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アの字:
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山羊派は、聖師の権威にあぐらを書いて抜け殻と化した大本三派と違って、
さすがにお目が高いですな。
「グノーシス神話」は、「神の沈黙」ないし「現世の不如意」から逃げずに
真摯な態度で取り組めば、宗教の道を歩む者なら誰でも突き当たる問題だと思う。
ところが、大本も含めてほとんどの宗教がそこから逃げて、偽善的信仰をやっている。
旧約聖書のヨブが見せた、あの真剣な態度が欠落しているのです。
信仰が必要な根本理由とは、「善であるべきなのに悪である」という矛盾を持つこと
から発してる。矛盾から「苦」や「不幸」が生まれるのだから。
それを解決するのに、「神様が言うのだから、今日から悪に見えるものを善と言い換え
ます」と、矛盾で矛盾を御そうとしても仕方がない。「善が悪に見え、悪が善に見える」
というわれらの目玉が変わらなければいけない。「見ないふり」も「見えるふり」もいけない。
「見えるものは見える」、「見えないものは見えない」と認めなくては。
結局のところ、逃げまくっても自分自身からは逃げられず、死んだら自分自身が
積み上げてきた「誤魔化しの請求書」の束でもって厳しく罰せられるということです。