>>251 このように、(日本語で「悟り」と言った時には)、実に多彩な読みが可能となる。
当然、(「悟り」という日本語に於いて)どの解釈を採用するかによって、以下の問いへの答えは変わってくる。
(※余談だが、勿論、文脈によって、何について言われているかという語義が違うことは、仏典の中にも見られることだし、
何より、日本語で「悟り」(「悟った」とか「悟りを得た」とか)と訳せる部分は実はあまり多くない。
それらの多くは意訳となっていると思われる。このことの意味はかなり大きなものがあると思う。
特に、翻訳でなく解説の際、「悟った」と言われる時は、
「ある状況を把握し易く『括った謂い』『ラベルを貼った謂い』として
(殆どそのことに無自覚に)用いられている(用いてしまっている)」ことに自覚が必要だと思う。)
一応、「上記それぞれに於いてどうか?」と逐一記すつもりだが、
ちなみにりょんは、どういうイメージのもとに問いを発したか(→自分の辞書の語義がどれに当たるか)
自分で判るかい?
以下、返答予定のレス内容。
ロ:「悟り『に近づく』とはどういうことか。」
ハ:「距離を測るとはどういうことか。」
ニ:「私の場合はどうか?」
時間が掛かるかもしれないが(数日?数週間?数ヶ月?w)、
りょんLOVE&heart;なw私としては答えたいと思っているので
あまり期待せずに気長に待つ宣しw