4YY7TDqS
高森先生のご著書である『会報』には「仏教では疑心に二つある」として
「晴れる疑心と晴れない疑心」を出され、
疑煩悩は絶対に晴れることのない疑心である、とご教示されております。
ですので、晴れる晴れないということがあるのは本願疑惑心である疑情に
限ります。
938 :
神も仏も名無しさん:
今日もインチキ説法はじまったのか?