原始佛教 その23

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987神も仏も名無しさん
2に関しては、(951さんは sam に注意を払っていないようですが)重要な部分かと思う。
たとえ sambandha 自体が、既に一語の術語として「connection」とされていても、
 (水野辞書では“結合”“連結”、動詞の所には“統合”とも。)
bandha は、「縛り、結びつき」といった意味合いがスタンダードだと思う。
勿論それを、敷衍した意味として「関係ている(関係性がある)」としても良いと思う。
(てか、sam が付いて、関係という意味合いを付加・強調したものと言えるのだろうが・・)。
が、この時、もう少し「縛り」というニュアンス・イメージを残しつつ見るならば、
単に「関係している」というだけでなく、
そこに『「強い結び付き」「必然としての、それ以外あり得ない強固な関係性」が含意されている』、
と、訳者が読んでもおかしくはないだろう。
そして、sam が「正しく(→まさにそうあるべきものとして)」とか「正当に」とか、
(或いは「共に、一緒に」、或いは「同様に」「等しく・平等に(→≒互いに)」とか、)
bandha の意味するところを更に強調するために用いられているものだとしたならば、
sambandha とは、【まさに、分かち難く関係付けられている、関連している】と読めるのではないか?
(なぜ、hetuphala-bandha でなく hetuphala-sambandha なのか?)
だとするならば、このhetuphala-sambandhaを解釈する時に、
【応に報いられるべき関係】という受け止め方が生じても不思議はないように思う。
漢訳経典でなく、中国オンリーの解説書等において、或いは日本における解説において、
そこに「応報」という意味合いを見る姿勢は、必ずしも責められるべきものではないかもしれない・・・。
どなたかパーリ・Sktに詳しい方解説ヨロ。m(_ _)m