原始佛教 その23

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904神も仏も名無しさん
>>902
> 生まれてきた時の、様々な生物の違いは【因果応報】ではない。

これは完全な断見でしょう。生前の因によって、生まれてきた時の、様々な生物の違いがある
と得のが仏教でしょう。これは通仏教であるし、ローカーヤタ以外のインド・ダルマ全てでしょう。

> 私は、「死によって全てが終わる」 と発言していない。むしろ「わからない」と言っている。
> 認識論的には、「死によって全てが終わる」と言っていい。
> 仏教的には、簡潔明確な答えは無い筈だ。(勿論、本当に一切合財全てが終わる、と言えば断見
> であろうと私も思う。)

仏教はそんなことは言わないでしょう。例えば『スッタニパータ』中村訳
276 争論を楽しみ、迷妄の性質に蔽われている修行僧は、
目ざめた人(ブッダ)の説きたもうた理法を、説明されても理解しない。
277 かれは無明に誘われて、修養をつんだ他の人を苦しめ悩まし、
煩悩が地獄に赴く道であることを知らない。
278 実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へと生まれかわり、
暗黒から暗黒へと赴く。死後には苦しみを受ける。

660 悪口を言いまた悪意を起して聖者をそしる者は、
十万と三十六のニラップダの[巨大な年数のあいだ]また五つのアッブダの[巨大な年数のあいだ]地獄に赴く。
661 嘘を言う人は地獄に墜ちる。また実際にしておきながら゜わたしはしませんでした」と言う人もまた同じ。
両者とも行為の卑劣な人々であり、死後にはおの世で同じような運命を受ける(地獄に墜ちる)。


この認識は、最初期から一貫してテーラワーダでも、シナ朝鮮日本でも、チベット・モンゴルでも貫かれています。
当然の仏教的認識であり、アナタの見解は、ただの断見ですよ。